善竹橋と李芳遠
善竹橋は開城にある長さ6.57m、花崗岩でできた小さな石橋で、高麗時代の忠臣・鄭夢周が1392年、刺客の李芳遠(1367-1422)によって殺害された場所。最初は「善之橋」と呼ばれていたが、鄭夢周が流した血痕が消えず、竹が生えたという伝説から「善竹橋(ソンチュッキョ)」と改名した。善竹橋事件の3カ月のち、7月17日、李成桂は朝鮮王朝(李朝)の初代国王(太祖)に即位した。国号を朝鮮とする。刺客の李芳遠とは初代国王李成桂の五男。のちに3代国王となる。
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