焼跡と映画館
昭和20年8月、日本は太平洋戦争に敗れて、混乱と絶望におちいっていた。終戦後、配給は1人1日1合だった。不法だが闇市で買うしかない。近郊農家への買い出しが男の仕事だった。「戦後いちはやく復興し始めたのは、陸の玄関名古屋駅前であった。焼跡にはバラックやマーケットが建ち始め、大がかりな闇市、納屋橋河畔の大道市、笹島東北角にずらりと並んだアロハ・アーケードなど現在の姿からは想像もつかない状景であった」(名古屋中村区誌)
戦後の混乱のなかで広小路にいちはやく目をつけた人物がいる。今は無き日本ヘラルド・グループの創業者である古川為三郎(1890-1993)だ。焼跡に立ち、戦後は必ず映画の時代が来ると予想した彼は、昭和21年に「今池国際劇場」「メトロ劇場」、昭和35年には「毎日ホール大劇場」「毎日地下劇場」を開館する。古川の予想どおりどの映画館も長蛇の列ができた。
« 製紙法と印刷術の世界史 | トップページ | ヒマラヤ登山の歴史(20世紀前半) »
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- テレビ65年史(2022.06.24)
- ウィル・スミス殴打事件 日米で反応が分かれる理由(2022.04.10)
- 古い映画(2022.03.11)
- 春ドラマ(2022.05.06)
- 冬ドラマみどころ(2022.01.24)
コメント