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2017年12月 4日 (月)

ゴッホの青年時代

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 雪の中の蒔き拾い 1884年

  ゴッホは、1853年3月30日、オランダのベルギー国境近くのブラバント地方の小村、フロート・ツンデルトで生まれた。父テオドリウス・ファン・ゴッホは村の牧師、母コルネリアは優しく、芸術に理解のある女性だった。ゴッホには兄がいたが数週間で死んだため、ゴッホが長子となった。両親は幼くして逝った子供をひどくいたみ、その子の面影を常にゴッホに影響したことは否めない。彼は頑固で気むずかしい少年で、ひとりで野原を散歩しては時を過ごし、弟のテオや3人の妹たちと遊ぶこともほとんどなかった。

    ゴッホは母親にすすめられ、10代の初めごろからスケッチや水彩画をぴんぱんに描いたようだ。ゴッホにはハーグで手広く事業をやっているセントという伯父がいた。この伯父の経営する画廊は、パリの有名な画商グーピル商会と合併していた。ゴッホは16歳で学校を卒業すると、伯父の紹介でこのグーピル商会ハーグ支店に就職し、美術館通いに熱中する。数年後、ロンドン支店、さらにパリ支店へ移った。その間に恋愛に失敗したり、宗教書に熱中したりして次第に職務にふさわしくない行動が多くなり、1876年に解雇された。その後はロンドン近くの寄宿学校の語学教師、ドルトレヒトの書店員などになったが、いずれも長つづきせず、一方、宗教への情熱はいよいよ高まって、1877年(24歳)アムステルダムへ出て牧師になる勉強をはじめた。そして翌年、ブリッセルの短期牧師養成所を終わると、みずから志願して貧しいベルギーの炭鉱ボリナージュにおもむいた。ここでの彼は熱烈な信仰心から、すべてを犠牲にして伝道に従事したが、結局は失敗し、それとともに宗教的情熱も薄れて、一年に近い放浪生活のなかから、1880年になってようやく画家としての道を選んだ。そして、ブリッッセル、ハーグ、アンベルスの各地で勉強をつづけたが、彼の描くものは絶えず労働者や農民など、現実の下層の人たちの姿であり、その周辺の生活、風景であった。しかもその間、貧困と病苦につきまとわれ、また二度、三度恋愛に失敗した。1883年9月、疲れ果ててドレスデンへ逃れ、同年12月にはヌエネンの両親のもとに移り、孤独に耐えつつ絵画に専念する。彼の初期の傑作といわれる「馬鈴薯をたべる人たち」(1885)は、こうした時期の作品である。

松下奈緒「ゴッホの青春 そして色彩が生まれた」で「なぜヌエネン時代は真っ黒な絵だったのか」という疑問を解き明かしている。若きゴッホが尊敬するオランダの画家レムブラントに憧れていたからだと説く。ゴッホに自画像作品が多いのもレムブラントからの影響の1つである。

( keyword;Vincent van Gogh )

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ゴッホは特殊なアーティストですね。

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