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2017年10月 8日 (日)

接吻の起源と歴史

 世界中の雑学研究者たちの間でもっとも興味がそそられることの一つが接吻の起源であろう。いまも世界各国でおびただしい男女のカップルが顔と顔をくっつけ、唇を吸い合っている。このありふれた愛情表現について、いつ頃から、どういう風にはじまったか、詳しい研究をした人は少ない。有名な本としては20世紀はじめにフランスで出版された『世界の接吻アンソロジー』(1911年)で、アジア・欧州・フランス・アフリカ・アメリカなど五大州の接吻と歴史が詳しく書かれている。接吻のはじまりは顔と顔をくっつけることで、未開民族のういたでは今日でもこの風習がのこっている。ヘロドトスの「歴史」では、ペルシア人は同じ身分の者同士は挨拶の言葉を交さず、お互いに口に接吻すると書いている。「聖書」ではユダがキリストに近づき接吻しようとしたときの「裏切りの接吻」が有名である。接吻をいいあらわす語がヨーロッパ諸国で日常的な言葉になった年代は比較的あたらしい。アイルランドとウェールズでは、ポッグまたはホッグといっていたが、これはラテン語のPax(平和)のなまりだった。英語のKissはゴーへ語のkustus(味わう)が語源だとされる。イギリスでは16世紀までコッス(coss)といっていた。フランス語のベーゼ(baiser)はラテン語のbasiareのなまりで、12世紀頃から現れているが、この語を使うのは、人前では抱擁といわねばならない。近代日本人はいつキスを知ったのであろうか。それは明治になって欧米を視察したときであろう。「特命全権大使米欧回覧実記」の編著者、久米邦武(1839-1931)は謹厳痩躯で、仲間から「久米の仙人」といわれるほどの堅物であった。漢学の素養が深く、名君といわれた鍋島直正の近習として仕えていたこともあり、その推輓で、この使節団の一員に加わった。使節一行にとって旅は珍しいものの連続であったが、とりわけ男女の風俗には目を見張るものがあった。会食の後は必ずといっていいほどダンスが行われた。独身女性や人妻が他人の男と抱きあい、手を握りあって踊る姿はどうみても異様であり合点がいきかねた。また一行はボストンの港で異常な光景を目の当たりにして唖然としている。というのは同乗して英国に渡っていく男たちが、それを見送りにきた婦人としっかり抱き合って接吻し、離れない情景を見かねたからである。久米は目の置き所に困って思わずぐちる。「公衆の面前であまりに厚かましいではないか」すると西洋通の仲間がそれを受けて、「いやいやさようなものではない。彼らは公衆の中、とくに日本大使の眼前なので念入りに小笠原流の接吻をしているのだから、敬意を表して見てやるのが礼儀である」と茶化している。

 江戸時代、キスをすることは「口吸い」であるが、オランダ人のヘンドリック・ドゥーフは1815年に完成した蘭日辞典「ハルマ和解」で「KUS」の訳語として「接吻」という言葉を最初に考案した。しかし「接吻むという語は明治になるまであまり広まらなかった。聖書の翻訳でも初期は「吻接」であったがものが1888年の和訳では「接吻」に改まっている。20世紀になると外国の映画による影響も大きい。1896年のアメリカ映画「The Iwin‐Rice Kiss」ジョーンズ未亡人が接吻するという舞台の一場面が当時大きな話題を呼んだ。キスや猥褻シーンは当局の手によって何度もカットされ受難の歴史を歩む。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストでのキス集は検閲によってカットされたシーンが甦ったことで人生の歓喜を表現している。

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