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2017年7月 6日 (木)

藤堂平助

    按摩を生業とする夫婦に拾われた平助は、藤堂和泉守高猷の御落胤として信じて生きた。千葉周作の北辰一刀流玄武館に学んだ。そしていつ頃か、江戸牛込甲良屋敷の一角にあった試衛館道場にかようようになった。当時、近藤道場には、土方歳三、沖田総司、永倉新八、原田左之助、山南敬助などがいた。この年、平助は20歳になっていた。沖田総司と同年である。元治元年の池田屋騒動のときには、「魁先生」の異名にたがわず、真っ先に切り込んでいる。幕府から近藤、土方に次ぐ、褒賞金20両を受けた。だが平助は伊東甲子太郎らとともに脱退したのち、七条油小路で乱刃の中に24歳の若さで果てた。かれが本当に藤堂和泉守の御落胤だったかどうか誰にもわからない。本日のBSプレミアムシネマは「新選組」(1958)。鞍馬天狗や月形半平太も登場する東映時代劇全盛期の娯楽大作。7年後テレビ制作の「新選組血風録」とは大きくことなる。急転する時流のなかで悲惨な末路を迎える新選組隊士を描いた血風録とちがい、池田屋事件を中心に千恵蔵御大の貫禄でなる作品。テレビでは歴史にそった物語を描くことがより求められる時代となった。テレビ作品からは沖田総司、斎藤一という隊士も有名になった。映画とテレビ両方に出演しているのは徳大寺伸である。映画では藤堂平助、テレビでは原田左之助を演じている。

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