無料ブログはココログ

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年9月30日 (日)

映像化された世界文学作品(戦後)

 戦争が終って、平和が訪れると、第一線の監督たちは腰をすえて仕事をはじめ、すぐれた作品を作るようになった。文芸作品では、スタンダール、ゾラ、ディケンズ、モーム、カミュなどの映画化にも優れた映画が生まれた。戦後第一作の文芸映画はアンドレ・ジッド原作の「田園交響楽」(ミッシェール・モルガン主演)。わがベストはトーマス・マンの名作をルキノ・ヴィスコンティが映画化した「ベニスに死す」。「アンナ・カレーニナ」は戦後だけでも8回映画化されている。21世紀に入ると映像化文芸作品は激減する傾向にある。近年はテレビドラマで世界文学の映像化がさかんである。

「シーザーとクレオパトラ」 ガブリエル・パスカル監督 1945年(バーナード・ショー脚本)

「田園交響楽」 ジャン・ドラノワ監督 1946年

「子鹿物語」 クラレンス・ブラウン監督 1946年

「剃刀の刃」 エドマンド・グールディング監督 1946年

「大いなる遺産」 デーヴィッド・リーン監督 1946年

「肉体の悪魔」 クロード・オータン・ララ監督 1947年

「パルムの僧院」 クリスチアン・ジャック監督 1947年

「美貌の友」 アルバート・リュ―イン監督 1947年(モーパッサン「ベラミ」)

「ボヴァリー夫人」Carlos Schieper監督 1947年(アルゼンチン)Mecha Ortiz

「凱旋門」 ルイス・マイルストン監督 1948年

「マクベス」 オースン・ウェルズ監督 1948年

「ハムレット」 アイリーン・ハーリー監督 1948年

「アンナ・カレニナ」 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督 1948年

「情婦マノン」 アンリ―・ジョルジュ・クルーゾー監督 1948年

「オリヴァー・ツィスト」 デビッド・リーン監督 1948年

「忘れじの面影」 マックス・オフェルス監督 1948年

「カルメン」 チャールズ・ヴィダー監督 1948年

「若草物語」 マーヴィン・ルロイ監督 1949年

「ボヴァリー夫人」 ヴィンセント・ミネリ監督 1949年 ジェニファー・ジョーンズ

「第三の男」 キャロル・リード監督 1949年(グレアム・グリーンの戯曲)

「シラノ・ド・ベルジュラック」 マイケル・ゴードン監督 1950年

「輪舞」 マックス・オフュルス監督 1950年

「令嬢ジュリー」 アルフ・シェーベルイ監督 1950年

「クオ・ヴァディス」 マーヴィン・ルロイ監督 1951年

「文化果つるところ」 キャロル・リード監督 1951年

「欲望という名の電車」 エリア・カザン監督 1951年(テネシー・ウィリアムズの戯曲)

「レ・ミゼラブル」 ルイス・マイルストン監督 1952年

「三文オペラ」 ピーター・ブルック監督 1952年

「嵐」 ルイス・ブニュエル監督 1953年

「キリマンジャロの雪」 ヘンリー・キング監督 1953年

「嘆きのテレーズ」 マルセル・カルネ監督 1953年

「青い麦」 クロード・オータン・ララ監督 1953年

「雨に濡れた欲情」 カーティス・バーンハート監督 1953年(モーム「雨」)

「黄金の馬車」 ジャン・ルノワール監督 1953年(メリメ「黄金の馬車」)

「雨の朝巴里に死す」 リチャード・ブルックス監督 1954年

「海底二万哩」 リチャード・フライシャー監督 1954年

「ロミオとジュリエット」 レナート・カステッラーニ監督 1954年

「ユリシーズ」 マリオ・カメリーニ監督 1954年

「カルメン」 オットー・プレミンジャー監督 1954年

「エデンの東」 エリア・カザン監督 1955年

「足ながおじさん」 ジーン・ネグレスコ監督 1955年

「女優ナナ」 クリスチャン・ジャック監督 1955年

「オセロ」 セルゲイ・ユトケーヴィッチ監督 1955年

「ロメオとジュリエット」 エリ・アルンシタム監督 1955年

「チャタレイ夫人の恋人」 マルク・アレグレ監督 1955年

「戦争と平和」 キング・ヴィダー監督 1956年

「罪と罰」 ジョルジュ・ランバン監督 1956年

「居酒屋」 ルネ・クレマン監督 1956年

「ジャイアンツ」 ジョージ・スティーヴンス監督 1956年(エドナ・ファーバーの小説)

「八十日間世界一周」 マイケル・アンダーソン監督 1956年

「白鯨」 1956年

「武器よさらば」 チャールズ・ヴィダー監督 1957年

「陽はまた昇る」 ヘンリー・キング監督 1957年

「レ・ミゼラブル」ジャン・ポール・ル・シャノワ監督 1957年 

「ドン・キホーテ」 グリゴーリ・コージンツェフ監督 1957年

「悲しみよこんにちは」 オットー・プレミンガー監督 1958年

「老人と海」 ジョン・スタージェズ監督 1958年

「女の一生」 アレクサンドル・アストリュック監督 1958年

「静かなるドン」 セルゲイ・ゲラーシモフ監督 1958年

「白痴」 イワン・プイリエフ監督 1958年

「ベン・ハー」 ウィリアム・ワイラー監督 1958年

「カラマゾフの兄弟」 リチャード・ブルックス監督 1959年

「緑の館」 メル・フェーラー監督 1959年

「危険な関係」 ロジェ・ヴァディム監督 1959年

「小犬をつれた貴婦人」 ヨーゼフ・ヘイフイツ監督 1959年

「アッシャー家の惨劇」 ロジャー・コールマン監督 1960年

「オセロ」 セルゲイ・ユトケヴィッチ監督 1960年

「復活」 ミハイル・シュヴァイツェル監督 1961年

「尼僧ヨアンナ」 イェジー・カヴァレロヴィチ監督 1961年(イヴァシュヴィッチの小説) 

「長距離ランナーの孤独」 トニー・リチャードソン監督 1962年

「審判」 オーソン・ウェルズ監督 1962年

「三文オペラ」 ヴォルフガング・シュタウチ監督 1963年

「軽蔑」 ジャン・リュック・ゴダール監督 1963年(アルベルト・モラヴィアの小説)

「トム・ジョーンズの華麗なる冒険」 トニー・リチャードソン監督 1963年

「ハムレット」 グリゴリー・コーシンツェフ監督 1964年

「人間の絆」 ケン・ヒューズ監督 1964年(モームの小説)

「マイ・フェア・レディ」 ジョージ・キューカー監督 1964年(バーナード・ショー「ピグマリオン」)

「戦争と平和 第一部」 セルゲイ・ボンダルチュク監督 1965年

「ロード・ジム」 リチャード・ブルックス監督 1965年

「オセロ」 スチュアート・バージ監督 1966年

「ドリトル先生と不思議な旅」 リチャード・フライシャー監督 1967年

「異邦人」 ルキノ・ヴィスコンティ監督 1967年

「昼顔」 ルイス・ブニュエル監督 1967年

「アンナ・カレーニナ」 アレクサンドル・ザルヒ監督 1967年

「二十五時」 アンリ・ヴェルヌイユ監督 1967年

「ロミオとジュリエット」 フランコ・ゼッフィレッリ監督 1968年

「カラマーゾフの兄弟」 イワン・プイリエフ監督 1968年

「うたかたの恋」 テレンス・ヤング監督 1968年

「チップス先生さようなら」 ハーバート・ロス監督 1969年

「クリスマス・キャロル」 ロナルド・ニーム監督 1970年

「ジェーン・エア」 デルバート・マン監督 1970年

「嵐が丘」 ロバート・ヒューズ監督 1970年

「罪と罰」 レフ・クリジャーノフ監督 1970年

「マクベス」 ロマン・ポランスキー監督 1970年

「ベニスに死す」 ルキノ・ヴィスコンティ監督 1971年

「デカメロン」 ピエロ・パオロ・パゾリーノ監督 1971年

「三銃士」 リチャード・レスター監督 1973年

「人形の家」 ジョゼフ・ロージー監督 1973年

「華麗なるギャッビー」 ジャック・クレートン監督 1974年

「遠雷」 イェジー・ホフマン監督 1974年

「デイジー・ミラー」 ピーター・ボグダノヴィッチ監督 1974年

「星の王子さま」 スタンリー・ドーネン監督 1974年

「アンナ・カレーニナ」 バレエ映画 1975年 マイヤ・プリセッカヤ

「バリー・リンドン」 スタンリー・キューブリック監督 1975年(サッカレーの小説)

「ラスト・タイクイーン」 エリア・カザン監督 1976年(フィッツジェラルドの小説)

「ウイズ」 シドニー・ルメット監督 1978年

「テス」 ロマン・ポランスキー監督 1979年

「ブリキの太鼓」 フォルカー・シュレンドルフ監督 1979年

「チャタレイ夫人の恋人」 ジュスト・ジャカン監督 1981年

「スワンの恋」 フォルカ―・シュレンドルフ監督 1983年(プルースト「失われた時を求めて」)

「カルメンという名の女」 ジャン・リュック・ゴダール監督 1983年

「カルメン」 カルロス・サウラ監督 1983年

「インドへの道」 デヴィッド・リーン監督 1984年

「剃刀の刃」 ジョン・バライラム監督 1984年(モームの小説)

「赤毛のアン」 ケヴィン・サリヴァン監督 1985年

「肉体の悪魔」 マルコ・ベロッキオ監督 1986年

「危険な関係」 スティーヴン・フリアーズ監督 1988年(ラクロ「危険な関係」)

「恋の掟」 ミロス・フォアマン監督 1989年(ラクロ「危険な関係」)

「恋の掟」 ミロス・フォアマン監督 1989年

「ヘンリー五世」 ケネス・プラナー監督 1989年

「ボヴァリー夫人」 アレクサンドル・N・ソクーロフ監督 1991年

「ボヴァリー夫人」 クロード・シャブロル監督 1991年

「美しき諍い女」 ジャック・リヴェット監督 1991年(バルザック「知られざる傑作」)

「嵐が丘」 ピーター・コズミンスキー監督 1992年

「二十日鼠と人間」 ゲイリー・シニ―ズ監督 1992年

「愛人 ラマン」 ジャン・ジャック・アノー監督 1992年

「チャタレイ夫人の恋人」 ケン・ラッセル監督 1993年

「いつか晴れた日に」 アン・リー監督 1995年

「ジエイン・エア」 フランコ・ゼフィレッリ監督 1996年

「日陰のふたり」 マイケル・ウィンター・ボトム監督 1996年

「ロビンソン・クルーソー」 ロッド・ハーディ、ジョージ・ミラー監督 1996年

「アンナ・カレーニナ」 バーナード・ロス監督 1997年 ソフィー・マルソー

「赤と黒」 ジャン・ダニエル・ヴェラーゲ監督 1997年(テレビ)

「レ・ミゼラブル」 ビレ・アウグスト監督 1998年

「虚栄の市」 マーク・マンデン監督 1998年

「オネーギンの恋文」マーサ・ファインズ監督 1999年(プーシキン「エヴゲーニイ・オネーギン」)

「真夏の夜の夢」 マイケル・ホフマン監督 1999年

「クオ・ヴァディス」 イエジ―・カヴァレロヴィッチ監督 2001年

「イザベル・アジャーニの惑い」 ブノワ・ジャコー監督 2002年(コンスタン「アドルフ」)

「飛ぶ教室」 トミー・ヴィガント監督 2003年

「ウォーク・トゥ・リメンバー」 アダム・シャンクマン監督 2003年

「カルメン」 ヴィセンテ・アランダ監督 2003年

「チボー家の人々」 ジャン・ダニエル・ヴェルハージェ監督 2003年(テレビ)

「きみに読む物語」 ニック・カサヴェテス監督 2004年

「ゴリオ爺さん」 ジャン・ダニエル・ヴェラーゲ監督 2004年(テレビ)

「悪女」 ミーラー・ナーイル監督 2004年(サッカレー「虚栄の市」)

「オリバー・ツイスト」 ロマン・ポランスキー監督 2005年

「プライドと偏見」 ジョー・ライト監督 2005年

「ベラミ」 フィリップ・トリボワ監督 2005年(テレビ)

「レディ・チャタレイ」 パスカル・フェラン監督 マリナ・ハンズ 2006年

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 デヴィッド・フィンチャー監督 2008年(フィッツジェラルドの短編)

「嵐が丘」 2009年(テレビ)

「ガリヴァー旅行記」 ロブ・レクーマン監督 2010年

「ジエーン・エア」 キャリー・ジョージ・フクナガ監督 2011年

「ファウスト」 アレクサンドル・ソクーロフ監督 2011年

「レ・ミゼラブル」 トム・フーパー監督 2012年

「危険な関係」 ホ・ジノ監督 2012年

「アンナ・カレーニナ」 ジョー・ライト監督 2012年 キーラ・ナイトレイ

「ベラミ」 デクラン・ドネラン&ニック・オーメロッド監督 2012年

「華麗なるギャツビー」 バズ・ラーマン監督 2013年

「ボヴァリー夫人」 ソフィー・バルデス監督 2014年 ミア・ワシコウスカ

「マクベス」 ジャスティン・カーゼル監督 2015年

「チャタレイ夫人の恋人」 2015年(テレビ) ジェド・マーキュリオ監督

「戦争と平和」 2015年(BBC)

「ソフィア・コッポラの椿姫」 ソフィア・コッポラ監督 2017年

山雨欲来風満楼

山雨来たらんと欲して風楼に満つ。山の雨が降り出そうとする際、まず高楼に風が吹きつけてくる。転じて、何か事件が起ころうとする前の、なんとなくあたりが穏やかでない状態をたとえていう。唐代の詩人、許渾の詩の一節から生まれた成語。台風24号が九州南部に接近。

XYZ事件

   18世紀のカリブ海は映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の世界。海賊も多いけど、アメリカとイギリス、スペイン、そしてフランスとの間で紛争が頻繁に起こっていた。アメリカの商船が拿捕されることも多かった。米2代大統領ジョン・アダムスが特使をフランスに派遣したとき、フランスの外相タレーランは特使になんと賄賂を要求した。怒ったアメリカ特使は経緯を暴露した。これをXYZ事件という。アダムスは防衛力を強化し、海軍省を創設、1798年には宣戦布告のないまま、フランスとの開戦を準備していた。驚いたフランス側は和平に向けて準備し、ナポレオンが政権の座につくと、1800年9月30日パリでモルトフォンテーヌ条約が締結された。フランスはアメリカ船舶の入港禁止を解き、両国は互いに捕獲した相手国の船舶を返還することになった。

2018年9月29日 (土)

新幹線とハイライトの色

 五歳の女の子の素朴な疑問「なんで東海道新幹線の車体の色は青と白なのか?」チコちゃんは知っています「色を決める会議の席にあったタバコの箱が青と白だったから」

  1964年東海道新幹線が開業した。その数年前のこと。車体の色を決める会議で赤派と白派が対立していた。ある幹部が机の上に置かれたタバコの箱をみて、「この色、いいんじゃない」と言った。当時人気があった「ハイライト」の白と青のシンプルなデザインはスピード感ある色合いだ。すぐに青と白の二色を参考にデザインすることに決定した。この挿話は新幹線の当時の内部資料にも残っているらしい。

洋菓子の日

B0139906_16271255
 トトロのシュークリーム

    フランスではサン・ミシェル(大天使ミカエル)が菓子職人の守護聖人となっており、その祝日が9月29日であることから、「洋菓子の日」が定められた。洋菓子の定番といえばシュークリーム。関西の者は駅構内の売店にあるヒロタを思い浮かべるが、東京では「しろたえ」(港区赤坂)が人気だそうだ。ほかにも店ごとに工夫されているらしい。「白髭のシュークリーム工房」にはトトロの形をした可愛いシュークリームが売られている。

     シュークリームは明治のころからあったらしく、フランス語のシュ(chu)と英語のクリーム(cream)からなる和製外来語。シュとはキャベツのこと。寺田寅彦の随筆に鍋町の風月の2階の喫茶室に「ミルクのはいったおまんじゅう」という言葉が見える。(「銀座アルプス」昭和8年)寺田はハイカラでモダンな人だった。ミカエルマスMichaelmas

2018年9月28日 (金)

孔子生誕の謎

200111_10_n051kousigazou     孔子の生年は前552年、あるいは前551年という説もありはっきりしない。そめためかどうか知らないが、釈迦やキリストのように生誕を祝うという風習がない。名は丘(きゅう)、字は仲尼。父は叔梁紇、母は顔徴在。父母の年齢がかなり離れていたので、子どもが生まれるかどうか、とくに母は心配だった。そこで、祈祷師でもある母は「尼丘に祈り、孔子を得たり」近くの尼丘山に祈って、孔子をさずかることができた。ある記録によると、魯国の襄公22年(前551)8月27日(新暦9月28日)に生まれ、魯国の哀公の16年(前479)2月11日(新暦3月9日)に死んだとされている。魯国の昌平郷・陬邑(今の山東省曲阜県東南の鄹城)に生まれた。

   ただし、生年には諸説がある。原因は周と魯とで暦が異なるからで古来何人もの偉い学者が調べてもはっきりとわからない。孔子の生まれ月については、10月と11月との二つの異なった本文がある。「春秋公羊伝」は「襄公21年(前552)10月1日庚子孔子生」とする。同穀梁伝は「21年庚子、孔子10月の後に生まれる」とする。

   生まれ年については、『春秋』の襄公21年と『史記』の襄公22年誕生説がある。「史記集解索隠正義礼記」は、周の正月は11月なので、「史記・孔子世家」の22年は実際は21年になる、という。現在の中国の暦法で、前551年9月28日とするのが妥当であろう。台湾では9月28日を孔子の誕生日としている。

のぞきを出歯亀というのはなぜ?

403ce78f     庭で行水する女性や女湯の板塀の節穴から覗いたりする変態男を「出歯亀」という。近年はあまり耳にしない言葉だが、携帯などでスカートの中を盗撮することも「出歯る」行為だろう。「明治の末の変態性欲者、植木職の池田亀太郎(当時35歳)に由来。出歯の亀太郎の意。女湯をのぞくなど、変態的なことをする男の蔑称」と広辞苑にある。 出歯るという動詞が出来た。出歯亀事件は当時の新聞に大々的に報道され、「出歯亀」は流行語となった。

  明治41年3月22日、植木職兼鳶職の池田亀太郎は、近所の大久保村(東京都新宿区)にある藤の湯の女湯をのぞているうちにムラムラとなり、官吏の妻・幸田ゑん子(28歳)のあとをつけ、空き地に引きずり込んで強姦し、殺害した。彼はすぐに獄舎につながれたが、特赦で5年後には釈放された。だが悪い癖というものはそう簡単には治らない。その後ものぞきを重ね、15年後にふたたび逮捕された。そのとき彼は55歳。雀は百まで踊りを忘れないそうだが、亀太郎は55までのぞきを忘れずというわけか。池田が出っ歯であったところから、出歯亀ということばが生まれた。しかし亀太郎の犯罪はのぞきや痴漢、ストーカーというよりも暴行殺害という凶悪犯人である。出歯がユーモアをさそうのかもしれないが、日本語にその名の一文字を残し、権威ある辞書「広辞苑」にその名前を連ねるとは、なんとも幸運な人であろうか。(参考:小林祥次郎「人名ではない人名録」)

2018年9月27日 (木)

コーヒーが冷めないうちに

   「死ぬまでにあと何杯コーヒーが飲めるだろうか?」1日1杯だけなので、1万杯、いやいや5000杯くらいかな。老いて介護施設か病院に入れられて3000杯くらいかもしれない。

   ヨーロッパにコーヒーを紹介したのはマルコポーロと伝えられるが、本当の話ではない。コーヒーの原産地はアフリカのエチオピア、カッファー州というところである。つまりカッファーが訛ってアラビア語のカフヴェ(Kahve)やトルコ語のクァフワ(qahwa)になったのだろう。 語源はともかくコーヒーの味を初めて知ったのは人間ではなく、山羊だそうだ。山羊が木の実を食べ、それを見た人間が食べた。そして木の実を炒って粉末にしたのがアラビア人で、5~9世紀のころといわれる。少なくとも13世紀には、イスラム世界では今日のような焙煎した豆が用いられていたようだ。1554年にはトルコのコンスタンチノーブルに初めてコーヒー店が誕生した。その後、紆余曲折があって、モカコーヒーがヨーロッパに伝わったのが1616年のことである。同年シェークスピアが死んでいるので、つまりシェークスピアはコーヒーの味を知らなかったようである。17世紀・18世紀の人、バッハやナポレオンはコーヒーが大好きだった。

英語で魚貝の名前

Plum_gut_porgy    魚の種類は2万種以上あるが、英語で魚の名前を覚えるのも一苦労である。鯛のような一般的な魚ですら英語で言うことは難しい。鯛のことはシーブリーム sea bream というが、ポーギーporgy ともいう。red snapperも鯛の一種。

ズワイガニはquean crab。タラバガニはking crab。欧米人はカニがあまり好きではない。

ウナギは英語でeel(イール)、ドイツ語でaal(アール)、フランス語でアンギーユ(anguille)。

「うろこ」は scale、「えら」は gills、「ひれ」は fin。

mackerel   サバ

shark    サメ

stingray  エイ

eel        ウナギ

coelacanth  シーラカンス

herring        ニシン

sandfish      ハタハタ

sardine       イワシ

sand lances  イカナゴ

carp           コイ

catfish       ナマズ

salmon       サケ

greenling    アイナメ

sweetfish   アユ

horse mackerel   アジ

codfish      タラ

headfish    マンボウ

rockfish    カサゴ

greenling   アイナメ

see bass   スズキ

tuna         マグロ

goby         ハゼ 

mackerel   サバ

flatfish      カレイ ヒラメ

bastard halibut  ヒラメ

puffer       フグ (またはblowfish)

globefish   フグ

yellow tail   ブリ

horse mackerel      あじ

anchovy   アンチョビー、イワシの類の小魚

squid        いか

cuttlefish   いか

dried cuttlefish   するめ

shrimp      えび

sardine     いわし

prawn       車えび

lobster     伊勢えび

bonito      かつお

crab         かに

conger      アナゴ

anglerfish  アンコウ

moray eel    ウツボ

ray          エイ

marlin      カジキ

bonito     カツオ

flounder  カレイ

sand borer  キス

alfonsino     キンメダイ   

orca        シャチ

octopus    たこ

tuna        まぐろ

trout       ます

clam        はまぐり

halibut     ハリバ、オヒョウ(大型の平たい食用魚)

jellyfish    くらげ

starfish    ひとで

striped mullet  ぼら

turban shell  さざえ

scallop        ホタテ

littleneck clam  アサリ

shijimi clam   シジミ

coral       さんご

sea anemone   いそぎんちゃく

pond snail  たにし

snail         かたつむり

young yellowtail   はまち

ark shell   あかがい

Longtooth grouper  クエ

saury       サンマ

salmon roe   イクラ

herring roe   カズノコ

goldfish       金魚

killifish        メダカ

trepang       なまこ

hockey        ホッケ

capelin        ししゃも

marlin          カジキ

piranha        ピラニア

昭和天皇とマッカーサー

Photo_8
 戦後の全国ご巡幸

Img_0033
 昭和天皇は将棋を好まれた 昭和30年

  「♪昭和の時代は 遠くになったけど…」(夕子のお店) 

  昭和20年のこの日、昭和天皇がアメリカ大使館公邸にいるダグラス・マッカーサーを訪れ、会見した。わずか37分間の会見で、マッカーサーの昭和天皇に対する態度はまったく変わっていた。会見前は傲然とふん反り返っているような態度をとっていたマッカーサーが、会見後には昭和天皇のやや斜め後ろを歩くような敬虔で柔和な態度で、会場から玄関まで見送った。

   昭和天皇は明治34年4月29日、午後10時10分、皇太子と節子(さだこ)妃殿下の間に男子(親王)が誕生。のちの昭和天皇(1901-89)である。皇位を継ぐべき親王の誕生に、翌30日には北海道から台湾まで号外の鈴が鳴りひびく。宮城や東宮御所は祝いの客であふれ、全国各地からは祝電が寄せられた。親王は裕仁(ひろひと)と命名され、称号は迪宮(みちのみや)とさだめられるのは5月5日である。大正5年、立太子礼を行なう。大正10年3月から9月までヨーロッパを旅行し、大正天皇の病気により、帰国後の同年11月摂政となる。大正13年1月、久邇宮良子(ながこ)女王と結婚。大正15年12月大正天皇の死により践祚。昭和と改元し、昭和3年11月即位礼を行なう。(9月27日)

2018年9月26日 (水)

ハイカラ(明治事物起源)

B0191160_0730100 明治初期、文明開化の時代になって、これまでにないほど多くの外来語が慣用による日本語化した発音に従って生まれた。ハンカチ、シャツ、カフス、リボン、ピアノ、カナリア、ダイアモンド、サイダー、コーヒー、コロッケ、ポケット、ガラス、キャベツ、ノート、インク、ランプ、ベッド、バケツなどなど。明治初期外来語の中には、現在も使われている言葉もあれば、死んだ言葉もある。「ハイカラ」はハイカラー、つまり、丈の高い襟という意味だが、転じて、西洋風を気取るという意味で明治期広く使われた流行語だが、現在では死語といってもよい。

  「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と歌われた明治初期、断髪令が明治4年に発令され、それに合わせて洋服も急速に普及していった。ハイカラと洋服とは深い関係がある。明治31年ころ、毎日新聞の記者であった石川安次郎(号は半山、1872-1925)が「ハイカラ」という語を、紙上にかかげて新帰朝者を冷評したことに始まる。ハイカラはたけの高いカラ(高襟のシャツ:high collar)のことで、洋行がえりの紳士が欧米で流行の高い洋襟やネクタイをつけて得意となり、その風がきわめてキザにうつって仕方がなかったので、それを皮肉ったのである。それがいつしか一般にも広まり、灰殻(はいから)という言葉の音が、いかにも吹けば飛ぶような感じをあたえるので、キザで生意気または洒落者などの軽佻浮薄の徒という意味にもちいられたのである。それに対して外交官の小松緑が文明的、進歩的な意味だと弁護したことから、最初は舶来かぶれのキザ男が、やがて洒落者や最新流行ものの肯定的な意味でも使われるようになっていった。「蛮カラ」は「ハイカラ」をもじってできたできた言葉である。

220pxishikawa_yasujiro
 石川安次郎

 

野球1チーム9人制はマルティン・ルターの影響がある!?

  野球という球技はアメリカが発祥と言われていますが、実は原型となったスポーツは、イギリスの国民的球戯クリケットにその起源をみることができる。クリケットがラウンダーズ(バットとボールを用いる一種の遊び)となり、1830年にアメリカでラウンダーズを模倣したダウンボールが始まった。イギリスで1774年に刊行された「小さなかわいいポケットブック」に野球に関する記述が見つかる。これがアメリカに広まってベースボールとなっていった。だがクリケットは11人制。(ちなみにサッカー、ホッケーも11人) 実はアメリカのダウンボール(野球)も11人だった。なぜ1846年の野球規則で9人になったのだろうか?

    そもそも野球は3及び3の倍数が重んじられている。9回交互に攻守を行う。打者はストライク3つでアウトになり、3アウトで攻守を交替する。このようにすべて3×3が基本である。

    球戯で歴史あるスポーツといえばボウリング。メソポタミアや古代エジプト時代にすでにあったといわれる。3世紀頃にはドイツの宗教儀式に取り入れられる。中世にはボウリングは神意をはかるものとして行われ、ピンが倒れれば罪が赦された。ただしピンの数は国や時代によって異なっていた。16世紀の宗教改革の時代、ドイツのマルティン・ルターは「ピンの数は9本でなければならない」と主張した。ルターはボウリングの愛好家であり、アウグスティヌスの考えに沿った、神・キリスト・聖霊の三幅対(trias)によるものである。つまりキリスト教理によって、ボウリングのピンの数は9と定められた。

    その後、ボウリングはスポーツとして1840年代のアメリカで大流行したが、ピンが9個あるので、ナインピース(ninepins)、日本では明治に「九柱戯」と訳された。新教の国アメリカでは、ボウリングも野球もキリスト教理の3×3=9の影響の下に普及していったのである。

洞爺丸事故

2091     昭和29年9月26日、青函連絡船洞爺丸(3898トン)は乗客・乗員1314人を乗せて函館港を定刻(14時40分)の4時間遅れの18時39分で就航した。船長の近藤平市は18時頃から風雨が弱くなり晴れ間が見えてきたのを台風の目と判断したのだ。ところが、これは実は閉塞前線のいたずらであった。本当の台風15号の中心は、その時、函館西方の日本海上にあった。結果的に、洞爺丸船長の判断は間違っていたことになる。当時こうした判断はすべて船長一人の決断にゆだねられていたのである。

    同じ頃、青森発16時30分の羊蹄丸の船長の佐藤昌亮は出航を見送る判断をした。「なぜ船を出さぬ」「優柔不断で日和見だ」という乗客たちからの罵声に耐えに耐え、台風と闘った。その羊蹄丸は、洞爺丸が沈没した翌朝、青森からの再開第一便としてうそのように穏やかに函館湾に入ってきた。

    近藤船長は海難で殉職され、洞爺丸沈没の本当の真相ともいうべき船長の行動や心理状態については、まったく不明である。羊蹄丸船長だった佐藤昌亮は、間もなく宇高航路へ転じ、国鉄を定年退職後は海難審判の補佐人(刑事裁判の弁護人にあたる)をつとめた。

    死者行方不明者1155人。わが国最悪の海難事故を契機に青函トンネル計画が具体化された。昭和63年9月19日で青函連絡船は、明治41年3月開業以来80年の歴史を閉じた。

2018年9月25日 (火)

81人のスターたち

N0029784   安室奈美恵が引退。彼女は「平成の歌姫」と呼ばれた。昭和のアイドルの多くはスタ誕から生まれた。「スター誕生」は、1971年10月3日から1983年9月25日までに亘って放送された、日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組。12年間に200万人がスターを夢みて応募し、その中から、森昌子を第1号に、三橋ひろ子、コスモス、南陽子、最上由紀子、桜田淳子、菅原昭子、山口百恵、シルビア、藤正樹、城みちる、伊藤咲子、しのづかまゆみ、片平なぎさ、小林美樹、岩崎宏美、黒木真由美、北村優子、新沼謙治、神保美喜、朝田のぼる、浦部雅美、清水由貴子、ピンク・レディー、神田広美、太川陽介、渋谷哲平、石野真子、大橋恵理子、金井夕子、北野玲子、ポップコーン、井上望、甲斐智枝美、柏原芳恵、杉田愛子、小泉今日子、中野美紀、河上幸恵、中森明菜、水谷絵津子、吹田明日香、松本明子、太田貴子、高橋美枝、岡田有希子など81人もの歌手がデビューした。そのうちで現在まで第一線の歌手として活躍しているのは森昌子、岩崎宏美、新沼謙治、伊藤咲子、柏原芳恵、中森明菜の5人くらいか。(ほか俳優としては数名いる)それまで(天地、小柳、南)アイドルはあくまでその名の通り偶像であり、憧れの対象でしかなかった。が「スター誕生!」から生まれたアイドルは、より親しみやすく、ファンの日常に入り込んできた。「百恵ってイイよなあ」「え!?百恵はオレのものだ。お前は淳子にしとけよな。」などという会話が学校でかわされ、「親衛隊」が結成され始めたのもこの頃だ。中三トリオというネーミングも、まさに、そこを狙ったものだろう。中三が高一になり高二になり、ファンとともに成長を続けたアイドルたちだった。81人のスターたちの中でいちばん選考が分かれたのは中森明菜だろう。阿久悠、都倉俊一、松田敏江などは明菜を評価しなかった。中村泰士ただ一人だけが「点をつけられないほど良い」と100点満点をつけた。掲示板には三ケタがないので実際は99点だった。結局、中村の強い後押しで中森明菜が誕生した。

 

2018年9月24日 (月)

マルチな活動、あの人の専門は何?

    ヘンリー・ベッティンガーHenry Bechingerという学者はかつて「三角測量法」という読書法をすすめていた。自分から遠く離れた2地点を観測して自分の位置を明らかにするというもの。つまり自分の専門領域だけでなく、全く異なる分野の本も多く読むということをすすめている。バートランド・ラッセルは数学者でもあり、哲学者でもある。明治期にお雇い外国人として来日したフェノロサは、東京大学では美術ではなく、政治学、哲学、経済学を講義している。自然科学はほとんど分野がボーダーレス。シュレティガーは物理、化学、生物にまたがっている。

    たとえば歌劇「イーゴリ公」や「中央アジアの草原にて」の作曲家ボロディンは、自分のことを音楽家としてではなく、化学者、医師と自称していた。17世紀のイギリスの数学者ジョン・ウォリスは微分積分学への貢献で知られるが、1685年に書いた「Gramatica Linduae Anglicanae」によって、彼は「英文学の父」と称されるようになった。福岡の平野四郎(1885-1963)は医師のかたわら、動物、とくに鳥の生態の研究で知られた。東京音楽大学の山根章弘は専門は美学ということだが、実に広い分野に関心を持っている。出版された本が同じ著者かと思われるほどである。映画ファンの間では映画評論家として認識されているだろう。東映動画「白蛇伝」の原案者でもある。上原信(ペンネーム)は山根章弘と同一人物である。アニメ「龍の子太郎」のプロデューサー、「世界映画芸術史 エロティシズム50年の流れ」1966、「スクリーン・エロティシズム」久保書店1962。また羊毛の専門家「羊毛文化物語」講談社1989、「羊毛が語る日本史」PHP研究所 1983。またエチケット研究家「美しい人、美しいマナー」1982、「愛と結婚のエチケット」銀河選書 1982、「誰も言わなかった知的マナー」青春出版社 1978、「日本の折形」講談社 1987。むかし日本テレビの11PMにも出演していた。芸術、映画、民俗、風俗、マナー、衣服、羊毛、文化史と相互に関連しているのである。

23007001563     映画評論家の荻昌弘(1925-1988)も映画、料理、音楽のほか幅広い趣味がある。新しいもの好きでワープロによるデーターベースの構築を1982年夏ころ試みている。効率的・機能的な書斎をつくるため、「私の書斎ワープロ戦略」(1986年)を刊行した。

  京都大学の安田徳太郎(1898-1983)は、医師でフロイド研究で知られるが、ほかにも風俗・エロチック美術の研究など著書の分野は広い。戦後は「人間の歴史 全6巻」「万葉集の謎」はベストセラーとなった。同じく京大の多田道太郎(1924-2007)も専門はフランス文学、ボードレール、サルトルだが広い分野で評論活動をしていた。カイヨワの「遊び」、映画評論、大衆文化、現代風俗、漫画論、晩年は生活美学というものを提唱していた。澤瀉久敬(1904-1995)はフランス哲学が専門だが、阪大で医学概論を講義した。万葉集研究で著名な澤瀉久孝の弟である。小説家岡本かの子(1889-1939)は仏教研究家として知られていた。松田道雄(1908-1998)は小児科の医者が本職であるが、ロシア研究家、など幅広い読書家として知られた。光吉夏弥は、「ちびろくさんぼ」など英米児童文学の翻訳者として知られているが、舞踏評論家でもある。硯友社で言文一致体の小説家で知られる山田美妙(1868-1910)は、晩年フィリピン独立運動家アギナルドの伝記を著している。明治大学の斎藤孝は多数の実用書の出版で知られるが、色んなジャンルの読書をすすめる「全方位読書」派である。芸能人では荒木一郎は俳優、シンガーソングライター、小説家、手品など多芸多才である。最近では辻仁成が作家、ミュージシャン、映画監督、演出家。最近では星野源がシンガーソングライター、俳優、文筆業など多岐にわたっての活躍がきわだっている。

義朝はなぜ「ヨシトモ」か?

    1192年のこの日、源頼朝が征夷大将軍に就いた。頼朝(よりとも)の父が義朝(よしとも)である。平治の乱で敗北し、尾張国で家人に裏切られ謀殺される。なぜ「朝」を「とも」と読むのか。名乗りはなかなか学者でも説明がつかないらしい。為朝、義朝、頼朝、実朝。源氏だけで平家には「朝」の字がつく人物は見当たらない。

   わからないのは「朝(とも)」だけではない。もっとも人名に使われる名乗りは「和(かず)」だ。関孝和(せきたかかず)という江戸の和算家がいた。いまでは「和夫」「和雄」「和郎」「和子」などありふれた名である。だが「和」を「かず」と読ませるのは面白い。「和(わ)」とは2つ以上の数字を合計した数(かず)である。ところで関孝和は海外でも広く知られているが「Seki Kowa」である。三上義夫が英文で「こうわ」と表記したためである。(9月24日)

ハイライトよ永遠に

男なら夢を見る いつも遠いとこを

煙草屋のおばあちゃん お世話になりました

お金がない時も あとでいいよと言って

ハイライトをくれた お世話になりました

Photo_2  井上順が歌っていた「お世話になりました」(作詞・山上路夫、作曲・筒美京平)。むかしの歌謡曲は、誰でもが口ずさめて、歌いやすいのがいい。そして「ハイライト」というタバコの銘柄に懐かしさをおぼえる。ケペルはタバコを吸わない。かつて成人したとき、ライターを買って、タバコも吸っていた時期はある。ハイライトだった。セブンスターは吸ったことはない。今年1月に81歳で死去した夏木陽介のハイライトの宣伝ポスター(昭和36年)を見ると、まさにハイライトは高度経済成長を支える企業戦士のベスト・パートナーだった。昭和35年6月20日、発売当時の値段が70円、昭和43年に80円で、現在も420円で販売されている。ところが、タバコ1箱の値段を1000円に値上げしようとする動きがある。実に嫌な話だ。税収が足りないから、タバコというたった一種類の嗜好品に税収を補わせる案は、なるほどタバコを吸わない人たちからは大歓迎されるにきまっている。そして「タバコは有害である」「タバコは健康に悪い」という「健康の時代」の大合唱によって、数百年の歴史ある嗜好文化を学ぶことなく、全体を一つの方向に決めつけてしまうことに危険性を感じてしまう。なぜ人は、たばこを吸うのか。精神分析学の創始者であるフロイトによると、口唇要求(幼児の指しゃぶり)のあらわれであるという。喫煙行為がいつしか社会悪に貶められてしまったことに、むしろ現代の病巣をみるような気がする。

2018年9月23日 (日)

人間万事塞翁が馬

Hasi

   人間の一生のうちで、何が幸福になり、何が不幸になるかは予測がつかず、簡単には決められない。禍福は定まりなく、変転するものだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきでないということ。出典は、「淮南子」人間訓にある。元の僧、熙晦機の詩「人間万事塞翁が馬、推枕軒中雨を聴いて眠る」がある。「世の中は幸と不幸が、かわるがわる起こる。あれこれ考えないで、そろそろ落ち着いて、自然のまま、雨風に耳を傾けて日々暮らす」という意味か。「推枕軒」とは熙晦機の書斎兼居間の雅称か。

筆記具の発明者たち

   万年筆はイギリスで19世紀の初めころから使われていた。1809年のこの日、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが金属製の軸内にインクを貯蔵できる筆記具を考案し、特許をとった。のち1883年、アメリカのルイス・エドソン・ウォーターマン(1837-1901)が万年筆の実用化に成功した。鉛筆は1565年にスイスのコンラート・ゲスナーが自家製鉛筆を使用していた。シャープペンシルの原理は1822年にイギリスのホーキンスとモータンによって考案されたが、1917年にアメリカのチャールズ・キーラン(1883-1948)がエバーシャープという実用的な筆記具を販売した。ボールペンは1943年、ハンガリーの新聞校正係だったラディスラオ・ビロ(1900-1985)が考案した。(9月23日)

Waterman190h 1f9c2b10
      ウォーターマン                   ラディスラオ・ビロ

2018年9月22日 (土)

紅一点

   SFアクション「プレデターズ」(2010)。7人の男性の中に混じっているただ一人の女性。CIAの天才スナイパーのアリシー・ブラガ。ブラジルの女優だそうだが黒い瞳が魅力的である。まさしく「紅一点」であるが、本来は一面緑の中の一輪の紅色の花の意味。日本では明治以後に、男がたくさんいる中での一人の女の意味になった。

人生ぼーっと生きています

  信号の色は左から赤・黄・青だったか、それとも青・黄・赤だったか?こうした普段見慣れたなじみの深いことがらでも、いざ質問されると意外にとまどってしまうものです。これは、いかに人間の記憶力や注意力があいまいであるかの良い証拠だといえましょう。「1グラムは何の重さ」5歳のチコちゃんは知っています。「それはフランスにある金属の塊の1000分の1」と。重さの単位には世界基準となる金属の塊があります。フランスのセーブルにある国際度量衡局には直径・高さともに約3.9mmの円柱状の金属塊が厳重に保管されている。原器が作られたのは1889年のことで長い年月で埃や湿気などのため僅かの狂いが生じてきた。今年2018年秋には新しい重さの定義が検討されるという。

右と左のはなし

Statue06    西洋諸国では右は善で、左は悪という考え方があった。英語のrightは、右、正しい、まっすぐな、健康な、という意味がある。ニューヨークにはある自由の女神は右手に松明を持っている。インドやインドネシアでは、物を手づかみで食べるが、必ず右手を使い、左手は不浄の手で、排泄の処理に用いる。フランス革命後の議会で、議長席から見て左方の席に急進派がすわり、右方に保守派がすわったことから、急進主義者、のちには社会主義者・共産主義者を左翼と呼び、保守的・国粋的な思想の持ち主を右翼と呼ぶようになった。

    中国では左右の何れを上位とするかは時代によって異なるが、先秦時代は左を尊んだとされ、漢初まで続いた。「左袒」とは加勢すること。「劉氏のためにつくしたいものは左袒(左肩を脱ぐこと)せよ」の故事から生まれた。漢代より後になると、右を尊び左を卑しむ観念が生まれた。漢語「座右」「左遷」はこのころの故事。「旡出其右」(その右に出る者がいない)。六朝になると官職に関しては左を上位とするようになり、唐に入るとより一層広く左が尊ばれた。

    日本でも中国の影響を受けて左を上位とするようになり、左大臣、右大臣の官位が生まれた。お雛様の段飾りに「右近の桜、左近の橘」がある。つまり雛壇に向って右側が桜、左側が橘である。東西南北の方位で言うと、東が桜、西が橘。男雛は橘の側の左に座ることになる。奈良時代後期から平安時代にかけて左大臣は藤原氏が独占したが、醍醐天皇の時代、左大臣藤原時平の讒言によって右大臣の菅原道真が大宰府に左遷されたのは有名な話である。

Haiti   また左右は伝統的な決まりごとがつくられた。たとえば配膳作法。左前にご飯を置くのは左側の上位の思想からくるものである。しかしながら通例、左をあまりよくないたとえに使われることが多い。芸者のことを左褄(ひだりづま)といい、花嫁は右褄。飲酒家を左党というのは、大工が左手で鑿を持つことから「鑿手」(のみて)のシャレからきている。会社の経営状態が悪くなることを「左前になる」という。これは死に装束が「左前」であることから、死に体に通じるからである。

Photo_4

(参考:「今さらこんなこと他人には聞けない辞典」 KKベストセラーズ)

2018年9月21日 (金)

アキレス腱

   アキレス腱とは、足のかかとのすぐ上の、ふくらはぎの筋肉へつづく腱。したがって歩行にもっとも重要な部分で、不用意に駆けたりすると、切れることがある。この言葉はギリシア神話の不死身の英雄アキレウスの名からきている。英雄アキレウは幼いときに母が冥界のスティックス河に彼を浸したため不死身となったが、足のかかとだけは浸さなかったため、この唯一の弱点を矢で射られて死んだ。これに由来して強者が持っている致命的な弱点の意に用いられる。日本でも「弁慶の泣き所」という語があるが直接の関係性はわからない。弱点の部位は①向うずね②中指の第1関節の先の方、の2説がある。(Achilleus)

「千字文」伝来と王仁の謎

0f3bb3e9cbe9fdfaab7192fd4c9e75f7     わが国の古い伝承で漢籍について述べられているものは「古事記」の応神天皇の条に16年(紀元285年)に百済の国の和邇吉師(王仁)が「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという記述がある。また「日本書紀」の応神紀には、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇太子が王仁について漢文を習ったと記されている。今日これらを史実と考える研究者はあるまい。中国ではまだ「千字文」は成立しておらず、南朝の梁の武帝(464-549)が周興嗣(470-521)につくらせたものである。だが王仁はその後も帰化人として日本に滞在し、渡来系氏族「西文氏(かわちのふみ)」の祖と伝えられる実在の人物と考えられている。「千字文」を伝えたとするならば6世紀初めの人と考えられる。千字文の一節「散慮逍遥」を書いた木簡が出土している。日本に伝わった「論語」10巻が梁の武帝のとき編纂された「論語義疏」と思われる。つまり王仁は4世紀の人物ではなく6世紀の人と考えられる。王仁に関しては謎に包まれているが、記紀に見える王仁が、朝鮮側の古記録には見えない。「海東繹史」(18世紀末)になって初めて王仁の記述が見える。韓国全羅南道の霊岩に王仁の生誕伝説と遺跡が伝えられる。

千字文十種 全14巻 平凡社 1936-1937
評釈千字文 岩波文庫 山田準・安本健吉註解 岩波書店 1937
千字文詳解 増訂 伏見沖敬 角川書店 1983
注解千字文 小川環樹 岩波書店 1984

ショーペンハウエル忌日

Schopenhauer    ドイツ厭世主義の哲学者ショーペンハウエルは1860年9月21日、フランクフルトで死去した。享年72歳。彼の風貌は、背は普通。骨格頑丈、胸広く、輝く青い瞳、薄赤いちちじれた髪、整った鼻、長く広い口、音声強大、手は細く敏活。好男子とはいえなかったが、人を惹きつける魅力があった。オシャレで、人前に出るときはいつも盛装だった。妻子もなく、同胞もなく、1人の友もいない。晩年は愛犬のアートマンが唯一の話相手だった。夕暮れになると愛犬を連れて散歩をする。歩き方は若々しくて速い。太い竹のステッキを持ち、葉巻を吸う。午後8時頃にレストランで夕食。冷肉と赤ワイン。帰宅後、キセルで煙草を一服。英独仏の新聞を読む。音楽は好きでベートーベンを聴く。就寝前にウパ二シャッドを読む。部屋には純金の釈迦像がある。ショーペンハウエルはキリスト教よりも、ウパニシャッドや仏教を哲学に取り入れようとしていた。(Schopenheuer)

2018年9月20日 (木)

愛情故事突然發生(おもしろ中国語)

48bb8ed5bc78a 中国語漢字圏ではカタカナのような元の発音に近い音で表記する記号がないので、どんな外来語でも漢字を充てる。「スチューワーデス物語」(1983)堀ちえみ主演は、「空中小姐」堀千恵美、「東京エレベーターガール」(1992)宮沢りえ主演は、「東京電梯女郎」宮澤理恵というタイトルで台湾で放送されていた。台湾でドリームズ・カム・トゥルーは「美夢成真」。韓国ドラマ「秋の童話」は「藍色生死戀」。「逃げるは恥だが役に立つ」は、「逃避雖可恥但有用」。台湾では「月薪嬌妻」。月薪は月給、嬌妻は可愛い奥さんの意味。「孤単的心痛(愛はかげろうのように)」。「對不起我愛你(ごめん愛してる)」。「愛情故事突然發生(ラブストリーは突然に)」。洋画の中国タイトル「羅馬假日(ローマの休日)」。「窈窕淑女(マイ・フェア・レディ)」。「蒂凡尼的早餐(ティファニーで朝食を)」。「乱世佳人(風と共に去りぬ)」。「魂断藍橋(哀愁)」。「睡美人(眠れる森の美女)」。「人鬼情未了(ゴースト/ニューヨークの幻)」。「泰坦尼克号(タイタニック)」。「公民凱恩(市民ケーン)」。「雨中曲(雨に唄えば)」。「原野奇侠(シェーン)」。「舞台生涯(ライムライト)」。「城市之光(街の灯)。「摩登時代(モダンタイムス)」。「西区故事(ウェストサイド物語)」。「美人計(断崖)」。「荒漠怪客(大砂塵)」。「回到未来(バック・トゥ・ザ・フューチャー)」。「郎心似鉄(陽のあたる場所)」。「大白鯊(ジョーズ)」。「星球大劇(スター・ウォーズ)」。「緑野仙綜(オズの魔法使い)」。「公寓春光(アパートの鍵貸します)」。「教父(ゴッド・ファーザー)」。「日落大道(サンセット大道り)」。「雙重賠償(深夜の告白)」。「龍鳳配(麗しのサブリナ)」。「阿甘正伝(フォレスト・ガンプ)」。「魔蠍大帝(スコーピオン・キング)」。「小偸家族(万引き家族)」など。

  トヨタ自動車は「丰田汽車」。車名ではクラウンは「皇冠」、レクサスは「雷克薩斯」。ミッキーマウスは「米奇老鼠」。アンパンマンは「安麺包人員」。ポパイは「大力水手」。水手とは水夫のこと。「セーラームーン」は「水手月亮」。「セーラー服」は「水手服」。

   しかしすべての言葉が中国で翻訳されるわけではない。「ストレス」に相当する言葉はこれまでなかった。ここ数年、ストレスを感じるビジネスマンも増加してきた。「圧力」が「プレッシャー」や「ストレス」を意味する。いま中国では「圧力山大」=「ストレスがアレキサンダーのように大きい」という言葉が流行語になっている。中国語で「亜歴山大(アレキサンダー)」と発音が同じで、だじゃれ言葉である。

信息素(フェロモン)

阿司匹林(アスピリン)

大熊猫(パンダ)

火箭(ロケット)

口香糖(チューインガム)

電脳(コンピューター)

聖誕(クリスマス)

巧克力(チョコレート)

康乃馨(カーネーション)

生魚片(さしみ)

巴洛克(バロック)

月歴(カレンダー)

直升機(ヘリコプター)

9150123111200310

サラミスの海戦とテミストクレス

Boatwar1    紀元前480年のこの日、サラミスの海戦でアテネは大勝利をおさめた。ペルシアのクセルクセス王の大軍を目前にして、アテネではテミストクレスの建策により、北に逃げるとみせて狭い海峡に入った。これを追ったペルシアの大艦隊は、操船技術に優れ機動力を発揮するギリシア海軍にかき乱され、狭い海峡の中で互いに衝突しあい惨敗を喫したのである。

    アテネの名門の子供たちが学ぶ校庭での話。みんなが楽しく詩や音楽の話をしていたが、テミストクレスという少年だけは、大志を抱き政治の演説をするのであった。「自分はリュラ(琴)の調子を合わせたり、プサルテリオンを弾いたりすることには疎いが、名もない小さな国を引き受けて、大国に仕上げることは心得ている」と言った。この少年こそ、サラミスの海戦でペルシア艦隊を破った古代ギリシアのアテネの政治家テミストクレス(前528?-前462?)である。しかし、彼の晩年は不遇で、前470年、陶片追放(オストラキスモス)により失脚し、ペルシアに逃れた。牡牛の血を飲んで自殺とも伝えられる。(Salamis,Themistokies、9月20日)

2018年9月19日 (水)

子規忌

Photo_6 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

   正岡子規(1867-1902)は慶応3年9月17日に伊予国温泉郡藤原新町で生まれた。ただしこれは旧暦で新暦では10月14日となる。父は松山藩御馬廻加番正岡隼太で、名は常規(つねのり)、幼名は処之助(ところのすけ)でのちに升(のぼる)と改めた。明治35年9月19日、わずか35歳で東京根岸に生涯を閉じた。死の2日前まで「病牀六尺」を書き続け、その前日、「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」「をととひの糸瓜の水も取らざりき」「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」の三句を絶筆として残した。墓は田端の大龍寺にある。獺祭書屋主人と号した。子規忌を獺祭忌ともいう。獺祭(だっさい)とは「かわうそまつり」。①かわうそが自分の捕らえた魚を四方に陳列すること。②作詩文に数多の参考書を座右に広げること。詩文を作るのに多くの故事を引くこと。つまり、獺祭書屋主人とは、書斎で学者が周囲に参考書を積み重ねることに由来するのであろうか。

 夏嵐机上の白紙飛び尽す

2018年9月18日 (火)

芹沢鴨暗殺

   芹沢鴨が斬られたのは、文久3年9月18日の夜のことである。島原の角屋で宴会がもたれた後、したたかに酔った芹沢は壬生へもどり、大酔し、お梅を抱いているところを、近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・原田左之助ら5名に襲撃された。芹沢は脇差を抜いてわたりあったという説もあるが、実際には泥酔して前後不覚に寝込んでいたところを、蒲団ごしに刀を突き刺されたというのが真相らしい。翌日、近藤は守護職邸に、局長芹沢は急病による頓死ということで届け出ている。 

P3_plx
 芹沢が最後の宴会をした角屋「松の間」

 Mibuhp11
 芹沢鴨暗殺の間となった八木家の一室

 

Sakuzu04

2018年9月16日 (日)

ピーター・フォークの謎

 1927年のこの日、米俳優ピーター・フォークはニューヨーク州オシニングで生まれた。「刑事コロンボ」がイタリア系という設定だが、ピーター・フォークの両親はユダヤ系である。父親はロシア系ユダヤ人、母親はポーランド・チェコ・ハンガリー系ユダヤ人でいわゆるアシュケナジムと呼ばれる人たちである。 

   リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクが刑事コロンボを構想したのは何時頃であったか明らかではない。嘗てのラジオの人気番組「エラリー・クイーンの冒険」(1939ー1948)の影響があるといわれるが日本人のわたしたちには真偽のほどはわからない。リンクは短編小説「DEAR CORPUS DELICTI」を書いた。二人はそれをテレビ用に脚色し、「ENOUGH ROPE」というタイトルで放送される。このとき生れたばかりのコロンボ刑事を演じたのは、バート・フリード(1903‐1977)という俳優だった。

   その後、1962年「ENOUGH ROPE」は舞台化される。「殺人処方箋」の誕生である。犯人である精神科医を演じたのはジョゼフ・コットン。対するコロンボに抜擢されたのは、70歳前後のトーマス・ミッチェル(1892‐1962)だった。

    数年後、レヴィンソン&リンクは、「刑事コロンボ」をテレビムーヴィーの企画として提案する。かくして「殺人処方箋」のテレビ化はスタートしたが、肝心のコロンボ役がなかなか決まらない。舞台でコロンボを演じたトーマス・ミッチェルは故人となっていた。ピーター・フォークの名も候補者に上がっていた。しかしコロンボは年輩の俳優が演じるべきと考えていたレヴィンソン&リンクは、リー・J・コッブとビング・クロスビーが有力だった。だがオファーは双方とも断わられる。一度は「若すぎる」ということで選に漏れたピーター・フォークの名が再浮上することになった。かくして3人目のコロンボ刑事ピーター・フォークが1967年に誕生した。(9月16日)

2018年9月15日 (土)

フランスはあまりに遠し

 日本とフランスは1858年10月9日、日仏修好通商条約を締結し、両国間の外交関係が開設された。フランス代表はグロ男爵、日本側全権は水野忠徳ら6名。今年、日本政府はパリを中心に日本文化紹介事業「ジャポニズム2018」を実施している。フランス映画3本。アラン・レネの「二十四時間の情事」(1959)19世紀パリ社交界、裕福なユダヤ青年スワンと娼婦オディツトの恋。マリーヌ・ヴァクト主演の「17歳」売春する現代の少女の危ない心理を描く。いずれもフランス芸術文化は理解し難し。今夜はBSで「とことんフランス深田恭子5時間スペシャル」。現在のフランス大統領はだれか?エマニュエル・マクロンである。近代日本はなぜフランスに学ばなかったのか。陸軍はフランス式を導入したというが、憲法はドイツ、議会制度はイギリス、戦後は多くはアメリカ。明治期ヨーロッパではフランスは大国だったが政治的には不安定だった。それにフランス革命でルイ16世が処刑されたこと知って驚愕した。今の日本がまねるとすればフランス制度がベストだと思うが、やはり天皇制が存続する限りは共和制、大統領制は無理。象徴天皇制、議員内閣制から脱却できないだろう。エッフェル塔と東京スカイツリーのネーミングの違いをみればよくわかる。エッフェルは建築家の名前だが、日本では一個人の名前がシンボルに使われることまずないだろう。天皇陛下以外はみな臣民の国である。「ふらんすに行きたとし思へど ふらんすはあまりに遠し」。

Ff808d4a   ちなみに東京タワー、通天閣(2代目)の設計者、内藤多仲(1886-1970)もむかしの百科事典にはその名前すら記載されなかったが、近年はクイズの問題にも登場するようになっている。

2018年9月14日 (金)

インドの時代区分

   インド史を大きく古代、中世、近世にわけるとすると、だいたい紀元前2600年頃のインダス文明成立から5世紀フン族の侵入によりグプタ朝が滅亡するまでが古代である。カナウジの王ハルシャ・ヴァルダーナが606年ヴァルダーナ朝を建てて、647年に王の死とともに崩壊する。ハルシャの死後、デリーには多数の王国が興亡した。この時代をラージプート諸王朝と呼ぶ。10世紀になってアフガニスタンにトルコ系のガズナ朝(962-1186)とイスラム系のゴール朝(1148-1215)が相次いで興った。13世紀になると奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝と5王朝が興り、デリー・スルタン朝と総称される。1526年、バーブルがパンジャブからベンガルの境までのインドを統一してムガール帝国(1526-1859)を創始した。ここから近世が始まる。(参考文献;M・ヘーダエートゥッラ「中世インドの神秘思想 ヒンドゥー・ムスリム交流史」 1967年、大島康正「時代区分の成立根拠」筑摩書房 1949年 ) 

Imgp71130
 ブバネーシュワルのリンガラージャ寺院 11世紀

 

ピエトロ・ジェルミ

Photoledisquerougeilferroviere19554   1914年のこの日、イタリアのジェノヴァで映画監督ピエトロ・ジェルミは生まれた。彼の代表作は「鉄道員」「刑事」「誘惑されて棄てられて」など。美しい新人女優を発掘することが得意だった。シルヴァ・コシナ、クラウディア・カルディナ―レ、ステファニア・サンドレッリ。なかでもマイ・ベストは「鉄道員」のシルヴァ・コシナ。1933年、クロアチア・ザグレブの生れで、本名はシルヴァ・コシュチナ。1944年、イタリア人と結婚していた姉を訪ねて渡伊し、その後イタリアで高校を卒業してナポリ大学医学部に入学した。1952年にミス・ダ・タッパの栄冠に輝き、1954年イタリア一周自転車レースの優勝者に花束を渡す役を務め、その容姿が注目を集めて映画界入りする。1956年にピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」の長女ジュリア役に抜擢され、国際的にその名が知られるようになる。1994年、乳がんのため、ローマで死去。61歳だった。オードリー・ヘプバーンより4歳年下で、ほぼ同時代の国際派女優だった。(9月14日)

Sylva_koscina_014_2 8518155088_e31e0c1efc

2018年9月13日 (木)

やすらぎのイージーリスニング

Pavanne/ Morton Gould,1942

Autnmn Leaves/ jackie Gleason,1955

Star Dust/ Los Indios Tabajaras,1957

Anonima Veneziano/ Stelvio Cipriani,1970

Three Coins in the fountain/ Melachrino,1958    

Goodbye Again/ Marty Gold,1961

True Love/ James Last & Richard Clayderman

As Time Goes By/ 101Strings Orchestra

Fool Rush In/  Ohta San

Theme From  A Summerplace/ The Brass Ring

CAN CAN/ Dick Schory

Last Tango in Paris/ Andre Kostelanetz

Nola/ Liberace

Arturo's Island/ Carlo Rustichelli

Misty/ Jackie Gleason

Let it snow!/ Andre Kostelanetz

Autumn Leaves/ Tony Mottola トニー・モトラ

In Love/ Percy Faith

Tennessee Waltz/ Andre Rieu

Smile/ John Barry 1992

Petite Fleur/ Acker Bilk

 

 

2018年9月12日 (水)

夢の宇宙飛行

Photo   本日は「宇宙の日」。毛利衛が1992年、スペースシャトル・エンデバーに搭乗したことに由来するる。理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士の説によると、今後地球は人口過多によるエネルギー消費の増大で600年後には燃える火の玉と化すと警告している。つまりその600年の間にに人類は宇宙開発を進めて、新しい惑星へ移住できるようにしなければならない。宇宙への人類の夢は1961年のガガーリンが初の宇宙飛行を成功させてから半世紀を経て、ついに民間人も宇宙船に搭乗できる時代になった。芸能人の岩城滉一が来年にパイロットと2人乗りの宇宙船リンクス・マークで約45分間のフライトをするという。ちなみに経費は約930万円ほどかかる。

ムード音楽のはじまり

   真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

「マドンナの宝石」 マランド楽団

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

シャレード フランク・チャックフィールド

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

サークル・ゲーム(いちご白書)

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

サンセット77  ウォーレン・バーカー

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

街角のカフェ  フランク・ミルズ

今宵のあなた モートン・グールド

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館でレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

マラソンの日

   本日は「マラソンの日」。紀元前490年のこの日、フェイディピデスという兵士が伝令となってマラトンの野からアテネの城門までの約40㎞を走り続けてアテネの勝利を告げたまま絶命したといわれる。この有名な古代ギリシアの故事にちなんで、第1回オリンピック大会では、約40㎞で行われた。これが正式に42.195kmと決められたのは、第4回ロンドンオリンピック大会のウィンザー宮殿からシェファード競技場までの距離を基準にしている。ただし伝令の名前はフェイディピデス、フィリッピデス、フェイディッピデス、ピリッピデスなど諸書によって異なる。その名はローマの史書によるもので、ヘロドトス「歴史」には見えない。フェイディピデスの名前が広く知られるようになったのは、1921年に子ども向きに書かれたヴァン・ルーンの著書からである。

    近代オリンピックが開催され、マラソンは「オリンピックの花」といわれるようになった。1984年ロス五輪から女子マラソンが正式種目になった。女子選手が長い髪をなびかせて、カモシカのような美しい脚で走る光景は素敵だ。だがこんなこともあった。東独のワインホルト選手は、レース中に生理ですごい状態になってしまった。それでも棄権することなく最後まで走った。フランク・ショーターは琵琶湖マラソンで途中ウンコがしたくなって、木陰で用をすませて、また走って優勝した。川内優輝はいつもゴールで倒れて救急搬送される。かつて銅メダリストが過度の期待が重荷となり自殺においつめられた選手もいる。マラソンは過酷なスポーツだ。(marathon,Pheidippides,Phidippides,Van Loon,,9月12日)

2018年9月11日 (火)

論語及び孔子関係文献目録

Photo_2  1690年2月7日、孔子を祭る湯島聖堂が完成した。孔子の学問を儒学として薦めたのは江戸時代になってからだが、すでに江戸初期にもその気運はあった。加藤清正は戦国の武将の例にもれず、本などあまり読まなかったが、教養派の前田利家の影響から読書するようになった。清正が、江戸と熊本を往来する船の中で、「論語」を読みながら朱点ほほどこしているのを見ていた飼い猿が、清正が厠へ行った間に主人の真似をして「論語」の上に縦横に朱の線を走らせてしまった。戻ってきた清正はこれを見てニッコリ笑い、「おぉ、そちも聖人の教えを知りたいか」と言って、猿の頭を撫でたという。この逸話によって、清正が平生「論語」に親しんでいたことがよくわかる。清正ならずとも心ある部将はみな論語を愛読した。大内義隆、徳川家康など。明治以後は渋沢栄一、下村湖人、武者小路実篤など。第一生命の創始者・矢野恒太にも『ポケット論語』の著書がある。講談社をつくった野間清治にも、事業運営の柱に「論語」を据えたことは、あまねく知られている。最近では野球の野村克也が『野村の実践論語』の著書を刊行している。明治以降、「孔子及び論語」に関する文献は何点くらい出版されたのであろう。国会図書館で「論語」を検索すれば書籍だけで10681件がヒットする。

  論語関係文献
図書の部
論語微 10巻 荻生徂徠
論語古義 10巻 伊藤仁斎撰 1712
論語 全4巻 朱熹 学習館 1870
論語集説 全6巻 安井息軒 1872
論語類編心解 4冊和本 渋谷鉄臣(如意)編 京都・文石堂 1891
孔子 世界歴史譚第2篇 吉国藤吉 博文館 1899
論語新証 于省吾 1900
和論語 本社出版部 仏教図書出版 1900
孔門之徳育 亘理章三郎 開発社 1901
論語纂註 米良東嶠(倉子痩) 村上書店 1901
論語訓釈 斎藤清之丞 金華堂 1903
論語補註 山本章夫 山本読書室 1903
論語講義 上下 花輪時之輔講述 深井鑑一郎編 誠之堂 1903
孔門之徳育  1巻 亘理章三郎 開発社 1901
論語補註 2冊 和本 山本章夫註 京都・山本読書室 1903
孔夫子伝 蜷川龍夫 文明堂 1904
孔子研究 蟹江義丸 金港堂 1905
論語講義 根本通明 早稲田大学出版部 1906
論語 ジェームズ・レッグ訳 依田喜一郎 嵩山房 1908
孔子 西脇玉峰 内外出版協会 1909
論語経典余師 渓世尊講 宮崎璋蔵校訂 日吉丸書房 1909
論語講義 近藤元粋 篠田栗夫共著 大日本商業学会 1909
論語古義 佐藤正範 六盟館 1909
論語集説 漢文大系1 安井息軒 服部宇之吉校 冨山房 1909
論語講話 大江文城 東洋大学出版部 1909
孔子伝 遠藤隆吉 丙午出版社 1910
孔子 白川次郎 東亜堂 1910
孔子之聖訓 二條基弘 東久世通禧 名著学会出版部 1910
荻生徂徠論語辨 祥雲碓悟校 1910
論語弁 荻生徂徠 祥雲碓悟校 天書閣 1910
論語講義 一戸隆太郎 大成社 1910
論語国字解 一名経伝余師 渓世尊講 深井鑑一郎校 宝文館 1910
論語詳解 川岸華岳 郁文舎 1910
新訳論語(新訳漢文叢書11) 大町桂月訳 至誠堂 1912
論語示蒙句解 漢籍国字解全書1 中村惕斎 早稲田大学出版部 1912
論語書目 中村久四郎編 孔子祭典会 1913
論語源流 林泰輔 自筆稿本 1915
論語年譜 林泰輔 龍門社 1916
孔子及び孔子教 服部宇之吉 明治出版社 1917
論語講義 漢文註釈全書1 三島毅(中洲) 明治出版社 1917
論語鈔 成簣堂叢書10  上村観光解題 1917
儒教と現代思潮 国民思想涵養叢書3 服部宇之吉 明治出版社 1918
論語講義 細川潤次郎 南摩鋼紀共著 吉川弘文館 1919
孔子と其思想及教義 鈴木周作 弘道館 1922
渋沢子爵活論語 安達大寿計編 宣伝社 1922
世界三聖伝 基督・釈迦・孔子 松本雲母・大屋徳城・西脇玉峯編著 1923
現代に活かした論語講座 西川光二郎 丙午出版社 1924
孔子聖教之攻究 景仰子、柿本寸鉄 人文社 1924
孔子聖蹟志 馬場春吉 大東文化協会 1924
孔子研究 改版 蟹江義丸 京文社 1927
国訳論語 斯文会編 龍門社 1928
孔子鑑賞 大月隆仗 敬文館 1929
論語明解 江口天峰 至玄社 1929
孔子 小学児童学習の友 高橋喜藤治 郁文書院 1930
政教より観たる論語新釈 赤池濃 早稲田大学出版部 1930
論語講本(集註) 島田欽一校訂 有精堂 1930
論語鈔 村上龍英 広文堂 1930
論語詳解 沢田総清 健文社 1930
孔子全集 全2冊 藤原正纂訳 岩波書店 1931
論語善本書影 大阪府立図書館編 京都・貴重書影本刊行会 1931
論語詳解 簡野道明 健文社 1931
孔子家語 岩波文庫 藤原正訳 岩波書店 1933
論語證解 上中下 漢籍国字解全書28,29,30 早稲田大学出版部 1933
論語私感 武者小路実篤 岩波書店 1933
論語・孟子 東方古典叢刊7 五十沢二郎 竹村書房 1933
論語・孟子の話 国民修養講和3 西川光二郎 春陽堂 1933
孔子 室伏高信 日本評論社 1934
孔子解説 学庸篇 北村佳逸 立命館出版部 1934
論語講義 岡田正三 第一書房 1934
論語心解 西川光二郎 自動道話社 1934
論語の解釈 村田慎三 白帝社 1934
論語詳解 前島成 大修館 1934
論語全解 島田鈞一 有精堂 1934
孔子及孔子教 住谷天来 新生堂 1935
孔子教と其反対者 北村佳逸 言海書房 1935
孔子教の戦争理論 北村佳逸 南郊社 1935
論語評釈 大江文城 関書院 1935
論語講義 安井小太郎 大東文化協会 1935
論語古伝 10巻 仁井田好古撰 南紀徳川史刊行会 1935
論語大学中庸 漢籍を語る叢書2 田中貢太郎 大東出版会 1935
論語新解 国語漢文研究会編 明治書院 1935
孔子 社会科学の建設者・人と学説叢書 田崎仁義 三省堂 1936
孔子の生涯 諸橋轍次 章華社 1936
仁の研究 山口察常 岩波書店 1936
精講 論語百講 松田金重編 三省堂 1936
日本精神と孔子教 社会教育パンフレット236  岡村利平 社会教育協会 1936
ものがたり論語 三宅昭 モナス 1936
論語講座 全6巻 高田真治・諸橋轍次・山口察常編 春陽堂 1936-37
孔子伝 岡村利平 春陽堂 1937
孔子伝 (附)弟子列伝・集語 岩波文庫 藤原正訳注 岩波書店 1937
孔子とをしえ 加藤虎之亮 国民精神文化研究所 1937
孔子の思想・伝記及年譜 論語講座研究篇 春陽堂 1937
孔子の人格と教訓 塩谷温 開隆堂書房 1937
儒教の史的概観 高田真治 春陽堂 1937
論語・孔子 室伏高信全集8 青年書房 1937
孔子 大教育家文庫1 和辻哲郎 岩波書店 1938
全釈論語 幸田露伴 双葉書房 1938
大学論語解義 四書研究 岩部撓・深谷賢太郎 啓文社 1938
論語精解 重野篤二郎 白帝社 1938
論語物語 下村湖人 講談社
孔子論 林語堂著 川口浩訳 育成社 1939
四書新釋論語 上下 内野台嶺 賢文館 1939
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1939
論語私見 上下 山本憲永弼 松村末吉家 1939
新講論語読本 西川光二郎 春陽堂書店 1939
論語読本(興亜国民) 上下 論語 東洋思想文庫 東洋思想文庫刊行会 第一出版協会 1939
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1939
論語と教養 谷口廻瀾 谷口廻瀾先生還暦記念刊行会 1940
孔子 武者小路実篤 講談社 1941
孔子と其の生涯 田中貢太郎 東海出版社 1941
孔子廟参拝記 菟田茂丸 平凡社 1941
算標論語集註 瀧川亀太郎 金港堂書籍 1941(1913)
論語と支那の実生活 後藤朝太郎 高陽書院 1941
論語詳解 最新研究 徳本正俊 芳文堂 1941
論語の思想 渡部信治郎 畝傍書房 1941
論語の組織的研究 中島徳蔵 大日本出版株式会社 1941
孔子・人とその哲学 室伏高信 潮文閣 1942
孔子の新研究 大月隆仗 新民書房 1942
孔孟思想講話 新潮文庫 高須芳次郎 新潮社 1943
論語ものがたり 全釋 三宅昭編 博文社 1943
孔子 和辻哲郎 植村書店 1948
論語総説 藤塚鄰 弘文堂 1949
論語十二回講話 西川光二郎 1942
論語と孔子の思想 津田左右吉 岩波書店 1946
論語抄 幸田露伴 中央公論社 1947
孔子とその弟子 下村湖人 西荻書店 1950
論語集註 簡野道明 明治書院 1950
孔子 岩波新書 貝塚茂樹 岩波書店 1951
孔子 室伏高信 潮文閣 1951
孔子廟堂碑 展大法帳1 虞世南 春潮社 1951
論語物語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1951
論語私感 三笠文庫 武者小路実篤 1951
論語私感 新潮文庫 武者小路実篤 1951
孔子 偉人物語文庫 小田嶽夫 偕成社 1952
孔子と老子 諸橋轍次 不昧堂書店 1952
論語に学ぶ 赤木三良 池田書店 1952
論語新解 簡野道明 明治書院 1952
論孟精選 簡野道明 明治書院 1952
全訳論語精解 重野篤二郎 桜井書店 1953
論語新釈 宇野哲人 弘道館 1953
論語全解 島田鈞一 有精堂 1953
現代語訳論語 下村湖人 池田書店 1954
孔子 角川文庫 和辻哲郎 角川書店 1955
孔子 武者小路実篤全集11  新潮社 1955
論語は生きている 堀秀彦 河出書房 1956
孔子 三一新書 尾崎辰之助 三一書店 1957
論語百選 現代人のために 三省堂百科シリーズ 新垣淑明 三省堂 1957
論語の言葉 現代に生きる言葉? 堀秀彦 実業之日本社 1957
論語と現状 岩越元一郎 明徳出版社 1957
論語新釈 学生社新書 魚返善雄訳 学生社 1957
論語集注 上下 影璜川呉氏仿宋刊本 書物文物流通会 1959
孔子 その人とその伝説 H・G・クリール著 田島道治訳 岩波書店 1961
顔淵・孔子 中勘助全集10 角川書店 1962
孔子 和辻哲郎全集6 和辻哲郎 岩波書店 1962
論語物語・聖書物語 世界教養全集8 下村湖人、ヴァン・ルーン 平凡社 1962
輯佚論語鄭氏注 月洞譲 編者油印 1963
論語は生きている 潮文社新書 堀秀彦 潮文社  1963
仁の古義の研究 竹内照夫 明治書院 1964
論語集註(標註) 渡辺末吉 武蔵野書院 1964
孝の孔子の新解釈 加藤常賢 斯文43   1965
古典のかがみ 論語33章 れいろうブックス 諸橋轍次 広池学園出版部 1965
孟荀における孔子 浅間敏太 中国哲学3  1965
論語のことば 中国の知恵1 吉田賢抗 黎明書房 1965
論語知言 東条一堂 原田種成校訂 書籍文物流通会 1965
論語と人間孔子 山田統 明治書院 1965
孔子 その礼説を中心とする考察 松代尚江 懐徳37   1966
孔子・孟子 世界の名著3 貝塚茂樹編 中央公論社 1966
仁の研究 下斗米晟 大東文化大学東洋文化研究所 1966
論語物語 アイドル・ブックス 下村湖人 ポプラ社 1966
論語物語 旺文社文庫 下村湖人 旺文社 1966
論語物語 改版 角川文庫 下村湖人 角川書店 1966
現代語訳論語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1967
孔子と老子 ヤスパース選集22  田中元訳 理想社 1967
孔子名言集 世界名言集6 伊藤貴麿 ポプラ社 1967
孔子孟子老子荘子 世界の大思想Ⅱ‐1  本田済、松代尚江、木村英一ほか訳 河出書房 1968
論語私感想 現代教養文庫 武者小路実篤 1968
論語孟子大学中庸 世界文学大系69  倉石武四郎・湯浅幸孫・金谷治編 筑摩書房 1968
現代語訳論語 原富男 春秋社 1969
孔子 センチュリーブックス人と思想2 内野熊一郎、西村文夫、鈴木壮一 清水書院 1969
孔子伝 如是我聞 諸橋轍次 大法輪閣 1969
吾が道 孔子の人生観大系 吉野浴風 大坂発色 1969
論語孟子荀子礼記(抄) 中国古典文学大系3 木村英一・鈴木喜一ほか訳 平凡社 1970
孔子家語 中国古典新書 清田清 明徳出版社 1971
孔子と論語 東洋学叢書 木村英一 創文社 1971
論語源流 林泰輔 汲古書院 1971
論語のために 私の古典 吉川幸次郎 筑摩書房 1971
唐卜天壽注抄写鄭氏論語 中国科学院考古研究所編 平凡社 1972
論語古義 日本の名著13  伊藤仁斎著 貝塚茂樹訳 中央公論社 1972
論語抄 足利本 中田祝夫編 勉誠社 1972
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1972
論語を活かせ 武藤紀郎編 文進堂 1972
聖人の虚像と実像 論語 現代人のための中国思想叢書1 駒田信二 新人物往来社 1973
論語講義と長寿法 村田直彌 明治書院 1973
論語の講義 諸橋轍次 大修館書店 1973
孔子与論語 銭穆 聯経出版事業公司 1974
孔子批判 中国通信社東方書店編 東方書店 1974
論語三十講 斯文会編 大修館書店 1974
論語入門 ダルマ・ブックス 阿部幸夫 日本文芸社 1974
論語の新研究 宮崎市定 岩波書店 1974
孔子伝 銭穆 池田篤紀訳 アジア問題研究会 1975
聖人孔子の化けの皮をひっ剥がせ! 香坂順一編訳 青年出版社 1975
論語発掘 通釈への疑問と解明 合山究 明治書院 1975
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1975
論語私見 民主主義時代の論語 小沢俊雄 岡谷 中央印刷 1975
論語大東急記念文庫講座講演録 石井千秋等講述 大東急記念文庫 1975
現代語訳論語 下村湖人全集8 下村湖人 国土社 1976
論語について 講談社学術文庫 吉川幸次郎 講談社 1976
修訂・論語年譜 林泰輔編 麓保孝修訂 国書刊行会 1976
論語・孟子 西谷元夫 有朋堂 1976
論語物語・現代訳論語 下村湖人全集8 国土社 1976
論語講義 全7巻 講談社学術文庫 渋沢栄一 講談社 1977
論語精義 上・下 和刻本近世漢籍叢刊思想三編 1・2 朱熹撰 佐藤仁著 中文出版社 1977
論語孟子研究 狩野直喜 みすず書房 1977
論語新釈 新装版 魚返善雄訳 学生社 1978
論語の散歩道 重沢俊郎 日中出版 1979
孔子 人類の知的遺産4 金谷治 講談社 1980
論語新釈 講談社学術文庫451 宇野哲人訳 講談社 1980
朝の論語 安岡正篤述 明徳出版社 1981
論語墨書 名筆による名言鑑賞 広論社出版局編 広論社 1981
論語私感 内田智雄 創文社 1981
論語新探 論語とその時代 趙紀彬著 高橋均訳 大修館書店 1981
論語の読み方 ノン・ブックス 山本七平 祥伝社 1981
よみがえる論語 色部義明 徳間書店 1981
論語のことば グリーン・ブックス 堀秀彦 大和出版 1982
論語の散歩道 重沢俊郎 日中出版 1982
論語八方破れ TOKUMA BOOKS 竹村健一 徳間書店 1982
論語を読む 常石茂 勁草書房 1982
孔子新伝 「論語」の新しい読み方 林復生 新潮社 1983
孔子のことば 現代語訳の「論語」 林復生 グラフ社 1983
論語に学ぶ部課長学 仁田敏男 日本経営団体連盟弘報部 1983
異質孔子記 矢作幸四郎 八重洲ブックセンター 1984
孔子 時を越えて新しく 中国の人と思想1 加地伸行 集英社 1984
論語のこころ 加藤富一 近代文芸社 1984
論語と孔子 人間関係論のエッセンス「論語」の新しい読み方 鈴木修次 PHP研究所 1984
論語を読む 講談社現代新書 加地伸行 講談社 1984
孔子 伝記世界の偉人2 中央コミックス 永井道雄・手塚治虫監修 中央公論社 1985
孔子廟堂碑・他 書道基本名品集2 虞世南 雄山閣出版 1985
孔子廟堂碑   原色法帖選12  虞世南 二玄社 1985
「論語」その裏おもて 旺文社文庫 駒田信二 旺文社 1985
論語と算盤 渋沢栄一述 梶山彬編 国書刊行会 1985
「論語」&老子入門 徳間文庫 野末陳平 徳間書店 1985
論語の世界 加地伸行編 新人物往来社 1985
孔子と失われた十支族 鹿島辨 新国民社 1986
孔子の復活 孔子をめぐる虚構と真実 李家正文 冨山房 1986
孔子の末裔 孔徳懋口述、柯蘭筆記 和田武司訳 筑摩書房 1986
論語の人間学 服部武 冨山房 1986
論語との対話 金子知太郎 竹井出版 1987
論語の活学 安岡正篤 プレジデント社 1987
論語抄の国語学的研究・索引篇 坂詰力治編 武蔵野書院 1987
孔子の経営学 孔健 PHP研究所 1988
孔子家語 岩波文庫 藤原正訳 岩波書店 1988
小説孔子 谷崎旭寿 新人物往来社 1988
論語総説 藤塚鄰  国書刊行会 1988
論語と禅 半頭大雅 山田邦男 春秋社 1988
孔子 井上靖 新潮社 1989
孔子 日本人にとって「論語」とは何か 歴史と人間学シリーズ 山本七平、渡辺昇一、谷沢永一、小室直樹 プレジデント社 1989
論語は問いかける 孔子との対話 ハーバート・.フィンガレット著 山本和人訳 平凡社 1989
「論語」その裏おもて 徳間文庫 駒田信二 徳間書店 1989
論語の講義 新装版 諸橋轍次 大修館書店 1989
論語の人間学 人間と知恵とを語り尽くす 守屋洋 プレジデント社 1989
論語名言集 ビジネス選書8 村山吉広 永岡書店 1989
壽(いのちなが)し日日論語 斎藤十九八 一休社 1990
孔子 講談社学術文庫 金谷治 講談社 1990
孔子家の極意 ワニの本 孔健 ベストセラーズ 1990
孔子と教育 俵木浩太郎 みすず書房 1990
わが祖・孔子と「論語」のこころ 孔健 日本文芸社 1990
孔子 集英社文庫 加地伸行 集英社 1991
孔子画伝 加地伸行 集英社 1991
孔子伝 中公文庫 白川静 中央公論社 1991
孔子・孟子に関する文献目録 瀬尾邦男編 白帝社 1992
真説人間孔子 孔祥林 河出書房新社 1994
男の論語 童門冬二 PHP研究所 1999
論語名言集 村山吉廣 中央公論新社 1999
論語 石川忠久監修 サン・エデュケーショナル 2000
論語 吉田公平 たちばな出版  2000
論語紀行 坂田新 日本放送出版協会 2000
宋明の論語 松川健二 汲古書院 2000
男の論語2 童門冬二 PHP研究所 2000
論語234 吹野安、石本道明 明徳出版社  2000
人生は論語に窮まる 谷沢永一、渡辺昇一 PHP研究所 2000
孔子「論語」に関する文献目録 単行本篇 瀬尾邦雄 明治書院 2000
江戸古学派における「論語」注釈史の研究 金培懿 博士論文 2000
論語 現代五訳 宮崎市定 岩波書店 2000
論語の新しい読み方 宮崎市定 岩波書店 2000
孔子百科辞典 上海辞書出版社 2010
さまよえる孔子、よみがえる論語 朝日選書 竹内実 朝日新聞出版 2011
孔子学院伝播研究 劉程、安然 中国社会科学出版社 2012
孔子の倫理哲学論 道徳論を中心として 浅井茂紀 International Philosoply Institute
孔子論語 佐久協 NHK出版 2012
論語正 石永楙 中華書局 2012
論語入門(岩波新書) 井波律子 岩波書店 2012
論語の読み方 中野孝次 海竜社 2012
孔子 世界史リブレット人 高木智見 山川出版社 2013
論語集注 1~4 東洋文庫 朱熹 土田健次郎訳注 平凡社 2013
孔子聖蹟図 和版集成 竹村則行 花書院 2014
図説孔子:生涯と思想 孔祥林 科学出版社 2014
全訳論語 山田史生 東京堂出版 2014
徳川日本の論語解釈 黄俊傑著 工藤卓司訳 ぺりかん社 2014
近代における「論語」の訓読に関する研究 石川洋子 新典社 2015
孔子と魯迅 片山智行 筑摩書房 2015
日本古代「論語義疏」受容史の研究 髙田宗平 塙書房 2015
論語与近代日本 劉萍 中国青年出版社 2015
経典釈文論語音義の研究 髙橋均 創文社 2017
儒教 怨念と復讐の宗教 浅野裕一 講談社 2017
論語から人間学を学ぶ 田村重信 内外出版 2017
論語象義 三野象麓撰 上海古籍出版社 2017
論語徴集覧 松平頼寛撰 中国典籍日本注釈叢書論語巻 上海古籍出版社 2017
論語と社会 加藤要 おうふう 2017
「論語」と「西洋哲学」 藤本一司 北樹出版 2017
論語補鮮 山本楽所撰 上海古籍出版社 2017

論文の部
泰西人の孔子を評するを評す 井上哲次郎 東学芸4  1882
孔子ノ教ハ支那国ニ如何ナル影響ヲ与ヘンヤ 赤座好義 東学芸3-46  1885
孔子の学術を汎論す 柳沢保恵 輔仁会雑23,24,28  1893~94
孔子之道と徂徠学 加藤弘之 東哲1-6  1894
孔子以後の学派 藤田豊八 東哲1-8,11,12   1894,95
孔孟の道 内藤耻叟  東哲1-3  1894
孔子と儒教 神谷初之助 斯文4-5  1922
孔子と文 柿村重松 斯文4-5  1922
孔子に於ける妥当性の個性的実現の問題 斎藤要 斯文18-1  1922
孔門の「時中」に就いて 成田衡夫 斯文3-2  1921
孔夫子追遠記念祭典の意義 塩谷温 斯文4-6  1922
孔夫子伝 服部宇之吉 斯文7-2  1922
孔夫子の偉大なる点に就いて 手塚良道 斯文4-5  1922
孔夫子略伝 服部宇之吉 斯文4-5  1922
周公孔子之道 今井彦三郎 朝鮮教育6-12  朝鮮教育会 1922
文廟の従祀及び清代尊孔御書匾額について 中山久四郎 斯文4-5  1922
予の孔子観 桑原隲蔵 斯文4-5   1922
余の観たる孔夫子 渋沢栄一 斯文4-5  1922
孔夫子の政治観 島田三郎 斯文5-4  1923
孔子とソクラテス 吉田熊次 斯文5-5  1923
大聖孔子 牧野謙次郎 斯文5-5  1923
孔夫子の二大事業 小柳司気太 斯文7-4  1925
孔夫子及び其の家系に就きての二三の考察 那波利貞 歴史と地理18-1  1926
孔夫子と我が国体 塩谷温 斯文8-5  1926
孔子の聖徳 宇野哲人 斯文8-8,9  1926
孔子の知天命 服部宇之吉 斯文9-9  1927
孔夫子と集大成 児島献吉郎 斯文9-5  1927
孔夫子の道 小野錬太郎 斯文9-12  1927
孔孟の権道に就いて 内野台嶺 斯文9-7  1927
支那史上の偉人 孔子と孔明 桑原隲蔵 東洋史説苑 1927
孔子の敬天思想 青木晦蔵 東洋文化54  1928
孔子祭典に就て 阪谷芳男 斯文10-1  1928
孔子の謙虚の心 高田真治 斯文10-6  1928
孔子の実行主義 飯島忠夫 斯文10-3  1928
孔子の知天命に就いて 青木晦蔵 東洋文化46  1928
孔子の徳業 小柳司気太 斯文10-2  1928
孔夫子と現代支那 塩谷温 斯文10-6  1928
孔夫子の政教 赤池濃  斯文10-11  1928
孔孟紀年 新城新蔵 高瀬還暦記念支那学論叢 1928
孔子の仁 蟹江義丸 斯文11-4  1929
孔子の聖徳に就いて 今村完道 斯文11-11  1929
孔子の大義名分説に就いて 宇野哲人 斯文10-6  1929
孔老の思想 常盤大定 丁酉倫理会倫理講演集326  1929
正しく観たる孔夫子の聖徳 中山久四郎 斯文11-8  1929
孔子の道 飯島忠夫 斯文12-9  1930
孔子の仁と儒者の学 遠藤隆吉 哲学雑誌46-535  1931
孔子の榡像及画像 馬場春吉 東亜4-2,3  1931
史記の孔子伝大要 岡崎文夫 歴史と地理27-1   1931
孔子教について 荻原拡 斯文14-7  1932
支那思想史上に於ける孔子の地位 高田真治 哲学雑誌47-539  1932
満州の孔子廟建築 村田治郎 満州学報1 1932
孔子教のフランス進出 後藤末雄 丁酉倫理会講演集373  1933
孔子と老子 加藤一夫 東洋哲学38-1   1931
孔子の軍事観 岡村利平 大東文化9 1935
論語より観たる孔夫子の教導法 合田万吉 斯文17-7  1935
孔子教に於ける実行の価値 飯島忠夫 斯文4-5  1936
孔子以前の仁字とその意義 山口察常 斯文18-8  1936
孔門伝授の心法 成田衡夫 服部古稀記念論文集 1936
孔子とイエス 大塚繁樹 媛大紀要1-4  1953
詩書と孔子の天及び天命の思想 米田登 文と思6  1953
孔子および孟子の兵戦思想 内田智雄 同志社法学26  1954
孔子学団 宇都宮清吉 東洋学報(京都)25  1954
天下周遊の構造 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報5  1954
孔子の管仲譚 華夷論の一端として 高田真治 東洋研究6  1963
孔子の仁の思想について 馮友蘭著 高橋均訳 漢文教室64  1963
貝塚茂樹著「孔子」についての往復書簡 西谷啓治、貝塚茂樹 図書24  1951
孔子に於ける仁思想成立の過程 石黒俊逸 支那学研究8  1951
尚書孔子伝の態度 加賀栄治 学芸3-1  1951
人間孔子 谷川徹三 斯文4  1951
孔子死生の説 那智佐典 東洋学研究7  1938
孔孟以後の儒教 秋月胤継 斯文20-6  1938
東洋史上に於ける孔子の位置 宮崎市定 東洋史研究4-2  1938
論語に現われたる孔子の人間観 西村侃三 斯文21-11,12  1939
孔子的自我の展開 牧尾良海 哲学雑誌55-639,642  1940
孔子の仁 平田栄(講演)  斯文22-1  1940
孔子の学的精神とその展開 田所義行 漢学雑9-3,10-1  1941-42
孔子より孟子に至る自己観の展開に就いて 赤塚忠(講演) 斯文24-12  1942
孔子の思索生活  1,2 田所義行 漢学雑11-2,3;12-1,2   1943~44
孔子の教学 佐藤匡玄  建大研月報38  1944
孔学総論 谷本富 東学芸4-73  1945
孔子について 貝塚茂樹 世界10  1946
人間孔子 林語堂 実藤恵秀訳 新中国1-3  1946
マルクス孔子に会う 郭沫若 実藤恵秀訳 中国文学95  1946
孔子と子産 貝塚茂樹 東光1   1947
孔子の学問精神 原佑 叙説4  1950
孔子の人間観 板野長八 学士院紀要8-1  1950
春秋著者説話の原形 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 叙説5  1950
孔子の精神に関して所感を陳ぶ 元良勇次郎 東洋哲学2-10  1895
孔子の誕生会に就て 日下寛 東洋哲学2-9  1895
孔夫子誕生祭に就き 関根正直 東洋哲学4-2  1896
孔子誕生に就きて 重野安繹 東洋哲学3-1  1896
孔子の精神 日下寛 東洋哲学4-2  1897
孔子の降誕に就きて  島田重礼 東洋哲学4-1  1897
孔子の学説 松村正一 東洋哲学8-9~12 1901
孔子の教育及宗教 穂積秀範 龍谷史壇10  1902
孔夫子と儒教 島田三郎 東洋哲学 9-1,2  1902
孔子の所謂君子に就きて 蟹江義丸 東洋哲学10-1  1903
孔子教の趣旨 星野恒 東洋哲学11-1   1904
孔夫子研究を評す 中島徳蔵 丁酉倫理会講演集33,34  1905
孔子ノ人格ニ就テ 井上哲次郎 太陽13-10  1907
孔聖の修養 山田準 東洋哲学15-6  1908
孔夫子の運命観 大島順三郎 東洋哲学17-6,8・18-3 1910~11
孔子に対する社会的信仰の矛盾 村上専精 丁酉倫理会講演集101  1911
孔子の倫理説に就て 松村正一 東洋哲学18-5   1911
支那に於ける孔夫子の尊崇 服部宇之吉 東亜研究1-1  1911
孔夫子の政治上に於ける教訓 深作安文 東亜研究3-6  1913
孔子教 及川生 慶義学208,209  1914
孔子 井上哲次郎 斯文20-6  1938
孔子伝より見たる論語の解釈 岡村利平 大東文化16  1937
孔子と老子 諸橋轍次 斯文33-4  1937
遭難 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報6  1955
文学としての孔子世家 バートン・ワトソン 中文教2  1955
孔子の思想について 吉川秀一 阪学大紀4  1956
孔孟の命について 金谷治 日中会報8  1956
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報7  1956
孔子の陳蔡厄考 田中佩刀 静岡女子大紀要4  1957
「孔子の道」の解釈をめぐる二三の疑義 近藤康信 東支学報3 1957
孔教私観 長谷川如是閑 斯文22  1958
孔子と易 高田真治(講演)  大東漢学1  1958
孔子と墨子 山室三良 九中会報5  1959
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報9  1959
孔門の十哲に就いて 山本徳一 漢学研究1  1936
孔子の情操面の一考察 田所義行 東女大論14-2  1964
孔子における愛と死と考と 加地伸行 東方宗教24  1964
孔子教学の宗教性 金戸守 四天女子紀要7  1965
孔子の虚構性 山田統 国学雑誌66-10   1965
孔子の天下遊説について 木村英一 日中会報18  1966
孔子の職歴について 木村英一 立命館文学264-5  1967
弟子7、8 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大教育報17-1  1967
孔子と易 鈴木由次郎 東方宗教31   1968
論語と人間 孔子における人間性と宗教性 西藤雅夫 彦根論叢132、133   1968
孔子の学校について 木村英一 東方学38   1969
孔子とその教育 喜多川忠一 群馬大学教育学部紀要人文社会科学18  1969
聖人の虚像と実像(孔丘) 丸山松幸 人物中国志2 1974
官吏養成を目的とした孔子学園の教育 高峰文義 福岡大学人文論叢10-3  1978-1979
論語にみる孔子の人間評価基準 その識別に関する一考察 仙田美智子 近畿大学女子短期大学研究紀要16  1986
孔子と「論語」 森野繁夫 漢文教育 1999
「論語徴」における「礼」 暢素梅 人間文化研究年報23  1999
孔子の身長について 春秋時代の尺度と評価 若江賢三 人文学論叢16  2014年
孔子の仁説について 青木晦蔵 大谷大学仏教研究会  2017,4,4
孔子の仁と何か 上・下 吉永慎二郎 秋田大学教育学部 2017.2.16
孔子の天に対する思想:その宗教的性格について 三浦吉明 集刊東洋学36  2017.4.12
後桜町女帝宸筆仮名論語について 所功 京都産業大学2018.02.01

  このように孔子及び論語に関する文献は古来から今日に至るまで実に膨大な量にのぼる。若い読書子に一冊を奨めるとすれば、高木智見「孔子」(世界史リブレット)である。100頁たらずの冊子であるが、比較的本を求めやすい。また最新の出土資料をもとに論語のテキストを検討している。孔子の中心思想である「仁」についてしぼって論述している。論語と孔子の関係書は多いがほとんどが現代的な解釈を各自が自由に論じているが、本書は春秋という時代状況を可能な限り考察し、孔子の思想について論述している点を評価したい。

2018年9月10日 (月)

愛煙家・鄧小平

Photo_3    鄧小平は率直な発言で人々から愛された政治家である。今日の中国の経済発展は鄧小平の先見の明なくしてはありえない。彼は1日何百本のタバコを吸っていた。93歳まで生きたが「私がこんなに長生きしたのはタバコを吸ったお陰だ」と言っている。もちろん彼が吸っていたのは専用の高級タバコ。上海で製造される「熊猫香烟」(Panda cigarettes)。1956年から今も作られているが、1箱300元(4500円)と高い。

毛沢東死後、中国のトップは華国鋒であったが、1978年に鄧小平によって失脚させられた。鄧小平は、中国の事実上の最高指導者となり、開放政策をすすめた。1982年国家主席制の復活に伴い、李先念が第三代国家主席に選出された。以降、楊尚昆、江沢民、胡錦涛、習近平へと続く。

トランプの歴史

  トランプの発生については種々の説があるが、東洋に発生してヨーロッパに移入されたという点では諸説とも一致している。中国の唐の末期からあった葉子という占いに用いるカードがヨーロッパに伝わってトランプになったという中国起源説が現在は有力である。13世紀にこの中国からイスラムに伝来したカードが変化してマムルーク・カードが出現したと思われる。このマムルーク・カードがヨーロッパに渡り、1320年頃プレイング・カード(トランプ)のスート(マーク)の原型(聖杯、こん棒、貨幣、刀剣)が発明された。そして、1377年にはヨハネスの文章や、フィレンツェ、シエナ、パリでもトランプの存在を表す記述が見つかっています。

去来忌

Kyorai_1_   向井去来の1704年の忌日。慶安4年(1651年)、長崎で生まれた。父向井元升は儒医。貞享元年、上京した其角を知り蕉門に入る。京都嵯峨野に落柿舎を建て、芭蕉もしばしば立ち寄っている。京都俳壇に重きをなし、「青根が峰」「旅寝論」をへて未完の書「去来抄」に至る種々の俳論で芭蕉正風を祖述した。(9月10日)

うごくとも見えで畑打つ男かな

湖の水まさりけり五月雨

船乗の一浜留守ぞ芥子の花

秋風や白木の弓に弦はらん

岩はなやここにもひとり月の客

木枯の地にも落さぬしぐれ哉

有明にふりむきがたき寒さ哉

おうおうといへどたたくや雪の門

2018年9月 9日 (日)

毛沢東

Tumblr_llqs5ifz411qi44ivo1_500 O0414032010207906811

    重陽。五節句の一つ。菊の節句とも呼ばれ、かつては宴を設け、酒に菊の花片を浮かべて飲んだりもした。中国では「登高」といって、この日、丘などの高いところへ連れだって登り、菊花の酒を飲めば災いが消えるということがあった。

Img_1605847_52395682_2   1976年9月9日、毛沢東(1893-1976)が逝去した。享年82歳だった。毛沢東主席記念堂には毛沢東の遺体が安置され、いまも入館者の長い列が続く。日本の高名な古代中国史家である貝塚茂樹(1904-1987)が「毛沢東伝」(1959)を著したときはずいぶんと話題になった。存命中の政治家評伝を書くと単なる偉人伝になりがちだが、貝塚がどう評価したのか、再読してみたい。

2018年9月 7日 (金)

支那学文献目録

09271610_542662d9b20a1  19世紀後半から中国や日本で「支那」という言葉が使われていたが、現在では使われない。一般的には「支那」を差別語と考える人が多いが、歴史的に語源を調べるとかなり古い言葉で、玄奘の「慈恩伝」の中にも使われており、成立時は差別的な意味は含まれない。英語の「チャイナ」や「ラ・シーヌ」(仏語)、「ヒーナ」(独語)、「ラ・チーナ」(伊語)、「チナ」(西語)、「シーナ」(オランダ語、ポルトガル語)もみな秦の音の訛りで、古代インド、ギリシア・ローマと伝わったものである。日本語の「支那」も本来は一般的な呼称であったが、戦時中に蔑称として用いられた歴史があり、現在は使われていない。近年、石原慎太郎が「中国をシナと呼ぼう」と会見でシナを連発したが、中国ネットで非難が集中したことは記憶に新しい。ここでは書誌学的研究の立場から、タイトルに「支那」を含む図書を集める。ちなみに「中国」という語はすでに戦前からすでに使用されていた。ことがある。実例として、「近世中国史」風間阜1937年、「中国文化界人物総鑑」橋川時雄1940年など

支那総説 1~6 金子弥兵衛、中島精一 中近堂 1883
支那地誌 総体部 下村修介編 参謀本部編纂課編輯出版 1887
支那貨幣考 ダブルユ・ヴィッセリング著 駒井重格訳 専修学校 1891
支那教学史略 2冊 狩野良知 吉川半七 1891
支那全図 参謀本部編 1892
支那地誌 巻15上 満州部 参謀本部編纂課編輯出版 1893
支那地誌 巻15下 蒙古部 参謀本部編纂課編輯出版 1893
支那学術史綱 国府種徳、白河次郎編 博文館 1900
支那地理書 高島天淵編 1900 
支那探検録 新正 宮内猪三郎 1900
支那商業地理 曽我太郎 児玉芸香堂 1902
支那語会話読本(新編) 青柳篤恒 早稲田大学出版部 1903
支那大文学史 古代篇1 児島献吉郎 冨山房 1909 
支那仙人列伝 東海林辰三郎 白河次郎 聖精堂 1910
支那政治地理誌 上下 大村欣一 丸善 1915
支那美術史彫塑篇 大村西崖 仏書刊行会図像部 1915
蒙古及満州 鳥居龍蔵 東京出版 1915
近世支那十講 稲葉君山 金尾文淵堂 1916
支那古田制の研究 法律学経済学研究叢書17 加藤繁 京都法学会 1916
支那 消夏漫筆 中山成太郎編訳 有斐閣 1916
支那論 山路愛山 民友社 1916
支那関係特種条約彙纂 東亜同文会調査編纂部 同部 1917
支那鉱業諸規定類纂 影山虎四郎編 大阪屋号書店 1917
支那語会話教科書 佐藤智雄 大阪・同文社 1917
支那制度及社会概要 支那研究叢書9 東亜実進社 1917
支那の交通 支那研究叢書7 東亜実進社編 同社 1917
支那鉱産地 小山一郎編 丸善 1918
支那古代史 ヒルト 三省堂 1918
世界之支那史 青柳篤恒等 早稲田大学出版部 1918
支那教育状況一斑 朝鮮総督府編 京城朝鮮総督府 1919
支那経済研究 田中忠夫 大阪屋号書店 1919
近代支那史 稲葉岩吉 大阪屋 1920
支那関税制度論 高柳松一郎 京都・内外出版 1920
支那の外交関係 橋本増吉・牧野義智 外交時報社 1920
支那革命外史 北一輝 大鐙閣 1921
支那唐代の服飾 原田淑人 丸善 1921
支那工芸資料 京都市商品陳列所編 京都・芸艸堂 1922
支那為替の建方及取引方法 近世商業経済叢書 古矢吉雄 文雅堂 1923
支那為替論 内田勝司 巌松堂 1923
支那から南洋へ 東幸治 誠志堂 1923
支那経済事情 椿本義一 大阪屋号書店 1924
支那現代史 松井等 明善堂 1924
支那現代思潮 東洋講座第1輯 松井等 小西書店 1924
支那国学概論 章大炎著 大月射月訳 上海・支那思想研究会 1924
支那趣味の話 後藤朝太郎 大阪屋号書店 1924
支那法制史研究 東川徳治 有斐閣 1924
支那画人伝 横川毅一郎 中央美術社 1925
支那古代史論 東洋文庫論叢5 飯島忠夫 東洋文庫 1925
支那西教史考 グスターフ・コル 鈴木哲 伊山堂 1925
近代支那史 矢野仁一 弘文堂 1926
支那及支那問題辞典 河瀬竜雄 厚生閣 1926
支那建築史 東洋史講座 伊東忠太 国史講習会 1926
支那学文叢薮 狩野直喜 京都・弘文堂 1927
支那関税特別会議の経過 台湾総督官房調査課 1927
支那経学史論 本田成之 弘文堂書房 1927
支那戯曲研究 久保得二 弘道館 1928
支那道徳文化史 荻原擴 中文館 1927
支那建築 世界建築集成 全2冊 塚本靖、伊東忠太、関野貞編 建築学会 1928
支那語中の西洋語 近世支那伝来西洋語漢字音訳語彙 東亜研究講座20  中山久四郎 東亜研究会 1928
支那歴史研究 小川琢治 弘文堂書房 1928
支那革命に於ける農業革命の躍進 広東から上海へ第2部 アジアチクス著 別府重夫訳 上野書店 1929
支那革命に於けるプロレタリアートのへゲモニ 広東から上海へ第3・4部 アジアチクス著 別府重夫訳 上野書店 1929
支那古韻史 大島正健 冨山房 1929
支那古代史 フリードリッヒ・ヒルト 西山栄久訳補 丙午出版社 1929
支那歴史研究 続 小川琢治 弘文堂書房 1929
支那歴代年表 中村久四郎 山根倬三 中文館 1929
朝鮮支那文化の研究 京城帝国大学法文学会編 刀江書院 1929
日本と支那の諸問題 長野朗 支那問題研究会 1929
近世支那外交史 支那学叢書5 矢野仁一 弘文堂書房 1930
支那(小説) 前田河広一郎 改造社 1930
支那関係条約集 半沢玉城 外交時報社 1930
支那内国公債事情 中浜義久 南満州鉄道株式会社 1930
支那近世戯曲史 青木正児 弘文堂 1930
支那研究 慶応義塾望月基金支那研究会 岩波書店 1930
支那後宮秘史 浜本鶴賓 春陽堂 1930
支那土地制度研究 長野朗 刀江書院 1930
支那暦法起源考 飯島忠夫 岡書院 1930
支那論 井上雅二 東亜同文会 1930
日本と支那の将来 平野春江 霊岸授産場出版部 1930
支那学文献の解題と其研究法 武田熙 大同館 1931
支那革命外史 世界興亡史論17  北一輝 平凡社 1931
支那革命と孫文主義 武田凞 大同館 1931  
支那共産党 第2輯 大衆叢書3 大衆新聞社 1931
支那近世産業発達史 青柳篤恒 東亜研究会 1931
支那古代社会史論 郭沫若 藤枝丈夫訳 内外社 1931
支那古代史と天文学 飯島忠夫 恒星社 1931
支那の排日侮日に就て 陸軍省調査課 1931
一九三〇年支那年史 長野朗 支那問題研究所 1931
支那 少年少女世界地理文庫1 西亀正夫 厚生閣 1932
支那現代婦人生活 沢村幸夫 東亜研究会 1932
支那語会話独習 藤本敦美 春陽堂 1932
支那社会経済史 森谷克己 章華社 1932
支那住宅志 南満州鉄道株式会社経済調査会編 大連・同社 1932
支那の国民性 大谷光瑞 大乗社支部 1932
支那の排日運動 波多野乾一 東亜研究会 1932
支那百笑 伊能嘉矩選評 北田清二郎画 内外社 1932
今日の支那語選書 春陽堂 1933
狂乱の支那 馬郡健次郎 南光社 1933
支那貨幣研究 吉田虎雄 山口・東亜経済経済会 1933
支那貨幣史銭荘考 広畑茂 建設社 1933
支那ギルドの研究 根岸佶 斯文書院 1933
支那の建築と芸術 関野貞 岩波書店 1933
支那歴史地理研究 正集 小川琢治 弘文堂書房 1933
支那現代思潮 岩波講座東洋思潮5 松井等 岩波書店 1934
支那現代文集要 小林幾次郎編著 尚文堂 1934
支那製紙業 関彪編 誠文堂 1934
上代支那に於ける神話及び説話 岩波講座東洋思潮1 出石誠彦 岩波書店 1934
古代支那人の民間信仰 岩波講座東洋思潮10  白鳥清 岩波書店 1935
最新支那年鑑 昭和10年版 東亜同文会 東亜同文会 1935
支那貨幣論 有本邦造 森山書店 1935
支那経済現勢講話 孫懐仁ほか著 支那経済研究会訳 学芸社 1935
支那経済史研究 ウィット・フォーゲル著 横川次郎訳編 叢文閣 1935
支那ニ於ケル棉花奨励誌 外務省調査部 日本国際協会 1935
支那農業経済の諸問題 田中忠夫 学芸社 1935
支那の農業と工業 R・H・トーネイ著 浦松佐美太郎・牛場友彦訳 岩波書店 1935
時文研究支那新聞の読み方 清水元助・有馬健之助 外語学院出版部 1935
支那貨幣論 支那貨幣制度は何處へ行く 章乃器著 浅川謙次訳 叢文閣 1936
支那経済事情講話 東京商工会議所編 森山書店 1936
支那工業論 有沢広巳編 改造社 1936
支那語会話辞典 岡本正文編 文求堂 1936
支那絨毯考 高木英彦 泰山房 1936
支那制覇戦とアメリカ 上 カントロウイチ著 広島定吉・堀江邑一訳 ナウカ社 1936
支那の抗日記録 日支の不幸 姫野徳一 日支問題研究会 1936
支那のランプ 奇語幽談 佐藤惣之助 版画社 1936
英人の観たる支那の建設運動 東洋協会調査部 東洋協会 1937
今日の支那 日本評論社編輯部編 日本評論社 1937
今日の支那 小倉章宏 東興社 1937
支那女人譚 村田孜郎 古今荘書房 1937
支那ギルド論 H.B.モース著 増井経夫訳 生活社 1939
支那経済概観 日本産業経済全集15  浜田峰太郎 白揚社 1937
支那経済恐慌論 木村増太郎 改造社 1937
支那経済建設の全貌 方顕延 日本国際協会 1937
支那言語学概論 カールグレン著 岩村忍、魚返義雄訳 文求堂 1937
現代支那批判 尾崎秀実 中央公論社 1938
支那貨幣制度論 宮下忠典 宝文館 1938
支那古代の祭礼と歌謡 マーセル・グラネー著 内田智雄訳 弘文堂 1938
支那論 内藤虎次郎 創元社 1938
支那古代社会研究 郭沫若 藤枝丈夫訳 東学社 1935
支那新聞の読み方 入江啓四郎 タイムス出版社 1935
支那游記 室伏高信 日本評論社 1935
支那碑碣形式の変遷 関野貞 座右宝刊行会 1935
支那工業論 有沢広巳編 改造社 1936
支那古韻学階梯 松村利行 松雲堂 1936
近代支那社会史 サファロフ著 早川二郎訳 白揚社 1937
古代支那及印度 東洋文化史大系1 新光社 1937
支那語手引と会話早わかり 甲斐靖 駸々堂 1937
支那事変 美談 講談社の絵本 1937
支那事変 武勇談 講談社の絵本 1937
支那と仏蘭西美術工芸 小林太市郎 東方文化学院京都研究所 1937
支那秘密結社の新情勢 三宅儀明 中国通信社東京支局 1937
日本は支那を如何する 中野正剛 育成社 1939
現代支那人物論 吉岡文六 時潮社 1938
最新支那常識読本 山口梧郎 テンセン社 1938
支那近世史講話 稲葉岩吉 日本評論社 1938
支那制覇戦と太平洋 下 カントロウイチ著 広島定吉訳 生活社 1938
支那西北辺彊紀行解題 後藤富男 東亜研究所 1938
支那と支那人と日本 杉山平助 改造社 1938
支那の歴史 少年史伝叢書 塚田忠泰 大同館 1938
支那の人々 清水安三 隣友社 1938
支那歴史研究法 梁啓超 小長谷達吉訳 改造社 1938
新支那論 池崎忠孝 モダン日本社 1938
近代支那教育史 陳靑之著 柳沢三郎訳 生活社 1939
現代支那人名辞典 大陸文化研究所編 泰山房 1939
現代支那論 岩波新書 尾崎秀実 岩波書店 1939
支那学翻訳叢書 文求堂書店 1939
支那協同組合論 陳殷公著 高山洋吉訳 生活社 1939
支那経済概論 2冊 L・マーシャル著 安藤英夫訳 泰山房 1939
支那経済研究 方顕法編 梨本祐平訳 改造社 1939
支那工業論 上海工業の発展 劉大欽著 倉持博訳 生活社 1938
支那鉱業論 支那及満州国における鉱富の研究 ハインリッヒ・バウェル著 高山洋吉訳 日本評論社 1939
支那交通史論 白寿彜著 牛島俊作訳 生活社 1939
支那社会構成 秋沢修二 白揚社 1939
支那戦国時代 世界興廃大戦史・東洋戦史3 仲小路彰 戦争文化研究所 1939
支那地方自治発達史 和田清編 中華民国法制研究会 1939
支那社会経済の研究 井村薫雄 東亜同文会業務部 1939
支那社会の科学的研究 岩波新書 ウィットフォーゲル 岩波書店 1939
支那社会の研究 清水盛光 岩波書店 1939
支那春秋時代戦史 世界興廃大戦史・東洋戦史2 仲小路彰 戦争文化研究所 1939
支那商業史 王孝通著 平田泰吉訳 生活社 1939
支那の農民生活 費孝通 生活社 1939
支那の歴史と文化 上 ラトレット著 岡崎三郎訳 生活社 1939
支那游記 改造社文庫 芥川龍之介 改造社 1939
上代支那法制の研究 刑事編 根本誠 有斐閣 1939
現代支那史 全6巻 グスタフ・アマン著 高山洋吉訳 育生社 1939-1940
南支那 大阪毎日新聞社編 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社 1939
現代支那思想史 梁漱冥著 神谷正男訳 生活社 1940
現代支那史 教養文庫 小竹文夫 弘文堂 1940 
現代支那満州教育資料 東京文理科大学・東京高等師範学校紀元二千六百年記念会編 培風館 1940
支那関係欧米名著略解 岩村忍編 タイムス社 1940
支那教育史 支那文化叢書 上下 任時先著 山崎達夫訳 人文閣 1940
支那基督教史 東亜叢書 比屋根安定 生活社 1940
支那語自修読本 陳文彬 大阪屋号 1940
支那社会政治思想史 上 呂振羽 原勝・角田次郎訳 日本青年外交協会 1940
支那宗教思想史 王治心著 冨田鎮彦訳 大東出版社 1940
支那商業史 支那文化史大系5 王孝通著 大東出版社 1940
支那生活案内 後藤朝太郎 黄河書院 1940
支那政治思想史 支那文化叢書 楊幼烱著 古賀鶴松訳 人文閣 1940
支那精神 世界精神史講座2 諸橋轍次ほか 理想社 1940
支那戦時経済論 石浜知行 慶応書房 1940
支那政治思想史 支那文化史大系2 楊幼烱著 村田攷郎訳 大東出版社 1940
支那政党史 楊幼烱著 森山喬訳 日光書院 1940
支那タングステン鉱誌 支那経済資料  江西地質鉱業調査所編 生活社 1940
支那地理大系 自然環境編 渡辺光編著 日本評論社 1940
支那統制経済論 羅敦偉著 河上純一訳 生活社 1940
支那の口語文学 ラジオ新書 宮原民平 日本放送出版協会 1940
支那の鉱床及鉱業 ウィリアム・コリンス著 西村雄三訳 白揚社 1940
支那農業経済論 上 天野元之助 改造社 1940
支那の歴史 スットヒル著 福原麟太郎・近藤正平解注 研究社 1940
支那法制史研究 瀧川政次郎 有斐閣 1940
支那美術史 東洋史講座17  金原省吾 雄山閣 1940
支那文化史 陳登原著 布施知足編訳 白揚社 1940
支那文化史観 ラジオ新書 出石誠彦 日本放送出版協会 1940
支那歴史地理研究 続集 小川琢治 弘文堂書房 1940
支那論 フランソア・ケネー著 勝谷在登訳 白揚社 1940
概説支那仏教史 道端良秀 法蔵館 1941
近代支那と英吉利 百瀬弘ほか 蛍雪書院 1941
支那行商人とその楽器 中島幸三郎 冨山房 1941
支那銀行制度論 宮下忠雄 巖松堂 1941
支那工業合作社運動 刈屋久太郎編著 畝傍書房 1941
支那経済史 支那文化史大系3 馬乗風著 田中斉訳 大東出版社 1941
支那古代生活史 内野熊一郎 清水書店 1941
支那事変秘史 津田元徳 大阪屋号書店 1941
支那社会政治思想史 下 呂振羽 日本青年外交協会 1941
支那西康事情 楊仲華著 村田孜郎訳 誠文堂新光社 1941
支那探訪 緒方昇 東京日日新聞社 1941
支那のこども 山本和夫 小学館 1941
支那の子供 尾関岩二 興亜書局 1941
支那の村落生活 A・H・スミス著 塩谷安夫・仙波泰雄訳 生活社 1941
支那の人たち 中地清 至文社 1941
支那の歴史と文化 下 ケネス・スコット・ラトゥレット著 岡崎三郎訳 生活社 1941
上代支那法制の研究 行政編 有斐閣 1941
西洋文化の支那への影響 張星烺著 実藤恵秀訳 日本青年外交協会 1941
日支交通史 王輯五著 今井啓一訳 立命館出版部 1941
日本に残存せる支那古韻の研究 飯田利行 冨山房 1941
近世支那経済史 小竹丈夫 弘文堂書房 1942
近代支那思想 実藤恵秀 光風館 1942
支那画人研究 八幡関太郎 明治書房 1942
支那家族の構造 清水盛光 岩波書店 1942
支那官制発達史 和田清・村上正二 中央大学出版部 1942
支那教育学史 田内高次 冨山房 1942
支那近世史要 ラジオ新書 出石誠彦 日本放送出版協会 1942
支那古代哲学史 慿友蘭 柿村峻訳 冨山房 1942
支那社会経済史研究 玉井是博 岩波書店 1942
支那製紙業に関する一資料 東亜研究所 1942
支那戦場と経済と心理 阿部源一郎 巌松堂 1942
支那中世の軍閥 日野開三郎 三省堂 1942
支那土地制度論 オットー・フランケ著 清水金次郎訳 教育図書 1942
支那の反英興亜運動 能勢岩吉編 聯合出版社 1942
支那の農業経済 田辺勝正 日本評論社 1942
支那を行く 中村孝也 講談社 1942
近代支那に於ける宗教結社の研究 酒井忠夫 東亜研究所 1943
古代支那研究 小島祐馬 弘文堂書房 1943
支那学論攷 石浜純太郎 全国書房 1943
支那漢代紀年銘漆器図説 京都帝国大学文学部考古学資料双刊2 梅原末治編 京都桑名文星堂 1943
支那彊域史 支那文化叢書 顧頡剛著 中尾雄一訳 人文閣 1943
支那基督教の研究 1・2 佐伯好郎 春秋社松柏館 1943
支那鉱業労働論 B.P.トルガシェフ著 手塚正夫・前田隆良共訳 中央公論社 1943
支那鉱業史 芳賀雄 電通出版部 1943
支那古代暦法史研究 東洋文庫論叢29  橋本増吉 東洋文庫 1943
支那周辺史 上下 支那歴史地理大系6 安藤徳器編 白揚社 1943
支那儒道仏交渉史 大東名著撰 久保田量遠 大東出版社
支那上代思想研究 出石誠彦 藤井書店 1943
支那青磁史稿 小山冨士夫 文中堂 1943
支那習俗 太田陸郎 三国書房 1943
支那商業史概説 丸三正三郎 文進堂 1943
支那歴代風俗事物考 秋田成明訳 大雅堂 1943
古代支那志史要 岡崎文夫 弘文堂 1944
支那学雑草 加藤繁 生活社 1944
支那学の問題 吉川幸次郎 筑摩書房 1944
支那貨幣考 穂積文雄 京都印書館 1944
支那基督教の研究 3 佐伯好郎 春秋社松柏館 1944
支那近世史概説 出石誠彦 大観堂 1944
支那経済史概説 加藤繁 弘文堂 1944
支那数学史概説 藪内清 山口書店 1944
支那版画叢考 小野忠重 双林社 1944
支那港湾統制と開発問題 田北隆美 二里木書店 1944
西洋文化の支那侵略史 E.R.ヒューズ著 魚返善雄訳 大阪屋號 1944
近代支那と英吉利 百瀬弘・沼田鞆雄 蛍雪書院 1945
支那官話字典 善鄰書院編 龍文書局 1945
支那国音字典 1946年版 宮原民平、土屋明治共編 11版 文求堂 1946
支那経済史考証 上 加藤繁 東洋文庫 1947
支那古代暦法史研究 橋本増吉 東洋書林 1982
支那古代史と天文学 飯島忠夫 第一書房 1982
支那古代史論 飯島忠夫 第一書房 1980
支那古代の祭礼と歌謡 マーセル・グラネー 内田智雄訳 清水弘文堂書房 1967
支那古代の社会思想 岩波講座東洋思想3 小島祐馬 岩波書店 1936
支那語通解 馬場春吉 岡崎屋 1939
支那史概説 上 岡崎文夫 弘文堂書房 1935
支那思想研究 橘樸 日本評論社 1936
支那思想の展開 1 高田眞治 弘道館 1946
支那思想のフランス西漸 後藤末雄 第一書房 1933
支那思想発達史 遠藤隆吉 冨山房 1904
支那思想仏教思想 上・下 岩波講座東洋思潮10 宇井伯寿 岩波書店 1935
支那社会の測量 円谷弘 有斐閣 1937
支那社会の組織と展望 湯良礼著 中山蒐美三訳 育生社 1940
支那社会の裏表 一色忠慈郎 大阪屋号書店 1931
支那庶民金融論 井関孝雄 学芸社 1941
支那地方自治発達史 和田清編 中央大学出版部 1939
支那地方自治問題 董修甲著 岡本武彦訳 生活社 1939
支那地方政制史 支那文化叢書 鄭自明著 富樫長榮訳 人文閣 1941
支那地名集成 外務省情報部 日本外事協会 1936
支那帝国史 万国歴史全書 デュ・アルド著 北村三郎 博文館 1890
支那哲学概説 春秋文庫 高田真治 春秋社 1938
支那哲学概論 宇野哲人 支那哲学叢書刊行会 1926
支那哲学概論 現代語訳支那哲学叢書 宇野哲人 酒井雄文堂 1927
支那哲学概論 支那哲学体系5 宇野哲人 金の星社 1929
支那哲学講話 高木八太郎 荻原星文館 1935
支那哲学史 遠藤隆吉 金港堂 1900
支那哲学史 帝国百科全書 中内義一 博文館 1903
支那哲学史 高瀬武次郎 文盛堂 1910
支那哲学史 斉伯守 同文社 1942
支那哲学史 師範大学講座1 平原北堂 勅語御下賜記念事業部 1946
支那哲学史 近世儒学 宇野哲人 宝文館 1954
支那哲学史概説 渡辺秀方 早稲田大学出版部 1924
支那長生秘術 後藤朝太郎 富士書房 1927
支那哲学史概説 斉伯守 同文社 1930
支那哲学史講話 宇野哲人 大同館 1914
支那哲学思想叢書 三省堂 1931
支那哲学叢書 支那哲学叢書刊行会 新光社 1922
支那哲学総論 徳富猪一郎・宇野哲人 大東出版社 1937
支那哲学の研究 宇野哲人 大同館 1920
支那の淡水魚 東亜研究講座38 雨宮育作、木村重 東亜研究会 1931
支那の対日血戦 秋山豊三郎 大連・秋山家 1932
支那の土豪 後藤朝太郎 高山書院 1940
支那の体臭 後藤朝太郎 汎文社 1933
支那の土地と人 クレッシイ著 三好武二訳 偕成社 1939
支那土地利用地図集成 ロッシング・バッグ著 岩田孝三訳 東学社 1938
支那と仏蘭西美術工芸 小林太市郎 弘文堂 1937
支那の民族性と社会 支那問題叢書 川合貞吉 第二国民会 1937
支那と蒙古 米内山庸夫 北光書房 1943
支那中世仏教の展開 山崎宏 清水書院 1942
支那屯田兵制史 支那文化叢書 張君約著 藤田実訳 人文閣 1942
支那内閣関税制度3 台湾総督府 1932
支那の経済恐慌に関する調査 1~3 天野健雄 東京商工会議所 1935
支那の経済建設 事前と事後 目崎憲司 有斐閣 1941
支那の経済心理 東亜叢書 ウィルヘルム著 佐藤周一郎訳 生活社 1942
支那の経済地理 岩波新書 グルーシャコフ著 西尾忠四郎・高木八尺訳 岩波書店 1941
支那の経済と資源 小林幾次郎 時潮社 1939
支那の対外的国民運動 末広重雄 弘文堂 1939
支那の知識 時局知識シリーズ2 清沢冽・室伏高信編 青年書房 1937
支那地理歴史大系 全12巻 白揚社 1940-1941
支那の知性 林語堂著 喜入虎太郎訳 創文社 1940
支那の通貨と貿易 日本学術振興会 土方成美編 有斐閣 1942
支那の農業 ロッシング・バック著 塩谷安夫・仙波泰雄。安藤次郎訳 改造社 1938
支那の農業 東亜新書12 石川正義 中央公論社  1941
支那の農業経済 マヂャル著 早川二郎訳 白揚社 1936
支那の秘密 井東憲 秋豊閣 1939
支那帝国史 デュ・アルド
支那貧窮問題研究 柯象峰著 陸麻呂利輔訳 人文閣 1942
支那風俗 3冊 井上紅梅 1920-1922
支那風俗画譜 石田楳  洪洋社 1932
支那風俗綺談 井東憲訳著 大東出版社 1940
支那風俗綺談集 米田華紅 博文館 1930
支那風俗春秋 佐久間貞次郎 立命館出版部 1932
支那風俗の話 後藤朝太郎 大阪屋号 1927
支那風物記 村松梢風 河原書店 1941
支那風物志1 風景篇 東亜文化叢書6 後藤朝太郎 大東出版社 1942
支那風土記 後藤朝太郎 八洲書房 1935
支那風土記 米内山庸夫 改造社 1939
支那風土記 クレッシイ著 高垣勘次郎訳 東方文化学会 1939 
支那文化雑攷 法本義弘 国民社 1943
支那歴史地理 北京の歴史地理 小野勝年 支那地理歴史大系刊行会編 白揚社 1942
支那歴史地理叢書 冨山房 1939
支那歴代沿革図説 河村与一郎編 前川文栄堂 1881
支那歴代沿革地図  新撰 山本頼輔 赤沢政吉 1895
支那歴代親耕親蠶考 農林省米穀局 日本米穀協会 1936
支那歴代地名要覧 青山定男 東方文化学院研究所 1933
支那労働視察記 支那に於ける人間性と労働 アンダーソン著 高山洋吉訳 生活社 1939
支那労働者研究 続支那研究叢書2 小山清次 東亜実進社 1919
シナの五にんきょうだい クレール・H・ビショップ著 クルト・ビンゼ絵 いしいももこ訳 福音館書店 1961
支那抗戦力調査報告 満鉄調査部編 三一書房 1970
支那社会の科学的研究 岩波新書復刊 ウィットフォーゲル著 平野義太郎・宇佐美盛次郎訳 岩波書店 1982
シナ戯曲小説の研究 長沢規矩也著作集5 汲古書院 1985

ブラジル独立記念日

Indio11   1822年のこの日、ブラジルはポルトガルから独立した。チラデンテス(1746-1792)はブラジル独立運動の英雄。ブラジルは18世紀末に啓蒙思想が西欧から伝わり、1789年にはミナスの陰謀のような独立に向けた動きが起こるが、鎮圧される。しかしチラデンテスの死がブラジル独立の原動力となった。1815年12月、本国ポルトガルから独立しラテン・アメリカ最初の帝国が成立する。

    チラデンテスは1746年サン・ジョン・デル・ヘイに生まれた。本名はジョアン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャヴィエール。歯医者であったことから「チラデンテス」(歯を抜く)という渾名がついた。現在この町から15㎞の小さな村はチラデンテスという地名になっている。1792年4月21日、リオデジャネイロのサン・ドミンゴス刑場において「自分は人間が求める自由のために死す」と言いいながら処刑された。4月21日はブラジルの祝日となっている。チラデンテスの肖像画はキリストと似ており、4月はイースター(復活祭)もあるのでキリストの神聖なイメージと重ね合わさっている。高校世界史などにはチラデンテスの名前はおろかブラジル独立の記述がないが、いまやブラジルは大国であり、チラデンテスの名前は一般教養としても必須な人名となっている。

  ラテンアメリカの独立の動きは1810年代から1820年代にかけて18の国民国家を生み出した。米国憲法にならった立派な憲法をもっていたが、実際には武装した富裕な地主が「カウディーリョ」として国家を私物化し、権力を巡るクーデターが繰り返された。(Brasill,Tiradentes,Joaquim Jose da Silva Xauier,Military Police of Minas Gerais State,ミナス共和国 ,9月7日)

2018年9月 6日 (木)

三国志及び諸葛孔明関係文献目録

1173299906  「三国志」の物語は中国、台湾、韓国、そして日本でもなじみが深い。芳根京子主演のドラマ「海月姫」に登場する天水館の住人まやや(内田理央)は三国志オタク。三国志にまつわる故事成語はたくさんある。三顧の礼、水魚の交わり、苦肉の策、白眉、脾肉の嘆、老いてますます盛ん、泣いて馬謖を斬る、破竹の勢い、死せる孔明生ける仲達を走らす、臥竜・鳳雛、などはよく知られている。だが「若きは水滸を読まず、老いは三国を読まず」ということわざは中国人ならだれでも知っているが、日本人にはほとんど知られていないだろう。これは、青年期は血の気が激しいから、水滸伝を読んだら、謀反に走り、年輩の者は世渡りの経験に富んでいるから、三国志を読んだら、非常に狡猾で奸智にたけた者になる、という意味だそうだ。しかし、今のアジア各地ではそのようなことを真に受ける者はいない。日本でも小説、劇画、ゲームと何度も三国志ブームが繰り替えされている。映画「レッドクリフ」で新しい三国志ファンが生れた。

明鏡は形を照す所以古事は今を知る所以   曇りのない鏡は形を照らすから姿を見るのによく、歴史上の事実は現在のことを判断するためのよい参考になるということ。

白眼視 司馬政権に批判的だった阮籍は、司馬氏が唱える孝を強調した礼法に反発して、むやみに礼を尊ぶ礼法主義者に会うと白目をむいて素っ気なく応対した。この阮籍の態度から人を冷たい目で見ること、冷淡に扱うことを白眼視するというようになった。

月旦評 許劭は月の初めに自宅に多くの人を集めて人物批評会を開いていた。曹操が許劭に「太平の世なら有能な官僚だが、乱世だったせ姦雄となる」と言われたのは有名な話。後世、人物批評、品定めを月旦評というようになった。

    なお、「三国志」から生まれた故事俚諺としては、この他にも「白波」、「髀肉の嘆」、「鶏肋」、「危急存亡の秋」、「読書百遍義自ら見わる」、「呉下の阿蒙」「士、別れて三日、刮目してあい待す」などがある。

三国志及び諸葛孔明関係文献
支那史研究 諸葛亮伝 市村瓚次郎 春秋社 1939
三国志 吉川英治 大日本雄弁会講談社 1942
三国演義 倉石武四郎 光風館 1944
孔明の出盧についての異説 狩野直禎 学芸5-1  1948
三国志 世界名作文庫 柴田錬三郎 偕成社 1954
三国の英雄 少年図書館選書 伊藤貴磨 生活百科刊行会 1954
三国志 4 岩波文庫 小川環樹訳 岩波書店 1956
三国志 5 岩波文庫 小川環樹訳 岩波書店 1957
三国志 6 岩波文庫 小川環樹訳  岩波書店 1960
諸葛亮 馬植杰 上海人民出版社 1957
三国志演義 上 中国古典文学全集8 立間祥介訳 平凡社 1958
三国志演義 下 中国古典文学全集9 立間祥介訳 平凡社 1959
三国志 完訳四大奇書 上下 立間祥介訳 平凡社 1960
三国志 第7冊 岩波文庫 小川環樹・金田純一郎訳 岩波書店 1961
三国志実録 吉川幸次郎 筑摩書房 1962
諸葛孔明 中国人物叢書 狩野直禎 人物往来社 1966
西晋時代の諸葛孔明観 狩野直禎 東林59-1 1966
三国志 英雄ここにあり 柴田錬三郎 講談社 1968
三国志 村上知行訳 河出書房 1968
三国志 中国古典新書 宮川尚志訳 明徳出版社 1970
三国志の世界 人と歴史シリーズ 狩野直禎 清水書院 1971
三国志 和刻本正史 長沢規矩也解題 古典研究会 1972
英雄ここにあり 上中下 講談社文庫 柴田錬三郎 講談社 1975
三国志 世界の名作文学8 山本和夫訳 岩崎書店 1975
三国志ⅠⅡⅢ 今鷹真、小南一郎、井波律子共訳 筑摩書房 1977-1989
諸葛孔明 宮川尚志 桃源社 1978
三国志 全5巻 「中国の思想」刊行委員会編訳 徳間書店 1979
三国志 上中下 岩波少年文庫 小川環樹、武部利男訳 岩波書店 1980
三国志 別巻 競いあう個性 大石智良・竹内良雄訳 徳間書店 1980
三国志語彙集 藤井守編 広島大学中国中世大学研究会 1980
乱世の奸雄 別冊コミックトム三国志3 横山光輝 潮出版社 1980
後漢・三国時代 中国の歴史5 陳舜臣 平凡社 1981
三国志の人物学 守屋洋 PHP研究所 1981
三国志の世界(人物中国の歴史6) 駒田信二編 集英社 1981
諸葛亮新伝 華映閣 上海人民出版社 1982
三国志銘々伝 渡辺精一 光村図書出版 1984
城野宏の戦略三国志  城野宏著 西順一郎編 ソーテック社 1984
三国志・座右の銘 松本一男 三笠書房 1986
三国志曹操伝 中村愿   新人物往来社 1986
諸葛亮治蜀 祖国的四川双書 譚良囀嘨 四川人民出版社 1986
名言で読む三国志 村山孚 新人物往来社  1986
三国志の統率学 松本一男 三笠書房 1986
ザ・三国志 村上知行訳 第三書館 1987
「三国志」史話 林亮 立風書房 1987
三国志世界を行く 雑喉潤 徳間書店 1987
三国志展 図録 中国画報特集号 日本三国志展実行委員会 1987
三国志と人間学 安岡正篤 福村出版 1987
三国志の世界 加地伸行編 新人物往来社 1987
現代に生かす諸葛孔明の知略と戦略 三神良三 大陸書房 1989
乱世の英雄たち 三国志1 竹崎有斐 あかね書房 1989
三国志人物事典 渡辺精一 講談社 1989
三国志 この人間的魅力を見よ! 知的生きかた文庫 松本一男著 三笠書房 1990
三国志 全5巻 羅漢中著 大櫛克之作 素人社 1990
三国志 庄葳著 岡田陽一訳 三一書房 1990
三国志Ⅱ ハンドブック シブサワコウ 光栄 1990
三国志縦横談 丘振声著 村山孚編訳 新人物往来社 1990
諸葛孔明 立間祥介 岩波書店 1990
三国・虎視たんたん 三国志絵巻9 王矛・王敏  岩崎書店 1991
三国時代の戦乱 狩野直禎 新人物往来社 1991
三国志の英雄たち 別冊歴史読本中国史シリーズ1 新人物往来社 1991
三国志人物絵巻 劉生展・画 殷占堂編 MPC 1991
三国時代の戦乱 狩野直禎 新人物往来社 1991
反三国志 周大荒 講談社 1991
三国志英傑タイムス 歴史おもしろタイムス1 シブサワ・コウ編 光栄 1992
三国志孔明タイムス 歴史おもしろタイムス2 シブサワ・コウ編 光栄 1992
三国志演義 井波律子 岩波書店 1994
三国志新聞 日本文芸社 1996
三国志武将画伝 立間祥介監修 小学館 1996
真三国志1 歴史群像中国戦史シリーズ 学研 1998
大三国志 改訂新版 世界文化社 2005
三国志 カラー版徹底図解 榎本秋 新星出版社 2009

「ろ」ファースト・ネームから引く人名一覧

Robertfranciskennedy    ロバート・ケネディ(1925-1968)ジョン・F・ケネディの実弟。1963年に兄が暗殺された後、ニューヨーク州の上院議員選に出馬して勝利したが、1968年ロサンゼルスでの選挙集会で暗殺される。▽「ローレンツ・ハート」1895-1943。作曲家リチャード・ロジャーズと組んで数々のヒット・ミュージカルを作詞した。

ロアルド・アムンセン
ロアルド・ダール
ロイ・シャイダー
ロイ・ロジャース
ロイド・ブリッジス
ローガン・ラーマン
ロザ・モタ
ロザナ・アークェット
ロザムンド・クァン
ロザリオ・ドースン
ロザリンド・ラッセル
ロザンナ・アークェッド
ロージー・オドネル
ロージー・ハンティントン・ホワイトリー
ロージー・ペレス
ロジェ・マルタン・デュ・ガール
ロジャー・コーマン
ロジャー・ムーア
ローズ・マッゴーワン
ローズマリー・クルーニー
ローズマリー・サトクリフ
ロック・ハドソン
ロッサナ・ポデスタ
ロッサノ・プラッツィ
ロッド・スタイガー
ロッド・テイラー
ロディ・マクドウォール
ロドリゴ・サントロ
ロドリゴ・ドゥテルテ
ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ
ローナ・ミトラ
ロナルド・アーサー・ビッグズ
ロナルド・コールマン
ロバート・アルドリッチ
ロバート・ウォーカー
ロバート・ウォルポール
ロバート・エズラ・パーク
ロバート・エドウィン・ピアリー
ロバート・エドワード・リー
ロバート・オーウェン
ロバート・オッペンハイマー
ロバート・オルトマン
ロバート・カーライル
ロバート・キャパ
ロバート・クライヴ
ロバート・サウジー
ロバート・ショー
ロバート・ショーン・レナード
ロバート・スコット
ロバート・スタック
ロバート・ゼメキス
ロバート・ダウニー・ジュニア
ロバート・テーラー
ロバート・デニーロ
ロバート・デュバル
ロバート・ドーナット
ロバート・レコード
ロバート・パティスン
ロバート・ピアリー
ロバート・ピール
ロバート・フィルマー
ロバート・フランシス・ケネディ
ロバート・ペイン
ロバート・ベーデン・パウエル
ロバート・ボイル
ロバート・ボーン
ロバート・ストレンジ・マクナマラ
ロバート・ミッチャム
ロバート・モンゴメリー
ロバート・ライアン
ロバート・ロドリゲス
ロバート・ワイズ
ロバート・ワーグナー
ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソン
ロバート・レッドフォード
ロビン・ウィリアムズ
ロビン・ライト
ロブ・ライナー
ロブ・ロウ
ロベール・オッセン
ロベール・カブリエ・ド・ラ・サール
ロベール・シューマン
ロベルト・シューマン
ロベルト・デ・ノビリ
ロベルト・ベニーニ
ロベルト・ムージル
ロマーヌ・ボーランジェ
ロマン・デュリス
ロマン・ポランスキー
ロマン・ロマノヴィッチ・ローゼン
ロミー・シュナイダー
ローラ・インガルス・ワイルダー
ローラ・サン・ジャコモ
ローラ・ダーン
ローラ・リニー
ローランド・エメリッヒ
ロリ・シンガー
ロリ・ペティ
ロリータ・ダビドビッチ
ロレイン・ブラッコ
ロレッタ・ヤング
ローレン・バコール
ローレン・ホリー
ローレンス・オリビエ
ローレンス・ハーベイ
ローレンス・フィッシュバーン
ローレンス・ロバート・クライン
ローレンツ・ハート
ロレンツォ・ギベルティ
ロレンツォ・ダ・ポンテ
ロレンツォ・デ・メディチ
ローワン・アトキンソン
ロン・チャニー
ロン・パールマン
ロン・ハワード

メイフラワー号

Photo   1620年のこの日、メイフラワー号(180頓)は、宗教上の迫害をのがれ、信仰をつらぬこうとした清教徒30人を含む102人を乗せて、イギリスの南西部デヴォン州のプリマス港を出帆。大西洋を約65日かかって渡り、11月19日、アメリカ東部マサチューセッツ州のコッド岬に到着した。それから約1ヶ月後の12月21日、プリマスに上陸した。彼らが出発地と同じ名を名づけたとよく言われるが、実際は同名の地に偶然に到着したのである。彼らはやがてピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)とよばれることになる。初代総督にはロンドンの商人ジョン・カーヴァー(1576-1621)が選ばれた。入植者にとって新世界での生活は厳しく、最初の冬を越せたのはわずかに半数に過ぎなかった。( the Mayflower、Pilgrim Fathers,Plymouth,Massachusetts,John Carver,9月6日 ) 

2018年9月 5日 (水)

「ち」 ファースト・ネームから引く人名一覧

Charlesbooth18401916   チャールズ・ブースは1840年リヴァプールの裕福な企業家の息子として生まれ、1886年から1902年にかけて3回にわたってロンドンの労働者階級を中心にすえた貧困調査を実施し、その結果を「ロンドン民衆の生活と労働」にまとめた。

チェ・ゲバラ
チェーザレ・ボルジア
チェース・クローフォード
チェスター・アラン・アーサー
チェスター・ニミッツ
チェッキー・カリョ
チェビー・チェイス
チェン・カイコー
チコ・マルクス
チモフェイ・グラノフスキー
チャウ・シンチー
チャズ・パルミンテリ
チャック・コナーズ
チャック・ノリス
チャニング・テータム
チャーリー・シーン
チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ
チャールズ・オースチン・ビアード
チャールズ・グローディン
チャールズ・ケイ・オグデン
チャールズ・サンダース・パース
チャールズ・ダーウィン
チャールズ・ダーニング
チャールズ・チャップリン
チャールズ・ティズ・ラッセル
チャールズ・トムスン・ウィルソン
チャールズ・バリントン
チャールズ・ビックフォード
チャールズ・ブース
チャールズ・ブロンソン
チャールズ・ラプラント
チャールズ・ラム
チャールズ・リヒター
チャールズ・ルイス・ティファニー
チャールズ・ロートン
チャールズ・ワーグマン
チャールトン・ヘストン
チャン・イーモウ
チャン・チェン
チャン・ツィイー
チャン・ドンゴン
チャンドラグプタ1世
チョウ・ユンファ
チュイテル・イジョフォー
チューズデイ・ウェルド
チラデンテス

Chuck20connors
ライフルマンのチャック・コナーズは大リーグ選手だった

 

山で使う「キジ撃ち」と「お花摘み」の意味は?

Photo   登山などでトイレが無いとき用便を屋外でするときに使う言葉。「雉撃ち」は男性が山中の屋外で排泄すること。その姿が雉を撃つ猟師が藪に潜む姿に似ていることから命名された。女性の排泄はカワイく「お花摘み」といいます。花を摘む姿に似ているからでしよう。この言葉は広辞苑にも収録されていないがれっきとした登山用語。草陰に身を隠しても探しに来ないでね、という意味。山ガールなど若い人でも使うらしい。英語表現では、shit in the woods (森で大便をする)。日本語では「野グソ」「脱糞」「用便」「排便」などいろいろあるが「キジうち」「お花摘み」は最高。(参考:田部井淳子著「山の単語帳」世界文化社)

「おしどり夫婦」の語源となった鳥も浮気する!?

   夫婦仲がよいことは昔から最も祝福すべきことの一つである。中国には、「琴瑟相和す」「連理の枝」「比翼の鳥」など夫婦仲のよさを褒めたたえた多くの言葉がある。琴と瑟とを弾じてその音がよくあう。つまり音調がよく整って、夫婦の響きが相応じ調和し、楽しい雰囲気をかもしだすように、夫婦仲のよいことをいうのである。日本でも古くから夫婦仲の良いたとえとして「おしどり夫婦」ということばが使われている。しかし、野鳥の60パーセントが、つがいのオスがいない隙を狙って別のオスが巣を訪れて交尾わしているといわれる。オシドリも例外ではなく毎年パートナーを替えて交尾している。不倫や浮気は芸能界だけではない。生物の生殖本能ともいえるものなのである。

情報テクノロジーと読書の将来

20091107_84

 2016年の世帯における情報通信機器の普及状況をみると、パソコン73%、スマートフォン71.8%となっている(「情報通信白書 平成29年版」)。携帯端末スマートフォンの普及によって、会社、学校、家庭などでいろいろな使い方ができる。とくに電子書籍として機能が注目される。どんどん進化すれば紙の図書の役割は大きく後退するだろう。読書施設「女性の書斎」はどうなるだろう。本のたくさんある場所で「アイポス」を読むという利用方法も考えられるのではないだろうか。共存共栄。自習や勉強に機能強化。「女性の書斎・ひとり好き」には次のような方もおすすめです。

資格や何かにチャレンジしたいが、具体的な一歩が踏み出せない人

喫茶店やファミレスでは集中して勉強でない

図書館の閲覧室の座席が確保できない

自分のノートパソコンやアイポスで勉強

●女性専用なので安心

●わずか200円で1日中利用できる

●静かで、長時間利用できる

●蔵書は1万冊あり、百科事典、辞書ならほとんど揃っている

03

兵庫県宝塚市伊孑志3-16-26

発音しない文字

  英語には時によって、knife(ナイフ)、write(書く)のようにk、wの発音しない文字がある。これを黙字(silent)という。

b    thumb(親指)  comb(くし) lamb(子羊)

d    handsome(ハンサム)

gh  night(夜) high(高い) right(右)

h    honest(正直な) hour(時間) ghost(幽霊)

k    knee(ひざ) knock(ノックする) knot(結び目) knob(つまみ)

l     talk(話す) walk(歩く) alms(義援金)

n    hymn(讃美歌)

p    pneumonia(肺炎)

s    island(島) aisle(通路)

t    match(試合) catch(つかむ) Christmas(クリスマス)

w   answer(答える) wrist(手首) wrap(包む)

難しい歴史クイズ

Henricus_martellus_germanus_wirkung   人類が歩んできた道、歴史は無数の事実の集積でできている。歴史学とは多読と多憶が大事。世界の国家・都市・人物・事件・文芸作品・文化遺産などさまざまな項目の中から、大学入試問題のように限定されたものではなく、マニアックな珍問、難問、奇問など、重箱の隅をほじくるような悪問ばかりです。さあ、みんなでチャレンジしてみよう!

問1.オスマン帝国がロシアにダーダネルス・ボスポラス両海峡の自由航行を認めた1833年の条約名は?

問2.ガーフィールド大統領の暗殺を契機として1883年にアメリカで制定された公務員任用法を一般に何というか?

問3.日本に初めて暦を伝えた人物は?

問4.アメリカが第一次世界大戦に参戦する契機となったのは何という船が撃沈されたからか?

問5.ナポレオンは生涯に2度も島流しにあっているが、最初に流された島はどこか?

問6.米使ペリーが浦賀来航したときの徳川将軍は?

問7.昭和20年8月15日。このときの内閣総理大臣は誰?

問8.女人禁制だった富士山の山頂登山に初めて成功した女性は誰?

問9.漢代、15歳から56歳までの男女に課された人頭税を何という?

問10.ローマ教皇ボニファティウス8世がフランス王フィリップ4世に監禁された事件は?

問11.ヨーロッパ11世紀ころに各都市に成立した商人の同業組合を何というか?

問12.諸葛孔明が宿敵・魏との戦いのさなかに陣中に没した場所は?

問13.西ローマ帝国最後の皇帝は?

問14.近代以前の中国が朝貢をしてきた周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて君臣関係を結んでその統治を認め、従属的関係を維持した政策を何というか?

問15.鎌倉時代から室町時代にかけて、朝廷・幕府などが土倉などの債権者・金融業者に対して、債権放棄を命じた法令を何というか?

問16.ニュートンの「プリンキピア」をフランス語に初めて翻訳した女性は?

問17.イタリア王国最後の国王は?

問18.フランス軍がスーダンに占領するなか、イギリス軍と衝突した事件、フランスが撤退したことで戦争は回避されたがこの事件とは?

問19.もとは兜をかぶるためであったが、江戸時代、頭頂の半月形に剃り落とした男子の髪型を何と言う?

問20.世界初の女性首相は?

問21.アメリカ初代大統領はジョージ・ワシントン。第2代大統領は?

問22.東海道の宿場町は53。では中仙道の宿場町の数は?

問23.明治15年、岐阜遊説中の板垣退助を襲った暴漢の名前。

問24.訪日した最初の現職米大統領は?

問25.1991年、東ティモールのディリで独立を求めるデモ行進中の市民に対してインドネシア国軍が無差別発砲した事件は?

問26.1944年7月のブレトン・ウッズ協定に出席したイギリスの経済学者は?

問27.エジプトのギゼ三大ピラミッドで一番大きいのは?

問28.19世紀帝国主義の時代、各国は利害関係から同盟を結んだりしたが、独力で海外進出して「名誉ある孤立」としてどこの国とも手を結ばなかった国は?

問29.聖徳太子の父親の名は?

問30.イギリスで唯一、軍人から首相になった人物は?

問31.明智光秀を竹槍で殺したといわれる人物は?

問32.歴代アメリカ大統領の中で暗殺されたのは何人?

問33.初代内閣総理大臣は伊藤博文。では2代目は?

問34.古代エジプトの第1王朝とか第18王朝のように、最初に番号で表した人は誰?

問35.島原・天草一揆の指導者である天草四郎時貞の洗礼名は?

問36.イスラム教の聖地にあるメッカの中心部にある、石造りの神殿といえば何か?

問37.17世紀末以後のイギリスの政党で、王権による伝統的支配体制を擁護し、ホイッグ党と対立した政党は?

問38.初めて紅茶を飲んだ日本人は?

問39.ペルーのフリアカにある空港の名前にもなっているインカ帝国の初代皇帝は?

問40.870年に東西のフランク王国が結んだ条約で、独・仏・伊の原型が成立した条約は?

問41.383年に前秦と東晋との間に起こった戦いは?

問42.源頼朝が征夷大将軍に就いたときの年号は建久。では徳川家康が征夷大将軍となったときの年号は?

問43.マルティン・ルターがザクセン選帝候フリードリヒに保護され、聖書の翻訳をしたワルトブルク城のあるドイツの州(ラント)は?

問44.ナポレオン1世がオーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世の連合軍を破った戦いは?

問45.巨大なゼウス神殿や彫刻「瀕死のガリア人」などのヘレニズム美術が作られた前3世紀から前2世に栄えた小アジアの国は?

問46.応仁の乱後に一般化した市の形態で、月に6回開く市を何と言うか?

問47.石清水八幡宮を本所とする大山崎油座の扱った油は何の油か?

問48.ギリシアの三大悲劇詩人。アイスキュロス、ソフォクレス。あと1人は誰れ?

問49.鎌倉・室町時代に盛行した禅僧の肖像画を何というか?

問50.18世紀前半のオスマン帝国の盛時をチューリップ時代という。では17世紀から18世紀にかけて「太陽の没することなき帝国」といわれたスペインの黄金時代は何と呼ばれるか?

問51.初期キリスト教徒の地下埋葬墓地。迫害弾圧のときはここに集まり、その信仰を守ったところを何というか?

問52.「この頃みやこにはやるもの、夜討、強盗、にせ綸旨…」ではじまる政治批判の落書を何というか?

問53.1865年に石器時代を大きく旧石器と新石器の時代に区分したイギリスの考古学者は?

問54.本名、矢崎鎮四郎(1863-1947)といった明治の小説家は?

問55.コロンブスが大西洋を西に向かった最初の航海のときに乗った帆船名は?

問56.著書がその身長と比べられるほどあったという江戸時代の儒者、伊藤長胤(いとう ちょういん)の号は?

問57.アメリカの歴代大統領で、最も若くして死亡したのは46歳だったJ・F・ケネディ。では日本の総理大臣で寿命の最も短かったのは?

問58.初めてアマゾン川を探検した日本人は?

問59.キリシタンに迫害を加え、残酷な処刑をおこなった島原城主で、島原の乱の原因をつくった島原藩主は?

問60.「古事記 下巻」でおしまいに登場するいちばん最後の天皇は?

問61.マルティン・ルターが隠れて聖書をドイツ語に翻訳していたアイゼナハにある古城は?

問62.フランス革命で処刑されたルイ16世やマリー・アントワネットの墓はどこにある?

問63.「美しき青きドナウ」などを作曲した「ワルツ王」と呼ばれたオーストリアの作曲家は?

問64.二・二六事件当時の首相は?

問65.明治17年、自由党の過激派が茨城県で暴動をおこした事件は?

問66.殷を滅ぼして黄河中流域を支配した中国の王朝は?

問67.1414年から1417年にかけて教会の大分裂(シスマ)解決を主目的としてドイツ南西部の小都市で開かれた公会議とは?

問68.秦兵馬俑を1974年の第一発見者の名前は?

問69.カバに踏み殺された古代エジプト初代ファラオは?

問70.西郷隆盛が奄美大島に潜居したとき愛した島女は愛加那。ではナポレオンがセントヘレナに流罪の時、親しい関係だった島女は?

解答:問1ウンキャル・スケレッシ条約。問2ペンドルトン法、問3百済の僧・観勒、問4ハウサトニック号、問5エルバ島、問6徳川家定、問7鈴木貫太郎、問8高山たつ、問9算賦、問10アナーニ事件、問11ギルド、問12五丈原、問13ロムルス・アウグストゥルス、問14冊封体制、問15徳政令、問16エミリー・デュ・シャトレ侯爵夫人、問17ウンベルト2世、問18ファショダ事件、問19月代、問20シリマボ・バンダラナイケ。問21ジョン・アダムズ。問22中仙道67。問23相原尚褧(あいはらなおぶみ)。問24ジェラルド・フォード。問25サンタクルス事件。問26ジョン・メイナード・ケインズ。問27クフ王のピラミッド。問28イギリス。問29用明天皇。問30アーサー・ウェルズリー(ウエリントン)。問31中村長兵衛。問32.4人。問33黒田清隆。問34マネト。問35ジェロニモ。島原の乱当時はフランシスコ。問36カアバ。問37トーリー党。問38大黒屋光太夫。問39マンコ・カパック。問40メルセン条約。問41淝水の戦い。問42慶長 。問43チューリンゲン。問44アウステルリッツの戦い。問45ペルガモン王国。問46六斎市。問47荏胡麻(えごま)。問48ソフォクレス。問49頂相。問50シグロ・デ・オロ。問51カタコンベ。問52二条河原の落書。問53ジョン・ラボック。問54.嵯峨の屋お室。問55.サンタ・マリア号。問56.伊藤東涯。問57.近衛文麿の54歳。問58.中村直吉。問59.松倉重政。問60.推古天皇。問61.ワルトブルク城。問62.サン・ドニ大聖堂。問63.ヨハン・シュトラウス。問64.岡田啓介。問65.加波山事件。問66.周。問67.コンスタンツ公会議。問68.楊志初(ようしはつ)。問69.メネス。問70.ポリー・メイソン。

ルイ14世「朕は国家なり」

Louis14aftrigaud_16381715l   1638年のこの日、ルイ14世が誕生した。「太陽王」と呼ばれたルイ14世は史上最長の在位期間を持つ君主である。1643年に5歳で即位し、1715年に死ぬまで72年間フランス国王に君臨した。王権神授説をとる彼は絶対主義王制の典型とされ、豪華を好む彼か造ったヴェルサイユ宮は18世紀には各国で模倣されることとなる。ハード面だけではなく宮廷エチケットや祭典・凱旋行列なども手本とされて、王権とはそういうものというイメージが形成される。フランスは文化のうえでもヨーロッパの中心となった。

    1655年4月13日、パリ高等法院。17歳のルイ14世は狩猟の帰りに反対派の巣窟である議会に立ち寄った。スペイン戦争での出費が嵩むことを議員が語りだしたとき、「朕は国家なり」(L'etat c'est moi)という有名な言葉がルイ14世の口から出されたとされる。このエピソードはヴォルテールの「ルイ14世の時代」に記述されているが、王が実際に言ったかどうかはわからない。神学者ボシュエらが王を神格化したらしい。

   ルイ14世の親政が始まったのは1661年3月10日からで、フランス絶対王政は全盛期をむかえたが、傲慢で贅沢の限りをつくした国王は民衆から嫌われ、王の没後80年たらずでフランス革命がおこる要因にもなった。(9月5日)

2018年9月 4日 (火)

誤読に注意!

  漢字の誤読の実例集。日大のアメフト監督が関学大に謝罪した。しかし何度も「かんさいがくいん」と誤読する。正しくは「かんせいがくいん」。菅長官が大阪北部地震の会見で「枚方」を「まいかた」と誤読。正しくは「ひらかた」。安部信三首相は国会答弁で「云々」を「でんでん」と誤読。木村拓哉は「出汁」を「でじる」と読む。誤読といえば麻生太郎。「未曽有」を「みぞうゆう」とか「踏襲」を「ふしゅう」と読んだのは有名な話。菅直人も「疾病」を「しっびょう」と読んだ。民進党代表の大塚耕平は「民主党」と言い間違えた。訃報(ふほう)を「けいほう」と誤読したり、生体肝移植を性感帯移植と誤読したり女子アナ誤読エピソードは枚挙にいとまない。W杯で佐藤美希アナは「メッシが魂のスライディング」の原稿で「魂」を「かたまり」と誤読した。笑ってすませられるものなのか。やはり日頃の地道な学習・勉強が大事だ。誤読しやすいことば。

相殺 ○そうさい ×そうさつ

乳離れ ○ちばなれ ×ちちばなれ

発足   ○ほっそく ×はっそく

出生率  ○しゅっしょうりつ ×しゅっせいりつ

一日の長 ○いちじつのちょう ×いちにちのちょう

幕間   ○まくあい ×まくま

貼付   ○ちょうふ  ×てんぷ

あり得る ○ありうる  ×ありえる

間髪をいれず  ○かんはつをいれず  ×かんぱつをいれず

依存心  ○いそんしん  ×いぞんしん

烏丸丸太町  ○からすままるたまち ×からすまるまるふとるまち

下手人  ○げしゅにん ×へたにん

風土記  ○ふどき  ×ふうどき

美人局  ○つつもたせ ×びじんきょく

現御神  ○あきつみかみ ×げんみかみ

疾病   ○しっぺい    ×しっびょう 

嗅覚   〇きゅうかく   ×しゅうかく

未曽有  ○みぞう           ×みぞうゆう

奇しくも ○くしくも     ×きしくも

エジプトはナイルの賜物(古代エジプトの農業と政治)

Kings18

  「ナイルの源流については何人も確認することはできない・・・その流れははるかな彼方からエジプトにはいってくる」(ヘロドトス)

  「歴史の父」といわれる古代ギリシアのヘロトドスはアフリカも旅行したが、ナイル川の源流については、ついに確かめることができなかった。

   「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、ナイル川の増水を活用した農業によってエジプトの経済は成り立っていた。農作物の中心は麦で、ナイル川の増水によって毎年もたらされる肥沃な耕地に、種がまかれ育てられた。収穫は穂だけを刈り取り、乾かしたあと家畜に踏ませ脱穀した、風の力で選別された穀粒は集められて、おもにパンやビールの原料とするために粉にひかれた。

   古代エジプトの王朝は第1王朝とか第18王朝のように、番号で表されている。第1王朝の初期の王メネスから、第31王朝のプトレマイオス15世(カイサリオン)まで約3100年の歴史が繰り広げられた。この番号はプトレマイオス朝の神官マネト(前305-前285頃)がその著書に使用したものである。彼の生涯についてはほとんど明らかではない。初期のメネス王からアレクサンドロス大王までの間を31の王朝に区分し、王名やその統治年数などを年代記風に記述した。その原本は残っていないが、後世の年代記学者などの著作に引用され、ほぼその全貌をうかがうことができる。近代のエジプト史研究にマネトの番号付の王朝名は大きな影響を与えている。

初代の王、メネスについては存在した物証が少ない。メネス王とナルメル王は同一人物といわれる。1896年に発見された石の碑文は「ナルメルのパレット」と呼ばれ、上下エジプトを統一した功績が讃えられている。学者は年代を紀元前3000年から2850年の間と推定している。マネトによれば、メネスの治世は62年間に及んだが、最期はカバに踏み殺された、と記している。

西ローマ帝国と漢王朝

400pxtransasia_trade_routes_1stc_ce   476年のこの日、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルは西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させ、自らはイタリア王と名乗った。西ローマ帝国の滅亡である。ロムルスは即位して1年ともたなかった。前27年アウグストゥスが帝政を確立してからローマ帝国は503年間でローマ帝国は80人の皇帝が現れた。漢王朝は王莽の新15年を除くと、前漢・後漢で410年、29人の皇帝が現れた。前漢武帝のように54年という長い在位の君主もおり、血族が皇帝となる漢が1人平均在位14年、ローマ皇帝の2倍以上の在位期間である。(Odoacer,Romulus Augustulus,9月4日) 

アウグストゥスからロムルス・アウグストゥルスまで
1 アウグストゥス
2 ティベリウス
3 カリグラ
4 クラウディウス
5 ネロ
6 ガルバ
7 オト
8 ウィテリウス
9 ウェスバシアヌス
10 ティトゥス
11  ドミティアヌス
12  ネルウァ
13 トラヤヌス
14 ハドリアヌス
15 アントニヌス・ピウス
16 マルクス・アウレリウス
17 ルキウス・ウェルス
18 コンモドゥス
19 ペルティナクス
20 ディディウス・ユリアヌス
21セプティミウス・セウェルス
22カラカラ
23ゲタ
24マクリヌス
25ヘリオガバルス
26セウェルス・アレクサンデル
27マクシミヌス
28ゴルディアヌス1世
29ゴルディアヌス2世
30バルビヌス
31プピエヌス
32ゴルディアヌス3世
33フィリップス・アラブス
34デキウス
35ガルス
36アエミリアヌス
37ウァレリアヌス
38ガリエヌス
39クラウディウス・ゴティクス
40アウレリアヌス
41タキトゥス
42フロリアヌス
43プロプス
44カルス
45ヌメリアヌス
46カリヌス
47ディオクレティアヌス
48マクシミアヌス
49コンスタンティウス1世
50ガレリウス
51マクシミヌス・ダヤ
52セウェルス
53マクセンティウス
54リキニウス
55コンテタンティヌス1世
56コンスタンティヌス2世
57コンスタンス
58コンスタンティウス2世
59ユリアヌス
60ヨウィアヌス
61ウァレンティアヌス1世
62ヴアレンス
63グラティアヌス
64ウァレンティニアヌス2世
65テオドシウス1世
66マクシエス
67エウゲニウス
68ホノリウス
69コンスタンティウス2世
70ヨハンネス
71ウァレンティアヌス3世
72ペトロニウス・マクシムス
73アウィトゥス
74マヨリアヌス
75リウイウス
76アンテミウス
77オリブリウス
78グリケリウス
79ユリウス・ネポス
80ロムルス・アウグストゥルス

2018年9月 3日 (月)

フランシス・マリオンと女性脚本家の時代

   戦後日本では映画・テレビの興隆による、水木洋子(ひめゆりの塔)、和田夏十(炎上)、向田邦子(阿修羅のごとく)や橋田寿賀子(おしん)のような女性脚本家が抬頭した。実は20世紀前半のアメリカではサイレント初期の時代から、数多くの女性脚本家が映画のシナリオを書いていた。アニタ・ルース、ゾーニー・マクファーソン、ジェーン・メイスン、そして「名金」(1915)のグレイス・キュナード。なかでも有名なのがフランシス・マリオン(1888-1973)である。「ステラ・ダラス」(1925)など女性ならではのメロドラマが得意であった。

不適切な行為

  インドネシアのジャカルタでアジア大会に参加していたバスケットボール男子の日本代表の4人の選手が公式のウエアを着たまま深夜に繁華街を出歩き女性とホテルに行って不適切な行為をしたとして、4選手は帰国させられ、謝罪した。この場合の「不適切な行為」とは明らかに売春行為を想像させるが、NHKではダイレクトな表現はさけている。1日、デトロイトで行われたアレサ・フランクリンの葬儀で牧師がステージに立つアリアナ・グランデの胸をさわるなど不適切な行為があったとNHKが報道している。しかしビデオで見ると、牧師は女性の腰から背中に手を回しているものの、胸を触ったことは確認できなかった。

Bishop apologizes to Ariana Grande for inapproprite touching at Aretha Franklin's funeral.

牧師はアレサ・フランクリンの葬儀でのアリアナ・グランデに対する不適切なおさわり行為を謝罪した

BBCニュースの見出しでは

Aretha Franklin bishop sorry after groping Ariana Grnde とある。gropingとは女性の体をまさぐるという意味。awkward touch(「無器用なおさわり」の意)

という表現もある。

Pastor Accused of Groping Ariana Grande Apologizes for Being 'Too Friendly '

(ニューヨークタイムズ見出し) 牧師は「やさしすぎた」とアリアナ・グランデに謝罪

2018年9月 2日 (日)

面白いドラマは脚本で決まる

   小説家に比べると脚本家という仕事の認知度は相当に低い。NHK朝ドラもテレビ小説ということで獅子文六や川端康成といった人気作家のドラマ家からスタートした。しかし「ちゅらさん」(岡田恵和)、「あまちゃん」(宮藤官九郎)、「半分、青い」(北川悦吏子)などオリジナルな原作が好評を博し、脚本家に世間の注目が集まっている。ビリー・ワイルダー監督いわく「映画は脚本が八割」と語る。映画、ドラマだけではなく、脚本はアニメ、Vシネマ、ゲームなどにも需要がある。時流は女性脚本家が主流になっている。昨夜、脚本家・岡田磨里による「学校へ行けなかった私が「あの恋」「ここさけ」を書くまで」を見る。主演は前田敦子、「もらとりあむタマ子」のあっちゃんには適役である。埼玉・秩父に育ち、不登校、引きこもりの学生時代を送ったヒロインの自伝が元になっている。パンツ引きこもりの間、ゲームや漫画を読んだが、小説も読んでいた。「それが疲れて来ると、字義どおりの消日になった」志賀直哉の暗夜行路の一節。「消日(しょうじつ)する」とはたいしたこともせずその日を過ごすこと。前田のパンツ丸見えシーンが2回もあった。自転車でスカートがからまる場面と蒲団の寝乱れ姿のパンツがやたらと印象に残った。ちなみに「あの花」とは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(映画では浜辺美波)、「ここさけ」は「心が叫びたがっているんだ」(映画では芳根京子)。

ルソーとアポリネール

600fullhenrirousseau Henri20rousseau456433

     一風変わった素朴画家として知られるアンリ・ルソー(1844-1910)は、1906年、ジャリの紹介で詩人のギョーム・アポリネールに出会った。ルソーはアポリネール(1880-1918)よりも36歳も年長だったが、アポリネールを尊敬し、特別なノートに、新聞から切り抜いた記事を貼り付けたり、また彼の愛人で画家のマリー・ローランサンと一緒にいるアポリネールの肖像画「詩人に霊感を授けるミューズ」を描いている。

    アポリネールもルソーにピカソやドローネーなどの多くの指導的な前衛芸術家たちを紹介し、ルソーの生前にもまた死後にも、ルソーをたたえた詩をいくつか残し、彼を敢然と擁護し、賞揚した。

   1910年9月2日、ルソーは生前は世間から認められることなく、パリの病院で亡くなった。翌年に友人たちはルソーの墓をつくった。墓碑銘には、次のようなアポリネールの詩が刻まれている。

 やさしいルソーよ 聞えますか

 私たちの挨拶が

 ドローネー夫妻とケヴァル氏と私

 私たちの持ち物は天国の門では無税で通してください

 あなたに筆と絵の具とカンバスを持ってきました

 永遠の真実の光で描いて

 あなたの神聖な余暇が過ごせるように

 かつてあなたが

 星を見ながら私を描いたように

2018年9月 1日 (土)

上方の浮世絵

歌麿、写楽、北斎、広重。有名な浮世絵の多くは江戸で描かれ出版されたもので、浮世絵といえば江戸というイメージがあるが、じつは京都や大坂など上方にも浮世絵はあって、大勢の浮世絵師が活躍していたのだ。今ではその名前はほとんど知られていないが、初期の流光斎如圭や松好斎半兵衛、西川祐信、幕末の柳斎重春、長谷川貞信、一養亭芳滝といった名匠がいいた。

江戸の浮世絵は美人画、役者絵、相撲絵、風景画など題材が豊富であるが、上方の浮世絵の九割近くが役者絵である。役者絵を楽しむには、描かれている芝居や役柄、役者など、その背景についての知識が必要になってくる。その特色ゆえに上方浮世絵は、後に浮世絵を鑑賞する人々に受け入れられることなく、忘れ去られて行ったと考えられる。

たかがパンツされどパンツ

41e71f74_2   男性の下着はブリーフ、とトランクス、どちらがよいのだろうか?銭湯に行く機会がないので、確認したわけではないが、ドラマなどを見た感じでは、いまはトランクス全盛の時代らしい。なぜか母親が息子に買い与えるパンツは白いブリーフが定番。成人しても白いブリーフをはいていると、女性からマザコンとみられてしまう。そこで高校生ころになると、柄物のトランクスを自分で選んで買うようになるらしい。もちろん自分で買わないで、親から与えられたパンツをいつまでもはいている人もいるから、この世にはブーリフ派とトランクス派がいつまでも存在する。むかしの本を読むとブーリフ派のほうが優勢だったらしい。「男性用下着といえば、ブリーフが全盛の時代です。若い人の90%はブリーフの愛好者だといいます」(おもしろ雑学百科 昭和61年)。昭和の時代は明治生まれの男性はブリーフなどははかず、いわゆる猿回しのサルがはいているような猿股といわれる一種のトランクスだった。ブリーフが発売され、はくのは子どもや若者だったから、女性からみれば、白いブリーフが可愛くみえたのだろう。だが外国風のさまさまな柄のトランクスが出回ると、通気性にとみ、清潔感のあるほうが好まれるようになった。女性500人にアンケートしたところ、およそ8割の女性がトランクスの男性を好むという調査結果がある。昨夜のMステ出演の福山雅治、星野源もフランス製のボクサーパンツを履いていると語った。

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

最近のトラックバック

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31