儒仏道と日中韓
最近、ケント・ギルバート著「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」という本がベストセラーだという。このような意見が支持される背景にはミサイルの恐怖や中国の領海侵入などによる国民の間にある嫌韓、嫌中、嫌朝である。しかし、歴史的な長い視点で考えると、本書のような儒教有害論が正当性のあるものかは疑問がある。著者の根底には西洋人に根強くあるアジア人蔑視が感じられる。近代以前の日中韓が儒教国家というのは表層的な見方であり、中国は民間信仰は道教であり、韓国・日本は仏教である。儒教と仏教とは長らく対立した関係にあった。孔子は四つのことを教えられた。読書と実践と誠実と信義である。そして孔子の教えは漢代に儒教として確立した。ところが、その後、外来民族の侵入などによって、政治が分裂し、仏教を始めとする西方文化の流入などもあって、中国の社会や文化は変化した。とくに道教の流行である。富貴や寿命というものに対しては、人間の力の及ばないものとあきらめる。しかし、そのころ、不老不死の仙人になることを目標とする「神仙道」が生み出される。道教や老荘の思想は「怪力乱神を語らず」(論語・述而)とする儒教とは対立する。つまり六朝の時代、儒教vs道教・仏教という対立の構図が生ずる。中唐の韓愈(768-824)は、六朝以来の貴族的な文章に反対して、簡素な古文を復興したことで知られる詩人である。韓愈の古文主義はもちろん文体だけのことではなく、思想の問題でもある。六朝以後唐代になって、時代精神は老荘、仏教、道教にあった。韓愈の代表的な論文「原道」は、道、徳という抽象詞のもとに私的なものを考える仏、道は許されない。儒学の仁義こそ公的なものだという。のちの朱子の道統論や宋学、朝鮮、江戸時代の朱子学にも影響を与える。
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