戦後イタリアの映画と音楽
映画「家族日誌」(ヴァレリオ・ズルリーニ監督)が日本で公開されのは、東京オリンピックが開催されていた昭和39年のことだった。ラスト近くで病気で衰弱した弟のロレンツォ(ジャック・ぺラン)がオレンジ・マーマレードが食べたいと言い、兄のエンリコ(マルチェロ・マストロヤンニ)が雨の中を探し回るが見つけることができなかった。「この時ほど戦争を恨んだことはなかった」
イタリアは日本と同じ敗戦国。小市民生活の哀歓を描く作品も多く、ハリウッド映画と異なり、庶民が共感できる映画が多かった。「靴みがき」「自転車泥棒」(ビットリオ・デ・シーカ監督)、「にがい米」(ジュゼッペ・デ・サンテス監督)、「無防備都市」(ロべルト・ロッセリーニ監督)など。イタリアン・ネオリスモは国際的ブームとなった。その後もフェデリコ・フェリーニの「道」「「カビリアの夜」「甘い生活」、ピエトロ・ジェルミの「鉄道員」「わらの男」「刑事」、ミケランジェロ・アントニオーニの「情事」「太陽はひとりぼっち」、ヴァレリオ・ズルリーニの「家族日誌」、エルマンノ・オルミの「就職」、マウロ・ボロニーニの「堕落」など芸術性の高い作品がイタリア映画界から生まれた。カトリーヌ・スパーク主演「太陽の下の18才」(1962)の挿入歌「サンライズ・ツイスト」から世界的なツイストが大流行する。
日本でのイタリアブームは映画だけではなかった。1960年ローマオリンピックの影響もあって、ポピュラー音楽では、「ボラーレ」「コメプリマ」などカンツォーネブームが1965年頃まで続いた。森山加代子の「月影のナポリ」(ミーナ)、ザ・ピーナッツ「ブーべの恋人」、弘田三枝子「砂に消えた涙」(ミーナ)などのカヴァ曲がヒットパレードでアメリカン・ポップスを抑えてカンツォーネが第一位を飾っていた。ホイホイミュージックスクール出身の布施明の発声法はいまでもカンツォーネ風なのはその影響によるものである。伊東ゆかり「恋する瞳」のサンレモ音楽祭入賞を頂点として、日本でのカンツォーネブームは衰退に向かう。
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