元弘の乱起こる
元弘元年(1331)5月5日、後醍醐天皇の討幕計画が鎌倉幕府に洩れ、日野俊基や僧文観・円観らが捕らえられる。密告者は吉田定房(1274-1338)といわれる。定房は計画を中止するように度々諫奏したが聞き入れられなくて、そのために密告した、というものだった。そして笠置山で旗揚げした倒幕勢力は鎮圧され、後醍醐天皇は隠岐に流される。持明院統の光厳天皇が即位し、元弘の乱は一応終息したかにみえた。しかし、翌年には楠木正成が再度挙兵し、元弘3年には後醍醐も島を脱した。5月8日、新田義貞が鎌倉に攻め入って、鎌倉幕府は滅亡する。
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