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2017年7月 8日 (土)

池田屋の入江惣兵衛はどうなったのか?

  元治元年6月5日(新暦7月8日)、三条小橋にある池田屋で新選組が宮部鼎蔵ら志士7人を殺害、23人を捕らえた事件は、幕末暗殺史の中でもひときわ凄惨をきわめる。だがドラマなどで池田屋の主人、入江惣兵衛(1823-1864)がその後どうなったのか描かれることはほとんどない。惣兵衛は事件後、家族を連れて親戚宅へ逃れ、自分も隠れたが翌6日捕らえられ、7日入獄。7月13日に獄死している。42歳の若さだった。墓は浄円寺(京都市上京区下立売通七本松西北角)にある。墓は入江姓になっている。京都霊山護国神社にある墓は池田屋惣兵衛と記されている。

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 池田屋の内部

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 京都霊山護国神社の墓

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

池田屋の惣兵衛・・・
人間にはだれにでもドラマがある。

そうですか・・・池田屋の惣兵衛さんは獄死ですか。仲間と見られたのでしょうか。ま、仲間ですがね。

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