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2018年2月28日 (水)

春の嵐

天気予報のお姉さんが「3月1日は春の嵐に警戒を!」と。春の嵐と聞けばヘッセの小説を思い出す。春の嵐は英語でspring storm、ドイツ語でFruhlingsturm フリューリングシュトルム。小説の原題は「Gertrud」ゲルトルードは主人公クーンが愛した女性名。ドイツ・オーストリアに多い名であの女スパイ「マタ・ハリ」の本名もマルガレーテ・ゲルトルート・ツェレという。「春の嵐」は翻訳家高橋健二の創案らしい。「自分の一生を外部から回顧してみると、特に幸福には見えない。しかし、迷いは多かったけれど、不幸だったとは、なおさら言えない。あまりに幸不幸をとやこう言うのは、結局まつたく愚かしいことである。なぜなら、私の一生の最も不幸な時でも、それを捨ててしまうことは、すべての楽しかった時を捨てるよりも、つらく思われるのだから、避けがたい運命を自覚をもって甘受し、善い事ことも悪いことも十分味わいつくし、外的な運命とともに、偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ、人間生活の肝要事だとすれば、私の一生は貧しくも悪くもなかった。外的な運命は、避けがたく神意のままに、私の上をすべての人の上と同様に通り過ぎて行ったとしても、私の内的な運命は私自身の作ったものであり、その甘さ苦さは私の分にふさわしいものであり、それに対して私ひとりで責任を負おうと思うのである。」

カー娘の心にひびく名言

   平昌五輪も閉幕した。メダル獲得は13個となり冬のオリンピックとしては過去最多。日本選手の活躍を観ながら、兄弟姉妹で参加しているケースが多いことに気づく。スピードスケートの高木菜那と美帆、カーリングの吉田知那美と夕梨花、両角友佑と公佑など。メンタルが勝負の競技にあって、兄弟姉妹が一緒というのは安心感があるのだろうか。

   とくに帰国後の会見でもカー娘は終始笑顔が絶えない。この活躍の立役者は試合は補欠だったマリリンの愛称で親しまれる本橋麻里にある。2010年、チーム青森を脱退し、北海道北見にロコ・ソラーレを設立した。そして長野の中部電力にいた藤澤五月を移籍させてチームを強化させた。27日夜LS北見チームが地元の空港に凱旋した。大勢の子供たちがいて、マリリンは「北見にこんなにたくさんの子供がいて驚いた」とコメント。吉田知那美は「正直この町何もないよね」と会場を笑わせた後、続けて「この町にいても絶対夢はかなわないと思っていた。だけど今はこの町にいなかったら夢はかなわなかったと思う。みんなもたくさん夢はあると思うけど、大切な仲間や家族がいれば夢は叶う。場所なんて関係ない。」いろんな人のスピーチがあるけど、このような心に響く素晴らしいスピーチは聞いたことがない。これからカーリング人気は一過性なものではなくきっと定着すると思われる。LS北見チームは3月17日からカナダのノースベイで開催する女子カーリング選手権大会に参加する。

岳飛

   中国南宋の武将。1103-1141。南宋を攻撃する金(女真族)に対して幾度となく勝利を収めたが、金との和平を主張する秦檜に謀殺される。のち無実が明らかとなって、民族的英雄として「岳飛廟」に祀られて現在も参詣する人が絶えない。

2018年2月26日 (月)

日本の「補陀洛渡海」信仰

Photo   和歌山県の那智勝浦に補陀洛山寺がある。同寺では毎年、立春大護摩祈祷会に合わせて節分を前にして、一足早い豆まきが行われる。今年も1月27日に行われた。補陀洛とは遙か南方海上にあると信じられた山である。中世の観音信仰の1つで、熊野の那智権現には補陀洛山寺がある。補陀洛渡海といって、寺の住職は61歳の11月に観音浄土をめざして生きながら海に出て往生を願う渡海上人の慣わしがあった。補陀洛というと熊野のほかに有名なのが栃木県の日光である。それにしても、なぜ北関東の一山である男体山が補陀洛山とされたのか不思議である。782年に勝道が開山したときは補陀洛山(ほたらやま)と称した。いつしか「フタアラ」ないし「フタラ」と呼ばれ、弘法大師が二荒山(にこうさん)と呼んだことから、人々も二荒(にこう)、日光となったといわれる。

参考文献

根井浄「補陀洛渡海考」 2001年

神野富一「常世と補陀洛」 甲南国文51号、2004年

江戸時代に盛んだった庚申請の行事

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  インドの三猿

 「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿といえば、日光東照宮の彫刻を思いうかべる。しかし、三猿をかたどった造形は世界各地に分布している。猿の棲息する東南アジアやインドやアフリカはもとより、猿のいないヨーロッパや朝鮮半島にも、さまざまな三猿像が広まっている。インドが発祥地と考えられるが、宗教というよりも、「見ざる、聞かざる、言わざる」は民間に流布した一種の道徳であり、処世訓である。この考えを猿の姿をとおして表現したのは、もちろん日本語の否定形の「ざる」が動物の「猿」と同音であることによる。しかし、このことは三猿の日本起源を証明するものではない。

    日本における三猿の代表は、日光東照宮にある木彫の三猿である。徳川家康を大権現として祀る霊廟に、三猿が飾られているのは、この場所が厩(うまや)に当たるため、猿が火伏(ひぶ)せの力を持つこととなって、東照宮を火から守っているのである。さらに、天台宗の僧で、東照宮を建立した天海大僧正の主張により、家康の葬儀は山王一実神道によって執り行われた。すなわち天台宗と結びつきの深い、山王の象徴としての神猿に近い役割を、日光の猿が持っているのである。

    もうひとつの起源として庚申信仰をあげることができる。庚申は「かのえさる」とも読み、その連想から江戸時代初期以降、猿が庚申塔に刻まれるようになったらしい。庚申は道教に端を発する民間習俗である。60日毎の庚申の日に、人びとが集まり飲食歓談し徹夜するのは、体内から三尸の虫が抜け出し、天帝に悪事を報告し、寿命を縮めてしまので、それをさせないためである。庚申講を地域社会の寄り合いとして利用していたところもあり、そこでは「見ざる。聞かざる、言わざる」は仲間どうしの掟にもなっていた。

  「論語」のなかには、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」というくだりがある。実際、中国では、母は胎教にあたって「目は悪色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は傲言を出さず」といましめられている。このように日本の三猿のルーツのひとつは道教にあり、もうひとつには儒教があげられる。しかも、それが日本では天台系の仏教の影響下に定着し、猿にかかわる民間信仰とも結びついていた。

    ところが、今日の世界各地でみられる三猿には宗教的な色彩はうすい。むしろ装飾品や日用小物として使用されるものが圧倒的多数を占めている。しかも、ヨーロッパやアフリカには「見ろ、聞け、言うな」あるいは「見ろ、聞け、言え」という三猿もすくなくない。また、四猿や五猿の組み合わせも存在する。日本の郷土玩具のなかにも、「不為さざる」あるいは「不思わざる」の猿が加わり、四猿や五猿の玩具もみられる。五猿は、猿がゴザル、福がゴザルに通じ、護猿(守りサル)としても験をかついでいる。さらに、「見てみたい、聞いてみたい、言ってみたい」と人間の本音を具象化した逆三猿の玩具まである。ともあれ、三猿の起源はいまだ十分に解明されていない。(参考文献:中牧弘允「世界の三猿」東方出版)

2018年2月25日 (日)

春はもうすぐだね

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  日本各地はまだまだ厳しい寒さが続く。でも、プロ野球のオープン戦が行われ、Jリーグも開幕。平昌五輪も25日が閉会式。女子カーリングがカーリングの発祥国イギリスを破り銅メダルを獲得したことは快挙だ。春の足音が聞こえる。

2018年2月23日 (金)

西郷の最初の妻、須賀の離縁後の人生は謎

   大河ドラマ「西郷どん」。吉之助と伊集院須賀は嘉永五年に結婚、このとき須賀は20歳前後といわれる。美人だったが、嫁入りした年に西郷家に不幸が重なり「不吉な嫁」と噂される。そんな時、ペリーの黒船が来航し、西郷は島津斉彬に抜擢され江戸に出立。五人の弟妹の面倒をみながら、西郷家の留守を守った須賀であったが、その貧窮さを見かねた伊集院兼善が、須賀を引き取ったのは嘉永七年の年末頃とされる。結婚生活はわずか2年であり、須賀のその後の消息はわからない。明治以降も生存したと思われるので戸籍を調査すれば判ると思うが・・・。ウィキペディアによると生年は天保3年(1832年)4月とあるが没年不詳。参考:「平成新修旧華族家系大成」

ヘッドライト

   本日のBSプレミアム「ヘッドライト」(1955年)。人生に疲れた中年の長距離トラック運転手ジャン・ギャバンと大衆食堂で働く若いウェイトレスとの出会いと哀しい恋の行方。病死するクロチルドはフランソワーズ・アルヌールが演じる。当時日本でも大人気女優だった。ギャバンの娘ダニー・カレルも可愛い。ルネ・クレールの「リラの門」に出演していた。フランソワーズ・アルヌールもダニー・カレルもご健在のことでうれしい。仲代達矢と藤谷美和子でリメイクしたこともある。

2018年2月22日 (木)

エーメンの歌

   NHKあさイチに指揮者の小澤征爾が出演している。おそらくこれは再放送の映像か。クラシック以外に好きな音楽は、と聞かれて、「エーメン、エーメン」と手拍子を取りながら歌い出した。普通なら周りの者も応じて唱和するただろうに、イノッチも有働アナもこの歌を知らないらしく音楽にのってこない。曲は、ゴスペルソングで、キリスト教徒が祈りの最後に唱えるヘブライ語の言葉で「エイメン(そうなりますように)」という意味。1963年のシドニー・ポアチエ主演の「野のユリ」での感動的なシーンで使われている。1961年に渡米した小澤が指揮者として活躍してその名が全米で知られるようになった頃に流行ったので本人にとって想い出深い一曲だったのだろうか。

古代エジプトの「生類憐れみの令」

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 古代エジプトでは猫もミイラになった(大英博物館)

  人間と最も身近な動物といえば、まず「ネコ」である。2月22日は「猫の日」。野生の猫は、5000年も昔に、最初は穀物をネズミの害から防ぐ目的などで飼い馴らされたらしいが、のちにこまやかな情愛を注がれたペットとしての家猫が現れる。

    大河ドラマ「平清盛」には白河法皇が仏教の教理に従って殺生を禁じているシーンがある。「生類憐れみの令」のような禁令は徳川綱吉が初めてではなかった。古代エジプトにも、猫を殺すと死刑にされるという時代があったそうだ。猫の頭をもった女神バステトBastedがいる。ブバスティスでは猫のミイラが多数出土し、古代エジプトでは猫を家畜化する一方で、神として崇拝するようになったことが明らかになっている。ヘロドトスによれば、「猫が死ねば、家人は悲しみを表明するために眉を剃り落とし、死体をミイラにして手厚く葬る。・・・・火事の際には、真っ先に猫を助けなければならない」と記している。こうした猫崇拝が盛んだったのは紀元前16世紀から紀元前11世紀の新王国時代や紀元前6世紀のときが最盛期で、前525年、ペルシアのカンビュセス2世は最前列に猫を配してエジプトを攻め、矢を放つことができないエジプト軍は滅ぼされてしまったという。(本当の話とは信じ難いが)西洋の諺に「A cat has nine lives.」(猫には九生ある)とある。この起源は古代エジプトで、猫は9つの魂を持ち、9度生まれ変わることができると信じられている。当時流行のライオン狩りなどのスポーツも不信心な行いとしてみられ、バステトの祭りの期間中は禁じられていた。

2018年2月20日 (火)

小林多喜二と志賀直哉

    本日はプロレタリア文学の代表的な作家、小林多喜ニ(1903-1933)の命日。多喜二が奈良にいた志賀直哉を訪問した時、志賀は「麻雀か将棋でもしないか」と誘ったが、多喜ニは両方とも趣味がないと言ったという。志賀は当時の文士なら必須の趣味を多喜ニが知らないことに驚いたという。多喜ニとほぼ同世代の小林秀雄(1902-1983)も志賀直哉を敬愛していたが、多喜二とは大きく違って秀雄は恵まれた文学的環境だった。秀雄は昭和3年5月頃から、長谷川泰子と別れて、奈良の志賀家に出入りしている。おそらく小林秀雄は志賀直哉と将棋を指していただろう。

    小林多喜ニが志賀家を訪れたのは、昭和7年春ごろであろうが、翌年の2月20日、正午すぎ赤坂福吉町で今村恒夫と共に築地署特高に逮捕され、激しい拷問の末に虐殺された。志賀は、弔文と供物をよせ、25日の日記に「暗澹たる気持になる。不図彼等の意図、ものになるべしという気する」と記している。

    今日、プロレタリア文学といえば、前田河一郎の「三等船客」、葉山嘉樹の「海に生くる人々」、徳永直の「太陽のない街」、そして小林多喜ニの「蟹工船」が挙げられる。しかし多喜ニの文学的出発は、志賀直哉に私淑して本格的に小説を書き始めたことはよく知られている。最も初期の私小説的な題材から、「政治と文学」に覚醒した多喜ニの文学的軌跡を研究することの現代的意義は大きいものがある。戦後文学、とくに芥川賞受賞作品を代表とする現代文学が内面的なものや感受性を重視し、国家や社会という現実の重みや虚偽の深さにあまり目を向けなくなったのは、敗戦の影響が強くあるのだろう。志賀直哉に代表される「個人中心の文学」と小林多喜二に代表される「社会(国家)中心の文学」とが、さらに高次な段階にあって総合されることをひそかに望んでいる。

2018年2月18日 (日)

頼山陽、母を奉じて吉野に遊ぶ

9784198934361    頼山陽は広島の人で京都に住んだ。母と吉野の桜を見た故事逸話は有名であるが、出典がなかなか見つからない。ただ「山陽詳伝」(渡部主一編)iに収録する森田益の一文がある。

    頼山陽、嘗て母を奉じて吉野に遊び、一目千本に至る。桜花爛漫として雲の如し。母大いに喜びていわく「今にしてわが願ふに足れるなり」と。山陽、平生喜うんの情あらわさず、ここにおいて喜び顔面に溢れて いわく、「ああ母の一言、まさに宰相になるに勝る」と。

    頼山陽は母と一緒に吉野だけでなく、全国各地を数多く旅行しているようである。なぜ古来よりこの故事・逸話が好まれるのだろうか。桜という景色の日本的な美しさとはなやかさはもちろんのことであるが、それが親孝行の話と一体となって、とくに親を亡くしたものには、たまらない懐かしさを感じさせられるのではないだろうか。

2018年2月17日 (土)

フィギュアスケートの歴史

   平昌五輪男子フィギュアスケートで羽生結弦が金、宇野昌麿が銀を獲得。サンモリッツ・オスロと二大会連続金メダルのリチャード・パットンは羽生を「信じられないくらいすばらい」と絶賛した。フィギュアスケートは19世紀中ごろ、バレエ教師のアメリカ人、ジャクソン・ヘインズがバレエのポーズやタップとステップを取り入れ、音楽と合わせて滑走したことで普及するようになった。ヨーロッパではウィーンてにシュトラウスやモーツァルトの音楽に合わせて滑走する大会が開催される。1882年ウィーンで最初の国際大会が開催された。第一次世界大戦後、ノルウェーの女子シングルでソニア・へニーが世界的な人気者になった。ソニアはその後ハリウッドで映画スターとして成功した。日本では戦前の稲田悦子、戦後の佐野稔らが現れたが、五輪メダリストは実現できなかった。近年、伊藤みどり、荒川静香、浅田真央、高橋大輔ら世界レベルの選手が活躍するようになる。羽生の五輪連覇は国民栄誉賞に十分に価する歴史的快挙といえる。

西郷とジョン万次郎

   大河ドラマ「西郷どん」第6回「謎の漂流者」西郷が藩主島津斉彬を相撲で投げ飛ばしたため牢屋に入れられる。獄中で謎の男に出会う。土佐の漂流民でアメリカから帰国したジョン万次郎である。鎖国していた日本、一時期薩摩で取り調べを受けた。嘉永4年(1851年)のことである。本当に西郷隆盛と中浜万次郎とは出会っているのだろうか。いろいろと資料をみたが、二人の直接的な接点は見当たらず、面会した記録はない。作り話か。島津斉彬には海外新知識を伝えたらしい。

2018年2月16日 (金)

魔性の女「カルメン」

Superviacarm   男を破滅させる魔性の女。「ファム・ファタール」とは直訳すると「運命の女」という意味だが、文学におけるファム・ファタールは、アベ・プレヴォーによって1731年に発表された「マノン・レスコー」である。しかし1845年にフランスの作家メリメが発表した「カルメン」が歌劇となり、最も魔性の女を代表するヒロインとなる。ビゼーによってオペラ「カルメン」が作曲されて、1875年にパリのオペラ・コミック座で初演されて以来、世界中でこの150年間、歌劇、ミュージカル、映画などあらゆるジャンルで最も数多く演じられたヒロインは「カルメン」をおいて他にない。「粋な姿の小柄で、情恣的な大きい目に、ときには凶暴な色をたたえる」ジプシー女とメリメの小説には描かれる。第一次世界大戦中、国際的に有名になったのはコンチーヌ・スペルビア(1895-1936)だった。愛らしい丸顔、コケティッシュな演技力と今日でもファンが多い。

 

Annex2020hayworth20rita20loves20of2   サイレント映画ではジェラルディン・ファラー、セダ・バラ、エドナ・パーヴァイアンス、ポーラ・ネグり、ラケル・メレ、ドロレス・デル・リオがある。トーキーになってマルグリット・ナマラ、インペリオ・アルヘンティーナ、ヴィヴィアンヌ・ロマンス、リタ・ヘイワース(画像)、マルーシュカ・デートメルス、ラウラ・デル・ソル、ジュリア・ミゲネス・ジョンソン、アグネス・バルソアなどの女優たちが妖艶さを競った。

 

Carmenjonesdorothydandridge1954    カルメン女優史でアカデミー賞にノミネートされた女優がいる。ドロシー・ダンドリッジ(1922-1965)は「カルメン」(1954)で注目されたが、当時ハリウッドは黒人差別が強く残っていた。オードリー・ヘプバーン、グレース・ケリーがアカデミー賞を獲得する。ドロシーはイタリア映画に出演したり、クラブ歌手となるも次第に生活が苦しくなり、貧困のうちに1965年、安アパートで孤独死する。ハリー・ベリーは「アカデミー栄光と悲劇」(1999)でドロシーを演じた。最新の「カルメン」(2003)のパス・ヴェガ。

 

 

 

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グラディス・スウォーザウト ジュラルディン・ファーラー            

 

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セダ・バラ 1915        ヴィヴィアーヌ・ロマンス  

 

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 クリスタ・ルートヴィヒ     レジーナ・レズニック  

 

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 ジュリエッタ・シミオナート  
 ポーラ・ネグリ 1918 

 

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ドロレス・デル・リオ 1927   ジェニー・トゥーレル

 

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ラウラ・デル・ソル 1983     パス・ヴェガ 2003 

 

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マルグリット・ナマラ 1932 ユッタ・レフカ 1967
 

 

 

2018年2月14日 (水)

イエス・キリストの映画

   プレミアム・シネマでピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「奇跡の丘」(1964)を観る。名高い作品ながら私は初見である。これまでハリウッドの「偉大な生涯の物語」などキリスト映画は数本みたが、「奇跡の丘」は最高である。無名俳優をつかい衣裳やセットはシンプルにしてギリシア古典劇をみるような無表情なドキュメント風タッチでヨハネによる福音書の物語が進行する。無神論者のパゾリーニ監督だからむしろ製作できたのであろう。抽象的でも難解な代物でもなく、聖書の名句が一語一語よく表現されており、理解しやすい。これまでキリストを演じた俳優といえば、「偉大な生涯の物語」のマックス・フォン・シドー、「キング・オブ・キングス」のジェフリー・ハンターが知られる。「奇跡の丘」でキリストを演じた青年エンリケ・イラソキは当時スペインの学生で素人。現在74歳で存中である。

2018年2月12日 (月)

愛のタリオ

   チョン・ウソン主演の韓国映画「愛のタリオ」。田舎町に小説講座の講師としてやってきた作家のハッキュ。町の少女ドク(イ・ソム)とすぐに男女の関係になるハッキュだが、彼には妻子がおり、セクハラで大学を追われた。やがて大学への復職が決まり、ハッキュはドクを捨てて都会へ戻る。このときドクは妊娠していた。ドクの復讐がはじまる。妻は自殺、娘は売り飛ばされ、ハッキュは失明する。狂気と情念、韓国映画のエロスとパワーが全開している。原作は「沈清伝」という古典を現代風にアレンジたもの。英語題はscarlet innocence、邦題の「愛のタリオ」は秀逸。タリオ(talio)とは古代の刑罰規定の1つで、ハムラビ法典で「目には目を、歯には歯を」とあるように被害者が受けた害を加害者に与えられる制裁権のこと。

 

 

2018年2月11日 (日)

デカルトとクリスティナ女王

   ルネ・デカルト(1596-1650)はスウェーデンのクリスティナ女王(1626-1689)の熱心な招聘を受けた。デカルトの親友シャニュ(1601-1662)がストックホルム駐在のフランス大使で女王にデカルトを売り込んだのだ。その19歳の若い女王はデカルトの「愛についての書簡」を読んで感動した。デカルトは寒い国に行くことは気がすすまなかった。しかし強引な女王は軍艦までよこして招聘につとめたのでさすがのデカルトも無碍に断われなくなった。1649年9月オランダを出発し、10月、ストックホルムに着いた。厳冬早朝の講義は、ひ弱で、朝寝の習慣を持っていたデカルトにとって身にこたえるものであった。1650年2月2日、デカルトは病気になった。風邪から肺炎にかかって2月11日早朝、あっけなく54歳の生涯を終えることになる。

2018年2月10日 (土)

望郷のモロッコに雪は降るのだ

   昨晩は平昌五輪の開会式をテレビで視聴する。4年後の北京大会は生きて見れるだろうか。冬季五輪は1924年に第1回がフランスのシャモニー(参加国16ヵ国)で開かれ、第23回の韓国・平昌大会は史上最多の92ヵ国・地域が参加する。選手団の入場順は、先頭がギリシャ。続いて、ハングルでの国名表記順で行進が行われ、日本はインドに続いて62番目に入場した。多くの日本人選手が体調管理優先で不参加のなかでジャンプの高梨沙羅の笑顔が見れたのは印象的だった。旗手はジャンプの葛西紀明選手。最後の91番目は韓国と北朝鮮が朝鮮半島旗の下、合同で入場する光景も感動的だった。聖火台点灯者はやっぱりキム・ヨナ。ともかく五輪の開会式は世界地理の勉強にもなる。NHKの実況でアナウンサーがモロッコの雪とか香港の旗の話を誤報していた。モロッコを漢字では摩洛哥と書くが、映画「望郷」や「カサブランカ」のイメージでサハラ砂漠=暑い、という印象がある。国土面積は日本よりだいぶん広く4000m級のアトラス山脈が走っているので真冬には山岳には積雪している。砂漠地帯も昼夜の寒暖差が大きくて、夜は寒い。ハンフリー・ボガードやバーグマンがコートを着ていたのもそのためだ。常夏の島のイメージがあるハワイのマウイ島でもたまに雪が降ることがある。

彜族

   彜族(いぞく)とは中国西部に居住する少数民族。雲南・四川・貴州に住み人口は871万人といわれるが、ラオス・ミャンマー・ベトナムにも住む。古姜の子孫で、南詔王国を建国した烏蛮族が先祖とも言われる。「彜」という漢字は宗廟に供える祭器であるが、漢語「彜倫(いりん)」のように「道徳」の意味がある。しかし清朝時代、彜族に対して漢字を充てたのは尊敬の意味ではなく差別的意味が含まれていたともいわれている。

2018年2月 8日 (木)

平昌五輪開幕

   平昌五輪開会式は明日からだが競技はもうはじまっている。カーリング新種目、混合ダブルス。午前9時5分一次リーグ韓国対フィンランド戦。開催国韓国が9-4で圧勝発進。カーリング競技は15世紀のスコットランドで始まった。現行のルールは主に19世紀のカナダで確立した。競技名は、ストーンの曲がり(カールし)ながら進むことに由来する。国際大会で使用されるストーンは、主にスコットランドのアルサクレッグ島産の花崗岩から製造される。ほかの産地の石では密度と強度が足りず、割れてしまうことがあるからだ。つまり特別製品なのでお値段のほうもとてもお高い。石ひとつ10万円くらいする。Ailsa Craig

2018年2月 5日 (月)

荒尾高校暴動事件

   熊本県立荒尾高校は1948年に創立した。1956年9月23日の運動会の終了後、男女の生徒たちがファイヤーストーム(無礼講)をはじめた。教師がやめさせるようとすると怒り生徒200人は校舎のガラスを割り投石しピケを張り大暴れした。25日、校長は生徒たちに反省を促したが、あくまで教師の非を唱えて暴動騒ぎが再発した。校長は警察に通報して午後11時前にようやく鎮静した。11月5日学校側は全校生徒870人のうち退学者4人を含む437人の処分を発表した。納得いかない生徒は集結し、またもや3日間の臨時休校になった。この荒尾高校の暴動事件は戦後教育史にも年表などに記されるものであるか、その事件の背景や暴動の目的・理由などの真相がいまひとつ判明しない。新聞などの世論は学校に非難が集中し、処分の軽減と校長の退職、全教師への行政処分で収拾された。現在、荒尾高校という名前の学校は存在しない。2017年3月1日閉校し、新しく県立岱志(たいし)高校として2015年より開校されている。

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