ヒマラヤ登山の歴史(19世紀)
「世界の屋根」といわれるヒマラヤには、標高7000mを超えるピークが250種以上、8000mを超えるピークだけでもエベレスト(8848m)をはじめとして14座もある。現在ではそのほとんどが踏破されたが、19世紀以前は多くが人跡未踏の処女峰であった。ヒマラヤの近代登山は、イギリス人のウィリアム・ウッドマン・グレアム(1859-1932)が1883年にドゥナギリの試頂とシッキムのカブール周辺の登山から始まる。1887年、ヤングハズバンドが北方からムズターグ峠によるカラコルム越えに成功、1892年にコンウェイのカラコルム遠征があり、6888mの当時の人類到達新記録をつくった。1895年、8000m峰ナンガバルバットに挑戦したママリーは遭難し、1899年、フレッシュフィールドのカンチェジュンガの偵察と一周囲旅行をもって、19世紀のヒマラヤ登山史は終わりを告げた。
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