三鬼忌
水枕ガバリと寒い海がある
(高熱に耐えるため水まくらをして安静にしていた。ふと頭を動かすと、ガバリと水まくらが鳴った。その陰鬱な音は、病人の記憶の底から、広く寒々とした海を思い起こさせ、同時に窓外に冬の大森の海が見えて、なんともいえない不安感が襲ってきたのであった。)
算術の少年しのび泣けり夏
(算数の問題に長い間取り組んでいた少年は、どうしてもそれを解くすべがわからず、ついにシクシクと泣き出してしまった。長い夏の日も傾き、はや夕闇が迫ってきた。)
暗く暑く大群集と花火待つ
(花火大会に集まった大群集。やみの中で花火を待っていると、人いきれとおりからの暑さでむんむんするほどである。自分も今その中のひとりとして、花火の上がるのをじっと待っているのである。)
西東三鬼(さいとうさんき、1900-1962)の忌日。本名は斎藤敬直(けいちょく)。明治33年5月15日、岡山県津山市南新座に生まれる。父は斎藤敬止は郡視学、母登勢。6歳で父を失い、その後は長兄の扶養を受けた。大正8年9月、二人ぐらしをつづけた母の死に遭い、東京の長兄に引き取られ、大正14年、日本歯科専卒業、長兄在勤の関係で12月渡航、シンガポールで開業。しかし、昭和3年済南事変が起こり、日貨排斥による不況とチフスの大患のため休院をつづけ、失意のうちに帰国した。昭和8年、東京神田共立病院歯科部長に就任。昭和9年、32歳の時、患者に俳句会にすすめられて作句に志す。このころ新興俳句の勃興期であった。日野草城、吉岡禅寺洞、山口誓子に師事するが、平畑静塔に誘われて京大俳句に参加する。新興俳句陣の花形となり、「俳句の魔術師」といわれた。昭和15年8月末日、京大俳句事件に絡み治安維持法違反で検挙された。11月起訴猶予となったが、爾来たのしまず、俳句も放棄する。昭和17年、神戸に移る。戦後俳誌「天狼」創刊に加わったが、昭和27年から「断崖」を主宰。昭和37年1月、発病、胃がんで4月1日葉山の寓居で没した(西東忌、三鬼忌)。享年62歳。主な句集は「夜の桃」(昭和25年)「今日」(昭和26年)「変身」(昭和37年)など。
« 鴨長明「方丈記」 | トップページ | あの娘はもういない「スーザン・オリバー」 »
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 中秋の名月(2023.09.29)
- 後拾遺和歌集(2023.09.16)
- 今日は何の日(2023.08.14)
- 剣豪スタア・阪妻没後70年(2023.07.07)
- サディ・カルノー暗殺事件(2023.06.24)
コメント