伊闕仏龕碑
唐の書道家、猪遂良45歳の時の楷書である。貞観15年(641)伊闕とは洛陽の南方にある龍門のことで、そこの石窟の賓陽洞の南の外壁の刻された摩崖碑を「伊闕仏龕之碑(いけつぶつがんのひ)」と呼ばれる。碑文の内容は太宗の第四子の魏王泰が生母の長孫皇后の追善のために、新たに石窟を造営したことを記したものである。
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