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2018年9月30日 (日)

山雨欲来風満楼

山雨来たらんと欲して風楼に満つ。山の雨が降り出そうとする際、まず高楼に風が吹きつけてくる。転じて、何か事件が起ころうとする前の、なんとなくあたりが穏やかでない状態をたとえていう。唐代の詩人、許渾の詩の一節から生まれた成語。台風24号が九州南部に接近。

2018年9月29日 (土)

新幹線とハイライトの色

 五歳の女の子の素朴な疑問「なんで東海道新幹線の車体の色は青と白なのか?」チコちゃんは知っています「色を決める会議の席にあったタバコの箱が青と白だったから」

  1964年東海道新幹線が開業した。その数年前のこと。車体の色を決める会議で赤派と白派が対立していた。ある幹部が机の上に置かれたタバコの箱をみて、「この色、いいんじゃない」と言った。当時人気があった「ハイライト」の白と青のシンプルなデザインはスピード感ある色合いだ。すぐに青と白の二色を参考にデザインすることに決定した。この挿話は新幹線の当時の内部資料にも残っているらしい。

洋菓子の日

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 トトロのシュークリーム

 

    フランスではサン・ミシェル(大天使ミカエル)が菓子職人の守護聖人となっており、その祝日が9月29日であることから、「洋菓子の日」が定められた。洋菓子の定番といえばシュークリーム。関西の者は駅構内の売店にあるヒロタを思い浮かべるが、東京では「しろたえ」(港区赤坂)が人気だそうだ。ほかにも店ごとに工夫されているらしい。「白髭のシュークリーム工房」にはトトロの形をした可愛いシュークリームが売られている。

     シュークリームは明治のころからあったらしく、フランス語のシュ(chu)と英語のクリーム(cream)からなる和製外来語。シュとはキャベツのこと。寺田寅彦の随筆に鍋町の風月の2階の喫茶室に「ミルクのはいったおまんじゅう」という言葉が見える。(「銀座アルプス」昭和8年)寺田はハイカラでモダンな人だった。ミカエルマスMichaelmas

2018年9月28日 (金)

のぞきを出歯亀というのはなぜ?

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  明治41年3月22日、植木職兼鳶職の池田亀太郎は、近所の大久保村(東京都新宿区)にある藤の湯の女湯をのぞているうちにムラムラとなり、官吏の妻・幸田ゑん子(28歳)のあとをつけ、空き地に引きずり込んで強姦し、殺害した。彼はすぐに獄舎につながれたが、特赦で5年後には釈放された。だが悪い癖というものはそう簡単には治らない。その後ものぞきを重ね、15年後にふたたび逮捕された。そのとき彼は55歳。雀は百まで踊りを忘れないそうだが、亀太郎は55までのぞきを忘れずというわけか。池田が出っ歯であったところから、出歯亀ということばが生まれた。しかし亀太郎の犯罪はのぞきや痴漢、ストーカーというよりも暴行殺害という凶悪犯人である。出歯がユーモアをさそうのかもしれないが、日本語にその名の一文字を残し、権威ある辞書「広辞苑」にその名前を連ねるとは、なんとも幸運な人であろうか。(参考:小林祥次郎「人名ではない人名録」)

2018年9月27日 (木)

コーヒーが冷めないうちに

   「死ぬまでにあと何杯コーヒーが飲めるだろうか?」1日1杯だけなので、1万杯、いやいや5000杯くらいかな。老いて介護施設か病院に入れられて3000杯くらいかもしれない。

   ヨーロッパにコーヒーを紹介したのはマルコポーロと伝えられるが、本当の話ではない。コーヒーの原産地はアフリカのエチオピア、カッファー州というところである。つまりカッファーが訛ってアラビア語のカフヴェ(Kahve)やトルコ語のクァフワ(qahwa)になったのだろう。 語源はともかくコーヒーの味を初めて知ったのは人間ではなく、山羊だそうだ。山羊が木の実を食べ、それを見た人間が食べた。そして木の実を炒って粉末にしたのがアラビア人で、5~9世紀のころといわれる。少なくとも13世紀には、イスラム世界では今日のような焙煎した豆が用いられていたようだ。1554年にはトルコのコンスタンチノーブルに初めてコーヒー店が誕生した。その後、紆余曲折があって、モカコーヒーがヨーロッパに伝わったのが1616年のことである。同年シェークスピアが死んでいるので、つまりシェークスピアはコーヒーの味を知らなかったようである。17世紀・18世紀の人、バッハやナポレオンはコーヒーが大好きだった。

2018年9月26日 (水)

ハイカラ(明治事物起源)

B0191160_0730100 明治初期、文明開化の時代になって、これまでにないほど多くの外来語が慣用による日本語化した発音に従って生まれた。ハンカチ、シャツ、カフス、リボン、ピアノ、カナリア、ダイアモンド、サイダー、コーヒー、コロッケ、ポケット、ガラス、キャベツ、ノート、インク、ランプ、ベッド、バケツなどなど。明治初期外来語の中には、現在も使われている言葉もあれば、死んだ言葉もある。「ハイカラ」はハイカラー、つまり、丈の高い襟という意味だが、転じて、西洋風を気取るという意味で明治期広く使われた流行語だが、現在では死語といってもよい。

  「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と歌われた明治初期、断髪令が明治4年に発令され、それに合わせて洋服も急速に普及していった。ハイカラと洋服とは深い関係がある。明治31年ころ、毎日新聞の記者であった石川安次郎(号は半山、1872-1925)が「ハイカラ」という語を、紙上にかかげて新帰朝者を冷評したことに始まる。ハイカラはたけの高いカラ(高襟のシャツ:high collar)のことで、洋行がえりの紳士が欧米で流行の高い洋襟やネクタイをつけて得意となり、その風がきわめてキザにうつって仕方がなかったので、それを皮肉ったのである。それがいつしか一般にも広まり、灰殻(はいから)という言葉の音が、いかにも吹けば飛ぶような感じをあたえるので、キザで生意気または洒落者などの軽佻浮薄の徒という意味にもちいられたのである。それに対して外交官の小松緑が文明的、進歩的な意味だと弁護したことから、最初は舶来かぶれのキザ男が、やがて洒落者や最新流行ものの肯定的な意味でも使われるようになっていった。「蛮カラ」は「ハイカラ」をもじってできたできた言葉である。

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 石川安次郎

 

野球1チーム9人制はマルティン・ルターの影響がある!?

  野球という球技はアメリカが発祥と言われていますが、実は原型となったスポーツは、イギリスの国民的球戯クリケットにその起源をみることができる。クリケットがラウンダーズ(バットとボールを用いる一種の遊び)となり、1830年にアメリカでラウンダーズを模倣したダウンボールが始まった。イギリスで1774年に刊行された「小さなかわいいポケットブック」に野球に関する記述が見つかる。これがアメリカに広まってベースボールとなっていった。だがクリケットは11人制。(ちなみにサッカー、ホッケーも11人) 実はアメリカのダウンボール(野球)も11人だった。なぜ1846年の野球規則で9人になったのだろうか?

    そもそも野球は3及び3の倍数が重んじられている。9回交互に攻守を行う。打者はストライク3つでアウトになり、3アウトで攻守を交替する。このようにすべて3×3が基本である。

    球戯で歴史あるスポーツといえばボウリング。メソポタミアや古代エジプト時代にすでにあったといわれる。3世紀頃にはドイツの宗教儀式に取り入れられる。中世にはボウリングは神意をはかるものとして行われ、ピンが倒れれば罪が赦された。ただしピンの数は国や時代によって異なっていた。16世紀の宗教改革の時代、ドイツのマルティン・ルターは「ピンの数は9本でなければならない」と主張した。ルターはボウリングの愛好家であり、アウグスティヌスの考えに沿った、神・キリスト・聖霊の三幅対(trias)によるものである。つまりキリスト教理によって、ボウリングのピンの数は9と定められた。

    その後、ボウリングはスポーツとして1840年代のアメリカで大流行したが、ピンが9個あるので、ナインピース(ninepins)、日本では明治に「九柱戯」と訳された。新教の国アメリカでは、ボウリングも野球もキリスト教理の3×3=9の影響の下に普及していったのである。

2018年9月25日 (火)

81人のスターたち

N0029784   安室奈美恵が引退。彼女は「平成の歌姫」と呼ばれた。昭和のアイドルの多くはスタ誕から生まれた。「スター誕生」は、1971年10月3日から1983年9月25日までに亘って放送された、日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組。12年間に200万人がスターを夢みて応募し、その中から、森昌子を第1号に、三橋ひろ子、コスモス、南陽子、最上由紀子、桜田淳子、菅原昭子、山口百恵、シルビア、藤正樹、城みちる、伊藤咲子、しのづかまゆみ、片平なぎさ、小林美樹、岩崎宏美、黒木真由美、北村優子、新沼謙治、神保美喜、朝田のぼる、浦部雅美、清水由貴子、ピンク・レディー、神田広美、太川陽介、渋谷哲平、石野真子、大橋恵理子、金井夕子、北野玲子、ポップコーン、井上望、甲斐智枝美、柏原芳恵、杉田愛子、小泉今日子、中野美紀、河上幸恵、中森明菜、水谷絵津子、吹田明日香、松本明子、太田貴子、高橋美枝、岡田有希子など81人もの歌手がデビューした。そのうちで現在まで第一線の歌手として活躍しているのは森昌子、岩崎宏美、新沼謙治、伊藤咲子、柏原芳恵、中森明菜の5人くらいか。(ほか俳優としては数名いる)それまで(天地、小柳、南)アイドルはあくまでその名の通り偶像であり、憧れの対象でしかなかった。が「スター誕生!」から生まれたアイドルは、より親しみやすく、ファンの日常に入り込んできた。「百恵ってイイよなあ」「え!?百恵はオレのものだ。お前は淳子にしとけよな。」などという会話が学校でかわされ、「親衛隊」が結成され始めたのもこの頃だ。中三トリオというネーミングも、まさに、そこを狙ったものだろう。中三が高一になり高二になり、ファンとともに成長を続けたアイドルたちだった。81人のスターたちの中でいちばん選考が分かれたのは中森明菜だろう。阿久悠、都倉俊一、松田敏江などは明菜を評価しなかった。中村泰士ただ一人だけが「点をつけられないほど良い」と100点満点をつけた。掲示板には三ケタがないので実際は99点だった。結局、中村の強い後押しで中森明菜が誕生した。

 

2018年9月24日 (月)

義朝はなぜ「ヨシトモ」か?

    1192年のこの日、源頼朝が征夷大将軍に就いた。頼朝(よりとも)の父が義朝(よしとも)である。平治の乱で敗北し、尾張国で家人に裏切られ謀殺される。なぜ「朝」を「とも」と読むのか。名乗りはなかなか学者でも説明がつかないらしい。為朝、義朝、頼朝、実朝。源氏だけで平家には「朝」の字がつく人物は見当たらない。

   わからないのは「朝(とも)」だけではない。もっとも人名に使われる名乗りは「和(かず)」だ。関孝和(せきたかかず)という江戸の和算家がいた。いまでは「和夫」「和雄」「和郎」「和子」などありふれた名である。だが「和」を「かず」と読ませるのは面白い。「和(わ)」とは2つ以上の数字を合計した数(かず)である。ところで関孝和は海外でも広く知られているが「Seki Kowa」である。三上義夫が英文で「こうわ」と表記したためである。(9月24日)

 

 

ハイライトよ永遠に

男なら夢を見る いつも遠いとこを

煙草屋のおばあちゃん お世話になりました

お金がない時も あとでいいよと言って

ハイライトをくれた お世話になりました

Photo_2  井上順が歌っていた「お世話になりました」(作詞・山上路夫、作曲・筒美京平)。むかしの歌謡曲は、誰でもが口ずさめて、歌いやすいのがいい。そして「ハイライト」というタバコの銘柄に懐かしさをおぼえる。ケペルはタバコを吸わない。かつて成人したとき、ライターを買って、タバコも吸っていた時期はある。ハイライトだった。セブンスターは吸ったことはない。今年1月に81歳で死去した夏木陽介のハイライトの宣伝ポスター(昭和36年)を見ると、まさにハイライトは高度経済成長を支える企業戦士のベスト・パートナーだった。昭和35年6月20日、発売当時の値段が70円、昭和43年に80円で、現在も420円で販売されている。ところが、タバコ1箱の値段を1000円に値上げしようとする動きがある。実に嫌な話だ。税収が足りないから、タバコというたった一種類の嗜好品に税収を補わせる案は、なるほどタバコを吸わない人たちからは大歓迎されるにきまっている。そして「タバコは有害である」「タバコは健康に悪い」という「健康の時代」の大合唱によって、数百年の歴史ある嗜好文化を学ぶことなく、全体を一つの方向に決めつけてしまうことに危険性を感じてしまう。なぜ人は、たばこを吸うのか。精神分析学の創始者であるフロイトによると、口唇要求(幼児の指しゃぶり)のあらわれであるという。喫煙行為がいつしか社会悪に貶められてしまったことに、むしろ現代の病巣をみるような気がする。

2018年9月22日 (土)

紅一点

   SFアクション「プレデターズ」(2010)。7人の男性の中に混じっているただ一人の女性。CIAの天才スナイパーのアリシー・ブラガ。ブラジルの女優だそうだが黒い瞳が魅力的である。まさしく「紅一点」であるが、本来は一面緑の中の一輪の紅色の花の意味。日本では明治以後に、男がたくさんいる中での一人の女の意味になった。

人生ぼーっと生きています

  信号の色は左から赤・黄・青だったか、それとも青・黄・赤だったか?こうした普段見慣れたなじみの深いことがらでも、いざ質問されると意外にとまどってしまうものです。これは、いかに人間の記憶力や注意力があいまいであるかの良い証拠だといえましょう。「1グラムは何の重さ」5歳のチコちゃんは知っています。「それはフランスにある金属の塊の1000分の1」と。重さの単位には世界基準となる金属の塊があります。フランスのセーブルにある国際度量衡局には直径・高さともに約3.9mmの円柱状の金属塊が厳重に保管されている。原器が作られたのは1889年のことで長い年月で埃や湿気などのため僅かの狂いが生じてきた。今年2018年秋には新しい重さの定義が検討されるという。

2018年9月21日 (金)

アキレス腱

   アキレス腱とは、足のかかとのすぐ上の、ふくらはぎの筋肉へつづく腱。したがって歩行にもっとも重要な部分で、不用意に駆けたりすると、切れることがある。この言葉はギリシア神話の不死身の英雄アキレウスの名からきている。英雄アキレウは幼いときに母が冥界のスティックス河に彼を浸したため不死身となったが、足のかかとだけは浸さなかったため、この唯一の弱点を矢で射られて死んだ。これに由来して強者が持っている致命的な弱点の意に用いられる。日本でも「弁慶の泣き所」という語があるが直接の関係性はわからない。弱点の部位は①向うずね②中指の第1関節の先の方、の2説がある。(Achilleus)

「千字文」伝来と王仁の謎

0f3bb3e9cbe9fdfaab7192fd4c9e75f7     わが国の古い伝承で漢籍について述べられているものは「古事記」の応神天皇の条に16年(紀元285年)に百済の国の和邇吉師(王仁)が「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという記述がある。また「日本書紀」の応神紀には、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇太子が王仁について漢文を習ったと記されている。今日これらを史実と考える研究者はあるまい。中国ではまだ「千字文」は成立しておらず、南朝の梁の武帝(464-549)が周興嗣(470-521)につくらせたものである。だが王仁はその後も帰化人として日本に滞在し、渡来系氏族「西文氏(かわちのふみ)」の祖と伝えられる実在の人物と考えられている。「千字文」を伝えたとするならば6世紀初めの人と考えられる。千字文の一節「散慮逍遥」を書いた木簡が出土している。日本に伝わった「論語」10巻が梁の武帝のとき編纂された「論語義疏」と思われる。つまり王仁は4世紀の人物ではなく6世紀の人と考えられる。王仁に関しては謎に包まれているが、記紀に見える王仁が、朝鮮側の古記録には見えない。「海東繹史」(18世紀末)になって初めて王仁の記述が見える。韓国全羅南道の霊岩に王仁の生誕伝説と遺跡が伝えられる。

千字文十種 全14巻 平凡社 1936-1937
評釈千字文 岩波文庫 山田準・安本健吉註解 岩波書店 1937
千字文詳解 増訂 伏見沖敬 角川書店 1983
注解千字文 小川環樹 岩波書店 1984

ショーペンハウエル忌日

Schopenhauer    ドイツ厭世主義の哲学者ショーペンハウエルは1860年9月21日、フランクフルトで死去した。享年72歳。彼の風貌は、背は普通。骨格頑丈、胸広く、輝く青い瞳、薄赤いちちじれた髪、整った鼻、長く広い口、音声強大、手は細く敏活。好男子とはいえなかったが、人を惹きつける魅力があった。オシャレで、人前に出るときはいつも盛装だった。妻子もなく、同胞もなく、1人の友もいない。晩年は愛犬のアートマンが唯一の話相手だった。夕暮れになると愛犬を連れて散歩をする。歩き方は若々しくて速い。太い竹のステッキを持ち、葉巻を吸う。午後8時頃にレストランで夕食。冷肉と赤ワイン。帰宅後、キセルで煙草を一服。英独仏の新聞を読む。音楽は好きでベートーベンを聴く。就寝前にウパ二シャッドを読む。部屋には純金の釈迦像がある。ショーペンハウエルはキリスト教よりも、ウパニシャッドや仏教を哲学に取り入れようとしていた。(Schopenheuer)

2018年9月20日 (木)

サラミスの海戦とテミストクレス

Boatwar1    紀元前480年のこの日、サラミスの海戦でアテネは大勝利をおさめた。ペルシアのクセルクセス王の大軍を目前にして、アテネではテミストクレスの建策により、北に逃げるとみせて狭い海峡に入った。これを追ったペルシアの大艦隊は、操船技術に優れ機動力を発揮するギリシア海軍にかき乱され、狭い海峡の中で互いに衝突しあい惨敗を喫したのである。

    アテネの名門の子供たちが学ぶ校庭での話。みんなが楽しく詩や音楽の話をしていたが、テミストクレスという少年だけは、大志を抱き政治の演説をするのであった。「自分はリュラ(琴)の調子を合わせたり、プサルテリオンを弾いたりすることには疎いが、名もない小さな国を引き受けて、大国に仕上げることは心得ている」と言った。この少年こそ、サラミスの海戦でペルシア艦隊を破った古代ギリシアのアテネの政治家テミストクレス(前528?-前462?)である。しかし、彼の晩年は不遇で、前470年、陶片追放(オストラキスモス)により失脚し、ペルシアに逃れた。牡牛の血を飲んで自殺とも伝えられる。(Salamis,Themistokies、9月20日)

2018年9月19日 (水)

子規忌

Photo_6 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

   正岡子規(1867-1902)は慶応3年9月17日に伊予国温泉郡藤原新町で生まれた。ただしこれは旧暦で新暦では10月14日となる。父は松山藩御馬廻加番正岡隼太で、名は常規(つねのり)、幼名は処之助(ところのすけ)でのちに升(のぼる)と改めた。明治35年9月19日、わずか35歳で東京根岸に生涯を閉じた。死の2日前まで「病牀六尺」を書き続け、その前日、「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」「をととひの糸瓜の水も取らざりき」「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」の三句を絶筆として残した。墓は田端の大龍寺にある。獺祭書屋主人と号した。子規忌を獺祭忌ともいう。獺祭(だっさい)とは「かわうそまつり」。①かわうそが自分の捕らえた魚を四方に陳列すること。②作詩文に数多の参考書を座右に広げること。詩文を作るのに多くの故事を引くこと。つまり、獺祭書屋主人とは、書斎で学者が周囲に参考書を積み重ねることに由来するのであろうか。

 夏嵐机上の白紙飛び尽す

2018年9月18日 (火)

芹沢鴨暗殺

   芹沢鴨が斬られたのは、文久3年9月18日の夜のことである。島原の角屋で宴会がもたれた後、したたかに酔った芹沢は壬生へもどり、大酔し、お梅を抱いているところを、近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・原田左之助ら5名に襲撃された。芹沢は脇差を抜いてわたりあったという説もあるが、実際には泥酔して前後不覚に寝込んでいたところを、蒲団ごしに刀を突き刺されたというのが真相らしい。翌日、近藤は守護職邸に、局長芹沢は急病による頓死ということで届け出ている。 

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 芹沢が最後の宴会をした角屋「松の間」

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 芹沢鴨暗殺の間となった八木家の一室

 

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2018年9月16日 (日)

ピーター・フォークの謎

 1927年のこの日、米俳優ピーター・フォークはニューヨーク州オシニングで生まれた。「刑事コロンボ」がイタリア系という設定だが、ピーター・フォークの両親はユダヤ系である。父親はロシア系ユダヤ人、母親はポーランド・チェコ・ハンガリー系ユダヤ人でいわゆるアシュケナジムと呼ばれる人たちである。 

   リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクが刑事コロンボを構想したのは何時頃であったか明らかではない。嘗てのラジオの人気番組「エラリー・クイーンの冒険」(1939ー1948)の影響があるといわれるが日本人のわたしたちには真偽のほどはわからない。リンクは短編小説「DEAR CORPUS DELICTI」を書いた。二人はそれをテレビ用に脚色し、「ENOUGH ROPE」というタイトルで放送される。このとき生れたばかりのコロンボ刑事を演じたのは、バート・フリード(1903‐1977)という俳優だった。

   その後、1962年「ENOUGH ROPE」は舞台化される。「殺人処方箋」の誕生である。犯人である精神科医を演じたのはジョゼフ・コットン。対するコロンボに抜擢されたのは、70歳前後のトーマス・ミッチェル(1892‐1962)だった。

    数年後、レヴィンソン&リンクは、「刑事コロンボ」をテレビムーヴィーの企画として提案する。かくして「殺人処方箋」のテレビ化はスタートしたが、肝心のコロンボ役がなかなか決まらない。舞台でコロンボを演じたトーマス・ミッチェルは故人となっていた。ピーター・フォークの名も候補者に上がっていた。しかしコロンボは年輩の俳優が演じるべきと考えていたレヴィンソン&リンクは、リー・J・コッブとビング・クロスビーが有力だった。だがオファーは双方とも断わられる。一度は「若すぎる」ということで選に漏れたピーター・フォークの名が再浮上することになった。かくして3人目のコロンボ刑事ピーター・フォークが1967年に誕生した。(9月16日)

2018年9月15日 (土)

フランスはあまりに遠し

 日本とフランスは1858年10月9日、日仏修好通商条約を締結し、両国間の外交関係が開設された。フランス代表はグロ男爵、日本側全権は水野忠徳ら6名。今年、日本政府はパリを中心に日本文化紹介事業「ジャポニズム2018」を実施している。フランス映画3本。アラン・レネの「二十四時間の情事」(1959)19世紀パリ社交界、裕福なユダヤ青年スワンと娼婦オディツトの恋。マリーヌ・ヴァクト主演の「17歳」売春する現代の少女の危ない心理を描く。いずれもフランス芸術文化は理解し難し。今夜はBSで「とことんフランス深田恭子5時間スペシャル」。現在のフランス大統領はだれか?エマニュエル・マクロンである。近代日本はなぜフランスに学ばなかったのか。陸軍はフランス式を導入したというが、憲法はドイツ、議会制度はイギリス、戦後は多くはアメリカ。明治期ヨーロッパではフランスは大国だったが政治的には不安定だった。それにフランス革命でルイ16世が処刑されたこと知って驚愕した。今の日本がまねるとすればフランス制度がベストだと思うが、やはり天皇制が存続する限りは共和制、大統領制は無理。象徴天皇制、議員内閣制から脱却できないだろう。エッフェル塔と東京スカイツリーのネーミングの違いをみればよくわかる。エッフェルは建築家の名前だが、日本では一個人の名前がシンボルに使われることまずないだろう。天皇陛下以外はみな臣民の国である。「ふらんすに行きたとし思へど ふらんすはあまりに遠し」。

Ff808d4a   ちなみに東京タワー、通天閣(2代目)の設計者、内藤多仲(1886-1970)もむかしの百科事典にはその名前すら記載されなかったが、近年はクイズの問題にも登場するようになっている。

2018年9月14日 (金)

インドの時代区分

   インド史を大きく古代、中世、近世にわけるとすると、だいたい紀元前2600年頃のインダス文明成立から5世紀フン族の侵入によりグプタ朝が滅亡するまでが古代である。カナウジの王ハルシャ・ヴァルダーナが606年ヴァルダーナ朝を建てて、647年に王の死とともに崩壊する。ハルシャの死後、デリーには多数の王国が興亡した。この時代をラージプート諸王朝と呼ぶ。10世紀になってアフガニスタンにトルコ系のガズナ朝(962-1186)とイスラム系のゴール朝(1148-1215)が相次いで興った。13世紀になると奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝と5王朝が興り、デリー・スルタン朝と総称される。1526年、バーブルがパンジャブからベンガルの境までのインドを統一してムガール帝国(1526-1859)を創始した。ここから近世が始まる。(参考文献;M・ヘーダエートゥッラ「中世インドの神秘思想 ヒンドゥー・ムスリム交流史」 1967年、大島康正「時代区分の成立根拠」筑摩書房 1949年 ) 

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 ブバネーシュワルのリンガラージャ寺院 11世紀

 

2018年9月13日 (木)

やすらぎのイージーリスニング

Pavanne/ Morton Gould,1942

Autnmn Leaves/ jackie Gleason,1955

Star Dust/ Los Indios Tabajaras,1957

Anonima Veneziano/ Stelvio Cipriani,1970

Three Coins in the fountain/ Melachrino,1958    

Goodbye Again/ Marty Gold,1961

True Love/ James Last & Richard Clayderman

As Time Goes By/ 101Strings Orchestra

Fool Rush In/  Ohta San

Theme From  A Summerplace/ The Brass Ring

CAN CAN/ Dick Schory

Last Tango in Paris/ Andre Kostelanetz

Nola/ Liberace

Arturo's Island/ Carlo Rustichelli

Misty/ Jackie Gleason

Let it snow!/ Andre Kostelanetz

Autumn Leaves/ Tony Mottola トニー・モトラ

In Love/ Percy Faith

Tennessee Waltz/ Andre Rieu

Smile/ John Barry 1992

Petite Fleur/ Acker Bilk

 

 

2018年9月12日 (水)

夢の宇宙飛行

Photo   本日は「宇宙の日」。毛利衛が1992年、スペースシャトル・エンデバーに搭乗したことに由来するる。理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士の説によると、今後地球は人口過多によるエネルギー消費の増大で600年後には燃える火の玉と化すと警告している。つまりその600年の間にに人類は宇宙開発を進めて、新しい惑星へ移住できるようにしなければならない。宇宙への人類の夢は1961年のガガーリンが初の宇宙飛行を成功させてから半世紀を経て、ついに民間人も宇宙船に搭乗できる時代になった。芸能人の岩城滉一が来年にパイロットと2人乗りの宇宙船リンクス・マークで約45分間のフライトをするという。ちなみに経費は約930万円ほどかかる。

ムード音楽のはじまり

   真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

「マドンナの宝石」 マランド楽団

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

シャレード フランク・チャックフィールド

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

サークル・ゲーム(いちご白書)

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

サンセット77  ウォーレン・バーカー

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

街角のカフェ  フランク・ミルズ

今宵のあなた モートン・グールド

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館でレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

マラソンの日

   本日は「マラソンの日」。紀元前490年のこの日、フェイディピデスという兵士が伝令となってマラトンの野からアテネの城門までの約40㎞を走り続けてアテネの勝利を告げたまま絶命したといわれる。この有名な古代ギリシアの故事にちなんで、第1回オリンピック大会では、約40㎞で行われた。これが正式に42.195kmと決められたのは、第4回ロンドンオリンピック大会のウィンザー宮殿からシェファード競技場までの距離を基準にしている。ただし伝令の名前はフェイディピデス、フィリッピデス、フェイディッピデス、ピリッピデスなど諸書によって異なる。その名はローマの史書によるもので、ヘロドトス「歴史」には見えない。フェイディピデスの名前が広く知られるようになったのは、1921年に子ども向きに書かれたヴァン・ルーンの著書からである。

    近代オリンピックが開催され、マラソンは「オリンピックの花」といわれるようになった。1984年ロス五輪から女子マラソンが正式種目になった。女子選手が長い髪をなびかせて、カモシカのような美しい脚で走る光景は素敵だ。だがこんなこともあった。東独のワインホルト選手は、レース中に生理ですごい状態になってしまった。それでも棄権することなく最後まで走った。フランク・ショーターは琵琶湖マラソンで途中ウンコがしたくなって、木陰で用をすませて、また走って優勝した。川内優輝はいつもゴールで倒れて救急搬送される。かつて銅メダリストが過度の期待が重荷となり自殺においつめられた選手もいる。マラソンは過酷なスポーツだ。(marathon,Pheidippides,Phidippides,Van Loon,,9月12日)

2018年9月10日 (月)

愛煙家・鄧小平

Photo_3    鄧小平は率直な発言で人々から愛された政治家である。今日の中国の経済発展は鄧小平の先見の明なくしてはありえない。彼は1日何百本のタバコを吸っていた。93歳まで生きたが「私がこんなに長生きしたのはタバコを吸ったお陰だ」と言っている。もちろん彼が吸っていたのは専用の高級タバコ。上海で製造される「熊猫香烟」(Panda cigarettes)。1956年から今も作られているが、1箱300元(4500円)と高い。

毛沢東死後、中国のトップは華国鋒であったが、1978年に鄧小平によって失脚させられた。鄧小平は、中国の事実上の最高指導者となり、開放政策をすすめた。1982年国家主席制の復活に伴い、李先念が第三代国家主席に選出された。以降、楊尚昆、江沢民、胡錦涛、習近平へと続く。

トランプの歴史

  トランプの発生については種々の説があるが、東洋に発生してヨーロッパに移入されたという点では諸説とも一致している。中国の唐の末期からあった葉子という占いに用いるカードがヨーロッパに伝わってトランプになったという中国起源説が現在は有力である。13世紀にこの中国からイスラムに伝来したカードが変化してマムルーク・カードが出現したと思われる。このマムルーク・カードがヨーロッパに渡り、1320年頃プレイング・カード(トランプ)のスート(マーク)の原型(聖杯、こん棒、貨幣、刀剣)が発明された。そして、1377年にはヨハネスの文章や、フィレンツェ、シエナ、パリでもトランプの存在を表す記述が見つかっています。

去来忌

Kyorai_1_   向井去来の1704年の忌日。慶安4年(1651年)、長崎で生まれた。父向井元升は儒医。貞享元年、上京した其角を知り蕉門に入る。京都嵯峨野に落柿舎を建て、芭蕉もしばしば立ち寄っている。京都俳壇に重きをなし、「青根が峰」「旅寝論」をへて未完の書「去来抄」に至る種々の俳論で芭蕉正風を祖述した。(9月10日)

うごくとも見えで畑打つ男かな

湖の水まさりけり五月雨

船乗の一浜留守ぞ芥子の花

秋風や白木の弓に弦はらん

岩はなやここにもひとり月の客

木枯の地にも落さぬしぐれ哉

有明にふりむきがたき寒さ哉

おうおうといへどたたくや雪の門

2018年9月 9日 (日)

毛沢東

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    重陽。五節句の一つ。菊の節句とも呼ばれ、かつては宴を設け、酒に菊の花片を浮かべて飲んだりもした。中国では「登高」といって、この日、丘などの高いところへ連れだって登り、菊花の酒を飲めば災いが消えるということがあった。

Img_1605847_52395682_2   1976年9月9日、毛沢東(1893-1976)が逝去した。享年82歳だった。毛沢東主席記念堂には毛沢東の遺体が安置され、いまも入館者の長い列が続く。日本の高名な古代中国史家である貝塚茂樹(1904-1987)が「毛沢東伝」(1959)を著したときはずいぶんと話題になった。存命中の政治家評伝を書くと単なる偉人伝になりがちだが、貝塚がどう評価したのか、再読してみたい。

2018年9月 7日 (金)

ブラジル独立記念日

Indio11   1822年のこの日、ブラジルはポルトガルから独立した。チラデンテス(1746-1792)はブラジル独立運動の英雄。ブラジルは18世紀末に啓蒙思想が西欧から伝わり、1789年にはミナスの陰謀のような独立に向けた動きが起こるが、鎮圧される。しかしチラデンテスの死がブラジル独立の原動力となった。1815年12月、本国ポルトガルから独立しラテン・アメリカ最初の帝国が成立する。

    チラデンテスは1746年サン・ジョン・デル・ヘイに生まれた。本名はジョアン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャヴィエール。歯医者であったことから「チラデンテス」(歯を抜く)という渾名がついた。現在この町から15㎞の小さな村はチラデンテスという地名になっている。1792年4月21日、リオデジャネイロのサン・ドミンゴス刑場において「自分は人間が求める自由のために死す」と言いいながら処刑された。4月21日はブラジルの祝日となっている。チラデンテスの肖像画はキリストと似ており、4月はイースター(復活祭)もあるのでキリストの神聖なイメージと重ね合わさっている。高校世界史などにはチラデンテスの名前はおろかブラジル独立の記述がないが、いまやブラジルは大国であり、チラデンテスの名前は一般教養としても必須な人名となっている。

  ラテンアメリカの独立の動きは1810年代から1820年代にかけて18の国民国家を生み出した。米国憲法にならった立派な憲法をもっていたが、実際には武装した富裕な地主が「カウディーリョ」として国家を私物化し、権力を巡るクーデターが繰り返された。(Brasill,Tiradentes,Joaquim Jose da Silva Xauier,Military Police of Minas Gerais State,ミナス共和国 ,9月7日)

2018年9月 6日 (木)

メイフラワー号

Photo   1620年のこの日、メイフラワー号(180頓)は、宗教上の迫害をのがれ、信仰をつらぬこうとした清教徒30人を含む102人を乗せて、イギリスの南西部デヴォン州のプリマス港を出帆。大西洋を約65日かかって渡り、11月19日、アメリカ東部マサチューセッツ州のコッド岬に到着した。それから約1ヶ月後の12月21日、プリマスに上陸した。彼らが出発地と同じ名を名づけたとよく言われるが、実際は同名の地に偶然に到着したのである。彼らはやがてピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)とよばれることになる。初代総督にはロンドンの商人ジョン・カーヴァー(1576-1621)が選ばれた。入植者にとって新世界での生活は厳しく、最初の冬を越せたのはわずかに半数に過ぎなかった。( the Mayflower、Pilgrim Fathers,Plymouth,Massachusetts,John Carver,9月6日 ) 

2018年9月 5日 (水)

山で使う「キジ撃ち」と「お花摘み」の意味は?

Photo   登山などでトイレが無いとき用便を屋外でするときに使う言葉。「雉撃ち」は男性が山中の屋外で排泄すること。その姿が雉を撃つ猟師が藪に潜む姿に似ていることから命名された。女性の排泄はカワイく「お花摘み」といいます。花を摘む姿に似ているからでしよう。この言葉は広辞苑にも収録されていないがれっきとした登山用語。草陰に身を隠しても探しに来ないでね、という意味。山ガールなど若い人でも使うらしい。英語表現では、shit in the woods (森で大便をする)。日本語では「野グソ」「脱糞」「用便」「排便」などいろいろあるが「キジうち」「お花摘み」は最高。(参考:田部井淳子著「山の単語帳」世界文化社)

「おしどり夫婦」の語源となった鳥も浮気する!?

   夫婦仲がよいことは昔から最も祝福すべきことの一つである。中国には、「琴瑟相和す」「連理の枝」「比翼の鳥」など夫婦仲のよさを褒めたたえた多くの言葉がある。琴と瑟とを弾じてその音がよくあう。つまり音調がよく整って、夫婦の響きが相応じ調和し、楽しい雰囲気をかもしだすように、夫婦仲のよいことをいうのである。日本でも古くから夫婦仲の良いたとえとして「おしどり夫婦」ということばが使われている。しかし、野鳥の60パーセントが、つがいのオスがいない隙を狙って別のオスが巣を訪れて交尾わしているといわれる。オシドリも例外ではなく毎年パートナーを替えて交尾している。不倫や浮気は芸能界だけではない。生物の生殖本能ともいえるものなのである。

情報テクノロジーと読書の将来

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 2016年の世帯における情報通信機器の普及状況をみると、パソコン73%、スマートフォン71.8%となっている(「情報通信白書 平成29年版」)。携帯端末スマートフォンの普及によって、会社、学校、家庭などでいろいろな使い方ができる。とくに電子書籍として機能が注目される。どんどん進化すれば紙の図書の役割は大きく後退するだろう。読書施設「女性の書斎」はどうなるだろう。本のたくさんある場所で「アイポス」を読むという利用方法も考えられるのではないだろうか。共存共栄。自習や勉強に機能強化。「女性の書斎・ひとり好き」には次のような方もおすすめです。

資格や何かにチャレンジしたいが、具体的な一歩が踏み出せない人

喫茶店やファミレスでは集中して勉強でない

図書館の閲覧室の座席が確保できない

自分のノートパソコンやアイポスで勉強

●女性専用なので安心

●わずか200円で1日中利用できる

●静かで、長時間利用できる

●蔵書は1万冊あり、百科事典、辞書ならほとんど揃っている

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兵庫県宝塚市伊孑志3-16-26

発音しない文字

  英語には時によって、knife(ナイフ)、write(書く)のようにk、wの発音しない文字がある。これを黙字(silent)という。

b    thumb(親指)  comb(くし) lamb(子羊)

d    handsome(ハンサム)

gh  night(夜) high(高い) right(右)

h    honest(正直な) hour(時間) ghost(幽霊)

k    knee(ひざ) knock(ノックする) knot(結び目) knob(つまみ)

l     talk(話す) walk(歩く) alms(義援金)

n    hymn(讃美歌)

p    pneumonia(肺炎)

s    island(島) aisle(通路)

t    match(試合) catch(つかむ) Christmas(クリスマス)

w   answer(答える) wrist(手首) wrap(包む)

ルイ14世「朕は国家なり」

Louis14aftrigaud_16381715l   1638年のこの日、ルイ14世が誕生した。「太陽王」と呼ばれたルイ14世は史上最長の在位期間を持つ君主である。1643年に5歳で即位し、1715年に死ぬまで72年間フランス国王に君臨した。王権神授説をとる彼は絶対主義王制の典型とされ、豪華を好む彼か造ったヴェルサイユ宮は18世紀には各国で模倣されることとなる。ハード面だけではなく宮廷エチケットや祭典・凱旋行列なども手本とされて、王権とはそういうものというイメージが形成される。フランスは文化のうえでもヨーロッパの中心となった。

    1655年4月13日、パリ高等法院。17歳のルイ14世は狩猟の帰りに反対派の巣窟である議会に立ち寄った。スペイン戦争での出費が嵩むことを議員が語りだしたとき、「朕は国家なり」(L'etat c'est moi)という有名な言葉がルイ14世の口から出されたとされる。このエピソードはヴォルテールの「ルイ14世の時代」に記述されているが、王が実際に言ったかどうかはわからない。神学者ボシュエらが王を神格化したらしい。

   ルイ14世の親政が始まったのは1661年3月10日からで、フランス絶対王政は全盛期をむかえたが、傲慢で贅沢の限りをつくした国王は民衆から嫌われ、王の没後80年たらずでフランス革命がおこる要因にもなった。(9月5日)

2018年9月 4日 (火)

誤読に注意!

  漢字の誤読の実例集。日大のアメフト監督が関学大に謝罪した。しかし何度も「かんさいがくいん」と誤読する。正しくは「かんせいがくいん」。菅長官が大阪北部地震の会見で「枚方」を「まいかた」と誤読。正しくは「ひらかた」。安部信三首相は国会答弁で「云々」を「でんでん」と誤読。木村拓哉は「出汁」を「でじる」と読む。誤読といえば麻生太郎。「未曽有」を「みぞうゆう」とか「踏襲」を「ふしゅう」と読んだのは有名な話。菅直人も「疾病」を「しっびょう」と読んだ。民進党代表の大塚耕平は「民主党」と言い間違えた。訃報(ふほう)を「けいほう」と誤読したり、生体肝移植を性感帯移植と誤読したり女子アナ誤読エピソードは枚挙にいとまない。W杯で佐藤美希アナは「メッシが魂のスライディング」の原稿で「魂」を「かたまり」と誤読した。笑ってすませられるものなのか。やはり日頃の地道な学習・勉強が大事だ。誤読しやすいことば。

相殺 ○そうさい ×そうさつ

乳離れ ○ちばなれ ×ちちばなれ

発足   ○ほっそく ×はっそく

出生率  ○しゅっしょうりつ ×しゅっせいりつ

一日の長 ○いちじつのちょう ×いちにちのちょう

幕間   ○まくあい ×まくま

貼付   ○ちょうふ  ×てんぷ

あり得る ○ありうる  ×ありえる

間髪をいれず  ○かんはつをいれず  ×かんぱつをいれず

依存心  ○いそんしん  ×いぞんしん

烏丸丸太町  ○からすままるたまち ×からすまるまるふとるまち

下手人  ○げしゅにん ×へたにん

風土記  ○ふどき  ×ふうどき

美人局  ○つつもたせ ×びじんきょく

現御神  ○あきつみかみ ×げんみかみ

疾病   ○しっぺい    ×しっびょう 

嗅覚   〇きゅうかく   ×しゅうかく

未曽有  ○みぞう           ×みぞうゆう

奇しくも ○くしくも     ×きしくも

エジプトはナイルの賜物(古代エジプトの農業と政治)

Kings18

  「ナイルの源流については何人も確認することはできない・・・その流れははるかな彼方からエジプトにはいってくる」(ヘロドトス)

  「歴史の父」といわれる古代ギリシアのヘロトドスはアフリカも旅行したが、ナイル川の源流については、ついに確かめることができなかった。

   「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、ナイル川の増水を活用した農業によってエジプトの経済は成り立っていた。農作物の中心は麦で、ナイル川の増水によって毎年もたらされる肥沃な耕地に、種がまかれ育てられた。収穫は穂だけを刈り取り、乾かしたあと家畜に踏ませ脱穀した、風の力で選別された穀粒は集められて、おもにパンやビールの原料とするために粉にひかれた。

   古代エジプトの王朝は第1王朝とか第18王朝のように、番号で表されている。第1王朝の初期の王メネスから、第31王朝のプトレマイオス15世(カイサリオン)まで約3100年の歴史が繰り広げられた。この番号はプトレマイオス朝の神官マネト(前305-前285頃)がその著書に使用したものである。彼の生涯についてはほとんど明らかではない。初期のメネス王からアレクサンドロス大王までの間を31の王朝に区分し、王名やその統治年数などを年代記風に記述した。その原本は残っていないが、後世の年代記学者などの著作に引用され、ほぼその全貌をうかがうことができる。近代のエジプト史研究にマネトの番号付の王朝名は大きな影響を与えている。

初代の王、メネスについては存在した物証が少ない。メネス王とナルメル王は同一人物といわれる。1896年に発見された石の碑文は「ナルメルのパレット」と呼ばれ、上下エジプトを統一した功績が讃えられている。学者は年代を紀元前3000年から2850年の間と推定している。マネトによれば、メネスの治世は62年間に及んだが、最期はカバに踏み殺された、と記している。

西ローマ帝国と漢王朝

400pxtransasia_trade_routes_1stc_ce   476年のこの日、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルは西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させ、自らはイタリア王と名乗った。西ローマ帝国の滅亡である。ロムルスは即位して1年ともたなかった。前27年アウグストゥスが帝政を確立してからローマ帝国は503年間でローマ帝国は80人の皇帝が現れた。漢王朝は王莽の新15年を除くと、前漢・後漢で410年、29人の皇帝が現れた。前漢武帝のように54年という長い在位の君主もおり、血族が皇帝となる漢が1人平均在位14年、ローマ皇帝の2倍以上の在位期間である。(Odoacer,Romulus Augustulus,9月4日) 

アウグストゥスからロムルス・アウグストゥルスまで
1 アウグストゥス
2 ティベリウス
3 カリグラ
4 クラウディウス
5 ネロ
6 ガルバ
7 オト
8 ウィテリウス
9 ウェスバシアヌス
10 ティトゥス
11  ドミティアヌス
12  ネルウァ
13 トラヤヌス
14 ハドリアヌス
15 アントニヌス・ピウス
16 マルクス・アウレリウス
17 ルキウス・ウェルス
18 コンモドゥス
19 ペルティナクス
20 ディディウス・ユリアヌス
21セプティミウス・セウェルス
22カラカラ
23ゲタ
24マクリヌス
25ヘリオガバルス
26セウェルス・アレクサンデル
27マクシミヌス
28ゴルディアヌス1世
29ゴルディアヌス2世
30バルビヌス
31プピエヌス
32ゴルディアヌス3世
33フィリップス・アラブス
34デキウス
35ガルス
36アエミリアヌス
37ウァレリアヌス
38ガリエヌス
39クラウディウス・ゴティクス
40アウレリアヌス
41タキトゥス
42フロリアヌス
43プロプス
44カルス
45ヌメリアヌス
46カリヌス
47ディオクレティアヌス
48マクシミアヌス
49コンスタンティウス1世
50ガレリウス
51マクシミヌス・ダヤ
52セウェルス
53マクセンティウス
54リキニウス
55コンテタンティヌス1世
56コンスタンティヌス2世
57コンスタンス
58コンスタンティウス2世
59ユリアヌス
60ヨウィアヌス
61ウァレンティアヌス1世
62ヴアレンス
63グラティアヌス
64ウァレンティニアヌス2世
65テオドシウス1世
66マクシエス
67エウゲニウス
68ホノリウス
69コンスタンティウス2世
70ヨハンネス
71ウァレンティアヌス3世
72ペトロニウス・マクシムス
73アウィトゥス
74マヨリアヌス
75リウイウス
76アンテミウス
77オリブリウス
78グリケリウス
79ユリウス・ネポス
80ロムルス・アウグストゥルス

2018年9月 3日 (月)

フランシス・マリオンと女性脚本家の時代

   戦後日本では映画・テレビの興隆による、水木洋子(ひめゆりの塔)、和田夏十(炎上)、向田邦子(阿修羅のごとく)や橋田寿賀子(おしん)のような女性脚本家が抬頭した。実は20世紀前半のアメリカではサイレント初期の時代から、数多くの女性脚本家が映画のシナリオを書いていた。アニタ・ルース、ゾーニー・マクファーソン、ジェーン・メイスン、そして「名金」(1915)のグレイス・キュナード。なかでも有名なのがフランシス・マリオン(1888-1973)である。「ステラ・ダラス」(1925)など女性ならではのメロドラマが得意であった。メトロのジューン・マシスはルドルフ・ヴァレンチノを発掘した。

不適切な行為

  インドネシアのジャカルタでアジア大会に参加していたバスケットボール男子の日本代表の4人の選手が公式のウエアを着たまま深夜に繁華街を出歩き女性とホテルに行って不適切な行為をしたとして、4選手は帰国させられ、謝罪した。この場合の「不適切な行為」とは明らかに売春行為を想像させるが、NHKではダイレクトな表現はさけている。1日、デトロイトで行われたアレサ・フランクリンの葬儀で牧師がステージに立つアリアナ・グランデの胸をさわるなど不適切な行為があったとNHKが報道している。しかしビデオで見ると、牧師は女性の腰から背中に手を回しているものの、胸を触ったことは確認できなかった。

Bishop apologizes to Ariana Grande for inapproprite touching at Aretha Franklin's funeral.

牧師はアレサ・フランクリンの葬儀でのアリアナ・グランデに対する不適切なおさわり行為を謝罪した

BBCニュースの見出しでは

Aretha Franklin bishop sorry after groping Ariana Grnde とある。gropingとは女性の体をまさぐるという意味。awkward touch(「無器用なおさわり」の意)

という表現もある。

Pastor Accused of Groping Ariana Grande Apologizes for Being 'Too Friendly '

(ニューヨークタイムズ見出し) 牧師は「やさしすぎた」とアリアナ・グランデに謝罪

2018年9月 2日 (日)

面白いドラマは脚本で決まる

   小説家に比べると脚本家という仕事の認知度は相当に低い。NHK朝ドラもテレビ小説ということで獅子文六や川端康成といった人気作家のドラマ家からスタートした。しかし「ちゅらさん」(岡田恵和)、「あまちゃん」(宮藤官九郎)、「半分、青い」(北川悦吏子)などオリジナルな原作が好評を博し、脚本家に世間の注目が集まっている。ビリー・ワイルダー監督いわく「映画は脚本が八割」と語る。映画、ドラマだけではなく、脚本はアニメ、Vシネマ、ゲームなどにも需要がある。時流は女性脚本家が主流になっている。昨夜、脚本家・岡田磨里による「学校へ行けなかった私が「あの恋」「ここさけ」を書くまで」を見る。主演は前田敦子、「もらとりあむタマ子」のあっちゃんには適役である。埼玉・秩父に育ち、不登校、引きこもりの学生時代を送ったヒロインの自伝が元になっている。パンツ引きこもりの間、ゲームや漫画を読んだが、小説も読んでいた。「それが疲れて来ると、字義どおりの消日になった」志賀直哉の暗夜行路の一節。「消日(しょうじつ)する」とはたいしたこともせずその日を過ごすこと。前田のパンツ丸見えシーンが2回もあった。自転車でスカートがからまる場面と蒲団の寝乱れ姿のパンツがやたらと印象に残った。ちなみに「あの花」とは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(映画では浜辺美波)、「ここさけ」は「心が叫びたがっているんだ」(映画では芳根京子)。

ルソーとアポリネール

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     一風変わった素朴画家として知られるアンリ・ルソー(1844-1910)は、1906年、ジャリの紹介で詩人のギョーム・アポリネールに出会った。ルソーはアポリネール(1880-1918)よりも36歳も年長だったが、アポリネールを尊敬し、特別なノートに、新聞から切り抜いた記事を貼り付けたり、また彼の愛人で画家のマリー・ローランサンと一緒にいるアポリネールの肖像画「詩人に霊感を授けるミューズ」を描いている。

    アポリネールもルソーにピカソやドローネーなどの多くの指導的な前衛芸術家たちを紹介し、ルソーの生前にもまた死後にも、ルソーをたたえた詩をいくつか残し、彼を敢然と擁護し、賞揚した。

   1910年9月2日、ルソーは生前は世間から認められることなく、パリの病院で亡くなった。翌年に友人たちはルソーの墓をつくった。墓碑銘には、次のようなアポリネールの詩が刻まれている。

 やさしいルソーよ 聞えますか

 私たちの挨拶が

 ドローネー夫妻とケヴァル氏と私

 私たちの持ち物は天国の門では無税で通してください

 あなたに筆と絵の具とカンバスを持ってきました

 永遠の真実の光で描いて

 あなたの神聖な余暇が過ごせるように

 かつてあなたが

 星を見ながら私を描いたように

2018年9月 1日 (土)

上方の浮世絵

歌麿、写楽、北斎、広重。有名な浮世絵の多くは江戸で描かれ出版されたもので、浮世絵といえば江戸というイメージがあるが、じつは京都や大坂など上方にも浮世絵はあって、大勢の浮世絵師が活躍していたのだ。今ではその名前はほとんど知られていないが、初期の流光斎如圭や松好斎半兵衛、西川祐信、幕末の柳斎重春、長谷川貞信、一養亭芳滝といった名匠がいいた。

江戸の浮世絵は美人画、役者絵、相撲絵、風景画など題材が豊富であるが、上方の浮世絵の九割近くが役者絵である。役者絵を楽しむには、描かれている芝居や役柄、役者など、その背景についての知識が必要になってくる。その特色ゆえに上方浮世絵は、後に浮世絵を鑑賞する人々に受け入れられることなく、忘れ去られて行ったと考えられる。

たかがパンツされどパンツ

41e71f74_2   男性の下着はブリーフ、とトランクス、どちらがよいのだろうか?銭湯に行く機会がないので、確認したわけではないが、ドラマなどを見た感じでは、いまはトランクス全盛の時代らしい。なぜか母親が息子に買い与えるパンツは白いブリーフが定番。成人しても白いブリーフをはいていると、女性からマザコンとみられてしまう。そこで高校生ころになると、柄物のトランクスを自分で選んで買うようになるらしい。もちろん自分で買わないで、親から与えられたパンツをいつまでもはいている人もいるから、この世にはブーリフ派とトランクス派がいつまでも存在する。むかしの本を読むとブーリフ派のほうが優勢だったらしい。「男性用下着といえば、ブリーフが全盛の時代です。若い人の90%はブリーフの愛好者だといいます」(おもしろ雑学百科 昭和61年)。昭和の時代は明治生まれの男性はブリーフなどははかず、いわゆる猿回しのサルがはいているような猿股といわれる一種のトランクスだった。ブリーフが発売され、はくのは子どもや若者だったから、女性からみれば、白いブリーフが可愛くみえたのだろう。だが外国風のさまさまな柄のトランクスが出回ると、通気性にとみ、清潔感のあるほうが好まれるようになった。女性500人にアンケートしたところ、およそ8割の女性がトランクスの男性を好むという調査結果がある。昨夜のMステ出演の福山雅治、星野源もフランス製のボクサーパンツを履いていると語った。

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