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2018年10月15日 (月)

セントヘレナのナポレオンと島の娘ポリー

Mort_napoleon_convert_2012011218011     ワーテルローで敗れたナポレオン(1769-1821)は、1815年6月22日に退位した。6月29日、アメリカへ亡命するため、パリを離れてロシュフォールの港に向かったが、すでに港が封鎖されていることを知り、イギリス軍艦ベレロフォン号に投降した。しかしイギリス亡命は認められず、ナポレオンは1815年10月15日、南大西洋の孤島セントへレナに流刑された。セントへレナ島はイギリス東インド会社の仲継基地で、少数の農民のほか奴隷に売られたインド人や中国人の姿が診られた。ナポレオンはロングウッドという丘陵地の粗末な木造家屋に収容された。

    セントへレナ島でナポレオンは、イギリスの行政官ハドソン・ローと口論したり、回想集を口述したりしながら余生を送った。孤島での幽閉生活は淋しいものだった。英雄の唯一の愉しみは、ポリー・メイスンとの木の下でのデートだった。と言っても2人は共通する言葉を持たなかった。ポリーは明るく奔放な性格といわれるが、ナポレオンとは20歳以上も年が離れていた。ナポレオンの死後、ポリーは嫁いで幸せな家庭を持ったのかは、島の人たちも何も知らない。

長期間癌で苦んだあとの1821年5月5日、暴風雨の夕べ、ナポレオンは51歳で世を去った。いよいよ最期が近づいたとき、ナポレオンは「フランス、軍旗、ジョゼフィーヌ」と死ぬ間際に言ったという。5月8日、生前好んで散歩した柳の木のもとに葬られたが、その葬儀はまことに簡素であった。彼の死後2年経た1823年に出版されたラス・カーズの「セント・ヘレナ日記」は大きな反響をよぶ。「セーヌ川のほとりに眠りたい」というナポレオンの最後の願望はかなえられ、1840年に彼の遺骸はパリのオテル・デ・ザンヴァリード(廃兵院)に改葬された。ナポレオンはいまもフランス国民の英雄である。

   ナポレオンの死因については今も論議されている。胃癌と肝臓病とする病死説が一般的であるが、彼の復活をおそれたイギリスが毒を少量ずつ与えたという毒殺説がでた。近年、イタリアの国立物理学研究所で毛髪を分析した結果によると、ヒ素中毒で亡くなったということは否定されている。(Napoleon Bonaparte,Saint Helena,Polly Mason)

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