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2017年6月25日 (日)

イルマーレ

   ビデオで録画しておいた名作をみなおす。海辺の一軒家「イルマーレ」に引っ越ししてきた青年ソンヒョン(イ・ジョンジュ)は、郵便箱にウンジュ(チョン・ジヒョン)という女性からの手紙が入っているのを見つける。その日付は1999年、しかも今年は1997年の末だ。いぶかしむソヒョンだが、なぜか文中に書かれている通りのことが起こり、手紙が未来から届いていることを信じるようになる。ソヒョンとウンジュは郵便箱を媒介に文通を始め、いつしか惹かれ合っていく。郵便箱を通して、2年の時空の差を隔てて生きる男女が手紙で愛を育んでいく過程を穏やかに描く。2年前に文化開放で岩井俊二監督の「Love Letter」が韓国で話題となったが、この作品はその影響を受けているのかもしれない。

東京タワーは戦車で出来ている

Photo_7    大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米国・ソ連の対立を背景として、1950年のこの日衝突し、国際紛争にまで発展、いわゆる朝鮮戦争と呼ばれ、わが国は特需が増大する。10月8日、国連軍が38度線を突破。1953年7月休戦。その5年後の1958年に建てられた高さ332.6メートルの東京タワー。この東京タワーは、実は米軍の戦車で出来ている。朝鮮戦争が終わって不要になった米軍の戦車は日本の民間業者に払い下げられていた。当時、日本には、基幹産業である高炉会社はまだ十分に育っておらず、戦車のスクラップは貴重である。そこで質のよい戦車90台の精鉄が3000トン分が使用された。それは東京タワーのおよそ3分の1を占めているといわれる。(6月25日、参考:生方幸夫「解体屋の戦後史」)

何でも知って、何でも考えよう

Abogadoscostadelsol4 「ケペル先生のブログ(日々の話題あれこれ)」 ごめんなさい。最近、体調不良によりコメントの返礼ができませんので悪しからず。

  閑静安適の日々を過ごしながら、学ぶことそのものを喜びとしたい。このブログにおいて「何でも知って、何でも考えよう」の精神で、古今東西の興味深い薀蓄・情報・トリビア・豆知識を集め、その成り立ちを明らかにして、由来を調べる。わからないこと知らないことは、放っておいても実のところ当面、何かに不自由するということはない。でも人間不思議なもので知らないでいることは気にかかる。ネットでも本でもなんでも使って、とことん調べてみたい。17世紀イギリスの詩人ベン・ジョンソンのことばに「多くの事をするのはやさしいが、一事を永続するのはむずかしい」とある。いわばこの10年間に調べた雑学事典である。現在の記事数は、11323件。

   記事の叙述は、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「なぜ」「どのように」を軸に、わかりやすい文章を心がける。:現代的な事柄も取り上げながらも学問的にも、高い品位を保ち、一般教養人が読むに堪え得る内容につとめ、実証主義に立脚した研究をめざす。一日一日の着実な積み重ねで、あらゆる分野でもかなりの地点まで到達することができると信ずる。日頃から、見聞を広げ、多くの文献を渉猟し、知識を蓄えるように心がけたい。

   主なカテゴリーと人気記事一覧
雑学室

ケペル先生何でも相談室▽アナロギア・エンティス▽理髪店の回転看板の由来▽マクンバの呪い▽チャルメラのルーツ▽世界の郵便ポストは黄色が主流である▽「朝シャン」はもう死語なのか?▽ピースサインの起源▽読みにくい名前はなぜ増えたのか?▽じゃん拳の歴史▽必死のパッチ▽勝負は下駄を履くまでわからない▽右と左の話▽これを何と呼ぶのか?(物の名前)▽見ざる、言わざる、聞かざる▽次位者の嘆き▽ガッツポーズの研究▽これがグリコのモデル、カタロン選手のゴールの雄姿だ!?▽ラッキーセブンは本当にラッキーか?▽握手の起源▽洗濯板の研究▽正しい「シェー」とは?▽ツチブタの呪い(aaで始まる話)▽一本のマッチ棒の値段は?▽ミーハーの語源▽謎のナゾーニ▽名刺の由来▽八百長の語源は相撲にあり▽キスは奈良時代からあった▽なぜ仮名は山田太郎なのか?

地歴室
▽アジア人文地理▽日本の位置と領域▽国号「日本」ニホンか、ニッポンか▽ユーラシアの地名の由来は?▽なぜ地図の上は北なのか?▽赤と白が多く使われている国旗▽タンソネ東小島▽社会科挽歌~軍艦島、ハッカ、ニシン▽韓国の長生標▽西域とシルクロード▽ロンドン大火とテムズ川▽ハールレムを守った少年▽ヴェーバーの工業立地論▽世界発明・発見の歴史年表▽戦争の世界史▽古代エジプトの椅子▽古代エジプトの猫崇拝▽マラソン由来の伝令は誰れ?▽古代ローマのフライパン▽世界最初の王メバラゲシ▽ソクラテス「悪法もまた法なり」は作り話▽イエスは十字架刑か、杭刑か▽コロンブスの卵▽カント 時計よりも正確▽予の辞書に不可能という言葉はない▽中国文明の歴史(概説)▽古代中国の座位(座席の順序)▽フリードリヒ大王と粉屋アーノルト事件▽マーピラの反乱▽秦の始皇帝の母・朱姫▽三顧之礼▽蒙古斑と騎馬民族説▽朝鮮王朝の禁婚令について▽女人禁制▽江戸の拷問「ぶりぶり」▽毛利元就「三矢の訓え」は作り話か?▽利休キリシタン説▽明治のうさぎブーム▽ふるさとの偉人▽補陀洛▽死んでもラッパをはなしませんでした▽ラコニア号遭難事件▽貨狄尊者

人物・伝記室
有名無名を問わず、生涯を賭して一事を成した人たち▽謎の俳優駒井哲▽戦国忍者列伝「走りの一平」▽丿貫(へちかん)▽寺田望南の蔵書印▽ワシントンと桜の木▽リンカーンが鬚をはやしたわけ▽林静子と廃娼運動▽平井金三▽トルストイの身長は?(有名人の身長測定)

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自然科学室
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芸術・文芸室
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 メールアドレス:nikawayuki@ jttk.zaq.ne.jp

2017年6月24日 (土)

マギー・ミネンコ

テレビから消えそうなハーフ・タレント。ランキング1位はマギー、2位ダレノガレ明美、3位滝沢カレン、4位ローラ、5位ホラン千秋。マギーは巨人の助っ人でも、マギー司郎でもない。ましてやマギー・ミネンコでもない。うわさのチャンネルの出ていたマギーのギャグは「乳揉め~!」だった。

初恋は実らない

フランス女優カトリーヌ・ドヌーヴが来日。「シェルブールの雨傘」(1964)は戦争が若い恋人を引き裂いた悲恋だった。数年後、日本では舟木一夫と内藤洋子で「その人は昔」というミュージカル風の悲恋ものが当たった。やはり昔から実らぬ恋ほど感涙するものはない。「草原の輝き」(1961)も青春悲恋ものの元祖といえる。大林信彦の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」もファンタジー風の初恋もの。近年では「大人ドロップ」もよい。

雑学の威力 18集

Trivia やくみつる「雑学の威力」(小学館新書)博識の漫画家であり、最強のクイズ王である著者が、雑学の威力を伝授する。雑学を身につけ、それを正しく使うことができれば人生が好転する!

 優雅で上品な雰囲気が漂うモーツァルトの曲に「俺の尻をなめろ」という変な題の曲がある。▽1958年から1976年にかけて起きたアイスランドとイギリスとの漁業紛争を、Cold War(冷戦)をもじって、Cod War(タラ戦争)という。▽松本明子はスター誕生決勝大会で、本田美奈子や徳永英明を抑えて優勝している。▽漫才師ヒロシの芸名はアナウンサー生島ヒロシに由来する。たまたま家にあった雑誌の表紙に生島が写っていた。▽「3年目の浮気」ヒロシ&キーボーには「5年目の破局」という曲がある。▽マギー司郎の「マギー」とはドイツ語magieで「魔法の」「不思議な」の意味。▽タヌキの置物で知られる信楽焼は古くは奈良時代にまでさかのぼることができる。▽「だんだん」とは島根・出雲地方の方言で「ありがとう」の意。▽「あまちゃん」に出演している女優・伊勢志摩は三重県ではなく岩手県の出身である。▽ペギー葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」は最初、丘京子が歌った。▽プラモデル生産日本一は静岡県。▽太宰治の故郷として有名な金木町は、津軽三味線の誕生地でもある。▽三国志に孔子の20代目の子孫、孔融がいる。後漢の忠臣のひとりだが、曹操に斬罪される。▽タヒチ島で有名なゴーギャンだが、死亡したのはタヒチから1300㎞離れたマルキーズ諸島である。C5b2427bs ▽1951年好感度タレント。三船敏郎、佐田啓二、乙羽信子、岡晴夫、川路龍子。川路は松竹歌劇団の男役スター。戦争で若い男性が不足していたので男装の麗人が流行ったから。▽アグネス・チャンは6人兄弟。3姉妹の末っ子。アグネス・ラムは4姉妹の末っ子。▽1966年ビートルズ来日公演。そのときの前座はブルー・コメッツとザ・ドリフターズだった。▽デビュー時の中森明菜のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(み・ルーキー・っこ)」▽史劇「ナポレオン」(1831)などで有名なドイツの天才的劇作家クリスチャン・ディートリッヒ・グラッベ(1801-1836)。飲酒癖と結婚の失敗が因となって窮乏のうちに病死した。グラッベの名言「女は深く見るが、男は遠くを見る。男にとっては世界が自分で、女にとっては自分が世界」▽三陸海岸の宮古以北は隆起海岸であるため、厳密に言えば沈降が条件となるリアス式海岸ではない。▽ルリユール reliure 製本。特に、職人が手作業でつくる、工芸品としての装丁やその技術のこと。フランス語。(Christan Dietrich Grabbe,Napoleon oder die Hundert Tage、雑学ブログ)

雑学、小ネタでなぜ悪い

うんちく、知識の雑学ブログ

Dolphin   イルカはクリックスと呼ばれる高い周波数を持つパルス波を出し、物体にあたり跳ね返ってくる反響をキャッチし、物体などの距離や、方向、大きさ、硬さなどの情報を得る。▽川野夏美「悲別~かなしべつ~」。ドラマ「昨日、悲別で」の舞台となった北海道・悲別は架空の地名だが、駅が観光資源として残っている。▽紅白歌合戦で初めてジーンズ姿で歌った歌手は1969年初出場のカルメン・マキ。▽外国女優名をカナ表記にして五十音順に並べると一番初めに来るのはアイリーン・ダン。外国人名で一番後ろに来るのは、ササン朝ペルシアの王ワルガシュ(在位484-488)である。▽豊臣秀吉の朝鮮出兵の裏には、秀吉自身がまず北京に入り、その後、寧波(ニンポー)に居住して本拠とし、東アジア帝国をつくるという構想があった。▽「ファーブル昆虫記」で世界的に有名なジャン・アンリ・ファーブルは母国フランスではあまり有名ではない。▽江戸時代に女性天皇が2人も誕生した。明正天皇と後桜町天皇である。▽村上春樹は神宮球場でヤクルト・広島戦を観戦中に突然「小説が書ける」と感じ、ジャズ喫茶を閉店した。翌年に完成したのが「風の歌を聴け」だった。

Trivia_p02_01▽アコースティック・ギターとはアンプを使わない生ギターのこと。▽モーツァルトは作曲家としてだけでなく、一流のピアニストとしても人気があったが、彼がウィーンに住んでいた頃に愛用したピアノには、オルガンのように足で操作する足鍵盤が付いていた。▽「Yahoo!」のネーミングは「ガリヴァー旅行記」第4部に登場する「ヤフー」(卑俗悲惨なヒト)がその由来らしい。▽セルビアではゴボウがお茶として飲まれている。▽吉永小百合の120本目の出演作となる映画「北の桜守」がまもなく公開される。70歳を過ぎても主演映画を撮り続ける女優は世界中をさがしてもめずらしい。(雑学)

石上宅嗣忌日

62839f65290b6786adaf0293e9288bd2    781年この日、石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)の忌日。761年、奈良県山辺の邸宅にわが国最初といわれる公開図書館「芸亭(うんてい)」を開設した。しかし宅嗣の没後、都が長岡京へ遷都されたために芸亭は消滅したらしい。宅嗣は淡海三船と並び称される漢詩文の文人で、その詩は「経国集」に収められている。なお芸亭の所在地については、古来多くの学者によって研究されてきたが、現在では奈良市立一条高校付近(奈良市法華寺町1351番地)だと考えられる。その根拠となったのは、林宗甫が天和元年に著した「和州旧跡幽考巻4」に阿閦(あしゅく)寺の跡地が記されており、そうしたことから、法華寺の南東方面である一条高校の近くと推定したものである。(6月24日)

2017年6月23日 (金)

日本人の名前

   1870年9月19日、戸籍整理のため、平民も苗字を名乗ることが許された。しかし当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。しかし5年後の1875年2月には苗字を称することが義務づけられるようになった。

  山口さん、宮崎さん、千葉さんのように、47都道府県名と同姓のなかで、苗字として存在しないのは、愛媛さん、沖縄さんの2つ。北海道は北海さん、大分さん、東京さんは稀姓。いま岸和田市に在住する東京さんのご先祖は江戸久米吉という名前であったが、そのルーツは江戸が東京と改称されるとき自分の苗字を東京と改名したらしい。

   日本人の苗字の数はおよそ29万件もあり、その種類の豊富さでは世界一であろう。したがって稀姓も多い。躑躅森(つつじもり)、雲類鷲(うるわし)、鷦鷯(ささき)などなど。連続クイズホールドオンを見ていると、ヨガ講師の大豆生田範子さんがチャンピオンで登場。漢字四文字の苗字は珍しい。「おおまみゅうだ」と読むのだろうか。金田一春彦によると、日本語で「みゅ」という発音が現れる苗字は珍しいという。司会の山口智充は「おおまみえだ」と発音していた。読み方は27通りもあるという。

   難読苗字の代表といえば「小鳥遊」。「たかなし」と読む。意味は、小鳥が遊ぶ→天敵(鷹)がいない→たかなし。むかし信濃国の高梨盛光が、長男に高梨、次男に鳥梨、三男に小鳥梨、四男に仁科の姓を与えたことに由来する。「月見里」。「やまなし」と読む。月が見える里→山が無い。「愛宕」は愛宕神社などあり、ふつう「あたご」と読まれる。だが元朝史などで知られる愛宕松男(1912-2004)は「おたぎまつお」と読む。

ちなみに同姓同名はサトウ・ケイコが約22,000人でいちばん多い。

苗字は家系を示すものでもある。岩手県岩泉町で台風10号の被害の視察で内閣府の政務官が長靴を持参しておらず、同行者に「おんぶ」されて水たまりを渡ったことが話題となった。その政務官の名前は務台俊介。「むたい」という苗字は珍しいが哲学者の務台理作を思い出す。務台俊介の出身地も長野県なので一族とみてよい。(9月19日)

独歩忌

Kunikida   国木田独歩は、明治34年、近代画報社に入り編集の仕事に携わったことから、明治39年8月24日、東京芝区桜田本郷町17番地に独歩社を起こし、「近事画報」「新古文林」「婦人画報」その他を同社からひきついで出版した。数冊の単行本、十種類余りの雑誌を刊行したが、「婦人画報」を除いて売れ行きはおもわしくなかった。独歩社の経営はうまくいかず、その後、経営は破綻し、後半生の生活は経済的にはめぐまれなかった。明治41年2月、肺を患って入院、療養の甲斐なく、6月23日、36歳で他界した。

   しかし、独歩と同じ早稲田出身の鷹見久太郎(思水、1875-1945)、窪田空穂(1877-1967)らは独歩社の若手社員として編集出版の仕事を学んだ。のちに鷹見は東京社を創設し、「婦人画報」「少女画報」「コドモノクニ」などの出版で成功をおさめた。独歩が創刊した婦人総合雑誌が100周年を越えている。最初の妻である佐々城信子との離婚で女性に苦労した観のある独歩であるが、有名な婦人雑誌の生みの親であるというのも人生の妙味であろう。

2017年6月22日 (木)

フランス女優史

Quatorzejuillet_342926_22002  カトリーヌ・ドヌーブがNHKごごナマ「生出演」。御年73歳ながらその美貌はいまも健在なり‼。フランス映画祭の団長として来日。新作「ルージュの手紙」。

   日本で最初に人気がでたフランス女優といえば「巴里祭」(33)のアナベラ(画像 1910-1996)だろうか。花売娘というイメージがあるが、米俳優タイロン・パワーと離婚後のことは詳しくは知らない。アナベラ以前に、もちろん無声映画時代サラ・ベルナールやミスタンゲットという大スターがいた。その後、フランソワーズ・ロゼー(外人部隊、ミモザ館)、アルレッティ(天井桟敷の人々)、マリー・ベル、ミシェル・モルガン(霧の波止場)、ダニエル・ダリュー(うたかたの恋)、リリー・パーマー。エドウィージュ・フイエール、ヴィヴィアンヌ・ロマンス、マドレーヌ・ロバンソンなどが出現、フランス映画の黄金期であった。戦後はシモーヌ・シニョレとジャンヌ・モローが代表だろう。ミシュリーヌ・プレール、アヌーク・エーメなどもいるが、やはりブリジッド・バルドーの出現は映画史上画期的なものであった。バルドーのような小悪魔として、カトリーヌ・スパーク、ミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、カトリーヌ・ドヌーブ、ナタリー・ドロン、ミレーユ・ダルク、ドミニク・サンダが登場した。現代フランスを代表する映画女優はカトリーヌ・フロ、ソフィー・マルソー、イレーヌ・ジャコブ、イザベル・アジャーニ、エマニュエル・ベアール、オドレー・トトゥー、ジュリエット・ビノシュ、マリオン・コティヤール、ヴァネッサ・パラディ、エヴァ・グリーンと個性的な女優が出現している。(Anabell)

映画を毎晩遅くまでみる

 最近、映画館にほとんど出かけることのない僕ですが、テレビで深夜まで一日4本くらいは見る。神戸市立図書館の有名な司書、橋元正一さんは生涯1万本は見たといわれる。映画評論家の淀川長治はもちろんそれよりずっと多い。単純計算によると8万4千本という数字がネットでみられる。最近みた映画。園子温「地獄でなぜ悪い」(2013)ハチャメチャだけど面白い。長谷川博己が怪演。ほか二階堂ふみ、星野源も出演。「大人ドロップ」(2014)池松壮亮の青春映画。橋本愛、小林涼子が可愛い。韓国映画「永遠の片思い」自殺したイ・ウンジュは小柴風花に似ていた。石原裕次郎没後30年。なぜかNHKが西部警察を放送。大門刑事にとどめの一撃を与えたのは中村晃子だった。「嵐を呼ぶ男」裕次郎の弟役の青山恭二。芸能界を引退して奄美で漁師をしている。

「ハイジャック」は飛行機じゃなくて駅馬車や機関車の強盗だった(雑学百科事典)

   自然現象から人間の活動、文化・芸術・科学ほか日常生活まで、ありとあらゆる事柄について調査研究する雑学ブログ。

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 1970年12月15日オランダのハーグで「飛行機の不法な奪取の防止に関する条約」通称ハイジャック防止条約が締結された。この「ハイジャック」の語源は、西部開拓時代に強盗が「ハーイ、ジャック君」と呼びかけて機関士を脅したことからきている。▽ダンカンの息子の名前は「甲子園」。▽衣笠祥雄の愛称「鉄人」というのは背番号が「28」だから。▽イチローのプロ入り初ホームランは1993年6月22日、野茂英雄投手より放っている。▽キャンディーズ「春一番」の作曲家、穂口雄右の奥様は歌手の神田広美。▽便所を「雪隠」というのは、中国浙江省の雪隠寺の雪宝和尚が便所掃除が好きだったから。▽世界の国の政体。アメリカ合衆国は大統領制、イギリスは立憲葷酒・議院内閣制。では日本は?天皇の国事行為をどうとらえるかで意見がわかれる。立憲君主制説と共和制説がある。▽スイスにはスイス語というものはない。▽相撲甚句。「じんく」の語源は、江戸中期(宝永)に流行した盆踊歌のなかの「甚九節」(長崎の商人海老屋甚九郎のこと)が越後に伝わって「越後甚句」になったといわれる。▽ドライアイス(固体二酸化炭素)は1925年米国ドライアイス社が商標登録した商品名である。▽アメリカの能率学者フランク・ギルブレスは「1ダースなら安くなる」を実践して、12人の子供をもうけた。▽江戸初期の陶工、野々村仁清は、作品に銘印を入れることを最初にした人である。▽チーチャックとはセルビア語で「ゴボウ」のこと。セルビアではゴボウを煎じたお茶が好まれる。▽「男女の三角関係のもつれ」三角関係という言葉は森鷗外の訳語▽青木光一「柿の木坂の家」東京目黒のマンションではない。特定の地名ではなく、田舎によくある柿の木のある風景である。

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2017年6月21日 (水)

あれはナイチンゲール、ヒバリじゃないわ

    ジュリエットはロミオと一夜を過ごす。夜明けが近づいてヒバリが鳴き始めて、やがてロミオとの別れが近づく。ジュリエットは別れがつらくて「あれはヒバリじゃなくて(夜に鳴いている)ナイチンゲールよ」と言う。

It was the nightingale,and not the lark.

Sudhakar1431803083   羽は赤ちゃけた色をしており、腹は灰白色で、姿は美しいとはいえないが、声はもっとも美しい鳥としてイギリスでは詩にしばしば登場する。夜明け前によく透る声で鳴く。
    英詩でナイチンゲールがうたわれるようになったのは13世紀の後半からである。この鳥は季節からいえば春と夏とにまたがっている。イギリスの夏は暦の上では夏至(6月21日)から秋分(9月22日あるいは9月23日)までをいうが、実際には5月半ばから8月下旬までをいう。イギリスの夏は涼しく、花も美しい。6月、7月が夏のさかりといってよい。

2017年6月20日 (火)

一発屋「浪曲子守歌」から「トイレの神様」まで

652576   広辞苑によると、「一発芸」とは「1回だけの動作で、人を笑わせたり驚かせたりする芸」とある。ビートたけしが股の間を両手で大きく上下して、「コマネチ」というギャグなどをさすのであろうか。一発芸「ゲッツ!」のダンディ坂野は、自分のことを「一発屋」と称している。ところがダンディ坂野、意外にも2012年CM起用ランキング8位とランクイン。同様に、歌手の円広志や猿岩石の有吉弘行が一発屋の自虐ネタで売れている。

   では、一発屋とは何か。広辞苑には解説がないが、ウィキペデイアには次のようにある。「一発屋とは、一時的な活躍をみせた芸能人などに対するやや侮蔑的な意味合いのある呼称」とある。本来は野球解説などで、代打ホームランを期待する選手に対して、「一発屋」と称されたものであるが、かなり以前からテレビなどで、「一発屋」という語が普及されるにいたっている。何が、「一発屋」であるかを特定することは人により異なるが、大ヒット曲を出して、その後ヒットが続かず、歌番組では常に同じヒット曲しか歌わしてもらえない歌手のことを一発屋といってさしつかえないだろう。「一発屋」の言葉の古い使用例としては、嘉門達夫の唄に「一発屋ブルース」(1984年)がある。曲としては、円広志「夢想花」、城みちる「いるかに乗った少年」、城卓也「骨まで愛して」が典型例だろう。芸能界には「円」「城」などの1文字の姓は一発屋になるジンクスがある。幼いころの祖母との想い出を歌に込めた「トイレの神様」が大ヒットした植村花菜。当時幅広い世代の人から愛される曲となった。しかしこの曲の印象が強すぎたせいか、それ以降の彼女の活動をあまり知らない。アマゾンの一発屋ランキング調査によると、植村花菜は一発屋だと思う芸能人、堂々の第一位に輝いている。もちろん彼女はまだ若いので、新曲が大ヒットして再ブレイクする可能性は十分にある。

    近年、一発があることはまだましな話で、不発屋からみれば羨ましいという声もある。一作でも大ヒットを残したという事実を前向きに評価する傾向にあるようだ、ゲッツ!。そこで、予断と偏見をもって一発屋芸人を総まくりしてみよう。

   一節太郎「浪曲子守唄」、安達明「女学生」、マイク眞木「バラが咲いた」、二代目コロンビア・ローズ「智恵子抄」、青山京子「愛と死をみつめて」、笹みどり「下町育ち」、千葉紘子「折鶴」、新谷のり子「フランシーヌの場合」、バンバン「いちご白書をもう一度」、ダ・カーポ「結婚するって本当ですか」、子門真人「およげ、たいやきくん」、千賀かほる「真夜中のギター」、月亭可朝「嘆きのボイン」、湯原昌幸「雨のバラード」、平浩二「バス・ストップ」、ガロ「学生街の喫茶店」、渥美二郎「夢追酒」、さとう宗幸「青葉城恋歌」、青い三角定規「太陽がくれた季節」、松崎しげる「愛のメモリー」、堀江淳「メモリーグラス」、五十嵐浩晃「ペガサスの朝」、伊藤敏博「サヨナラ模様」、雅夢「愛はかげろう」、中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」、岸田智史「きみの朝」、久保田早紀「異邦人」、小林明子「恋におちて」、沢田知可子「会いたい」、石井明美「CHA-CHA-CHA」、アラジン「完全無欠のロックン・ローラー」、円広志「夢想花」、宮史郎「女のみち」、クリスタルキング「大都会」、松村和子「帰ってこいよ」、尾形大作「無錫旅情」、CCB「Romanticが止まらない」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、佳山明生「氷雨」、半田浩二「済州エア・ポート」、浜田省吾「悲しみは雪のように」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、猿岩石「白い雲のように」、GAO「サヨナラ」、大泉逸郎「孫」、KAN「愛は勝つ」、花*花「あ~よかった」、Kiroro「長い間」、波田陽区(ギター侍)、はなわ、楽しんご(ラブ注入)。一発屋予備軍は植村花菜「トイレの神様」、ジェロ「海雪」、秋元順子「愛のままで・・・」など。

カタラウヌムの戦い

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 カタラウヌムの戦い

    パリ東方シャンパーニュ地方のカタラウヌム(またはカンプス・マウリアクス)。ここで451年6月20日、東西の雌雄を決する大戦が行われた。西ローマのアエティウスを総大将とする西ヨーロッパ連合軍とフン族のアッティラ(406?-453)の率いる大軍が激突。凄惨な戦いは一日中続き、ローマ側主力軍の西ゴートのテオドリックが戦死したが、軍配はかろうじて西ヨーロッパ連合軍にあがった。敗れたアッティラは、452年、ヴェネツィアを荒らし、ミラノを占拠する。だがアッティラの陣営に疫病と飢餓が発生する。教皇レオ1世はアッティラと交渉し、フン族は莫大な貢納の約束とひきかえに、イタリアから撤退することになった。(Attila)

2017年6月19日 (月)

桜桃忌

Img_2308_5289321_0    本日は太宰治の命日。東京都三鷹市の禅林寺で供養が行われる。太宰が東京・玉川上水に入水自殺し、遺体が上がったのが誕生日でもあるこの日。桜桃が熟するころで、太宰の晩年の作品で好評だった「桜桃」から桜桃忌と呼ばれる。

   太宰治の叔母の言ふ。「お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい。お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。お前は嘘がうまいから、行ひだけでもよくなさい」

   芥川賞候補の太宰に対して、選考委員だった川端康成は選評の中で太宰の生活態度を「生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる・・・」と批判した。それに激怒した太宰は「小鳥を飼い、舞踏を観るのがそんなに立派な生活なのか」と反論した。

   志賀直哉はある座談会で太宰を「僕は嫌いだ。あのポーズが好きになれない」と評した。これに対して、太宰も志賀を「薄化粧したスポーツマン」などと罵倒した。この対立の背景には、太宰の志賀に対する畏敬とコンプレックスがあったのかも知れない。(6月19日)

2017年6月18日 (日)

アイドル道不覚悟

   昨夜のAKB総選挙で20位に選ばれた須藤凛々花が突然の結婚発表をした。AKBグループには男女交際は禁止という鉄の掟が存在する。事実、その後で第11位に選ばれた高橋朱里が「ファンを悲しませるようなことはしない」と須藤を暗に批判している。心情的には若い女性が恋愛をしたり、ボーイフレンドの1人や2人いるのは自然のこととは思うが、アイドルとしての商品であることを考慮すればファンへの裏切り行為とみなされる。それはまるで新選組の局中法度、「士道不覚悟」、士道に背いた者は切腹、という思想に近い。士道ならずアイドル道だが、アイドルとしての心得がなく、アイドルを名乗る資格がないというものである。このような話はハリウッドの芸能界ではあまり聞いたことがなく、きわめて日本的な思想かもしれない。

著名人の戒名

Bagpgv8ceail7qk   戒名・法名を眺めていると、故人の生き様、思想、人柄、社会的業績を垣間見ることができる。例えば、浅野長矩の戒名は長い。「冷光院殿前少府朝散太夫吹毛玄利大居士」無念の思いは長い戒名にも表れている。

   だが最近は葬式もせず、骨を散骨することを希望する人も増えた。志賀直哉も無宗教で戒名はない。白洲次郎にいたっては「葬式無用、戒名不用」と遺言している。

落語家の立川談志は生前から自ら戒名を考えていた。

立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)

   ところが納骨のさい「うんこくさい(雲黒斎)では引き取れない」とお寺に断られた。1年以上も自宅に置かれたままだったが、数年してようやく小石川に受け入れてくれるお寺がみつかった。お墓の側面にはあの戒名が刻まれている。

位牌は、宋の時代に儒教・禅宗の中で生前の皇帝に対する皇帝碑として発生し、やがて禅宗の日本への伝播とともに、鎌倉時代から室町時代にかけて上層階級の間で普及した。江戸時代になって、元禄から享保年間の頃、広く一般化されたものである。(参考:保坂俊司「戒名と日本人」祥伝社)

   有名人の戒名調べる。松尾芭蕉だけはどうしてもわからない。

織田信長 惣見院殿贈大相国一品泰巖尊儀

明智光秀 秀岳宗光禅定門

豊臣秀吉 国泰裕松院殿霊山俊龍大居士

真田幸村 大光院殿月山伝心大居士

徳川家康 東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士

宮本武蔵 新免武蔵居士

石川五右衛門 融仙院良岳寿感禅定門

新井白石 慈清院殿釈浄覚大居士

近松門左衛門 阿耨院穆矣日一具足居士

本居宣長 高岳院石上道啓居士

小林一茶 釈一茶不審退位

平賀源内 智見霊雄居士

国定忠治  長岡院法誉花楽居士

清水次郎長 碩量軒雄山義海居士

西郷隆盛 南州寺殿徳隆盛大居士

福沢諭吉 大観院独立自尊居士

山県有朋 報國院釋高照含雪大居士

大隈重信 鳳猷院殿尚憲重信大居士

森鷗外   貞献院殿文穆思斎大居士

夏目漱石 文献院古道漱石居士

国木田独歩 天真院独歩日哲居士

芥川龍之介 懿文院龍之介日崇居士

東条英機 光寿無量院英機居士

吉田茂   叡光院殿徹誉明徳素匯大居士

太宰治   文綵院大猷治通居士

谷崎潤一郎 安楽寿院功誉文林徳潤居士

石坂洋次郎 一乗院殿隆誉洋潤居士 

林家三平  志道院釈誠泰

美空ひばり 茲唱院美空曰和清大姉

石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士

森繁久彌  慈願院釋浄海

松本清張  清閑院釈文帳

司馬遼太郎 遼望院釋浄定

手塚治虫  伯藝院殿覚圓蟲聖大居士

三島由紀夫 彰武院文鑑公威居士

大鵬    大道院殿忍受練成曰鵬大居士

淀川長治  長楽院慈眼玉映大居士

孔子及び論語関係文献目録

Photo_2  1690年2月7日、孔子を祭る湯島聖堂が完成した。孔子の学問を儒学として薦めたのは江戸時代になってからだが、すでに江戸初期にもその気運はあった。加藤清正は戦国の武将の例にもれず、本などあまり読まなかったが、教養派の前田利家の影響から読書するようになった。清正が、江戸と熊本を往来する船の中で、「論語」を読みながら朱点ほほどこしているのを見ていた飼い猿が、清正が厠へ行った間に主人の真似をして「論語」の上に縦横に朱の線を走らせてしまった。戻ってきた清正はこれを見てニッコリ笑い、「おぉ、そちも聖人の教えを知りたいか」と言って、猿の頭を撫でたという。この逸話によって、清正が平生「論語」に親しんでいたことがよくわかる。清正ならずとも心ある部将はみな論語を愛読した。大内義隆、徳川家康など。明治以後は渋沢栄一、下村湖人、武者小路実篤など。第一生命の創始者・矢野恒太にも『ポケット論語』の著書がある。講談社をつくった野間清治にも、事業運営の柱に「論語」を据えたことは、あまねく知られている。最近では野球の野村克也が『野村の実践論語』の著書を刊行している。明治以降、「孔子及び論語」に関する文献は何点くらい出版されたのであろう。国立国会図書館で検索すると14028件がヒットする。

  論語関係文献
図書の部
論語微 10巻 荻生徂徠
論語古義 10巻 伊藤仁斎撰 1712
論語 全4巻 朱熹 学習館 1870
論語集説 全6巻 安井息軒 1872
孔子 世界歴史譚第2篇 吉国藤吉 博文館 1899
論語新証 于省吾 1900
和論語 本社出版部 仏教図書出版 1900
孔門之徳育 亘理章三郎 開発社 1901
論語纂註 米良東嶠(倉子痩) 村上書店 1901
論語訓釈 斎藤清之丞 金華堂 1903
論語補註 山本章夫 山本読書室 1903
論語講義 上下 花輪時之輔講述 深井鑑一郎編 誠之堂 1903
孔門之徳育  1巻 亘理章三郎 開発社 1901
論語補註 2冊 和本 山本章夫註 京都・山本読書室 1903
孔夫子伝 蜷川龍夫 文明堂 1904
孔子研究 蟹江義丸 金港堂 1905
論語講義 根本通明 早稲田大学出版部 1906
孔子 西脇玉峰 内外出版協会 1909
論語経典余師 渓世尊講 宮崎璋蔵校訂 日吉丸書房 1909
論語講義 近藤元粋 篠田栗夫共著 大日本商業学会 1909
論語古義 佐藤正範 六盟館 1909
論語集説 漢文大系1 安井息軒 服部宇之吉校 冨山房 1909
論語講話 大江文城 東洋大学出版部 1909
孔子伝 遠藤隆吉 丙午出版社 1910
孔子 白川次郎 東亜堂 1910
孔子之聖訓 二條基弘 東久世通禧 名著学会出版部 1910
荻生徂徠論語辨 祥雲碓悟校 1910
論語弁 荻生徂徠 祥雲碓悟校 天書閣 1910
論語講義 一戸隆太郎 大成社 1910
論語国字解 一名経伝余師 渓世尊講 深井鑑一郎校 宝文館 1910
論語詳解 川岸華岳 郁文舎 1910
論語示蒙句解 漢籍国字解全書1 中村惕斎 早稲田大学出版部 1912
論語書目 中村久四郎編 孔子祭典会 1913
論語源流 林泰輔 自筆稿本 1915
孔子及び孔子教 服部宇之吉 明治出版社 1917
論語講義 漢文註釈全書1 三島毅(中洲) 明治出版社 1917
論語鈔 成簣堂叢書10  上村観光解題 1917
論語講義 細川潤次郎 南摩鋼紀共著 吉川弘文館 1919
孔子と其思想及教義 鈴木周作 弘道館 1922
渋沢子爵活論語 安達大寿計編 宣伝社 1922
現代に活かした論語講座 西川光二郎 丙午出版社 1924
孔子聖教之攻究 景仰子、柿本寸鉄 人文社 1924
孔子聖蹟志 馬場春吉 大東文化協会 1924
孔子研究 改版 蟹江義丸 京文社 1927
国訳論語 斯文会編 龍門社 1928
孔子鑑賞 大月隆仗 敬文館 1929
論語明解 江口天峰 至玄社 1929
孔子 小学児童学習の友 高橋喜藤治 郁文書院 1930
論語講本(集註) 島田欽一校訂 有精堂 1930
論語鈔 村上龍英 広文堂 1930
論語詳解 沢田総清 健文社 1930
孔子全集 全2冊 藤原正纂訳 岩波書店 1931
論語善本書影 大阪府立図書館編 京都・貴重書影本刊行会 1931
論語詳解 簡野道明 健文社 1931
論語證解 上中下 漢籍国字解全書28,29,30 早稲田大学出版部 1933
論語私感 武者小路実篤 岩波書店 1933
孔子 室伏高信 日本評論社 1934
孔子解説 学庸篇 北村佳逸 立命館出版部 1934
論語講義 岡田正三 第一書房 1934
論語心解 西川光二郎 自動道話社 1934
論語の解釈 村田慎三 白帝社 1934
論語詳解 前島成 大修館 1934
論語全解 島田鈞一 有精堂 1934
孔子及孔子教 住谷天来 新生堂 1935
孔子教の戦争理論 北村佳逸 南郊社 1935
論語評釈 大江文城 関書院 1935
論語講義 安井小太郎 大東文化協会 1935
論語古伝 10巻 仁井田好古撰 南紀徳川史刊行会 1935
論語大学中庸 漢籍を語る叢書2 田中貢太郎 大東出版会 1935
論語新解 国語漢文研究会編 明治書院 1935
孔子 社会科学の建設者・人と学説叢書 田崎仁義 三省堂 1936
孔子の生涯 諸橋轍次 章華社 1936
仁の研究 山口察常 岩波書店 1936
精講 論語百講 松田金重編 三省堂 1936
論語講座 全6巻 高田真治・諸橋轍次・山口察常編 春陽堂 1936-37
孔子伝 岡村利平 春陽堂 1937
孔子伝 (附)弟子列伝・集語 岩波文庫 藤原正訳注 岩波書店 1937
孔子とをしえ 加藤虎之亮 国民精神文化研究所 1937
孔子の思想・伝記及年譜 論語講座研究篇 春陽堂 1937
孔子の人格と教訓 塩谷温 開隆堂書房 1937
論語・孔子 室伏高信全集8 青年書房 1937
孔子 大教育家文庫1 和辻哲郎 岩波書店 1938
全釈論語 幸田露伴 双葉書房 1938
大学論語解義 四書研究 岩部撓・深谷賢太郎 啓文社 1938
論語精解 重野篤二郎 白帝社 1938
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1939
論語私見 上下 山本憲永弼 松村末吉家 1939
新講論語読本 西川光二郎 春陽堂書店 1939
論語読本(興亜国民) 上下 論語 東洋思想文庫 東洋思想文庫刊行会 第一出版協会 1939
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1939
論語と教養 谷口廻瀾 谷口廻瀾先生還暦記念刊行会 1940
孔子 武者小路実篤 講談社 1941
孔子と其の生涯 田中貢太郎 東海出版社 1941
孔子廟参拝記 菟田茂丸 平凡社 1941
算標論語集註 瀧川亀太郎 金港堂書籍 1941(1913)
論語と支那の実生活 後藤朝太郎 高陽書院 1941
論語詳解 最新研究 徳本正俊 芳文堂 1941
孔子・人とその哲学 室伏高信 潮文閣 1942
孔子の新研究 大月隆仗 新民書房 1942
孔子 和辻哲郎 植村書店 1948
論語総説 藤塚鄰 弘文堂 1949
論語十二回講話 西川光二郎 1942
論語と孔子の思想 津田左右吉 岩波書店 1946
論語抄 幸田露伴 中央公論社 1947
孔子とその弟子 下村湖人 西荻書店 1950
論語集註 簡野道明 明治書院 1950
孔子 岩波新書 貝塚茂樹 岩波書店 1951
孔子 室伏高信 潮文閣 1951
孔子廟堂碑 展大法帳1 虞世南 春潮社 1951
論語物語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1951
論語私感 三笠文庫 武者小路実篤 1951
論語私感 新潮文庫 武者小路実篤 1951
孔子 偉人物語文庫 小田嶽夫 偕成社 1952
孔子と老子 諸橋轍次 不昧堂書店 1952
論語に学ぶ 赤木三良 池田書店 1952
論語新解 簡野道明 明治書院 1952
全訳論語精解 重野篤二郎 桜井書店 1953
論語新釈 宇野哲人 弘道館 1953
論語全解 島田鈞一 有精堂 1953
孔子 角川文庫 和辻哲郎 角川書店 1955
孔子 武者小路実篤全集11  新潮社 1955
孔子 三一新書 尾崎辰之助 三一書店 1957
論語百選 現代人のために 三省堂百科シリーズ 新垣淑明 三省堂 1957
論語の言葉 現代に生きる言葉? 堀秀彦 実業之日本社 1957
論語と現状 岩越元一郎 明徳出版社 1957
論語新釈 学生社新書 魚返善雄訳 学生社 1957
論語集注 上下 影璜川呉氏仿宋刊本 書物文物流通会 1959
孔子 その人とその伝説 H・G・クリール著 田島道治訳 岩波書店 1961
顔淵・孔子 中勘助全集10 角川書店 1962
孔子 和辻哲郎全集6 和辻哲郎 岩波書店 1962
輯佚論語鄭氏注 月洞譲 編者油印 1963
仁の古義の研究 竹内照夫 明治書院 1964
論語集註(標註) 渡辺末吉 武蔵野書院 1964
孝の孔子の新解釈 加藤常賢 斯文43   1965
孟荀における孔子 浅間敏太 中国哲学3  1965
論語のことば 中国の知恵1 吉田賢抗 黎明書房 1965
論語知言 東条一堂 原田種成校訂 書籍文物流通会 1965
論語と人間孔子 山田統 明治書院 1965
孔子 その礼説を中心とする考察 松代尚江 懐徳37   1966
孔子・孟子 世界の名著3 貝塚茂樹編 中央公論社 1966
仁の研究 下斗米晟 大東文化大学東洋文化研究所 1966
孔子と老子 ヤスパース選集22  田中元訳 理想社 1967
孔子名言集 世界名言集6 伊藤貴麿 ポプラ社 1967
孔子孟子老子荘子 世界の大思想Ⅱ‐1  本田済、松代尚江、木村英一ほか訳 河出書房 1968
論語私感想 現代教養文庫 武者小路実篤 1968
孔子 センチュリーブックス人と思想2 内野熊一郎、西村文夫、鈴木壮一 清水書院 1969
孔子伝 如是我聞 諸橋轍次 大法輪閣 1969
孔子家語 中国古典新書 清田清 明徳出版社 1971
孔子と論語 東洋学叢書 木村英一 創文社 1971
論語源流 林泰輔 汲古書院 1971
論語古義 日本の名著13  伊藤仁斎著 貝塚茂樹訳 中央公論社 1972
論語抄 足利本 中田祝夫編 勉誠社 1972
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1972
聖人の虚像と実像 論語 現代人のための中国思想叢書1 駒田信二 新人物往来社 1973
論語講義と長寿法 村田直彌 明治書院 1973
論語の講義 諸橋轍次 大修館書店 1973
孔子批判 中国通信社東方書店編 東方書店 1974
論語三十講 斯文会編 大修館書店 1974
論語入門 ダルマ・ブックス 阿部幸夫 日本文芸社 1974
論語の新研究 宮崎市定 岩波書店 1974
孔子伝 銭穆 池田篤紀訳 アジア問題研究会 1975
論語発掘 通釈への疑問と解明 合山究 明治書院 1975
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1975
論語私見 民主主義時代の論語 小沢俊雄 岡谷 中央印刷 1975
論語大東急記念文庫講座講演録 石井千秋等講述 大東急記念文庫 1975
論語について 講談社学術文庫 吉川幸次郎 講談社 1976
修訂・論語年譜 林泰輔編 麓保孝修訂 国書刊行会 1976
論語講義 全7巻 講談社学術文庫 渋沢栄一 講談社 1977
論語精義 上・下 和刻本近世漢籍叢刊思想三編 1・2 朱熹撰 佐藤仁著 中文出版社 1977
論語新釈 新装版 魚返善雄訳 学生社 1978
孔子 人類の知的遺産4 金谷治 講談社 1980
論語新釈 講談社学術文庫451 宇野哲人訳 講談社 1980
朝の論語 安岡正篤述 明徳出版社 1981
論語墨書 名筆による名言鑑賞 広論社出版局編 広論社 1981
論語私感 内田智雄 創文社 1981
論語新探 論語とその時代 趙紀彬著 高橋均訳 大修館書店 1981
よみがえる論語 色部義明 徳間書店 1981
論語八方破れ TOKUMA BOOKS 竹村健一 徳間書店 1982
孔子新伝 「論語」の新しい読み方 林復生 新潮社 1983
孔子のことば 現代語訳の「論語」 林復生 グラフ社 1983
論語に学ぶ部課長学 仁田敏男 日本経営団体連盟弘報部 1983
孔子 時を越えて新しく 中国の人と思想1 加地伸行 集英社 1984
論語のこころ 加藤富一 近代文芸社 1984
論語と孔子 人間関係論のエッセンス「論語」の新しい読み方 鈴木修次 PHP研究所 1984
孔子 伝記世界の偉人2 中央コミックス 永井道雄・手塚治虫監修 中央公論社 1985
孔子廟堂碑・他 書道基本名品集2 虞世南 雄山閣出版 1985
「論語」その裏おもて 旺文社文庫 駒田信二 旺文社 1985
論語と算盤 渋沢栄一述 梶山彬編 国書刊行会 1985
「論語」&老子入門 徳間文庫 野末陳平 徳間書店 1985
論語の世界 加地伸行編 新人物往来社 1985
孔子と失われた十支族 鹿島辨 新国民社 1986
孔子の復活 孔子をめぐる虚構と真実 李家正文 冨山房 1986
孔子の末裔 孔徳懋口述、柯蘭筆記 和田武司訳 筑摩書房 1986
論語との対話 金子知太郎 竹井出版 1987
論語の活学 安岡正篤 プレジデント社 1987
論語抄の国語学的研究・索引篇 坂詰力治編 武蔵野書院 1987
孔子の経営学 孔健 PHP研究所 1988
論語総説 藤塚鄰  国書刊行会 1988
論語と禅 半頭大雅 山田邦男 春秋社 1988
孔子 井上靖 新潮社 1989
孔子 日本人にとって「論語」とは何か 歴史と人間学シリーズ 山本七平、渡辺昇一、谷沢永一、小室直樹 プレジデント社 1989
論語は問いかける 孔子との対話 ハーバート・.フィンガレット著 山本和人訳 平凡社 1989
「論語」その裏おもて 徳間文庫 駒田信二 徳間書店 1989
論語の講義 新装版 諸橋轍次 大修館書店 1989
孔子 講談社学術文庫 金谷治 講談社 1990
孔子と教育 俵木浩太郎 みすず書房 1990
わが祖・孔子と「論語」のこころ 孔健 日本文芸社 1990
孔子 集英社文庫 加地伸行 集英社 1991
孔子画伝 加地伸行 集英社 1991
孔子伝 中公文庫 白川静 中央公論社 1991
孔子・孟子に関する文献目録 瀬尾邦男編 白帝社 1992
真説人間孔子 孔祥林 河出書房新社 1994
論語 石川忠久監修 サン・エデュケーショナル 2000
論語 吉田公平 たちばな出版  2000
論語紀行 坂田新 日本放送出版協会 2000
宋明の論語 松川健二 汲古書院 2000
男の論語2 童門冬二 PHP研究所 2000
論語234 吹野安、石本道明 明徳出版社  2000
人生は論語に窮まる 谷沢永一、渡辺昇一 PHP研究所 2000
孔子「論語」に関する文献目録 単行本篇 瀬尾邦雄 明治書院 2000
江戸古学派における「論語」注釈史の研究 金培懿 博士論文 2000
論語 現代五訳 宮崎市定 岩波書店 2000
論語の新しい読み方 宮崎市定 岩波書店 2000
孔子百科辞典 上海辞書出版社 2010
さまよえる孔子、よみがえる論語 朝日選書 竹内実 朝日新聞出版 2011
孔子学院伝播研究 劉程、安然 中国社会科学出版社 2012
孔子の倫理哲学論 道徳論を中心として 浅井茂紀 International Philosoply Institute
孔子論語 佐久協 NHK出版 2012
孔子 世界史リブレット人 高木智見 山川出版社 2013
論語集注 1~4 東洋文庫 朱熹 土田健次郎訳注 平凡社 2013
全訳論語 山田史生 東京堂出版 2014
近代における「論語」の訓読に関する研究 石川洋子 新典社 2015
孔子と魯迅 片山智行 筑摩書房 2015
日本古代「論語義疏」受容史の研究 髙田宗平 塙書房 2015
論語与近代日本 劉萍 中国青年出版社 2015

論文の部
泰西人の孔子を評するを評す 井上哲次郎 東学芸4  1882
孔子ノ教ハ支那国ニ如何ナル影響ヲ与ヘンヤ 赤座好義 東学芸3-46  1885
孔子の学術を汎論す 柳沢保恵 輔仁会雑23,24,28  1893~94
孔子之道と徂徠学 加藤弘之 東哲1-6  1894
孔子以後の学派 藤田豊八 東哲1-8,11,12   1894,95
孔孟の道 内藤耻叟  東哲1-3  1894
孔夫子追遠記念祭典の意義 塩谷温 斯文4-6  1922
孔夫子伝 服部宇之吉 斯文7-2  1922
孔夫子の偉大なる点に就いて 手塚良道 斯文4-5  1922
孔夫子略伝 服部宇之吉 斯文4-5  1922
周公孔子之道 今井彦三郎 朝鮮教育6-12  朝鮮教育会 1922
文廟の従祀及び清代尊孔御書匾額について 中山久四郎 斯文4-5  1922
予の孔子観 桑原隲蔵 斯文4-5   1922
余の観たる孔夫子 渋沢栄一 斯文4-5  1922
孔夫子の政治観 島田三郎 斯文5-4  1923
孔子とソクラテス 吉田熊次 斯文5-5  1923
大聖孔子 牧野謙次郎 斯文5-5  1923
孔夫子及び其の家系に就きての二三の考察 那波利貞 歴史と地理18-1  1926
孔夫子と我が国体 塩谷温 斯文8-5  1926
孔子の知天命 服部宇之吉 斯文9-9  1927
孔夫子と集大成 児島献吉郎 斯文9-5  1927
孔夫子の道 小野錬太郎 斯文9-12  1927
支那史上の偉人 孔子と孔明 桑原隲蔵 東洋史説苑 1927
孔子の敬天思想 青木晦蔵 東洋文化54  1928
孔子祭典に就て 阪谷芳男 斯文10-1  1928
孔子の徳業 小柳司気太 斯文10-2  1928
孔夫子と現代支那 塩谷温 斯文10-6  1928
孔夫子の政教 赤池濃  斯文10-11  1928
孔孟紀年 新城新蔵 高瀬還暦記念支那学論叢 1928
孔子の聖徳に就いて 今村完道 斯文11-11  1929
孔子の大義名分説に就いて 宇野哲人 斯文10-6  1929
孔老の思想 常盤大定 丁酉倫理会倫理講演集326  1929
正しく観たる孔夫子の聖徳 中山久四郎 斯文11-8  1929
孔子の道 飯島忠夫 斯文12-9  1930
孔子の仁と儒者の学 遠藤隆吉 哲学雑誌46-535  1931
史記の孔子伝大要 岡崎文夫 歴史と地理27-1   1931
孔子教について 荻原拡 斯文14-7  1932
支那思想史上に於ける孔子の地位 高田真治 哲学雑誌47-539  1932
満州の孔子廟建築 村田治郎 満州学報1 1932
孔子教のフランス進出 後藤末雄 丁酉倫理会講演集373  1933
孔子と老子 加藤一夫 東洋哲学38-1   1931
孔子の軍事観 岡村利平 大東文化9 1935
論語より観たる孔夫子の教導法 合田万吉 斯文17-7  1935
孔子教に於ける実行の価値 飯島忠夫 斯文4-5  1936
孔子以前の仁字とその意義 山口察常 斯文18-8  1936
孔門伝授の心法 成田衡夫 服部古稀記念論文集 1936
孔子とイエス 大塚繁樹 媛大紀要1-4  1953
詩書と孔子の天及び天命の思想 米田登 文と思6  1953
孔子および孟子の兵戦思想 内田智雄 同志社法学26  1954
孔子学団 宇都宮清吉 東洋学報(京都)25  1954
天下周遊の構造 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報5  1954
孔子の管仲譚 華夷論の一端として 高田真治 東洋研究6  1963
孔子の仁の思想について 馮友蘭著 高橋均訳 漢文教室64  1963
貝塚茂樹著「孔子」についての往復書簡 西谷啓治、貝塚茂樹 図書24  1951
孔子に於ける仁思想成立の過程 石黒俊逸 支那学研究8  1951
尚書孔子伝の態度 加賀栄治 学芸3-1  1951
人間孔子 谷川徹三 斯文4  1951
孔子死生の説 那智佐典 東洋学研究7  1938
孔孟以後の儒教 秋月胤継 斯文20-6  1938
東洋史上に於ける孔子の位置 宮崎市定 東洋史研究4-2  1938
論語に現われたる孔子の人間観 西村侃三 斯文21-11,12  1939
孔子的自我の展開 牧尾良海 哲学雑誌55-639,642  1940
孔子の仁 平田栄(講演)  斯文22-1  1940
孔子の学的精神とその展開 田所義行 漢学雑9-3,10-1  1941-42
孔子より孟子に至る自己観の展開に就いて 赤塚忠(講演) 斯文24-12  1942
孔子の思索生活  1,2 田所義行 漢学雑11-2,3;12-1,2   1943~44
孔子の教学 佐藤匡玄  建大研月報38  1944
孔学総論 谷本富 東学芸4-73  1945
孔子について 貝塚茂樹 世界10  1946
人間孔子 林語堂 実藤恵秀訳 新中国1-3  1946
マルクス孔子に会う 郭沫若 実藤恵秀訳 中国文学95  1946
孔子と子産 貝塚茂樹 東光1   1947
孔子の学問精神 原佑 叙説4  1950
孔子の人間観 板野長八 学士院紀要8-1  1950
春秋著者説話の原形 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 叙説5  1950
孔子の精神に関して所感を陳ぶ 元良勇次郎 東洋哲学2-10  1895
孔子の誕生会に就て 日下寛 東洋哲学2-9  1895
孔夫子誕生祭に就き 関根正直 東洋哲学4-2  1896
孔子誕生に就きて 重野安繹 東洋哲学3-1  1896
孔子の精神 日下寛 東洋哲学4-2  1897
孔子の降誕に就きて  島田重礼 東洋哲学4-1  1897
孔子の学説 松村正一 東洋哲学8-9~12 1901
孔子の教育及宗教 穂積秀範 龍谷史壇10  1902
孔夫子と儒教 島田三郎 東洋哲学 9-1,2  1902
孔子の所謂君子に就きて 蟹江義丸 東洋哲学10-1  1903
孔子教の趣旨 星野恒 東洋哲学11-1   1904
孔夫子研究を評す 中島徳蔵 丁酉倫理会講演集33,34  1905
孔子ノ人格ニ就テ 井上哲次郎 太陽13-10  1907
孔聖の修養 山田準 東洋哲学15-6  1908
孔夫子の運命観 大島順三郎 東洋哲学17-6,8・18-3 1910~11
孔子に対する社会的信仰の矛盾 村上専精 丁酉倫理会講演集101  1911
孔子の倫理説に就て 松村正一 東洋哲学18-5   1911
支那に於ける孔夫子の尊崇 服部宇之吉 東亜研究1-1  1911
孔夫子の政治上に於ける教訓 深作安文 東亜研究3-6  1913
孔子教 及川生 慶義学208,209  1914
孔子 井上哲次郎 斯文20-6  1938
孔子伝より見たる論語の解釈 岡村利平 大東文化16  1937
孔子と老子 諸橋轍次 斯文33-4  1937
遭難 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報6  1955
文学としての孔子世家 バートン・ワトソン 中文教2  1955
孔子の思想について 吉川秀一 阪学大紀4  1956
孔孟の命について 金谷治 日中会報8  1956
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報7  1956
孔子の陳蔡厄考 田中佩刀 静岡女子大紀要4  1957
「孔子の道」の解釈をめぐる二三の疑義 近藤康信 東支学報3 1957
孔教私観 長谷川如是閑 斯文22  1958
孔子と易 高田真治(講演)  大東漢学1  1958
孔子と墨子 山室三良 九中会報5  1959
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報9  1959
孔門の十哲に就いて 山本徳一 漢学研究1  1936
孔子教学の宗教性 金戸守 四天女子紀要7  1965
孔子の虚構性 山田統 国学雑誌66-10   1965
孔子の天下遊説について 木村英一 日中会報18  1966
孔子の職歴について 木村英一 立命館文学264-5  1967
弟子7、8 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大教育報17-1  1967
孔子と易 鈴木由次郎 東方宗教31   1968
論語と人間 孔子における人間性と宗教性 西藤雅夫 彦根論叢132、133   1968
聖人の虚像と実像(孔丘) 丸山松幸 人物中国志2 1974
官吏養成を目的とした孔子学園の教育 高峰文義 福岡大学人文論叢10-3  1978-1979
論語にみる孔子の人間評価基準 その識別に関する一考察 仙田美智子 近畿大学女子短期大学研究紀要16  1986

  このように古来より孔子及び論語に関する文献は膨大な量にのぼる。若い読書子に一冊を奨めるとすれば、高木智見「孔子」(世界史リブレット)である。100頁たらずの冊子であるが、比較的本を求めやすい。また最新の出土資料をもとに論語のテキストを検討している。孔子の中心思想である「仁」についてしぼって論述している。論語と孔子の関係書は多いがほとんどが現代的な解釈を各自が自由に論じているが、本書は春秋という時代状況を可能な限り考察し、孔子の思想について論述している点を評価したい。

貴方と夜と音楽と

  君はバッハ、それともモーツアルト?グレン・ミラー、ジョン・コルトレーン、フランク・シナトラ、プレスリーそれともマイケル・ジャクソン?君は女がいなくてもひとりで耐えられる音楽を好むべきだ。ただし女がいる場合は女の好む音楽を聴くべきだ。

Summertime In Venice     Jery Vale

Summer Kisses Winter Tears     Elvis Presley

Till  Lettermen

As Time Goes By   Victor Silvester

Summer Place  Jackie Rae

Friendly  Persuasion   Joe Loss

Deep Purple   Victor Silvester

Dave Monk  From the beginning until now

Kim Yoo Jung  Mr. Chu

Marisa Sannia  Casa Bianca

Charles Azavour   She

You Belong To Me    Jo Stafford

Blue Velvet   Bobby Vinton

Al Di La     The Brass Ring

My Foolish Heart    Al Martino

You You You    The Ames Brothers

When I Grow Too Old To Come?   Gracie Fields

Snow Flower    Park Hyo Shin

I Believe   Shin Seung Hun

Fly Me To The Moon    Frank Sinatra

E Mi Manchi      Mina

イギリスとスペインとの同盟

Aragon    イギリス(イングランド)では、ばら戦争終結後成立したテューダー朝のもとで中央集権化が進められ絶対王政が成立した。イギリス王ヘンリー7世の長男で王位継承者のアーサーは、1489年のメディナ・デル・カンポ条約によって、スペイン王フェルディナンドと女王イサベルの娘であるアラゴン王家出身のキャサリン(画像)と婚約した。この条約はたびたび更新された末に、1497年6月18日にヘンリー7世の手で裁可された。アーサーはまだ11歳で、キャサリンは1歳年上にすぎなかった。スペインとの同盟は明らかに、当時におけるヘンリー7世の外交政策のうえで重要な位置を占めていたのである。1501年に2人が結婚して5か月後、アーサーが死んだ。そこで、キャサリンはアーサーの弟のヘンリーと婚約させられた。この結婚は血族との理由で許されないはずだったから、教皇の特赦を得たに違いない。のちにキャサリンとの離婚問題からイギリス国教会が成立する。その後キャサリンは囚人扱いを受けても離婚を認めず、あくまで王妃としての毅然たる態度でイギリスにとどまり、信仰篤い修道生活に明け暮れた。(Catherine of Aragon)

2017年6月17日 (土)

コーヒーの語源

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 17世紀のロンドン・コーヒーハウス

    一杯のコーヒーなり紅茶を傍らにおいて過ごす時間は、私たちの1日の中で、特別に美しい時間といえるのではないだろうか。もともと西洋人は、水以外の非アルコール飲料は知らなかった。西洋にコーヒーを紹介したのは1295年マルコ・ポーロといわれている。コーヒーの発祥地はエチオピアのアビシニア高原といわれる。5~9世紀にアラビアにコーヒーが伝わる。少なくとも13世紀頃には、イスラム世界では今日のような焙煎した豆が用いられていたようだ。1554年にはトルコのコンスタンチノープルにコーヒー店が誕生した。16世紀後半に、トルコで愛飲されていたカフヴェ(Kahve)がヨーロッパに伝わったものである。17世紀にはヴェネチアやロンドンに広まった。1650年、オックスフォードに作られた「ジェイコブス」がイギリス最初のコーヒーハウスといわれる。その2年後、アルメニア人バスクァ・ロゼがロンドンに簡素なコーヒー・ハウスを開業して評判をとり、その後続々とコーヒー・ハウスが誕生した。30年後にはロンドン市内だけで、その数3000軒にのぼったといわれる。1763年フランスでドリップ式のコーヒーが考案された。

   今日の世界的な用語、コーヒー(coffee)やカフェー(cafe)などはトルコ語から転化したもので、トルコへはアラビア語のカフワ(qahwa)から移されたものである。コーヒーに関する世界最初の記述といわれるものは、12世紀の医者アッ・ラージー(1149-1209)によるもので、彼は胃の薬として、エチオピアに原生するブンの種実から煮出して汁液「ブンカム」を使用していた。豆をいることによって苦味や香りの豊かな飲み物としたのは13世紀中頃から、飲酒の許されないイスラーム教徒のあいだでは、日常生活に欠かせない飲み物として広まったらしい。そしてその頃には、これを「ブンカム」と呼ばず、酒の名の一つを借りて「カフワ」と呼ぶようになった。これがトルコ語の「カフウェ」になり、17世紀のヨーロッパで「カフェ」あるいは「コーヒー」と呼ばれるようになったのである。ルイ14世とナポレオンはコーヒーの愛好家で知られる。

   日本にコーヒーが伝わったのは、室町時代でキリスト教の布教で渡ってきたポルトガル人やスペイン人が携えてきたと考えられている。より確かな説では、江戸時代の1780年代にオランダ商人が長崎の出島に持ち込んだとされる。コーヒーに、「珈琲」の漢字を最初に当てたのは、儒学者の宇田川榕庵(1798-1846)である。(参考:「サロンとコーヒーハウス」成瀬治『大世界史』13)

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史記・司馬遷関係文献目録

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  前漢武帝の治世の元朔3年(前126)、司馬遷20歳のとき、天下漫遊の旅に出た。河南、安徽、江蘇、浙江、江西、湖南、湖北、山東の各省にわたる大旅行で、前後二、三年はついやしたようである。司馬遷は淮陰に立ち寄った。この地は、漢王朝の成立後、劉邦にあっけなく滅ぼされたが、劉邦、項羽の漢楚興亡のただ中にあっては斉王となり、漢室の一敵国となした名将・韓信の故郷である。司馬遷はこの地の父老たちから韓信の人柄を示す故事を聞くことができた。韓信は若い頃、屠殺屋仲間の若者にばかにされて、その股をくぐらされた「韓信の股くぐり」の話は有名であるが、のちに韓信は、その若者を召し出し、「わしの今日があるのはおまえのおかげだ」といって厚く報いたという。司馬遷は、どのように、こうしたエピソードを集めたのであろうか。じつは「史記淮陰候列伝」の論賛に、司馬遷が収集の経緯の一端を語っている。

    わたしが淮陰に行ったとき、淮陰の人々はわたしにこういった。「韓信は平民であったときでも、その気がまえは普通のものとはちがっていました。彼の母が死にましたとき、貧乏で葬式もできなかったのです。ところが、彼は高爽な、ひらけた場所に墓をつくり、将来その周囲に何万軒もの墓守りをおけるようにしたのです。」と。わたしは彼の母の墓を見にいったが、まことにその通りであった。もし韓信が道理を学び、謙虚な態度をとって自分の功績を自慢せず、その才能を鼻にかけなかったならば、漢室に対して、その勲功はかの周公、召公や太公望などにも比せられて、後世ながく国家の元勲として廟に祭られることにもなったろうものを。ところが彼はそうなろうとつとめずに、天下が統合されたあとで、なお反逆をたくらんだ。一族全滅にみまわれたのも当然ではなかろうか。

    ここには司馬遷の韓信の人柄に対する愛情と、それ故にこそあえて加える批判の筆とがよくあらわれている。(参考:大島利一「司馬遷」清水書院)

史記 影印本「二十五史」所収 2冊 台北・芸文印書館
史記考要 柯維騏 明
史記会注考証 瀧川亀太郎 東方文化学院研究所 1932-34
史記及注釈綜合引得 北平・哈仏燕京学社 1947
史記会注考証校補 6冊 水沢利忠著 中文出版社
史記研究資料索引和論文専著提要 楊燕起・兪樟華編 蘭州大学出版社 1989
史記研究的資料和論文索引 中国科学院歴史研究所 科学出版社 1957
史記故事精選連環画 全4冊 冀汝枢等編絵 二世一世 1990
史記三家注引書索引 段書安 中華書局 1982
史記参考書目 二十五史史記後附録 開明書店 1935
史記書録 賀次君 商務印書館 1958
史記 世界文学大系 小竹文夫・小竹武夫 筑摩書房 1962
史記 中公新書 貝塚茂樹 中央公論社 1963
史記人名索引 呉樹平 中華書局 1982
史記人名索引 鐘華 中華書局 1977
史記新論 白寿彜 北京・新華書店 1981
史記菁華録 楊姚荢田輯 王興康等標点 上海古籍出版社 1988
史記地名考 銭穆 
史記百三十篇篇目的研究 劉偉民 香港聯合書院学報第10期 1972
史記研究之資料与論文索引 王民信編 台湾学海出版会 1976
史記選注賄匯評 韓兆琦編注 中州古籍 1990
史記探源 二十四史研究資料叢刊 崔適 北京・中華書局 1986

「史才と文章上より見たる司馬遷」 日下寛 東亜研究2-5  1912
「司馬遷の性行と史記の文章」 児島献吉郎 東亜研究2-5  1912
「史記と外交」 武藤長年 東亜研究2-5  1912
「司馬遷年表並に其孝道」 中山久四郎 東亜研究2-5  1912
「司馬遷の自由放任説」 小島祐馬 政治経済学論叢1-1   1919
「司馬遷の生年に関する一新説」 桑原隲蔵 史学研究(東京)1-1  1929
「司馬遷の人文地理学」 藤田元春 立命館大学1-12  1934
司馬遷 東洋思想叢書 武田泰淳 日本評論社 1943
司馬遷 教養文庫 岡崎文夫 弘文堂書店 1947
司馬遷之人格与風格 李長之 上海開明書店 1948
司馬遷 史記の世界 創元文庫 武田泰淳 創元社 1952
司馬遷著作及其研究資料書目 上海市歴史文献図書館 1955
司馬遷 李鎮淮  上海人民出版社 1955
司馬遷年譜 鄭鶴声編 商務印書館 1956
司馬遷 岡崎文夫 弘文堂 1958
司馬遷 史記の世界 武田泰淳 文芸春秋社 1959
司馬遷 記録者の意義と生涯 小倉芳彦(世界の歴史3) 筑摩書房 1960
司馬遷所見考 金徳建 上海人民出版社 1963
司馬遷 筑摩叢書 バートン・ワトソン著 今鷹真訳 筑摩書房 1965
司馬遷 史記の世界 武田泰淳 講談社 1965
司馬遷 史記列伝 世界の名著11  貝塚茂樹編 中央公論社 1968
司馬遷 史記の成立 人と歴史シリーズ 大島利一 清水書院 1972
司馬遷 史記の世界 講談社文庫 武田泰淳 講談社 1972
史記3 支配の力学 丸山松幸・和田武司訳 徳間書店 1972
世界をとらえた生涯 司馬遷 市川宏 人物中国志3 1975
司馬遷 中公バックス世界の名著11  貝塚茂樹編 中央公論社 1978
司馬遷 諷刺と称揚の精神 李長之著 和田武司訳 徳間書店 1980
司馬遷 起死回生を期す 中国の人と思想6 林田慎之助 集英社 1984
司馬遷評伝 肖黎著 吉林文史出版社 1986
司馬遷的創作意識與写作技巧 范文芳 文史哲出版社 1987
司馬遷和史記 劉乃和主編 北京出版社 1987
司馬遷與其史学 周虎林 文史哲出版社 1987
司馬遷 徳間文庫 李長之著 和田武司訳 徳間書店 1988

「へ」 ファースト・ネームから引く人名一覧

218_adamshenrybrooksChaos often breads life,

when order breads habit.

秩序が習慣を生み出す時、

無秩序が人生を生み出す

             (H・アダムズ)

   ヘンリー・ブルックス・アダムズ(1838-1918)は、アメリカの歴史家。著作は「モン・サン・ミッシェルとシャトル」「ヘンリー・アダムズの教育」など。

ベアトレス・ダル
ベアトリス・ヘイスティングス
ペギー・リー
ペーダー・シューマッカ・グリッフェンフィルド
ベッケン・バウアー
ベット・ミドラー
ベティ・デイビス
ベティ・グレイブル
ベティ・ハットン
へディ・ラマー
ペテロ
べドルジハ・スメタナ
ペトルス・プランシウス
ペドロ・アルヴァレス・カブラル
ペドロ・デ・メンドーサ
ベニ―・グッドマン
ベニチオ・デル・トロー
ベニト・デ・ゴエス
ベニート・フアレス
ベニート・ぺレス・ガルドス
ベニート・ムッソリーニ
ベネディクト・カンバーバッチ
ベネデット・クローチェ
ペネロペ・クルズ
ベノッツォ・ゴッツォリ
ベラ・ルゴシ
ヘラクレス・セーヘルス
ペリー・コモ
ヘーリー・ジョエル・オズメント
ペール・ヘンリック・リンク
ベルト・モリゾ
ベルトルト・ラウファー
ベルナール・ビュッフェ
ベルナルド・オイギンス
ベルナルド・ベルトルッチ
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ヘルマン・ブロッホ
ヘルマン・ヘッセ
ヘルマン・ホイヴェス
ヘルマン・ロールシャッハ
ヘルムート・カール・ベンハルト・フォン・モルトケ
ヘルムート・バーガー
ヘルムート・ヨーゼフ・ミヒャエル・コール
ヘレナ・ボナム・カーター
ヘレン・ケラー
ヘレン・ミルズ
ペロ・デ・エスコラール
ベロニカ・レイク
ベン・ジョンソン
ベンジャミン・シーゲル
ベンジャミン・シーボーム・ラウントリー
ベンジャミン・スポック
ベンジャミン・フランクリン
ベンジャミン・ブリテン
ヘンドリック・アーベルカンブ
ヘンドリック・テルブルッヘン
ヘンリー・ウォルター・ベイツ
ヘンリー・キャベンディッシュ
ヘンリー・ジェイムズ
ヘンリー・ハドソン
ヘンリー・ヒュースケン
ヘンリー・フィールディング
ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン
ヘンリー・フォード
ヘンリー・フォンダ
ヘンリー・ベッセマー
ヘンリー・ライダー・ハガード
ヘンリー・ローリンソン
ヘンリエッタ・リービット
ヘンリック・ヨーハン・イプセン
ベンヤミン・ネタニヤフ

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 ドラキュラ伯爵といえば、ベラ・ルゴシ(1882-1956)。クリストファー・リーよりもだいぶん先輩格。

タージ・マハル

Lrg_10669522  インド北部のアグラにある「世界で最も美しい建築」といわれるタージ・マハルはムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーン(1592-1666)が愛妃ムムターズ・マハル(1595-1631)の死を悲しんで建てた廟墓である。   ムムターズがまだ皇太子だったシャー・ジャハーンと結婚したのは1612年、ムムターズ18歳の時だった。彼女はもちろん初婚だったが、シャー・ジャハーンには2年前に結婚した妃がおり彼女とのあいだに娘が1人いた。美貌の皇妃として知られたムムターズは、夫に深く寵愛され、男子8人、女子6人という子沢山であった。そして20年近く、ムガール朝の大奥で権勢をほしいままにした。1631年6月17日、王がデカン遠征中、36歳で産褥死した。王はその死を悲しみ、彼女の廟の建設を翌年から着工し、21年の歳月をかけて1653年タージ・マハルが完成した。タージ・マハル Taj Mahal とは「マハル妃の王冠」の意味。王妃の墓は、このドームの真下の地下にある。(世界史)

2017年6月16日 (金)

引き出し整理術

筆記用具など普段よく使われる物から、重要書類まで、いつ死んでもいいようにつねに整理しておく。

先ず、銀行などの預金通帳。国債など金融機関の書類、印鑑。

年金証書や生命保険などの書類。

保険証などの医療関係の書類。

土地建物の権利書など不動産関係の書類。

確定申告、固定資産税の納付書など行政機関などの書類。マイナンバーカード。

テレビ、電話、電気、ガス、水道などの納付書。

常用している薬、医者の診断書、医療関係。

家屋、金庫などの鍵。

映画にみる純愛のかたち

   日活「どじょっこの歌」(1961)は何度か見たが、浅丘ルリ子の代表作だと思う。戦災孤児の芹沢浩子(浅丘)は教会の付属の保育園で働いている。近所の病院の息子、吉見高行(高橋英樹)は大学へ行く途中に浩子が歌う「どじょっこふなっこ」を聞く。やがて2人は愛し合う。だが身分の違いで親に反対される。国会議事堂前のデモに参加した高行をテレビで見た浩子は、駆けつけて警察に留置される。やがてクリスマスの日に2人は再会するが、浩子には難病が襲ってくる。まるで韓国ドラマの純愛の原型ともいえる大時代のシロモノだが、ヒロインの圧倒的可憐さに驚嘆する。高橋とは4歳も年上ながら、浅丘は純愛ドラマのヒロインを完璧に演じている。これほど薄幸で可憐なヒロインは「哀愁」のマイラに比すべきものであろう。浅丘の魅力は明眸もさることながら、細身からでる声質の美しさもあげられる。この映画が結婚前の純潔をテーマとした純愛映画とするならば、「泪壷」(2008)は官能シーンはあるものの現代の男女の純愛といえる。音楽講師の朋代(小島可奈子)は父と2人で田舎で暮らしている。癌に冒された妹の愁子(佐藤藍子)を東京に見舞うが、ついに死ぬ。愁子の夫・雄介(いしだ壱成)は妹の遺言により、骨で壷をつくる。むかしから朋代は雄介が好きだったが、思いを告げられない。幾人の男とセックスを交わすが、みたされずに走る出す朋代だった。ようやく朋代と雄介が結ばれたとき、交通事故で朋代は不慮の死をとげる。恋愛や生きることに不器用な現代の男女をリリカルに描く。これも現代の純愛のかたちといえる。

  王道ラブストリーを純愛のかたちでいくつかに分類することができる。「哀愁」や「君の名は」はすれちがいものの典型といえる。古今東西むかしから「椿姫」や「世界の中心で、愛をさけぶ」や「愛と死をみつめて」など難病ものが紅涙をさそう。戦時下ものは「カサブランカ」。パニックものは「タイタニック」。格差恋愛は「ローマの休日」「プリティ・ウーマン」。遠距離恋愛は「ハナミズキ」。不倫物は「逢びき」「昼顔」。SFファンタジーは「時をかける少女」。古い因習や純潔で苦しむ社会派青春劇は「草原の輝き」。

わたしはカモメ

Soviet_union1963stamp0_10__valentin   女性初の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワを乗せたボストーク6号は1963年6月16日、打ち上げられた。「わたしはカモメ」彼女が宇宙から発したこの言葉は、その女性らしい感性と表現で世界中の人々が感動した。

    ところが、実は「かもめ」というのは、そのミッションで与えられた彼女のコードネームだった。打ち上げ直後、機器の故障で地上との交信が途切れた。テレシコワはパニック状態となり、やたらめたら通信機で「こちらはカモメ、応答願います!」と連呼して叫んだ。この通信を世界中のアマチュア無線家たちが傍受して、「こちらはカモメ(ヤー・チャイカ)」を優雅な通信と取り違えた。ときには勘違いから感動がうまれることがある。( Tereshkova )

2017年6月15日 (木)

沖縄特有の苗字

M20150716085_2015071608501   「火花」で芥川賞を受賞した又吉直樹。出身地は大阪府寝屋川市とあるが、父は沖縄、母は加計呂麻島の出身。1996年に又吉栄喜が「豚の報い」で同賞を受賞しており、又吉姓は2人目となる。沖縄には他県とまつたく異なる特有の苗字がある。「あまちゃん」蔵下穂波が沖縄出身のアイドル喜屋武エレンを演じていた。「喜屋武(きゃん)」も沖縄県特有の苗字である。沖縄に多い苗字のランキング。比嘉、金城、大城、宮城、新垣、玉城、上原、島袋、平良、知念、宮里、仲宗根、下地、照屋、砂川、城間、仲村、新里。

   ほかに順不同で安室、安仁屋、安里、赤嶺、石嶺、伊良部、我那覇、嘉弥真、渡真利、目取真、諸見里、屋良、与那嶺、与那覇、玉元、具志堅、渡嘉敷、古波蔵、嘉手納、仲間、宜保(ぎぼ)、桑江、天久(あめく)、知花、安座間、喜納、宮國、糸数、翁長(おなが)、外間(ほかま)、真栄城、島尻、我謝(がじゃ)など。

  新垣結衣(あらがきゆい)、新垣渚(あらかきなぎさ)、新垣里沙(にいがきりさ)と読み方がそれぞれ異なる。島袋も「しまぶく」あるいは「しまぶくろ」と読んだりする。金城(かなぐすく)も普通に「きんじょう」と読ませることもある。

フランクリンと功利主義

Benjaminfranklin   「もし自分の好きなようにしてよいといわれたら、もう一度これと同じ生涯を最初からくりかえすことにまったく異存はない」(フランクリン自伝)

   福沢諭吉も「福翁自伝」で「私は自身の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快なことばかりである」といった。洋の東西を問わず、傑出した人間は自分の生涯をこのように肯定する。(中公クラシックス)

   1752年のこの日、ベンジャミン・フランクリンは、雷雨の中で凧を揚げ、雷が電気であることを証明した。印刷工から身をおこし、ジャーナリスト・科学者となった。政界に入って優れた外交官になると、独立と建国の基本的な4文書である独立宣言・米仏同盟条約・パリ条約・合衆国憲法の作成に重要な役割をはたした。彼のつくった『貧しいリチャードの暦』は「台所が太れば意志がやせる」などのピューリタン的な格言に満ちている。彼は人間完成に努力するとともに自己の経済的基盤を固め、その後に地域社会の改良に努めた。熱の伝導の研究から、暖炉にかわるストーブ、二重焦点眼鏡などを発明、そして電気の研究から避雷針を考案した。人生の目的は幸福であり、幸福の構成要素は健康・富・知恵であるとし、いかに役立つかによってすべての価値を評価した彼は、典型的なアメリカ人とよばれた。(Benjamin Franklin、6月15日)

2017年6月14日 (水)

中国漢籍図書目録

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 天一閣。門には「南国書城」の額がある

   天一閣は明の寧波の豪商、范欽(1506-1586)が1561年から1566年にかけて創建した蔵書楼。現存するアジアでも最古の図書館の一つといえる。蔵書家の多いことで知られる浙江省鄞県でも天一閣が珍しい書物が集められていることから、当時から天下第一といわれ、それが命名の由来である。天一閣の前庭に池があるのは防火対策である。蔵書内容は嘉靖・万暦年間(1522-1619)に刊本されたものが多く、旧鈔本、金石拓本、明代の地方志、科挙関係資料などが多数ある。清の四庫全書の編纂には天一閣の図書を参考にし、文淵閣はこの楼閣にならって作ったといわれる。

    中国漢籍目録

晏子春秋 戦国
安南史略 19巻 安南黎崱撰 元
安陽集 50巻 韓琦 北宋
郁離子 10巻18篇 劉基
委巷叢談 1巻 田汝成撰 明
夷門広牘 106巻 周履靖編 明(1597年)
韻語陽秋 20巻 葛立方撰 宋
隠秀軒詩 10巻 鐘惺撰 明
蟫史 11巻 穆希文撰 明
陰騭録 袁了凡  明
韻府群玉 20巻 陰時夫撰 元
雨窓欹枕集 洪楩 明
尉繚子(うつりょうし)
雲烟過眼録 4巻 周密 宋
雲笈七籤 120巻 張君房 宋
瀛涯勝覧 1巻 馬歓撰 明
嬴奎律髄 49巻 方国撰 元
剡源集 30巻 戴表元 元
円機活法 24巻 王世貞 明
弇山堂別集 100巻 王世貞  明
弇州山人四部稿 174巻 王世貞  明
塩邑志林 樊維城編  明
王忠文公集 20巻 王褘(金華叢書集部所収)  明
女論語 曹大家撰 説郛所収 後漢
戒庵漫筆 8巻 李翅撰 説郛・常州先哲遺書所収  明
解学士全集 11巻 解縉  明
開漢一笑 上下とも14巻 李贄  明
開元天宝遺事 4巻 王仁裕撰 五代
懐香記 2巻 陸采撰 明
艾子後語 陸灼撰  明
艾子外語  屠本畯撰  明
開闢演義 周遊  明
霞客遊記 12巻 除宏祖撰  明
花間集 10巻 趙崇祚編 (四部叢刊所収) 後蜀
格致叢書 胡文煥  明
学蔀通辨 12巻 陳建撰  明
何氏語林 30巻 何良俊撰 明
画禅室随筆 4巻 董其昌撰  明
漢魏叢書 何鏜  明
漢魏六朝七十二家集 347巻 張燮撰 明
漢魏六朝百三名家集 80巻 張溥編 明
漢詔疏 陳衍 明
邯鄲記 2巻 湯顕祖 明
漢唐事箋 朱禮 元
季漢書 60巻 謝陛撰 明
居業録 余祐編  明
今古奇観 40巻 抱甕老人撰 明
金史 135巻 托克托(トクト)等奉勅撰 元
金瓶梅 蘭陵笑笑生 明
郡齋読書志 4巻 後志2巻 考異1巻 付志1巻 晁公武撰 宋
訓纂篇 揚雄撰 漢
藝苑巵言 王世貞  明
闕里誌 24巻 陳鎬撰  明
元史 210巻 宋濂王褘等捧勅撰
兼明書 5巻 邱光庭撰 唐
孔叢子3巻 孔鮒撰 後漢
呉越春秋 趙皣  前漢
元朝秘史 15巻 元
広漢魏叢書 何允中  明
孝経 1巻 漢
皇朝文衡 100巻 程敏政編  明
後漢紀 30巻 袁宏撰 晋
後漢書・志 司馬彪 晋
五経大全 117巻 胡広  明
古今事文類聚  祝穆
古今小説  40巻  明
古今書刻 上篇1巻、下篇1巻 周弘祖撰 明
古今説海 142巻 陸楫撰  明
古今談概 馮夢龍撰 明
古今治平略 33巻 朱健撰 明
古今注 3巻 崔豹撰 晋
古今列女伝 解縉等奉勅撰  明
五雑俎 16巻 謝肇淛撰 明
古詩源 14巻 沈徳潜撰 清
古微書 36巻 孫殻編 明
古文関鍵 2巻 呂祖謙
古文孝経 1巻  漢
古文真宝 20巻 黄堅
古列女伝 7巻 劉向  前漢
困学紀聞 20巻 王応麟
顧氏文房小説 顧元慶編 明
五車韻瑞 160巻 凌稚隆撰 明
五代会要 30巻 王薄
五代史 薛居正
菜根譚 洪自誠  明
西遊記 呉承恩  明
冊府元亀 1000巻 王欽若等奉勅撰 中華書局 1960
山谷集 70巻 黄庭堅
左氏伝解詁 30篇 賈逵  後漢
三体詩 6巻 周弼
三輔決録 2巻 趙岐  後漢
三略 3巻 黄石公
雑学辨 1巻 朱熹
雑事秘辛  楊慎  明
三国志 65巻 陳寿撰 晋
三国志演義 羅漢中 明
三才図絵 106巻 王圻  明
山堂肆考 228巻、補遺12巻 彭大翼撰  明
爾雅翼 32巻 羅願撰 宋
左氏蒙求 2巻 呉化龍 明
史記 130巻 司馬遷
史記考要 柯維騏  明
資治通鑑 294巻 目録30巻 考異30巻 司馬光
資治通鑑綱目 59巻 朱熹
詩集伝 8巻 朱熹
四書集注 19巻 朱熹
詩人玉屑 20巻 魏慶之
字説 20巻 王安石 宋
事物紀原 宋・高承撰、明・李果訂
事物原会 清・王汲編 清嘉慶2年休寧汪氏古愚山房刊本
朱子感興詩註 1巻 蔡謨
朱子行状 黄榦
朱子語類 140巻 黎靖徳
笑苑千金 張致和
七略 劉歆
諡法 劉熙
諡法劉熙注補遺 劉熙
四民月令 1巻 崔寔
釈名 8巻 劉熙
十八史略 7巻 曾先之撰 元
春秋会要 姚彦渠 中華書局  1955
春秋経伝集解 30巻 杜預 晋
春秋公羊伝 11巻
春秋穀梁伝
春秋左氏伝 30巻
春秋左氏伝解誼 服虔
春秋左伝解詁 賈逵
春秋釋例 15巻 杜預  晋
春秋繁露 17巻 董仲舒
笑海叢珠 陸亀蒙撰 元
傷寒論 16巻 張仲景
尚書大伝 4巻 鄭玄注
女誡 班昭  漢
書目三編 別録・七略輯本・漢書藝文志補注・四史儒林文苑伝注 上・下 広文書局 1969
事林広記 陳元靚撰 宋
新五代史 75巻 欧陽脩撰 宋
真山民集 1巻 真山民撰 宋
鐔津文集(しんしんぶんしゅう) 20巻 契高 宋
神仙伝 10巻 葛洪 晋
新唐書 225巻 欧陽脩、宋祁奉勅撰 宋
水経注図 水経注疏要刪 楊守敬撰 清
随函録 20巻 可洪編 後晋
酔翁談録 10集、毎集2巻、計20巻 羅燁撰 元
崇文総目 5巻 補遺1巻  宋
図画見聞誌 6巻 郭若虚撰 宋
図絵宝鑑 5巻 夏文彦撰 元
説苑 20巻 劉向
西漢会要 上下 徐天麟撰 宋
西漢詔令 林虔  宋
西漢年紀 30巻 王益之撰  宋
西廂記 王実甫 元
正蒙書 10巻 張戴撰  宋
潜虚 1巻 司馬光撰  宋
潜夫論 10巻36篇 王符 後漢
宣和遺事 2巻  南宋
蒼頡篇 李斯 秦
宋史 496巻 脱脱(トクト)撰 元
捜神後記 10巻 隋
宋名臣言行録 朱熹撰 李幼武補編  宋
滄浪詩話 厳羽  宋
楚漢春秋 1巻 陸賈
楚辞章句 17巻 王逸
楚辞補注  17巻 洪與祖撰  宋
素書 黄石公
大学衍義 43巻 真徳秀撰 宋
太極図説 1巻 周敦頤  宋
太玄経 10巻 揚雄
太平寰宇記 200巻 楽史撰  宋
太平御覧 1,000巻  李昉等奉勅撰  宋
太平広記 500巻 李昉  宋
大載礼 85篇 載徳
中論 2巻 徐乾
長安志 20巻 宋敏求撰 北宋
朝会儀記 蔡質
地理風俗記 応劭
輟畊録(てっこうろく) 陶宗儀
點考工記 鄭玄
東漢会要 40巻 徐天麟撰 宋
東観漢記 24巻 武英殿聚珍本 姚之駰 後漢
東漢詔令 楼肪 宋
東京夢華録 10巻 孟元老撰 宋
唐才子伝 10巻 辛文房撰 元
東萊左氏博議 25巻 呂祖謙 宋
唐史論断 3巻 孫甫撰 宋
独談 2巻 蔡邕 後漢
南州異物志 楊孚 後漢
南北郊冕服議 劉蒼 漢
風俗通義 10巻、付録1巻 応劭 後漢
武経総要 宋
文献通考 348巻 馬端臨撰 元
法言 揚雄 前漢
封禅儀記 馬第伯 漢
北夢瑣言(ほくぼうさげん)  孫光憲 宋
孟子集注 7巻 朱熹撰 宋
問礼俗 董勛 魏
野客叢書 12巻 王楙撰 宋
容斎随筆 16巻 洪邁撰 宋
酉陽雑俎 20巻、続集10巻 段成式撰 唐
與地紀勝 200巻 王象之 宋
礼記集説 160巻 衛湜撰 宋
礼記要義 33巻 魏予翁撰 宋
楽善録 10巻 李昌齢編 宋
六臣注文選 60巻  宋
律呂新書 2巻 蔡元定撰 宋
龍龕手鑑 4巻 行均編 遼
両漢詔令 洪咨夔 宋
両京新記 韋述 唐
緑窓新話 上下2巻  南宋
臨川集 100巻 王安石  宋
麟台故事 5巻  宋
類説 60巻 曽慥編  宋
類篇 15巻 司馬光撰  宋
蠣釈 27巻 洪适撰  宋
歴代故事 10巻 楊次山撰  宋
録異記 8巻 杜光庭 前蜀
論語集注 10巻 朱熹撰  宋

カービン銃事件とアプレゲール犯罪

    アプレゲールとは戦後派を意味するフランス語。(アプレとは「後に」、「ゲール」は戦争)日本では第二次世界大戦後、既存の道徳観を欠いた無軌道な若者により犯罪が頻発し、彼らが起こした犯罪を「アプレゲール犯罪」と呼んだ。昭和29年6月14日、元保安庁職員の大津健一がカービン銃で仲間3人とギャングを働き、小切手2000万円を強奪した。その後仲間割れを起こして、郷里の大分・湯平温泉へ愛人の中田みさおと逃亡。住吉旅館にいるところを逮捕されたが、東京に護送された際、東京駅に5000人の野次馬がでたというほど、当時、社会の関心の高い事件だった。大津は死刑判決を受けたが高裁で無期に減刑され、昭和53年に釈放されて「赤いルージュと機関銃」という本を出版している。昭和29年、天知茂主演「恐怖のカービン銃」というタイトルで映画化された。

2017年6月13日 (火)

ケペル先生の何でも相談室2

  「地下鉄の電車はどこから入れたの?」 「色鉛筆が丸軸なのはなぜ?」それらを考えてると一晩中寝られない。世の中にはあらゆるギモンに満ち満ちている。日々の暮らしで生じたあらゆる疑問にケペル先生がお答えします。たとえば、「あんパンはいつ頃できたの?」といったこと。あんパンは日本人の発明で明治になってからです。1874年に銀座にパン屋を創業した木村安兵衛と英三郎がパンの中に餡を入れた「あんパン」を売り出したのがはじまりです。

Q 目の見えない人のため犬が歩行の補助をする盲導犬はいつ頃できたのか?

A 盲人の歩行の補助に犬が使われた例は古代ローマやポンペイの発掘品の中に見られるが、近代になって盲導犬として訓練されるようになったのは、1819年、ウィーンの神父ヨハン・ヴィルヘルム・クライン(1765-1848)が最初である。

Q 日本プロ野球で最初の退場者は誰か?

A 「日本プロ野球事件史」(ベースボール・マガジン社)巻末の退場者一覧によると、1936年12月20日、東京セネタースの苅田久徳(1911-2001)選手が二出川延明塁審を突き飛ばしたことにより退場とある。

Q 三一書房から昭和32年に刊行された「淀川」の著者である井上俊夫の没年が知りたい。

A 図書館での参考業務でよくたずねられる調べものの1つが「著者の没年」である。今日のようなコンピュータの発達していない時代、文化人名録(著作権台帳)がたよりの参考書であった。赤色をした大部な本で、1951年から刊行され第26版(2001年)まで刊行されたが、現在は終了している。もともと著作権の保護期間を調べる目的で作られた本であるが、図書館では没年だけでなく、著者の略歴や名前の読み方を調査するために用いられていた。ところで、著者の没年を調べるには、現在は国立国会図書館のOPやウィキペディアが便利である。井上俊夫は1928年大阪生まれの詩人で、2008年に死去している。

Q フィンランドの初代首相 Pehr Evind Svinfuvud の読み方は?

A ペール・スヴィンヒュー(1861-1944)あるいはスヴィンフッヴド。

Q 英語「mebos(ミーボス)」の意味は?

A オックスフォード英語辞典によると、日本語umeboshi(梅干し)が訛って18世紀ころ英語となったらしい。

Q 「眠りが窪の伝説」という翻訳作品の作者と原題は?

A アメリカの文学者ワシントン・アーヴィング著「スケッチ・ブック」(1819-1820)の中にある短編「Sleepy Hollow」。1923年刊行の森巻吉「全訳スケッチブック」の下巻に「眠りが窪の伝説」が収録されている。

Q.最初にウェディングドレスを着て結婚式を行なった日本人女性はだれ?

A.明治6年に長崎で中国人と結婚した磯部於平(いそべおつね)といわれる。その2年後に森有礼も広瀬常と西洋式の結婚式を挙げている。

Q.昭和18年南方の海軍基地を視察中、ソロモン諸島上空で戦死した山本五十六。その時の護衛機は零戦6機であるが、うち5名はまもなく戦死している。唯一の生存者である零戦パイロットの名前が知りたい。

A.柳谷謙治(1919‐2008)。1988年4月、アメリカで開かれたシンポジウムに出席し、P38パイロットのレックス・バーバー米空軍退役大佐と面会している。(参考:高城肇「六機の護衛戦闘機」)

Q.大正の後期から昭和の初期に活躍した出版人、梅原北明が発行した「近世社会大驚異史」(白鳳社)のページ数は?

A.1864ページ。国立国会図書館サーチで調べても1冊とあるだけで、ページ数は明らかにされない。ネットには1800ページ以上という記載もあるが、鹿野政直「日本の歴史27」によれば1864ページと明記されている。内容は慶応4年から大正元年までの新聞記事から抜粋の性風俗を中心とした資料集。

Q.内山完造著「そんへえおおへえ」という本がある。その書名の意味は?

A.内山完造は戦前に上海で書店を開業していた。もともと「上海」という地名と並び「下海」地区も存在していた。上海及び下海の名称は、上海市内を流れる呉淞江の支流であった上海浦及び下海浦に由来する。「そんへえ(上海)」「おおへえ(下海)」はそれぞれ現地語の発音を表記したものである。

Q.明代、嘉靖年間から万暦年間の人で『陰隲録』の著者として知られる袁凡了(えんぼんりょう)は一般に生没年不詳とされるが、あえて知りたい。

A.一説には生年は1533年、没年は1606年。

Q.江戸時代、特に大名屋敷をねらって荒らしまわった大盗賊、鼠小僧次郎吉のお墓は?

A.両国の回向院(墨田区両国2丁目)にある。

Q.香港の女優、任剣輝の生没年。

A.京劇の広東版にあたる奥劇の人気女優任剣輝(じんけんき、ヤム・キムファイ)。1913-1989。

 

ユスト高山右近

Photo マニラにある高山右近の銅像

    戦国時代のキリシタン大名で知られる高山右近(1552-1615)。1564年、日本人修道士ペレイラから洗礼を受け、ユスト(ジュスト)と命名される。このとき右近は13歳だった。右近は山崎の合戦の前に豊臣秀吉につき光秀と戦った。1585年、秀吉から播磨国明石6万石を与えられた。だが、1587年6月、秀吉のキリシタン禁令により明石城を没収される。のち加賀前田家で、軍奉行をまかされ、自費で教会を建立した。1605年にはキリスト教徒は全国に70だが万人いた。1613年には徳川家康が禁教令を発布し、ついに国外追放を命じられた。右近ら148名のキリスト教徒はマニラ・マカオに追放された。悪天候のため1ヵ月以上の長い船旅の疲れから、1615年2月4日夜半、マニラのイントラムルスで客死した。享年64歳。現在、マニラ近郊のパコ駅前の公園ディラオに銅像が1978年に建てられている。デラオはスペイン語で「黄色い日本人」という意味で、昔は日本人町があったところだ。

徳恵姫、李氏朝鮮最後の王女

   ホ・ジノ監督の映画「ラスト・プリンセス」(2016)がまもなく日本でも公開される。「四月の雪」などでも広く知られるソン・イエジンが実在した最後の皇女・徳恵(1912-1989)を演じる。ホ・ジノがこのような歴史を題材としたテーマを扱うとは意外であるが、興味がそそられる。

有東木のワサビ

   NHK「鶴瓶の家族に乾杯」静岡市葵区有東木(うとうぎ)地区が紹介される。ここはワサビの発祥地として知られる。江戸時代に有東木地区に住む村人が野生のワサビを栽培したのが、ワサビ栽培普及の端緒と伝えられる。このワサビは駿府城で徳川家康に献じられ、その味が絶賛されたことやワサビの葉が徳川家家紋の「葵」に通じることから、幕府の庇護を受けることとなった。一方で門外不出の扱いとなり、その栽培技術を他地区に広げることは禁じられた。延享元年(1744年)、天城湯ヶ島で山守を務めていた板垣勘四郎(1686-1761)は三島代官の命によりシイタケ栽培の技術指導で有東木を訪れた。板垣はワサビの栽培を天城でも行いたいと懇願し、有東木の住民はシイタケの礼から禁を犯して板垣にワサビの苗を持たせた。この後、板垣の努力で伊豆天城でもワサビ栽培が普及することになる。

謎の中村長兵衛

Photo  1582年のこの日、山崎の合戦で羽柴秀吉が明智光秀を破る。光秀は敗走中に一人の雑兵に刺殺される。享年55歳。雑兵の名は中村長兵衛という。歴史を大きく変えた人物でありながら、彼がその後どのような人生を送ったのか、本当に実在したのか、詳しいことは何も分からない。(6月13日)

2017年6月12日 (月)

ケペル先生の何でも相談室1

Detail_from_a_painting_of_napoleon  世の中、どんなことでもインターネットを使って情報を探すとわかるようになった。だが時には調べてもわからないこともある。レファレンスとは、一言でいうと利用者の要求に応じて情報提供するサービスである。村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」に登場する作家デレク・ハートフィールドは架空の人物であるが、読者から「デレク・ハートフィールドの著作を読みたい」というリクエストに応じて司書が著作を探しては首をかしげるという誤解が後を絶たない。ここでは基礎的なレファレンスの質問事例をあげる。

Q ナポレオンのあの帽子の名前は?

A ビコルヌ(Bicorne)という。その biは2つという意味、corneは角を意味する。18世紀には三方を折り上げた三角帽(トリコルヌ)から派生し、18世紀末になると二角帽(ビコルヌ)が流行する。ナポレオンがよく使用したので一般にナポレオン帽と呼ばれることが多いが、ビコルヌはナポレオン専用の帽子というわけではなく、19世紀前半まで世界で使用されている。

Q 鎌倉時代、臨済宗をひらいた僧に栄西がいますが、この僧の名称はエイサイ、ヨウサイ、どのように読むべきか?

A 栄西を「ヨウサイ」と呼ぶ一説は、懸声に由来するといわれています。また高峰東峻が著した「興禅護国論和解」の写本(両足院蔵)には、「イヤウサイ」と仮名が付されていた。これによって建仁寺では「ヨウサイ」と呼んでいた。ただし、「エイサイ」の読みが間違っているというわけではなく、両方の読みがあるようである。2014年の「栄西と建仁寺」展では「ヨウサイ」と読んでいる。

Q 巣鴨にある「とげぬき地蔵」の縁起とその縁日を知りたい

A とげぬき地蔵の通称で知られる高岩寺は東京都豊島区巣鴨にある曹洞宗の寺院。江戸時代、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承があり、これが「とげぬき地蔵」の由来となった。縁日は、毎年4の付く日、特に1月、5月、9月の24日は例大祭で、普段より多くの人が参詣する。

PhotoQ JISマークは誰が考案したか、氏名が知りたい

A 1949年、日本の工業製品に関する規格や測定法などが定められ、JISに適合している製品にはJISマークが表示されるようになった。この図案は当時通産省工業技術院の職員だった高橋重(たかはし しげ)のデザインが採用された。2005年から新しいJISマークが開始された。このときは公募で水野尚雄のデザインが選ばれた。

Q 酒呑みをトラというのはなぜか

A お酒が入ると暴れてしまうような酒癖の悪い人、酔っ払いのことをトラ、大トラなどと呼ぶことがある。動物に譬えるとしてもなぜトラなのでしょう。室町時代の古辞書「壒嚢鈔」によると中国で古来から酒のことを「竹葉(ちくよう)」という。「竹の葉の露が溜まりまして、それが酒となったのに因みまして、竹葉という」とある。これになぞらえて「ささ」、笹薮に潜むのが、猛々しいトラである。つまり笹からトラが出る様を洒落て作られた言葉なのです。

Q 国産初の輪ゴム、製造者とその目的は?

A 輪ゴムの歴史は、1820年、イギリスのトマス・ハンコックという人が、中南米の先住民族が使用していたのを見て考案した。その後、1845年、ゴム加工業者スティーブン・ペリーによって輪ゴムが製造された。日本には大正時代末期から輪ゴムが使用された。共和護謨合資会社の西島廣蔵(1889-1977)が1923年、自転車のチューブを薄く切り、輪ゴムとして生産したのが国産第一号である。きっかけは日本銀行からお札を束ねるのに何かいい方法はないものかという話があって、考えついたと自著にある。(参考:「私の歩み 西島廣蔵追想録」 1978年刊行)

Q かなてこの「バール」は、何語からきたことばかを知りたい

A L字型に曲がった釘抜き「バール」は商品名で、英語の crowbarが訛った形と考えられる。

Q 俳句の季語「早苗饗」のよみ方と意味を知りたい

A さなぶり。田植えを終って田の神を送る祭り、またその祝宴や休日。夏の季語。

Q 万葉植物のアサガオは現在の何か。異説も知りたい

A 桔梗。山上憶良の歌に「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなえし また藤袴 朝貌(あさがお)の花」と秋の七草を詠んでいるが、最後の「朝貌」は私たちが知っているヒルガオ科のアサガオではない。現在のアサガオは平安時代に中国から渡来したもので、万葉植物の朝貌は、桔梗(ききょう)と考えられる。最古の漢和辞典「新撰字鏡」(901年ころ)で桔梗の説明に「阿佐加保(アサカオ)」とあり、今では桔梗説がほぼ通説となっている。ほかにも、木槿(むくげ)、昼顔(ひるがお)とする説がある。

Q 「レポート作成法 インターネット時代の情報の探し方」(日外アソシエーツ、2003年)の著者「井出翕」の読み方が知りたい。

A いでさかり。

Q 漢字書きの西洋人名で「馬雪浮」の読み方と原綴名を知りたい。

A マッキ―バー Robert Morrison Maclver 1882-1970 アメリカの社会学者

Q 「ただの水は飲むな」はどこの国のことわざか?

A 世界各国にたくさんのことわざがあって、意外と探すのはむずかしい。北村孝一の「外国のことわざ」(アリス館)に「ただの水を飲むな」(88頁)はトルコのことわざとあります。インターネットで探すと「無料の泉の水は飲むな」とあります。

Q 「愛及屋烏」の意味と出典

A 「あいきゅうおくう」読み下すと「愛は屋烏(おくう)におよぶ」。人を愛すると、其の家の屋根のカラスまで好きになるということから、愛するとその相手に関するすべてに愛情が及ぶとするたとえ。痘痕もえくぼ。出典は『尚書大伝』牧誓篇、『説苑』貴徳から。

Q 歌詞に「僕は君のトロイ・ドナヒュー、あなたは僕のサンドラ・ディー」とある曲は?

A バッドリー・ドローン・ボーイの「One last dance」に「I'll be your Troy Donnahue
 If you'll be my Sandra Dee」とある。

Q.中国歌曲「阿里山的姑娘」(または高山青)はいつ頃作られた歌か?

A.従来、台湾の高山族の伝統的な民歌と紹介されてきたが、実は映画の主題歌である。映画「阿里山風雲」(1947年)で歌われている。香港からきた映画監督、張徹(1923-2002)が曲をつくり、鄧禹平が作詩した。1970年にはテレサ・テンが歌っている。

Q.2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公は日本最初のオリンピック選手、金栗四三。父親の名前は?

A.金栗四三は明治24年8月20日、熊本県玉名郡春冨村(現三加和町)にて父信彦、母シエの四男、8人兄弟の7人目として生まれる。

Q.合コンのテクニック「女子のさしすせそ」とは?

A.男性をほめるとモテる。つまり、「さすがですね」「知らなかった」「すごいですね」「センスいいね」「そうなんですか」の5つのフレーズを使うと会話がスムーズにはこぶ。

Q.杉目太郎行信の墓はどこにあるか?

A.源義経は衣川の館で藤原泰衡に裏切られ、自刃して果てた。しかし義経が自殺しなかったという噂は、かなり早くから語られていた。鎌倉へ送られた義経の首は杉目太郎行信という義経の影武者のもので、年も同じく、容貌などもきわめて似ており、義経の傍に常時従っていた人物だったという。佐藤基治の子で、義経の母方のいとこ。宮城県金成町(現・栗原市)の江浦藻山信楽寺の跡に墓碑がある。墓碑には「源祖義経神霊身替」と刻まれている。

 

梅雨と水害

Ad011   梅雨の季節を迎え、花壇はバラから紫陽花へと主役が交代しつつある。過去にこの季節、梅雨前線を原因とする集中豪雨が何回も起こっている。昭和28年の西日本水害。筑後川を始め白川など九州北部を流れる河川がほぼ全て氾濫し、死者・行方不明者1001名、浸水家屋45万棟、被災者数約100万人という最悪の大災害となった。「梅雨」という語は江戸時代の文献にはなく明治になってから使われるようになった。一説によると、このころに黴が生えることから黴雨(ばいう)といい、のち発音の似た「梅」の字を当てたという。中国でも「梅雨(メイユー)」といい、古く「霉雨」という字が当てられる(「霉」はカビのこと)。

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 福岡市ミカド食堂の女性たち

交通事故で亡くなった著名人

Dag20hammarskjold     交通事故で亡くなった著名人といえば先ず思い出されるのは、ジェーズ・ディーンだろう。大場政夫、ダイアナ妃、と次々と浮ぶがやはり、病死や自然死以上にニュースの扱いが大きいだけに鮮明な印象である。また人生の盛期の突然の死であるだけに、ファンにとってはショッキングな事件である。

    1961年9月17日、コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上で、国連事務総長ダグ・ハマーショルドは北ローデシア(現在のザンビア)のンドクで墜落死した。

イタロ・ズヴェーヴォ(作家) 1928年9月13日、66歳

渡辺温(作家) 1930年2月10日、27歳

トーマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)1935年5月19日、46歳

アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ(作家) 1944年7月31日、44歳

アリスティド・マイヨール(彫刻家)1944年9月27日 83歳

ジェームズ・ディーン(俳優) 1955年9月30日、24歳

ジャクソン・ポロック(画家) 1956年8月11日、44歳

マイケル・ヴェントリス(線文字Bの解読者) 1956年9月6日、34歳

高橋貞二(俳優) 1959年11月3日、33歳

アルベール・カミュ(作家) 1960年1月4日 46歳

スコット・ラファロ(ジャズ) 1961年7月6日、25歳

ダグ・ハマーショルド(国連事務総長) 1961年9月17日 56歳 墜落死

佐田啓二(俳優) 1964年8月17日、37歳

三木露風(詩人) 1964年12月29日、75歳

ジェーン・マンスフィールド(俳優) 1967年6月29日、34歳

小柳徹(俳優、歌手) 1969年3月24日、20歳

大場政夫(ボクシング) 1973年1月25日、23歳

マーク・ボラン 1977年9月16日、29歳

ロラン・バルト 1980年3月25日、64歳

向田邦子 1981年8月22日、51歳、墜落死

グレース・ケリー(俳優) 1982年9月14日、52歳

坂本九(歌手) 1985年8月12日、43歳、墜落死

高橋良明(歌手) 1989年1月23日、16歳

志賀真理子(俳優) 1989年11月23日、19歳

土家歩(俳優) 1990年5月16日、26歳

ダイアナ妃 1997年8月31日、36歳

ジョン・デンバー(歌手) 1997年10月12日、墜落死

アラン・J・パクラ(映画監督) 1998年11月19日、70歳

柳原尋美(歌手) 1999年7月16日、19歳

ポール・ウォーカー(俳優)  2013年11月30日、40歳

斉柏林(台湾の映画監督) 2017年6月10日、52歳、墜落死

(Road Traffic Victims)

 

エスペラントの日

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    ポーランドの眼科医ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ(1859-1917)によって1887年に考案された国際語「エスペラント」という名は「希望をもつ者」という意味である。ザメンホフは聖書や多くの文学作品をエスペラントに訳し、1905年には「エスペラント語の基礎」を出版して、その言語の構造の原理を示した。エスペラントの使用人口は確定されないが、母語話者200人から2000人、第二言語話者100万人から200万人と推定される。戦前は日本でもエスペラントを学習する人がいた。宮沢賢治の「イーハトーブ」(岩手をもじった理想郷を意味する造語)はエスペラント風の言葉であり、宮沢は世界の人に解ってもらえるようにエスペラント語を勉強しようとしていた。また安部公房の父・安部浅吉は満州で医業のかたわら「奉天エスペラント会」の中心人物として活動していた。しかし近年、エスペラント運動はあまりマスコミでも取り上げられることはない。欧米においてもエスペラント運動は停滞ないしは衰退しているそうだ。インターネットの普及でエスペラントの用途が増える可能性もあるのでエスペラントにこれからも注目していきたい。( keyword;Lazarus Ludwik Zamenhof,Esperanto ) 6月12日

2017年6月11日 (日)

釣り餌を食べた王安石

78_2  北宋の政治家・王安石には、そのユニークな性格を物語るエピソードが残されている。北宋は軍事費や外交費で危機的な財政状況であった。王安石は神宗の信任を得て、次々に新法と呼ぶ改革を行った。しかし、保守派はこれに反発し、新政を激しく非難した。これに対する王安石の報復もきびしかった。彼は清廉な人で、詩文にも長じていた。反面、自己の才能を過信し、他人の忠告を受け入れないという欠点をもっていた。頑固で自説をゆずらぬ強情さは彼の人気を一層低めた。その強情さはすさまじく、天子が臨席する釣りの宴席(賞花釣魚園)で誤って釣り餌を食べてしまった。しかしながら、王安石は一口で気づきながらも、途中でやめずに最後までたいらげたという逸話が残っている。彼のこの頑固な性格が、せっかくの改革を台無しにしたのである

傘の日

1372684272195191   きょうは「傘の日」。この日が雑節である入梅にあたることが由来になって、1989年に日本洋傘振興協議会によって制定された。傘がモチーフに扱われる映画といえばフランスの「シェルブールの雨傘」(1964)。結婚を年誓い合った恋人同士。だが、男に送られてきた徴兵令状が、ふたりの人生を大きく変えてしまう。甘美で哀愁漂うメロディが、涙をさそう。もう一本は「雨に唄えば」(1952)ジーン・ケリーがどしゃぶりの雨の中、キャシーへの愛を歌い躍るシーンがミュージカル映画史上の名場面。元歌は古くトーキー初期の名作「ハリウッド・レヴュー」(1929)の中で評判になったナンバーで、クリフ・エドワーズがガラスで張ったフロアでウクレレをひきながらうたい、ブロックス・シスターズの合唱がそのあとを受け、また盛りあげにはレインコートを着たコーラス・ガールのラインダンスとなる。「私は雨の中で歌う。この素敵なフィーリング!私はまた幸せをとりもどし、雲に微笑をなげかける。暗い心の中にだって太陽が輝きはじめる。私は恋をしているのだ・・・・」。

   日本には「相合傘」という乙な言葉がある。雨の中を一つの傘をさして男と女が歩く。男は女が濡れないようにと女の方に傘を寄せて歩く。川柳に「相合傘 惚れてる方が 濡れている」とある。

ガッキーひとり勝ち

   本日は新垣結衣、29歳の誕生日。「地味スゴ」石原さとみVS「逃げ恥」新垣結衣、新ドラマ女王対決は恋ダンスブームでガッキーの完勝。元AKB前田敦子も6月ドラマ「毒島ゆり子のせきらら日記」で注目された。二股恋愛や過激なベッドシーンで見ごたえはあったが、あまり話題にはならなかった。またドラマ「就活家族」では共演者がなんと薬物疑惑の成宮寛貴で代役。あっちゃんには不運が続く。派手でウザい河野悦子、セクシーな毒島ゆり子より、かわいくて純粋な森山みくりのほうが現代草食系男子には好まれるタイプみたいだ。「紅白」で星野源の傍で踊る生ガッキーを観たい、というのが世の男子の願いだろう。ネットをみると「ガッキーは女神」「やさしさで出来ている」「内面がすばらしい」と今や大絶賛。でも逃げ恥でのベッドシーンでもガッキーは色気が全然感じられずアンドロイドみたいだ。その他「演技力が乏しい」「おかめ顔」「胸が寂しい」「肩幅がある」など欠点があるものの、清楚な笑顔、健康的で真面目、和やかな性格、など好感度が非常に高い。TBSチャンネルではガッキーの代表作品「ハナミズキ」「逃げ恥」などを一挙放送。だけど「恋空」だけは小出騒動で他と差し替え。残念!!(6月11日)

2017年6月10日 (土)

時の記念日

June02_m10     671年のこの日、天智天皇のとき「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す」(日本書紀)とある。漏刻とは水時計のこと。

「時計」という言葉は世界各国でまちまちで共通点が見当たらない。(6月10日)

英語 clock  クロック

ドイツ語 Uhr ウーア

フランス語 pendule パンデュール

イタリア語 orologio  オロロージョ

スペイン語 reloj   レロー

ギリシア語  ホーロロギオン

ロシア語  スチイー

スウェーデン語 klocka  クロッカ

フィンランド語 kello  ケッロ

韓国語 シゲ

2017年6月 9日 (金)

軽井沢心中(有島武郎の情死)

Hatanoakiko   有島武郎忌日。45歳。「殊に婦人が愛なき結婚関係によって自己の物質生活の安固を得るが如きは、何と考へても一種の奴隷的売淫生活であり、野蛮時代の売買結婚の遺風に過ぎない。又たとひ一夜の契と雖も、そこに恋愛が存在して居たならば、それは確かに一種の結婚であって売淫ではない」(有島武郎)

   大正12年7月12日の各新聞の見出し「有島武郎、美人記者と情死」を見たものは、誰もどんなに驚いたことか。人道主義、博愛主義的な作風で大正文壇の中心的存在であった有島は、妻の安子(旧姓名、神尾安子)に先立たれ、三人の子供をかかえ、当時45歳の独身だった。波多野秋子は、18歳で波多野春房と結婚し、大正7年に高島米峰の紹介で中央公論社に入社、以来「婦人公論」の記者として活躍し、当時30歳だった。有島武郎と波多野秋子が知り合いになったのは、事件の1年ほど前のことで、それ以来、二人はおたがいに深くひきつけられ、愛し合うようになった。波多野春房は、有島に対し、「秋子をここまで育てあげたのだから、ただでは渡せない、1万円よこせ」という意味の脅迫をした。有島にこの不純な言葉がのみ込めるわけがない。有島は妻を病死させていたが、その傷心を癒すため妻の入院していた病院の患者すべてに花束を贈ったという人だ。愛情を金銭にかえることをできるわけがない。その翌日(6月9日)、軽井沢の別荘で二人は縊死した。

2017年6月 8日 (木)

韓国映画史

   2015年の日韓国交正常化50周年を記念し、「韓国映画1934-1959創造と開花」が11月21日から12月26日まで東京・国立近代美術館フィルムセンターにて開催される。上映作品は「自由夫人」「運命の手」「陽山道」「未亡人」「青春双曲線」「ソウルの休日」「地獄花」「ある女子大生の告白」「母情」「女社長」「同心草」「姉妹の花園」「青春の十字路」など、韓国映像資料院に所蔵された韓国映画の第一次黄金期の作品を中心に上映する。

ほかに代表的な韓国映画を記す。

「青春の十字路」 1934年 アン・ジョンファ監督

「半島の春」 1941年 イ・ビヨンイル監督

「下女」 1960年 キム・ギヨン監督

「ロマンスパパ」 1960年 シン・サンオク監督

「春香伝」 1961年 ホン・ソンギ監督

「誤発弾」 1961年 ユ・ヒョンモク監督

「霧」 1967年 キム・スヨン監督

「糞礼記」 1971年 ユ・ヒヨンモク監督

「星たちの故郷」 1974年 イ・ジャンホ監督

「馬鹿たちの行進」 1975年 ハ・ギルチョン監督

「森浦への道」 1975年 イ・マニ監督

「桑の葉」1985年 イ・ドゥヨン監督

「風の丘を越えて 西便制」1993年 イム・グォンテク監督

「太白山脈」 1994年 イム・グォンテク監督

「八月のクリスマス」  1998年 ホ・ジノ監督

「シュリ」 1999年 カン・ジェギュ監督

「我が心のオルガン」 1999年 イ・ヨンジェ監督

「猟奇的な彼女」 2001年 クァク・ジェヨン監督

「永遠の片思い」 2002年 イ・ハン監督

「ラブストーリー」 2003年 クァク・ジェヨン監督

「シルミド」 2003年 カン・ウソク監督

「私の頭の中の消しゴム」 2004年 イ・ジュハン監督

「僕の、世界の中心は、君だ」 2005年 チョン・ユンス監督

「トンマッコルへようこそ」 2005年 パク・クァンヒョン監督

「四月の雪」 2005年 ホ・ジノ監督

「グエムル 漢江の怪物」 2006年 ポン・ジュノ監督 

「建築学概論」 2012年 イ・ヨンジュ監督

「王になった男」 2012年 チュ・チャンミン監督

「アトリエの春、昼下りの裸婦」 2014年 チョ・グニョン監督

「不汗党 悪い奴らの世界」 2017年

ウィリアム・コベット忌日

何を書こうかと考えるために座るのではなく、貴方が考えたことを書くために座りなさい(ウィリアム・コベット)

Photo_2   ウィリアム・コベット(1763年3月9日生。1835年6月8日没)はイギリスの急進的政治家・文筆家・編集者。イギリス南東部サリー州の貧しい農家に生まれた。軍隊に入り、除隊後フランス、アメリカに渡り、帰国後急進的ジャーナリストに転向。農民、労働者の懐旧的感情に訴え、産業主義社会を批判した。議会改革を通じて社会改革を考え、議会議事録の発行を創始した。1823年議員に当選したが、政治的には成功しなかった。彼の文章は明快であり、農業問題についてはすぐれた識見を述べている。農村疲弊の実状見聞録「農村紀行」(1830年)は名著として高く評価されている。コベットの本はすべてよく売れたが、特にプロテスタント史に関する本は、世界中で聖書に次いでよく売れたと言われる。

   コベットは驚くほどの多作家で、そのいくつかをあげる。「アメリカ生活一年の記録」「英文典」「小住宅の経済」「アメリカの園芸」「イギリスの園芸」「コベット講演集」「移民ガイド」「スコットランドの旅」「アンドリュー・ジャクソンの生涯」「仏文典」「イギリスおよびウェールズの地理辞典」「プロテスタント改革史」「イギリス議会史」「議会討議録」「ビッグOとグローリー卿」「余剰人口」「若き人々への提言」(庄司淺水訳)。

    ロンドンでは1803年に週刊新聞「ポリティカル・レジスター」を発行し、書店を経営した。記者や編集者などを、10人以上雇い、週刊誌はじめ書籍の出版を続け、印刷の発展にも寄与した。(William Cobbett)

2017年6月 7日 (水)

最初から今まで

   韓国ドラマ「冬のソナタ」は東アジア圏では広く知られる。「マイメモリー」「初めて」「モーメント」「あなただけが」「離せない愛」「始まり」「記憶の中へ」「すみれ」など挿入歌も知られるが、やはり主題歌「最初から今まで」は各国でカラオケなどで歌われる。韓国語ではRyu、ペ・ヨンジュン、パク・ヨンハ、ファン・チヨルなど。中国語では張信哲、林志炫、張清芳など。フィリピンでは女性歌手Faith Cuneta。マーレーシアでは歌姫シティ・ヌールハリザ(Siti Nurhaliza)がカバーしている。日本では山内恵介がたまにステージなどで披露することがある。ムード音楽では、Yiruma(ピアノ)、リチャード・クレイダーマン(ピアノ)、Dave Monk(ギター)など。

 

 

ヨボセヨ

92562240_org     日本語のなかには「よく使うのだが、なぜそういう言葉を使うのか、意味がわからない」という言葉がいくつもある。たとえば「ハナから信じない」などという。「ハナ」は韓国語で「初めから」の意である。独身男性のことを「チョンガー」、「モグモグする(食べる)」、「ウロチョロする」、「ノッポ」「チャリンコ」なども韓国語がルーツらしい。不思議なことに日本語と韓国語は言語系統でいえば近いのに、耳で聞くとさっぱりわからない。          

   映画「ノーボーイズ、ノークライ」(2009)。釜山から山口へ密輸品を小型ボートで運ぶハ・ジョンウを海岸で妻夫木聡がおかしな韓国語で出迎える。「ヨボセヨ~」。ハ・ジョンウは「こういうときはヨボセヨではなく、「こんにちは」を意味する「アンニョンハセヨ」を使うべきだ」と言う。ヨボセヨの「ヨ」は「「こっち」、「ボセヨ」は「見てください」、つまり「ちょっと…」「あの…」くらいの意味。人に呼びかける言葉で、電話での「もしもし」のような決まり文句。この映画をみると日韓合作も経験を重ねて、言葉の壁を越えて人間的な交流がでてきたように感じる。

セッテ・ジューニョ

6538417763_7ebeec273b_z   1919年のこの日、地中海のマルタでパンの公定価格の値上げに端を発し、暴動、英軍が市民に発砲し、4人が死亡した。セッテ・ジューニョとはイタリア語で「6月7日」の意味である。本当の独立(マルタ独立記念日)は1964年9月20日である。地中海のマルタがイギリスから独立した。しかしマルタは完全な独立国というよりイギリス連邦のなかのミニ国家といえる。紀元前から地中海貿易で繁栄。1530年には聖ヨハネ騎士団の所領となった。エジプト遠征途上のナポレオンによって占領されたが、その後、イギリスの支配下となる。(Malta,Sette Giugno)

2017年6月 6日 (火)

なぜ巨人は弱いのか?

   泥沼巨人、地獄の13連敗。プロ野球のワースト記録は1981年のロッテの18連敗がある。1日の楽天戦では好投池田を交代、長野バント空振り、重信牽制アウトと采配も乱れた。2日のオリックス戦では4-1が継投のミスで5-6の逆転負け。3日、男村田が満塁本塁打を放ったが4-5で惜敗。4日、新人の山岡に打線が沈黙。 6日、裏目の采配で42年ぶり11連敗、5位転落。8日、先発池田、外崎に満塁弾を浴び、完敗。なぜ巨人が弱いのか。一二番が固定しない。中軸の本塁打が少ない。中継ぎ投手の不在。陽岱鋼の故障。正捕手小林の貧打。長野のスランプ。さまざまな要因があげられるが、守護神カミネロを降格して、クルーズを抜擢したのが凶とでた。低迷する巨人をあたたかく見守り続けよう。ところでなぜ由伸はベンチで座らず立ったままなのか。監督が座らないとコーチも立つしかなく、ベンチの雰囲気が辛いと思う。男前の顔がテレビに映るのはファンサービスの一つだが、だれが名付けたか由伸を「地蔵監督」と呼んでいる。

恐怖の日

666celebritywallpaper1fbab   本日は「恐怖の日」。我が国ではこの日は昔から踊りや邦楽などの芸事は6歳の6月6日から始めると上達するといわれた吉日だった。ところが1976年に映画「オーメン」が公開されて以降、悪魔の子ダミアンが6月6日の6時に誕生し、頭に666の文字が隠されていて、666は獣の数字としてキリスト教では嫌われていることが知られるようになった。一般的に言っても、1、3、5などの奇数は吉数で、2、4、6などの偶数は不吉な数というのは、だいたいどの民族でも共通しているらしい。とくに6という数字はキリスト教以外にも、仏教において、「六(ろく)」は「殺人」「殺傷」、「六字(ろくじ)」は「死ぬこと」を意味する。これは南無阿弥陀仏が6文字であるためである。また三途の川の渡し賃が六文銭というのも死と係わりがあるためであろう。兵庫県川西市の郵便番号が「666」である。6という数字は見えないところに隠れて存在するかもしれない。

2017年6月 5日 (月)

おもしろ中国語

48bb8ed5bc78a 中国語漢字圏ではカタカナのような元の発音に近い音で表記する記号がないので、どんな外来語でも漢字を充てる。「スチューワーデス物語」(1983)堀ちえみ主演は、「空中小姐」堀千恵美、「東京エレベーターガール」(1992)宮沢りえ主演は、「東京電梯女郎」宮澤理恵というタイトルで台湾で放送されていた。台湾でドリームズ・カム・トゥルーは「美夢成真」。韓国ドラマ「秋の童話」は「藍色生死戀」。「逃げるは恥だが役に立つ」は、「逃避雖可恥但有用」。台湾では「月薪嬌妻」。月薪は月給、嬌妻は可愛い奥さんの意味。

  トヨタ自動車は「丰田汽車」。車名ではクラウンは「皇冠」、レクサスは「雷克薩斯」。ミッキーマウスは「米奇老鼠」。アンパンマンは「安麺包人員」。ポパイは「大力水手」。水手とは水夫のこと。「セーラームーン」は「水手月亮」。「セーラー服」は「水手服」。

   しかしすべての言葉が中国で翻訳されるわけではない。「ストレス」に相当する言葉はこれまでなかった。ここ数年、ストレスを感じるビジネスマンも増加してきた。「圧力」が「プレッシャー」や「ストレス」を意味する。いま中国では「圧力山大」=「ストレスがアレキサンダーのように大きい」という言葉が流行語になっている。中国語で「亜歴山大(アレキサンダー)」と発音が同じで、だじゃれ言葉である。

信息素(フェロモン)

阿司匹林(アスピリン)

大熊猫(パンダ)

火箭(ロケット)

口香糖(チューインガム)

電脳(コンピューター)

聖誕(クリスマス)

巧克力(チョコレート)

康乃馨(カーネーション)

生魚片(さしみ)

巴洛克(バロック)

月歴(カレンダー)

直升機(ヘリコプター)

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アジアの歌姫シュー・ピンセイ

34030_n   1993年の第35回日本レコード大賞を観る。香西かおり「無縁坂」がレコード大賞を受賞。新人賞は国武万理「ポケベルが鳴らなくて」、山根康広「Get Along Together」、シュー・ピンセイ「パッシング・ラブ」の3人。最優秀賞は山根が受賞。司会の宮本亜門は国武に「上海から来たんですね」と聞いていた。それほど3人の知名度は低かった。しかし20年の歳月が流れ、シュー・ピンセイは「真的好想你」によって大人気となり、上海歌謡界の代表的な歌姫となっている。テレサ・テンのように日本歌謡界進出には失敗した。日本語表記はゾウ・ビンチャンになっている。このほか東南アジアにはマレーシアのシティ・ヌールハリザがいる。1979年に生まれ1996年17歳でデビュー。ポピュラーだけでなく、伝統歌謡のアルバムも多く出している。(Zhou Bingqian,Shu Pinsei)

沖田総司と菊一文字

   時代劇チャンネル「新選組血風録」第七話。沖田総司(島田順司)は懇意の刀屋播磨屋道伯から名刀の菊一文字を借りた。鎌倉期の古刀の代表的なもので、最も有名なのは、足利家重大の宝刀といわれた「二つ銘則宗」が京都の愛宕神社所蔵のもので国宝である。則宗は備前福岡の刀工で、いわゆる福岡一文字派に属し、後鳥羽上皇の後番鍛冶に列し菊花紋章を彫ることをゆるされたため、俗に菊一文字といわれる。

    司馬遼太郎の原作では、近藤勇の虎徹と土方歳三の和泉守兼定、それに菊一文字則宗を横に置きならべてみる描写がある。「虎徹は厚重ねで反りは浅く、姿には、この道でいう怒味と武骨味をもち、いかにも人切り包丁といった凄みがある。むろん、虎徹にもそれなりに品位はある。だが、しかし鎌倉の古刀である菊一文字には遠くおよばない。要するに、神韻縹渺としたところが、兼定にも虎徹にもないのである」「細身は当節はやらない。重さで切れるようなものが、幕末の流行であった」とある。

   ドラマでは、三人の差料を比べるシーンはない。土方は沖田に「俺の刀を貸そう」というと、沖田は笑って「土方さんのは重いから結構です」という台詞がある。

   ドラマ「菊一文字」は沖田総司が医師半井玄節(原健策)に診察してもらったところ、「安静が必要であり、このままだとあと5年しか生きられない」といわれる。天真爛漫な性格と労咳という沖田総司の明と暗のイメージがお茶の間に浸透したと思われる重要な回である。「刀の命は七百年、おれの命は二十五年か」若くしてこの世を去った沖田の命と古刀との対比も鮮やかである。結束信二の脚本も原作の持ち味を十分に出している。何よりも月代の似合う島田順司は沖田総司の役のために生まれたといってもいいほど似合っている。沖田を慕う医師の娘お悠に当時、「忍びの者」で人気がでた清純派の鈴村由美がでているのも懐かしい。ドラマでは菊十文字を大切にするあまり、陸援隊の戸沢鷲郎を沖田が殺さなかったために同僚の日野助次郎が死んだ。土方が「刀は飾り物ではない。あの時、戸沢を斬っておれば、日野は死なずに済んだ」と沖田に言う。沖田は菊一文字で戸沢を殺し日野の復讐を果たす。しかし、沖田が菊一文字を使ったのは、このときだけだったという。刃こぼれ一つしなかった。

Kiku    しかし、実際に沖田が菊一文字を所持していたという可能性はほとんどない。当時、大名すら入手は難しく、実践では不向きな刀。これは下母澤寛の著作に「沖田の刀は菊一文字細身のつくり」とされたことが広まったものという。現在も菊一文字という屋号の刃物屋が京都にある。包丁、鋏などを販売している。「桐箱入り鶴亀卸し金セット」など贈答品に人気がある。価格5775円。だいこん卸しに使うには畏れおおい気がする。

「老後の日」雑感

   本日は「老後の日」である。6(ろく)と5(ご)の語呂合わせで「老後」とかけたらしい。人生の最終章で人はどう生きればよいのか。80歳でヒマラヤ登山をしたり、宇宙旅行をするのが偉いのか。いつまで世評を気にして、人と競うことは愚かである。最早、人に役に立たずとも、親切で柔和であればそれでよい。上智大学の学長だったヘルマン・ホイヴェルス神父の詩「最上のわざ」はとてもよい。「手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。」と。(6月5日)

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2017年6月 4日 (日)

ペンネーム、芸名にまつわる奇話

 名前には不思議な力が宿る。井原西鶴、太宰治、司馬遼太郎、レーニン、トロッキー、スターリン、魯迅などはみな本名ではなく筆名である。第48代横綱大鵬には本名の納谷幸喜( なやこうき)のほかに、イヴァーツ ・ボリシコというロシア名がある。小説家は、小説の精神をそのまま具現化して読者に伝える主役や脇役の名前の命名に苦心を払うらしい。かの文豪シェイクスピアがハムレットやオフィーリアをどのように生み出したのか興味深い。ところで名前は平凡な名前と珍しい名前のどちらかに二分される。山田太郎、鈴木一郎、ジョン・スミス、ウイリアム・ウィルソンなどは平凡な名前、ありふれた名前の代表格だろう。

    対照的に珍しい名前、珍名、奇名、難しい名前などはインパクトがあるので小説などによく使われる。けれども不思議なもので何度も聞くうちに、めずらしくなくなって、ひとつの存在としてのアイデンティテーを確立してしまう。星飛雄馬などは梶原一騎が考案した最高のネーミングだろう。このようにスター性のある人にはなにかしら名前そのものにパワーがあるから不思議だ。「純と愛」に出演している吉田羊や「まれ」の土屋太鳳もインパクトある名前だ。飲酒運転で逮捕されたガリガリガリクソン。元巨人の助っ人選手と関係があるかは不明。「門楼(もんろう)まりりん」も珍名。

   「しりあがり寿」「辛酸なめ子」、女性器をテーマにした作品で知られる「ろくでなし子」など珍名は漫画家に多い。お笑い、寄席芸人にも珍名は多い。ケーシー高峰は医学漫談でアメリカのドラマ「ベン・ケーシー」に因む。高峰は高峰秀子のファンだから。桜金造も桜田淳子に因む、あこがれ型芸名。プリティ長嶋は長嶋茂雄に由来。珍しい芸名では丹古母鬼馬二。「たんこばきばじ」と読む。ゲスの極み乙女のドラマー「ほないこか」。

珍名といえば「たけし軍団」がとくに目立つ。そのまんま東、ガダルカナルタカなどは著名人だが、なかにはヒドイ芸名をつけられたという被害者もいる。阿部定忠治(のち鳩山来留夫に改名)、無法松、お宮の松、玉袋筋太郎、犬神クヒオ、ガンビーノ小林、マダ村越。

    歴代相撲の四股名では、猫又三吉、三毛猫泣太郎、自動車早太郎、文明開化、凸凹大吉、ヒーロー市松、成瀬川土左衛門、山本山。ボクシングでは、ガッツ石松、ベンケイ藤倉、牛若丸あきべぇ。

    珍しい名前といえば、「玄武岩」という名を見て驚いた。ヒョンムアン(玄武岩)さん(北海道大学大学院准教授。1969年生まれ。)ペンネームには変わった名前が多い。団鬼六、吉田戦車、荻原魚雷、わかぎゑふ(若木F)、などは一度聞いたら忘れないほどインパクトがある。

    珍しい芸名が裁判になったこともある。高知東急という俳優が、1996年、東京急行電鉄から「高知に東急が進出したと誤解を受ける」と芸名使用停止を求められた。裁判で敗訴し、その後、「高知東生(たかちのぼる)」と改名している。企業のかなりコジツケのような言いがかりだったが、裁判所は一個人命名の自由よりも大企業に贔屓したとみている。

広沢が借りた本の謎?

   ドラマ「リバース」の事件の真相も徐々に明らかになってきた。しかし告発犯は美穂子ちゃんのほかにもう一人いる。武田鉄矢を襲った左腕の男。もちろん原作があるので結末はわかっているが知らないほうが面白い。ところで第8話で広沢が浅見から借りたままになっていた文庫本の話があった。原作にあるのか確認していないが、ドラマでは吉川英治の「宮本武蔵」だった。今どきの青年にはちょっと古風な感じがする。湊かなえの原作が講談社から刊行しているので吉川英治なのか。

歯の衛生週間

0   昭和3年、6月4日を「むし」と語呂合わせで日本歯科医師会の提唱で「虫歯予防デー」が定められた。戦後は昭和33年から現在の「歯の衛生週間」(6月4日から10日まで)となった。現在、歯周病にかかっている人はおよそ5000万人いるといわれる。そのうち約700万人は重症の歯周病患者である。歯磨きはすべての歯周病治療の基本。正しいブラッシング法を身につけ、食後には10分間の歯磨きの実践を。1964年から「リンゴをかじると歯茎から血がでませんか?」というCMがよくテレビに流れた。俳優座の福田豊土(1934-1998)だ。父は日本画家の福田豊四郎。1998年に病死している。享年も64歳(むし)だった。

2017年6月 3日 (土)

マルチな活動、あの人の専門は何?

    ヘンリー・ベッティンガーHenry Bechingerという学者はかつて「三角測量法」という読書法をすすめていた。自分から遠く離れた2地点を観測して自分の位置を明らかにするというもの。つまり自分の専門領域だけでなく、全く異なる分野の本も多く読むということをすすめている。バートランド・ラッセルは数学者でもあり、哲学者でもある。明治期にお雇い外国人として来日したフェノロサは、東京大学では美術ではなく、政治学、哲学、経済学を講義している。自然科学はほとんど分野がボーダーレス。シュレティガーは物理、化学、生物にまたがっている。

    たとえば歌劇「イーゴリ公」や「中央アジアの草原にて」の作曲家ボロディンは、自分のことを音楽家としてではなく、化学者、医師と自称していた。17世紀のイギリスの数学者ジョン・ウォリスは微分積分学への貢献で知られるが、1685年に書いた「Gramatica Linduae Anglicanae」によって、彼は「英文学の父」と称されるようになった。福岡の平野四郎(1885-1963)は医師のかたわら、動物、とくに鳥の生態の研究で知られた。東京音楽大学の山根章弘は専門は美学ということだが、実に広い分野に関心を持っている。出版された本が同じ著者かと思われるほどである。映画ファンの間では映画評論家として認識されているだろう。東映動画「白蛇伝」の原案者でもある。上原信(ペンネーム)は山根章弘と同一人物である。アニメ「龍の子太郎」のプロデューサー、「世界映画芸術史 エロティシズム50年の流れ」1966、「スクリーン・エロティシズム」久保書店1962。また羊毛の専門家「羊毛文化物語」講談社1989、「羊毛が語る日本史」PHP研究所 1983。またエチケット研究家「美しい人、美しいマナー」1982、「愛と結婚のエチケット」銀河選書 1982、「誰も言わなかった知的マナー」青春出版社 1978、「日本の折形」講談社 1987。むかし日本テレビの11PMにも出演していた。芸術、映画、民俗、風俗、マナー、衣服、羊毛、文化史と相互に関連しているのである。

23007001563     映画評論家の荻昌弘(1925-1988)も映画、料理、音楽のほか幅広い趣味がある。新しいもの好きでワープロによるデーターベースの構築を1982年夏ころ試みている。効率的・機能的な書斎をつくるため、「私の書斎ワープロ戦略」(1986年)を刊行した。

  京都大学の安田徳太郎(1898-1983)は、医師でフロイド研究で知られるが、ほかにも風俗・エロチック美術の研究など著書の分野は広い。戦後は「人間の歴史 全6巻」「万葉集の謎」はベストセラーとなった。同じく京大の多田道太郎(1924-2007)も専門はフランス文学、ボードレール、サルトルだが広い分野で評論活動をしていた。カイヨワの「遊び」、映画評論、大衆文化、現代風俗、漫画論、晩年は生活美学というものを提唱していた。澤瀉久敬(1904-1995)はフランス哲学が専門だが、阪大で医学概論を講義した。万葉集研究で著名な澤瀉久孝の弟である。小説家岡本かの子(1889-1939)は仏教研究家として知られていた。松田道雄(1908-1998)は小児科の医者が本職であるが、ロシア研究家、など幅広い読書家として知られた。光吉夏弥は、「ちびろくさんぼ」など英米児童文学の翻訳者として知られているが、舞踏評論家でもある。硯友社で言文一致体の小説家で知られる山田美妙(1868-1910)は、晩年フィリピン独立運動家アギナルドの伝記を著している。芸能人では荒木一郎は俳優、シンガーソングライター、小説家、手品など多芸多才である。最近では辻仁成が作家、ミュージシャン、映画監督、演出家。星野源が俳優、歌手、文筆業など多岐にわたって活躍している。

口もと考現学

1247247891   コロッケがアントニオ猪木や岩崎宏美の物真似で下アゴを大きく突き出して歌うと爆笑をさそう。口元の微妙な変化で印象が変わってくる。「人は見た目が100%」。最近、若い女性の間で自撮りで可愛く写るとしてキュートな「アヒル口」が再び流行している。本当のアヒル口ではなく、口先をやや突き出したような状態で口角をキュッと上げる。世間的には板野友美や田中美保で知られる。もともとアヒル口が可愛くみえるというのは古くからハリウッドで知られ、映画「散り行く花」でリリアン・ギッシュ(画像)が指先で口角を突き上げる仕草をしていた。日本では石川ひとみが「口がアヒルに似ている」と田原俊彦にいわれて、自らイラストでアヒル口を描いている。「アヒル口」という言葉が定着したのは広末涼子から。

アヒル口の反対は「受け口」や「しゃくれ」の下顎が突き出た感じ。田宮二郎はやや受け口気味な俳優だった。「アヒル口」が失敗して「河童口」になる女の子も多い。

50667831  江戸時代から可愛いと評判だったのは「おちょぼ口」。樗蒲(ちょぼ)とは「しるしに打つ点」の意で、「おちょぼ口」とは「小さくかわいい口のこと」。福助人形は頭が大きく、目が切れ長で、円らな瞳で福耳。そして「おちょぼ口」で裃を着て正座している。大田南畝によると「享保3年冬より、叶福助の人形流行」(一話一言)とある。はじめ茶屋、遊女屋などで祀られたが、のちに一般家庭にも広まった。

黒船来航

  東インド艦隊を率いるマシュー・ペリーの黒船が、江戸湾入口の浦賀に現れたのは、1853年7月8日(旧暦6月3日)のことであった。天気は快晴で、富士山がよく見えた。浦賀奉行組与力の中島三郎助は、オランダ語の通訳の堀達之助とともに、交渉に当る。中島が、日本の法律では、外交問題は長崎で交渉することになっているで、長崎で交渉するよう、副官のジョン・コンティ大尉に申し入れた。しかし、コンティはこれを拒否した。ペリーは3日後までに聞き入れなければ、大砲をうちだすという。老中・阿部正弘や勘定奉行・川路聖謨は諸大名と協議し、結局7月14日(旧暦6月9日)に、アメリカの国書を受け取ることにした。アメリカ大統領の国書は、アメリカ漂流民の保護、アメリカ捕鯨船の食糧・薪水の補給、日本の地に貿易港を開く、というものであった。幕府側は、すぐに回答できない、なんとか来年までまってほしい、とペリーに頼んだ。ペリーは来春に再び来航して、日本側の回答を求めることを述べ、12日にようやく江戸湾を去り、琉球にむけていった。(Matthew Perry,John Contee、史料「南浦書信」嘉永六年七月十四日)

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黒船来航の地 浦賀久里浜海岸

   ドラマ「天皇の世紀」第1回「黒船渡来」キャスト:阿部正弘(田村高廣)、川路聖謨(木村功)、サムパッチ(杉本孝次)、ウィリアムズ(大月ウルフ)、いまから41年前の作品だが、沖縄の米軍基地のワンシーンが入っており、現代との関連を想起させるようになっている。

2017年6月 2日 (金)

なぜ毎日ソースを買うのか?

  美大生の宇野正直は、コンビニでバイトをしている。そこには、毎日なぜかソースだけを買っていく美人がいた。いつしか正直は彼女に恋心を抱き、密かに「ソースさん」と呼ぶようになる。NHKドラマ、ミムラと千葉雄大主演「ソースさんの恋」。でもなぜミムラはソースを毎日買うのか。まとめて買えばいいじゃないか。ミステリーの世界だ。千葉の同級生、萩原みのりも可愛い。

平清盛、福原に遷都

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    平清盛の時代の大きな特徴は、物々交換から宋銭の流通による貨幣経済に変わったことである。1180年のこの日、平清盛は周囲の反対を押し切り神戸・福原に遷都した。ただ和田京との関係や、大輪田泊、福原京が、現在の地図の上にどのように都が配置されたのか専門家の間にも異論がある。元京都大学大学院人間環境研究科教授の足立健亮の復元プラン(E-F-G-H)が広く知られている。最近、楠・荒田遺跡(神戸市兵庫区荒田町)から平頼盛邸宅の遺構が発掘され、福原京の一部が少しづつわかりかけてきた。6月2日

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2017年6月 1日 (木)

牛乳の世界史

Img_207118_33118760_2_2    6月1日は「牛乳の日」。インドのムンバイの牛乳会社の広告。牛乳を飲むと力が強くなり、高いビルディングも動かせる。これほどではなくとも牛乳は人類の健康増進に貢献してきたのは事実である。西アジアにおいて牛は羊、ヤギより遅れて家畜化されたもののようである。チャタル・ヒュユク(前6500年)では野生牛に比べて小型化し、すでに家畜化がみられる。ジャルモ(前5000年)からも家畜化された骨が発見されている。ハラフ期(前4500年)にも牛の存在を示すものがある。初期シュメール王朝の都市国家ウルからは牛が利用されていたことを示す彫刻が発見されている。(前2500年)。インドのモヘンジョ・ダロの印章にも牛がみられ、牛乳も飲用されていたと思われる(前2500年)。

   わが国では孝徳天皇の時代(650年ごろ)に、中国からの帰化人善那(別名福常)が牛乳を献上して、宮中で飲用したのが最初である。善那は乳長上(ちちのおさのかみ)の職が与えられたと「新撰姓氏録」にある。その後は宗教上の理由で長く禁じられ、一般に飲用するようになったのは明治以後である。明治3年、日本で最初の牛乳店が横浜の前田留吉によって開店された。

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