古代ローマの凱旋門
凱旋門とは、軍事的勝利を讃え、その勝利をもたらした将軍や国家元首や軍隊が凱旋式を行う記念のために作られた門である。フランスのナポレオンがパリに作らせたエトワール凱旋門(1836年)が有名であるが、これは古代ローマの風習にならったものである。現存する古代ローマの凱旋門は壊されたりしたため、完全な形で残っているものは少ない。古代ローマ時代の凱旋門で、現存する最古のものは紀元前27年に元老院が初代皇帝アウグストスに贈呈したリミニにあるアウグストスの凱旋門である。ローマ市内に現存する凱旋門としてはティッスの凱旋門がある。紀元71年ティッス率いるローマ軍はエルサレムとその神殿を略奪して火を放つ。71年にティッスはローマに戻り熱狂的な歓迎を受ける。ティッスは79年に皇帝になるが、2年後に急死したため。弟のドミティアヌスが次の皇帝となり、すくさま兄の業績をたたえる凱旋門を建立した。カンピドリオの丘の麓に建つセプティミウス・セヴェルスの凱旋門は203年に建立したものです。凱旋門の中でも最大のものが315年にコンスタンティヌス1世が建設したコンスタンティヌス凱旋門です。
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