4世紀中葉の百済
4世紀中葉の朝鮮は北から高句麗、百済、新羅、伽耶の4国対立時代である。なかでも百済は最も広い平野地帯を持ち、ここから産出する豊かな物産を基盤に、中国、倭などと海上貿易を展開して経済力を蓄積し、次第に支配体制を整備し、積極的な領土拡張策にのりだした。やがて百済は高句麗を攻撃し、王を戦死させた。東晋から仏教を受け入れて保護し、仏教国家としてその全盛期を迎える。しかし554年の百済と新羅との管山城の戦いは朝鮮古代史の戦争でもっとも凄絶な戦いとして記憶されるが、百済の聖王は戦死する。
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