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2018年7月28日 (土)

「サバを読む」の語源

 都合のいいように、数や年齢をごまかすことを「サバを読む」という。では何故さかなの鯖なのか?江戸時代に「いさば読み」という言葉に由来するらしい。漁場などで魚を数える際、悠長に数えていては間に合わなかったため、早口で数えることを「いさば読み」と言い(後で数えるとたいてい数が足りない)、「い」の文字がいつしか抜けてしまい「さば読み」という言葉ができた。その他にも、諸説ある。鯖は腐りやすい(サバの生き腐れと言う)ことから、新鮮なまま遠方に運ぶために、鯖の数を適当にごまかしたから出来たと言われる。

地名の日

   本日は「地名の日」。アイヌ語地名の研究家・山田秀三の命日であり、地名研究家・谷川健一の誕生日であることから。多くの地名には語源に由来する。東京の六本木。江戸時代、この土地の大名屋敷に見事な6本の松があったことに因む。

沖縄の那覇市に「おもろまち」という新しい地名がある。この地区は1987年5月に米軍基地返還後、牧港住宅地区の跡地を造成したもので、新商業地区として那覇市の中心地となりつつある。

世の中、紛らわしい地名がある。埼玉県に、ふじみ野市と富士見市とが隣り合わせに存在し、紛らわしい。群馬県太田市と島根県大田市。このようによく似た地名が外国にも存在する。

  日本ではヨーロッパに位置するオーストリアと南半球のオーストラリアを混同することがしばしばある。また東ヨーロッパのモルドバ共和国とボルガのモルドヴィア共和国もよく混同される。北大西洋を隔てたアイスランドとアイルランドも紛らわしい。カナダのプリンス・エドワード島とインド洋上にあるプリンス・エドワード諸島(南アフリカ共和国)も一字違いで混同しやすい。アフリカのギアナと南米のギニア(現在はガイアナ)

   国土の広いアメリカには同一地名は多い。ワシントンも東部にあるコロンビア特別区をなすワシントンD.C.と西海岸にあるワシントン州。カジノで有名なラスベガスとニューメキシコ州の賭博禁止のラスベガスという小さな町。

Richmond    アメリカにはイギリスの地名をそのまま使用されることも多い。リッチモンドという地名はロンドンのリッチモンド・パークが源であるが、北米、オーストラリア、南アメリカなど世界に27もある。1620年ピューリタンが英国南西部のプリマス港を出航し、アメリカ東部マサチューセッツ州のプリマスに到着した。彼らが出発地と同じ名を名づけたとよくいわれるが、実際は同名の地に偶然に到着したのである。数年前にこの付近を探査したジョン・スミス(1580-1631)によって命名されていた。(Richmond,Plymouth)7月28日)

2018年7月18日 (水)

防ごう熱中症!

13cns    日本列島は気温が上昇し、最高気温が35度以上の猛暑日が続く。気象庁は18日も猛暑が続くとして、東北地方南部から九州にかけて高温注意情報を発令し、熱中症にならないように、こまめな水分補給や適切な冷房の利用などを呼びかけている。「熱中症にご注意ください!」 英語では、Please pay attention to heatatroke.「熱中症」とは「高温下での運動や労働のため、発汗機構や循環系に異常をきたして起こる病気」である。むかし日射病(熱射病)と呼んでいた。「熱中症」という言葉そのものは鉱山労働などの職業病のひとつとして戦前期から使われていたが、日射病の代わりに使われだしたのは1990年代中ごろからである。(一説には1995年という) 「万有百科大事典」(1973)には「熱射病」の項目に「熱射病は古くは喝病とよばれ、広義には熱中症、狭義には鬱熱病ともいう」とある。広辞苑(第4版、1991年)にはまだ「熱中症」の独立した見出し語はなかった。

   ある言葉が急に使われるようになった時期を特定することはなかなかむずかしい。「温度差」という言葉がある。実際の気温などの違いではなく、気持ちの差やギャップを比喩的に「温度差」という。かっこいい流行語のように評論家たちが使っているが、いつごろからは明らかではない。1990年代初めからといわれる。

2018年7月17日 (火)

あじさい忌

Img

 

    本日は俳優石原裕次郎の命日。没後31年。彼が主演した映画「あじさいの歌」にちなんで「紫陽花忌」といわれる。集英社の日本文学全集「石坂洋次郎集」巻末の「作家と作品」に引用された写真(画像)には石原裕次郎と石坂洋次郎が和室で会食している。同席には芦川いづみ。映画「陽のあたる坂道」(昭和33年4月封切り)のときとある。石坂洋次郎は信次を石原裕次郎をイメージしながら書いたという。だがこのとき何故主演の北原三枝ではなく、芦川いづみがいるのだろう。芦川の役は足の悪い妹役で家庭教師役の北原三枝に比べると助演といった役どこである。石坂・石原・芦川のコンビの作品は「陽のあたる坂道」(昭和33年)以外にも「乳母車」(昭和31年)、あじさいの歌」(昭和35年)、「あいつと私」(昭和36年)がある。芦川いづみは石原より年齢は1歳下。つまり「陽のあたる坂道」の役は当時23歳で実年齢よりもだいぶん幼い女学生役を演じていたことになる。痩せていた芦川は少女の役が似合っていた。ところがケペルの記憶では確か芦川いづみの女学生は髪は長かったし、この写真の雰囲気とは異なる。「私はこんな体だけど子供ができるでしょうか」と町医者に診察してもらう場面は秀逸である。文学全集の写真の芦川の髪はショートである。この会席の写真は、おそらく「陽のあたる坂道」より数年のちの写真ではないだろうか。「あじさいの歌」の芦川(:けい子の役)も長い髪をしている。「あいつと私」の時の芦川(このときも役名は同じで「けい子」だった)はショート・ヘアーである。前年昭和35年12月封切りの「闘牛に賭ける男」を最後に北原三枝との共演作品はなく、12月2日に結婚式を挙げている。翌年1月24日、志賀高原でスキーによる骨折により長期入院している。この会席写真は退院後の「あいつと私」(昭和36年9月封切り)打ち合わせではないかと推測する。石原裕次郎27歳、芦川いづみ26歳。あるいは石原、芦川が半袖なので、昭和33年4月封切りの「陽のあたる坂道」の打ち合わせだとすると、昭和32年の夏頃、石原23歳、芦川22歳ということも考えられないことではないが。どちらにしても20歳前半の若者が大作家と気軽に対談できるというのはたいしたものである。(7月17日)

 

 

2018年7月14日 (土)

人は右、車は左になった理由

  日本のように交通機関のサービスが行き届いている国は少ないそうです。例えば、タクシーに自動ドアやメーターが完備していることや、親切な鉄道アナウンスなど・・・。NHK「チコちゃんに叱られる!」♯14。どうして日本は左側通行なの?それは「殺し合いになるなら」 車の通行はアメリカは右側通行、イギリスは日本と同じく左側通行と、各国様々です。日本では車は左側通行することが法律で定められたのは1949年に施行された道路交通法によるものですが、車社会以前の明治、江戸時代から左側通行で秩序が保たれていた。武士は刀を左腰に差すため、左側通行だと鞘がぶつからないためという説があります。つまりイギリス、インド、オーストラリア等は日本と同じ「車は左側通行」ですが、日本がイギリスに倣ったわけではない。現在、アメリカ、フランスはじめ世界の多くの国は右側通行の制度を採用しています。19世紀のフランスは馬車の時代であり、四頭立ての馬車の場合、馭者は先頭の二匹の馬のうち左側の馬に乗って制御していた。このため道路の右側を走行する方が馭者にとっては安全だったのだ。英国では馭者は馬上ではなく、中央に位置する馭者台に座って馬車を制御していた。利き腕の右手で右側の馬を制御するのが容易なので、左側通行が主流になった。アメリカが右側通行になったのは、英国と長期に反目していたことによるといわれていますが、他に右腰に拳銃を下げていたため右側通行になつたという説もあります。

2018年7月10日 (火)

フロリダとアダムズ・オニス条約

2672_fit588x588   映画「真夜中のカウボーイ」ダスティン・ホフマンが演じる足の不自由なラッツォが夢見たフロリダ。アメリカ有数のリゾート地として知られる。1821年7月10日、アメリカとスペインの間にアダムズ・オニス条約が発効される。これによってスペイン領フロリダの領土権を得た。アダムズとはモンロー大統領下の国務長官ジョン・クィンシー・アダムズ。オニスはスペインの外務大臣ルイス・デ・オニス。(Adams-Onis Treaty,Florida,Miami,Tampa,Orlando)

2018年7月 2日 (月)

レマゲン鉄橋

Img_0007 Remagenbridge Photo

   昔から命懸けで橋を架けた話は沢山ある。しかし橋を落すために命を賭けたとなるとあまり例を聞かない。ボンのやや上流のライン河に架かるレマゲンとエルペルとを結ぶルーデンドルフ鉄道橋で、片や橋を落すために(ドイツ軍)、片や落とさせないために(連合軍)、敵味方が死力を尽くして戦った。1945年3月、第二次世界大戦末期のことである。結局、連合軍が勝利し、橋は爆破されずに残った。レマゲン鉄橋がラインを渡る唯一破壊されずに残っていた橋だった。だが戦いの10日後には橋は崩壊し、現在も再建されずに橋桁だけが残る。

   映画「レマゲン鉄橋」(ジョン・ギラーミン監督)はレマゲン鉄橋をめぐる死闘を描いている。最後の橋レマゲンをめざしてバーンズ少佐(ブラッドフォード・ディルマン)指揮の連合軍はライン左岸に進んだ。その小隊のハートマン中尉(ジョージ・シーガル)、エンジェル軍曹(ベン・ギャザラ)らは橋から爆薬を除去し、橋を突破する作戦を命ぜられる。一方、クルーガー少佐(ロバート・ヴォーン)は橋の爆破を命じる。レマゲンを見下ろす丘で両軍の激しい攻防戦が繰り広げられる。地味なキャスティングではあるが、テーマが明確であり、戦闘シーンの臨場感がある。(Ludendorff Bruecke,Remagen)

ロリータとナオミ

Nabokov   「ロリータ」の作者ウラジミール・ナボコフ(画像)の1977年の忌日。小説は未読でスタンリー・キューブリック監督、34歳の映画「ロリータ」(1962年)を観る。アメリカの田舎町に下宿する中年の教授ハンバート。未亡人シャーロットは彼を愛するが、その娘ロリータの美しさに心を奪われ、彼女との絆を保つため未亡人と結婚する。やがてシャーロットは事故死し、2人は車で旅にゆく。途中、病気になり、病院へ。ハンバートが気が付くと、ロリータは失踪している。3年後、ロリータから妊娠して、金に困っているという知らせが届く。再会するが、ハンバートはロリータが失踪した本当の理由を知る。ロリータはクィルティという心理学者に魅かれ、同棲していた。ハンバートはクィルティを殺害し、自殺する。ウラジミール・ナボコフのベストセラー小説の映画化だが、映画の評価としては芳しくない。問題作に主演したスー・リオンは世界中で妖しい写真が氾濫して有名になった。しかし、その後の作品に恵まれず、2度の離婚のあと、コロラドの刑務所で服役中の強盗殺人犯と文通を通して知り合い結婚、話題になる。なおナボコフの小説「ロリータ」は1955年に完成したが、ハインツ・フォン・リヒベルクの1916年の作品にロリータという少女の話がでており、その淵源をうかがうことができる。また谷崎潤一郎の「痴人の愛」(1924年)の淵源は「源氏物語」にかいまみることができる。(7月2日)

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