世界の後宮・ハーレム
料理店などの店先に塩を三角錐に盛り置く風習がある。この「盛り塩」は中国の後宮に起源があるといわれる。晋の武帝は猟色家で毎夜、羊に引かせた車に乗って女を探した。そこで女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛って待っていたことが「盛り塩」の由来である。
後宮とは后妃や女官たちが住み奉仕する宮廷の一部をいい、天子以外の男性が出入りすることは禁じられた。中国では宦官が専権をにぎり、政治がみだれた例も少なくない。殷の紂王、漢の成帝、陳の後主、隋の煬帝など毎晩のように酒池肉林の宴会が開かれた。唐は隋の後宮制度を継承し、玄宗皇帝のときの楊貴妃の哀話が知られる。白楽天の長恨歌に「後宮の佳麗三千人、三千の寵愛一身に在り」とあるが、三千人はいささか誇張があるかもしれない。清朝では宮女は2000人以下といわれるが、中国史上では少ない方といわれている。徳川の大奥は家光のときに盛大となる。11代将軍家斉は女好きで、大奥に入り浸って、多くの子女を儲け、財政を逼迫せしめた。最も多いときで女中を含めて1000人程度であったであろう。資金は小判の改鋳を行い500万両の利益を得ていたといわれる。
朝鮮王朝では第19代国王粛宗(スクチョン)の時代、張禧嬪(チャン・ヒビン)と崔淑嬪(チェン・スクピン)との宮廷内の権力闘争が有名である。17世紀オスマン朝のスルタンの宮殿トプカプ・サライには後宮の女性たちはおよそ千人を超えたといわれる。
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