無料ブログはココログ

« 歌謡曲・演歌とトロット | トップページ | 多読多憶、情報の保存と検索(雑学図書館) »

2018年12月 9日 (日)

フランス歴史と文化の多様性

  フランスはどのようにしてフランスになったのか。現在、パリをはじめ各地に大規模な抗議デモが発生している。「黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動」(jauneは黄色の意味)が広がり、政府は燃料税の引き上げを延期した。日本では考えられないことで、フランスはまさに「革命とデモの国」である。

    国名フランスは、5世紀末にフランク王国をたてたフランク族の名に由来する。この種族はゲルマン人の勇敢な一部族で、フランカfranka(投槍)を主要な武器としたため、フランカ族(投槍族)と呼ばれた。しかし、さらに昔のフランス、森林地帯に覆われた時代はローマ人からガリGalli(ガリア)と呼ばれていた。

Rekishi_furansu    カエサル「ガリア戦記」によれば全ガリアは、ベルガエ(北東部)、アクイタニア(南西部)、ケルタエ(中央部)に区分されている。前8世紀からケルト人が来住していたが、ゲルマン人とガリア人が混血してベルガエ人が定住するようになった。前52年、カエサルによって全ガリアがローマに支配されるようになった。476年、西ローマ帝国が滅び、クロヴィスによってメロヴィング朝が開かれる。751年、ピピン3世がカロリング朝を開く。カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝と王政が続くが、その血筋は続いている。14世紀初めに教皇庁をローマからアヴィニョンに移転させ、フランス王権の優位性を示した。このことによって、のちの宗教改革の時代よりも早く、フランス教会はカトリックの枠内にありながらローマ教皇からの事実上の独立を成し遂げた。(ガリカニスム)近世はイタリアのフィレンツェから始まり、西ヨーロッパに広まった。フランス近世の萌芽は16世紀の前半、フランソワ1世やアンリ2世の時代にみられる。国王の支配はほぼ全土におよび、この頃ヨーロッパで、最も人口の多い強国となった。しかし16世紀の後半、宗教戦争による惨禍・不安・混乱があったためアンリ4世はナント勅令を発して、信仰の自由を認め、フランスの宗教戦争は、ここに一応解決をみたのである。

   18世紀末に始まるフランス革命、ナポレオン時代に際して、数々の歴史的大事件が繰り広げられた。王政復古、第2共和制、ナポレオン3世の第2帝政に続き、1871年の普仏戦争の敗北後、第3共和制が設立。

Img_0016   第2次大戦で国土の半分がドイツに占領されたが、南半分に対ドイツ協力政権のビシー政権(ペタン元帥)が成立、1944年8月連合軍がパリを解放、9月ドゴールを首班とする臨時政府が成立、ドゴールは1958年に第5共和制を発足させ、1962年に大統領直接選挙制を導入した。(France,Jeanne d'Arc,Belgae,Celtae,Aquitania)

« 歌謡曲・演歌とトロット | トップページ | 多読多憶、情報の保存と検索(雑学図書館) »

「地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 歌謡曲・演歌とトロット | トップページ | 多読多憶、情報の保存と検索(雑学図書館) »

最近のトラックバック

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31