ドイツ農民戦争
ドイツ農民戦争(1524~1525)。ドイツの南西を中心に起こった大農民一揆。中世末期における古典荘園から純粋荘園への転化、貨幣経済の発展等によって、農民の地位が改善されてくるとともに、自己の基盤である荘園制が動揺してきた領主が、農民に重税を課そうとしたので大規模な暴動が起こった。すでに15世紀末期より16世紀初頭にかけて、ブントシュー(1503)、アルメ・コンラート(1505~1514)などの一揆が起こっていた。
この大戦争のきっかけとして伝えられている事件というのは、ごくたわいもないものだった。戦争は1524年6月23日に勃発するが、そのきっかけはカタツムリの殻だった。ドイツ西南部のシュヴァルッヴァルトの東南隅にあるシュトューリンゲン伯領でのことだった。領主夫人が糸巻きの芯にするためにカタツムリの殻を拾ってくるよう、農民に命じた。ちょうど農繁期にあたっていたので、そんなたわいもないことで大切な時間をつぶすことはできないと、それをきっかけに、日ごろの農民の不満が爆発し、戦争が始まった。
そのころルターによって宗教改革運動が開始されるとその「神の前における平等」の理念は農民の反封建運動に大きな影響を与え、一揆はルターの福音主義と統合しつつ、最初はシューワーベン地方を中心としたが、後はミュールハウゼンを中心に、その波は全ドイツに及んだ。
農民軍の敗勢が始まると、空想的な平等社会を求める暴力的・破壊的色彩が濃くなった。過激化した農民戦争の指導者の一人は再洗礼派のトマス・ミュンツァーであり、領主軍と戦い、敗れて処刑された。ルターは暴力化した農民戦争に反対し、「殺りく暴行をする農民」の鎮圧を領主に説いた。
1年以上も続いた農民戦争は、戦死者と処刑者を合わせると10万人にもなるといわれる悲惨な結末で農民側の惨敗に終わったが、この戦争はドイツの経済発展の停滞を招き、領邦君主による絶対主義体制が強化され、のちのちまでドイツの歴史に大きな影響を与えることとなった。(German Peasants' War)
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