無料ブログはココログ

« バスケット・ボール | トップページ | 薩長同盟の締結日について »

2019年1月20日 (日)

義仲忌

紅梅を近江に見たり義仲忌   森澄雄

    倶利加羅峠の戦いで、木曽義仲が近くの民家から500頭の雄牛を集めさせ、角に松明を結んで火をつけた。狂うようにして暴走した牛の群れが、平家軍の中へ突っ込んでいく。恐怖に度を失った平家は、つぎつぎと深い谷底へと転がり落ちていった。「源平盛衰記」に描かれた義仲の火牛の計は本当だろうか。どうも司馬遷の「史記」田単列伝を引用したらしい。戦国時代の斉の将軍・田単は前279年、火牛の計で燕軍を即墨城外へ撃破した故事が有名である。旭将軍とたたえられた義仲も、わずか二月年たらずで落日の人となる。元暦元年(1184年)正月20日には北陸に敗走中、粟津で義経・範頼の大軍に敗死する。愛人の巴は女武者であったが、「女連れで死ぬのは恥ずかしい」という義仲のことばに、泣きながら、いずこへか去ったと伝えられる。大津の義仲寺には義仲と芭蕉の墓が隣り合わせに建てられている。

« バスケット・ボール | トップページ | 薩長同盟の締結日について »

日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« バスケット・ボール | トップページ | 薩長同盟の締結日について »

最近のトラックバック

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30