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2018年1月13日 (土)

トルコ革命とパレスティナ分割

   第一次世界大戦後、敗戦国トルコと連合国との間にセーブル条約が結ばれた。その結果、トルコは領土の4分の1を失って小アジアの小国に転落した。これに対して、進歩派の国民党は条約に反対してケマル・パシャを中心に革新的民族運動を展開した。そこでトルコの復活を恐れたギリシアは、イギリスの支持のもとにトルコ・ギリシア戦争をおこしたが、トルコはフランスとソ連の支持を得て勝利をおさめ、1923年にローザンヌ条約を成立させた。その結果、トルコは治外法権の撤廃と関税自主権を列国に承認させ、セーブル条約の一部改訂に成功した。また1936年には列国との間にモントリオール条約を結んで、ダーダネルス海峡の主権を回復した。ケマルは同時に国内の改革にもあたった。1922年スルタン制の廃止、政教分離を実行し、翌1923年には共和制を樹立してケマルが初代大統領となる。太陽暦・メートル法・アルファベットの採用、男性のトルコ帽フェスや女性の顔を覆うベールの禁止など、西洋化政策を進めた。中東のユダヤ人は、19世紀以来パレスティナに民族国家を建設しようとシオニズム運動を展開していた。これに対して、イギリスの外相バルフォアはユダヤ人の資金を得るため、大戦の建国を約束するバルフォア宣言を発した。このため、ユダヤ人のパレスティナ移住がさかんとなった。しかし、イギリスは一方でパレスティナのアラビア人にも独立を与える約束(マクマオン宣言)をしていたので、戦後ユダヤ民族とイスラエルのアラブ民族はこの地で激しい反目をつづけることとなった。第二次世界大戦後、国連の仲介によって1948年ようやくイスラエル共和国が建国され、ユダヤ人の多年の宿願は達成された。これに反発したエジプトなどアラブ諸国との間にパレスティナ戦争がおこり、その紛争は現在も続いている。

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