扶桑略記の編者について
扶桑略記は日本最初の編年体史書で、神武天皇から堀河天皇の寛治8年(1094年)に至る間が記され、仏教関係の記事に重点が置かれている。もと30巻であったが、現存のものは残闕本で、16巻と抄本のみである。「六国史」以下の古史・僧伝・寺社の縁起・氏族志などを参照引用して、各条にその出典を明記している。これらの引用書には現在散逸したものもあって、貴重な史料となっている。編者は延暦寺の学僧皇円(1074年~1169年)といわれている。しかし編者が皇円であるということは「本朝書籍目録」によるが、別の著者とする説も平田俊春、堀越光信、田中徳定らによって最近は出されている。皇円編者を否定する理由は、「扶桑略記」が皇円が20歳そこそこの時の撰述となり、あれだけ多くの資料を渉猟して編むことが可能であったのか、また扶桑略記の根本史料となっている「外記日記」全巻の入手が困難であったこと、などを皇円説否定の根拠としている。堀越は、扶桑略記は藤原師通が主宰者となり、大江匡房を監修者として、惟宗孝言等数名の選者によって編纂されたものであろうと推測している。
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