無料ブログはココログ

« 鉄砲伝来とその影響 | トップページ | なぜ関西より関東のほうが味付けが濃いのか? »

2018年8月25日 (土)

秦の昭王と周室の最期

  周の赧王の在位は59年に及んだが、もはや乱世を生き抜くだけの力もなければ、天下統合のシンボルとしての権威も失われていた。周王最後の忠臣周最(しゅうさい)は、秦に入り、昭王に献言する。「周を攻めるのは決してお国のためになりません。攻め取ったとて実利はほとんどなく、天子の国を討ったという汚名を得るだけで、諸侯を斉の側に追いやり、秦の孤立化を招くことになりましょう。これでは諸侯の旗頭になることは不可能です」と説いた。だが昭王は前250年、洛邑を攻め、ついに周を滅ぼしてしまった。

« 鉄砲伝来とその影響 | トップページ | なぜ関西より関東のほうが味付けが濃いのか? »

「世界史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鉄砲伝来とその影響 | トップページ | なぜ関西より関東のほうが味付けが濃いのか? »

最近のトラックバック

2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31