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2019年1月31日 (木)

ヒマラヤ登山の歴史(20世紀前半)

  20世紀になるとヒマラヤ登山は、早くも1907年、ガルワール・ヒマラヤにあるトリスル(7130m)が、トム・ロングスタッフ(1875-1964)によって初登頂された。7000m峰に人類が立った最初だった。さらにイギリスのアレクサンダー・マイケル・ケラス(1868-1921)は1911年、パウンフリ(7128m)に登っている。1909年、イタリアのアプリッチ公の率いる大遠征隊がカラコルムにはいり、K2に失敗後、チョゴリザ(7654m)に試頂し、7500m近くまで登って記録を更新した。1899年から1912年にかけてアメリカのワークマン夫妻が、7回にわたりカラコルム周辺を探り、1906年ワークマン夫人(ファニー・ブロック・ワークマン)はヌンクン山群のピナクルピーク(6930m)に初登頂して、女性最高到達記録をつくった。しかし、7000m峰は、わずか3つしか登れなかった。

   第一次世界大戦によって中断されたヒマラヤ登山は、大戦終了とともにふたたび活発な時代にはいった。1921年、イギリスは初のエベレスト偵察隊を派遣して以来、1938年までに合計7回に及ぶ攻撃をくり返し、1933年、約8572mまで達したのが最高だった。カンチェンジュンカは、1929年と31年にドイツ隊が、K2は38年と39年にアメリカ隊が8000m近くまで登ったが落ちず、ナンガパルバット(8126m)は32年から39年まで5回、ドイツ・オーストリア隊の攻撃にもかかわらず、犠牲のみ多く成功しなかった。1936年、8000m峰ヒドンピークをねらったフランス隊も撃退され、8000m峰はついに一つとして陥落しなかった。一方、7000m峰では、1931年、スマイス隊がカメートを、36年、ティルマン隊がナンダデビーに登り、また同年、日本から初めて送られた立教大学隊が6000m峰ナンダコットに初登頂して、ヒマラヤ登山は隆盛をみた。しかし第二次世界大戦の勃発とともにふたたび休戦の時代にはいった。

2019年1月28日 (月)

製紙法と印刷術の世界史

Photo   トーマス・フランシス・カーター(1882-1925)は、その著書「中国における印刷の発明とその西漸」のなかで「紙の発明とその伝播は印刷の発明とともに、宗教改革の道をひらき、教育の普及を容易にし、火薬・羅針盤の発明とならんで、近代世界を形成する上に大きな役割を果した」と述べている。

  紙の歴史は長く、一般には紀元前2500年にエジプトで作られたパピルスに始まるといわれているが、厳密な意味で今日いうところの紙といえるものは、2世紀はじめ中国において後漢の宦官・蔡倫が樹皮・麻くず・ぼろ・魚網くずなどの植物繊維を原料としてつくつたのが最初であると後漢書が伝えている。紙文明は、15世紀のグーテンベルクの印刷術の発明とともに、近代文明と教育の普及を担ってきた。いわば紙は約500年間中国人の独占物であり、その後500年間は、もっぱらイスラム教徒のほとんど排他的ともいうべき支配下におかれていた。紙がヨーロッパに導入された後、その受け入れにはいくつかの障害があった。まず第1つに、パーチメントがまだ十分評価に耐えうる素材であり、ヨーロッパ製の初期の紙よりはるかによいものであった。第2に、ヨーロッパでの教育は、遅れており、字の読める人間の数は僅少であった。さらに、当初、教会は紙の受け入れに難色を示した。というのは、それがもっぱらイスラム教徒ないしユダヤ教徒に起源をもつものであったがためである。そこから、公的な記録や重要な証書として紙の使用を禁ずる法令が出ている。1221年における皇帝フレデレック2世の布告は、紙に書かれた証書は、法律的に無効であるとうたっている。したがって、紙は長い間、君主然たるパーチメントに対して臣従的なきわめて低い地位を占めていたに過ぎない。だがヨーロッパの舞台に印刷術が出現するとともに、紙のもつ本来の有用性が日の目をみることになる。だが21世紀以降の印刷物の氾濫は膨大な量に達し、その保存・整理が問題視されてきた。今年、日本でもアイ・パッドの発売により、紙の図書をめぐる状況は大きな変化をみせている。自分でスキャナーを購入して、紙の本を裁断機で切断して、スキャンして、自分で電子書籍をつくる人も出てきた。愛書家が聞いたら卒倒しそうな話だが、狭いマンション暮らしの人にとっては本の保管スペースなどをコストで換算すれば、処分するほうが得策と考えるのだろう。税金で運営される公共図書館でも書庫の収納限界に達した館では、電子化が促進される時代になってきた。本に対する専門的な知識を持たない職員の多いところでは、貴重な書籍が失われていく現状を知っているものにとっては、電子書籍元年という呼び声(新商品の販売戦略の営利行為)が愚行、蛮行の時代の時代の到来であることを確信している。なおカーターの大著は「中国の印刷術」として東洋文庫の一冊として翻訳されているが、執筆動機にはフランスのぺリオ(1878-1945)の千仏洞の経典の発見などの影響もみられる。つまり欧米人が砂漠の敦煌から東西文明の交渉史に衝撃を受けた著作なのである。文化史や文明論、および文化行政は1000年スパンの巨視的な態度でみなければいけない。

   紙の生産はそれぞれの文明国で作られてきたが、製紙業が今日のように近代産業としての地位を築いたのは紙すき機とパルプの発明があったからである。すなわち、1799年フランスのエロール製紙工場で働いていたルイ・ロベールは苦心のすえ連続的に紙をすく長綱式抄紙機(しょうしき)を発明し、1801年から1808年にかけてイギリスのフォードリニア兄弟(HenryとSealy Fourdrinier)の改良によって、紙の大量生産が可能になった。また、1840年にドイツ人フリードリヒ・ゴットロープ・ケラーが砕木パルプ法を発明したことによって、四季を通じ、しかも大量に紙の原料を供給することができるようになった。

 

2019年1月27日 (日)

香水の歴史

250pxsimone_martini_046   身体および衣服に付香する風習は、古代からさまざまな王国でおこなわれてきた。最初の香料は焚いて芳香を出すいわゆる香が主であった。しかしこのほかに油脂に芳香をしみこませたものもあり、古代エジプトでは自然流出の芳香性樹脂などで軟膏状の化粧剤を製して皮膚に塗っていたことが、遺物などによってうかがわれる。この化粧剤はギリシア人にも用いられた。ローマ人も香料をひじょうに好んだが、この時代には芳香性物質を油に溶かした液体のものがあり、現在のアルコール性香水の遠因ともいえる。中世に入り蒸留法によって香水が作られる。1370年ハンガリー王カーロイ1世の王妃エルジェーベト(1305-1380)の命令により作られたハンガリーウォーターが最初である。ハンガリアンウォーターは香水好きのフランス王シャルル5世に献上され、ヨーロッパ各地に広まり、西洋香水の原型となった。その後、ローマ貴族フランギバニが香粉をつくり、その末孫が香粉のかおりをアルコールに移すことに成功した。すなわちフランギバニ香水である。こうして香水はイギリスのエリザベス女王時代には広く男女ともに用いられ、18世紀前半ルイ15時代にはオーデコロンが現れる。19世紀ナポレオン3世の皇帝妃ウェジニーはパリ社交界の華となり、皇后にふさわしい香りをつくった。香水メゾン、ゲラン(1828年開店)は、蜂の塑像をあしらったオーデコロン「アンペリアル」、結婚式用に「ブーケ・ド・ウジェニー」を創作し、皇室御用達となった。

2019年1月26日 (土)

世界女優史サラ・ベルナール

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   サラ・ベルナール(1844-1923)。パリ大学の学生E・ベルナールを父に、ユダヤ系オランダ人のジョリ・V・アールを母として、1844年10月23日パリに生れた。国立音楽演劇学校を卒業したのち、1862年に18歳でコメディー・フランセーズでデビューしたが、翌年には同座を去った。その後、ジムナーズ座に出演中ベルギーの貴公子に愛されモリスを産んだ。男に捨てられたサラはモリスをかかえて劇場を転々としながら、1866年に第二国立劇場オデオン座に入り、もちまえの努力と天性の美声によってフランソア・コベ作「行人」で初めて成功を収めた(1869)。普仏戦争後、ビクトル・ユゴー作「リュイ・ブラス」で大成功を収め(1872)、コメディー・フランセーズの支配人E・ぺランの懇望で同座に復帰した。ラシーヌ作「フェードル」で名声を得、以後、演劇界に大女優として君臨する。1879年にはヨーロッパ、南北アメリカを巡演。1893年にはルネサンス座の座長、1897年には自分の名をつけた劇場の座長となった。1915年、足を切断したが、演劇への情熱は衰えをしらなかった。なお、1900年には当時の俳優たちが重視していなかった活動写真にいち早く出演している。映画という新ジャンルのエンターテイメントが全世界に広まる時代は、すぐそこに迫っていた。

2019年1月25日 (金)

日本最低気温の日

 古本のめくる頁も寒さかな

  全国各地で厳しい寒さが続いている。1902年のこの日、北海道の旭川市で、日本の最低気温の公式記録氷点下41℃を記録した。ちなみに世界で一番の寒さは1983年7月21日に南極にある旧ソ連のボストーク基地で観測された氷点下89.23℃です。(1月25日)

2019年1月24日 (木)

エムス電報事件

   ナポレオン1世の甥で、第二共和政大統領のルイ・ナポレオンは1852年ナポレオン3世として第二帝政の皇帝となった。しかしその対外政策は、ほとんど成功しなかった。メキシコの遠征に失敗し、普墺戦争における中立の代償としてライン左岸を要求してビスマルクの拒否にあい、1867年にはオランダからルクセンブルグを買収しようとして、ビスマルクに妨げられ果たしえなかった。ドイツをつねに分裂状態に置くことはフランスの伝統的政策であったが、ナポレオン3世がビスマルクの巧妙な外交政策に妨げられ、これ以上プロシアの強大化を許すことはフランスの安全をおびやかすものであったから、ナポレオン3世は、プロシアと対立する南ドイツ諸邦と結ぶために積極的に働きかけた。いっぽうビスマルクは、フランスとの衝突の不可避を予期して軍備の拡張を進め、ナポレオン3世の領土的野心を暴露してドイツ国民の敵愾心をあおり、秘密のうちに南ドイツ諸邦と攻守同盟を結んでフランスに対抗した。こうしてドイツ統一の完成にあたり、プロシア・フランスの決戦はさけられない情勢となったが、衝突の直接の動機となったのは、スペイン王位継承問題であった。

    1868年にスペインに革命が起こり、新政府はプロシア王の一族レオポルド親王を国王に立てようとした(1870)。これに対しフランスの世論は大いに沸騰し、ナポレオン3世は欧州の勢力均衡を破壊するという理由で、プロシア王に強硬な反対意見を通告した。1870年7月13日、ビスマルクは、西ドイツの温泉場エムスで休養中のプロシア王とフランス大使ベネデッチの会見を報じた電文を、フランス大使が不当な要求をしたかのように内容をゆがめて発表した。この有名なエムス電報事件という策略により、大いにドイツ国民は激昂し、対仏戦争に結集させることに成功した。同時にフランス人の敵愾心は爆発し、議会は1870年7月17日プロシアに宣戦を布告した。ナポレオン3世は病気にもかかわらず、軍の指揮をとったが、プロシア軍に撃破されスダンに追い込まれ、普仏戦争はわずか40日間の戦いでフランスの大敗に終った。1871年1月、ヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝として戴冠式を行い、ドイツ帝国が誕生した。(参考:吉岡力「世界史の研究」)

2019年1月18日 (金)

リメイク作品はオリジナルを超えられるか?

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   市川崑や木下恵介が晩年、自らの作品をカラーで再映画化した。なぜ大監督は再映画化したがるのかその心理はよくわからない。リメイク作品がオリジナルより良いという例はほとんどない。アクションや特撮ものであれば技術の向上により面白い作品に仕上がるケースはある。しかし小津安二郎などの名作をリメイクすることは、かなり冒険に近いことである。山田洋次はここ数年、小津作品に関心を示している。既に舞台の演出で「麦秋」「東京物語」を手がけてきた。そして「東京物語」をモチーフに、舞台を現代に移し、家族の在り方を描く「東京家族」の制作を発表している。映画「東京物語」は世界の映画監督が選んだ「最も優れた映画」の第1位に選ばれた作品である。英国BBCは「その技術を完璧の域に高め、家族と時間と喪失に関する非常に普遍的な映画をつく上げた」と評価した。

 小津作品のリメイクには高いハードルがあるだろう。当初予定していた主演演級の菅原文太、市原悦子、室井滋らは降板するという異例の事態となった。そして小津作品リメイクに対して「天を恐れぬ所業」(河谷史夫)との批判も噴出した。映画は観てから批判すべきだと思うのだが、なにやら暗雲がただよう。芸術は既成の名作を破壊して新しいものを創造していくことに真価があるとおもうのだが、80歳を過ぎた巨匠にはやはり過去をよりどころにするしかないのであろう。映画界も話題性と安全性とでリメイク映画が生れるのだろうか。

   ハリウッドも最近リメイクブームが続いている。CG技術の向上で、スペクタクル作品が安価で作られるようになり、知名度の高い作品は映画興行だけでなく、ソフトコンテンツの収益が見込まれるからだろう。「ベンハー」「オリエント急行殺人事件」、テレビ版「戦争と平和」などなど。1964年「メリー・ポピンズ」の続編をエミリー・ブラント主演で「メリー・ポピンズ リターンズ」(2018)。1967年にボニーとクライドを主人公にした映画「俺たちに明日はない」をクロエ・グレース・モレッツとジャック・オコンネルで撮影が行われている。はたして旧作を超えることができるだろうか。

2019年1月17日 (木)

2019年の正月テレビ番組

 レモンを持った嵐が表紙のテレビガイドを購入し、年末年始の番組をチェックする。クラッシック音楽やドキュメンタリーや深夜番組もいっぱい観たい。紅白はサザン&ユーミンの共演で41.5%の高視聴率で演出成功。フジテレビ「レ・ミゼラブル終わりなき旅路」。大河ドラマ「いだてん」が低視聴率で大コケ。かなり時代錯誤なしろもの。杉咲花「ハケン占い師アタル」好調発進。斎藤飛鳥主演の「ザンビ」残念ながら関西では見れない。今年活躍が期待される女優は、本命「浜辺美波」、対抗馬「清原果耶」と「上白石萌歌」。

1日(火)ニューイヤー駅伝▽東京フレンドパーク▽ニューイヤーコンサート▽嵐にしゃがれ

2日(水)新春ドレミファドン▽家康、江戸を建てる▽平成ネット史▽細野晴臣イエローマジックショー(103)

3日(木)アナと雪の女王▽大沢たかおインカ帝国▽石原さとみinスペイン▽VS嵐

6日(日)いだてん▽レ・ミゼラブル▽3年A組▽モンローが死んだ日▽崖っぷちホテル一挙放送

7日(月)忘却のサチコ最終話

12日(土)世界ふしぎ発見「始皇帝」

13日(日)大相撲初場所

18日(金)トクサツガガガ

19日(土)ゾンビが来たから人生見つめ直した件

2019年1月14日 (月)

ジェニファーといえばジェニファー・ローレンスという現在

  ジェニファー・ローレンスの「世界にひとつのプレイブック」(2012年)を見る。いまや世界で最も注目を集めている女優のひとり。ハワイで大麻疑惑やニコラス・ホルト、クリス・マーティンとのロマンスと公私ともどもゴシップ欄を賑わせている。まだ数本の作品しかしらないので、画像で金髪や黒髪やらで顔や表情がとても変化に富む。映画では3年前に夫を事故で亡くして、職場の男性と片っ端からSEXして気分の浮き沈みが常に激しく情緒不安定。ダンスに情熱をもやし、大会に出場するもセクシーすぎて評価されず。この一作でジェニファーという女性名前はローレンスが独占したようなもの。これまでジェニファーといえば、ジェニファー・オニール、ジェニファー・ビールス、ジェニファー・ロペス、ジェニファー・アニストン、ジェニファー・コネリー、ジェニファー・ラブ・ヒューイット等がいた。でも私はやはりジェニファーといえば、ジェニファー・ジョーンズ。

ジェニファー・ローレンスはその後も「ハンガー・ゲーム」と「X‐MEN」の人気シリーズ、「パッセンジャー」や「レッド・スパロー」などヒット作を連発している。その魅力はどこにあるのか。ふわふわとした金髪。スタイルもよく美人そうだけど、そうじゃない気もする。胸は大きくないが、胸チラの露出度は高い。セクシー系というより癒し系。見ていて親近感がわく、ちょうどよい美人。男性客が映画館でみたい女優No.1というだけのことはある。

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赤坂喰違の変、武市熊吉ら処刑

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    明治7年1月14日の夜、岩倉具視(1823-1883)は公務を終え、赤坂の仮皇居から退出して自宅へ帰る途中高知の征韓論派の武市熊吉ら9名に襲われた。岩倉は眉の下と左腰に軽い負傷はしたものの、皇居の四ッ谷濠へ転落し、辛うじて助かった。前年の秋に西郷隆盛らは征韓論に敗れ、征韓論に反対した岩倉への不満が暗殺の動機だった。同年7月9日、9名全員(武市熊吉、武市喜久馬、山崎則雄、島崎直方、下村義明、岩田正彦、中山泰道、中西茂樹、沢田悦弥太)は死刑に処せられた。

2019年1月13日 (日)

森雅之から菅田将暉まで

   最近、「俺たちの旅」の再放送をみている。カースケ、同級生オメダ、それに同郷の先輩グズ六の青春ドラマ。それ以前に日本テレビ系で放送された学園ドラマの生徒たちも多数ゲスト出演している。寺田農、石橋正次、保積ペペ、水沢有美、清水昭博、佐久間宏則、三景啓司など。ワカメという渾名で浪人生の森川正太は準レギュラーでこのドラマ以降、名前を知られるようになった。その森川が「売れない役者」という本を書いている。むかしスタジオで出番を待っていた森川は「何時間またせるんだ!」と怒鳴った。そのとき同じように出番を待ていた年輩の役者から「役者は待つのも仕事のうちだ」とやさしく諭されたと書いている。帰宅後、母にその話をしたところ、その俳優は森雅之だった。森雅之は「或る女」「カインの末裔」などで知られる小説家有島武郎の長男で、戦後「安城家の舞踏会」「羅生門」などの映画をはじめ、数々の舞台で名演技をみせている名優。森川の母も息子の行状にあきれて絶句したという。ちなみに森は1911年1月13日に北海道札幌市で生まれた。1955年度キネマ旬報賞男優賞を受賞している。2010年以降の主演男優受賞者は次のとおり。豊川悦司、原田芳雄、森山未來、松田龍平、綾野剛、二宮和也、柳楽優弥、菅田将暉。

 

 

儚い砂の器

   5人組(現在は4人組)ムード歌謡グループ「純烈」。紅白やレコ大など年末年始のテレビでもひっぱりだこだった。大ブレイクするかに見えたが、わずか10日で事態は暗転。メンバーのひとり友井雄亮の過去のDVや金銭トラブルが発覚する。スーパー銭湯などの地道なライブ活動から夢の紅白初出場と話題をふりまいたが、ファンを裏切ることとなった。「純烈」はメンバーの履歴がユニークだ。5人のうち4人は戦隊ヒーローの俳優出身。リーダーの酒井一圭は「あばれはっちゃく」子役だ。小田井涼平は映画評論家Lilicoと結婚。ほんまもんプロポーズだった。白川裕二郎はなんと大相撲の力士だった。最年少の後上翔太は東京理科大学中退のインテリ。騒動を起こした友井雄亮は「仮面ライダーアギト」の俳優。演じた役柄も野性的で粗暴なヒーローだった。「好事魔多し」というが、紅白目指して一生懸命、頑張ってきたのに、砂の器のようにはかないものだ。和賀英亮と友井雄亮、「亮」の1字が哀しい。

乳母車

   深夜、屋敷町の塀に沿って続く一本道を歩いていた。すると、自分の先方にギイギイという乳母車を押す音がする。追いついて見ると、うら若い女である。私は思い切って話しかけた。「お坊ちゃんですか…お嬢さんですか」「女でございます」そう答えた声は闇に沁み通るようであった。私の不躾な突然の質問に対してまるで当然のように落ち着いて言うのである。「おいくつですか」「三つでございます」「大変でございますね」私は何ということもなしに曖昧なことを言った。それに対して女は「はあ」と軽く言ったきりであとは黙っていた。私もそれで接ぎ穂がなくなり、ただ女と歩調を合わせて歩いて行った。車はひっきりなしにギイギイと厭な音を立てている。突然、今まで厚い雲の中に隠れていた月が雲の切れ間から現れたのである。私はそっと乳母車の中を覗き込んだ。明るい月の光に隅々まで照らし出された乳母車の中には意外にも子供の姿は見えなかった。ただ一つ美しい京人形が青白い月光を浴びて輝いていた。私は眼を上げて女の顔に視線を移した。女は乳母車を止めてじっと月を仰いでいた。女の顔は月の光に銀のように冴えて白かった。(氷川瓏、宝石1946年5月号掲載)

2019年1月12日 (土)

古代ローマ人の道路建設

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   すべての道はローマに通ず(ラ・フォンテーヌ「寓話」)

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  ローマ帝国は放射状の道路があらゆる地方へと結ばれ、いくつもの道路を建設したことで名高い。その建設には捕虜や奴隷が用いられ、全長は約8万㎞に及んだ。これらの軍道は建設した役人(ケンソル)の名をとってフラミニア街道、アエミリア街道、アンニア街道、カッシニア街道、サラリア街道、ラディナ街道などと名づけられた。その中で最も有名なのはローマから南東に向かうアッピア街道で、前312年にアッピウス・クラウディウス・カエクスによって建設され、ローマからカプアまでいく道だった。後ベネウェントゥムを通ってアドリア海に面した港ブルンディシウムまで延長された。全長540㎞、幅8m。舗装の厚さは約1.5m。中央部をやや高くして、雨水が側溝に流れ込むように設計されている。土を盛ることを、ローマ人は「アッゲル」と言った。アッゲルとはもともと「土手」とか「城壁」を意味する言葉で、道路自体を周辺地盤より高く盛り上げることをいい、土手道とか盛土道と訳されることもあった。表面には頑丈な玄武岩などが隙間なく埋め尽くされた。

    道路は最初は軍事用に建設されたものが多かったが、まもなく経済面で役に立つようになり、大量の商業運輸に使われた。州境では輸入税が課せられ、帝政時代後期には荷の積み過ぎを防ぐために荷車を検査する任務の役人がいた。道路維持経費の一部は、道が通ることで利益を得る地域社会が負担させられた。Via Appia 

日本映画脇役列伝

152651287_thumbnail   昨年、大杉漣さんが急性心不全で死去された。「ソナチネ」以降、旺盛な活躍で脇役が脚光を浴びる時代の先鞭をつけたと思われる。現在活躍中の平成のバイプレーヤーで思い浮かぶのは、平泉成、塩見三省、笹野高史、伊武雅刀、平田満、角野卓造、岸部一徳、國村隼、小日向文世、寺田農、光石研、温水洋一、遠藤憲一、滝藤賢一、田口トウロヲ、正名僕蔵など。ここでは昭和映画黄金期の名脇役について記す。高瀬実乗(1897-1947)はサイレント時代から活躍していたが、トーキー以降の「わしゃかなわんよ」、「アーノネおっさん」等のギャグで人気があった。

 

Yaku42_a  新国劇出身の上田吉二郎(1904-1972)は肥った身体でダミ声をだす時代劇の敵役、悪役を得意とした。「羅生門」「七人の侍」「どん底」はじめとする黒沢作品の常連で名作の出演も多い。

 

伊藤雄之助(1919-1980)は長身で長い顔の怪異な容貌で「巨人と玩具」「椿三十郎」などアクの強い演技で多数の映画で活躍した。

 

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  新国劇出身の石山健二郎(1903-1976)は禿頭の頑固親父のイメージで「天国と地獄」「白い巨塔」など忘れ得ぬバイプレイヤーであった。

 

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    新劇出身の加藤嘉(1913-1988)は、ふけ役専門で「米」「神々の深き欲望」「砂の器」など性格俳優として重用された。「白い巨塔」の大河内教授役はハマリ役で、映画・ドラマの両方で演じている。4度結婚したが、3番目の妻は山田五十鈴(1950年~53年)。

 

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 榎木兵衛(1928-2012)は「俺は待ってるぜ」など日活映画のチンピラ役の出演が多い。

 

 その他、印象に残る俳優さんたち。

 

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    高品格                川谷拓三          奥村公延

 

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    佐田豊              小林昭二         中条静夫

 

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    草薙幸次郎         垂水悟郎        横森久

 

  脇役と一口に言っても、個性的で印象に残る脇役と、地味で平凡な役を得意とする脇役がいる。佐田豊は東宝の特撮映画や黒澤明作品の常連であるが、ほとんど印象が無く、存在感のうすいタイプの典型。「ゴジラ」の対策本部員、「透明人間」の南条の仕事仲間、「大学の若大将」の板前、「乱れる」の商店主。「天国と地獄」の運転手だけはよく覚えている代表作は「私は貝になりたい」。現在104歳とご健在である。

 

Img_0430   綾瀬はるか主演のドラマ「きょう会社休みます」。父親の役者が見覚えない顔である。浅野和之という。多数の作品に出演している俳優である。むかしドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」で亜紀が入院していた医師で綾瀬と共演しているが、記憶にない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年1月10日 (木)

田中絹代から吉岡里帆まで(日本映画女優史)

   大原麗子は大女優のわりに主演の映画作品が少ないといわれる。若い時代、東映は男優中心で彩りを添える傍役が多かったからだ。「居酒屋兆治」は高倉健の相手役である。「セカンド・ラブ」くらいか。70歳を超えた今も舞台やドラマで活躍している山本陽子も主演映画がない。日活時代は吉永小百合や松原智恵子の陰となり、70年代「白い影」「白いパイロット」「となりの芝生」など話題のドラマに立て続けに出演し、高視聴率女優と言われたが、その後も映画界から主演作品の話はなかった。安いコストでシネコンで上映されるようになった現在、若手女優の主演映画が続々と作られるのは幸せな時代なのかもしれない。ちなみにキネマ旬報社の「現代日本映画人名事典」(2011)をサーチすると、山本陽子や水野久美、大空真弓、島田陽子、内藤洋子、吉沢京子、坂口良子、山口百恵、檀ふみの名前がみえない。凡例には「現代」の起点を1995年以降にデビューし、現代まで活躍し続けている若手の女優陣を大量に加えて330名を収録したとある。主演級の美人女優が中心で、菅井きんや赤木春江、佐々木すみ江などのベテラン脇役女優の名前はない。1996年以降で朝ドラヒロインで収録されない女優は次の通り。中江有里(走らんか)、菊池麻衣子・岩崎ひろみ(ふたりっ子)、須藤理彩(天うらら)、佐藤夕美子(甘辛しゃん)、岡本綾(オードリー)、高野志穂(さくら)、藤澤恵麻(天花)。なかには引退した人もいるが、主演級から傍役へシフトし地道な女優活動している人もいる。近年は朝ドラを終えた主演女優がすぐに民放連ドラで活躍するケースが多い。波瑠、高畑充希、芳根京子、有村架純、葵わかな、永野芽郁。本書掲載された最高齢は1909年生まれの田中絹代であるが、現代最も注目されている女優の1人である吉岡里帆を次回には追加してほしい。この本が刊行された年には橋本環奈がデビューし、翌年には広瀬すずがデビューしている。女優史は絶え間なく書きかえられる。ここで「現代日本映画人名事典」に未収録の残念な女優さんを挙げる。岩崎加根子(1932年生まれ)舞台・映画・ドラマに多数出演の大女優だが、舘ひろしの新作「終わった人」にも母親役で出演、いまだ現役。美人で現役の女優を選ぶ。

中村メイコ(1934年生まれ)代表作「東京チャキチャキ娘」(1956)
岩本多代(1940年生まれ)「ガラスのうさぎ」(1979)
土田早苗(1948年生まれ)「これが青春だ」(1966)
田島令子(1949年生まれ)「電車男」(2005)エルメスの母役
仁科亜季子(19953年生まれ)代表作「はつ恋」(1975)
斉藤とも子(1961年生まれ)代表作「悪魔が来りて笛を吹く」(1970)
野村真美(1964年生まれ)代表作「吉原炎上」(1987)
川上麻衣子(1966年生まれ)代表作「うれしはずかし物語」(1988)
有森也実(1967年生まれ)代表作「キネマの天地」(1986)
田中美奈子(1967年生まれ)代表作「新宿鮫 眠らない街」(1993)
吉本多香美(1971年生まれ)代表作「皆月」(1999年)
粟田麗(1974年生まれ)「真木栗ノ穴」(2007)「白夜行」(2011)
臼田あさ美(1984年生まれ)「鈴木先生」)(2013)
佐津川愛美(1988年生まれ)「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(2007)。
前田敦子(1991年生まれ)「もらとりあむタマ子」(2013)
吉岡里帆(1993年生まれ)「音量を上げろタコ!!」(2018)

110番の日

F7682   110番はGHQの勧告で1948年10月1日に、東京等の8大都市で始められた。東京では最初から110番だったが、大阪・京都・神戸では1110番、名古屋では118番、と地域によって番号が異なっており、全国で110番ら統一されたのは1954年からだった。緊急性がない場合は、相談ダイヤル#9110へ。アメリカの緊急ダイヤルは警察と救急が同じ番号で911番。(emergency dial、1月10日)

2019年1月 9日 (水)

まんぷく英語教室

世良が米国から帰国。福子らと雑談する。米国で「ザ・セブンイヤー・イッチ」という映画を観たという。すでに日本で公開されていた。邦題は「七年目の浮気」。itchとは「かゆみ」で「ムズムズかゆい」ときに使う。転じて「何かをしたくてたまらない気持ち」という意味にもなる。映画はもとはジョージ・アクセルロッドの3幕ものの舞台劇「7年越しのムズムズ」。英語で浮気は「fickle」という。「七年目の浮気」は映画から生まれた言葉だが、現在もしばしば使われている言葉である。「三年目の浮気」という言葉もある。

2019年1月 8日 (火)

ムーミンだけじゃない森と湖の国フィンランド

Photo   フィンランド共和国は、フィンランド語でスオミ(沼人の国)と呼ばれているように森と湖の国である。ナポレオン戦争の時代にロシアに併合されたが、ロシア戦争が起こると、1918年フィンランド共和国として独立した。初代首相はペール・スヴィンヒュー(1861-1944)。第一次、第二次とソ連・フィンランド戦争により、敗北し、8年間ソ連に賠償金を支払うことになった。フィンランドで代表的な料理はニシンを初め、サケ、タラなどの豊かな魚介類が料理の重要な材料となっている。バルト海で捕獲されるニシンをシラッカ、バルト海以外の海のものはシッリと区別している。複雑な料理はなく、軽く塩味をつけた生のニシン「クラーヴィシラッカ」を好んで食べる。偉人としては作曲家ジャン・シベリウス、小説家のフランス・エーミル・シランぺー。国花はスズラン。トーべ・ヤンソンの童話「ムーミン」は世界中の子供から愛されている。国連の世界幸福報告で第1位の国。ちなみに日本は54位と低い。(Finland,Silakka,Kraavisilakka)

2019年1月 7日 (月)

大河ドラマの常連俳優

   昨夜放送の「いだてん」。嘉納治五郎がオリンピック参加を唱えるが、日本体育会長の加納久宜が反対する。演じている俳優の名前が思い出そうとしても、思い出せない。喉まで出かかっているのに。答えは「辻萬長」。「つじばんちょう」と覚えていたが、正しくは「つじかずなが」という。若いころからドラマでよく見かけるが、74歳になられたとか。これまで大河ドラマ出演は「いだてん」で10作品目。いちばん大河に多く出演した俳優は誰か?

   山県狂介、黒田官兵衛、島津久光、今川義元、近松文左衛門。これらの人物の共通点はなんだろうか?答えは江守徹。大河ドラマ第四作の「源義経」から始まって、「花燃ゆ」まで19作品に出演し、主要登場人物の出演回数において抜きん出たトップを誇る。この記録に続くのは114作品の西田敏行。ほか大河10回以上の出演者は、久米明、北村和夫、金田龍之介、佐藤慶、磯部勉、石坂浩二、辻萬長など。

 

 

あれっ?人の名前が出ない・・・

Obraindreams570  ある人物を思い浮かべたとき、その人の容姿、趣味、職業、人柄、口癖まで思い出せるのに、名前が思い出せないということがある。この心理現象を「ベイカー・ベイカー・パラドクス」という。由来は、「その人の職業がパン屋」というところまで思い出せるのに、ベイカーという名前が思い出せないというジョークから。名前のど忘れはアルツハイマー病のような病気ではなく、原因はヒトの脳の記憶の仕組みにある。記憶はすべて均等に他の概念と結び付いているのではなく、名前は特に記憶しにくいと考えられる。英語では、on the tip of the tongue (のど元まで出かかって思い出せない) という表現もある。(baker baker paradox)

刑事コロンボ、ルノワール、チャイコフスキーの共通点

201107021452335c9   コロンボ警部、印象派の画家ルノワール、作曲家のチャイコフスキーの共通点は何か?とんちクイズみたいだが、答えは、3人とも名前が「ピーター(Peter)」。刑事コロンボに扮するのは俳優ピーター・フォーク。フランスのピエール・オーギュスト・ルノワール。ロシアのピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。英語の「ピーター」、ドイツ語「ペーター(Peter)」、フランス語の「ピエール(Pierre)」、ロシア語の「ピョートル(Pyotr)」は同じ名前。ドイツの気候学者ウラジミール・ペーター・ケッペンも「鉄道員」のイタリア映画監督ピエトロ・ジェミルなども言語による相違であり、もともとはイエスの弟子ペテロ(Petros)である。ロシアの革命家ピョートル・アレクセイヴィッチ・クロポトキン。

   ところで「刑事コロンボ」の中で、ピーター・フォークがおどけた調子で口ずさむメロディーがある。「おじいさんが、ひとつおしばい。親指人形で芝居する。おじいさんが、ふたつおしばい。くつ人形で芝居する。」マザー・グースの数え歌「おじいさんの歌(This old man)」である。歌詞の意味はよくわからないが、ただなんとなくクスクス笑えてくる。「別れのワイン」でコロンボが電話中に手持ちぶさたアドリフで口ずさんだが、以後その曲がシリーズでしばしば使われてコロンボのテーマ曲となった。

人生は航海なり

A_picture_training_ship_investigati  人生については、多くの偉人・賢人がいろいろな名言を残しているが、詩人ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)のこの言葉は最も簡明なものであろう。ユゴーは晩年の19年間を英仏海峡のジャージー、ガーンジー両島で過ごした。「人生は航海なり」という有名なユーゴーの名言の出典を探したが見当たらない。同様の表現として、次のような一文がある。

 なるほど人生とは、ある港を出帆して大洋を航海するようなものであり、楽しいうちにも困難に遭い、目的の港に向かって進んでいくのである

  俳優のアラン・ドロンもこの名言を継いで、「老人は難破船に乗っているようだ」とNHKのインビューで率直に答えている。引退宣言した後で、体調が思わしくないらしい。「わびしい、苦しい、さびしい、しんどい」ネガティブな苦痛や老境の淋しさは世紀の二枚目ですらおとずれるようだ。  (Victor Hugo)

ブログ中毒

    仕事や家事がおろそかになるほど長時間インターネットを利用する「インターネット依存」の疑いがある人は、全国の推計で420万人余りに上り、スマートフォンの普及などを背景に、この5年間で1.5倍に増加したことが厚生労働省の研究班の調査で分かった。若い人ほど依存の割合が高く、特に20代前半の男性のうち依存の疑いがある人は19%と、5人に1人の割合を占めている。自分もネット依存に入るのではないかと思う。、新聞購読をやめたのでニュースはネットから知るし、気分転換にYouTubeによくアクセスにする。ノート代わりにメモもPCに書き込む。ブログネタさがしにもPCを利用する。だけど1日に10回以上更新すると、ちょっと自分もブログ中毒かな、と思うことがある。ブログ中毒で検索すると実に多くヒットする。もうブログ中毒は日本語として定着しているみたいだ。それほど日本にはブログ人口は多い。2700万人と言われ、世界のブログのうち37%が日本語で投稿されている。

ネット依存(嗜癖)に関しては、現時点で世界的に認められた診断基準はない。一般的なものをあげる。

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英語に「addiction」という語がある。「常用、ふけること」だが「中毒」「嗜癖」という意味もある。ゲームやスマホなどつい熱中してぎて長時間になることもある。どんなことでもやり過ぎは身体に毒なので、ほどほどにしましょう。

2019年1月 6日 (日)

ヒーローとピーポー

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   兵庫県立美術館で12日から「Oh!マツリ☆コト昭和・平成のヒーロー&ピーポー」展が始まる。これまで美術の領域ではおさまらない紙芝居、漫画やアニメ、特撮などを取り上げるらしい。行けないがサブカルには興味ある。「♪タケダ、タケダ、タケダ…」というコマーシャル・ソングで始まる「月光仮面」第2部「パラダイ王国の秘宝」は日曜日夜7時からの30分番組であった。ケペルは「月光仮面」世代であるが、まだ家庭にテレビはなく、銭湯で見た記憶がある。

    乏しい制作費のためセットなしのオールロケ。今からみるとチープなドラマづくりであるが、なぜ当時の子供たちをあれほど惹きつけたのか謎であった。映画評論家・樋口尚文の新著「月光仮面を創った男たち」は緻密な検証の上に、その謎への独自の解明が試みられている。いわば「三丁目の空き地」説とでもいうべきもので、以下、梗概を記す。

    「月光仮面」の人気を決定づけた第1部(全71話)のほとんどは、夕方6時から10分間の帯番組として週6回放送されていた。すなわち、こどもたちが学校を終えて空き地で大暴れをして帰宅するや、そのタイミングでテレビでわずか10分の安づくりなヒーロー物が始まるのである。単純なストーリーは、空き地での決戦の一日のしめくくりとして、このうえなく画期的で愉しいものだったのではないか、と推論している。それと「月光仮面」の颯爽たるバイク姿が、その時代の勢いを背負った夢のプロダクトでもあった、としている。

    誰もがみんな知っている「月光仮面」だが、実は誰もがみんな知らずにいる、昭和の奇跡があった。大瀬康一のインタビュー、川内康範(作家)、船床定男(監督)、小林利雄(制作、宣弘社)など緻密な調査がされていてノンフィクション、ルポルタージュとしても優れている。

    なぜ「月光仮面」世代の当人たちがあまり「月光仮面」についての綿密な調査に無関心だったのだろうか。それは人生のうちでおそらく最も楽しかったであろう日々の思い出は、だだぼんやりとした記憶にとどめておきたいからであろう。「月光仮面がなぜ人気があったか」などという詮索は「ウルトラマン」世代にお願いするほうが客観性があっていいだろう。

広辞苑で何故「アーヴィング」が1ページ目にくるのか?

Eike_von_repgow_oldenburger_sachsen   百科事典などで「あ」の項目は多い。「a」は母音で発音しやすく、明るい感じがする。広辞苑をみると外国人名で最初に掲載されているのは「ホテル・ニューハンプシャー」の現代アメリカ文学を代表する作家ジョン・アーヴィングである。「スケッチ・ブック」のワシントン・アーヴィングより先なのはファースト・ネームを比べて「じ」のほうが「わ」よりも50音順で先だからだろう。

   だが他の事典をみると古代の悲劇詩人アイスキュロスが、先に載っている。これは排列規則の相違からくることである。広辞苑では長音符「ー」は、すぐ上の片仮名の母音を繰り返すものとみなして、その位置に排列する。世界大百科事典では「音びき(ー)」のあるものは、音びきのないものの後にする」とある。つまり長音符は無視して排列する。広辞苑では「アーヴィング」は「アアヴィング」と見なし、世界大百科事典では「アヴィング」と見なしているのである。

    世界大百科事典では、ドイツ最古の慣習法書「ザクセンシュピーゲル」の著者アイケ・フォン・レープゴー(画像、1180-1233)が最初にくる外国人名である。ブリタニカでは古代インドの数学者アアヤバータ(Aryabhata 476-550)がトップにくる。アアヤバータは円周率の近似値を3.1416とした。(ウィキペディアではアリヤバータと表記される)

   またほとんどの事典では外国人名においてファミリー・ネーム(日本の姓にあたる)の現地読みに近い片仮名表記の50音順で排列している。ちなみにファースト・ネームの50音順で排列すると、著名人では「アイザック・アシモフ」がトップにくる。

  もし詳細な外国人名事典を編集したら誰が一番最初にくるであろうか。古代エジプトのヒクソス時代の王アアウセルラー・アペピやアアフメス1世が有力候補である。テーベ西岸の貴族の墓から「アアシェフィトエムワセト」という被葬者の名前が確認できる。(「古代エジプト百科事典」原書房、612p)(Eike von Repgow)

2019年1月 5日 (土)

日本に島はいくつある?

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  日本はアジアの東端に沿って弧状をなしている。本州・北海道・九州・四国の4つの大きな島と多くの小さな島々から成る日本列島と北には千島列島、南に南西諸島が続いている。そもそも島の定義とは?海上保安庁は「満潮時に海岸線の総延長が100m以上ある陸地」と定義している。そうすると日本列島を構成する島の総数は6852島あるといわれ、総務省統計局もこの数値を採用している。日本の国土の約3分の2は森林地帯である。戦前は、日本の人口の約7割は農山漁村に居住していた。戦後、多くの労働力が農漁村から流出し都市に移動した。都市への人口集中は多くの問題を生じている。

  また太平洋をとりまく火山帯・地震帯の一部にあたる日本は、近い将来巨大地震が発生することが予測されている。そのうえ台風の常襲地域にもなっている。1960年代以後、工業化や都市化の進展によって、自然破壊が進められた結果、生態系が悪化し、樹木が枯れ、貴重な植物が死滅した。地すべり、がけ崩れも多発している。また原発事故により、相当期間にわたる放射能汚染による人体や生物の健康・生命が害される恐れが生じている。食糧・資源の確保、新エネルギーの開発、過密地域と過疎地域の格差、減少する人口問題など、日本の将来を左右する重要課題が山積している。狭い国土にバランスよく居住する多極分散型の地域開発計画が求められる。昭和48年の小松左京のベストセラー「日本沈没」は決して荒唐無稽な物語ではない。地球温暖化により水面は今後上昇していく。

2019年1月 3日 (木)

好きなことは散歩と雑学

 正月も三日になると外に出たくなる。近所の末広中央公園に散歩する。往復1キロを15分ほど歩く。家の近所のお寺には緑が多く、お散歩コースに最適である。雑草が雨に濡れた無縁墓地など儚げで人の世のあわれを感じる。散歩という習慣は江戸時代にもあるものと考えるが、意外にも明治以降、文人の間にブームになったものらしい。実際に欧米に留学し、ステッキをついて散歩を楽しむ紳士を目の当たりにしてきた夏目漱石や森鴎外などは、東京近辺をしばし徘徊した。健康のために散歩を普及させた人物は福澤諭吉である。体を動かす三つのことを健康のために日々実践してきた、その三つとは居合いの鍛錬、米をつくこと、そして散歩をすることである。晩年になっても続いた散歩は、毎朝の習慣になっていて、広尾、目黒、芝などを巡る一里半の道のりを、1時間程かけて歩いたそうである。

   高齢になると衰えてくるのは体力だけではない。脳の働きが衰えてくる。そこで脳を活性化すめためには、つねに新しい情報(ニュース)や活字などを親しむのがよい。テレビなどを見ても新発見を自分から探すようにする。日本人が好きな歴史人物、戦国時代の三英傑のひとり徳川家康。これまで数々の俳優が徳川家康を演じてきたが、いちばん最初に家康を演じた俳優は誰れ?正確に記した記事は見つけられなかったが、おそらく1911年「家康公(徳川栄達物語)」の尾上松之助ではないだろうか。

2019年1月 2日 (水)

トビアの晩

  ドイツやスイスなどのヨーロッパ諸国の一部地域では、結婚初夜から2、3日、新婚夫婦の初夜の性交を禁じる風習があった。これは、「経外書(ラテン語のウルガータ版とギリシア語のアルドゥス・マヌティウス版から抜粋して再編した聖書)や「トビト記」などに登場する伝説のユダヤ人男性「トビト」に由来し、彼の娶ったサラという女性の前夫たちはいずれも結婚初夜に悪魔アスモデウスによって殺害されていたため、これを回避しようとした故事にならっている。つまり性を原罪視するキリスト教会の教義と結びついたのであり、教会法によって新婚初夜の交わりを禁じたのである。これをトビアの晩(Tobias night)という。

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