ピョートル大帝
1724年の晩秋のある日、兵士と水兵を乗せたボートが浅瀬にのりあげるという思いがけない出来事が起こった。救助隊がどうすることもできないのを見ると、ロシア皇帝ピョートル1世(大帝)はなんとみずから腰まで冷たい海に浸りながら、ボートを動かした。ピョートル大帝は身長2メートルを超える巨体で、腕力も人一倍強かった。だがこれがもとで肺炎にかかり、翌年1月28日に死去する。
ピョートル大帝(1671-1725)は、若い頃、西ヨーロッパを遊歴して西欧化に努めた。また、北方戦争でスウェーデン王カール12世を破り、バルト海進出の初志を貫いた。ぺテルブルクの建設。ネルチンスク条約で清・ロシア間の国境を定めた。その多くの事業はエカテリーナ2世によって受け継がれた。女帝は、1782年ぺテルブルクのデカブリスト広場に、馬にまたがるピョートル大帝記念碑を建てた。この像は、のちにプーシキンの詩にうたわれて以来「青銅の騎士」と呼ばれるようになった。(PyotrⅠ)
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