熊川良太郎と「青年日本号」
1903年、アメリカのライト兄弟がガソリンエンジン飛行機で本格的飛行に成功して以来、フランス、ドイツ、イギリスでも新しい飛行機が試作された。わが国は1891年、二宮忠八が模型動力飛行機の試作に成功したが、欧米に著しく遅れをとっていた。1910年12月14日、代々木練兵場で日野熊蔵が60mの初飛行に成功、しかしこの記録は抹消され、12月19日の徳川好敏の飛行をもって「日本の初飛行の日」となった。しかしこれは外国から輸入した飛行機で飛行に成功したので、国産機で最初に成功したのは、1911年の奈良原三次の鳳号で、70mの飛行に成功した。昭和になって国が航空技術の発展に力を入れはじめ、1930年ごろになって、純国産機も出現するようになった。1931年5月から8月にかけて、法政大学航空部の熊川良太郎と栗村盛孝は「青年日本号」で羽田からローマのリットリオ飛行場までの飛行に成功した。熊川良太郎の著書「征空一萬三千秤」が1933年刊行された。なおこの本は南洋一郎がゴーストライターであることが判明している。
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