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2017年9月30日 (土)

この声をきみに

  本の世界は広くて深い。なぜか本と関わりのあるドラマが多い。「書店ガール」「地味のスゴイ校閲ガール」「さくらの親子丼」。なかでもNHK「この声をきみに」は読書の秋にふさわしいドラマである。町はずれにある小さな朗読教室「灯火親」にはさまざまな人々が集う。穂波は数学教師で妻から離婚を告げられた。京子先生は独身らしく、過去に何かあったような気がする。これからの展開がとても気になる。中原中也の詩「月夜の浜辺」。月夜の晩に、ボタンが一つ。波打ち際に、落ちていた。それを拾って、役立てようと、僕は思ったわけでもないが、なぜだかそれを捨てるに忍びず、僕はそれを、袂に入れた。国語の教科書に掲載されるほど有名な詩だそうだが、僕は恥ずかしいながら知らなかった。物語は穂波と京子先生の関係がさらに親密になるらしい。

 

 

2017年9月28日 (木)

女神テミス像

 昨夜のテレビ東京のドラマ「テミスの剣」。裁判所大ホールにあるテミス像は7mもある巨大な像でセット用に作製したらしい。テミスとはギリシャ神で、法と正義の女神。右手に剣、左手に天秤を持ち、目隠しされている。剣は法の厳格さ、天秤は法の公平さ、目隠しは裁判によって先入観を持たない、という理念を表している。むかしデヴィッド・ジャンセン主演のドラマ「逃亡者」のOPのナレーションでもテミス像がワンカット登場する。「正しかるべき正義も時として盲(めしい)ることがある」。誤審の話なので女神にわざと目隠ししたと思っていたが、もともと目隠ししてあるのが本来のものであるが、最近は目隠ししてない像もみられる。最高裁判所にある圓鍔勝三の作品「正義」は目隠しされていない。 Themis

匝瑳、宍粟、珠洲、新城

Photo_7   千葉県匝瑳市と兵庫県宍粟市は読み方が難しい市名の東西の横綱といわれている。匝瑳(そうさ)の「匝」という漢字はふだん見慣れないが、「匝線」(渦巻き状の曲線)という熟語もある。宍粟(しそう)は「あなぐり」とか「ししぐり」とか読まれることが多い。両市では近年、さまざまな交流を通して市のPRを始めている。宍粟市には千種高原へ向かう「おごしき山」と「空山」の山頂に「平成之大馬鹿門」(彫刻家・空充秋)があることで知られる。

   能登半島の最北端にある石川県珠洲市は「すず」と読む。愛知県新城市は「しんしろ」と読む。地名としては珍しい重箱読み。「しんじょう」と誤読されることが多い。

だれでも読みやすい「いすみ」「あわら」「うるま」「うきは」「かほく」などひらがなの市名も29市あるが、イメージがつかみにくく位置がわからない。

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文豪の処女作

Photo   「処女作にはその作家のすべてが表れる」。この言葉は誰が最初に言ったのか正確なことは分からない。おそらく海外の文芸評論家ではないか。亀井勝一郎は倉田百三著「出家とその弟子」(新潮文庫)の解説で、「作家は処女作に向かって成熟する」といった。文豪谷崎潤一郎の処女作は戯曲「誕生」であるが、実際には「誕生」よりも「刺青」の方が先に書いたと谷崎自身が述べている。井伏鱒二の代表作「山椒魚」は最初に発表した作品であるとともに、生涯にわたり改筆が続けられた作品である。「山椒魚」が最初に着手されたのは1919年、井伏が21歳の時で級友の青木雨八に「幽閉」ほか数編を送った。「幽閉」は1923年同人雑誌「世紀」に発表され。それから6年後の1929年、すでに新進作家として活動していた井伏は「幽閉」を全面改稿し、同人雑誌「文芸都市」に「山椒魚」として発表している。

1906年 有島武郎「かんかん虫」

1908年 武者小路実篤「彼」「二月」「聖なる恋」「隣室の話」「不幸な恋」(「荒野」所収)

1909年 谷崎潤一郎「誕生」

1910年 志賀直哉「網走まで」

1914年 川端康成「十六歳の日記」

1914年 芥川龍之介「老年」

1917年 横光利一「神馬」

1923年 井伏鱒二「幽閉」

1927年 堀辰雄「ルウベンスの偽画」

1927年 石坂洋次郎「海を見に行く」

1933年 太宰治「列車」

1934年 獅子文六「金色青春譜」

1941年 三島由紀夫「花ざかりの森」

1946年 安倍公房「天使」(未発表)

1947年 椎名麟三「深夜の酒宴」

1948年 源氏鶏太「女炎なすべし」

1954年 遠藤周作「アデンまで」

1957年 大江健三郎「奇妙な仕事」

ブリジット・バルドーと漱石、東条英機との共通点

Tumblr_ln605xnfqb1qa7znho1_1280    本日は仏女優ブリジット・バルドー83歳の誕生日。漱石家の3代目の猫が死んだあと、書斎を訪れた野村胡堂が、次の猫を飼うのですかと質問すると、「それなのです。私は実は猫が好きじゃない。世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬の方がずっと好きです」と答えたという。世間では、猫好きという人は多いが、嫌いな動物は何かというアンケートを求めると、猫はかならず上位にくる。猫は陰性で気持ちの悪い性質だというのである。猫にライターで火を付けたという公務員が動物愛護法違反の疑いで逮捕された。猫股といって、年老いた黄色か黒色の雄猫の化け物の伝説が伝わる。中国には、隋の時代に猫鬼(びょうき)という妖怪が、人を殺傷したり、財物を奪ったりしている。

    世界中でもっとも動物好きで知られる有名人といえば、おそらくフランスの女優ブリジット・バルドーだろう。1986年には動物愛護団体「ブリジット・バルドー財団」を設立。フランスの喜劇役者ダリオ・モレノは「ブリジット・バルドー」と何度も連呼しながら歌い躍る応援歌がある。日本人では猫好きは意外にも東条英機である。東条が昭和16年ごろに、知人からシャム猫を贈られ、飼ってみるとたいへんな猫好きになったという。しかし軍人の彼が、猫などに心を惹かれるというのは聊かきまりが悪かったとみえ、表面は無関心を装いながらも、多忙な官邸の出入りに、一々、猫の様子を家人にたずね、食物や飲み水にいたるまで、こまかい注意を与えたという。東条英機は今日のペットブームの先駆者だったのである。(参考:平岩米吉「猫の歴史と奇話」)9月28日

2017年9月27日 (水)

マイヨールの死

Photo_4  彫刻家アリスティド・マイヨールの1944年の忌日。交通事故で亡くなった有名人といえばダイアナ妃をまず浮かべる。そのほかにも、アラビアのロレンス、ジェームズ・ディーン、線分B文字を解読したヴェントリス、「異邦人」で知られるノーベル賞作家カミュ、ラファロ、ジェーン・マンスフィールド、画家のジャクソン・ポロック、グレース・ケリーなどがいる。死が突然やってくるだけに、事故死はいたましい。

   「地中海」などの穏やかな彫刻で知られるマイヨールも自動車事故で死んでいる。第二次大戦中、郷里のバニュルス・シュル・メールで疎開していたころ、デュフィを訪問する途中、1944年9月15日、自動車事故にあい、9月27日、病院で亡くなった。(Aristide Maillol)

2017年9月24日 (日)

ヒガンバナ

 道ばたやきょろりとしたる曼殊沙花

                                       子規

 日本では秋の花として親しまれている彼岸花。「リコリス」「曼殊沙華」「地獄花」「幽霊花」「死人花(しびとばな)」などいくつも別名がある。遠い昔、大陸から渡ってきたヒガンバナは、いまも各地に群生し、日本の秋を彩る。種子のできないこの植物がなぜ広がったのか。稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、モグラや野ネズミなど土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み田を守ったと考えられる。

2017年9月23日 (土)

読書の秋

    「夜明け前」「野菊の墓」「忘れえぬ人々」「或る女」「蟹工船」「蓼食う虫」「人間失格」誰もが知っている名作だけれど、実は読んだことがない。本の世界は広くて深い。ドラマを観ていると、セットにつかわれる書棚の本が気になる。竹野内豊主演の「この声をきみに」に登場する朗読教室「灯火親」も気になる。「あしたになれば」で仙道敦子のマンションのジャポニカが目立ちすぎ。「全開ガール」の若葉の部屋の本にも関心がある。「まぼろしの邪馬台国」の宮崎康平の蔵書も気になる。以下、古本まつりの目録から気になる本を抜粋。

歴山大王 世界歴史譚 幸田成友 明治33年
お百度詣 大塚楠緒子 明治38年
どぜう地獄 岡本一平 大日本雄弁会 大正13年
クレオパトラ栄華物語 久保青涛 東京刊行社 大正9年
小説老子 大泉黒石 新光社 昭和11年
検屍 随筆集 太田千鶴夫 象文閣 昭和11年
未亡人論 三宅やす子 文化生活研究会 大正12年
亀脚散記 渡辺一夫 朝日新聞社 昭和22年

  幸田成友(1873-1954)は露伴の弟。岡本一平(1886-1948)は漫画家。息子は洋画家・岡本太郎。久保青涛(1889-1961)は本名勘三郎。哲学・倫理学。大泉黒石(1893-1957)はロシア文学。息子の大泉晃は俳優。太田千鶴夫(1906-1968)は西洋医学史。三宅やす子(1890-1932)は小説家、評論家。渡辺一夫(1901-1975)はフランス文学。似ている・・・やっぱり親子。女優の土屋太鳳のおススメの本は岡本太郎の「自分の中に毒を持て」。

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2017年9月16日 (土)

裏切り道薫

    荒木村重は織田信長の信任を受け、摂津一国という大領を任せられながら、突如信長を裏切り、滅ぼされたことで知られる武将。荒木家は、藤原秀郷の流れを汲む、丹波国多紀郡の波多野氏の一族。波多野義定8代の後裔氏義(うじよし)が丹後国天田郡荒木邑に住して荒木氏を称す。村重の父義村(一説に信重)に至って摂津国池田に移り、「池田の六人衆」と称せられた。

   荒木村重は、初め池田勝正に属し、1551年、伊丹兵庫頭の先手を討ち取る功によって父から家督を譲られた。主家池田家が内紛によって衰える中、摂津三人守護の一人和田惟政を討ち取るなど力を蓄えていった。

    1573年3月、反信長の立場を鮮明にして足利義昭を掣肘するため信長は上洛の途についたが、村重は細川藤孝とともに信長を逢坂まで出迎えた。村重の忠節に対し、信長は「御機嫌申すばかりな」いほど上機嫌となり、「郷義弘」の刀を下賜した。

    その後、「摂津守護」に任じられた村重は、主に本願寺攻めを担当していたが、毛利氏と結んだ波多野氏、別所氏らが本願寺に呼応して敵対するに及び、信長に叛旗を翻した。有岡城(伊丹城)に籠城したが、のち家族や家臣を見捨てて密に脱出して尼崎城に移った。ひとり生きのびた村重は入道して道薫(どうくん)といい、茶人として秀吉に仕えたが、最後は自殺したとも伝わる。

    天正7年の有岡城の陥落は悲惨だった。10カ月余の籠城ののち、落城すると、残された女・子どもたち一族は京都六条河原で惨殺され、有力家臣の女房・娘らは七ツ松で磔の刑に処せられ、その他の女・子ども・若党ら500人余りは4軒の家においこまれて、家もろとも焼かれた。

   荒木村重に関しては、有岡城落城の悲劇性、村重の逆心、茶人としての堺での晩年など謎の多い武将である。利休七哲の1人に数えられることもある。近年、伊丹に荒木村重研究会が発足し研究が興る。

 参考文献

荒木村重史料 八木哲次 伊丹市 1978

謎の武将 荒木村重と伊丹城 香村菊雄 神戸新聞出版センター 1983

荒木村重 惜命記 黒部享 講談社 1988

村重 第1号~第5号 荒木村重研究会会報 2001~2005

お茶の文化史

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カワラケツメイの花

   日本には製法の違いによって、玉露、抹茶、煎茶、番茶、ほうじ茶、粉茶、茎茶、玄米茶などいろいな種類のお茶がある。地方にも独自のお茶がある。冨山のバタバタ茶、出雲(島根県)のボテボテ茶、愛媛のボテ茶、沖縄のブクブク茶。このほかにも、いわゆるお茶ではないが、茶の代用として波布茶、クニ茶、マテ茶、甘茶、麦茶などがある。カワラケツメイ(河原決明、エビスグサの類)を原料として、茎葉を干してきざんで、合歓茶、豆茶、浜茶、弘法茶などのお茶があり、利尿剤としても用いられている。このほかアマチャヅル茶、カリン茶、ビワ茶、柿の葉茶など特種なお茶もある。

   茶は雲南省に近いインドのアッサム地方が原産地といわれ、古代に四川に伝わり、揚子江流域にひろがり、2・3世紀ごろからすでに飲まれていたというが、主として医薬として用いられ、3世紀には「茶」という字はなかった。三国時代以降、仏教ことに禅宗と結びついて、座禅の眠気ざましから喫茶が流行した。

  中国から日本にもたらされた茶は、栄西が「喫茶養生記」で茶の効能を説いたように、当初は寺院での修行や薬用として飲用されていた。やがて各地で栽培が広がるが、宇治の茶師は、幕府の許可を得て高品質の碾茶の製造を独占していた。富裕層が好んだ抹茶とは違い、庶民は色が赤黒く味も粗末な「煎じ茶」を飲んでいた。そのな中、永谷宗円(1681-1718)は15年の歳月をかけて製造法を研究し、青製煎茶製法を考案した。宗円は完成した茶を携えて江戸に赴き、茶商の山本嘉兵衛に販売を託したところ、たちまち評判となり、以後「宇治の煎茶」は日本を代表する茶となった。煎茶中興の祖といわれるのが、新たな茶禅一味の境地を開いた売茶翁こと高遊外(1675-1763)。「清風瑣言」という煎茶書を他に送り、文人と煎茶の関係を深めるうえで大きな貢献を果たした上田秋成。化成期以後は、とりわけ京洛の文人墨客を中心に、広範な流行をみ、煎茶は多才な芸術家たちの交遊には欠かせないものになっていた。頼山陽、田能村竹田、青木木米、僧雲華、浦上春琴といった多士済済の顔ぶれが、江戸時代後期の文化史に独特の色彩を添えている。

百歳万歳

   厚生省の発表によると、100歳以上の高齢者は全国で6万7824人いるという。百歳まで生きたいと思うのは万人の願いであろう。「死んだ子の年を数える」というが、もし早世した著名人が現在も生きていたら何歳になっているか考えることは無意味なことだろうか。ジョン・F・ケネディは100歳になる。三島由紀夫は92歳、マリリン・モンローは91歳、チェ・ゲバラは90歳、ジェームズ・ディーンは86歳である。みな若くして亡くなったものである。

メキシコ独立記念日

Hidalgo  1810年のこの日、メキシコ・ドロレス教区のミゲル・イダルゴ(1753-1811)神父がメキシコの独立を訴える演説を行い、最後に「メキシコ万歳!」と叫んだ。これによりメキシコ独立革命が始まった。ミゲルはスペイン側に捕らえられてチワワで銃殺刑となったが、独立運動の象徴的人物で「メキシコ独立の父」とされている。この日、メキシコ大統領が国民広場のバルコニーに立ってこの言葉を叫ぶのがならわしとなっている。1810年の独立運動は失敗に終わったが、1821年メキシコは独立に成功。「メキシコ建国の父」はベニート・フアレス(1806-1872)。1861年メキシコ大統領に就任。(Mexico,Miguel Hidalgo,Chihuahua,Benito Juarez,9月16日)

2017年9月14日 (木)

誠の旗は行く

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   むかし日本ハムの金子誠選手の応援で「誠」の旗が用いられていた。なぜ新選組の誠の旗がたなびいているのか。北海道日本ハムファイターズで函館五稜郭→新選組、という繋がりか。グッズは五稜郭タワーでよく売られていたらしい。

   韓国ドラマ「師任堂」23話の挿話。申師任堂の息子イ・ヒョンリョンが学ぶ中部学堂。訓導官が「宋の劉安世が師の司馬光に、数多い漢字のうち最も大切なものは何かと問うた。司馬光はどの字を示したと思う?」イ・ヒョンリョンは「それは誠の字である。君子が終身備えるべき語で妄語せざるべきことである」と。

2017年9月12日 (火)

なんでも観ちゃおう!

Tokage_2  映画史を飾る代表的名作から最新のドラマまで何でも観ちゃうぞ! 松雪泰子の「余命」(2009)。乳がんと妊娠。出産か治療か。テーマが明確でヒロインの苦悩がよく伝わる。松雪の演技もよい。監督は生野慈朗。「男女7人夏物語」「ビューティフルライフ」などのドラマディレクターならではのわかりやすい演出。夫婦で見るといい映画です。

    田端智子の「お引越し」(1993)。相米慎二監督はアイドルのクローズアップよりも、人物を風景と溶け込ませ、遠くから捉えた画面構成をよくつかう。並みのアイドル映画ではなく、フレッシュな魅力がより鮮明に描きだされる。独特な映画作家だったが早世が惜しまれる。

 韓国映画「とかげの可愛い嘘」(画像、2005)晴れの日も黄色のレインコートを着ている転校生のアリ(カン・へジョン)は嘘をついてはみんなを驚かす。ジョガン(チョ・スンウ)はそんなアリを好きになる。そして10年後、2人は再会する。だがアリは、また突然姿をくらます。やがてアリが哀しい嘘をつき続ける本当の理由を知る。韓国映画って、こういう一風変わった恋愛ものはお家芸だ。

   「パニック・ルーム」(2002)マンハッタンの4階建ての高級タウンハウス。離婚して娘と2人で引っ越してきた。夜、突然3人の強盗が押し入ってきた。メグと娘はパニック・ルームと呼ばれる秘密の部屋に逃げ込む。デヴィッド・フィンチャー。ジュディ・フォスターの作品はどれでも水準以上のものでハズレがない。善良そうな強盗はフォレスト・ウッテカー。

    「7月24日通りのクリスマス」(2006)恋に奥手で妄想好きなOLがね長年の片思いを成立させるために奮闘する。中谷美紀、大沢たかお、上野樹里。

 

   「蘇州の夜」(1941)中国人女性と日本人医師との恋。戦時国策映画だがまだ楽観的なムードが漂う。李香蘭、佐野周二、水戸光子、日守新一、斎藤達雄

 

 「わが青春に悔いなし」(1946)原節子主演。京大滝川事件にモデルをとったもの。

 

   「未来予想図」(2007)スペインのサグラダ・ファミリアや打ち上げ花火がとりもつ現代の恋のはなし。松下奈緒。

 

   「あしたの私のつくり方」(2007)市川準監督、真戸香原作、成海璃子 前田敦子 高岡蒼甫

 

 「ふたりのトスカーナ」(2000) イザベラ・ロッセリーニ

 

 「セント・エルモス・ファイアー」(1985)ロブ・ロウ、エミリオ・エステべス

 

 「醜聞(スキャンダル)」(1950)三船敏郎 山口淑子 志村喬

 

 「隣人は静かに笑う」(1998)ジェフ・ブリッジス ティム・ロビンス

 

 「足尾から来た女」(2014)尾野真千子

 

 「おふこうさん」(2014)貫地谷しほり

 

 「7日間の恋人」(2012)クォン・サンウ、セシリア・チャン

 

 「POV~呪われたフィルム」(2012) 志田未來、川口春奈

 

 「カラスの親指」(2013) 阿部寛 石原さとみ 能年玲奈

 

 「白ゆき姫殺人事件」(2013) 井上真央 綾野剛 蓮佛美沙子 菜々緒

 

 「見知らぬ乗客」(1951) ファーリー・グレンジャー、ロバート・ウォーカー。テニスの試合、遊園地のメリー・ゴーランドの場面など懐かしい。

 

 「決闘巌流島」(1956) 三船敏郎、鶴田浩二、八千草薫

 

 「野獣死すべし」(1959) 仲代達矢 団令子。原作は1958年「野獣死すべし」でデビューした大藪春彦。「血まみれの野獣」(1968)は三億円事件のモデルではないかと話題になった。

 

 「琥珀色のキラキラ」(2008)  尾野真千子

 

 「森崎書店の日々」(2010)  菊池亜希子

 

 「指輪をはめたい」(2011) 山田孝之

 

  「悪魔の手毬唄」(1961) 高倉健が金田一耕助を演ずる珍品。スポーツカーを乗り回している。小野透(美空ひばりの実弟)。志村妙子(太地喜和子)。それに月光仮面の大村文武、山本麟一などが共演。

 

 「佐々木小次郎」(1967) 尾上菊之助、司葉子

 

 「ペダルダンス」(2013) 宮崎あおい 吹石一恵

 

 「鉄道員」(1999) 高倉健、大竹しのぶ、広末涼子

 

 「ヘヴンズ・ストーリー」(2010)瀬々敬久監督、隺岡萌希、長谷川朝晴

 

 「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016)中野量太監督、宮沢りえ、杉咲花、篠原ゆき子

 

「フォレスト・ガンプ」(1994) トム・ハンクス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年9月10日 (日)

西郷隆盛の容貌

Photo_4    西郷隆盛は文政10年12月7日(1828年1月23日)、薩摩国鹿児島城下加治屋下で生まれた。仲間から薩摩弁で「うどめ」と呼ばれていた。うどめ(巨目)とは「大きな目」の意。ギョロとした大きな目が特徴だが、実は西郷は大の写真嫌いで生前1枚も写真を残していないので本当の容貌はわからない。有名なイタリアの版画家キヨッソーネが制作した西郷隆盛の肖像画は、西郷の親戚の写真を参考にしたもので、キヨッソーネは西郷本人と1度も面識がなく、似ているとは思えない。西郷を知る人も「まったく似ていない」「なんとなく似ているが、どうも印象が違う」というビミョーな出来栄えのシロモノである。来年の大河ドラマ「西郷どん」で鈴木亮平が扮するが、西郷の特徴である「大きな目」という点では容貌は大きく異なるようだ。

  西郷隆盛関係文献一覧
西郷隆盛蓋棺記 1~5 山本園衛編 聚星館 1877
西郷隆盛之伝 三宅虎太 和泉屋市兵衛 1877
西郷隆盛陣没日記 鹿児島再乱 枝岩活郎 栄久堂 1877
西郷隆盛物語並城山討死之伝 小神野中編 清風堂 1877
西郷隆盛物語 篠田仙果編 清風堂 1877 
西郷鷹者夢物譚 山本園衛編 聚星館 1877
南洲遺稿 楢崎隆存編 北尾禹三郎 1877
西郷隆盛一代記 1~5 羽田富次郎 浦野浅右衛門 1877
西郷隆盛一代話 篠田久治郎 弘売堂 1877
西郷隆盛夢物譚 羽田富次郎 多賀甚五郎 1877
西郷隆盛一代伝 植木枝盛 開成舎 1880

熊川良太郎と「青年日本号」

Photo_3 左から熊川良太郎、栗村盛孝

    1903年、アメリカのライト兄弟がガソリンエンジン飛行機で本格的飛行に成功して以来、フランス、ドイツ、イギリスでも新しい飛行機が試作された。わが国は1891年、二宮忠八が模型動力飛行機の試作に成功したが、欧米に著しく遅れをとっていた。1910年12月14日、代々木練兵場で日野熊蔵が60mの初飛行に成功、しかしこの記録は抹消され、12月19日の徳川好敏の飛行をもって「日本の初飛行の日」となった。しかしこれは外国から輸入した飛行機で飛行に成功したので、国産機で最初に成功したのは、1911年の奈良原三次の鳳号で、70mの飛行に成功した。昭和になって国が航空技術の発展に力を入れはじめ、1930年ごろになって、純国産機も出現するようになった。1931年5月から8月にかけて、法政大学航空部の熊川良太郎と栗村盛孝は「青年日本号」で羽田からローマのリットリオ飛行場までの飛行に成功した。熊川良太郎の著書「征空一萬三千秤」が1933年刊行された。なおこの本は南洋一郎がゴーストライターであることが判明している。

2017年9月 7日 (木)

ジェニファー・カバレリ

  「♪恋というもの知りたくて あなたの名前を呼んでみた~」

   女性の名前には不思議な魔力がある。「しのぶ」「なぎさ」「あけみ」。ちょっと色気がある女を想像させる。アメリカにも名前の流行がある。ジェニファー Jenniferという女性名を聞けば、どんなイメージをいだくだろうか。おそら明朗活発でダンスが上手くスタイルのよい美人を想像するかもしれない。それはジェニファー・ビールズやジェニファー・グレイのイメージが作用しているからだろう。なぜかジェニファーと名のつく女優は美人が多い。昨夜「ラストサマー」を観る。田舎の男女4人の高校生の夏。ドライブで人を撥ねて、遺体を海に捨て去る。1年後「私は知っている」という手紙が届く。ジェニファー・ラヴ・ヒューイットのホラー映画.ル区は古くはジェニファー・ジョーンズもいるが、ジェニファーの名が増えたのは1970年代に入ってから。おそらく映画「ある愛の詩」でアリ・マッグローが演じたイタリア系の学生ジェニファー・カバレリの影響があるからではないだろうか。それまで一番人気は長い間「メアリー」だった。2000年代になって、ジェニファー全盛の時代は過ぎ去り、アシュリーやジェシカが登場して人気が出る。

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2017年9月 5日 (火)

久米通賢

   鶴瓶の家族に乾杯「香川県東かがわ市ぶっつけ本番旅」久米通賢の墓が紹介されている。くめみちかた 1780-1841年、江戸後期の技術者。通称は久米栄左衛門。測量機器や望遠鏡、鉄砲を発明。また新式軍艦を設計するなど海防関係の工夫考案が多い。坂出塩田の完成、別子銅山の排水工事の成功など殖産興業にも活躍した。「讃岐のエジソン」と呼ばれる。参考文献;「讃岐偉人久米栄左衛門」岡田唯吉 鎌田共済会 1928年、「久米栄左衛門」豊沢豊雄・進藤義明 高山書院 1933年

 

2017年9月 4日 (月)

王女未央

    中国歴史ドラマ「王女未央」全54話がスタートする。亡国の王女馮心児童ーの復讐劇を描く。時代背景が日本人にはなじみの薄い5世紀。中国、南北朝時代、小国・北涼は北魏の侵攻から民を守るため、降伏する。しかし北涼はだまされ滅ぼされる。追手から逃れた心児は、北魏尚書府の妾腹の娘・李未央に命を助けられてるが、未央は殺される。全ての黒幕が尚書府であることを知った心児は、李未央に成りすまし、復讐のため、尚書府へと入り込んでいく。馮心児のモデルは馮太后(文成文明皇后)と考えられる。西暦442年から490年。拓跋濬は後の北魏の4代皇帝文成帝。

2017年9月 3日 (日)

優悠閑適

Photo_3  座右の銘にしたい四字熟語。

「忠言逆耳」(ちゅうげんぎゃくじ)。忠告は相手にとってはとかく聞き辛いため素直に聞き入れられないことが多いということ。北宋の欧陽脩が天子に諫言を奏上するに当たって覚悟を述べたことば(論杜衍范仲淹等政事状)。

「優悠閑適」(ゆうゆうかんてき)。「閑適」は、心静かに楽しく過ごすこと。「悠悠閑適」「優游閑適」とも書く。たまには中国古典を読みたい。

     *

中国古典学の展開 宇野精一 北隆館 1949
中国古典の読みかた 漢文の文法 藤堂明保、近藤光男 江南書院 1956
中国古典文学 上・下 大矢根文次郎・船津富彦編 高文堂出版社 1965
中国古典講話 倉石武四郎 大修館書店 1974
中国古典の詠み方 TOKUMA BOOKS 守屋洋 徳間書店 1982
中国古典詩聚花1 政治と戦乱 横山伊勢雄 尚学図書 1984
中国古典詩聚花2 隠逸と田園 石川忠久 尚学図書 1984
中国古典散歩 駒田信二編 文芸春秋 1985
中国国古典劇の研究 東洋学叢書 岩城秀夫 創文社 1986
中国古典の名言録 守屋洋 プレジデント社 1987

2017年9月 1日 (金)

五風十雨

9月1日。夏休み明けで学校が始まるこの日、18歳以下の自殺が例年多いらしい。悲観的にならず、楽しいこと、明るいことに目を向けてほしい。▽民進党新代表に前原誠司。▽ロシアW杯アジア予選の歴史的勝利。小柳ルミ子とハリルホジッチとは同じ年。ルミ子は「勝利の女神」か。

木歩忌

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夢に見れば死もなつかしや冬木立

   「夢に見た自らの死。もはやそれは恐れるようなものではなく、なにか懐かしいような既視感が漂っている」

  富田木歩(1897-1923)は2歳のとき、病のため下肢の自由を失い、貧窮のうちに育つ。そのため義務教育を受けることなく、新聞雑誌などから仮名文字を学んだ。臼田亜浪に師事。大正6年、新井声風と親交をむすび、俳号を木歩とする。彼が歩きたい一心で自分で作った木の足に依る。やがて境涯作家として俳壇に名を知られる。関東大震災の際、声風の救助の甲斐なく向島堤上で焼死。享年27歳。(9月1日)

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