日本とイタリア
今年は明治維新150年。維新はフランス革命のようなものではなく、むしろ歴史の進展からみると、日本とイタリアとはよく似ているといわれる。少子化の原因が貧しさにあることも共通している。両国の近代史が共通している。たとえばヴィットリオ・エマヌエレ2世を明治天皇、マッツィーニを吉田松陰、カブールを大久保利通、ガリバルディを西郷隆盛に当てられる。大きく違うところは第二次世界大戦でイタリアは王制は廃止されたが、日本の天皇制は残ったところである。大河ドラマ「平清盛」で「王家」という言葉に非難があったという。NHKとしては近年研究された歴史用語「王家」を使用したが、国家主義的傾向が強くなった日本では天皇家を王家と呼ぶことにアレルギー反応があったようだ。イタリアと日本がなぜダメなのか、原因を検証することはなかなか難しい。小さな多くの歴史事実を小石のように積み重ねていくしかない。フランチェスコ・クリスピ(1819-1901)という政治家がいる。日本の高校世界史ではその名前が出てこないが、実は重要人物である。その長い政治家としての生涯は我が国に匹敵する人物が見当たらない。一応、ガリバルディを補佐した人物とみなされているが、西郷は西南戦争で死なずに勝利して、桐野利秋が首相になったものである。イタリアのリソルジメントと日本の明治維新が違うのは、西南戦争を分岐点とするのであろう。両国とも帝国主義国家をめざずが、持たざる国として国民の犠牲のうえに国家が成立しているところは共通している。貧しく災害の多い国であるがゆえに民族紐帯の結束を強固とし、国民の犠牲のうえにたえず国家主義的傾向を強めようとする性格が濃い。
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