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2017年6月 9日 (金)

軽井沢心中(有島武郎の情死)

Hatanoakiko   有島武郎忌日。45歳。「殊に婦人が愛なき結婚関係によって自己の物質生活の安固を得るが如きは、何と考へても一種の奴隷的売淫生活であり、野蛮時代の売買結婚の遺風に過ぎない。又たとひ一夜の契と雖も、そこに恋愛が存在して居たならば、それは確かに一種の結婚であって売淫ではない」(有島武郎)

   大正12年7月12日の各新聞の見出し「有島武郎、美人記者と情死」を見たものは、誰もどんなに驚いたことか。人道主義、博愛主義的な作風で大正文壇の中心的存在であった有島は、妻の安子(旧姓名、神尾安子)に先立たれ、三人の子供をかかえ、当時45歳の独身だった。波多野秋子は、18歳で波多野春房と結婚し、大正7年に高島米峰の紹介で中央公論社に入社、以来「婦人公論」の記者として活躍し、当時30歳だった。有島武郎と波多野秋子が知り合いになったのは、事件の1年ほど前のことで、それ以来、二人はおたがいに深くひきつけられ、愛し合うようになった。波多野春房は、有島に対し、「秋子をここまで育てあげたのだから、ただでは渡せない、1万円よこせ」という意味の脅迫をした。有島にこの不純な言葉がのみ込めるわけがない。有島は妻を病死させていたが、その傷心を癒すため妻の入院していた病院の患者すべてに花束を贈ったという人だ。愛情を金銭にかえることをできるわけがない。その翌日(6月9日)、軽井沢の別荘で二人は縊死した。

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コメント

はじめまして
波多野春房の出自を調べています
分かる範囲で春房の系図等で出自を教えてください

波多野春房は明治18年生まれで、アメリカに留学して英語塾を経営していた。福岡県の吉野宮宮司・春麿の長男。それ以上、詳しいことは知りません。

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波多野秋子、知的で美しい女性ですね。

太宰治も心中…。昔、感銘を受けて読んだ小説の作者達が、女性を巻き込んで人生を狂わせてしまったり、作家自身が神経症に悩まされていたり…。夏目漱石もしかり。名作を残す作家というのは、どうも精神が脆いように思えます。

物事をあれこれ深く考え、悩み、追求して苦悩する人間よりも、よく食べよく笑い、「あー、今日も、仕事頑張ったなぁ。飲みにでも行くか」「パチンコでもすっか」みたいな人の方が、悩まず、健康で、ぐっすり眠れて、嫌な事は一晩で忘れ、力強く生きてるような気がします。

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