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2019年1月12日 (土)

古代ローマ人の道路建設

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   すべての道はローマに通ず(ラ・フォンテーヌ「寓話」)

  AII roads lead to Rome.

  ローマ帝国は放射状の道路があらゆる地方へと結ばれ、いくつもの道路を建設したことで名高い。その建設には捕虜や奴隷が用いられ、全長は約8万㎞に及んだ。これらの軍道は建設した役人(ケンソル)の名をとってフラミニア街道、アエミリア街道、アンニア街道、カッシニア街道、サラリア街道、ラディナ街道などと名づけられた。その中で最も有名なのはローマから南東に向かうアッピア街道で、前312年にアッピウス・クラウディウス・カエクスによって建設され、ローマからカプアまでいく道だった。後ベネウェントゥムを通ってアドリア海に面した港ブルンディシウムまで延長された。全長540㎞、幅8m。舗装の厚さは約1.5m。中央部をやや高くして、雨水が側溝に流れ込むように設計されている。土を盛ることを、ローマ人は「アッゲル」と言った。アッゲルとはもともと「土手」とか「城壁」を意味する言葉で、道路自体を周辺地盤より高く盛り上げることをいい、土手道とか盛土道と訳されることもあった。表面には頑丈な玄武岩などが隙間なく埋め尽くされた。

    道路は最初は軍事用に建設されたものが多かったが、まもなく経済面で役に立つようになり、大量の商業運輸に使われた。州境では輸入税が課せられ、帝政時代後期には荷の積み過ぎを防ぐために荷車を検査する任務の役人がいた。道路維持経費の一部は、道が通ることで利益を得る地域社会が負担させられた。Via Appia 

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コメント

高校のとき、吹奏楽部でレスピーギ作曲、交響詩「ローマの松」から「アッピア街道の松」という曲を演奏したことがあります。難曲でした。

コメントありがとうございます。ローマに着いて空港からバスの窓から見えたのがローマの松。ゆっくりとアッピア街道を歩いてみたいと思いながらも、トレビの泉、コロッセウムと絵葉書のような観光名所めぐりの一日でした。

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