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2017年11月23日 (木)

古代の朝鮮王朝

 高麗時代に編まれた「三国遺事」によると、帝釈桓因の子、桓雄と熊女との間に生まれた檀君王検が紀元前2333年に平壌城を首都とする国を建てて国号を朝鮮としたのが国家の始まりと言われている。1993年、北朝鮮は檀君陵を発掘したと発表しているが、その信憑性はなく、考古学的知見によれば、朝鮮の青銅器文化は紀元前1500年ごろをさかのぼることをできないと考えられ、古代国家の成立は、紀元前7世紀頃の箕氏朝鮮からはじまる。箕氏は紀元前4世紀には燕と互いに争うほどに成長したが、紀元前2世紀はじめに衛満に滅ぼされる。衛氏は80余年にわたって繁栄したが、紀元前108年に漢の武帝の侵入を受けて滅亡。通常、箕氏朝鮮と衛氏朝鮮の2王朝を合わせて古朝鮮と呼ぶ。その後、古朝鮮の遺民は各地で小国を興し、紀元前37年には鴨緑江の中流地方で力をつけた朱蒙が高句麗の指導権を握って国家体制を再整備し、王となった。2世紀末、朝鮮半島中南部では馬韓・辰韓・弁韓と総称される部族国家が併立し、北鮮地方には高句麗が興って南下の勢いを示した。ところが、3世紀前半、魏が朝鮮に勢力を伸ばすにおよんで漢時代の楽浪・帯方の2郡を手にいれ、南鮮地方を支配下におさめた。一方邪馬台国はこの魏の後援のもとに南鮮を圧迫し、弁韓地方にはかなり倭人が進出するようになった。

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