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2018年12月31日 (月)

年越しそばの由来

    大晦日の夜を年越しともいい、除夜ともいう。現代のわれわれは「NHK紅白歌合戦」を見て、「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞くことを年越しと思うかもしれないが、これは比較的に新しい習慣であって、日本では大昔から、一日というのは日が暮れてから、次の日が暮れるまでであった。一日の境は真夜中の12時ではなく、日暮であった。だから大晦日の夜に、年棚に灯をつけ、神饌を供えて、家内そろってつく膳は、年を迎える祝いの膳であった。この夜にきまった食べものを摂ることになっていたのは、そのためである。土地によっては、新年最初の食事として、大晦日の夜に晴れの膳を家族にすえる所もあるが、これは年越しの古風である。

    年越しそば、みそかそばを食べる風習は、だいたい江戸時代に定着したものであるが、必ずしも全国的なものではない。地方によって食べ物は異なり、ある地方では田楽を食べる風習があった。豆腐と蒟蒻を焼いて味噌をつけたものである。

    年越しそばの由来については、①そばのように長く幸福にという縁起説、②金箔師が仕事場に散らばった金銀の粉を集めるのにそば粉をこねた塊をもちいたことから、金銀をかき集めるという説、③大晦日の深夜まで借金の取立てのため、夜明けまで集金して歩く町場の掛取りの慰労のため、など諸説ある。

 

香港 過去・現在・未来

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  旧イギリス植民地だったホンコンが1997年に、旧ポルトガル植民地だったマカオが1999年に中国に返還された。以来、20年が経過して、経済が目覚しい躍進を続けている。しかし両地域は独特の通貨を維持し、出入域にパスポート(中国人は身分証明書)を必要とし、荷物には税関検査を課している。走る車でさえもイギリス式の左交通であり、通常は越境できない。出入域の検査場には東南アジアからの中国語を話す華僑・華人も加わって国際色が豊かである。

香港 その現状と案内 中公新書  姫宮栄一 中央公論社 1964
香港 中国の軒下で栄える資本主義 日経新書 小泉允雄編 日本経済新聞社 1971
香港 海外地図15 日本交通社 1975
香港 移りゆく都市国家 中嶋嶺雄 時事通信社 1985
香港 過去・現在・未来 岩波新書 岡田晃 岩波書店 1985
香港 経済・貿易の動向と見通し 世界経済情報サービス 1987
香港 海外生活情報シリーズ 田畑書店 1987
香港 海外フリータイムガイド 昭文社 1988
香港 海外たべあるき・ショッピング2 昭文社 1988
香港 世界一等旅行1 ザ・トラベル商会 1988
香港 ジェトロ貿易市場シリーズ288  日本貿易振興会 1988
香港 世界の御案内16  近畿日本ツーリスト 1989
香港 海外旅文庫3 昭文社 1990
香港 タウン・マニュアル2 ジョン・チャン 駸々堂 1990
香港・運輸網の変動 その実態と評価 大橋正璋 アジア経済研究所 1972
香港買物美食手帳 野末陳平編 扶桑社 1987
香港広東語会話 千島英一編著 東方書店 1989
香港喜劇大序説 平岡正明 政界往来社 1987
香港グラフィティ 小宮清、新谷直恵 みずうみ書房 1986
香港グルメ&ショッピング JTBのポケットガイド 日本交通社出版事業局 1990
香港・広州・桂林 ブルーガイド・パシフィカ8 実業之日本社 1989
香港コンフィデンシャル 蒼蒼スペシャル・ブックレット 秦原道 蒼蒼社 1986
香港市民生活見聞 新潮文庫 島尾伸三 新潮社 1984
香港斜陽物語 洛風著 牧浩平訳 ハト書房 1953
香港上海雑貨見物 島尾伸三、潮田登久子 東京三世社 1986
香港ショッピング案内 マイライフシリーズ 西尾忠久 グラフ社 1980
香港ショッピング事典 洋泉社 1988
香港・シンガポール スーパー・ショッピング 光文社 1987
香港世界 山口文憲 筑摩書房 1984
香港世界 筑摩文庫 山口文憲 筑摩書房 1986
香港・台湾 中公ガイドブックス 世界の旅2 中央公論社 1972
香港・台湾の経済変動 成長と循環の分析 坂井秀吉、小島未夫 アジア経済研究所 1988
ホンコン脱出記 中国文学選書 茅盾著 小川環樹訳 弘道館 1954
香港旅の雑学ノート 山口文憲 ダイヤモンド社 1979
香港旅の雑学ノート 新潮文庫 山口文憲 新潮社 1985
香港・チャイナ(広州・マカオ)に夢中!旅ガイド おそどまさこ 山と渓谷社 1987
香港徹底ガイド 伊本俊二 三修社 1976
香港と海南島 朝日東亜リポート1 東亜問題調査会編 朝日新聞社 1939
香港と広州・桂林を歩く Your Guide 深井聡男 YOU出版局 1984
香港の工業化 小林進編 アジア経済研究所 1970
香港の工業化 アジアの結節点 アジア工業化シリーズ8 小島麗逸編 アジア経済研究所 1989
香港の水上居民 中国社会史の断面 岩波新書 可児弘明 岩波書店 1970
香港の挑戦 日本経済人への警告 邱永漢 中央公論社 1981
香港へ行こう! PHP研究所 1990
香港・マカオ パン・ニューズ・インターナショナル 1980
香港・マカオ オレンジガイド2 自由現代社 1981
香港・マカオ 外務省アジア局中国課編 日本国際問題研究所 1982
香港・マカオ ブルーガイドパック・ワールド5 実業之日本社 1982
香港・マカオ 交通公社のるるぶガイド4 日本交通公社出版事業部 1983
香港・マカオ トラベルJoy 別冊 山と渓谷社 1987
香港・マカオ MMガイド2 松島駿二郎、村山秀司 昭文社 1989
香港・マカオ ワールドJoy8 山と渓谷社 1989
香港・マカオ 海外・旅のデータバンク1 昭文社 1989
香港・マカオ 全日空シティガイド4 全日本空輸株式会社 三推社 1990
香港・マカオ・広州 エアリアガイド 室岡まさる 昭文社 1986
香港・マカオ・広州・桂林 カドカワ・トラベル・ハンドブック3 角川書店 1987
香港・マカオ・広州・桂林の旅 ワールド・トラベル・ブック5 ワールドフォトプレス 1983
香港・マカオ・台北の旅 平岩道夫 金園社 1970
香港・マカオ・台湾 ブルー・ガイド海外版1 実業之日本社 1966
香港・マカオ・台湾 海外ガイド4 日本交通公社 1972
香港・マカオ・台湾 ポケットガイド120 日本交通公社 1979
香港・マカオ・台湾の旅 カラーブックス 平岩道夫 保育社 1971
香港・マカオの旅 ブルーガイド海外版 実業之日本社 1974
香港・マカオの旅 ワールドフォトプレス編 ワールドフォトプレス 1979
香港・マカオの旅 ブルーガイド海外版 金重鈜 実業之日本社 1979
香港・マカオの旅 ワールド・トラベル・ブック5 ワールドフォトプレス 1982
香港・マカオの本 旅のガイドムック10 近畿日本ツーリスト 1985
香港・マカオ120パーセントガイド ひとりで行ける世界の本4 日地出版 1990
香港レストランショッピング案内 カラーガイド10  平岩道夫、平岩雅代 三修社 1983
 



論語及び孔子関係文献目録

Photo_2  1690年2月7日、孔子を祭る湯島聖堂が完成した。孔子の学問を儒学として薦めたのは江戸時代になってからだが、すでに江戸初期にもその気運はあった。加藤清正は戦国の武将の例にもれず、本などあまり読まなかったが、教養派の前田利家の影響から読書するようになった。清正が、江戸と熊本を往来する船の中で、「論語」を読みながら朱点ほほどこしているのを見ていた飼い猿が、清正が厠へ行った間に主人の真似をして「論語」の上に縦横に朱の線を走らせてしまった。戻ってきた清正はこれを見てニッコリ笑い、「おぉ、そちも聖人の教えを知りたいか」と言って、猿の頭を撫でたという。この逸話によって、清正が平生「論語」に親しんでいたことがよくわかる。清正ならずとも心ある部将はみな論語を愛読した。大内義隆、徳川家康など。明治以後は渋沢栄一、下村湖人、武者小路実篤など。第一生命の創始者・矢野恒太にも『ポケット論語』の著書がある。講談社をつくった野間清治にも、事業運営の柱に「論語」を据えたことは、あまねく知られている。最近では野球の野村克也が『野村の実践論語』の著書を刊行している。明治以降、「孔子及び論語」に関する文献は何点くらい出版されたのであろう。国会図書館で「論語」を検索すれば書籍だけで10681件がヒットする。

  論語関係文献
図書の部
論語微 10巻 荻生徂徠
論語古義 10巻 伊藤仁斎撰 1712
論語 全4巻 朱熹 学習館 1870
論語集説 全6巻 安井息軒 1872
論語類編心解 4冊和本 渋谷鉄臣(如意)編 京都・文石堂 1891
孔子 世界歴史譚第2篇 吉国藤吉 博文館 1899
論語新証 于省吾 1900
和論語 本社出版部 仏教図書出版 1900
孔門之徳育 亘理章三郎 開発社 1901
論語纂註 米良東嶠(倉子痩) 村上書店 1901
論語訓釈 斎藤清之丞 金華堂 1903
論語補註 山本章夫 山本読書室 1903
論語講義 上下 花輪時之輔講述 深井鑑一郎編 誠之堂 1903
孔門之徳育  1巻 亘理章三郎 開発社 1901
論語補註 2冊 和本 山本章夫註 京都・山本読書室 1903
孔夫子伝 蜷川龍夫 文明堂 1904
孔子研究 蟹江義丸 金港堂 1905
論語講義 根本通明 早稲田大学出版部 1906
論語 ジェームズ・レッグ訳 依田喜一郎 嵩山房 1908
孔子 西脇玉峰 内外出版協会 1909
ポケット論語注釈 奥村恒次郎註釈 大阪・山本文友堂 1909
論語経典余師 渓世尊講 宮崎璋蔵校訂 日吉丸書房 1909
論語講義 近藤元粋 篠田栗夫共著 大日本商業学会 1909
論語古義 佐藤正範 六盟館 1909
論語集説 漢文大系1 安井息軒 服部宇之吉校 冨山房 1909
論語講話 大江文城 東洋大学出版部 1909
孔子伝 遠藤隆吉 丙午出版社 1910
孔子 白川次郎 東亜堂 1910
孔子之聖訓 二條基弘 東久世通禧 名著学会出版部 1910
荻生徂徠論語辨 祥雲碓悟校 1910
論語弁 荻生徂徠 祥雲碓悟校 天書閣 1910
論語講義 一戸隆太郎 大成社 1910
論語国字解 一名経伝余師 渓世尊講 深井鑑一郎校 宝文館 1910
論語詳解 川岸華岳 郁文舎 1910
新訳論語(新訳漢文叢書11) 大町桂月訳 至誠堂 1912
論語示蒙句解 漢籍国字解全書1 中村惕斎 早稲田大学出版部 1912
論語書目 中村久四郎編 孔子祭典会 1913
論語源流 林泰輔 自筆稿本 1915
論語年譜 林泰輔 龍門社 1916
孔子及び孔子教 服部宇之吉 明治出版社 1917
論語講義 漢文註釈全書1 三島毅(中洲) 明治出版社 1917
論語鈔 成簣堂叢書10  上村観光解題 1917
儒教と現代思潮 国民思想涵養叢書3 服部宇之吉 明治出版社 1918
論語講義 細川潤次郎 南摩鋼紀共著 吉川弘文館 1919
孔子と其思想及教義 鈴木周作 弘道館 1922
渋沢子爵活論語 安達大寿計編 宣伝社 1922
世界三聖伝 基督・釈迦・孔子 松本雲母・大屋徳城・西脇玉峯編著 1923
現代に活かした論語講座 西川光二郎 丙午出版社 1924
孔子聖教之攻究 景仰子、柿本寸鉄 人文社 1924
孔子聖蹟志 馬場春吉 大東文化協会 1924
孔子研究 改版 蟹江義丸 京文社 1927
国訳論語 斯文会編 龍門社 1928
孔子鑑賞 大月隆仗 敬文館 1929
論語明解 江口天峰 至玄社 1929
孔子 小学児童学習の友 高橋喜藤治 郁文書院 1930
政教より観たる論語新釈 赤池濃 早稲田大学出版部 1930
論語講本(集註) 島田欽一校訂 有精堂 1930
論語鈔 村上龍英 広文堂 1930
論語詳解 沢田総清 健文社 1930
孔子全集 全2冊 藤原正纂訳 岩波書店 1931
論語善本書影 大阪府立図書館編 京都・貴重書影本刊行会 1931
論語詳解 簡野道明 健文社 1931
孔子家語 岩波文庫 藤原正訳 岩波書店 1933
論語證解 上中下 漢籍国字解全書28,29,30 早稲田大学出版部 1933
論語私感 武者小路実篤 岩波書店 1933
論語・孟子 東方古典叢刊7 五十沢二郎 竹村書房 1933
論語・孟子の話 国民修養講和3 西川光二郎 春陽堂 1933
孔子 室伏高信 日本評論社 1934
孔子解説 学庸篇 北村佳逸 立命館出版部 1934
論語講義 岡田正三 第一書房 1934
論語心解 西川光二郎 自動道話社 1934
論語の解釈 村田慎三 白帝社 1934
論語詳解 前島成 大修館 1934
論語全解 島田鈞一 有精堂 1934
孔子及孔子教 住谷天来 新生堂 1935
孔子教と其反対者 北村佳逸 言海書房 1935
孔子教の戦争理論 北村佳逸 南郊社 1935
論語評釈 大江文城 関書院 1935
論語講義 安井小太郎 大東文化協会 1935
論語古伝 10巻 仁井田好古撰 南紀徳川史刊行会 1935
論語大学中庸 漢籍を語る叢書2 田中貢太郎 大東出版会 1935
論語新解 国語漢文研究会編 明治書院 1935
孔子 社会科学の建設者・人と学説叢書 田崎仁義 三省堂 1936
孔子の生涯 諸橋轍次 章華社 1936
仁の研究 山口察常 岩波書店 1936
精講 論語百講 松田金重編 三省堂 1936
日本精神と孔子教 社会教育パンフレット236  岡村利平 社会教育協会 1936
ものがたり論語 三宅昭 モナス 1936
論語講座 全6巻 高田真治・諸橋轍次・山口察常編 春陽堂 1936-37
孔子伝 岡村利平 春陽堂 1937
孔子伝 (附)弟子列伝・集語 岩波文庫 藤原正訳注 岩波書店 1937
孔子とをしえ 加藤虎之亮 国民精神文化研究所 1937
孔子の思想・伝記及年譜 論語講座研究篇 春陽堂 1937
孔子の人格と教訓 塩谷温 開隆堂書房 1937
儒教の史的概観 高田真治 春陽堂 1937
論語・孔子 室伏高信全集8 青年書房 1937
孔子 大教育家文庫1 和辻哲郎 岩波書店 1938
全釈論語 幸田露伴 双葉書房 1938
大学論語解義 四書研究 岩部撓・深谷賢太郎 啓文社 1938
論語精解 重野篤二郎 白帝社 1938
論語物語 下村湖人 講談社
孔子論 林語堂著 川口浩訳 育成社 1939
四書新釋論語 上下 内野台嶺 賢文館 1939
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1939
論語私見 上下 山本憲永弼 松村末吉家 1939
新講論語読本 西川光二郎 春陽堂書店 1939
論語読本(興亜国民) 上下 論語 東洋思想文庫 東洋思想文庫刊行会 第一出版協会 1939
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1939
論語と教養 谷口廻瀾 谷口廻瀾先生還暦記念刊行会 1940
孔子 武者小路実篤 講談社 1941
孔子と其の生涯 田中貢太郎 東海出版社 1941
孔子廟参拝記 菟田茂丸 平凡社 1941
算標論語集註 瀧川亀太郎 金港堂書籍 1941(1913)
論語と支那の実生活 後藤朝太郎 高陽書院 1941
論語詳解 最新研究 徳本正俊 芳文堂 1941
論語の思想 渡部信治郎 畝傍書房 1941
論語の組織的研究 中島徳蔵 大日本出版株式会社 1941
孔子・人とその哲学 室伏高信 潮文閣 1942
孔子の新研究 大月隆仗 新民書房 1942
孔孟思想講話 新潮文庫 高須芳次郎 新潮社 1943
論語ものがたり 全釋 三宅昭編 博文社 1943
孔子 和辻哲郎 植村書店 1948
論語総説 藤塚鄰 弘文堂 1949
論語十二回講話 西川光二郎 1942
論語と孔子の思想 津田左右吉 岩波書店 1946
論語抄 幸田露伴 中央公論社 1947
孔子とその弟子 下村湖人 西荻書店 1950
論語集註 簡野道明 明治書院 1950
孔子 岩波新書 貝塚茂樹 岩波書店 1951
孔子 室伏高信 潮文閣 1951
孔子廟堂碑 展大法帳1 虞世南 春潮社 1951
論語物語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1951
論語私感 三笠文庫 武者小路実篤 1951
論語私感 新潮文庫 武者小路実篤 1951
孔子 偉人物語文庫 小田嶽夫 偕成社 1952
孔子と老子 諸橋轍次 不昧堂書店 1952
論語に学ぶ 赤木三良 池田書店 1952
論語新解 簡野道明 明治書院 1952
論孟精選 簡野道明 明治書院 1952
全訳論語精解 重野篤二郎 桜井書店 1953
論語新釈 宇野哲人 弘道館 1953
論語全解 島田鈞一 有精堂 1953
現代語訳論語 下村湖人 池田書店 1954
論語物語 人生叢書 下村湖人 池田書店 1954
孔子 角川文庫 和辻哲郎 角川書店 1955
孔子 武者小路実篤全集11  新潮社 1955
論語は生きている 堀秀彦 河出書房 1956
孔子 三一新書 尾崎辰之助 三一書店 1957
論語百選 現代人のために 三省堂百科シリーズ 新垣淑明 三省堂 1957
論語の言葉 現代に生きる言葉? 堀秀彦 実業之日本社 1957
論語と現状 岩越元一郎 明徳出版社 1957
論語新釈 学生社新書 魚返善雄訳 学生社 1957
論語集注 上下 影璜川呉氏仿宋刊本 書物文物流通会 1959
孔子 その人とその伝説 H・G・クリール著 田島道治訳 岩波書店 1961
顔淵・孔子 中勘助全集10 角川書店 1962
孔子 和辻哲郎全集6 和辻哲郎 岩波書店 1962
論語物語・聖書物語 世界教養全集8 下村湖人、ヴァン・ルーン 平凡社 1962
輯佚論語鄭氏注 月洞譲 編者油印 1963
論語は生きている 潮文社新書 堀秀彦 潮文社  1963
仁の古義の研究 竹内照夫 明治書院 1964
論語集註(標註) 渡辺末吉 武蔵野書院 1964
孝の孔子の新解釈 加藤常賢 斯文43   1965
古典のかがみ 論語33章 れいろうブックス 諸橋轍次 広池学園出版部 1965
孟荀における孔子 浅間敏太 中国哲学3  1965
論語のことば 中国の知恵1 吉田賢抗 黎明書房 1965
論語知言 東条一堂 原田種成校訂 書籍文物流通会 1965
論語と人間孔子 山田統 明治書院 1965
孔子 その礼説を中心とする考察 松代尚江 懐徳37   1966
孔子・孟子 世界の名著3 貝塚茂樹編 中央公論社 1966
仁の研究 下斗米晟 大東文化大学東洋文化研究所 1966
ポケット論語 藤原楚水訳述 実業之日本社 1966
論語物語 アイドル・ブックス 下村湖人 ポプラ社 1966
論語物語 旺文社文庫 下村湖人 旺文社 1966
論語物語 改版 角川文庫 下村湖人 角川書店 1966
現代語訳論語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1967
孔子と老子 ヤスパース選集22  田中元訳 理想社 1967
孔子名言集 世界名言集6 伊藤貴麿 ポプラ社 1967
孔子孟子老子荘子 世界の大思想Ⅱ‐1  本田済、松代尚江、木村英一ほか訳 河出書房 1968
論語私感想 現代教養文庫 武者小路実篤 1968
論語孟子大学中庸 世界文学大系69  倉石武四郎・湯浅幸孫・金谷治編 筑摩書房 1968
現代語訳論語 原富男 春秋社 1969
孔子 センチュリーブックス人と思想2 内野熊一郎、西村文夫、鈴木壮一 清水書院 1969
孔子伝 如是我聞 諸橋轍次 大法輪閣 1969
吾が道 孔子の人生観大系 吉野浴風 大坂発色 1969
論語孟子荀子礼記(抄) 中国古典文学大系3 木村英一・鈴木喜一ほか訳 平凡社 1970
孔子家語 中国古典新書 清田清 明徳出版社 1971
孔子と論語 東洋学叢書 木村英一 創文社 1971
論語源流 林泰輔 汲古書院 1971
論語のために 私の古典 吉川幸次郎 筑摩書房 1971
唐卜天壽注抄写鄭氏論語 中国科学院考古研究所編 平凡社 1972
論語古義 日本の名著13  伊藤仁斎著 貝塚茂樹訳 中央公論社 1972
論語抄 足利本 中田祝夫編 勉誠社 1972
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1972
論語を活かせ 武藤紀郎編 文進堂 1972
聖人の虚像と実像 論語 現代人のための中国思想叢書1 駒田信二 新人物往来社 1973
論語講義と長寿法 村田直彌 明治書院 1973
論語の講義 諸橋轍次 大修館書店 1973
孔子与論語 銭穆 聯経出版事業公司 1974
孔子批判 中国通信社東方書店編 東方書店 1974
論語三十講 斯文会編 大修館書店 1974
論語入門 ダルマ・ブックス 阿部幸夫 日本文芸社 1974
論語の新研究 宮崎市定 岩波書店 1974
孔子伝 銭穆 池田篤紀訳 アジア問題研究会 1975
聖人孔子の化けの皮をひっ剥がせ! 香坂順一編訳 青年出版社 1975
論語発掘 通釈への疑問と解明 合山究 明治書院 1975
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1975
論語私見 民主主義時代の論語 小沢俊雄 岡谷 中央印刷 1975
論語大東急記念文庫講座講演録 石井千秋等講述 大東急記念文庫 1975
現代語訳論語 下村湖人全集8 下村湖人 国土社 1976
論語について 講談社学術文庫 吉川幸次郎 講談社 1976
修訂・論語年譜 林泰輔編 麓保孝修訂 国書刊行会 1976
論語・孟子 西谷元夫 有朋堂 1976
論語物語・現代訳論語 下村湖人全集8 国土社 1976
論語講義 全7巻 講談社学術文庫 渋沢栄一 講談社 1977
論語精義 上・下 和刻本近世漢籍叢刊思想三編 1・2 朱熹撰 佐藤仁著 中文出版社 1977
論語孟子研究 狩野直喜 みすず書房 1977
論語新釈 新装版 魚返善雄訳 学生社 1978
論語の散歩道 重沢俊郎 日中出版 1979
孔子 人類の知的遺産4 金谷治 講談社 1980
論語新釈 講談社学術文庫451 宇野哲人訳 講談社 1980
朝の論語 安岡正篤述 明徳出版社 1981
論語墨書 名筆による名言鑑賞 広論社出版局編 広論社 1981
論語私感 内田智雄 創文社 1981
論語新探 論語とその時代 趙紀彬著 高橋均訳 大修館書店 1981
論語の読み方 ノン・ブックス 山本七平 祥伝社 1981
よみがえる論語 色部義明 徳間書店 1981
論語のことば グリーン・ブックス 堀秀彦 大和出版 1982
論語の散歩道 重沢俊郎 日中出版 1982
論語八方破れ TOKUMA BOOKS 竹村健一 徳間書店 1982
論語を読む 常石茂 勁草書房 1982
孔子新伝 「論語」の新しい読み方 林復生 新潮社 1983
孔子のことば 現代語訳の「論語」 林復生 グラフ社 1983
論語に学ぶ部課長学 仁田敏男 日本経営団体連盟弘報部 1983
異質孔子記 矢作幸四郎 八重洲ブックセンター 1984
孔子 時を越えて新しく 中国の人と思想1 加地伸行 集英社 1984
論語のこころ 加藤富一 近代文芸社 1984
論語と孔子 人間関係論のエッセンス「論語」の新しい読み方 鈴木修次 PHP研究所 1984
論語を読む 講談社現代新書 加地伸行 講談社 1984
孔子 伝記世界の偉人2 中央コミックス 永井道雄・手塚治虫監修 中央公論社 1985
孔子廟堂碑・他 書道基本名品集2 虞世南 雄山閣出版 1985
孔子廟堂碑   原色法帖選12  虞世南 二玄社 1985
ポケット論語 角川文庫 山田勝美 角川書店 1985
「論語」その裏おもて 旺文社文庫 駒田信二 旺文社 1985
論語と算盤 渋沢栄一述 梶山彬編 国書刊行会 1985
「論語」&老子入門 徳間文庫 野末陳平 徳間書店 1985
論語の世界 加地伸行編 新人物往来社 1985
孔子と失われた十支族 鹿島辨 新国民社 1986
孔子の復活 孔子をめぐる虚構と真実 李家正文 冨山房 1986
孔子の末裔 孔徳懋口述、柯蘭筆記 和田武司訳 筑摩書房 1986
論語の人間学 服部武 冨山房 1986
論語との対話 金子知太郎 竹井出版 1987
論語の活学 安岡正篤 プレジデント社 1987
論語抄の国語学的研究・索引篇 坂詰力治編 武蔵野書院 1987
孔子の経営学 孔健 PHP研究所 1988
孔子家語 岩波文庫 藤原正訳 岩波書店 1988
小説孔子 谷崎旭寿 新人物往来社 1988
論語総説 藤塚鄰  国書刊行会 1988
論語と禅 半頭大雅 山田邦男 春秋社 1988
孔子 井上靖 新潮社 1989
孔子 日本人にとって「論語」とは何か 歴史と人間学シリーズ 山本七平、渡辺昇一、谷沢永一、小室直樹 プレジデント社 1989
論語は問いかける 孔子との対話 ハーバート・.フィンガレット著 山本和人訳 平凡社 1989
「論語」その裏おもて 徳間文庫 駒田信二 徳間書店 1989
論語の講義 新装版 諸橋轍次 大修館書店 1989
論語の人間学 人間と知恵とを語り尽くす 守屋洋 プレジデント社 1989
論語名言集 ビジネス選書8 村山吉広 永岡書店 1989
壽(いのちなが)し日日論語 斎藤十九八 一休社 1990
孔子 講談社学術文庫 金谷治 講談社 1990
孔子家の極意 ワニの本 孔健 ベストセラーズ 1990
孔子と教育 俵木浩太郎 みすず書房 1990
わが祖・孔子と「論語」のこころ 孔健 日本文芸社 1990
孔子 集英社文庫 加地伸行 集英社 1991
孔子画伝 加地伸行 集英社 1991
孔子伝 中公文庫 白川静 中央公論社 1991
孔子・孟子に関する文献目録 瀬尾邦男編 白帝社 1992
真説人間孔子 孔祥林 河出書房新社 1994
男の論語 童門冬二 PHP研究所 1999
論語名言集 村山吉廣 中央公論新社 1999
論語 石川忠久監修 サン・エデュケーショナル 2000
論語 吉田公平 たちばな出版  2000
論語紀行 坂田新 日本放送出版協会 2000
宋明の論語 松川健二 汲古書院 2000
男の論語2 童門冬二 PHP研究所 2000
論語234 吹野安、石本道明 明徳出版社  2000
人生は論語に窮まる 谷沢永一、渡辺昇一 PHP研究所 2000
孔子「論語」に関する文献目録 単行本篇 瀬尾邦雄 明治書院 2000
江戸古学派における「論語」注釈史の研究 金培懿 博士論文 2000
論語 現代五訳 宮崎市定 岩波書店 2000
論語の新しい読み方 宮崎市定 岩波書店 2000
孔子百科辞典 上海辞書出版社 2010
さまよえる孔子、よみがえる論語 朝日選書 竹内実 朝日新聞出版 2011
孔子学院伝播研究 劉程、安然 中国社会科学出版社 2012
孔子の倫理哲学論 道徳論を中心として 浅井茂紀 International Philosoply Institute
孔子論語 佐久協 NHK出版 2012
論語正 石永楙 中華書局 2012
論語入門(岩波新書) 井波律子 岩波書店 2012
論語の読み方 中野孝次 海竜社 2012
孔子 世界史リブレット人 高木智見 山川出版社 2013
論語集注 1~4 東洋文庫 朱熹 土田健次郎訳注 平凡社 2013
孔子聖蹟図 和版集成 竹村則行 花書院 2014
図説孔子:生涯と思想 孔祥林 科学出版社 2014
全訳論語 山田史生 東京堂出版 2014
徳川日本の論語解釈 黄俊傑著 工藤卓司訳 ぺりかん社 2014
近代における「論語」の訓読に関する研究 石川洋子 新典社 2015
孔子と魯迅 片山智行 筑摩書房 2015
日本古代「論語義疏」受容史の研究 髙田宗平 塙書房 2015
論語与近代日本 劉萍 中国青年出版社 2015
経典釈文論語音義の研究 髙橋均 創文社 2017
儒教 怨念と復讐の宗教 浅野裕一 講談社 2017
論語から人間学を学ぶ 田村重信 内外出版 2017
論語象義 三野象麓撰 上海古籍出版社 2017
論語徴集覧 松平頼寛撰 中国典籍日本注釈叢書論語巻 上海古籍出版社 2017
論語と社会 加藤要 おうふう 2017
「論語」と「西洋哲学」 藤本一司 北樹出版 2017
論語補鮮 山本楽所撰 上海古籍出版社 2017

論文の部
泰西人の孔子を評するを評す 井上哲次郎 東学芸4  1882
孔子ノ教ハ支那国ニ如何ナル影響ヲ与ヘンヤ 赤座好義 東学芸3-46  1885
孔子の学術を汎論す 柳沢保恵 輔仁会雑23,24,28  1893~94
孔子之道と徂徠学 加藤弘之 東哲1-6  1894
孔子以後の学派 藤田豊八 東哲1-8,11,12   1894,95
孔孟の道 内藤耻叟  東哲1-3  1894
孔子と儒教 神谷初之助 斯文4-5  1922
孔子と文 柿村重松 斯文4-5  1922
孔子に於ける妥当性の個性的実現の問題 斎藤要 斯文18-1  1922
孔門の「時中」に就いて 成田衡夫 斯文3-2  1921
孔夫子追遠記念祭典の意義 塩谷温 斯文4-6  1922
孔夫子伝 服部宇之吉 斯文7-2  1922
孔夫子の偉大なる点に就いて 手塚良道 斯文4-5  1922
孔夫子略伝 服部宇之吉 斯文4-5  1922
周公孔子之道 今井彦三郎 朝鮮教育6-12  朝鮮教育会 1922
文廟の従祀及び清代尊孔御書匾額について 中山久四郎 斯文4-5  1922
予の孔子観 桑原隲蔵 斯文4-5   1922
余の観たる孔夫子 渋沢栄一 斯文4-5  1922
孔夫子の政治観 島田三郎 斯文5-4  1923
孔子とソクラテス 吉田熊次 斯文5-5  1923
大聖孔子 牧野謙次郎 斯文5-5  1923
孔夫子の二大事業 小柳司気太 斯文7-4  1925
孔夫子及び其の家系に就きての二三の考察 那波利貞 歴史と地理18-1  1926
孔夫子と我が国体 塩谷温 斯文8-5  1926
孔子の聖徳 宇野哲人 斯文8-8,9  1926
孔子の知天命 服部宇之吉 斯文9-9  1927
孔夫子と集大成 児島献吉郎 斯文9-5  1927
孔夫子の道 小野錬太郎 斯文9-12  1927
孔孟の権道に就いて 内野台嶺 斯文9-7  1927
支那史上の偉人 孔子と孔明 桑原隲蔵 東洋史説苑 1927
孔子の敬天思想 青木晦蔵 東洋文化54  1928
孔子祭典に就て 阪谷芳男 斯文10-1  1928
孔子の謙虚の心 高田真治 斯文10-6  1928
孔子の実行主義 飯島忠夫 斯文10-3  1928
孔子の知天命に就いて 青木晦蔵 東洋文化46  1928
孔子の徳業 小柳司気太 斯文10-2  1928
孔夫子と現代支那 塩谷温 斯文10-6  1928
孔夫子の政教 赤池濃  斯文10-11  1928
孔孟紀年 新城新蔵 高瀬還暦記念支那学論叢 1928
孔子の仁 蟹江義丸 斯文11-4  1929
孔子の聖徳に就いて 今村完道 斯文11-11  1929
孔子の大義名分説に就いて 宇野哲人 斯文10-6  1929
孔老の思想 常盤大定 丁酉倫理会倫理講演集326  1929
正しく観たる孔夫子の聖徳 中山久四郎 斯文11-8  1929
孔子の道 飯島忠夫 斯文12-9  1930
孔子の仁と儒者の学 遠藤隆吉 哲学雑誌46-535  1931
孔子の榡像及画像 馬場春吉 東亜4-2,3  1931
史記の孔子伝大要 岡崎文夫 歴史と地理27-1   1931
孔子教について 荻原拡 斯文14-7  1932
支那思想史上に於ける孔子の地位 高田真治 哲学雑誌47-539  1932
満州の孔子廟建築 村田治郎 満州学報1 1932
孔子教のフランス進出 後藤末雄 丁酉倫理会講演集373  1933
孔子と老子 加藤一夫 東洋哲学38-1   1931
孔子の軍事観 岡村利平 大東文化9 1935
論語より観たる孔夫子の教導法 合田万吉 斯文17-7  1935
孔子教に於ける実行の価値 飯島忠夫 斯文4-5  1936
孔子以前の仁字とその意義 山口察常 斯文18-8  1936
孔門伝授の心法 成田衡夫 服部古稀記念論文集 1936
孔子とイエス 大塚繁樹 媛大紀要1-4  1953
詩書と孔子の天及び天命の思想 米田登 文と思6  1953
孔子および孟子の兵戦思想 内田智雄 同志社法学26  1954
孔子学団 宇都宮清吉 東洋学報(京都)25  1954
天下周遊の構造 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報5  1954
孔子の管仲譚 華夷論の一端として 高田真治 東洋研究6  1963
孔子の仁の思想について 馮友蘭著 高橋均訳 漢文教室64  1963
貝塚茂樹著「孔子」についての往復書簡 西谷啓治、貝塚茂樹 図書24  1951
孔子に於ける仁思想成立の過程 石黒俊逸 支那学研究8  1951
尚書孔子伝の態度 加賀栄治 学芸3-1  1951
人間孔子 谷川徹三 斯文4  1951
孔子死生の説 那智佐典 東洋学研究7  1938
孔孟以後の儒教 秋月胤継 斯文20-6  1938
東洋史上に於ける孔子の位置 宮崎市定 東洋史研究4-2  1938
論語に現われたる孔子の人間観 西村侃三 斯文21-11,12  1939
孔子的自我の展開 牧尾良海 哲学雑誌55-639,642  1940
孔子の仁 平田栄(講演)  斯文22-1  1940
孔子の学的精神とその展開 田所義行 漢学雑9-3,10-1  1941-42
孔子より孟子に至る自己観の展開に就いて 赤塚忠(講演) 斯文24-12  1942
孔子の思索生活  1,2 田所義行 漢学雑11-2,3;12-1,2   1943~44
孔子の教学 佐藤匡玄  建大研月報38  1944
孔学総論 谷本富 東学芸4-73  1945
孔子について 貝塚茂樹 世界10  1946
人間孔子 林語堂 実藤恵秀訳 新中国1-3  1946
マルクス孔子に会う 郭沫若 実藤恵秀訳 中国文学95  1946
孔子と子産 貝塚茂樹 東光1   1947
孔子の学問精神 原佑 叙説4  1950
孔子の人間観 板野長八 学士院紀要8-1  1950
春秋著者説話の原形 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 叙説5  1950
フランス人の観たる孔子 附・戦后欧米における孔子の研究 麓保孝 斯文33-4 1951
去魯 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学芸報3 1952
孔子とゾロアスター 飯島忠夫 長野短期大学4 1952
顔回と孔子門の学風 髙橋享 天理大学報6 1952
夾谷の会 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学芸報4 1953
陽虎雑考 孔子伝 田中佩刀 斯文25  1959
孔子礼思想管見 山下実 支那学研究24,25  1960
孔子と尚書 松本雅明 福井康順博士頌寿記念  1960
孔子の宗教的立場 金谷治 集刊東洋学6 1961
孔孟の思想と漢唐の儒教 小島佑馬 東洋文化7 1961
孔子思想の三支点 道・命・楽 大浜晧 中国文社12  1963 
孔子の精神に関して所感を陳ぶ 元良勇次郎 東洋哲学2-10  1895
孔子の誕生会に就て 日下寛 東洋哲学2-9  1895
孔夫子誕生祭に就き 関根正直 東洋哲学4-2  1896
孔子誕生に就きて 重野安繹 東洋哲学3-1  1896
孔子の精神 日下寛 東洋哲学4-2  1897
孔子の降誕に就きて  島田重礼 東洋哲学4-1  1897
孔子の学説 松村正一 東洋哲学8-9~12 1901
孔子の教育及宗教 穂積秀範 龍谷史壇10  1902
孔夫子と儒教 島田三郎 東洋哲学 9-1,2  1902
孔子の所謂君子に就きて 蟹江義丸 東洋哲学10-1  1903
孔子教の趣旨 星野恒 東洋哲学11-1   1904
孔夫子研究を評す 中島徳蔵 丁酉倫理会講演集33,34  1905
孔子ノ人格ニ就テ 井上哲次郎 太陽13-10  1907
孔聖の修養 山田準 東洋哲学15-6  1908
孔夫子の運命観 大島順三郎 東洋哲学17-6,8・18-3 1910~11
孔子に対する社会的信仰の矛盾 村上専精 丁酉倫理会講演集101  1911
孔子の倫理説に就て 松村正一 東洋哲学18-5   1911
支那に於ける孔夫子の尊崇 服部宇之吉 東亜研究1-1  1911
孔夫子の政治上に於ける教訓 深作安文 東亜研究3-6  1913
孔子教 及川生 慶義学208,209  1914
孔子 井上哲次郎 斯文20-6  1938
孔子伝より見たる論語の解釈 岡村利平 大東文化16  1937
孔子と老子 諸橋轍次 斯文33-4  1937
遭難 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報6  1955
文学としての孔子世家 バートン・ワトソン 中文教2  1955
孔子の思想について 吉川秀一 阪学大紀4  1956
孔孟の命について 金谷治 日中会報8  1956
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報7  1956
孔子の陳蔡厄考 田中佩刀 静岡女子大紀要4  1957
「孔子の道」の解釈をめぐる二三の疑義 近藤康信 東支学報3 1957
孔教私観 長谷川如是閑 斯文22  1958
孔子と易 高田真治(講演)  大東漢学1  1958
孔子と墨子 山室三良 九中会報5  1959
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報9  1959
孔子の大同思想 張厲生 斯文28  1960
孔門の十哲に就いて 山本徳一 漢学研究1  1936
孔子の情操面の一考察 田所義行 東女大論14-2  1964
孔子における愛と死と考と 加地伸行 東方宗教24  1964
孔子教学の宗教性 金戸守 四天女子紀要7  1965
孔子の虚構性 山田統 国学雑誌66-10   1965
孔子の天下遊説について 木村英一 日中会報18  1966
孔子の職歴について 木村英一 立命館文学264-5  1967
弟子7、8 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大教育報17-1  1967
孔子と易 鈴木由次郎 東方宗教31   1968
論語と人間 孔子における人間性と宗教性 西藤雅夫 彦根論叢132、133   1968
孔子の学校について 木村英一 東方学38   1969
孔子とその教育 喜多川忠一 群馬大学教育学部紀要人文社会科学18  1969
聖人の虚像と実像(孔丘) 丸山松幸 人物中国志2 1974
官吏養成を目的とした孔子学園の教育 高峰文義 福岡大学人文論叢10-3  1978-1979
論語にみる孔子の人間評価基準 その識別に関する一考察 仙田美智子 近畿大学女子短期大学研究紀要16  1986
孔子と「論語」 森野繁夫 漢文教育 1999
「論語徴」における「礼」 暢素梅 人間文化研究年報23  1999
孔子の身長について 春秋時代の尺度と評価 若江賢三 人文学論叢16  2014年
孔子の仁説について 青木晦蔵 大谷大学仏教研究会  2017,4,4
孔子の仁と何か 上・下 吉永慎二郎 秋田大学教育学部 2017.2.16
孔子の天に対する思想:その宗教的性格について 三浦吉明 集刊東洋学36  2017.4.12
後桜町女帝宸筆仮名論語について 所功 京都産業大学2018.02.01

  このように孔子及び論語に関する文献は古来から今日に至るまで実に膨大な量にのぼる。若い読書子に一冊を奨めるとすれば、高木智見「孔子」(世界史リブレット)である。100頁たらずの冊子であるが、比較的本を求めやすい。また最新の出土資料をもとに論語のテキストを検討している。孔子の中心思想である「仁」についてしぼって論述している。論語と孔子の関係書は多いがほとんどが現代的な解釈を各自が自由に論じているが、本書は春秋という時代状況を可能な限り考察し、孔子の思想について論述している点を評価したい。

大晦日の祖先祭祀の風習について

  ゆく年くる年。新しい年は、平和で明るい社会であることを願いたい。青森県三戸郡五戸町では今でも年の暮れから正月にかけてミタマノママと呼ばれる風習が残っていると聞く。白餅と赤餅とを菱に切って神棚に供える。盛岡では卵のように飯を握って年の内に供え、後で苞に入れて乾かしておく。山形県最上郡安楽城村では米飯を擬宝珠形に握るのを本式とする。ミタマノママとは「御魂の飯」(みたまめし)と書き、「みたま」を御先祖様と解し、大晦日の夜の先祖祭への供物である。オミタマサマ、ミタマメシ、ミタマ、ニダマなどともいう。

     かつて日本には一年に盆(7月)と正月(12月)、先祖祭の日があった。「徒然草」第19段に「亡き人の来る夜として魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東の方にはなほすことにてありしこそあはれなりしか」とある。つまり兼好の時代には京都ではもう12月には祖先祭祀の風習はなくなっていたが、関東には昔の風習が残っていたようだ。お盆が仏教による魂祭りであったのに対し、大晦日の祭りは仏教的な色彩がうすれて、地方において神祭的なものになっていったのはなぜだろうか。(参考:田中久夫「みたまのめし」史泉第50号 昭和50年) 12月31日

除日、講起ス

歳暮ニ、菅得庵、林羅山ニ謂ヒテ曰ク、

「余、イマダ通鑑綱目ヲ読マザル。

請フ、先生、明春ヲ以テ、余ノタメニ之ヲ講ゼント」

羅山曰ク、「子ノ心誠ニ之ヲ求メバ、何ゾ来年ヲ待タント」

即チ、除日ニ講起ス。

                       (先哲叢談)

除夜の鐘の由来

大晦日定めなき世の定めかな(西鶴)

ともかくもあなたまかせの年の暮れ(一茶)

高窓に星吹き寄せぬ除夜の鐘(花野女)

 大晦日を「除日(じょじつ)」ともいう。旧年を除く日ということである。除日の夜が除夜だ。除夜の鐘を108つくのは、中国の仏教儀式で、宋時代から始まったという。ただつけばよいというわけではなく、交互に、強く54点、弱く54点、そして107点までは旧年に、最後の一点を新年につく。

   108の数は、1年12ヵ月と、立春などの24節気、それを三分した72候、の合計だというが、後に108の煩悩を一つずつ消すためといわれるようになった。108の煩悩とは、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)と六塵(色、声、香、味、触、法)におのおの好、悪、平があるので、計36程の煩悩が生じ、それが過去、現在、未来あるので108となる。

    古くは1日が夜からはじまって朝につづくと考えられていたので、祭は多く前夜から行われた。年越しの祭も前夜からはじまるとし、大晦日の夜を「おおとし」「としのよ」といい、年神(歳神)を迎るために厳重な物忌をし、夜通し起き明かすのが古風な作法であった。今でも除夜の鐘を聞くまで床に入らなかったり、早く寝ると白髪になるとか、しわがよるとかいい、また寝るというのを忌んで、「寝る」ことを「稲を積む」という地方もある。また年ごもりといって、この夜は神社に参籠(さんろう)して夜を明かすところがあったが、現代では一般にそれを簡略して夜中に参るか元旦未明に参るようになった。また「歳籠り」といって氏神の社にこもって夜を明かす風習もあり、京都祇園社の「おけら祭」などのように、古い社では除夜に、新しく火を鑽り出し、氏子に配る行事がある。農家などでは、大歳の晩から元旦にかけて、いろりの火を絶やさぬようにするところも多い。この際、火種にする薪を「ようぎほだ」「せちほだ」などと呼び重要視した。そのほかいろりや氏神の境内で大火をたくところもあり、兵庫県では「年越しとんど」といって、古い注連縄などの神飾りの不用なものを焼くところもあった。

2018年12月30日 (日)

勘太郎を殺した板割浅太郎

016    松竹キネマは新国劇「国定忠治」を題材に初のトーキー映画「浅太郎赤城の唄」を昭和9年に公開するや、映画主題歌である東海林太郎の「赤城の子守唄」が、流行歌の時代の到来を告げる大ヒットとなった。ただし新国劇では忠治の子分は定八や巌鉄だったが、脇役の板割浅太郎が、この映画では主役に昇格している。また、浅太郎に殺されたはずの勘太郎も生きて登場するし、浅太郎が勘太郎を背負って「赤城の子守唄」を歌って聞かせる場面がある。当時の人にとっては、かなり斬新な解釈の映画であり流行歌(作詞は佐藤惣之助という新感覚派の詩人)だったにちがいない。

   そもそも勘太郎の父というのは、博徒で目明しを兼ねた二足のわらじの男で中島勘助といい、浅太郎の叔父にあたる。浅太郎は勘助と内通していたと忠治に疑われ、その証のために勘助と勘太郎親子を斬るはめになる。伊勢崎市には勘助・勘太郎の墓がある。

   講釈師がいたいけな子供が犠牲になった事実をまげて語ったところ、大いに聴衆に受けたことが発端となり、その後「赤城の子守唄」の大ヒットで、浅太郎が勘太郎を背負って赤城山に登ることが定着する。東海林太郎の浅太郎、高峰秀子の勘太郎という芝居まで上演され大評判となった。

   浅太郎はその後、『赤城録』に「浅梟首」とあり、捕らえられて晒し首にされたとなっているが、浅太郎は逃亡の後、仏門に入り二人の菩提を弔いながらその生涯を終えたという説も有力である。神奈川県藤沢市の真徳寺に浅太郎の墓がある(画像)。明治26年12月30日没。享年74歳。(参考:川井正「勘太郎の頭蓋骨」歴史読本昭和59年1月号)

 

2018年12月29日 (土)

アイドルとは「形を与えられた神様」

   チコちゃんに叱られる。聖子・明菜の80年代アイドルブームやおにゃんこ、AKB48などグループアイドル人気は続いているがそもそもアイドルって何か? 英語「idol 偶像」聖書出エジプト記にアイドルという言葉がある。人間とは不完全なものである。貪欲、奢侈、快楽、現代社会にはさまざまな負の遺産が多くある。聖書には「義人は、一人もいない。すべての人は罪人であり、神の栄光は受けられなくなった」とある。金の牡牛や様々な崇拝物を求めて人々は礼拝している。うち続く大惨事は終わりの時を告げる警鐘であろうか。キリスト教では偶像の崇拝は禁止しており、アイドルとは偽りの神をあがめるという意味が含まれている。モーゼがシナイ山で神の声を聞いている間に、麓では民がアイドルを崇拝し「あらゆる悪しきこと」を行っていた。そして神は、大罪を犯したヘブライ人を、その後40年間も、荒野にさまよわせた。大人からみて、若者たちが熱狂する歌手はスターは一時的に活躍するまがいものの意味であった。アイドルといえば日本では「可愛い女の子」を思い浮かべるが、元祖アイドルとでもいうべき人物はアメリカのフランク・シナトラである。1939年にハリー・ジェイムズ楽団の専属歌手となり、翌年トミー・ドーシー楽団の歌手して人気が高まった。1941年12月に太平洋戦争が開戦すると、多くの若者が兵士として招集され、シナトラは若い女性たちの代替的恋人とも言うべき存在として、ボビーソクサー(女学生のはく白いソックス)のアイドルとしてその人気は凄まじいものであった。劇場での公演では、観客の女性は興奮のあまり気絶や失神する者が出たりする。大人たちは、シナトラ人気は一時的なものとして皮肉を込めて「アイドル」といったのである。

まんぷくのダネイホンとはどのような意味で何語?

  朝ドラ「まんぷく」では栄養失調で困っている人たち助けようと立花萬平が栄養食品「ダネイホン」を開発する。ダネイホンとはどのような意味で何語か?もとは栄養という意味のドイツ語Die Ernahrungからきている。ディ・エアネールング→ディアネーフン→デネイフン→ダネイホンと日本語で言いやすく変化させたものである。

中国史関係文献目録(概説・通史)

20120716_660715   高度な文明を始まりとして、東アジア世界の中心に君臨した中華帝国。6000年という悠久の歴史の中で中国は、数多くの王朝が興亡を繰り返した。現在に至るまでの歴史はどのような展開をしたのであろうか。中国史の時代区分の問題については、わが国では現在二つの見方が行われている。

    一つは内藤湖南(1866-1934)による説で、彼は唐宋の間に中国の社会・文化は一大転換をとげたとみ、それまでを古代、以後を近世とした。貴族階級の消滅、したがって貴族政治の終焉、君主独裁制の確立、庶民文化の向上・発展などがこの時に行われたとみたのである。この内藤説は、主として彼の教えを受けた京都の東洋史学者の間に継承されてきている。もっとも後漢末より唐末までを、内藤は中古という呼び方をしているから、後の学者にはこれを中世とみなしている。しかし彼らも近世の設定については、ほぼ内藤説をそのまま承認しているのである。

    一方、第二次世界大戦後、前田直典(1915-49)が、唐宋間に大きな変化があったことは認めるとしても、唐末までを古代、宋以後を中世とすべきであるという説をたてた。 前田の主張は生産関係に注目し、唐末までは大土地所有者の土地が奴隷によって耕作され、一般農民が徭役など半奴隷的収奪を受けており、宋からはそれが農奴使用による耕作へと変化したとみたのである。

   ところで中国では、1930年代に唯物史観の影響を受け社会史論戦なるものが起こり、多くの学者が色々な発展段階説によって時代区分をたてた。一般に奴隷制を古代、封建制を中世、資本制を近代と一応規定したが、それらを現実に中国史に当てはめる点では種々の主張が現れた。代表的な郭沫若(1892-1979)の説を例にとると、殷以前を原始共産制、西周期を奴隷制、春秋以後アヘン戦争までを封建制、以後を近代としている。現在の中国の大学テキストを調べてみても復旦大学「中国通論」(1986年刊行)などは原始社会、夏朝・商朝・西周・春秋を奴隷社会、戦国・秦漢から清末までを封建社会、以後を近代社会としていることから、おおむね郭沫若の説が定説となっていることがわかる。

    現在では時代区分論争は、日本における二つの主張、中国人の種々の考え方とともに結論を得ることなく実りある成果なく消滅したと言わざるを得ない。(参考:「東洋史概説」佛教大学)

 

  中国史関係文献目録

 

支那開化小史 田口卯吉 嵩山房 1888
支那通史 5冊 那珂通世 大日本図書株式会社 1888~1890
支那史 6巻 市村讃次郎、滝川亀太郎 1888~1892
支那帝国史 上下(万国歴史全書) 北村三郎 東京博文館 1889
支那史要 上下 市村讚次郎 吉川半七 1893~1895
東洋史 中等教育 棚橋一郎編 三省堂書店 1899
東洋史要 小川銀次郎 金港堂 1899
東洋史略 小川銀次郎 金港堂 1901
東洋史 秋月胤継 内田老鶴圃 1901
中学中国歴史教科書 夏曾佑 1902(のちに改題「中国古代史」)
東洋近世史 上下 田中革一郎 丸善 1902
東洋史 斎藤坦蔵、成田衡夫編 高等成師学会 1902
東洋史 箭内直、小川銀次郎、藤岡継手 杉本書翰秀館 1903
清国通考 第1~2篇 服部宇之吉 三省堂 1905
清朝史 早稲田大学講義録 矢野仁一 早稲田大学出版部 1905
中国歴史教科書第1冊 夏曾佑 金港堂 1905
東洋史 地理歴史研究叢書 歴史研究会編 1905
東洋歴史講義 上下 河野元三 金刺芳流堂 1905~1906
参考東洋大歴史 高桑駒吉 宝文館 1906
実業学校東洋歴史 宝文館編輯所編 宝文館 1907
東洋四千年史 伊賀駒吉郎 宝文館 1907
東洋歴史 土屋説教 修学堂 1908
通俗西漢紀事 通俗東漢紀事 通俗21史3 称好軒徽庵著 早稲田大学出版部 1911
清史稿 趙爾巽・柯劭忞等編 1914~1928
清朝全史 全2冊 稲葉岩吉 早稲田大学出版部 1914
清朝全史 稲葉岩吉 冨山房 1915
東洋史学要書目録 那珂通世 大日本図書株式会社 1915
支那古代史 フリードリッヒ・ヒルト著 西山栄久訳 三省堂 1918
史記・漢籍国字解全書本 8冊 桂五十郎、菊池三九郎、松平康国、牧野謙次郎 早稲田大学出版部 1919-1920
支那共和史 平川清風 上海・春申社 1920
支那古代社会史論 郭沫若 藤枝丈夫訳 内外社 1921
史記・国訳漢文大成13・14・15・16  公田連太郎・箭内亘共著 国民文庫刊行会 1922
支那古代史論 東洋文庫論叢5 飯島忠夫 東洋文庫 1925
東洋歴史講義 河野元三 金刺芳流堂 1925
東洋文化の研究 松本文三郎 岩波書店 1926
古代中国 H.マスペロ  1927
制度史 瞿兌之 広業書社 1928
支那古代史 フリードリッヒ・ヒルト 西山栄久訳補 丙午出版社 1929
綜合東洋史 文検参考文化詳説 桜井時太郎 三友社 1929
史漢研究 鄭鶴声 商務印書館 1930
中国古代社会研究 郭沫若 上海連合書房 1930
東洋史概説 松井等 共立社 1930
東洋史概説 白鳥清 大観堂 1930
漢晋西陲木簡彙編 張鳳 有正書局 1931
参考東洋歴史 中山久四郎、佐藤恵編 立川書店 1931
世界古代文化史1 緒論・先史時代概観・アジア文化 西村真次 東京堂 1931
古代文化論 松本信広 共立社 1932
参考東洋歴史 最も理解し易い 山上徳信 受験研究社 1932
東洋史 研究社小参考書 研究社編集部編 研究社 1932
東洋歴史(受験本位の) 三省堂編輯所編 三省堂 1932
古代文化史 J・H・ブレステッド著 間埼万里訳 刀江書院 1933
中国古代史 賈曾佑 1933
史学及東洋史の研究 中山久四郎 賢文館 1934
城子崖 中国考古報告集1 李済・梁思永著 国立中央研究院歴史語言研究所 1934
秦漢経済史稿 中国史学叢書 馬元材 商務印書館 1934 
東洋文明発生時代 第1期前編 東洋史講座2 橋本増吉 雄山閣 1934
新撰総合東洋史 同文書院編修局編 同文書院 1935
朝鮮・満州史 世界歴史大系11 稲葉岩吉・矢野仁一 平凡社 1935
支那史概説 上 岡崎文夫 弘文堂書房 1935
世界歴史大系3 東洋古代史 橋本増吉 平凡社 1935
世界歴史大系11 朝鮮・満州史 稲葉岩吉・矢野仁一 平凡社 1935
中国古代史  大学叢書 夏曾佑 商務印書館 1935
中国文化史 柳詒徴 鍾山書局 1935
東洋史講座7 漢人復興時代 高桑駒吉、有高巌 雄山閣 1935 
満蒙歴史地理辞典 佐藤種治編 富山・佐藤家 1935
西漢社会経済研究  陳嘯江 新生命書局 1936
戦国式銅器の研究 東方文化学院京都研究所研究報告7 梅原末治 1936
周秦漢三代の古紐研究 上・下 高畑彦次郎 京都・東方文化学院京都研究所 1937
近世中国史 風間阜  叢文閣 1937
物語東洋史 全12巻 中山久四郎監修 雄山閣 1937
東洋文化史概説 上野菊爾 清教社 1937
東洋歴史概説 出石誠彦 大観堂 1937
古代の支那 支那正史1 オットー・フランケ著 高山洋吉訳 東学社 1938
古代北方系文物の研究 梅原末治 京都・星野書店 1938
支那正史 全5巻 オットー・フランケ著 高山洋吉訳 東学社 1938~39
支那通史 上中下 岩波文庫 那珂通世著 和田清訳 岩波書店 1938~39
支那の歴史 星一 星同窓会 1938
世界歴史大年表 改訂普及版 鈴木俊・井上幸治・宮城良造編 平凡社 1938
アロー戦争と円明園(支那外交史とイギリス2) 矢野仁一 弘文堂 1939
支那地方自治発達史 和田清編 中華民国法制研究会(中央大学出版部) 1939
東洋史概観 上野菊爾 清教社 1939
漢書及補注綜合引得 燕京大学引得編纂処編 1940
興亡五千年 支那歴史の話 加藤顕治 桑文社 1940
古代の蒙古 支那歴史地理叢書5 内田吟風 冨山房 1940
参考東洋史 鴛淵一 三省堂 1940
支那史物語 景山直治 清教社 1931
隋唐制度淵源略論稿 陳寅恪 商務印書館 1940
漢書紙背文書 古典保存会 1941
漢土の王道思想 亘理章三郎 金港堂 1941
近世満州開拓史 満州事情案内所 新京 1941
近世欧羅巴植民史 1 大川周明 慶応書房 1941
支那古代史論 補訂版 飯島忠夫 恒星社 1941
東洋史観 鳥山喜一 宝文館 1941
秦漢時代政治史 支那地理歴史体系4 宇都宮清吉 白揚社 1943
西南亜細亜の歴史と文化 満鉄調査局新亜細亜編輯部 大和書房 1943
アジア全史 ハーバーツ・H・ガウェン 白揚社 1944
亜細亜遊牧民族史 ルネ・グルセ 後藤十三雄訳 山一書房 1944
古代支那史要 岡崎文夫 弘文堂書房 1944
支那上古史 内藤虎次郎 弘文堂 1944
春秋繁露通検(盧文弨抱経堂校定本)  中法漢学研究所 1944
中国古代史学の発展 貝塚茂樹 弘文堂書房 1946
東亜の古代文化 梅原末治 養徳社 1946
秦漢史 上下 呂思勉 開明書店 1947
新観東洋史潮 有高巌 開成館 1947
漢代土地制度 王恒 正中書局 1947
中国古代文化史研究1 史学選書1 橋本増吉 鎌倉書房 1947
中国史鋼 翦伯賛 生活書店 1947
中国中古の文化 教養文庫 内藤虎次郎 弘文堂書房 1947
唐史叢鈔 石田幹之助 要書房 1947
アジア史概説 続編 宮崎市定 人文書林 1948
世界史における東洋社会 飯塚浩二 福村書店 1948
中国史学入門 下 東方文化協会 高桐書院 1948
明代建州女直史研究 園田一亀 東洋文庫 1948
漢の武帝 岩波新書 吉川幸次郎 岩波書店 1949
居延漢簡考釈 釈文之部1・2 労榦 国立中央研究院歴史語言研究所専刊21 1949
古代の世界 木村正雄 金星堂 1950
中国史概説 岩波全書 上下 和田清 岩波書店 1950
中国史綱 翦伯賛 三聯書店 1950
中国史綱 2 秦漢史 翦伯賛 三聯書店 1950
東洋史 岸辺成雄 世界書院 1950
東洋史 木村茂夫 日本通信教育会 1950
貴族社会 京大東洋史2 外山軍治 内田吟風ほか著 創元社 1951
古代帝国の成立 京大東洋史1 宮崎市定、宇都宮清吉ほか著 創元社 1951
西廂記 塩谷温 昌平堂 1951
中国史学入門 東方学術協会 平安文庫 1951
ユーラシア古代北方文化 江上波夫 山川出版社 1951
支那史概説 上 岡崎文夫 弘文堂 1952
秦漢史 労榦 中華文化出版事業社 1952
中国の古代国家 アテネ文庫 貝塚茂樹 弘文堂 1952
匈奴史研究 内田吟風 創元社 1953
中国史 京大東洋史 上下 外山軍治ほか 創元社 1953
新中国 岩村三千夫 要書房 1953
新中国 目ざめた五億の人人 村上知行 櫻井書店 1953
新中国 木村荘十二 東峰書房 1953
東洋史学論集 東京教育大学東洋史学研究室編 清水書院 1953
古代北方文化の研究 角田文衛 祖国社 1954
中国史 世界各国史9 鈴木俊編 山川出版社 1954
中国土地制度史研究 周藤吉之 東京大学出版会 1954
中国歴史綱要 尚鉞主編 北京・人民出版社 1954
目で見る歴史 日本・東洋・西洋 毎日新聞社 1954
アジア史講座 6巻 田村実造・羽田明監修 岩崎書店 1955-1957
殷墟発掘 胡厚宣 学習生活出版社 1955
漢史初探 安作璋 学習生活出版社 1955
簡明中国通史 呂振羽 人民出版社 1955
教養東洋史 杉本直治郎、浦康一編 柳原書店 1955
史可法 魏宏運 新知識 1955
秦会要訂補 孫楷、除復訂補 上海・群聯出版社 1955
中国古代史概観 ハーバート・燕京・同志社東方文化講座8 宮崎市定 京都・東方文化講座委員会 1955
中国古代漆器図案選 北京歴史博物館編 北京・栄宝斎新記 1955
中国古代社会史論 侯外盧 人民出版社 1955
中国史 国民文庫 ソヴエト大百科事典 山田茂勝訳 国民文庫社 1955
中国史 1・2・3 アジア史講座 田村実造・羽田明監修 岩崎書店 1955
西ウイグル国史の研究 安部健夫 京大人文科学研究所 1955
近世のアジア 絵で見る世界史7 小島真治、小山正明 国民図書刊行会 1956
世界史におけるアジア 現代アジア史4 大月書店 1956
東洋史 NHK教養大学 和田清 宝文館 1956
アジア史研究 第1 宮崎市定 京都・東洋史研究会 1957
居延漢簡 図版之部 台北・国立中央研究院歴史語言研究所専刊40 労榦 1957
後漢書集解 5冊 王先謙 商務院書館 1959
古代殷帝国 貝塚茂樹編 みすず書房 1957
司馬遷与史記 文史哲雑誌編輯委員会編 北京・中華書局 1957
秦漢史 瞿益錯 華北編訳館 1957
中国古代の社会と文化 中国古代史研究会編 東京大学出版会 1957
中国史学史 金毓黻  商務印書館 1957
中国史学論文索引 中国科学院歴史研究所第一、二所 北京大学歴史系合編 科学出版社 1957
中国史の時代区分 鈴木俊・西島定生編 東京大学出版会 1957
中国歴代口語文 太田辰夫 江南書院 1957
東洋史 榎一雄・鎌田重雄 小川書店 1957
東洋史 小竹文夫・鈴木俊編 有信堂 1957
教養の歴史(東洋史) 鈴木俊・千々和実・太田常蔵・小林幸輔編 小峰書店 1958
居延漢簡 釈文之部   労榦 台北・国立中央研究所歴史語言研究所専刊21  1958
商鞅変法 楊寛 上海人民出版社 1958
新・韓非子物語 中国古典物語6  千田久一 河出書房新社 1958
新唐書吐蕃伝箋証 王忠 科学出版社 1958
隋唐五代史 呉楓 人民出版社 1958
西漢経済史料論叢 陳直 陝西人民出版社 1958
中国史談 全6冊 奥野信太郎・佐藤春夫・増田渉 河出書房新社 1958-59
中国通史 第1編上 范文蘭瀾著 貝塚茂樹・陳顕明訳 岩波書店 1958
秦会要訂補 孫楷 中華書局 1957
十六国彊域志 洪亮吉撰 商務印書館 1958
十六国春秋輯補 湯球撰 商務印書館 1958
アジア史研究 第2 宮崎市定 京都・東洋史研究会 1959
アジア歴史事典 平凡社編 平凡社 1959-62
居延漢簡甲編 中国科学院考古研究所編 科学出版社 1959
史記 中華書局標点本 10冊 中華書局 1959
秦末農民戦争史略 劉開揚 商務印書館 1959
隋唐五代史 呂思勉 中華書局 1959
中国史十話 世界の歴史1 植村清二 中村書店 1959
古代文明の発見 世界の歴史1 貝塚茂樹編 中央公論社 1960
秦漢思想史研究 金谷治 日本学術振興会 1960
秦漢史の研究 栗原朋信 吉川弘文館 1960
中国古代の社会と国家 秦漢帝国成立過程の社会史的研究 増淵竜夫 弘文堂 1960
後漢書語彙集成 上中下 藤田至善編 京都大学人文科学研究所 1960-62
漢書補注弁証 施之弁 香港・新亜研究所 1961
古代史講座 13巻 学生社 1961-66
史前期中国社会研究 呂振羽 三聯書店 1961
新中国的考古収穫 中国科学院考古研究所 北京・科学出版社 1961
隋唐五代史 呂史勉 中華書局 1961
先秦史 呂思勉 台北・台湾開明書店 1961
中国古代帝国の形成と構造 二十等爵制の研究 西嶋定生 東京大学出版会 1961
唐とインド 世界の歴史4  塚本義隆編 中央公論社 1961
ゆらぐ中華帝国 世界の歴史11 筑摩書房 1961
漢書 全12冊 校点本 中華書局 1962
中国古代工業史の研究 佐藤武敏 吉川弘文館 1962
古代文明の形成 古代史講座3 学生社 1962
古中国と新中国 カルピス文化叢書4 矢野仁一 カルピス食品工業株式会社 1962
アジア史研究 第3 宮崎市定 京都・東洋史研究会 1963
古代の商業と工業 古代史講座9 学生社 1963
古代の土地制度 古代史講座8 学生社 1963
史記 春秋戦国篇 中国古典選6 田中謙二・一海知義 朝日新聞社 1963
史論史話 1 鎌田重雄 南雲堂エルガ社 1963
The Ancient east(古代の東洋) D・G・Hogarth 丸善 1963
中国史学論文引得 1902年ー1962年 余秉権編 香港・亜東学社 1963
アジア史研究 第4 宮崎市定 京都・東洋史研究会 1964
朱元璋伝 呉晗 三聯書店 1964
中国征服王朝の研究 上中下 田村実造 京都大学東洋史研究会 1964
中国の歴史 上中下 岩波新書 貝塚茂樹 岩波書店 1964
東洋史通論 外山軍治、三田村泰助、大島利一、日比野丈夫 創元社 1964
教養としての中国史 講談社現代新書 植村清二 講談社 1965
古代中国 文庫クセジュ ジャック・ジェルネ 福井文雅訳 白水社 1965
古代における政治と民衆 古代史講座11 学生社 1965
楊貴妃伝 井上靖 中央公論社 1965
中国古代帝国の形成 特にその成立の基礎条件 木村正雄 不昧堂書店 1965
永楽帝 中国人物叢書10  寺田隆信 人物往来社 1966
漢書索引 黄福鑾 香港・中文大学崇基書院遠東学術研究所 1966
漢の高祖 中国人物叢書第二期1 河地重造 人物往来社 1966
教養人の東洋史 上 小倉芳彦、柳田節子、堀敏一、三木亘 社会思想社 1966
教養人の東洋史 下 田中正俊、小島晋治、新島淳良 社会思想社 1966
中国文化の成立 東洋の歴史1 水野清一、樋口隆康、伊藤道治、岡田芳三郎 人物往来社 1966
秦漢帝国 東洋の歴史3 日比野丈夫、米田賢次郎、大庭脩 人物往来社 1966
秦漢隋唐史の研究 上下 浜口重国 東京大学出版会 1966
新中国あんない 日中友好代表団編 法蔵館 1966
殷墟卜辞綜類 島邦男 大安 1967
古代殷王朝のなぞ 角川新書 伊藤道治 角川書店 1967
古代トルコ民族史研究1 護雅夫 山川出版社 1967
古代の復活 貝塚茂樹 講談社 1967
史記1 項羽本紀、伯夷列伝、魏公子列伝 大安 1967
史論史話 2 鎌田重雄 新生社 1967
中国古代の田制と税法 秦漢経済史研究 平中苓次 東洋史研究会 1967
武王伐紂王平話・七国春秋平話語彙索引 古屋二夫編著 采華書林 1967 
奴児哈赤 中国人物叢書 若松寛 人物往来社 1967
アジアのあらし(世界の歴史6) 栗原益男、山口修 集英社 1968
古代文明の発見 世界の歴史1 中公バックス 貝塚茂樹編 中央公論社 1968
史記 上 中国古典文学大系10 野口定男・近藤光男他訳 平凡社 1968
秦漢史  沈璋 自印 1968
秦漢史 李源澄 台北・商務印書館 1968
瞽説史記 村松暎 中央公論社 1968
中国古代の家族と国家 守屋美都雄 東洋史研究会 1968
中国史文鈔 大野実之助編 早稲田大学出版部 1968
モンゴル帝国史 1・2(東洋文庫) C・ドーソン 平凡社 1968-1975
乱世の英雄 桃源選書 栗原益男 桃源社 1968
五四運動 紀伊国屋新書 丸山松幸 紀伊国屋書店 1969
大唐の繁栄 世界歴史シリーズ7 世界文化社 1969
中華帝国の崩壊 世界歴史シリーズ20   世界文化社 1969
中国史研究 第1 佐伯富編 東洋史研究会 1969
中国の近代 世界の歴史20 市古宙三 河出書房新社 1969
中国文化の成熟 世界歴史シリーズ15 世界文化社 1969
中国チベット蒙古古代史考 三木偵、渋沢均 鷺の宮書房 1969
モンゴル帝国 世界歴史シリーズ12 世界文化社 1969
アジア史論 上 白鳥庫吉全集8 岩波書店 1970
漢代代田賦与土地問題 呉慶顕 油印本 1970
漢とローマ 東西文明の交流1 護雅夫編 平凡社 1970
陳書 和刻本正史 長沢規矩也解題 汲古書院 1970
後漢書 中国古典新書 藤田至善 明徳出版社 1970
東洋史研究 歴史地理篇 森鹿三 東洋史研究会 1970
鑑真 東洋美術選書 杉山二郎 三彩社 1971
アジアの歴史 松田壽男 日本放送出版協会 1971
後漢書 1~3 和刻本正史 長沢規矩也解題 古典研究会 1971-72
古代北方系文物の研究(復刻) 梅原末治 新時代社 1971
中国古代文明 世界古代史双書10  ウィリアム・ワトソン著 永田英正訳 創元社 1971
漢書 和刻本正史 評林本 古典保存会 汲古書院 1972
周秦漢政治社会結構之研究 徐復観 香港・新亜研究所 1972
乱世の英雄 史記2 司馬遷 奥平卓・守屋範太共訳 徳間書店 1972
漢代之長安与洛陽 馬先醒 油印本 1972
中国の先史時代 考古学選書6 松崎寿和 雄山閣出版 1972
中国の歴史と民衆 増井経夫 吉川弘文館 1972
史学論集 中国文明選12  川勝義雄 朝日新聞社 1972
隋書 全3冊 魏征、令狐徳棻撰 中華書局 1973
中国近代史論文資料索引 1960~1973.6  復旦大学歴史系資料室 1973
中国古代史教学参考地図 北京大学歴史系編 1973
中国神話の起源 角川文庫 貝塚茂樹 角川書店 1973
中国と中国人 岡田武彦 啓学出版 1973
中国歴史に生きる思想 重沢俊郎 日中出版 1973
漢代的以夷制夷政策 刑義田 油印本 1973
A History of Chinese Literature  Herbert G.Giles C.E.Tuttle Co.
アジア専制帝国 世界の歴史8 現代教養文庫 山本達郎、山口修 社会思想社 1974
元・明 中国の歴史6 愛宕松男・寺田隆信 講談社 1974
古代文明の発見 世界の歴史1 中公文庫 貝塚茂樹編 中央公論社 1974
西蔵仏教研究 長尾雅人 岩波書店 1974
中国文明の形成 薮内清 岩波書店 1974
中国文明と内陸アジア 人類文化史4 三上次男・護雅夫・佐久間重男 講談社 1974 
中国の歴史 全13巻 講談社 1974~1975
乱世の詩人たち 「詩経」から毛沢東まで 松本一男 徳間書店 1974
ユーラシア東西交渉史論攷 鈴木治 国書刊行会 1974
古代の東アジア世界 江上波夫・松本清張編 読売新聞社 1975
司馬遷史記入門 勝者と敗者の人間百科 ダルマブックス 竹内照夫 日本文芸社 1975
新唐書 全10冊 欧陽脩・宋祁撰 中華書局 1975
人物中国志 全6巻 毎日新聞社 1974
中国地方自治発達史 和田清編 汲古書院 1975
中国土地契約文書集 金~清 東洋文庫 明代史研究室編 平凡社 1975
アジア史論考 上中下 宮崎市定 朝日新聞社 1976
漢書 中国詩文選8 福島吉彦 筑摩書房 1976
古代東アジアの国際交流 市民講座・日本古代文化入門5 江波波夫・松本清張編 読売新聞社 1976
史記 南宋・黄善夫本(百衲本二十四史所収影印本上・下) 台湾商務印書館 1976
中国近代史論文資料篇目索引 杭州大学歴史系中国古代史近代史組 1976
中国古代文化 今枝二郎 高文堂出版社 1976
中国古代史論集 楠山修作 海南・著者刊 1976
中国史稿 第1冊 郭沫若 人民出版社 1976
中国の歴史 全15巻 陳舜臣 平凡社 1976
中国の歴史 貝塚茂樹著作集8 中央公論社 1976
中国歴史大事紀年 近古~1949年 徐州師範学院歴史系中国歴史大事紀年編写組 1979
漢史文献類目 増訂版 馬先醒編 簡牘社 1976
中国の古代国家 貝塚茂樹著作集 中央公論社 1976
よみがえる古代 図説中国の歴史1 伊藤道治 講談社 1976
漢書 上中下 小竹武夫訳 筑摩書房 1977-79
漢書 3冊 国宝宋慶元本 平中博士追悼出版委員会編 朋友書店 1977
門閥社会成立史 矢野主税 国書刊行会 1976
古代の中国 世界の歴史4 堀敏一 講談社 1977
古代の東アジアと日本 教育社歴史新書 佐伯有清 教育社 1977
中国近代史歴表 宋孟源編 中華書局 1977
中国古代中世史研究 東洋学叢書 宇都宮清吉 創文社 1977
中国の後宮 大空不二男 竜渓書舎 1977
中国歴史地理研究 日比野丈夫 同朋舎 1977
秦漢帝国の威容 図説中国の歴史2  大庭脩 講談社 1977
中国史と日本 三島一 新評論 1977
中国史 上 岩波全書 宮崎市定 岩波書店 1977
アジア史研究 第5 宮崎市定 同朋舎 1978
古代東アジア史論集 上下 末松保和博士古稀記念会編 吉川弘文館 1978
中国文明の原像 上下 放送ライブラリー 宮川寅雄・関野雄・長広敏雄編 日本放送出版協会 1978
秦漢帝国史研究 好並隆司 未来社 1978
秦漢思想研究文献目録 坂出祥伸編 関西大学出版広報部 1978
中国史 下 岩波全書 宮崎市定 岩波書店 1978
中国南北朝史研究 増補復刻 福島繁次郎 名著出版 1978
アジアの歴史 大沢陽典・大庭脩・小玉新次郎編 法律文化社 1978
アジア史論 斎藤実郎 高文堂出版会 1979
アジア遊牧民族史 上・下 ユーラシア叢書 ルネ・グルセ 後藤富男訳 1979
漢書藝文志・隋書経籍志 楊家駱主編 台北・世界書局 1979
漢の武帝 教育社歴史新書・東洋史 影山剛 教育社 1979
史論史話 鎌田重雄 大学教育社 1979
中国歴代皇帝文献目録 国書刊行会編 国書刊行会 1979
乱世の皇帝 後周の世宗とその時代 栗原益男 桃源社 1979
中国古代再発見 岩波新書 貝塚茂樹 岩波書店 1979
中国古代の再発見 1978-1979年 NHK大学講座 貝塚茂樹 日本放送出版協会 1979
中国史学論文索引 第二編 中国科学院歴史研究所資料室編 中華書局 1979
漢書食貨志訳注 黒羽英男 明治書院 1980
中国古代史籍挙要 張舜徽 湖北人民出版社 1980
中国古代の「家」と国家 皇帝支配下の秩序構造 尾形勇 岩波書店 1979
中国古代の文化 講談社学術文庫 白川静 講談社 1979
中国史稿地図集 上冊 郭沫若 地図出版社 1979
中国史における革命と宗教 鈴木中正 東京大学出版会 1980
中国史における宗教受難史 ホロート著 牧尾良海訳 国書刊行会  1980
中国史における仏教 アーサー・F・ライト著 木村隆一・小林俊孝訳 第三文社 1980
中国歴代年表 斉召南著 山根伸三訳補 国書刊行会 1980
楊貴妃後伝 渡辺龍策 秀英書房 1980
北アジア史 世界各国史12・新版 護雅夫・神田信夫編 山川出版社 1981
五四運動 丸山松幸 紀伊国屋書店 1981
人物中国の歴史 陳舜臣編 集英社 1981
秦漢音楽史料 吉聯抗輯訳 上海文芸出版社 1981
秦漢思想史研究 増補復刊 金谷治 平楽寺書店 1981
西安史話 武伯綸・武復興 陝西人民出版社 1981
戦国時代の群像 人物中国の歴史3 司馬遼太郎 集英社 1981
大統一時代 秦・前漢(中国の歴史3) 陳舜臣 平凡社 1981
中国古代の社会と経済 歴史学選書 西嶋定生 東京大学出版会 1981
中国史 そのしたたかな軌跡 人間の世界歴史10 増井経夫 三省堂 1981
中国歴史の旅 陳舜臣 東方書店 1981
三国志 完訳 全8巻 羅貫中 岩波書店 1982-83
史学論文索引 1979~1981 上 北京師範大学歴史系資料室 中華書局 1982
秦漢法制史の研究 大庭脩 創文社 1982
中国人の自然観と美意識  東洋学叢書 笠原仲二 創文社 1982
アジア歴史研究入門 1~5 別巻 宮崎市定ほか編 同朋舎  1983-1987
秦始皇陵兵馬俑 田辺昭三監修 平凡社 1983
中国古代国家と東アジア世界 西嶋定生 東京大学出版会 1983
中国古代の東西交流 考古学選書21  横田禎昭 雄山閣 1983
中国史における社会と民衆 増淵龍夫先生退官記念論集 汲古書院 1983
アジア史論叢 市古宙三教授古稀記念会 中央大学白東史学会編 刀水書房 1984
古代殷帝国 貝塚茂樹編 みすず書房 1984
三国志 4 秋風五丈原 谷崎旭寿 新人物往来社 1984
支那通史 全3冊 岩波文庫 那珂通世著 和田清訳 岩波書店 1984
秦漢官制史稿 上下 安作璋・熊鉄基 山東・斉魯書社 1984
中国史大事紀年 蔵雲浦・王雲度・朱崇業・何振東・叶青 山東教育出版社 1984
中国の古代国家 中公文庫 貝塚茂樹 中央公論社 1984
中国の歴史書 中国史学史 刀水歴史全書20 増井経夫 刀水書房 1984
中国文明の起源 NHKブックス453 夏鼐著 小南一郎訳 日本放送出版協会 1984
司馬遷と「史記」の成立 大島利一 清水書院 1985
秦漢思想史の研究 町田三郎 創文社 1985
秦漢土地制度与階級関係 朱紹侯 中州古籍出版社 1985
秦始皇帝 A・コットレル 田島淳 河出書房新社 1985
秦都咸陽 秦漢史研究双書 王学理 陝西人民出版社 1985
西漢人物故事 倉陽卿、張企栄 浙江教育出版 1985
中国の歴史と故事 旺文社文庫 藤堂明保 旺文社 1985
中国文明の成立 ビジュアル版世界の歴史5 松丸道雄・永田英正 講談社 1985
東アジアの変貌 ビジュアル版世界の歴史11  小山正明 講談社 1985
楊貴妃・安禄山 現代視点・中国の群像7 旺文社編 旺文社 1985
五・四運動史像の再検討 中央大学出版部  1986
昭和の戦争9 アジアの反乱 丸山静雄 講談社 1986
秦兵馬俑 張文立編写 西安・西北大学出版社 1986
秦陵同車馬 劉雲輝編写 西安・西北大学出版社 1986
西漢人口地理 葛剣雄 北京・人民出版社 1986
中国古代を掘る 城郭都市の発展 中公新書 杉本憲司 中央公論社 1986
中国史における乱の構図 野口鉄郎編 雄山閣 1986
中国の英傑 10 洪秀全 ユートピアをめざして 小島晋治 集英社 1986
アジア史概論 中公文庫 宮崎市定 中央公論社  1987
女たちの中国 古代を彩る史話 李家正文 東方書店 1987
漢書藝文志 顧實講疏 上海古籍 1987
漢書郊祁志 東洋文庫 班固 平凡社 1987
漢の武帝 中国の英傑3 福島吉彦 集英社 1987
中国からみた日本近大史  劉恵吾主編 早稲田大学出版部 1987
中国古代国家の支配構造 西周封建制度と金文 伊藤道治 中央公論社  1987
中国古代の身分制 明治大学人文科学研究所叢書 堀敏一 汲古書院 1987
中国の考古学 隋唐篇 岡崎敬 同朋舎 1987
新アジア学 板垣雄三、荒木重雄編 亜紀書房 1987
秦始皇帝とユダヤ人 鹿島曻 新国民社 1987
漢書古今人表疏證 王利器 斉魯 1988
漢武帝評伝 羅義俊 上海人民出版社 1988
古代中国の性生活 先史から明代まで R・H・ファン・フーリック 松平いを子訳 せりか書房 1988
中国古代史論 平凡社選書 宮崎市定 平凡社 1988
中国古代の法と社会 栗原益男先生古稀記念論集 汲古書院 1988
中国古代文明の謎 光文社文庫 工藤元男 光文社 1988
中国の歴史人物事典 中国の歴史別巻 集英社 1988
漢三国両晋南北朝の田制と税制 藤家禮之助 東海大学出版会 1989
秦漢帝国と稲作を始める倭人 マンガ日本の歴史1 石ノ森章太郎 中央公論社 1989
秦漢法制史論 堀毅 名著普及会 1989
真史ジンギス汗 谷崎旭寿 新人物往来社 1989
中国古代史を散歩する 李家正文 泰流社 1989
中国古代農業技術史研究 東洋史研究叢刊43 米田賢次郎 同朋舎  1989
中国の歴史と故事 徳間文庫 藤堂明保 徳間書店 1989
中国の歴史近・現代 全4巻 陳舜臣著 平凡社 1986-1991
アジア史を考える 田村実造 中央公論社 1990
アジア諸民族の歴史と文化 白鳥芳郎教授古稀記念論叢刊行会 六興出版 1990
漢書地名索引 陳家麟編 中華書局 1990
東洋史概説 岩見宏・清水稔編 佛教大学 1990
マンガ中国の歴史 陳舜臣・手塚治虫監修 中央公論社 1990
司馬遷 集英社文庫 林田慎之助 集英社 1991
中国古代国家論集 楠山修作 朋友書店 1991
中国の歴史と民俗 伊藤清司・大林太良ほか 第一書房 1991
中国文明史 ヴォルフラム・エーバーハルト著 大室幹緒・松平いを子訳 筑摩書房 1991
十八史略の人物列伝 守屋洋 プレジデント社 1992
図説中国近現代史 池田誠・安井三吉・副島昭一・西村成雄 法律文化社 1993
秦漢財政収入の研究 山田勝芳 汲古書院 1993
秦始皇陵研究 王学理 上海人民出版社 1994
中国古代漢族節日風情 中国文化史知識叢書44 朱啓新・朱篠新著 台湾商務印書館 1994
中國史1~5 松丸道雄ほか 山川出版社 1996
天空の玉座 中国古代帝国の朝政と儀礼 渡辺信一郎 柏書房 1996
三国志 英雄たちの100年戦争 瀬戸龍哉編 成美堂 1997
アジアと欧米世界 世界の歴史25 加藤祐三、川北稔 中央公論社  1998
中国史 新版世界各国史3 尾形勇・岸本美緒 山川出版社 1998
漢帝国の成立と劉邦集団 軍功受益階層の研究 李開元 汲古書院 2000
中国史論集 楠山修作 朋友書店 2001
中国史なるほど謎学事典 島崎晋 学習研究社 2001
すぐわかる中国の歴史 宇都木章監修 小田切英著 東京美術 2003
長城の中國史阪倉篤秀 講談社 2004
中国史のなかの諸民族 世界史リブレット 川本芳昭 山川出版社 2004
中国の歴史 全12巻 講談社 2004-2005
中国の歴史 上・下 愛宕元・冨谷至編 昭和堂 2005
清朝とは何か 別冊環16  岡田英弘編 藤原書店 2009
中国古代の財政と国家 渡辺信一郎 汲古書院 2010
中国の歴史 山本英史 河出書房新社 2010
中国王朝4000年史 渡邉義浩 新人物往来社 2012
秦帝国の形成と地域 鶴間和幸 汲古書院 2013
史記秦漢史の研究 藤田勝久 汲古書院 2015
中国の歴史 濱下武志・・平勢隆郎編 有斐閣 2015
中国の歴史 ちくま学芸文庫 岸本美緒 筑摩書房 2015
性からよむ中国史 男女隔離・纏足・同性愛 スーザン・マン著 小浜正子訳 平凡社 2015
中国の文明3 北京大学版 潮出版社 2015
武帝 始皇帝をこえた皇帝 世界史リブレット 冨田健之 吉川弘文館 2016
鏡鑑としての中国の歴史 礪波護 法蔵館 2017
簡牘が描く中国古代の政治と社会 藤田勝久 汲古書院 2017
96人の人物でわかる中国の歴史 ヴィクター・H・メア、サンピン・チェン、フランシス・ウッド著 大間知知子訳 原書房 2017
漢唐文化史 熊鉄基 湖南出版社
漢唐文化史論稿 汪籤 北京大学

 

 

 

 

シャンソンの日

5969788  本日はシャンソンの日。1990年のこの日、銀座のシャンソン喫茶の老舗「銀巴里」が閉店した。

    日本にシャンソンが紹介されたのは、昭和2年11月15日に宝塚少女歌劇団がグランド・レビュー「モン・パリ」を初演したときで、以後「パリゼット」「花詩集」などの主題歌として歌われた。そして無声映画時代「巴里の屋根の下」「巴里祭」など映画主題歌のシャンソンも流行した。またダミアの「暗い日曜日」「人の気も知らないで」が淡谷のり子の歌謡でヒットした。戦後、昭和30年にイベット・ジローが来日して、シャンソン・ブームが起った。そしてエディット・ピアフ、イブ・モンタン、ジャクリーヌ・フランソアの歌がラジオから流れた。銀座にはシャンソン喫茶「銀巴里」が出現、石井好子や越路吹雪らが活躍した。岩谷時子による訳詩もシャンソンの大衆化に貢献した。シャルル・アズナブール、エンリコ・マシアス、サルバトーレ・アダモら若手も登場した。なかでもアダモは「サン・トワ・マミー」「雪が降る」など日本で最も愛されたシャンソン歌手といえる。シャンソン歌手にはフランスだけでなく他国出身者も多い。イブ・モンタン、アダモはイタリア生れ。エンリコ・マシアスはアルジェリア生れのユダヤ人。エディット・ピアフの「愛の讃歌」。およそ愛をテーマにした曲は数々あるが、このシャンソンほど力強く、感動的な歌がほかにあるだろうか。(12月29日)

2018年12月28日 (金)

歌謡映画はたいがい当たる

51rkhosdlal       歌謡曲に着想を得た所謂「歌謡映画」(ミュージカルや挿入歌が多くある映画でなく、ヒットした歌謡曲をタイトルとした映画のことを便宜上よぶ)が作られるのはいつごろからか。「♪あいたさ見たさにこわさを忘れ暗い夜道をただ一人」(籠の鳥)という歌が1922年に流行し、2年後帝国キネマが歌川八重子で映画化している。これが本邦初の「歌謡映画」のルーツであろうか。1934年には東海林太郎「国境の町」を新興キネマが映画化している。戦後は水島道太郎「夜のプラットホーム」(1948)、美空ひばりの「悲しき口笛」(1949)、山根寿子「湯の町悲歌」(1949)などがある。島耕二は「銀座カンカン娘」「上海帰りのリル」「有楽町で逢いましょう」と歌謡映画の名人といえる。

Photo_3     舟木一夫の「高校三年生」(1963)を主題歌に大映が映画化。富島健夫の小説「明日への握手」が原作で、倉石功と姿美千子が主演。舟木は原作にはなく、付け足しだった。深作欣二の「やくざの墓場 くちなしの花」もヒットした。21世紀になると「涙そうそう」(2006)が妻夫木聡と長澤まさみでヒットした。一青窈の「ハナミズキ」(2004)をモチーフにした映画「ハナミズキ」(2010)は興業収入27億を超える大ヒットになった。新垣結衣は「恋空」に続く成功でトップ女優となった。お互いに大好きなのに遠距離恋愛で結ばない物語。前半はウォーレン・ビューティ、ナタリー・ウッドの「草原の輝き」(1961)のような感じだったが、結末は一転してハッピーエンドになった。来年2月には中島美嘉の冬のラブソングの名曲「雪の華」をモチーフとした映画が登坂広臣、中条あやみ主演で映画化される。ベタな歌謡映画は大衆路線で安定した観客動員が見込まれる。

八百屋お七に焼かれた芭蕉庵

    枯枝に烏のとまりたるや秋の暮

    延宝8年、深川に移る。これが芭蕉庵の始まりである。天和2年3月、「武蔵曲」においてはじめて芭蕉の号を用いた。この年12月28日、駒込の大円寺を火元とする大火(お七火事)があって、芭蕉庵も類焼した。芭蕉は辛うじて難を免れ、門人高山麋榯に招かれて甲斐国谷村の高山邸に身をよせ、ここに半年あまり寓居した。翌年5月江戸に帰ったが、其角によれば、この災難によって芭蕉は「猶如火宅の変を悟り、無所住の心を発」したという。6月には郷里の実母の死去の悲報に接し、冬には素堂ら友人門弟の勧進によって新庵が落成し、ここに落着いた。このころから芭蕉の人生観、俳諧観が大きく変わったものと考えられる。

31  朝顔は 酒盛知らぬ盛りかな

32  蕣は 下手のかくさへ哀なり

33 朝茶のむ 僧静なり菊の花

34 朝露に汚れて涼し瓜の泥

35 朝な朝な 手習すすむきりぎりす

36 あさむつや 月見の旅の明けばなれ

37 あさよさを 誰まつ島ぞ片心

38 紫陽花や 帷子時の薄浅黄

39 明日は粽 難波の枯葉夢なれや

40 遊び来ぬ 鱁釣りかねて七里迄

2018年12月27日 (木)

年の暮れ

下駄買うて 箪笥の上や 年の暮れ(永井荷風)

   お正月に初詣に新しい下駄を買ってウキウキしている感じかなと思っていたら、ある解説者はこの下駄は女物で、年始にプレゼントするつもりだろう、とあった。

    年末になると交通事故が多発する。飲酒の機会が多くなるし、人や車の動きが慌しくなるからである。迎春準備でスーパーは混雑している。火事も12月は増える。離婚するカップルも増えるらしい。綺麗サッパリして来年こそはいい年にしたいと思うのだろうか。また寒くなると亡くなる人も多くなる。著名人の訃報も多い。

小野道風忌日

Photo_2    漢字の和様化をなしとげた平安時代の能書家小野道風(894-966)は国民にたいへん親しまれた人物である。それは柳の枝に飛びつこうとして幾たびも跳躍を試みる蛙を見て発奮、精進の結果ついに書道の奥義を極めたという逸話によるものであろう。しかしその生涯には謎が多い。道風は小野妹子の子孫で、小野篁の孫、大宰大弐小野葛絃の子である。その生年は「日本紀略」によって寛平6年に生まれ、康保3年、73歳で没したことは定説になっている。名の「道風」は本来、「みちかぜ」と訓読すべきであるが、「とうふう」と音読しているのは、唐風化の影響である。しかしながら、道風の生まれた寛平6年には菅原道真の建議により、遣唐使の派遣が停止され、道風が生きた時代は国風化が流行したときである。また若いときから書道家として認められたが、生涯官位は低く73歳で没したとき、正四位下内蔵権頭にすぎなかった。小野妹子の末裔にしては不自然であろう。生まれは愛知県の春日井市と伝えられる。小野葛絃(くずお)が任地の時、里人の娘との間に生まれたのが、小野東風だというのである。この説は尾張藩士天野信景による「塩尻」に記述され、それをうけて松平君山が「張州府志」で小野道風生誕地と述べ、以後尾張藩諸学者の通説のようになった。現在、春日井市には「道風記念館」があり、ゆるキャラの「道風くん」まで生まれた。だが、本当に道風が春日井市出身が史実であるかは疑わしい。(12月27日)

2018年12月26日 (水)

バタフライ

1933年アメリカの水泳選手ヘンリー・メイヤーズが平泳ぎのとき両手を水上から前に返して泳いだのがはじめてで、「バタフライ平泳ぎ」とよばれていた。1954年長沢二郎が「ドルフィンキック」という新しい足の動きを発明し、当時の200メートルバタフライの世界新記録を更新した。1956年のメルボルン大会から「バタフライ」という独自の種目となった。

シャルルマーニュ(カール大帝)

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  カール大帝は西暦800年12月26日、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でローマ皇帝として戴冠した。カール大帝の逸話を集める。ピピンの子。フランク王(768~814)・西ローマ帝国皇帝(800~814)。仏名はシャルルマーニュ、英名はチャールズ、独名はカール、西名はカルロス。 

    シャルルマーニュは西ヨーロッパの大部分をひとまとめにして、かつての西ローマ帝国が復活したかのような大帝国・フランク王国をつくりあげたので、彼の偉大さはヨーロッパ人の心の中に、いつまでも残った。そして彼の死後、詩人たちは『シャルルマーニュの歌物語』を書いた。その中でも、大帝の第1回スペイン遠征の際に戦士した勇士ローランを歌った「ローランの歌」はとくに有名だ。歌物語では、シャルルマーニュが200歳を超え、髪もひげも雪のように真っ白な姿で登場し、キリスト教徒を守るためにサラセン人と雄々しく戦っている。もちろん、現実のシャルルマーニュは、そんな高齢まで生きたわけではなく、72歳で死んでいる。しかし中世の君主としては、彼はかなり長生きだった。このように長寿を保つために、彼は独特の健康法を実践していたという。そのひとつがスポーツで、乗馬と狩猟も好きだったが、とくに水泳が大好きで、彼のアーヒェンの宮廷には大温泉プールがつくられていた。彼は宮廷の人びとを引き連れて水泳を楽しみ、ときには100人もの人がプールを埋めたと伝えられる。 

    彼は酔っぱらいが嫌いなので大酒はしなかったが、大食いで、「断食は体をこわす」といって、好物の焼肉をむやみに食べた。医者が慎むようにいうと、ひどく立腹した。5回結婚し、そのほかに第2夫人が4人いた。そのため20人ほども子どもがあった。彼は遠征にも旅行にもこの大家族全員を引き連れていた。息子たちは早死にする者が多く、彼の死後まで生き残ったのは、たったひとりだった。娘たちは、たいてい無事に育ったが、彼は娘の結婚をなかなか許さなかった。婿が強大になることを恐れたのである。そこで彼女たちは、親の許しを得ずに勝手に結婚したりして、宮廷のスキャンダルになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年12月25日 (火)

チャップリン「スマイル」

Photo    本日はクリスマスですが、喜劇王チャールズ・チャップリンの命日でもある。シネフィルWOWOW没後40年企画で「黄金郷時代」「独裁者」「モダンタイムス」「街の灯」一挙上映。チャップリンの映画は音楽もすばらしい。「ラ・ヴィオレテラ」(街の灯)、「テリーのテーマ」(ライムライト)、「スマイル」(モダン・タイムス)などスタンダードな曲。なかでも「スマイル」はもの悲しいメロディーのなかに明日への希望が感じられ、永く多くの人々に愛されてきた。もともとメロディのみのインストゥルメンタルだったが、1954年にナット・キング・コールが歌詞付で歌った。以後、マイケル・ジャクソンはじめ多くの歌手によってカバーされている。またマントヴァーニ・オーケストラなどイージーリスニングとしても定番の曲である。この曲は近年フィギュアスケートの浅田真央や織田信成選手のエキシビション使用曲となり若い人も知るようになった。

  これまでに「スマイル」をカバーした主なミュージシャン。ペトゥラ・クラーク、ニール・セダカ、スキータ・ディヴィス、ペリー・コモ、ジュディ・ガーランド、トニー・ベネットなど。(12月25日)

2018年12月24日 (月)

世界史の文献目録

20thcentury    人類誕生から現在にいたる人間の生活のいとなみや政治・社会の発展過程を知ることによって、歴史的思考力を養うことは重要である。すべての人は自国だけでなく世界全体についての知識が求められている。およそ100年間にわたる世界史の基本図書を整理してみよう。高校世界史の名著といえば吉岡力の「世界史の研究」(旺文社)である。

   日本では明治期に国史(日本史)と万国史(外国史)という区分が生まれたが、ついで後者が西洋史と東洋史に二分された。そして1940年代になると研究者の間で「世界史」の構想がはかられ、戦後になって新制高校の教科目として「世界史」が誕生した。

万国歴史全書 東京博文館 1889~
世界歴史譚 博文館 1909
通俗世界全史 全19巻 早稲田大学出版部 1915
世界興亡史論 レオナルド・フォン・ランケ著 川村堅固訳 平凡社 1930
現代史学大系 共立社 1931
世界古代文化史 全6巻 西村真次ほか 東京堂 1931~33
世界歴史大系 全26巻 鈴木俊ほか 平凡社 1933~36
世界文明史物語 ヘンドリック・ヴァン・ルーン著 前田晁訳 早稲田大学出版部 1933
世界文化史概観 上下 岩波新書 ウェルズ著 長谷部文雄訳 岩波書店 1939
世界史の哲学 高山岩男 岩波書店 1942
世界歴史 全10巻 辻善之助ほか監修 河出書房 1940
東方古代世界史 ルイ・ジョゼフ・ドラポルト著 板倉勝正訳 三邦出版社 1943
世界史講座 全7巻 弘文堂書房 1944
世界の歴史 全6巻 毎日新聞社 1947-1954
世界史のおける東洋社会 飯塚浩二 毎日新聞社 1948
世界文化史 1・2 北川三郎著 大鐙閣 1949
古代史物語 父から娘への手紙 ジャワハルラル・ネール著 戸叶里子訳 日本評論社 1950
世界史の研究 吉岡力 旺文社 1950
世界史めぐり 中村孝也 妙義出版社 1950
詳解世界史 木村正雄 昇龍堂 1951
世界史 村川堅太郎・江波波夫共著 山川出版社 1951
人物世界史 東洋(毎日ライブラリー) 仁井田陞編 毎日新聞社 1951
世界史 秀村欣二 学生社 1952
世界歴史地図 亀井高孝ほか編 吉川弘文館 1952
世界史 秀村欣二 学生社 1952
世界史研究 新学生研究叢書 酒井忠夫 績文社 1953
世界思想史 学燈文庫 仁井田大三郎 学燈社 1953
世界歴史講座 全6巻 民主主義科学者協会歴史部会編 三一書房 1953-1954
世界文化交流史 伊瀬仙太郎 金星堂 1953
最新世界史 太田広 法文社 1954
最新世界史研究 山崎宏 金子書房 1954
世界史の研究 中崎米次 堀書店 1954
世界史の総合研究 有高巌 池田書店 1954
世界史の総合研究 中屋健一 学燈社 1954
世界文化史物語 図説文庫 富永次郎 偕成社 1954
世界文化地理大系 平凡社 1954-58
世界史講座 東洋経済新報社 1955
世界史図説大系 松田寿男編 福村書店 1955
世界史におけるアジア 歴史学研究会 1955
世界歴史事典 全25巻 平凡社 1955
少年少女世界史物語 全6巻 朝日新聞社 1955
世界文化史年表 加茂儀一編 三省堂 1956
世界史概説 江口朴郎 秀英出版 1956
世界史における現代のアジア 上原専禄 未来社 1956
世界史の傾向と対策 吉岡力 旺文社 1956
精解世界史 木村正雄 昇龍堂 1957
岩波小辞典世界史(東洋) 山本達郎編 岩波書店 1958
世界史大系 全17巻 誠文堂新光社 1958-1960
世界文学大系 全96巻+別巻2 筑摩書房 1958-1968
図説世界文化史大系 全27巻 角川書店 1958-1961
世界文明史物語 上下 ヴァン・ルーン著 角川文庫 1958
世界史 ソビエト科学アカデミー版1・2 商工出版社 1959
世界史の基礎研究 岸辺成雄・藤田重行著 山田書院 1959
要約世界史 根本誠、五十嵐久仁平著 旺文社 1959
歴史 全17巻 中央公論社 1960
世界考古学大系 全16巻 大修館書店 1960
世界史 大学教養演習講座 吉岡力編 青林書院 1960
世界の歴史 全17巻 筑摩書房 1960
世界の歴史 目で見る学習百科9 尾鍋輝彦 偕成社 1960
アジアの嵐 少年少女世界史談3 浅野晃 偕成社 1961
(大学受験)世界史綜合整理 徳久鉄郎 東文社 1941
世界の歴史 全8巻 ホームスクール版 中央公論社 1962
世界文化交流史 伊瀬仙太郎 金星堂 1963
世界文化史物語 少年少女・世界の名著11 ウェルズ著 金沢誠訳 偕成社 1964
世界史の基礎 バイタルズシリーズ 鈴木健一 研数書院 1965
世界歴史 全7巻 人文書院 1965
教養としての世界史 講談社現代新書 西村貞一 講談社 1966
ライフ人間世界史 全21巻 タイムライフブックス 1966
人物世界史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 旺文社新書 堀米庸三編 旺文社 1967
世界史の研究 吉岡力 旺文社 1967
大世界史 全26巻 文芸春秋 1967-1968
世界の文化史蹟 全16巻 講談社 1967
世界歴史シリーズ 全23巻 世界文化社 1968
目で見る大世界史 全18巻 国際情報社 1968
世界の歴史 カラー版 全26巻 河出書房 1968
世界の歴史 全12巻 集英社 1968
世界の歴史 全17巻 中公バックス 1968
世界の歴史 年表要説 現代教養文庫 三浦一郎・金沢誠編 社会思想社 1968
アシェット版・世界の生活史 全23巻 河出書房 1976
日本と世界の歴史 全22巻 学習研究社 1969~71
デュラント世界の歴史 全32巻 日本メールオーダー 1969
岩波講座世界歴史 全31巻 岩波書店編 岩波書店 1969-1974
世界歴史シリーズ 世界文化社 1969
世界史事典 山崎宏・兼岩正夫編 評論社 1970
沈黙の世界史 全13巻 新潮社 1970
世界古代史双書 全10巻 創元社 1971
新しい世界史の見方 謝世輝 講談社 1972
世界史年表 日比野丈夫編 河出書房新社 1973
岩波講座世界歴史 31 総目次・総索引 岩波書店 1974
世界の歴史 現代教養文庫 全12巻 社会思想社 1974
ランドマーク世界史 全15巻 講談社 1975
世界の歴史 全25巻 講談社 1976
世界歴史 図詳ガッケン・エリア教科事典3 学習研究社編 学習研究社 1976
世界の民族 大林太良監修 平凡社 1979
世界歴史地図 朝日タイムズ G・バラクラフ総監修 朝日新聞社 1979
人物世界の歴史 全4巻 学研の図鑑 木村尚三郎監修 学習研究社 1984
ビジュアル版・世界の歴史 全20巻 講談社 1984
民族の世界史 全15巻 山川出版社 1984~1987
世界の戦争 全10巻 講談社 1985
世界歴史大事典 全22巻 江上波夫・梅棹忠夫監修 教育出版センター 1986
世界文化小史 角川文庫 ウェルズ著 下田直春訳 角川書店 1991
世界史年表 歴史学研究会編 岩波書店 2001
戦争の世界史 技術と軍隊と社会 ウィリアム・ハーディー・マクニール著 刀水書房 2002
人類と家畜の世界史 ブライアン・フェイガン著 河出書房新社 2016
図説世界史を変えた50の指導者(リーダー) チャールズ・フィリップス著 原書房 2016
性病の世界史 ビルギット・アタム著 瀬野文教訳 草思社 2016
マクニール世界史講義 ウィリアム・ハーディー・マクニール著 筑摩書房 2016

漱石、冬の句

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   「漱石をして小説家たらしめるに至った原動力は子規であった」と小宮豊隆は言っている。夏目漱石は、生涯2431句もの俳句を詠んだ「俳人漱石」でもあるが、写生を唱えた子規が、漱石の口語体小説の完成に大きな影響をもたらしたことはいまさら言うまでもあるまい。ここでは冬の句を並べてみる。

武蔵野を横に降るなり冬の雨

黙然と火鉢の灰をならしけり

埋火や南京茶碗塩煎餅

病あり二日を籠る置炬燵

水仙の花鼻かぜの枕元

くさめして風引きつらん網代守

口切にこはけしからぬ放屁哉

雪の日や火燵をすべる土佐日記

凩や海に夕日を吹き落とす

漸くに又起きあがる吹雪かな

汽車を逐て煙這行枯野哉

わが影の吹かれて長き枯野かな

愚陀仏は主人の名なり冬籠

淋しいな妻ありてこそ冬籠

うき除夜に壁に向へば影法師

映画最新情報

   「おとなの恋は、まわり道」最悪の結婚式で出会った"こじらせ男女"の恋。キアヌ・リーヴス、ウィノーナ・ライダー。▽「マチルダ 禁断の恋」ロシア帝国最後の皇帝とバレリーナの許されざる恋物語。ラース・アイディンガー、ミハリナ・オルシャンスカ。▽「ときめき♡プリンセス婚活記」王女の結婚相手を相性占いで決める婚活騒動が勃発。イ・スンギ、シム・ウンギョン。▽「暁に祈れ」刑務所でムエタイに希望を見いだした男。ジョー・コール。▽「パッドマン」生理用品の普及に人生を捧げた男の実話。アクシャイ・クマール、ソーナム・カブール。▽「くるみ割り人形と秘密の王国」少女クララの不思議な冒険の旅。マッケンジー・フォイ、キーラ・ナイトリー。▽「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」エディ・レッドメーン。▽「喜望峰の風に乗せて」コリン・ファース。▽「オール・イズ・トゥルー」ケネス・プラナー。▽「グリード炎の宿敵」シルベスター・スタローン。▽「シュガー・ラッシュ・オンライン」ディズニー・アニメーション。▽「サスペリア」ダコタ・ジョンソン。▽「来る」岡田准一、妻夫木聡、黒木華、小松奈菜。▽「そらのレストラン」大泉洋、本上まなみ。▽「こんな夜更けにバナナかな」大泉洋、高畑充希。▽「春待つ僕ら」土屋太鳳。▽「かぞくいろ」有村架純。「ニセコイ」中島健人、中条あやみ。▽「十二人の死にたい子どもたち」杉咲花。▽「DAY AND NIGHT」阿部進之介、清原果耶。▽「斬」池松壮亮・蒼井優。あの綱淵謙錠の時代小説とは無関係。▽「ハード・コア」山田孝之・佐藤健。▽「この道」大森南朋・AKIRA

近代日本の西洋思想の受容

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       高山樗牛                   姉崎正治

    高山樗牛(1871-1902)は、はじめは井上哲次郎らと盛んに日本主義を唱えてキリスト教、仏教を攻撃した。だが明治34年頃からニーチェの哲学思想を讃美し、「美的生活を論ず」などの評論を発表、これをめぐって坪内逍遥、島村抱月らと論争を展開した。明治35年12月24日、危篤状態に陥ったとき、叔父に「自分は人生の光をみつけたが、これを世に伝えることは嘲風に頼みたい」と言い残した。32歳だった。遺言のなかの嘲風とは、友人で宗教学者の姉崎嘲風(姉崎正治)のことである。ともに「帝国文学」の発刊に携わり、宗教的色彩の強い文芸評論で知られた人物である。高山樗牛と姉崎嘲風との友情は厚く、二人の往復書簡は当代の青年層に大きな影響を与えた。明治の頃のニーチェの研究はまだ原典にもとづかない西洋流の解釈をそのまま紹介しただけのものだった。明治44年に生田長江によって初めて「ツァラツストラ」が刊行された。生田は初め夏目漱石に翻訳の助言を求めた。しかし漱石は断った。なぜ漱石は生田を嫌ったのか。それは底の浅い学問で有名になった樗牛を生田が崇拝したからだといわれている。大正期になると本格的なニーチェ研究がおこり、和辻哲郎や阿部次郎のようなすぐれた研究が盛んになる。

「きよしこの夜」と「ホワイト・クリスマス」

Bingcros   クリスマスの定番曲といえば、古くから伝わる讃美歌とワムや山下達郎のような20 世紀に入ってからのポビュラーソングのクリスマス曲がある。古くからのクリスマス曲の代表といえば「きよしこの夜」。1818年オーストリアのザルツブルク近郊の小さな村オーペンドルフの司祭ヨゼフ・モールが作詞し、教会のオルガン奏者フランツ・クサーヴァー・グルーバーによって作曲された。今年はこの有名なクリスマスキャロルが初演されてちょうど200年となる。1859年ジョン・フリーマン・ヤングによって英語に訳され、世界中に広まった。日本人で最初にクリスマス・ソングをレコード化した歌手は誰か?正確にはわからない。戦前にすでに録音された曲もあると思われるが不明でただいま調査中。戦後になると美空ひばりが昭和28年に「クリスマス・ワルツ」(米山正夫作曲)を発売している。間奏に「きよしこの夜」が入っている。

   ポピュラーソングの代表曲といえば「ホワイト・クリスマス」。この曲は、元々は映画「スイング・ホテル」(1942年)の劇中歌。作曲者アーヴィング・バーリンが初めてのリハーサルでこの曲を弾いたとき、ビング・クロスビーはこの曲の可能性を十分に認識しなかった。クロスビーは「この曲は何も問題ないね、アーヴィング」と言っただけだった、と伝えられる。クロスビーにとっては普段の調子ですぐに歌える簡単なメロディーだったのだろう。いまでは多くの歌手にカバーされており、史上もっともヒットした歌曲の一つとされている。「ホワイトクリスマス」は従来の宗教のわくを離れて、アメリカの新しいクリスマスを祝うスタイルを理想化した作品といわれている。(Bing Crosby)

2018年12月23日 (日)

東条英機の命日

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    狐が檻の中のライオンを見て、そばにいって、ひどくばかにした。そこで、ライオンは狐に向かって言った。「私をばかにするのは、お前でなくて、私にふりかかった悲運だ」

    この寓話は石田三成や東条英機を思いおこさせる。三成は関ヶ原の戦場を脱出して近江の古橋村におちのびたところを捕えられ、京都六条河原で処刑された。

    本日12月23日は天皇陛下85歳の誕生日だが、東条英機の命日でもあることを知る日本人は少ない。昭和20年12月8日、占領軍は戦犯を指名した。近衛文麿は、軍事裁判の前に自決したが、東条は自決に失敗した。「生きて虜囚の辱をうくることなかれ」と布達した当の本人が、死にそびれたのだから惨めなことこのうえない。占領軍は皇太子(今上天皇)の誕生日(12月23日)をあえて選んで、東条英機を同日に絞首刑にした。

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2018年12月22日 (土)

三国志及び諸葛孔明関係文献目録

1173299906  「三国志」の物語は中国、台湾、韓国、そして日本でもなじみが深い。芳根京子主演のドラマ「海月姫」に登場する天水館の住人まやや(内田理央)は三国志オタク。三国志にまつわる故事成語はたくさんある。三顧の礼、水魚の交わり、苦肉の策、白眉、脾肉の嘆、老いてますます盛ん、泣いて馬謖を斬る、破竹の勢い、死せる孔明生ける仲達を走らす、臥竜・鳳雛、などはよく知られている。だが「若きは水滸を読まず、老いは三国を読まず」ということわざは中国人ならだれでも知っているが、日本人にはほとんど知られていないだろう。これは、青年期は血の気が激しいから、水滸伝を読んだら、謀反に走り、年輩の者は世渡りの経験に富んでいるから、三国志を読んだら、非常に狡猾で奸智にたけた者になる、という意味だそうだ。しかし、今のアジア各地ではそのようなことを真に受ける者はいない。日本でも小説、劇画、ゲームと何度も三国志ブームが繰り替えされている。映画「レッドクリフ」で新しい三国志ファンが生れた。

明鏡は形を照す所以古事は今を知る所以   曇りのない鏡は形を照らすから姿を見るのによく、歴史上の事実は現在のことを判断するためのよい参考になるということ。

白眼視 司馬政権に批判的だった阮籍は、司馬氏が唱える孝を強調した礼法に反発して、むやみに礼を尊ぶ礼法主義者に会うと白目をむいて素っ気なく応対した。この阮籍の態度から人を冷たい目で見ること、冷淡に扱うことを白眼視するというようになった。

月旦評 許劭は月の初めに自宅に多くの人を集めて人物批評会を開いていた。曹操が許劭に「太平の世なら有能な官僚だが、乱世だったせ姦雄となる」と言われたのは有名な話。後世、人物批評、品定めを月旦評というようになった。

    なお、「三国志」から生まれた故事俚諺としては、この他にも「白波」、「髀肉の嘆」、「鶏肋」、「危急存亡の秋」、「読書百遍義自ら見わる」、「呉下の阿蒙」「士、別れて三日、刮目してあい待す」などがある。

三国志及び諸葛孔明関係文献
支那史研究 諸葛亮伝 市村瓚次郎 春秋社 1939
三国志 吉川英治 大日本雄弁会講談社 1942
三国演義 倉石武四郎 光風館 1944
孔明の出盧についての異説 狩野直禎 学芸5-1  1948
三国志 世界名作文庫 柴田錬三郎 偕成社 1954
三国の英雄 少年図書館選書 伊藤貴磨 生活百科刊行会 1954
三国志 4 岩波文庫 小川環樹訳 岩波書店 1956
三国志 5 岩波文庫 小川環樹訳 岩波書店 1957
三国志 6 岩波文庫 小川環樹訳  岩波書店 1960
諸葛亮 馬植杰 上海人民出版社 1957
三国志演義 上 中国古典文学全集8 立間祥介訳 平凡社 1958
三国志演義 下 中国古典文学全集9 立間祥介訳 平凡社 1959
三国志 完訳四大奇書 上下 立間祥介訳 平凡社 1960
三国志 第7冊 岩波文庫 小川環樹・金田純一郎訳 岩波書店 1961
三国志実録 吉川幸次郎 筑摩書房 1962
諸葛孔明 中国人物叢書 狩野直禎 人物往来社 1966
西晋時代の諸葛孔明観 狩野直禎 東林59-1 1966
三国志 英雄ここにあり 柴田錬三郎 講談社 1968
三国志 村上知行訳 河出書房 1968
三国志 中国古典新書 宮川尚志訳 明徳出版社 1970
三国志の世界 人と歴史シリーズ 狩野直禎 清水書院 1971
三国志 和刻本正史 長沢規矩也解題 古典研究会 1972
英雄ここにあり 上中下 講談社文庫 柴田錬三郎 講談社 1975
三国志 世界の名作文学8 山本和夫訳 岩崎書店 1975
三国志ⅠⅡⅢ 今鷹真、小南一郎、井波律子共訳 筑摩書房 1977-1989
諸葛孔明 宮川尚志 桃源社 1978
三国志 全5巻 「中国の思想」刊行委員会編訳 徳間書店 1979
三国志 上中下 岩波少年文庫 小川環樹、武部利男訳 岩波書店 1980
三国志 別巻 競いあう個性 大石智良・竹内良雄訳 徳間書店 1980
三国志語彙集 藤井守編 広島大学中国中世大学研究会 1980
乱世の奸雄 別冊コミックトム三国志3 横山光輝 潮出版社 1980
後漢・三国時代 中国の歴史5 陳舜臣 平凡社 1981
三国志の人物学 守屋洋 PHP研究所 1981
三国志の世界(人物中国の歴史6) 駒田信二編 集英社 1981
諸葛亮新伝 華映閣 上海人民出版社 1982
三国志銘々伝 渡辺精一 光村図書出版 1984
城野宏の戦略三国志  城野宏著 西順一郎編 ソーテック社 1984
三国志・座右の銘 松本一男 三笠書房 1986
三国志曹操伝 中村愿   新人物往来社 1986
諸葛亮治蜀 祖国的四川双書 譚良囀嘨 四川人民出版社 1986
名言で読む三国志 村山孚 新人物往来社  1986
三国志の統率学 松本一男 三笠書房 1986
ザ・三国志 村上知行訳 第三書館 1987
「三国志」史話 林亮 立風書房 1987
三国志世界を行く 雑喉潤 徳間書店 1987
三国志展 図録 中国画報特集号 日本三国志展実行委員会 1987
三国志と人間学 安岡正篤 福村出版 1987
三国志の世界 加地伸行編 新人物往来社 1987
現代に生かす諸葛孔明の知略と戦略 三神良三 大陸書房 1989
乱世の英雄たち 三国志1 竹崎有斐 あかね書房 1989
三国志人物事典 渡辺精一 講談社 1989
三国志 この人間的魅力を見よ! 知的生きかた文庫 松本一男著 三笠書房 1990
三国志 全5巻 羅漢中著 大櫛克之作 素人社 1990
三国志 庄葳著 岡田陽一訳 三一書房 1990
三国志Ⅱ ハンドブック シブサワコウ 光栄 1990
三国志縦横談 丘振声著 村山孚編訳 新人物往来社 1990
諸葛孔明 立間祥介 岩波書店 1990
三国・虎視たんたん 三国志絵巻9 王矛・王敏  岩崎書店 1991
三国時代の戦乱 狩野直禎 新人物往来社 1991
三国志の英雄たち 別冊歴史読本中国史シリーズ1 新人物往来社 1991
三国志人物絵巻 劉生展・画 殷占堂編 MPC 1991
三国時代の戦乱 狩野直禎 新人物往来社 1991
反三国志 周大荒 講談社 1991
三国志英傑タイムス 歴史おもしろタイムス1 シブサワ・コウ編 光栄 1992
三国志孔明タイムス 歴史おもしろタイムス2 シブサワ・コウ編 光栄 1992
三国志演義 井波律子 岩波書店 1994
三国志新聞 日本文芸社 1996
三国志武将画伝 立間祥介監修 小学館 1996
真三国志1 歴史群像中国戦史シリーズ 学研 1998
大三国志 改訂新版 世界文化社 2005
三国志 カラー版徹底図解 榎本秋 新星出版社 2009

冬至と柚子湯

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山国の 虚空日わたる 冬至かな(蛇笏)

    「冬至冬中冬はじめ」。暦のうえでは冬の真ん中にあたるが、実際の気候では、これから厳しい本当の冬が始まる。

   「冬至に柚子湯に入ると1年中風邪をひかない」という。「冬至」と「湯治(とうじ)」とかけられており、また柚子だけに「融通(ゆうずう)が利くように」という願いが込められている。

著名人の意外な前職

Chuckconnorsdodgers   「独眼竜政宗」で知られる脚本家ジェームズ三木は若い頃、レコード歌手だった。陶芸家の北大路魯山人は帝国生命保険のサラリーマン。「有楽町で逢いましょう」フランク永井はトレーラー運転手、三橋美智也は温泉のボイラーマン。タレント友近は松山で旅館の仲居をしていた。おのののかは野球場のビール販売員。「純烈」の白川裕二郎は大相撲の力士。有名人の前歴を調べる。

   ハリウッド・スターの前歴は多彩である。男優はフットボール、プロレス、ボクシングなどスポーツ関係が多い。ジョン・ウェイン、リチャード・ウィードマークはフットボールの選手だった。「ライフルマン」のチャック・コナーズは大リーガー。身長は2m2㎝もある。カーク・ダグラスは本名をハサー・デニロビッチ・デムスキーといい、貧しいロシア移民の子で、売れない時代プロレスラーだった。ウディ・ストロードもプロレスラー。ラフ・ヴァローネはトリノ大学時代、国際的なサッカーの選手として鳴らしていた。ロバート・ライアン、ジャック・バランス、リノ・ヴァンチュラはプロ・ボクサー、マイケル・ランドンは槍投げ。ユル・ブリンナーは空中ぶらんこ。ピーター・オトゥール、アラン・ラッド、コーネル・ワイルドは新聞記者。リチャード・ベースハート、ロナルド・レーガンはラジオのアナウンサー。マルチェロ・マストロヤンニは家具職人。ハリソン・フォードは端役で映画に出るが大成せず、一時は大工をしていた。

600fullgregorypeck   ロック・ハドソンは郵便配達夫。ショーン・コネリーは棺桶みがき。ロバート・レッドフォードは画家志望。グレゴリー・ペック(画像)は学生時代ボート部に在籍していたが1938年のレガッタに出場して背中を痛めたため兵役を免除された。出征で男優がいなくなっていた映画会社からハンサムなペックが注目されてスターの道を歩む。最近では「ハムナプトラ2」「スコーピオン・キング」のザ・ロックのように映画俳優の合間にプロレスを続けてやっているスターもでている。

   「エド・サリバンショー」テレビのバラエティショーの司会者エド・サリバンはスポーツ新聞の記者だった。

小野篁

Photo  852年のこの日、小野篁の忌日。享年50歳。小野篁は病気を理由に遣唐使乗船を拒否したため隠岐に流された。彼の死から42年後、894年9月29日、菅原道真の建議によって遣唐使の廃止が決定した。遣唐使を派遣するには、唐の朝廷に対する朝貢品、使節・乗組員全員への支給物など膨大な費用を必要とする。しかし50年ほど前から疫病・凶作・飢饉が続いており、過重な財政に耐えられる状況ではなかった。また中瓘(ちゅうかん)より疲弊した唐の状況が伝えられた。遣唐使は停止されたが、民間の貿易、通交は以後も続いた。

    小野篁は不羈な性格で「野狂」ともいわれ奇行が多い。また、なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。かかる伝説は、大江匡房の口述を筆録した「江談抄」や「今昔物語」「元亨釈書」等にもみえることより平安末期頃には、篁が閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説がすでに語りつたえられていたことがうかがわれる。(12月22日)

2018年12月21日 (金)

「ノ」事項索引インデックス

Noirmoutiere1[    ]

 

「ノイン・ウラ」モンゴルのウランバートル北方にある匈奴の古墳群。▽「ノエシス ノイマ」現象学において「思考の働き」をさす「ノエシス」と、「思考されたもの」をさす「ノエマ」との、相関する二概念を用いて説明される。▽「ノアイユ夫人」恋愛をうたった20世紀仏の女流詩人。▽「ノイジードラー湖」オーストラリアとハンガリーとの国境にある湖。▽「ノアールムーチェ」フランス西部の島(画像)。▽「ノク文化」西アフリカのナイジェリア中央部、ジョス高原を中心に紀元前10世紀から紀元後6世紀頃にかけて栄えた鉄器文化。▽「野沢凡兆」芭蕉の弟子で、去来とともに「猿蓑」を編集。▽「莅戸太華(のざきたいか)」江戸後期の米沢藩士。中級家臣から抜擢され上杉治憲の改革政策を推進。▽「野帳(やちょう)」検地のとき野外で記入した帳簿。▽「のっこみ」とは魚が産卵期にはいったときのこと。▽「ウンベルト・ノビレ」1926年に自作の飛行機で北極飛行に成功した。▽「ノリクム王国」オーストリア地方に前2世紀に諸部族を統合した国家。▽「ノンノス」5世紀ごろのギリシアの叙事詩人。▽「ノイン・ウラ」1924年コズロフが発見した匈奴の墳墓。▽「能見宿禰」相撲の伝説で知られるが、出雲国の勇士で土師氏の祖とされる。▽「野村吉三郎」太平洋戦争開戦前の外相・駐米大使として日米交渉にあたる。▽「ノーデ」フランスの司書。近代図書館の基礎を築いた一人とされる。(ののの)

 

ノアイユ夫人
ノアの洪水
ノアールムーチェ(島)
ノイエ・ザッハリヒカイト(新則物主義)
ノイジードラー(湖)
ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)
ノイン・ウラ
ノヴォトニー
ノヴゴロド国
農政全書(徐光啓編)
凌霄花(のうぜんがずら)
ノエシス ノエマ
ノク文化
野沢凡兆
ノーサンガー寺院(ジェーン・オースティンの小説)
ノースウェストテリトリーズ(カナダ)
及位(山形県真室川町)
莅戸太華
野帳
のっこみ
ノーデ、ガブリエル
ノードカップ(岬) ノルウェー
ノートル・ダム
野々村仁清
ノバスコシア(州) カナダ
ノバヤゼムリャ(ロシア)
野火止用水(埼玉県)
ノビレ
ノーベル
能見宿禰
ノマドワーキング
野村吉三郎
ノモス(都市国家)
ノモンハン事件
ノリクム王国
ノーリッジ(イギリス)
ノルウェー
ノルチェビング(スウェーデン)
ノルマン王朝
ノルマンディー上陸
ノルマントン号事件(1886年)
ノロウイルス
のろま人形
ノンキナトウサン
ノンノス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば

Img_0005_2     無人島に本を一冊だけ持ってゆけるとすればどの本をあなたは選びますか?という質問にあなたは、とう答えるだろうか。わたしならダンテの「神曲」とか中原中也の詩集だとか、「万葉集」とか「古今集」とか「唐詩選」と、いろいろな書名が考えられ、迷ってしまう。イギリスの推理小説家チェスタトンの「造船術の本」というユーモラスな回答もよく知られている。だがやはり欧米人には聖書と答える人が圧倒的に多い。このことを最初に明言した人はだれだろう。ドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。(Raphael Koeber)

土佐日記の門出

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平4年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。   

   紀貫之(868-945)は、4年前(930年)に土佐守となって赴任し、任果ての934年12月21日、帰京日記が有名な「土佐日記」である。国府(高知)→奈半(奈半利)→室津(室津)→泊→土佐の海(鳴門)という海岸線のコース。

2018年12月20日 (木)

史上最大の海難事故ドニャ・パス号の沈没

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   史上最大の海難事故は、あのタイタニック号ではなくてドニャ・パス号である。1987年12月20日、フィリピンタブラス海峡で客船ドニャ・パス号が沈没した。死者は公称では1575名(定員1518名)だが、実際は4375名の死者を出していた。これは史上最大の海難事故である。ちなみにタイタニック号の犠牲者は1513名といわれる。

    ドニャ・パス号はもともと1963年、尾道造船で建造された琉球海運の「ひめゆり丸」(定員608名)で、元の面影がなくなるほどの改造で1493人の定員に増加されていた。ところが当日はクリスマスを5日後にひかえた帰省客で切符のない人が多数乗っていた。乳幼児や兵士たちもおり、4000人以上が乗っていたと推測される。乗客の証言によると、満杯の乗客で船は初めから傾いていたという。しかし、悪天候の中、定員オーバーで、レイテ島のタクロバンからマニラへ向けて出航した。フィリピン国内航路では、乗客名簿が徹底されていないことが、後で大きな問題となった。

    事故は夜中の10時に起こった。ミンドロ島附近のタブラス海峡で小型タンカー「ビクトル号」と衝突した。ビクトル号には8000バレル以上の石油や灯油を積んでおり、大爆発を起こし、火災となった。パニックになった乗客は海に飛び込んだが、多くの人は燃える海で焼け焦げて死んだ。生存者はわずかに乗客24人、乗組員2人だった。ミンドロ島にはたくさんの焼死体が流れ着いた。

    衝突の原因は過載積による機動性に欠けるドニャ・パス号の操縦ミスと考えられるが、海事調査委員会の結論は、スルピシオ社に責任はなく、ビクトル号側にあるものとした。ビクトル号には適切なライセンスをもった航海士や見張りもなかった。またなぜ2隻の船は無線で交信しなかつたのか、事故当時、生存者の証言からドニャ・パス号の船上では乗組員らがパーティーをしていたという話もあるが、結局は事実の解明はなされなかった。こうして史上最大の海難事故ドニャ・パス号沈没事故は謎のまま20年以上が過ぎて人々の記憶から忘れさられようとしている。

     1980年代はソ連軍による大韓航空機サハリン沖撃墜事故・死者269人(1983.9)、日航ジャンボ機墜落事故・死者520人(1985.8)、大韓航空機爆破事件・死者115人(1987.11)など飛行機事故・事件も相次いだ。だが史上最悪の惨事であるドニャ・パス号沈没事故が吉川弘文館「世界史年表」など多くの記録にないことは一つの謎である。日本の中古貨物船の払い下げが悲惨な事故の背景であることの事実を隠蔽しようとする日本人の体質なのだろうか。Dona Paz

人類の過去と未来

    十年一昔、金融ビッグバンとか規制緩和という言葉が新聞紙面を賑わした。3.11、原発事故後の今は復興、増税、放射線、震災ナショナリズムなど社会は一変したから恐れ入る。今世紀は宇宙開発、原子力利用など前世紀の所産の理想と現実に直面する時代なのだろう。「歴史は、人間の知恵と人間の意欲の生みだしたものである」というベネデット・クローチェ(1866-1952)の言葉を思い出す。

    確かに、50年ほど前、人類の歴史はおよそ100万年といわれた(現代教養文庫に「人類の百万年」という本がある。1968年刊行)が、のちに500万年といわれた。ところが近年は猿人や旧人は絶滅したと考えられてホモ・サピエンスはおよそ5万年前といわれている。2018年現在、世界の人口は75億人に達している。過去に生れてきた人類すべての数と比較すると、どのくらいの比率になるのか。過去の人類+現在の人類=1082億人。これが人類誕生して以来の総数になる。つまり、現在生存している人類だけで、過去すべての人類の7%に相当する。2050年には100億人に達すると試算されているので、その頃の比率だと1割に近づく。ちなみにほとんどの時代において、平均寿命は30歳前後である。

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現代人にとって神は不要なのか?

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    現代は原子力の時代、宇宙開発の時代といわれ、もはや神の存在は不要になったのであろうか。そんな疑問をいだかせる本が「バカの壁」である。平成15年に出版され400万部という大ベストセラー「バカの壁」を遅まきながら読む。養老孟司は次のようにいう。「私の考え方は、簡単に言えば二元論に集約されます。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。一元論の欠点というものを、世界は、この150年で、嫌というほどたたき込まれてきたはずです。だから、21世紀こそは、一元論の世界にはならないでほしいのです。男がいれば女もいる、でいいわけです」

   おそらく無信仰の多い日本人には養老孟司の話は受け入れやすいだろう。とくにキリスト教は日本では増えていない。仏教、神道といっても冠婚葬祭だけの話である。つまり養老の説は宗教、思想、哲学を研究しても無意味だという話になりかねない。ほんとうに信頼できるのは合理的に実証できる科学だけだ、といっていることと同じであろう。(データの改竄、捏造はあるが)最近の科学論(科学哲学)の世界でも「パラダイムの転換」にみられるように、一元論ではなく、二元論、多元論が優位であることは事実である。つまり養老のスタンスは科学者の立場からはあたりまえのことを言っているにすぎない。おもえば近代科学の学者たちは、神に対する信仰を弱めさせる説を提唱してきた。ダーウィン、マルクス、ニーチェ、フロイト。文学者の魯迅も儒教が中国の近代化を遅らした弊害を厳しく批判した。20世紀マルクス主義の唯物論の大学教授は隆盛を極めたが今は空しい結果となっている。二元論、多元論が正当性があるかの如く広まっているが、神や宗教が多くの人々にとって時代遅れの代物に思う時代は悲しい。たとえば愛する人を失った時、人はどうするであろうか。現代医学の力をもってしてもどうすることもできない。人は無力であり、ただ哀しむだけである。そして宗教、あるいは信仰によって慰めをうることができるはずである。花束で死者を悼んでも死者は甦らない、と合理的に考えても、心は癒されるはずがない。「一元論か二元論か」、この問題は古代ギリシア以来の哲学の根本問題である。養老孟司のいうように「この世に男と女がいるから二元論だ」という説には賛成できない。信仰者にとっては「まことの神」が唯一であり、一元論も誰にも否定できない。それは21世紀だけの課題でなく、人類永遠の課題でもある。人は神に全てをゆだねることによって世の中にある理不尽さを乗り越えることが出来るのかもしれない。

雑学教室3集

Trivia やくみつる「雑学の威力」(小学館新書)博識の漫画家であり、最強のクイズ王である著者が、雑学の威力を伝授する。雑学を身につけ、それを正しく使うことができれば人生が好転する!

 ティラノサウルス、実は走れなかった。▽優雅で上品な雰囲気が漂うモーツァルトの曲に「俺の尻をなめろ」という変な題の曲がある。▽1958年から1976年にかけて起きたアイスランドとイギリスとの漁業紛争を、Cold War(冷戦)をもじって、Cod War(タラ戦争)という。▽松本明子はスター誕生決勝大会で、本田美奈子や徳永英明を抑えて優勝している。▽漫才師ヒロシの芸名はアナウンサー生島ヒロシに由来する。たまたま家にあった雑誌の表紙に生島が写っていた。▽「3年目の浮気」ヒロシ&キーボーには「5年目の破局」という曲がある。▽マギー司郎の「マギー」とはドイツ語magieで「魔法の」「不思議な」の意味。▽タヌキの置物で知られる信楽焼は古くは奈良時代にまでさかのぼることができる。▽「だんだん」とは島根・出雲地方の方言で「ありがとう」の意。▽「あまちゃん」に出演している女優・伊勢志摩は三重県ではなく岩手県の出身である。▽ペギー葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」は最初、丘京子が歌った。▽プラモデル生産日本一は静岡県。▽太宰治の故郷として有名な金木町は、津軽三味線の誕生地でもある。▽三国志に孔子の20代目の子孫、孔融がいる。後漢の忠臣のひとりだが、曹操に斬罪される。▽タヒチ島で有名なゴーギャンだが、死亡したのはタヒチから1300㎞離れたマルキーズ諸島である。C5b2427bs ▽1951年好感度タレント。三船敏郎、佐田啓二、乙羽信子、岡晴夫、川路龍子。川路は松竹歌劇団の男役スター。戦争で若い男性が不足していたので男装の麗人が流行ったから。▽アグネス・チャンは6人兄弟。3姉妹の末っ子。アグネス・ラムは4姉妹の末っ子。▽1966年ビートルズ来日公演。そのときの前座はブルー・コメッツとザ・ドリフターズだった。▽デビュー時の中森明菜のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(み・ルーキー・っこ)」▽史劇「ナポレオン」(1831)などで有名なドイツの天才的劇作家クリスチャン・ディートリッヒ・グラッベ(1801-1836)。飲酒癖と結婚の失敗が因となって窮乏のうちに病死した。グラッベの名言「女は深く見るが、男は遠くを見る。男にとっては世界が自分で、女にとっては自分が世界」▽三陸海岸の宮古以北は隆起海岸であるため、厳密に言えば沈降が条件となるリアス式海岸ではない。▽ルリユール reliure 製本。特に、職人が手作業でつくる、工芸品としての装丁やその技術のこと。フランス語。(Christan Dietrich Grabbe,Napoleon oder die Hundert Tage、雑学ブログ)

2018年12月19日 (水)

どこまで続くブサカワブーム

 朝ドラ「まんぷく」で毎回、塩軍団たちが「タカちゃんは美人か否か?」という奇妙な論争が繰り広げられている。たしかに女優岸井ゆきのの容姿はビミョーだ。AKBの指原莉乃が渡辺麻友を7万票の大差をつけて一位を獲得したときも同様の疑問が噴出した。愛らしい容姿の麻友が見た目ではさほどかわいくない莉乃になぜ苦杯の涙をのんだのか。いま若者たちを支配しているブサカワブームのためではないだろうか。不細工と可愛いの組み合わせた語で、「ブサかわいい」とも表現される。美人とは評しがたい容姿ながら、どこか愛らしさを感じて、心惹かれる、そんようなタイプをいうらしい。ブサカワランキングというのがある。ダントツの1位は「いきものかがり」の吉岡聖恵。明るく元気で真っすぐな聖恵ちゃんは、鼻ぺちゃだってだってお気に入り。

   NHKはブサカワがお気に入りのようで、「とと姉ちゃん」のヒロイン高畑充希、相楽樹も顔立ちはビミョーである。10月からの朝ドラ「べっぴんさん」のヒロイン芳根京子はすでに表高でお馴染みで、美人というよりも完全なブサカワ派。だがブサカワの代表的な女優は多部未華子であろう。「ドS刑事」「デカワンコ」「あやしい彼女」でみせる変幻自在な顔面芸は「変顔の多部」といわれる。そのほか最近売れている蓮佛美沙子や松岡茉優も雰囲気美人の役所ながら本質的にブサカワ派である。ほかに田畑智子、木南晴香、aiko、峯岸みなみなどもブサカワ派。正統派美人、北川景子、武井咲、佐々木希、桐谷美玲など美しく整った顔立ちは逆に性格が悪そうに取られる時代となっている。だがこのブサカワブームもいつか飽きられるのではないだろうか。

死への不安と恐怖について

  人生とは、死ぬことと見つけたり。自然災害が多かった「災」(2018年今年の漢字)の凶年も残り「あと12日」。はたして平成最後の年が越せるかどうかわからないが毎日注意して生きて行こう。火事で一家死亡といういたましいニュース。ドラマも最終回は主役の死が多い。「大恋愛」ではヒロイン戸田恵梨香の死に涙ぐみ、西郷どんでまた号泣。映画「シン・ゴジラ」を観ていると、今年亡くなられた俳優の大杉漣さんが総理役で出演していた。撮影当時は自分の死など意識になかったのだろうと想像すると泣けて来る。仕事でも遊びでも全力投球の人だから、知らず知らずに疲労が蓄積していたのか。人生は短くはかないものだが、私も俗人で、生きることが好きなので一日一日を大切にして、健康な日々を過ごしたい。

2018年12月18日 (火)

行雲流水

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   Qさま。天明麻衣子が難問を「行雲流水」と見事に解答して優勝。意味は自然のままに動き回るもののこと。行く雲、流れる水、という。物事に執着しない意味にも用いる。夏目漱石・吾輩は猫であるに「なあに、二、三行ばかりですがね。その文は行雲流水のごとしとありましたよ」とある。幕末から明治にかけて四字熟語が流行した。西郷隆盛の「敬天愛人」ほど知られていないが、大久保利通は「為政清明」をモットーにしていた。明治11年5月11日朝、福島県令山吉盛典に「為政清明」と揮毫したあと、暗殺に遭い、不慮の死を遂げた。

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  為政清明       敬天愛人

2018年12月17日 (月)

南部坂雪の別れ

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    浅野長矩の正室阿久里は浅野氏一族の備後三次藩初代藩主・浅野長治の次女であるから、長矩とは遠縁ということになる。夫の浅野長矩の凶報に接したとき、阿久里は何よりも先に内匠頭の弟の浅野大学長広に吉良上野介の生死を確かめたが、答えを得ることができなかったので、「兄の刃傷を聞きながら、相手の生死のほども確かめず、まことに惜しいことです」と、あわてる大学をたしなめるほどの気丈な女性であった。その夜、阿久里は鉄砲洲の江戸の上屋敷で髪をおろし、寿昌院と号して殉じたが、のちに将軍綱吉の生母の桂昌院の「昌」の文字をはばかって、瑤泉院と改めた。夫の内匠頭が切腹したとき、阿久里は28歳であったが、浪士の遺児たちの赦免に尽力をつくすなどした。瑤泉院の俗説では「南部坂雪の別れ」が巷間よく知られる。討入りを翌日に控えた13日の夜、内蔵助は瑤泉院に永のお別れの挨拶をしたいと考え、南部坂(港区)にある浅野家下屋敷を訪れた。ところが吉良方の密偵が奥女中となって潜入に気づいた内蔵助は、座が定まるのも待ちきれず瑤泉院は仇討ちはいつ、とつめよるのだったが、心中にこみあげるものをぐっとこらえ、「法事が終りしだい、山科に立ち帰り、かの地に永住の所存でございます。今生のお別れに、御霊牌の前に御焼香をお許し下さいますよう」と申し出たが、瑤泉院は「折角ながら、その儀はなりませぬ」と、屹ッとして言うと、静かに仏間の方へ去った。内蔵助は、じっと差しうつむいたまま、ついに一言の弁明もせず、座を蹴って去った瑤泉院のうしろ姿に平伏するのみであった。これが有名な南部坂雪の別れの泣かせどころであるが、この話も講釈師(桃中軒雲右衛門といわれる)の作り事で、実際は討入りより1年前の元禄14年11月、事件後はじめて内蔵助は瑤泉院のご機嫌伺いに行っている。瑤泉院、それも瑤泉院付きの士・落合与左衛門宛に書状を認め、自身は赴かず、「預置候金銀請払帳」を添えて近松勘六の家来・甚三郎に三次藩邸へ届けさせたと言われる。その後、瑶泉院は静かに暮らし、赤穂義士が討ち入って11年後(正徳4年)41歳で生涯を終えた。

おもしろ地名、西表をなぜイリオモテと読む?

   北海道や東北地方にはアイヌ語がルーツとなった地名が数多くある。長万部はアイヌ語「オ・サマム・ペッ」(川尻が横になっている)から。倶知安は「クッ・シャン・イ」(くだのを流れ出たところ)」から。クッシャニとなってさらに、クドサニとなり倶登山(くどせん)川となり、倶知安が生まれた。沖縄にも方言に漢字を当てたおもしろい地名がたくさんある。西表はなぜ「イリオモテ」と読むのか?昭和40までは「イリオモテ」と読める人は誰もいなかった。「生きた化石」といわれるイリオモテヤマネコがこの島で発見されたことから、西表島は広く知られるようになった。沖縄では、太陽が西の海に「入る」から西のことをイリという。▽モンテネグロには人口100人ほどの村Japan(ヤーパン)村が存在する。参考:「日本の地名がわかる事典」浅井建爾著 日本実業出版社

神崎与五郎・吾妻下り堪忍袋

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   神崎与五郎則休(1666-1703)。代々、美作津山森家に仕えた武士の家に生まれ、その少年時代を津山の城下町で過ごした。森家改易の後、赤穂浅野家に召し抱えられ、五両三人扶持と役料五石が与えられた。

    元禄15年3月、神崎与五郎は、大石内蔵助の内命を帯びて、京から江戸へ向かった。内匠頭に仕えてわずか5年、五両三人扶持の微禄ながら誠実の士であり、お家断絶ののちも内蔵助の任あつく、このたびも、その機敏、堅実、忍耐と三拍子そろった人柄を見こまれての出府であった。与五郎は道中を急ぎに急ぎ、やがてさしかかったのが箱根の山であった。とある茶屋でしばしの憩いをとっていた。そこへ馬方がひとりはいってきた。街道一の暴れ者として人々に嫌われている丑五郎というならず者である。「お侍さん、馬はどうだね」呼びかけられた与五郎は、何気なく「わしは馬は嫌いだ」と答えた。「なに!侍のくせに馬が嫌えだと、ふざけるねえ、ただの雲助とはわけが違うぜ!」罵ったかと思うと、いきなり与五郎の胸をどんと突いた。与五郎も思わず無礼者め!と刀の柄に手をかけたが、いや待て、たとえ雲助ひとりでも刀にかければ何かと取調べがあり、江戸入りが遅くなると思いなおし、「いや、わしが悪かった、許せ」と涙をのんで大地に両手を突き、丑五郎のいうままに詫証文を書いて与えた。この話は最近の忠臣蔵ドラマなどでは、詫証文を書くだけでは物足りないと感じたのか、与五郎が馬方の股をくぐるシーンが見られる。詫証文にしろ股くぐりにしろ、真偽のほどは明らかではなく、韓信の股くぐりの故事から講釈師が採った創作であるが、これが大人気となった。

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シューベルト「未完成」

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「シューベルトと婚約者テレーゼ・グローヴ」 オットー・ノーヴァク(1874-1950)の絵

 青春の夢と希望は未完のまま美しく閉じられる。

   1822年秋、25歳の青年フランツ・シューベルト(1797-1828)は「交響曲第8番ロ短調」を書き上げた。この曲が「未完成」と呼ばれるのは、当時の交響曲がふつう第4楽章だったのに、シューベルトは第3楽章を書きはじめたところで作曲を中止してしまい、2度と取り上げなかったためである。理由はわからない。往年の映画「未完成交響楽」(1933年)を見た人は「我が恋の終わらざるごとく、この曲も終わらざるべし」と失恋のためと理解したがるが、もちろん後世のフィクションである。実際にはテレーゼ・グローヴという歌の上手い女性がいたそうだが、3年後にパン屋に嫁いでしまった。「未完成」は、曲の外観が未完成であるがゆえに、シューベルトの生前にはついに演奏されなかった。シューベルトの親しい友人だったヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーが「未完成」の自筆楽譜のある場所をウィーンの高名な指揮者ヨハン・ヘルベックに教え、ヘルベックの尽力で自筆楽譜は世に出、かつウィーンで初演されたのだった。初演は1865年12月17日、作曲者の死後37年、作曲から実に43年間が経過していた。この日は奇しくもベートーベンの誕生日。生前、栄光が与えられなかったという点では、シューベルトはベートーベン以上に悲劇の天才であった。

2018年12月16日 (日)

白木屋ズロース伝説

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 「チコちゃんに叱られる」で広瀬すずは「ズロース」を知らなんだ。若い女性には今や「ズロース」は死語である。和製英語でドローワーズ(drawers)に由来する。一般に日本の女性が下着をつけるようになったのはある火災事故がきっかけと俗に言われる。いわゆる「白木屋ズロース伝説」である。昭和7年12月16日、新装なったばかりの東京・日本橋のデパート白木屋(現・COREDO日本橋)の4階玩具売り場のクリスマス・ツリーの電飾から出火した火災は、死者14人、重軽傷者百数十人を出す大惨事となった。わが国初の高層ビル火災(当時、白木屋は8階建て)であった。「当時の女性は和装でズロースをはいていなかったため、裾の乱れを気にして犠牲者を増やした」という噂が巷間まことしやかに伝えられ、日本女性がズロースをはくようになったのは、この火事の教訓から始まったとする「白木屋ズロース伝説」が生まれた。

    この説に対して、高倉テル(1891-1986)は『女はなぜズロースをはくか』という本を書いて反論した。高倉は、大正中期から職場に進出した女性たちが、手縫いのパンツをはきはじめたことをあげ、ズロースは銀座から普及したものではなく、工場や女性の職場から生まれたと主張している。

   当時の新聞には「外出にはズロースを」という女性のズロース着用を促す論調の記事が見られるものの、白木屋火災の後に目だってズロースを着用する女性が増えたという歴史的な事実は見られない。一般に日本女性がパンツをはくようになったのは、戦後からといわれている。

 

 

チャングムとサイムダン

    イ・ヨンエは透明感のある洗練された美しさで韓国映画界を代表する国民的女優といえる。その正統派としての存在は日本の吉永小百合に比されることがある。だが清純ではあるがどこか不可解で近寄りがたい存在であり、かつてはそれが演技の幅を狭めていた。ドラマ「パパ」や「ドクターズ」の女医ミンジュなどは都会派の知的なキャリア志向の女性で、身勝手で現実味がなく、大衆の共感できないものがあった。あの大ヒットした「JSA」でさえ、彼女に求められたのはクールな美しさであった。本当の意味で女優として開眼したのは「春の日は過ぎゆく」「ラスト・プレゼント」あたりからであろう。「宮廷女官チャングムの誓い」でアジア諸国でも最も愛される女優となったが、その後、結婚・出産し、長い沈黙が続いた。2016年ドラマに復帰、「師任堂 色の日記」ではとても46歳とは思えない美貌で大女優の貫禄すらみせている。ところでチャングムとサイムダンは共に16世紀前半の中宗(在位1506-1544)時代の実在の人物だそうである。ただしチャングムは「朝鮮王朝実録」の中宗実録の項で「長今」と「大長今」という単語が13ヵ所あるだけで、ドラマは物語を膨らませて創作しているようだ。

2018年12月15日 (土)

精進が大事か、いまのままでいいのか?

  羽生選手の4回転ジャンプなどを観て気になることがあった。超難度の技を競うことで、自らの肉体に疲労を与えているのではないかと。円成(えんじょう)は物事の完成、まどかになる事。円満成就のことを「成満(じょうまん)」と呼ぶ。人生何事も目的に向かって一生懸命に精進を尽くせ、という意味。ところが禅語「個個円成」はすこし意味が変わってくる。それぞれが、それぞれのやり方で完成に向かうこと、または、それぞれがそれぞれなりに既に完成しているということ。小さいもの、大きいもの、弱いもの、強いもの、それぞれのあり方に違いがあっても、すべてが完成へと向かう。そして、宇宙の調和はそれらがすべての存在によって成り立っている。才能があるとかないとか、運がいいとか悪いとか、持っているとか持っていないとか、すべて宇宙の真理からみると無関係だ。最近のドラマ「僕らは奇跡でできている」はそのようなことが言いたかったのかな、私は考えている。

東京ローズ

Photo_5  あるテレビ番組の街頭インタビューで「東京ローズを知っているか?」と70歳代以上の人にたずねたところ、「売春婦」「ストリッパー」などほとんど正確に知っている人はいなかった。 

1942年4月1日、対米宣伝放送「ゼロ・アワー」が開始された。アメリカ将兵によって女性アナウンサーに「東京ローズ」という愛称がつけられたが、13人の女性が交代で東京ローズに該当するのが誰であるかは、明確に判らない。1943年11月からアナウンサーに加わったアイバ・郁子・戸栗・ダキノ(旧姓・戸栗郁子、1916-2006)は「東京ローズ」として知られた。

2018年12月14日 (金)

アフリカの「ん」の話

5072321877_64d049137b   古代の日本語には「ん」という発音はなかったらしい。仏教伝来とともにサンスクリット語の阿吽(あ・うん)が入ってきた。しかし「ん」はあまり普及せず、「ん」から始まる人名・地名・固有名はほんどない。しかしグローバル時代になると「ン」から始まる言葉は多く散見するようになった。「ンゴニ族」「ンデベレ族」▽南アフリカとジンバブエのンデベレ人の民族人形はビーズ細工の可愛いもので「ンデベレ人形」としてお土産に人気である。カメルーンのバナナを焼いた郷土料理は「ンドンバ」という。タンザニアのキリマンジャロは本当は「キリマ・ンジャロ」という。ザンビア共和国の都市ンドラ。ナイジェリアの都市ングル。チャドの首都ンジャメナ。タンザニアの動物自然保護地域「ンゴロンゴロ」は世界遺産に登録されている。南アフリカのズールー族(ングニ族)に伝わる武術「ングニ棒術」は近年、スポーツとして世界に広まりつつある。防御用の「ウブホコ」という長い棒と、攻撃用の「インヅク」という短い棒を使う。「アフリカの太陽」といわれたガーナの初代大統領エンクルマは、「ンクルマ」と発音するほうが現地音に近いという。本名は長くて、フランシス・ニイア・コフィー・クワメ・エンクルマという。英語表記ではNkrumahである。赤道ギニアの初代大統領はフランシスコ・マシアス・ンゲマ。(Ndola,Uboko,isiquili)

 

 

 

 

 

 

忠臣蔵脱盟者たちの知られざるその後

374b0c11e5fffb584596e021637277ed   刃傷事件が起こってから討ち入りまでの1年9カ月の間、さまざまな理由で義士になれなかった者たちがいる。家老の大野九郎兵衛は「逐電家老」と罵られ、岡林直之は「一家の恥」と責め立てられ、切腹に追い込まれた。小山源五右衛門、進藤源四郎、奥野将監、小山田庄左衛門、高田群兵衛、毛利小平太、萱野三平、瀬尾左坐衛門、橋本平左衛門なども討ち入りには参加できなかった。瀬尾は池宮彰一郎の小説「四十七人の浪士」では大石の命でお軽とその子の面倒を頼まれて脱盟したことになっている。

   赤穂浪士の1人、奥野将監定良(1647-1727)が隠れ住んだという屋敷跡が兵庫県加西市下道山にある。加西市の一部は赤穂藩の飛び地の領地だったらしい。将監は、赤穂藩で大石良雄に次ぐ重臣で、江戸城刃傷事件の後、大野九郎兵衛に代り、大石と明け渡しに努力し、最初の義盟にも加わった。しかし元禄15年7月、浅野家再興が不可能になると、8月、奥野弥五郎と共に脱盟した。その後、将監の娘が磯崎神社の神宮寺に嫁いでいるのを頼り、ここにしばらく居を構えた。奥の墓石は将監の娘の子の墓と伝えられる。将監はその後、現在の中町の延明寺に移り住んだ。享年は82歳といわれ、長命だった。

2018年12月13日 (木)

「ン」事項索引インデックス

5  南アフリカにはンデベレ族がいる。ンダラとはインドネシアのジャワ島の貴族階級のこと。ガーナの首都アクラやエンクルマも「ンクラ」「ンクルマ」が原音に近い。グスティ・ングラライ(1917-1946)はインドネシア独立戦争の英雄。青色の5万ルピア札の肖像。マシアス・ンゲマ(1924-1979)は赤道ギニアの初代大統領。

ンガー
ンクラ(アクラ)
ングラライ
ングル(ナイジェリア)
ンクルマ
ンゲマ
ンゴロンゴロ自然保護区
ンジャメナ
んちゃ砲
ンデベレ人形
ンドーラ(ザンビア)
ンドンバ
ンナフカ祭り

愛を語るハイネのような

 ばら ゆり はと 太陽

 むかしはそれらにうっとりした

 だがもういまは おまえだけ

 ちいさな かわいい きよらかな

 愛のいずみよ ああ おまえこそ

 ばら ゆり はと 太陽

200pxheinrich_heineoppenheim   ハインリヒ・ハイネは1797年12月13日、デュッセルドルフにユダヤ人であったザームゾン・ハイネとベティ・フォン・ゲルデルンの子として生れた。ハイネは「歌の本」(1827年)などの叙情性と、その高い音楽性によってブラームス、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンなど多くの作曲家に曲想を与え、一般に愛の詩人として知られている。だが社会主義にめざめたハイネは恋愛詩人というよりも急進的思想の社会批評家だった。パリに亡命し、社会風刺に富む革命詩や、国境を越えた民衆の相互理解を求める多くの詩論を執筆し、ロマン主義をこえたものであった。「それは前触れに過ぎない。本を焼き払う処では人間をも焼いてしまう」とハイネは書いている。そのことは、1933年以降現実となり、ナチスは、書物を燃やしたのみならず、ついにはユダヤ人を大量虐殺し、焼却している。現在ドイツには各地の多くの通りに、彼の名がつけられ、またデッセルドルフ大学はハイネの名にちなんで、ハインリヒ・ハイネ大学と命名されている

2018年12月12日 (水)

河盛好蔵「Bクラスの弁」

  エッセイを書いたり、読んだりすることが好きだ。随筆、短文を書いたり、読んだりすることは、言語感覚を磨いて、表現する能力が向上する。河盛好蔵は随筆の達人である。「Bクラスの弁」という随筆のなかで、河盛好蔵はこう書いている。「自分はBクラスに属する」が、それは「卑下して言っているのでは毛頭ない」。「精神の世界」ではAクラスとBクラスとは「横につながる階級であって、縦につながる階級ではない」。いたずらにAクラスに憧れるのではなく、その二つの階級の位置関係を定め、Aクラスのための地盤を用意し、「常に批評精神を働かせて、より高次なものを生むために、自分がその養いとなる覚悟をもつ」ことこそがBクラスの生き方だという。これは評論家としての河盛氏の自己定義であるが、この見事な覚悟は各分野でもいえるのではないだろうか。たとえば科学における基礎研究、あるいは歴史学における実証的な研究。それらは目立たぬ地道な研究であるが、最先端の研究者にとって有益なデータとなるであろう。願わくばこのブログがBクラスとまではいかないまでも、せめてCクラスに入れてもらい、何んらかのお役に立つといいのだが。(参考:清水徹「昭和文学全集31」)

謡「鶴亀」

能の音楽は、大別して「謡(うたい)」という声楽と、「囃子」という能楽で構成されています。能は歌舞劇ですので、物語に沿って舞台が進行します。観世流「鶴亀」。
庭の砂は金銀の。庭の砂は金銀の。珠を連ねて敷妙乃。五百里の錦や瑠璃の樞。硨磲の。行桁瑪瑙の階。池の汀乃鶴亀は。蓬莱山も外ならず。君乃恵みぞ。ありがたき君の恵みぞありがたき。

クリスマスの風習とサンタクロース

Sc02   この時期になると街中にクリスマス・イルミネーションが点灯される。クリスマスという、現在の日本にとっても馴染みのある習慣は、老いも若きも何となくうきうきする季節だろう。家のリースやツリー、クリスマス・ケーキ、そしてプレゼント。「我が持てる包の中もクリスマス」(山内山彦)

  クリスマスの歴史は長く複雑な意味をもつ。キリスト教とのつながりや、キリスト教以前の、ずっと古代に遡る、ヨーロッパ・地中海に面している諸文化の世界観や信仰の形態の影響が認められる。したがって、今日の世俗化されたサンタクロースの意味を理解するためには、キリスト教またはキリスト教以前の様々な信仰の形態の理解が前提になってくる。とくにサンタクロースは死者の象徴であると、レヴィ・ストロースが主張している。古代からのヨーロッパの民間信仰では、我々一般人にあの世から豊穣をもたらすのは、国家に認定された公式の神々ではなく、むしろ地域の小さな神々であった。これらは、多くの場合、先祖に限りなく近い性質をもっていた。現在、クリスマスが主に家族中心の祝いになっているのも、古代からのこの伝統的思想を継承しているからだと思われる。サンタクロースの根底には、冬に関する古代からのシンボリズムが認められる。キリスト教がこの複雑なシンボリズムを横領し、それをキリストの降誕と習合させた。

   このようなキリストの生誕を祝うクリスマスの風習や行事が世界中に広まったのは19世紀に入ってからのこと。とくに今日のようにみんなでお祝いするのは一冊の本がきっかけとなっている。英国の文豪チャールズ・ディケンズが1843年に書いた「クリスマス。キャロル」である。内容は守銭奴スクルージがクリスマス・イヴに超常的な体験をして改心というスートリー。ちなみにアンデルセンの「マッチ売りの少女」はその5年後の1848年のことである。(参考:ファビオ・ランべッリ「サンタクロースの文化史のための覚え書き」比較文化論叢 札幌大学文化学院紀要19、2007年)

2018年12月11日 (火)

秋ドラマもついに最終回

     朝ドラ「まんぷく」が抜群の安定感で評判も上々。インスタントラーメンを発明した日清食品創業者の夫妻をモデルにした物語。妻の福子を演じる安藤サクラ(32歳)は史上初ママさんヒロインで、あの五一五事件で暗殺された犬養毅首相が曽祖父。ほかは新垣結衣が普通のOLを等身大に演じる「獣になれない私たち」が注目されるが、視聴率苦戦に「ガッキーの無駄遣い」の声も?話題性では有村架純が教師を演じる「中学聖日記」が一番だ。新人女教師が生徒、年の差を超えて惹かれていく。花火大会の夜の突然のキスから2人の仲は急展開する。主題歌Uruが歌う「プロローグ」もヒット。深夜枠では「深夜のダメ恋図鑑」が注目。3人の若い女性の女子会。話題になるのは恋バナ。そしてダメ男の話。尾崎衣良の恋愛漫画を馬場ふみか、佐野ひなこ、久松郁美のトリプル主演で実写ドラマ化。「僕らは奇跡でできている」風変わりな話だが味がある。本クールの人気は「大恋愛」。若年性アルツハイマー病に侵されながらも、本気で一人の男性・間宮に恋する女医・北澤尚を戸田恵梨香が熱演。ムロツヨシの二枚目ぶりと10年にわたる2人の愛の軌跡が共感を呼んでいる。マイ・ベスト・ワンは「僕らは奇跡でできている」低視聴率だったが素晴らしいドラマ。やりたいことは簡単に見つからないが、スプーンはスプーンのままで、そのものを活かすことを考える。相川先生が集めた缶箱のように。

誘拐法廷セブンデイズ 松嶋菜々子
SUITS スーツ 織田裕二 今田美桜
ハラスメントゲーム 唐沢寿明
僕らは奇跡でできている 高橋一生
中学聖日記 有村架純 小野莉奈
黄昏流星群 佐々木蔵之介 中山美穂 石川恋
文学処女 森川葵
今日から俺は 橋本環奈、清野菜名、若月佑美
まんぷく 安藤サクラ
獣になれない私たち 新垣結衣
忘却のサチコ 高畑充希
リーガルV 米倉涼子
大恋愛 戸田恵梨香
僕とシッポと神楽坂 相葉雅紀
フェイクニュース 北川景子
あなたは渡さない 木村佳乃
下町ロケット 阿部寛
ダイアリー 蓮佛美沙子(9月スタート)
居酒屋ぼったくり 片山萌美、高月彩良

長いタイトル、短いタイトル

Photo_3     楽曲や映画、小説にとって、そのタイトルをどう付けるか、というのは言うまでもなく大問題。2013年12月11日に発売されたAKB48のタイトルがやたらと長かった。「鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」。何と76字ある。miwaの新曲「あなたがここにいて抱きしめることができるなら」は22字。

   小説では2014年刊行の村上春樹の新作も長かった。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年に」は20字。2010年のベストセラー「もしドラ」は33文字あった。2011年の「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」や浅田次郎のエッセイ「君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい」は19文字。奇抜で刺激的なタイトルで人の目をひこうという魂胆がみえる。ワンセンテンスがタイトルとなるのは片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」あたりからの流行だろうか。作家が小説のタイトルをつけるには、それなりの思い入れがあるのだろうが、こうしてダラダラと長いタイトルが出てくるのだが、むしろ漢字一文字という題名が、ことさら強い印象がのこる。漱石「心」「門」、芥川龍之介「鼻」、森鷗外「雁」、長塚節「土」、谷崎潤一郎「卍」「鍵」、丹羽文雄「顔」などなど。

2018年12月10日 (月)

日々の話題あれこれ

  強い寒気、各地で今年一番の冷え込み▽6日未明、高知沖で米軍機2機が空中衝突し墜落▽2日漫才日本一「M1グランプリ」審査をめぐって上沼恵美子に対して暴言騒動。▽1日、乃木坂46上海ライブ。チケット即日完売。「情熱大陸」で斎藤飛鳥の魅力を紹介。母はミャンマー人でアジアン・ビューティー。▽日本テレビ朝ドラ「生田家の朝」本日スタート。ドラマというよりコント。▽「今夜、勝手に抱いてもいいですか」ホームドラマチャンネル。矢作穂香は「鈴木先生」の頃から知っている。▽「妻が夫をおくるとき」脚本家橋田寿賀子の自伝的ドラマ。大杉漣が亡夫の役でいっそう泣ける。▽「ケネディ暗殺とオズワルドの謎」全6回。

2018年12月 8日 (土)

中国文明の歴史(概説)

35d2b0b0s   現在の人類の直接の祖先はおよそ20万年前にアフリカに現れ、10万年前にアフリカを出て、ヨーロッパやアジアに進出し、6万年前に東アジアに到達した、と考えられている。かつて最古の人類の一つといわれた北京原人、藍田原人、元謀原人などもアフリカに起源をもつ原人のひとつであるが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられる。

  アジアの人類の起源に関して、1979年に新しい発見があった。雲南省の赤鹿洞窟から1万1500年から1万4000年前のものとみられる人類化石が発見された。発見場所から鹿を食べていた痕跡があることから赤鹿人(画像)と呼ばれている。約1万年前に氷河期が終わって、気候が温暖となり、動物や植物の分布が変わるなかで、採集・狩猟の生活にも変化があらわれた。人類は東アジア各地に広がって住んでいく。中国では前5000年ころ、新石器文化が生れた。黄河の中・下流域の黄土地帯の住民は、村落生活にはいった。かれらが磨製石斧や彩文土器を用いたことから、この最初の黄河流域の文化を彩陶文化という。

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 赤鹿人
の故地は、ロシア南部アルタイ山脈のデニソワ洞穴で、そこから発見された5万年前から3万年前のデニソワ人が移住したと考えられている。

   新石器時代の末期から青銅器時代にかけて、各地に都市国家が生れた。のちに邑国などの名でよばれたこれらの都市国家は、氏族制的遺制の強い国家であった。そのなかでも最も先進的な地位にあったのが殷であり、その文化を示すのが後半期の都のあとの殷墟である。王権はかなり発達して、犠牲と殉葬を伴う巨大な王墓が営まれており、亀甲獣骨を用いて神意を占い、政治を行った。すでに文字が生れて、占いの内容を記録しており、青銅器鋳造の技術は最高の段階に達していた。殷は前11世紀に西方の周に滅ぼされた。周は祖先の宗廟のある鎬京と、中原を統治するうに便利な東の洛邑という2つの都があった。この二都並立時代を西周時代という。武王から数えて12代目の幽王が犬戎に攻め滅ぼされて、その子の平王が都を洛邑に移した。それ以後を東周という。

   周のつくりあげた政治体制は、「封建制度」の名で知られる。西洋中世フェーダリズムとの違いは、周では本家と分家の血縁関係でつながれているが、西洋では君主と家臣とのあいだの個人的契約に基礎をおく主従関係である。前8世紀から、諸国家の上に君臨していた周の権威が失われた。都市国家を構成していた族制的秩序は解体して小家族が独立し、他方諸国家は征服併合をくりかえして中央集権的な領土国家に成長していった。この過渡期が春秋戦国時代であり、このような変動の原動力となったのが、春秋時代の鉄器の発明とこれに伴う農業生産力の発展であったと考えられる。族秩序の解体に伴い、新しい豪族、大商人が抬頭し、有能な個人は学者、官僚として諸君主や実力者の下に集まり、古い君主は実力ある臣下に国を奪われた。強大な君主は他国の領土を併合し、また大規模な灌漑工事によって未墾地を切り拓いた。このようにして広大な領土は、郡、県の行政単位を通して君主の直接支配をうけた。封建制度は郡県制度に変わっていった。この時代には、儒家・墨家・道家・法家をはじめとする諸子百家の思想が開花し、時代の指導理念を争った。ここに、のちの中国諸文化のさまざまな原型がつくられた。

   前3世紀末、中国は秦の始皇帝によって統一された。始皇帝は郡県制度を全国にしいたのをはじめ、あらゆる面で中央集権政治をおしすすめた。それは近代にいたるまで中国を支配した専制政治の確立を意味する。始皇帝の改革は急激にすぎ、旧貴族と農民の反乱を起こした。そのなかから漢が成立したが、漢も基本的には秦の体制をひきついだ。武帝の時期に漢の国力は絶頂に達し、ベトナム、北朝鮮を支配し、匈奴を討って西方との交通路を開いた。この時期に採用された儒教は、以後中国専制国家の指導理念となった。秦漢帝国の体制は、前代の族秩序の崩壊の結果生まれた小農民を、天子が直接支配する体制である。しかし、大土地所有者、商人としての豪族の成長は、このような小農民を没落させ、国家支配の危機を招いた。漢の天下を一時奪った王莽の豪族抑圧策が失敗したのちに、後漢の王室は豪族勢力によって擁立された。豪族勢力の拡大と、その結果としての農民反乱のなかで漢は崩壊する。

1850img_7577   漢の崩壊後、魏晋南北朝と総称される分裂時代にはいり、豪族の全盛時代が到来した。豪族勢力の基礎は、郷里に代々たくわえた資産と名望、同族の結合、奴隷、小作人、私兵などの多数の隷属民にあった。豪族の大土地経営を奴隷制とみるか農奴制とみるか、意見が分かれている。王朝の権威は否定されたわけではなく、この時代「九品中正」とよぶ官吏任用法によって、豪族は上級官僚の地位を独占した。こうして貴族政治が生れたが、貴族政治は江南でとくに盛んであった。しかし北朝では国家権力が強化され、5世紀の北魏で均田法が始まった。これは国家が、一定の土地を農民に与えるもので、これによって秦漢以来の伝統的な小農民支配が再編復活された。貴族の大土地所有も国家支配の下に組み入れられて、合法的に認められた。この時代、老荘思想、道教、仏教などが流行したが、形式化した儒教に代わって、国家宗教としての地位を獲得したのは仏教であった。中国の分裂は外民族の侵入を誘った。4世紀の初め、五胡諸民族は華北に侵入して多くの国を建てた。これよりさき中国文明の影響は周辺諸民族に及んだが、この動乱に際会して、朝鮮、日本などでも国家の形成がうながされた。中国民族の一部は華北を追われて揚子江の南に移住し、この地方の開発を進めて、新たな政治、文化の中心地をつくった。こうして長期にわたる分裂の反面、東アジアの歴史的世界が拡大したのもこの時代の一つの特徴である。つづく隋唐帝国の出現は、この東アジアの世界に統一性をもたらした。

   6世紀末に中国を再統一した隋は、大運河をつくって南北の中国を結び、科挙によって新官僚を登用しようとした。まもなく隋末の広範な農民反乱をへて唐が成立した。隋唐の支配階級は依然として貴族階級であり、均田法による農民の人頭支配をうけついだ。国家機構の運用を限定した律令法典は、この時代に整備された。唐は高句麗を滅ぼし、突厥、ウィグルなど周辺の諸民族を服属させ、ペルシア、アラビアへの道を通じ、東アジアの諸国家からは模範国と仰がれた。日本、新羅、渤海などの国々は、唐の制度、文化にならって国づくりを行なった。唐は中頃の安史の乱から衰亡にむかった。均田法は早くから解体をはじめ、新興地主と科挙官僚の台頭をみた。辺境では府兵に代わる傭兵が現われ、その指揮官として節度使の勢力がました。安史の乱は彼らの反乱から起こったが、乱後、節度使は内地に割拠するようになった。均田法下の定額均等の人頭税(租庸調)に代わって両税法が生まれ、資産に応じて課税されるようになった。土地所有者の拡大と商品流通は活発となり、破産した農民は黄巣の乱を起こして唐を崩壊させた。そして下層の兵士、農民のなかから節度使が出、節度使の天子が出て、五代の王朝が交替したが、この混乱の中で旧来の貴族階級は完全に没落し去った。

   960年に後周にかわり開封を都とした宋の趙匡胤(太祖)は混乱をおさめたが、つぎの太宗になって中国の統一を達成した。宋・遼・金・元・明と王朝は交代した後、1610年ヌルハチが清朝を建てる。清は1840年、アヘン戦争に敗れ、以来列強諸国による植民地化が進められる。1911年に辛亥革命がおこり、翌年に清朝は滅んだ。その結果、秦朝以来2100年あまりつづいてきた中国の専制王朝は終わりを告げた。こののち列強の援助を受ける軍閥が各地で勢力をふるうが、1921年7月1日、中国共産党が誕生する。毛沢東は日中戦争には国共合作して抗日戦を行い、戦後は蒋介石を打倒して国共内戦に勝利した。1949年に中華人民共和国が成立、敗れた国民党政府は台湾に逃れ、中台間の対立は現在もなお続く。毛沢東は文化大革命を推進するが、毛沢東が亡くなってからは、鄧小平が1979年から改革開放政策を推進し、農工業が発展・活性化して、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位の経済大国の地位を得る。鄧小平の死後、指導者は江沢民、胡錦濤へと引き継がれ、現在は習近平に到っている。 (堀敏一)

参考:窪田善雄「中国史の概括的な理解のための再考察 斎藤忠和論文の検証を中心に」(世界史の研究244) 歴史と地理686、2015

中国の文明 全8巻 北京大学版 潮出版社 2015年から刊行中

ロマネスク美術「枠組みの法則」

Photo 11世紀から12世紀にかけて西欧でみられたキリスト教美術をロマネスクとよぶ。聖堂の柱や梁、壁には数々の彫刻が施されているが、身体が不自然にデフォルメされたり、変に曲がっていることがある。フランスの美術史家アンリ・フォション(1881-1943)は、この奇怪な造形の秘密を「枠の法則」というルールで説明している。つまり聖堂の浮彫などは建築の構造に支配されているので、必然的にデフォルメされることがある。画像の浮彫りはシャルトル大聖堂の枠組みの法則の実例。 Henri Focillon

中国地理学と文献書目

Chaina

地理的概観(UNIT1)

中国の位置 アジアの東部、太平洋の西岸に位置する。中国には「北に行くほどトランクが軽くなり、南に行くほどトランクが重くなる」という言葉がある。これは旅行者が北に行くにつれて、トランクから1枚ずつ着るものを取り出して重ね着して行くこと、反対に南に行くにつれて、1枚ずつトランクにしまいこんで行かねばならないことをいったものだ。南北は、緯度およそ北緯4度から54度、東西は経度およそ東経78度から東経135度のあいだにある。

中国の境域 陸上では北朝鮮、ベトナム、ラオス、ミャンマ、インド、ブータン、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、ロシア、モンゴル人民共和国と国境を接している。海上では日本、フィリピン、マレーシア、インドネシアおよびブルネイと相対している。

面積と人口 中国は面積959万7000k㎡、人口13億8271万人(台湾、香港、マカオを除く)。2016年末の統計。面積はアジア大陸の25%をしめ、ロシア、カナダについで世界第3位。人口は世界第1位である。

民族 漢人が91.5%で、少数民族が、蒙古・回・チベット・ウイグル・ミャオ・イ・チワン・プイ・朝鮮・満・高山族など55の民族がある。そのうち、北方の森林で狩猟をいとなむツングース系諸民族、ステップで遊牧をいとなむモンゴル系諸民族、オアシス世界に生きるテュルク系諸民族、高原で牧畜・農耕をいとなむチベット諸民族、南西山地で農耕をいとなむミャオ・ヤオ系およびモン・クメール系諸民族、南部で水稲耕作をいとなむタイ系諸民族のグループにわかれる。

行政区 全国には、合わせて23の省、5つの自治区(広西チワン族・内モンゴル・新疆ウィグル・寧夏回族・西蔵)、3つの直轄市(中央政府の直轄する市、北京・上海・天津市)があり、首都は北京。

自然環境 中国の地形は西に高く、東に低いが、複雑であり、気候風土も変化に富んでいる。国土総面積に占める各種地形の比率は、山地が約33%、高原が約26%、盆地が約19%、平原が約12%、丘陵が約10%となっている。慣習的に山区といわれるものには山地、丘陵、そして比較的起伏のある高原が含まれ、それらが全国土の3分の2を占めている。

中国の地域区分

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   広大な中国の地域を、地形・気候その他の自然的条件により、また人文地理的要素を考えて、華北・華中・華南の3地域に区分することができる。華北と華中の境界は、淮河と秦嶺を結ぶ線にある。華北が黄土地帯を中心とする乾燥農耕地帯であるのに対して、華中は水田耕作に適している。「南船北馬」という言葉は、華北では馬が主要な交通機関であったのに対して、江南では交通や灌漑のための水路が縦横に発達していたことを語っている。

option  中国文明は世界最古の文明であるとともに、独自の文化を今日まで持続したという点では世界でも類例がない。このことを地理的観点から考えてみよう。

   アジア大陸の東端に位置している中国は、エジプト、メソポタミアなどの古代文明諸国からもっとも遠くはなれたところで文明を形成した。地理的位置に起因する文化的孤立性は中国の民族文化の形成に深い影響をあたえずにおかなかった。中国をふくめた四つの古代文明は、いわゆるアフロ・ユーラジアン複合体をつくっているが、世界の屋根である高峻なヒマラヤ山脈とタクラマカン砂漠などの天然の障壁とにさえぎられた遠東の中国は、他の三文明からもっともかけはなれた存在であって、相互の交渉はわずかに駱駝の背にのって砂漠をわたる隊商によってもたらされた。西アジアやヨーロッパの政治的支配が中国の領土や勢力圏に直接及んできたことは、17世紀にいたるまではなかった。したがって、中国は巨大な領域をしめながら、地理的にも、政治的にも、孤立した地域を形成し、そのなかで独自の文化を発展させてきたのである。すなわち、古い文化を発生させたエジプトのナイル川やチグリス・ユーフラテス河流域、あるいはギリシアやインダスにおいて、その文化が停滞し、衰亡したのに比べ、中国はむしろその孤立性を生かし、インドや西方の文化的な刺激を生かして、独特の文化を形成したのである。(参考:貝塚茂樹「中国の歴史」岩波新書)

中国地理関係文献

清国地理小誌 高田義甫著 島林専二郎刊行 1880
清国道中里程図誌 川端恒太郎 京都・杉本甚助 1885 地図
禹域通纂 楢原陳政 大蔵省 1888
清国本部與地図  中田貞矩編 中村芳松(大阪) 1894
中国彊域沿革図 附説略 重野安易繹 河田黒合 冨山房 1896
朝鮮支那地名辞彙 根来可敏編纂 共同出版社 1910
支那省別全誌 全18巻 東亜同文会 1917-1920
中国地名大辞典 劉鈞仁著 国立北平研究院 1930
中国古今地名大辞典 商務印書館 1931
満州地名辞典 岡野一朗 日本外事教会 1933
満州地名索引 加藤新吉 満州鉄道総局 1936
現勢上海・南京詳図 六芸社 1937
最新支那及極東地図 アトラス社編 アトラス社 1937
最新支那大地図 大林堂 1937
満州国地名大辞典 山崎惣与 満州国地名大辞典刊行会 1937
古地理学 陳兼善 長沙商務印書館 1940
支那地名辞典 星斌夫著 富山房 1941
新中国地理 森下修一訳編 古今書院 1956
中国地方誌連合目録 1964 東洋学文献センター連絡協議会編 東洋文庫 1965
アジアの農業 アジア経済講座3 石川滋編 東洋経済新報社 1971 
中国総覧 中国総覧編集委員会編 アジア調査会(霞山会) 1971-1986
中国大陸省別地図 越村衛一・矢野光二編 外交時報社 1971
中国地図帳 平凡社編 平凡社 1973
中国地名大辞典 旧・国立北平研究所版 東京美術 1974
中国の地理 浅川謙次監修 人民中国編集部編 築地書館 1975
中国地理の散歩 阿部治平 日中出版 1979
中華人民共和国地質図集 付・別冊 中国地質科学研究院主編 佐藤信次訳 築地書館 1980
現代中国地理 その自然と人間 黄就順著 山下龍三訳 帝国書院 1981
中国大陸五万分の一地図集成 8冊 総合索引 科学書院 1986-2002
中国大陸二万五千分の一地図集成 4冊 索引図 科学書院 1989-1993

血液型と性格との関連性はない

140526_typeb   人間の血液にA型、B型、0型の種類があることを最初に発見したのは、ウィーン大学の生物学者カール・ラントシュタイナー(1868-1943)で、1901年のことである。この血液型と性格との関連性を初めて論文としたのは日本人で、大正5年に原来復と小林栄が「血液ノ類属的構造ニ就イテ」(医事新報954号)であるが、そののち古川竹二(1891-1940)が書いた「血液型と気質」(1932年)で広く知られるようになった。戦後は、フランスの心理学者レオン・ブールデル(1907-1966)が「血液型と気質」(1960年)、能見正比古(1925-1981)の「血液型人間学」「血液型でわかる相性」がベストセラーになった。その後も血液型性格診断は相性判断となって、酒席で「B型っぽい」とか「A型らしくないね」という話題をすれば盛り上がる。しかしながら、血液型による性格判断は科学的に証明されていない。血液型性格診断は根拠がなく擬似科学性が指摘されている。でも「A型は几帳面」とか「B型の男は自分勝手で我が儘」といえば、なぜか思い当たることがある。だれにでもあてはまることを言われると、自分のことと思ってしまう心理がはたらく。これをバーナム効果という。先ごろ、九州大の縄田健吾講師が、血液型と性格の関連性に科学的根拠はないとする統計学的な解析結果を発表した。最近では、血液型によって就職などで差別されるブラッドタイプ・ハラスメントが問題化している。このように日本や韓国では、血液型と言えば、相性や性格診断のイメージが強いが、欧米では血液によって「病気リスク」の差があるという研究が進んでいる。四血液型の中で、最も免疫力が少ないのはA型で、いちばん病気に強いのはO型である。

2018年12月 7日 (金)

ふたりのジーン・ミューア

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ジーン・ミューア 女優    デザイナー

    ジョージ・シーガルという名前は俳優とポップ・アートの彫刻家がいる。同姓同名には混同がつきもの。ジョー・コールはサッカー選手と俳優がいる。女優のジーン・ミューア(1911-1996)にもイギリスのデザイナー、ジーン・ミューア(1928-1995)がいる。ほとんど同時期に活躍している。ジーン・ミューアは1930年代から1940年代にかけてワーナー・ブラザーズの人気女優だったので、デザイナーがその名前を利用したのかもしれない。( Jean Muir,Gerge Segal )

2018年12月 6日 (木)

ラコニア号遭難事件

1200pxu156_3735_laconia_1942_09_1_2   第二次世界大戦中、英国客船ラコニア号が南大西洋でドイツの潜水艦によって沈められ、約1100人が命を落としたという、痛ましい事件。1942年9月12日、イギリスの帰休兵、傷病兵、婦女子、イタリア兵の捕虜など約3000名を乗せ航行中のラコニア号は、U156に攻撃され、沈没した。Uボートの艦長ヴェルナー・ハルテンシュタイン(1908-1943)はイタリア兵捕虜が乗船していたことを知り、司令官に報告。これによりU506、U507、U459およびイタリアのカッペッリーニが救援に参加した。9月17日、現場を飛来したアメリカ軍の爆撃機がこれを発見。ハルテンシュタイン艦長は赤十字を甲板に表示したが、米軍機はUボートを攻撃した。これによりU156は損傷し、救命ボートは顛覆した。この事件後、デーニッツ提督はUボートによる救命作戦を禁止した。ハルテンシュタインは1943年3月8日にバルバトスの東沖でまたアメリカ軍機に襲撃されて乗員56名とともに戦死した。

   近年この事件をもとに英国BBCはドラマ「ラコニア号 知られざる戦火の奇跡」(2010)を製作している。(参考:「ラコニア号遭難事件 世界ノンフィクション全集46」ローレンス・ペイヤール著) Werner Hartenstein

映画のキス・シーン

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 終戦後初めてアメリカ映画が公開されたのは、昭和20年12月6日、西部劇「ユーコンの叫び」(ビヴァリー・ロバーツ主演,1938年制作)が東京の日劇と日比谷映画で上映された。そして翌年昭和21年2月封切りの「春の序曲」(ディアナ・ダービン主演)と「キュリー夫人」(グリア・ガースン主演)も大ヒットした。(ともに1943年制作) 映画館は長蛇の列をなした。

    占領軍は毎週2本の作品を公開し、1本は娯楽作品、もう1本は民主主義の啓蒙に役立つ作品とする基本方針を立てた。つまり「春の序曲」は娯楽作品、「キュリー夫人」は啓蒙的な内容をもった作品というわけだ。

    「カサブランカ」(1942年製作)「ガス燈」(1944年製作)も昭和21年に公開され、イングリッド・バーグマンの人気は沸騰した。さらに5年間の空白を一気に埋めるかのようにバーグマンの主演作が続々と上映された。昭和23年「聖メリイの鐘」(1945年製作)、昭和24年「汚名」(1946年製作)、昭和25年「サラトガ本線」(1945年製作)、昭和26年「白い恐怖」(1945年製作)、昭和27年「凱旋門」(1948年製作)、昭和27年「誰がために鐘は鳴る」(1943年製作)、

    6年間にバーグマンのこれまでの代表作が観ることができたのであるから、この時代、日本での最高の人気女優が彼女であったことは間違いない。とくにヒッチコック監督の「汚名」は、戦後に製作された映画であり、イングリッド・バーグマン&ケーリー・グラントという美男美女カップルのため、スリラーよりもラブシーンが話題となった。当時「キス・シーンは3秒まで」という規定があったが、ヒッチコックはこの規定を逆手に取り、二人が愛し合うシーンでは、3秒以内の短いキスを何回も続けさせた。その結果、二人のキス・シーンは2分半にも及び官能描写が話題となり興行的に大ヒツトを記録した。「汚名」の「あらすじ」を紹介する。

    第二次世界大戦も終わりに近い頃、アメリカの法廷で、ひとりの男がナチスのスパイとして懲役20年の刑を宣告された。そのため、娘のアリシア・フーバーマン(イングリッド・バーグマン)世間から冷たい目で見られていた。

    ある夜のパーティーで友達からデブリン(ケーリー・グラント)という男を紹介される。悲しみを紛らすためにひどく酔ったアリシアは、デブリンと夜のドライブに行き途中でスピード違反のために警察につかまるが、その時デブリンが示した手帳から彼が何やら警察と関係ある男だと知って狂気のように怒った。

    デブリンは彼女の気を静めるために殴って家へ連れ帰り、その夜ひと晩中アリシアを看護した。翌朝、デブリンは自分がFBI情報部の一員であり、南米におけるナチのスパイ組織を調査するために、一緒にリオへ行ってくれるようにと頼みこむ。

    南米へ飛ぶ飛行機上で、アリシアは父が毒薬自殺したことを知る。アリシアとデブリンは仕事の束の間に本当の恋におちいった。やがて命令が与えられる。それはリオに亡命している金持の団体が何か陰謀を企んでいるので、その実態を調査することだった。

    アリシアはその一団の一員であるアレックス・セバスチャン(クロード・レーンズ)がかつての父の友人であり、以前彼女を恋していたこともあって、セバスチャンの身辺を探るよう命令される。偶然のような再会。アレックスは母親(ミルドレッド・ナトウィック)や来合わせていた客達を紹介した。そしてセバスチャンは熱心にアリシアとの結婚を望んだ。それに対して何の反応も示さないデブリンにつらあてするかのように、アリシアは求婚を受け入れた。

    新婚旅行から帰った日、アリシアは地下の酒倉の鍵をいつもセバスチャンが持っているのを知り、その中に秘密があることを感じとった。そしてデブリンと秘かに公園で連絡した時その話を告げる。

    結婚披露のパーティーでデブリンは招待客として招かれる。そしてアリシアが夫の鍵束から外しておいた酒倉の鍵を受け取り地下室に降りていった。ふたりは暗い酒倉で逢引きをする。そしてワインの瓶の中に黒い粉を発見する。その時、足音がしてセバスチャンが現れた。ふたりは密会中を見られたようにとりつくろう。その後、再び鍵束に地下室の鍵がついているのを見てセバスチャンは妻の行動に疑問を持つようになる。セバスチャンが最も恐れたのは、自分がアメリカのスパイを妻にしてしまった大きなミスを仲間に知られることだ。母親は、毒薬を少しずつアリシアに飲ませて病気で死んだように見せかける方法を提案する。

    デブリンの上官プレスコット(ルイス・カルハーン)は瓶の中の黒粉が原子爆弾に使われるウラニウム鉱であることを知って驚く。ドイツもまた原子爆弾の開発に力を入れていることが分かる。

    その間にもアリシアは毒薬入りのコーヒーを飲まされ、次第に衰弱していった。一方、デブリンも連絡のないアリシアの身を案じて単身セバスチャンの邸へと乗り込み、彼女を連れ出そうとした。それを制止しようとあせるセバスチャンの態度に、居合わせたナチス党員たちの疑惑の目が集中する。スパイとしての彼の失策は明らかとなった。アリシアとデブリンにようやく平和な恋が訪れた。

   原子爆弾の話は、撮影直前(1945年10月)になった、ヒッチコックによって書き加えられたためである。

2018年12月 5日 (水)

ドイツ中世史 皇帝権と教皇権を中心に

 ヴェルダン・メルセン条約によって三分割されたフランク王国、中の東フランク(ドイツ)では911年にカロリング家が絶え、諸侯の選挙によってコンラート家(フランケン家)が王位についたが、ついでザクセン家のハインリヒ1世が王に選ばれた。その子がオットー1世である。彼は教会・修道院に土地を寄進して宗教諸侯とし、それによって世俗諸侯の勢力を抑え、また東方から侵入したアジアの遊牧民マジャール人を撃破し、さらにイタリアに遠征してイタリア王を兼ね、教皇ヨハネス12世の窮状を救った。そのため教皇は962年2月2日、ローマ皇帝としてオットーに戴冠した。これが1806年の神聖ローマ帝国の消滅までの起源である。しかし事実上「神聖帝国」の称は1157年に、また「ローマ帝国」の名はコンラート2世統治下の諸領を示すものとして1034年にさかのぼり使用しているが、厳密には、神聖ローマ帝国の称は1254年以降のものにすぎない。ローマ皇帝という名は、オットー2世(983年)に由来して「神聖ローマ帝国」の称より古いが、カルル大帝からオットー1世までは、単に「皇帝にして尊厳なる者」imperator augatus という表現が、特定の領土と結びつけられずに使用された。神聖ローマ皇帝権の成立は、次第に世俗的権力を有するようになった。教皇権との間にいわゆる叙任権闘争という現象を生むに至った。1095年、教皇ウルバヌス2世のクレルモン公会議の召集と、翌年の第一次十字軍の出発以来、教皇権の勢威が日増しに高まっていった。

   教皇権の最盛期はインノケンティウス3世(イノセント3世、在位1198-1216)の時代であった。かれはドイツ系のイタリアの貴族であり、教皇の指導の下に単一の共同体としてのキリスト教世界を樹立することを志していた。

   彼は、神聖ローマ皇帝の選挙に干渉して、シュタウフェル家の候補者を退け、オットー4世を支持した。またフランス王フィリップ2世の離婚問題に干渉して王を破門にした。イギリス王ジョンをもカンタベリー大司教任命問題をめぐって破門にし、乞いを入れて王を封臣とした。このほか、アラゴン、ブルガリア、デンマーク、ハンガリー、ポーランド、ポルトガル、セルビアの君主に封建家臣として臣従の誓いをさせた。イノケンティウス3世時代には、「教皇は太陽、皇帝は月」といった考えが優勢になる。太陽の前で月が光を失うように、皇帝権は教皇権にかなわないというのである。

 

しかし、かかる教皇権もやがて14世紀初頭ボニファティウス8世が北イタリアのアナーニにおいて、フランス王フィリップ4世に屈服した事件を契機として没落への道を歩むに至った。これと共に中世封建社会制度の理念的統一は崩壊して、新しい時代、近世への転換がなされるのである。

 

 

趣味あれこれ

2011   連続クイズ・ホールドオン(323)の出場者に「投扇興」を趣味とする人がいた。投扇興とは桐箱の台に立てられた「蝶」と呼ばれる的に向かって扇を投げ、その扇・蝶・枕によって作られる形を、源氏物語や百人一首になぞられた点式にそって採点し、その得点を競う競技。1773年頃から盛行したが明治期に衰退。近年、再び流行の兆し。
 趣味は実にさまざまで、散歩や読書から投扇興まで、いろいろある。大きく次の6つに分けてみる。森村誠一は若いころから登山が好きだったが、美しい山を写真に残したいとカメラが趣味になり、やがて俳句、和歌も趣味とするようになる。

1.収集、コレクション
切手、フィギュア、カード、めんこ、古本、絵葉書、レコード、書画骨董、美術品、宝石、民芸品、化石、昆虫などの収集

2.学習する
英会話、漢字検定、占星術、ペン字、書道、パソコン、手話

3.楽しむ
音楽鑑賞、盆栽、ペットの飼育、将棋、囲碁、トランプ、俳句、短歌、パチンコ、ピアノなど楽器演奏、カラオケ、競馬・競輪などのギャンブル、飲食・グルメ

4.つくること
料理、園芸、手芸、キルト、陶芸、いけ花、絵画、写真

5.体を動かす
散歩、旅行、登山、サイクリング、ドライブ、体操、ダンス、サーフィン、ゴルフ・マラソンなど各種スポーツ

6.ファン・追っかけ
野球・サッカーなど自分は競技しないが鑑賞・応援する、アイドルのファンクラブに入る

三位一体を信じなければクリスチャンとは言えませんか?

  「三位一体」という用語は高校世界史の教科書にも使用されているが、なかなか理解するに難解な語であろう。「カトリック入門」(中央出版社)によると、「①父と子と聖霊はそれぞれ別なかたでありながら唯一の神であられ、救いはその共同のみわざである。②父と子と聖霊は内的に互いに愛し合う限りない知恵と愛のいのちであり、その交わりは人知をはるかに越えた神秘である。③父と子と聖霊の愛の交わりが人々の心をひとつに結び、つねにより深く愛し合うように促し、助け、導いていく」とある。欧米キリスト教世界では、これまでクリスチャンであるかどうかは「三位一体の神秘」を信じるか否かだといわれてきた。

    ところがこのような説に対して、最近、デンマークの宗教社会学者のアニーカ・フフィタマルは、人々に自分がクリスチャンだと思う理由を尋ねたが、三位一体の神を信じているからだと応えた人はほとんどいなかった。三位一体の教理はキリスト教神学における難解な問題の一つである。三位一体の教理がわからずとも、イエスが命じた事柄を守り行なおうと努力している人は、確かにクリスチャンであると言えるのか、あるいは、三位一体を信じなければクリスチャンとは言えないのか、日本人にとっては理解しにくい問題だ。

2018年12月 4日 (火)

なぜ四つ葉のクローバーを見つけると幸せになれるのか?

   四つ葉のクローバーは学名をトリフォリウムといい、「三つ葉」という意味です。葉は3つの小さな葉が集まってできていることが多く、四つ葉は珍しく、見つけるのが難しいから、と一般にいわれています。キリスト教以前の古代ケルトのお守りとしてアイルランドなどで「シャムロック」と呼ばれていました。その後、アイルランドへキリスト教の福音を伝えるためにやってきた守護聖人である聖パトリックが、異教信仰との融和を図るため、シャムロックの葉が小さな三つ葉になっていることから、三位一体の教え(信仰、希望、愛)を認めさせたと伝えられています。キリスト教を受け入れたアイルランドでは、このシャムロックを国の象徴として採用しました。このように、三つ葉のクローバー自体も古来から幸運のシンボルであるといわれていました。そのため、もっと珍しい四つ葉のクローバーには、より強い力が宿ると、信じられてきたのである。

「黒いナポレオン」ボカサ皇帝

Bokassai1sized 1977年のこの日、中央アジアのジャン・ベデル・ボカサ終身大統領(1921-1996)は、国名を中央アフリカ帝国と改め、自らをボカサ皇帝と宣言し、国家予算の2倍にあたる2500万ドルを費やしてナポレオン1世を真似た豪華な戴冠式 を行った。その後独裁政治が続くと、国際的な非難が高まり、旧宗主国のフランスも政府打倒を画策しはじめた。1979年9月、ダヴィド・ダッコが無血クーデターに成功、共和制に戻った。ボカサを仏大統領ジスカール・デスタンは支援したため、彼の人気は急落し、選挙でミッテランに敗れる一因となる。(12月4日,Jean Bedel Bokassa)

2018年12月 3日 (月)

私がTVで見たいもの

   世の中、4Kだ8Kだと騒いでいるが、私はハードにはあまり関心がない。さんま御殿のようなひな壇にタレントを並べて笑いをとろうとするバラエティ番組を8Kで見ても無意味だ。やはり良質の映画作品をみたいものだ。本日のラインナップから。「プライベート・ライアン」(1998年)スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演。「若者よ挑戦せよ」(1968年)千葉泰樹監督。小林桂樹、白川由美。「クリスマス・イヴ」一挙放送。清水美沙がポケ・ベルを使っていた。「壁の中の懲りない面々」渡瀬恒彦。「明治の偉人、夏目漱石」「にっぽん歴史鑑定、忠臣蔵討ち入り」「忘却のサチコ」「必殺忠臣蔵」藤田まこと。「スーサイド・スクワッド」ウィル・スミス。

大阪万博とモルモン教とゾウ

   日本にモルモン教が広まったのはいつ頃からであろうか?1970年の日本万国博覧会(EXPO'70)以降とするのが一般的な見方であろう。しかし文献を漁ると、国立国会図書館の所蔵図書には内田融の「モルモン宗」文明堂、明治35年刊行があり、110年以上の歴史がある。

  鈴木正三は1968年に末日聖徒イエスキリスト教会、日本伝道部の第一顧問となった。折しも日本万国博覧会の会場建設が吹田市の千里丘陵で始まりつつあった。教会はこの万博に出展を決め、モルモン館を建設する。鈴木はその館長に就任し、毎日多くの要人を迎えた。万博開催中のある日、当時の皇太子殿下(今上天皇)がモルモン館を訪ねられた。鈴木が案内する中、皇太子殿下は一つだけ質問をされた。「イエス・キリストとはどなたですか?」鈴木はこう答えたという。「イエス・キリストは神様の独り子で、この世を創造された御方であり、わたしたちはこの地上で生活したことについて、いつかイエス・キリストの前で裁きを受けます。わたしも裁きを受けます」

   万国博覧会の来場者数は、6421万8770人であった。わたしもその中の1人である。

   モルモン教とともに思い出されるのはタイの像の来日である。夏のイベントに出演するためタイからはるばる大阪に20頭ものゾウがやってきた。神戸港から大阪までゾウの行進があり、みんなで見た想い出のある方も多いだろう。滞在中にオスの赤ちゃんが生まれ、「おまつり広場」にちなんで「ひろば」と名づけられた。あの「ひろば」くんはいまどうしているだろうか?関西大学のあるサークルが2年にわたって調査したところ、ゾウは30年ほど前に亡くなっていたことが判明した。

「銀ブラ」の語源

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 昭和4年の心斎橋筋

    NHK連続テレビ小説「花子とアン」第85回。物語は大正8年12月ころ。朝市と武が東京・銀座へやって来た。安東かよは銀座のカフェで女給をしている。「銀ブラの意味わかってます?」「バカにするじゃねぇ。銀座をブラブラするからだろ」「違います。銀座でブラジルコーヒーを飲むからです」

   一般に「銀ブラ」は「東京の繁華街銀座通りをぶらぶら散歩すること」(広辞苑)と説明されてきたが、近年、「カフェー・パウリスタ銀座店でブラジル・コーヒーを飲むこと」に由来するというブラジル・コーヒー説が有力である。大正2年(大正4年説もある)に慶応大学の学生たち(小泉信三、久保田万太郎、佐藤春夫、堀口大学、水上滝太郎、小島政二郎)などが作った言葉とされる。しかしこのブラジル・コーヒー説は商業的に宣伝したもので、捏造の疑いがあり、文献で証明されたものではない。

   朝ドラ「カーネーション」では、「心ブラ」も出てくる。昭和初期、大阪心斎橋筋2丁目にカフェー「心ブラ」が出現した。「心ブラ」は「銀ブラ」をもじった言葉で、「心」は心斎橋、「ブラ」はぶらつくこと。「心ブラ」という言葉は今や死語に近いが、昭和初期には十合(そごう)や大丸の百貨店が営業を始めると心斎橋はなかなかの賑わいをみせ流行語となった。和辻陸二(兵庫県出身。明治41年生)は初め南区周防町にカフェーを営業するとき、「銀ブラ」に対抗して「心ブラ」と命名したことがルーツかもしれない。お店は大人気となったが、道路拡張に従って、立ち退きを余儀なくされ、新店が心斎橋筋二丁目に進出し、文字通り「心ブラ」の中心地となった。アール・デコの建築も豪華で、業界第一のカフェーとして知られた。

参考文献:「心斎橋筋の文化史」 橋爪紳也監修 心斎橋筋商店街振興組合刊 1997年

 

2時間の壁を突破できるか?

1967_photo   福岡国際マラソン。服部勇馬が2時間7分27秒という好タイムで優勝した。だが日本勢と世界との差はまだ大きい。

    スポーツにはルールがあり、記録がつぎつぎに塗り変えられている。数あるスポーツ記録の中で最も注目すべきは男子マラソンの2時間の壁である。はたして人類は2時間を破ることができるのだろうか。男子マラソンの世界記録の推移をみてみよう。

1908年 2時間55分18秒4

1925年 2時間29分1秒8

1953年 2時間18分40秒8

1967年 2時間9分36秒8 (クレイトン)

1998年 2時間6分5秒(ダコスタ)

1999年 2時間5分42秒(ハヌーン)

2003年 2時間4分55秒(テルガト)

2008年 2時間3分59秒(ゲブレシラシエ)

2011年 2時間3分38秒(マカウ)

2013年 2時間3分45秒(キメット)

2013年 2時間3分23秒(キプロティチ)

2014年 2時間2分57秒(キメット)

   ちなみに現在、日本人男子の最高記録は、大迫傑の持つ、2時間5分50秒(2018年)である。

   1967年12月3日、福岡国際マラソンでデレク・クレイトン(画像)が2時間10分の壁を破ったが、この世界記録の達成には1人の日本人選手が貢献している。序盤戦はクレイトンが驚異のハイペースで独走したが、九州電工の佐々木精一郎が後方集団から1人追い上げ28㎞過ぎに並びかける。6㎞ほど並走したが、38㎞地点で佐々木は右脇腹をおさえて後退した。もし佐々木の猛追がなければクレイトンの大記録はなかったかもしれない。生中継でTVリアル観戦した記憶は今も鮮明に残っている。(Derek Clayton)

みかんの日

Photo_4 きょうは「みかんの日」。「いいみっか(3日)ん」の語呂合わせ。市場でミカンがみかける頃となった。日本の正月風景は、家族で囲んだ炬燵があり、その上に必ずミカンがあるというのが定番である。日本のミカンはオレンジと違い、テレビを観ながらでも手で皮がむけることからアメリカでは「テレビオレンジ」という愛称があるそうだ。とくに温州ミカンは、日本の全柑橘生産量の約4分の3を占めている。温州ミカンの歴史は意外と新しく、明治時代中期以降のことである。有吉佐和子の小説「有田川」には、「紀州ミカン」が「温州ミカン」と移り変わる明治33年当時のようすが描かれている。果実が100gにもなる温州ミカンと50gほどの小ミカンでは勝負は明らかだった。温州(うんしゅう)みかんの呼び名は、江戸時代の本草学者が中国のミカンの名産地である浙江省温州府という古名に因んだものである。原産地は浙江省とは無関係で、鹿児島県出水郡長島町であり、筑後地方に入って各地に広まった。

   近年は温州市は高度な経済発展をとげる中国人が住むところとして、「温州商人」という呼称がある。投資と商才に長けた人たちをさす。(12月3日)

小山田庄左衛門

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   赤穂浅野家が断絶し、47人が忠義の士として称賛を浴びる一方、義盟に加わった同士のなかにも70人の脱盟者がいた。高田郡兵衛、毛利小平太などの脱盟者がよく知られるが、橋本平左衛門も遊女淡路屋お初と大坂で心中した。そして小山田庄左衛門も実在の人物で、不義士としての汚名を残した1人である。

    元禄15年11月5日、大石内蔵助らが江戸入りした時は、庄左衛門も堀部安兵衛らと同居していた。12月3日の最後の深川会議の前、同志片岡源五右衛門から、金子3両と小袖を盗んで逃亡したと伝えられる。81歳になる父の十兵衛は義士に詫びて、自決した。大佛次郎の小説「赤穂浪士」では庄左衛門と穂積惣右衛門の娘の幸との悲恋が描かれている。

2018年12月 1日 (土)

宇治原はスカーレット・ヨハンソンを知らなかった

   クイズ番組Qさまの常連タレント、ロザン宇治原がある有名人の写真を見て「こいつ誰や?」とつぶやく。宇治原は外国スターはあまり知らないらしい。金髪の女性は米女優のスカーレット・ヨハンソン。米国人がこの番組を観たら驚き呆れるだろう。Forbes誌で「2018年世界で最も稼いだ女優」ランキングで第一位だ。これまで「真珠の耳飾りの少女」「理想の女」最近では「アドベンチャー」シリーズのブラック・ウィドウ役が有名だ。2016年からラックスCMに出演しているので映画館へ行かない日本人でもお茶の間のTVで一度は見たことがあるはずだ。 それにしても大女優のスカーレット・ヨハンソンが日本での認知度が低いのは不思議だ。

 

 

ペンネーム・芸名にまつわる奇話あれこれ

  名前には不思議な力が宿るので正確に覚えたいものである。井原西鶴、太宰治、司馬遼太郎、レーニン、トロッキー、スターリン、魯迅などはみな本名ではなく筆名である。世界史の人物では第三回十字軍のアラブの英雄サラディン。サラーフ・アッ・ディーンが正しい。

  第48代横綱大鵬には本名の納谷幸喜( なやこうき)のほかに、イヴァーツ ・ボリシコというロシア名がある。森鷗外の「鷗外」は友人・斉藤勝寿の号「鷗外漁史」を拝借したもの。小説「舞姫」を発表した際に「鷗外」と名乗ったことに始まるが、彼はその後も作品で使い、このペンネームが有名になってしまったのだ。

   小説家は、小説の精神をそのまま具現化して読者に伝える主役や脇役の名前の命名に苦心を払うらしい。かの文豪シェイクスピアがハムレットやオフィーリアをどのように生み出したのか興味深い。ところで名前は平凡な名前と珍しい名前のどちらかに二分される。山田太郎、鈴木一郎、ジョン・スミス、ウイリアム・ウィルソンなどは平凡な名前、ありふれた名前の代表格だろう。

    対照的に珍しい名前、珍名、奇名、難しい名前などはインパクトがあるので小説などによく使われる。けれども不思議なもので何度も聞くうちに、めずらしくなくなって、ひとつの存在としてのアイデンティテーを確立してしまう。星飛雄馬などは梶原一騎が考案した最高のネーミングだろう。このようにスター性のある人にはなにかしら名前そのものにパワーがあるから不思議だ。「純と愛」に出演している吉田羊や「まれ」の土屋太鳳もインパクトある名前だ。飲酒運転で逮捕されたガリガリガリクソン。元巨人の助っ人選手と関係があるかは不明。「門楼(もんろう)まりりん」も珍名。

   「しりあがり寿」「辛酸なめ子」、女性器をテーマにした作品で知られる「ろくでなし子」など珍名は漫画家に多い。お笑い、寄席芸人にも珍名は多い。ケーシー高峰は医学漫談でアメリカのドラマ「ベン・ケーシー」に因む。高峰は高峰秀子のファンだから。桜金造も桜田淳子に因む、あこがれ型芸名。プリティ長嶋は長嶋茂雄に由来。珍しい芸名では丹古母鬼馬二。「たんこばきばじ」と読む。ゲスの極み乙女のドラマー「ほないこか」。脇役の螢雪次朗は1960年代に大映作品などで活躍した蛍雪太郎に因んでいる。

  珍名芸人といえば「たけし軍団」がとくに目立つ。そのまんま東、ガダルカナルタカなどは著名人だが、なかにはヒドイ芸名をつけられたという被害者もいる。阿部定忠治(のち鳩山来留夫に改名)、無法松、お宮の松、玉袋筋太郎、犬神クヒオ、ガンビーノ小林、マダ村越。江頭2:50。深夜2時50分以降に酔いが回って暴れ出すことから名付けられた。ダンカンはシェイクスピア「マクベス」の登場人物スコットランド王ダンカン。

    歴代相撲の四股名では、猫又三吉、三毛猫泣太郎、自動車早太郎、文明開化、凸凹大吉、ヒーロー市松、成瀬川土左衛門、山本山。ボクシングでは、ガッツ石松、ベンケイ藤倉、牛若丸あきべぇ。

    珍しい名前といえば、「玄武岩」という名を見て驚いた。ヒョンムアン(玄武岩)さん(北海道大学大学院准教授。1969年生まれ。)ペンネームには変わった名前が多い。団鬼六、吉田戦車、荻原魚雷、わかぎゑふ(若木F)、などは一度聞いたら忘れないほどインパクトがある。

    珍しい芸名が裁判になったこともある。高知東急という俳優が、1996年、東京急行電鉄から「高知に東急が進出したと誤解を受ける」と芸名使用停止を求められた。裁判で敗訴し、その後、「高知東生(たかちのぼる)」と改名している。企業のかなりコジツケのような言いがかりだったが、裁判所は一個人命名の自由よりも大企業に贔屓したとみている。

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