新聞広告
長瀬富郎(1863-1911)は、明治20年、洋小間物店「長瀬商店」(のちの花王)を馬喰町2丁目に創業したが、間もなく石けんの製造・販売を始め、明治23年に「花王石鹸」を発表した。ちなみに製品名に付けられ、その後社名にもなった「花王」とは「顔を洗う」からとられたものである。また会社のロゴとなっている「月のマーク」もこの時期採用された。当時、国産石けんは輸入石けんとは比べものにならないほど低廉で粗悪なものであったが、「花王石鹸」は、国産初の高級石けんであり、販売方法も当時としては珍しい全国販売を目指していた。
昭和6年3月1日、「新装花王」石鹸発売の全ページ広告が当日の「東京朝日」「国民」「時事」「大阪毎日」「大阪朝日」など新聞各紙に掲載された。その後も花王は、太田英茂(アート・ディレクター)、飛鳥哲雄(デザイナー)、金丸重嶺(写真家)らの才能を結集した宣伝活動により、着実にその業績を伸ばしていった。
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