鴨長明「方丈記」
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし」 1212年のこの日、鴨長明(1155?-1216)が「方丈記」を完成。彼は生涯にわたり五つの大きな災厄を経験した。すなわち、安永の大火(火災)、治承の旋風(風災)、福原遷都、養和の飢饉(水災)、元暦の大地震(地災)である。鴨長明が生きた中世初期は激動の時代で、世間の中にあって心身が片時も休まることがなかった。60歳を数え、すっかり零落した長明が、余生の安心のために導き出した結論は、閑居した上での、天台宗・浄土教の教えに基づいた宗教生活であった。河合神社の禰宜職に就く念願がかなわなかったのがその原因ともいわれるが、京都郊外の日野山の奥に方丈の庵を建て、隠者として一人暮らしの道を選んだ。朝には「法華経」を読誦して罪障を懺悔し、夕には阿弥陀仏の名号を唱え、極楽往生を願ったのである。宗教生活といっても、実に気楽なものであった。「方丈記」によると、もし念仏を唱えるのが面倒で、読経するのにも身がはいらない時は、思うままに休み、怠けるのである。誰もいない一人住まいなので、咎める人もいない。また、仏道修行の一つである無言の行をしなくても、一人で暮らしているのだから、言葉による罪を犯さなくてすむわけである。仏教徒として戒律を守る努力をしなくても、戒律を破る環境ではないので、閑居は好都合であった。(参考:「名言で読む日本史人物伝」学習研究社、3月30日)
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