諸説あり!佐々木小次郎の実年齢
木村拓哉「宮本武蔵」のライバル佐々木小次郎には沢村一樹(46歳)が演じた。美丈夫のイメージがある小次郎が武蔵より年長とは異例のキャストである。吉川英治の小説「宮本武蔵」での佐々木小次郎の描写は「前髪に紫の紐をかけ、派手やかな小袖へ、緋らしゃの胴羽織を纏っているので、少年として見えるものの、年齢のほどは、少年という称呼には当てはまるかどうか、保証のかぎりではない(中略)まず19か、20歳というところではなかろうかと思われます」とある。以後、多くの映画・ドラマの小次郎像は長身の美少年である。熊本藩の豊田景英が編纂した『二天記』では巌流島の決闘時の年齢は18歳であったと記されている。しかしながら小次郎は越前の中条流の富田勢源の門人であったという。勢源は晩年には眼疾で弟の富田景政が家督を相続したが、小次郎は景政と試合をして、見事勝っている。諸国を修行し、燕返しの剣法を案出し、増田長盛によって豊臣秀吉に仕えようとしたが、うまくいかず、結局、豊前小倉の藩主細川忠興に仕えるようになった。つまりこれらの出自から逆算すると、天正時代にはすでに成年になっており、宮本武蔵より30歳ぐらいは年長であると考えられ、江戸時代の絵草子では佐々木小次郎は髭をたくわえた豪傑として描かれている。『二天記』の年齢記述は誤りで、実際には70歳くらいではなかったかといわれている。つばめ返しをあみだした場所にも諸説ある。吉川英治は小説で山口県の錦帯橋としているが、『二天記』によると、越前東尋坊の高善寺近くの一乗滝で、つばめ返しをあみだしたとしている。
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