明治7年1月14日の夜、岩倉具視(1823-1883)は公務を終え、赤坂の仮皇居から退出して自宅へ帰る途中高知の征韓論派の武市熊吉ら9名に襲われた。岩倉は眉の下と左腰に軽い負傷はしたものの、皇居の四ッ谷濠へ転落し、辛うじて助かった。前年の秋に西郷隆盛らは征韓論に敗れ、征韓論に反対した岩倉への不満が暗殺の動機だった。同年7月9日、9名全員(武市熊吉、武市喜久馬、山崎則雄、島崎直方、下村義明、岩田正彦、中山泰道、中西茂樹、沢田悦弥太)は死刑に処せられた。
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