ミスワカナ
朝ドラ「わろてんか」には実在のモデルがいる。葵わかなが吉本興業の創業者吉本せいであるが、高橋一生は小林一三のようだ。キース&アサリは横山エンタツと花菱アチャコであることも風貌からわかる。ただし実際はアチャコのほうが大柄だったが。さて問題は広瀬アリス演じるリリコであるが、ミスワカナである。これから玉松一郎と漫才コンビを組んで、その美貌でエンタツ・アチャコを凌ぐ人気者となる。昭和21年10月14日阪急西宮北口駅のホームで心臓発作を起こして急死した。享年36歳という。
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朝ドラ「わろてんか」には実在のモデルがいる。葵わかなが吉本興業の創業者吉本せいであるが、高橋一生は小林一三のようだ。キース&アサリは横山エンタツと花菱アチャコであることも風貌からわかる。ただし実際はアチャコのほうが大柄だったが。さて問題は広瀬アリス演じるリリコであるが、ミスワカナである。これから玉松一郎と漫才コンビを組んで、その美貌でエンタツ・アチャコを凌ぐ人気者となる。昭和21年10月14日阪急西宮北口駅のホームで心臓発作を起こして急死した。享年36歳という。
栃ノ心剛史。愛称は角界のニコラス・ケイジ。本名はレヴァニ・ゴルガゼ。四つ身になった時の強さは相撲通なら知っているものの誰が栃ノ心の優勝を予想しただろう。インターネットのテレビ中継で故郷のジョージアでも歓喜の声があがった。実家は首都トビリシから約30キロ離れた人口約1500人の地図にも見えない小さな村、ゼグビという場所らしい。ウィキペディア情報では世界遺産で知られるムツヘタとなっているが、正確に言えばゼグヴィ村の出身である。幼少期に栃ノ心に柔道を教えたコーチのギビ・イシハニシビリさんは「子供の頃から練習熱心で強かった。こんな小さな村から相撲の優勝者が出た。村の誇りだ」と語っている。
大相撲初場所。西前頭3枚目の栃ノ心が、今日の松鳳山戦に勝てば優勝が決まる。2012年夏場所の旭天鵬以来の平幕優勝となる。▽カナダ製薬会社の創業者で大富豪のシャーマン夫妻が昨年12月に自宅のプール付近で死亡した事件は、当初無理心中とみられていたが、法医学者と殺人課刑事を含むチームが調査した結果、これを殺人事件と断定した。ドラマ「アンナチュラル」はリアルな話だ。
本日、宝塚も大雪と寒波襲来。▽26日、韓国の慶尚南道の東部にある密陽市にある世宗病院で出火。41人が死亡し、77人が重軽傷を負った。▽センバツ出場校が発表される。21世紀枠は由利工(秋田)、膳所(滋賀)、伊万里(佐賀)。▽照ノ富士の来場所の十両陥落が確実となった。昭和以降で大関から十両まで番付を落としたのは、大受、雅山、把瑠都と過去3人いる。
ウガンダといえばウガンダ・トラを思い出す。芸名は、容貌がアミン大統領に似ていたからで、それ以外にウガンダとの接点はない。赤道直下の国ウガンダは1962年10月9日、イギリスから独立した。1971年、軍司令官アミンがクーデターで政権を掌握。独裁下で反対派30万人が虐殺される。1979年にアミン大統領が失脚し、内戦が続く。1986年1月26日、国民抵抗運動が首都カンパラを制圧し、ヨウェリ・ムセベニが大統領に就任した。この日を記念し解放記念日としている。1996年に初めて直接選挙制による大統領選が実施された。同年には反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)」はダル南東の町アボケで、寄宿学校を襲撃し女生徒139人を誘拐した。そのうち17人の少女は幹部の愛人となり、他122人は生き埋めされた。LRAは80年代後半から現在まで推定約2万人の子供たちを拉致している。(10月9日,Uganda,Aboke)
江戸後期、蝦夷における幕府直営の貿易船。船体が赤く塗られていたのでこの称がある。蝦夷貿易の官営は1799年から1821年の間行なわれ、はじめは45隻の赤船があったが、その末期には難破・漂流などのため残ったものはわずかで、1813年民間に払い下げられた。
アンドレ・ジイドの「一粒の麦もし死なずば」の一節に次のような話がある。
僕の級も学校も二つの党派に分かれていた。カトリック派とプロテスタント派だ。アルザス学校へ入学して初めて、僕は自分がプロテスタントだと知った「貴様はカトリックか?それとも新教か?」これ等の奇異な言葉を生まれて初めて耳にしたので、完全にあっけにとられて、僕はそれが何のことか解らないと答えた。中に1人、親切な生徒がいて僕のために説明の労を取り、「聖母マリアを信じるのがカトリックだよ」と教えてくれた。それをきくと僕は叫んで云った。自分はプロテスタントに相違ないと。小さな痩っぽちの、今まで黙っていたのが、急に叫んで云った。「僕の父は無神論者だよ」偉そうな調子で言われると、皆が当惑してしまった。
16世紀後半、カトリック教徒とユグノーと呼ばれたプロテスタントとの間で激しい戦争が行われた。有名な「サン・バルテルミの虐殺」という大量虐殺が行われたのもこの頃である。アンリ4世がナントの勅令を発して戦いはようやく終結したが、17世紀を通じてプロテスタントに対する圧迫はやまず、その結果、フランスではプロテスタントは減少した。現在、フランスではカトリック教徒は約80%以上であり、プロテスタントはわずか数パーセントにとどまり、ほかに若干のユダヤ教徒、イスラーム教徒がいる。さきごろフランス上院では、ブルカ禁止法が欧州で初めて成立した。
1792年8月以降、パリでは反革命派狩りが起こった。当時、アベイ、カルムその他の牢獄には約500人が収容されていた。そのほとんどは聖職者であったが150人ほどが殺害された。虐殺は数日間つづいた。ある牢獄では優美をうたわれたランバール公爵夫人が無残に殺された。群集は彼女の遺骸から衣裳をはぎとり、彼女の首を槍先にさしてマリー・アントワネットにみせつけたといわれる。
地質構造発達史は、古い順にアーケオテクトニクス時代、パレオテクトニクス時代、メソテクトニクス時代、ネオテクトニクス時代に区分されている。日本で、化石によってわかっている最古の地層は、旧古生代のシルル紀中期のもので4億2000万年より前のころである。
しかし北上山地ではこの地層よりも古いといわれる花崗岩体がある。また、西南日本外側の紀州・四国・南九州などでは、ある細長い構造体の中にシルル系と共に分布し、シルル紀以前ら変成したと判断される高度変成岩類がある。しかしウェブで「アーケオテクトニクス」と検索してもほとんどヒットしないことから、現在の地学用語で使用されているかどうか疑問である。 Archeotectonics
タブー(taboo)という言葉は、今日「禁忌」という一般的概念として用いられているが、元来ポリネシア語で、ta(印をつける)とpu(強さを示す副詞)が結合して、「はっきり印をつけられた」とか「くぎられる」を意味する言葉であった。そこから派生的に「神聖」とか「禁止される」という概念が生まれたのは、18世紀にジェームス・クック(1728-1779)が西洋人として初めてこの語を記述し、ビクトリア朝時代のイギリス社会に輸入されるようになった。
キリスト教とイスラームで宗教的タブーの大きな相違点は禁酒への考え方である。一般的にキリスト教では大酒は禁じているものの、聖書時代からブドウ酒などは容認している。これに対してイスラームではタブーの中でもとくに厳格に、ハムル(アルコール度の高い蒸留酒、ブドウ酒など)を禁じている。これは、イスラム圏の大部分はブドウが取れず、手に入れるには異教徒から高価を払い輸入しなければならなかった、という経済的な理由があったからだと考えられている。
(James Cook)
現在、地球上には約70億人以上の人びとが村落や都市に居住しているが、その居住は陸地のすべてではない。人間が常に居住し、生活している地域をエクメーネ、無居住地域をアネクメーネとよび、エクメーネは全陸地の88%を占めている。人類は先史時代から、しだいに、その居住地域を拡大していき、歴史時代に入るころには、すでに現在の居住域にほぼ住み着いていたと考えられる。太平洋上のアイスランドは8世紀に、アゾレス諸島、マデイラ諸島、ベルデ岬は15世紀に、バミューダ諸島は17世紀にエクメーネとなった。氷で覆われたグリーンランド。この地名の由来はアイスランドを命名したエイリーク・ソルヴァルズソンが、入植者を募集したがちっとも集まらなかったため、移住者を集めるため「グリーンランド(緑の島)」と誇大を広告を打ったのである。
世界中には戦争、難民、被ばく、飢餓など、地球上で絶えず悲劇が繰り返されている。いまソマリアの人口の半分に当たる370万人が危機的な状態にある。内戦などの政情混乱もあって、これまで1991年以来、飢饉が絶えなかった地域だが、過去60年で最悪の干ばつに見舞われた。ソマリア国内の避難民は146万人、約74万人は近隣諸国へ避難したが、難民のなかには流入の末に餓死するという報道も伝えられている。キッズ外務省ホームページによる「難民の出身の多い国」ランキング。
1位 シリア 487万
2位 アフガニスタン 266万
3位 ソマリア 112万
4位 南スーダン 77万
5位 スーダン 62万
6位 コンゴ民主共和国 54万
7位 ミャンマー 45万
8位 エリトリア 41万
9位 コロンビア 34万
10位 ウクライナ 32万
第一次世界大戦後、敗戦国トルコと連合国との間にセーブル条約が結ばれた。その結果、トルコは領土の4分の1を失って小アジアの小国に転落した。これに対して、進歩派の国民党は条約に反対してケマル・パシャを中心に革新的民族運動を展開した。そこでトルコの復活を恐れたギリシアは、イギリスの支持のもとにトルコ・ギリシア戦争をおこしたが、トルコはフランスとソ連の支持を得て勝利をおさめ、1923年にローザンヌ条約を成立させた。その結果、トルコは治外法権の撤廃と関税自主権を列国に承認させ、セーブル条約の一部改訂に成功した。また1936年には列国との間にモントリオール条約を結んで、ダーダネルス海峡の主権を回復した。ケマルは同時に国内の改革にもあたった。1922年スルタン制の廃止、政教分離を実行し、翌1923年には共和制を樹立してケマルが初代大統領となる。太陽暦・メートル法・アルファベットの採用、男性のトルコ帽フェスや女性の顔を覆うベールの禁止など、西洋化政策を進めた。中東のユダヤ人は、19世紀以来パレスティナに民族国家を建設しようとシオニズム運動を展開していた。これに対して、イギリスの外相バルフォアはユダヤ人の資金を得るため、大戦の建国を約束するバルフォア宣言を発した。このため、ユダヤ人のパレスティナ移住がさかんとなった。しかし、イギリスは一方でパレスティナのアラビア人にも独立を与える約束(マクマオン宣言)をしていたので、戦後ユダヤ民族とイスラエルのアラブ民族はこの地で激しい反目をつづけることとなった。第二次世界大戦後、国連の仲介によって1948年ようやくイスラエル共和国が建国され、ユダヤ人の多年の宿願は達成された。これに反発したエジプトなどアラブ諸国との間にパレスティナ戦争がおこり、その紛争は現在も続いている。
波留主演の「娘の結婚」。新春にふさわしいドラマだった。正月ドラマといえば、向田邦子のドラマを思い出す。
「そのころ私たちの家は、池上本門寺裏の、石段を上がった所にありました」と黒柳徹子のナレーションで始まる向田邦子新春シリーズ「風を聴く日」を見る。
長沢家は植物学者の父・浩二郎(菅原謙次)が1年半前に家出し、病気がちな母・里子(加藤治子)と二女の晶子(小泉今日子)、三女の愛子(林美穂)が暮らしていた。昭和14年の暮れ、夫が戦死した長女・絹子(田中裕子)が、正月で久々に実家に戻った。
ある日、晶子が会社の帰りに家出した父が愛人(風吹ジュン)と一緒にいるところを目撃する。後日、絹子と晶子は父の隠れ家を訪ねる。父と母との微妙な感情のずれが少しづつ浮き出されていく。田中裕子、加藤治子らいつものレギュラー陣だが、今回の見所は、やはり父親役の菅原謙次(1926-1999)だろう。オカリナを吹いたり、ビング・クロスビーのレコードを聞いている。往年の映画スターで、愛煙家として知られ柔道三段の腕前を持つ彼も大病したらしく痩せているのがたいへん痛ましく感じる。正月ドラマなのに父も母も亡くなるという縁起悪いストーリー展開だが、どこかにほのぼのしているところが感じられるのが向田邦子ワールドである。このドラマが放送された1995年1月9日から8日後に阪神大震災が発生した。
今年は明治維新150年。維新はフランス革命のようなものではなく、むしろ歴史の進展からみると、日本とイタリアとはよく似ているといわれる。少子化の原因が貧しさにあることも共通している。両国の近代史が共通している。たとえばヴィットリオ・エマヌエレ2世を明治天皇、マッツィーニを吉田松陰、カブールを大久保利通、ガリバルディを西郷隆盛に当てられる。大きく違うところは第二次世界大戦でイタリアは王制は廃止されたが、日本の天皇制は残ったところである。大河ドラマ「平清盛」で「王家」という言葉に非難があったという。NHKとしては近年研究された歴史用語「王家」を使用したが、国家主義的傾向が強くなった日本では天皇家を王家と呼ぶことにアレルギー反応があったようだ。イタリアと日本がなぜダメなのか、原因を検証することはなかなか難しい。小さな多くの歴史事実を小石のように積み重ねていくしかない。フランチェスコ・クリスピ(1819-1901)という政治家がいる。日本の高校世界史ではその名前が出てこないが、実は重要人物である。その長い政治家としての生涯は我が国に匹敵する人物が見当たらない。一応、ガリバルディを補佐した人物とみなされているが、西郷は西南戦争で死なずに勝利して、桐野利秋が首相になったものである。イタリアのリソルジメントと日本の明治維新が違うのは、西南戦争を分岐点とするのであろう。両国とも帝国主義国家をめざずが、持たざる国として国民の犠牲のうえに国家が成立しているところは共通している。貧しく災害の多い国であるがゆえに民族紐帯の結束を強固とし、国民の犠牲のうえにたえず国家主義的傾向を強めようとする性格が濃い。
坂本龍馬の名を知らしめたのは、明治16年、坂崎紫瀾(1853-1913)が高知の「土陽新聞」に「汗血千里駒」を連載したことによる。しかし龍馬ブームといえるのは日露戦争ころのことであろう。
香川敬三(1839-1915)は岩倉具視のもとで倒幕の密議に参加。流山で甲陽鎮撫隊陣屋を襲って近藤勇の捕縛に功があった。明治になり、宮内少輔などを歴任。日露戦争の際、昭憲皇后の夢に坂本龍馬が現れたという宣伝を行ったのも香川である。幕末維新をデッサンした人物といえる。明治の顕官でありながら写真があまりない。彼は明治天皇擁立の謎を握っているのかもしれない。この逸話についてNHK「美子伝説」では、田中光顕が創作したこととなっている。
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