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2018年11月 1日 (木)

クオ・ヴァディス

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サン・タンジェロ(聖天使城)、聖天使橋、そして奥に聖ペテロ寺院のドーム

   西暦64年、ローマ皇帝ネロ(37-68)の治世に大事件が起こった。この年の7月、ローマ市は下町から出た怪火によって数日間燃えつづけ、市街の大半が焼失した。ネロはこのとき海岸都市アンティウムの離宮にいたが、すぐ帰還して消火と罹災者救護、さらに市街の復興に努力した。しかし彼の平素の行ないが悪いためか、かれが市街の燃えるさまをバルコニーから眺めトロヤ滅亡の詩を口ずさんだとか、また新市街建設で名をあげるため旧市街に放火して焼きはらわせたとかいう忌まわしい噂がたち、民衆が暴動を起こしそうになった。ネロはこの噂を消すために側近の進言によって放火をキリスト信者のせいにし、かれらを十字架につけたり、火あぶりにしたり、獣の皮をかぶせて猛犬にかみ殺させたりした。捕縛を逃れたペテロ(生年不詳~64年頃)は、ついに激しい迫害に耐え切れず、ローマを去る決心をした。ペテロは夜中にローマを発って、少年のザカリウスと共に明け方のアッピア街道をたどっていた。その途中で朝日が昇り、その黄金の光芒の中にペテロは、復活したキリストの姿をみた。ペテロは思わず膝まづいて祈った。

    「クオ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへ行かれるのですか)」とたずねると、「あなたが私たちの羊たちを見すてるのなら、私はローマへ行き、もういちど十字架にかかろう」と答えた。

   しばらくうちたおれていたペテロは、やがて立ち上がってくびすを返した。そしてふたたび信徒迫害のローマにもどり逆さ吊りの十字架にかかって殉教する。

   その4年後、暴君ネロは、嵐のように、火事のように、戦いのように、疫病のように死んだ。しかし、ペテロの礼拝堂は、今もなおヴァチカンの頂から、ローマおよび全世界を支配している。

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