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2019年1月31日 (木)

ヒマラヤ登山の歴史(20世紀前半)

  20世紀になるとヒマラヤ登山は、早くも1907年、ガルワール・ヒマラヤにあるトリスル(7130m)が、トム・ロングスタッフ(1875-1964)によって初登頂された。7000m峰に人類が立った最初だった。さらにイギリスのアレクサンダー・マイケル・ケラス(1868-1921)は1911年、パウンフリ(7128m)に登っている。1909年、イタリアのアプリッチ公の率いる大遠征隊がカラコルムにはいり、K2に失敗後、チョゴリザ(7654m)に試頂し、7500m近くまで登って記録を更新した。1899年から1912年にかけてアメリカのワークマン夫妻が、7回にわたりカラコルム周辺を探り、1906年ワークマン夫人(ファニー・ブロック・ワークマン)はヌンクン山群のピナクルピーク(6930m)に初登頂して、女性最高到達記録をつくった。しかし、7000m峰は、わずか3つしか登れなかった。

   第一次世界大戦によって中断されたヒマラヤ登山は、大戦終了とともにふたたび活発な時代にはいった。1921年、イギリスは初のエベレスト偵察隊を派遣して以来、1938年までに合計7回に及ぶ攻撃をくり返し、1933年、約8572mまで達したのが最高だった。カンチェンジュンカは、1929年と31年にドイツ隊が、K2は38年と39年にアメリカ隊が8000m近くまで登ったが落ちず、ナンガパルバット(8126m)は32年から39年まで5回、ドイツ・オーストリア隊の攻撃にもかかわらず、犠牲のみ多く成功しなかった。1936年、8000m峰ヒドンピークをねらったフランス隊も撃退され、8000m峰はついに一つとして陥落しなかった。一方、7000m峰では、1931年、スマイス隊がカメートを、36年、ティルマン隊がナンダデビーに登り、また同年、日本から初めて送られた立教大学隊が6000m峰ナンダコットに初登頂して、ヒマラヤ登山は隆盛をみた。しかし第二次世界大戦の勃発とともにふたたび休戦の時代にはいった。

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