エジプトはナイルの賜物(古代エジプトの農業と政治)
「ナイルの源流については何人も確認することはできない・・・その流れははるかな彼方からエジプトにはいってくる」(ヘロドトス)
「歴史の父」といわれる古代ギリシアのヘロトドスはアフリカも旅行したが、ナイル川の源流については、ついに確かめることができなかった。
「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、ナイル川の増水を活用した農業によってエジプトの経済は成り立っていた。農作物の中心は麦で、ナイル川の増水によって毎年もたらされる肥沃な耕地に、種がまかれ育てられた。収穫は穂だけを刈り取り、乾かしたあと家畜に踏ませ脱穀した、風の力で選別された穀粒は集められて、おもにパンやビールの原料とするために粉にひかれた。
古代エジプトの王朝は第1王朝とか第18王朝のように、番号で表されている。第1王朝の初期の王メネスから、第31王朝のプトレマイオス15世(カイサリオン)まで約3100年の歴史が繰り広げられた。この番号はプトレマイオス朝の神官マネト(前305-前285頃)がその著書に使用したものである。彼の生涯についてはほとんど明らかではない。初期のメネス王からアレクサンドロス大王までの間を31の王朝に区分し、王名やその統治年数などを年代記風に記述した。その原本は残っていないが、後世の年代記学者などの著作に引用され、ほぼその全貌をうかがうことができる。近代のエジプト史研究にマネトの番号付の王朝名は大きな影響を与えている。
初代の王、メネスについては存在した物証が少ない。メネス王とナルメル王は同一人物といわれる。1896年に発見された石の碑文は「ナルメルのパレット」と呼ばれ、上下エジプトを統一した功績が讃えられている。学者は年代を紀元前3000年から2850年の間と推定している。マネトによれば、メネスの治世は62年間に及んだが、最期はカバに踏み殺された、と記している。
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