マリ共和国の歴史
西アフリカ内陸部に位置する国。この地域に紀元後4世紀にソニンケ族のガーナ王国が興り、8世紀にサハラとの交易によって絶頂期を迎えた。その交易とは、北方で収穫された塩を南方の金や象牙と交換するというものだった。そのころ、アラブが北アフリカ地方の征服を完了し、広範囲にわたる交易ネットワークをもち、アラブ商人を通じてブラック・アフリカに文化的影響を与えた。1076年、ガーナ王国はベルベル人のムラービト朝の進撃にあい崩壊したが、1235年ころにニジェール川を中心にスンディアタの興したマリ帝国によって継承され、16世紀にかけて西アフリカを支配した。この国はサハラ砂漠を縦断し、金を求めて往来するアラブ商人との交易を独占することによって繁栄し、その版図が広大なものとなった。その中継地ジェンネは世界遺産として知られている。ジェンネの歴史は古く、近年の考古学調査によって、遺跡ジェンネ・ジュノ(古いジェンネという意味)では紀元前3世紀以降に人が住んでいたことが明らかにされている。
15世紀になるとマリ帝国に反旗を翻す諸部族が現れ、なかでもトゥアレグ族は、経済・文化の中心であるトンブクトゥを征服、マリ帝国の政治的な位置は失われていった。こうしてマリ帝国にかをってニジェール川中部にソンガイ帝国が台頭してきた。この帝国は常設軍と機能的な統治システムをもつ集権的な国であった。また、健全な経済的基盤のうえで、長いあいだ重要な交易路であるニジェール川全域を統制していた。しかし、ソンガイ帝国は16世紀の後半に南進してきたモロッコとの戦争に敗北、崩壊した。だがモロッコの支配は長く続かず、17世紀には、フルベ族のマシーナ王国、バンバラ族のセグー王国など、数多くの小王国が乱立した。19世紀後半、1862年ころからフランスがこの地域に進出しはじめると、これに対してサモリ・トゥーレが一大帝国を築き上げた。また、そのころ台頭してきたトゥクロール帝国はイスラムのジハードを宣誓し、セグー・マシーナなどの国を制圧していったが、1890年フランス軍の前に壊滅した。1920年には完全にフランスの植民地となった。1959年4月、セネガルとマリ連邦を結成。1960年6月独立、8月セネガルが分離し、9月単独で独立した。モディボ・ケイタが初代大統領。(参考:古代アフリカ ナショナルジオグラフィック考古学の探検 ヴィクトリア・シャーロー著 BL出版)
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