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2017年5月31日 (水)

アーベルとガロア

Photo エヴァリスト・ガロア

    フランスのエヴァリスト・ガロワ(1811-1832)とノルウェーのニールス・アーベル(1802-1829)は同時代の数学者だが共通している点が多い。専門が楕円関数論と代数方程式論であることや、ガウスの影響を受けていること、若くして悲劇的な死をとげていることである。ガロアが1832年5月31日、決闘で受けた傷がもとで死んだことはよく知られているが、アーベルは病死である。ガロアは近世の高次代数方程式が代数的に解けるための必要十分条件を群の言葉で与えた。アーベルは五次以上の代数方程式は、一般に代数的には解けないことを証明した。楕円関数論およびアーベル関数論で知られる。2人はもちろん出会ったことはなかったし、論文を通じての認識すらなかったらしい。

2017年5月30日 (火)

中国漢籍図書目録

Photo
 天一閣。門には「南国書城」の額がある

   天一閣は明の寧波の豪商、范欽(1506-1586)が1561年から1566年にかけて創建した蔵書楼。現存するアジアでも最古の図書館の一つといえる。蔵書家の多いことで知られる浙江省鄞県でも天一閣が珍しい書物が集められていることから、当時から天下第一といわれ、それが命名の由来である。天一閣の前庭に池があるのは防火対策である。蔵書内容は嘉靖・万暦年間(1522-1619)に刊本されたものが多く、旧鈔本、金石拓本、明代の地方志、科挙関係資料などが多数ある。清の四庫全書の編纂には天一閣の図書を参考にし、文淵閣はこの楼閣にならって作ったといわれる。

    中国漢籍目録

晏子春秋 戦国
安南史略 19巻 安南黎崱撰 元
安陽集 50巻 韓琦 北宋
郁離子 10巻18篇 劉基
委巷叢談 1巻 田汝成撰 明
夷門広牘 106巻 周履靖編 明(1597年)
韻語陽秋 20巻 葛立方撰 宋
隠秀軒詩 10巻 鐘惺撰 明
蟫史 11巻 穆希文撰 明
陰騭録 袁了凡  明
韻府群玉 20巻 陰時夫撰 元
雨窓欹枕集 洪楩 明
尉繚子(うつりょうし)
雲烟過眼録 4巻 周密 宋
雲笈七籤 120巻 張君房 宋
瀛涯勝覧 1巻 馬歓撰 明
嬴奎律髄 49巻 方国撰 元
剡源集 30巻 戴表元 元
円機活法 24巻 王世貞 明
女論語 曹大家撰 説郛所収 後漢
開漢一笑 上下とも14巻 李贄  明
開元天宝遺事 4巻 王仁裕撰 五代
懐香記 2巻 陸采撰 明
花間集 10巻 趙崇祚編 (四部叢刊所収) 後蜀
格致叢書 胡文煥  明
学蔀通辨 12巻 陳建撰  明
何氏語林 30巻 何良俊撰 明
画禅室随筆 4巻 董其昌撰  明
漢魏叢書 何鏜  明
漢魏六朝七十二家集 347巻 張燮撰 明
漢魏六朝百三名家集 80巻 張溥編 明
漢詔疏 陳衍 明
邯鄲記 2巻 湯顕祖 明
漢唐事箋 朱禮 元
季漢書 60巻 謝陛撰 明
居業録 余祐編  明
今古奇観 40巻 抱甕老人撰 明
金史 135巻 托克托(トクト)等奉勅撰 元
金瓶梅 蘭陵笑笑生 明
郡齋読書志 4巻 後志2巻 考異1巻 付志1巻 晁公武撰 宋
訓纂篇 揚雄撰 漢
藝苑巵言 王世貞  明
闕里誌 24巻 陳鎬撰  明
元史 210巻 宋濂王褘等捧勅撰
兼明書 5巻 邱光庭撰 唐
孔叢子3巻 孔鮒撰 後漢
呉越春秋 趙皣  前漢
元朝秘史 15巻 元
孝経 1巻 漢
後漢紀 30巻 袁宏撰 晋
後漢書・志 司馬彪 晋
五経大全 117巻 胡広  明
古今事文類聚  祝穆
古今書刻 上篇1巻、下篇1巻 周弘祖撰 明
古今談概 馮夢龍撰 明
古今治平略 33巻 朱健撰 明
古今注 3巻 崔豹撰 晋
五雑俎 16巻 謝肇淛撰 明
古詩源 14巻 沈徳潜撰 清
古微書 36巻 孫殻編 明
古文関鍵 2巻 呂祖謙
古文孝経 1巻  漢
古文真宝 20巻 黄堅
古列女伝 7巻 劉向  前漢
困学紀聞 20巻 王応麟
顧氏文房小説 顧元慶編 明
五車韻瑞 160巻 凌稚隆撰 明
五代会要 30巻 王薄
五代史 薛居正
菜根譚 洪自誠  明
西遊記 呉承恩  明
冊府元亀 1000巻 王欽若等奉勅撰 中華書局 1960
山谷集 70巻 黄庭堅
左氏伝解詁 30篇 賈逵  後漢
三体詩 6巻 周弼
三輔決録 2巻 趙岐  後漢
三略 3巻 黄石公
雑学辨 1巻 朱熹
雑事秘辛  楊慎  明
三国志 65巻 陳寿撰 晋
三国志演義 羅漢中 明
三才図絵 106巻 王圻  明
山堂肆考 228巻、補遺12巻 彭大翼撰  明
爾雅翼 32巻 羅願撰 宋
左氏蒙求 2巻 呉化龍 明
史記 130巻 司馬遷
史記考要 柯維騏  明
資治通鑑 294巻 目録30巻 考異30巻 司馬光
資治通鑑綱目 59巻 朱熹
詩集伝 8巻 朱熹
四書集注 19巻 朱熹
詩人玉屑 20巻 魏慶之
字説 20巻 王安石 宋
事物紀原 宋・高承撰、明・李果訂
事物原会 清・王汲編 清嘉慶2年休寧汪氏古愚山房刊本
朱子感興詩註 1巻 蔡謨
朱子行状 黄榦
朱子語類 140巻 黎靖徳
笑苑千金 張致和
七略 劉歆
諡法 劉熙
諡法劉熙注補遺 劉熙
四民月令 1巻 崔寔
釈名 8巻 劉熙
十八史略 7巻 曾先之撰 元
春秋会要 姚彦渠 中華書局  1955
春秋経伝集解 30巻 杜預 晋
春秋公羊伝 11巻
春秋穀梁伝
春秋左氏伝 30巻
春秋左氏伝解誼 服虔
春秋左伝解詁 賈逵
春秋釋例 15巻 杜預  晋
春秋繁露 17巻 董仲舒
笑海叢珠 陸亀蒙撰 元
傷寒論 16巻 張仲景
尚書大伝 4巻 鄭玄注
女誡 班昭  漢
書目三編 別録・七略輯本・漢書藝文志補注・四史儒林文苑伝注 上・下 広文書局 1969
事林広記 陳元靚撰 宋
新五代史 75巻 欧陽脩撰 宋
真山民集 1巻 真山民撰 宋
鐔津文集(しんしんぶんしゅう) 20巻 契高 宋
神仙伝 10巻 葛洪 晋
新唐書 225巻 欧陽脩、宋祁奉勅撰 宋
水経注図 水経注疏要刪 楊守敬撰 清
随函録 20巻 可洪編 後晋
酔翁談録 10集、毎集2巻、計20巻 羅燁撰 元
崇文総目 5巻 補遺1巻  宋
図画見聞誌 6巻 郭若虚撰 宋
図絵宝鑑 5巻 夏文彦撰 元
説苑 20巻 劉向
西漢会要 上下 徐天麟撰 宋
西漢詔令 林虔  宋
西漢年紀 30巻 王益之撰  宋
西廂記 王実甫 元
正蒙書 10巻 張戴撰  宋
潜虚 1巻 司馬光撰  宋
潜夫論 10巻36篇 王符 後漢
宣和遺事 2巻  南宋
蒼頡篇 李斯 秦
宋史 496巻 脱脱(トクト)撰 元
捜神後記 10巻 隋
宋名臣言行録 朱熹撰 李幼武補編  宋
滄浪詩話 厳羽  宋
楚漢春秋 1巻 陸賈
楚辞章句 17巻 王逸
楚辞補注  17巻 洪與祖撰  宋
素書 黄石公
大学衍義 43巻 真徳秀撰 宋
太極図説 1巻 周敦頤  宋
太玄経 10巻 揚雄
太平寰宇記 200巻 楽史撰  宋
太平御覧 1,000巻  李昉等奉勅撰  宋
太平広記 500巻 李昉  宋
大載礼 85篇 載徳
中論 2巻 徐乾
長安志 20巻 宋敏求撰 北宋
朝会儀記 蔡質
地理風俗記 応劭
輟畊録(てっこうろく) 陶宗儀
點考工記 鄭玄
東漢会要 40巻 徐天麟撰 宋
東観漢記 24巻 武英殿聚珍本 姚之駰 後漢
東漢詔令 楼肪 宋
東京夢華録 10巻 孟元老撰 宋
唐才子伝 10巻 辛文房撰 元
東萊左氏博議 25巻 呂祖謙 宋
唐史論断 3巻 孫甫撰 宋
独談 2巻 蔡邕 後漢
南州異物志 楊孚 後漢
南北郊冕服議 劉蒼 漢
風俗通義 10巻、付録1巻 応劭 後漢
武経総要 宋
文献通考 348巻 馬端臨撰 元
法言 揚雄 前漢
封禅儀記 馬第伯 漢
北夢瑣言(ほくぼうさげん)  孫光憲 宋
孟子集注 7巻 朱熹撰 宋
問礼俗 董勛 魏
野客叢書 12巻 王楙撰 宋
容斎随筆 16巻 洪邁撰 宋
酉陽雑俎 20巻、続集10巻 段成式撰 唐
與地紀勝 200巻 王象之 宋
礼記集説 160巻 衛湜撰 宋
礼記要義 33巻 魏予翁撰 宋
楽善録 10巻 李昌齢編 宋
六臣注文選 60巻  宋
律呂新書 2巻 蔡元定撰 宋
龍龕手鑑 4巻 行均編 遼
両漢詔令 洪咨夔 宋
両京新記 韋述 唐
緑窓新話 上下2巻  南宋
麟台故事 5巻  宋
類説 60巻 曽慥編  宋
類篇 15巻 司馬光撰  宋
蠣釈 27巻 洪适撰  宋
歴代故事 10巻 楊次山撰  宋
録異記 8巻 杜光庭 前蜀
論語集注 10巻 朱熹撰  宋

芸能人の改名

   能年玲奈が「のん」、清水富美加が「千眼美子(せんげんよしこ)」に改名して芸能活動を再開している。芸能人はとくに芸名が大事である。五木ひろしは成功するまでに、「松山まさる」「一条英一」「三谷謙」「中川淳」「五木ひろし」と5回も改名している。林長二郎は長谷川一夫、城健三郎は若山富三郎、中村錦之助は萬屋錦之助、柴田吾郎は田宮二郎、峰岸龍之介は峰岸徹と改名し、いずれも俳優として成功している。

    おもな芸能人の改名を調べる。三根耕一(ディック・ミネ)、李香蘭(山口淑子)、目方誠(美樹克彦)、藤純子(富司純子)、安田道代(大楠道代)、丸山明宏(美輪明宏)、悠木千帆(樹木希林)、春日はるみ(川中美幸)、野口ヒデト(真木ひでと)、海原千里(上沼恵美子)、大形久仁子(内田あかり、内田明里)、津坂まさあき(秋野太作)、カールスモーキー石井(石井竜也)、渡辺えり子(渡辺えり)、星美里(夏川りみ)、真中瞳(東風万智子)、高樹沙耶(益戸育江)。小達雅子(夏目雅子)、水原里絵、高原里絵(深津絵里)、近藤久美子(相本久美子)、塚本璃子(成海璃子)のようにティーンでデビューした場合の旧芸名もある。

ジャンヌ・ダルク処刑

Jeanne_d_arc_2004_61x46cm   ジャンヌ・ダルクは百年戦争がつづくなかイギリス軍をやぶり、シャルル7世の戴冠式を実現させたが、王側近の妬みを買い、宗教裁判で「異端の魔女」として1431年のこの日、ルーアンで火刑に処せられた。彼女はローマ教皇庁によって1909年に福者(Beatus)となり、1920年に聖人(Sanctus)になっている。.(Jeanne d'Arc) 5月30日

2017年5月29日 (月)

総画数の最も多い名前「伊藤爆羅騎」

Photo_2 Photo_3  常用漢字瀬2136字の中で画数が最も多いのは、「鬱」で29画。すべての漢字で最も画数の多いのは?麤(ソ)、鱻(セン)、龗(レイ、リョウ)が33画。「麤」の下に「土」の字がつく漢字が「ジン」。「ちり」という意味で36画。さらに画数の多い漢字がある。「龍」を4つ並べた漢字。「テツ」「テチ」と読む。意味は「言葉の多い、多言」。64画である。「興」を4つ並べた漢字「セイ」も64画である。

  さらに多い漢字がある。いや厳密には漢字でなく、日本国字。「雲」と「龍」とをそれぞれ3個づつ並べている。「たいと」「おとど」とも読む。84画。

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下は中国の古字「ホウ・ビョウ」(128画)。意味は「雷の声、音」

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下は陝西省の特産「ビィアン」麺の一種。ビャンビャン麺(56画)

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 苗字でいちばん画数が多いのは、「躑躅森」さんの54画。

Pict_ayumi_koketsu_2      では人名で徳富蘇峰(総画数56)のように総画数の多い有名人は誰か?これに関する文献を未だ見たことないが、「纐纈(こうけつ)」という苗字は職人名で絞り染めのこと。44画で多そうだ。美人サックス奏者に纐纈歩美(61画)がいる。岐阜県議員の纐纈秋三郎(63画)。

とりあえず歴代内閣総理大臣に限定して調べてみよう。1885年から2013年まで128年の間に62人いる。東久邇宮稔彦王65画でトップである。幣原喜重郎55画、橋本龍太郎50画、齋藤實49画、細川護熙47画。漢字1字では、細川護熙の「護」が20画で最多だった。SMAP草彅剛は34画。芸名ならばゴールデンボンバーの樽美酒研二と高勢實乗が46画。物理学者の嵯峨根遼吉(55画)、明治の道頓堀の役者に嵐橘喜蔵(56画)がいる。江戸後期の画家、蠣崎波響は61画。大相撲の爆羅騎源氣(四股名)の本名は、「伊藤爆羅騎(いとうばらき)」で総画数80画は最多画数保持者となる。

   番外篇として「お早よう」などの名作に出演した設楽幸嗣(したらこうじ)は45画で最も画数の多い子役である。

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ヒラリーのエヴェレスト初登頂

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  19世紀になると人間は地球上の一番高いところへ登ろうとするようになった。チベットとネパールの両国にまたがっているヒマラヤ山脈に世界最高峰の山があるのではないかという考えが起きてきた。イギリスは1830年前後から三角測量を実施し、この峰にピークXVの名を与えた。1852年に公式標高8848mと観測され、1855年に測量局の初代長官ジョージ・エヴェレスト(1790-1866)を記念してエヴェレストと命名された。エベレストの初登頂は1953年5月29日のエドマンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによるものである。地球の3極のうち、北極点到達はアメリカのピアリーに、南極点到達はノルウェーのアムンゼンに栄誉をもち去られていただけに、この年のイギリスのエベレスト登山隊の成功は快挙だった。1921年の初遠征から少なく数えても17回もアタックしている。とくに1924年の遠征が知られる。1924年6月ジョージ・マロリー(1886-1924)とアンドリュー・アービンの2人はエヴェレストの頂上へ向かったが、ついに帰ってこなかった。マロリーとアービンがどうなったのか。2人は頂上に達したのかわからない。それから9年たって、ふたりのうちのどちらかのものと思われる錆びたピッケルが発見された。だがそれがいつ、どんな状況で彼らの手を離れたのかは、誰にもわからない。(5月29日)

世界の高い山

エベレスト  8848m 中国とネパールの国境、ヒマラヤ山脈にある世界一高い山。チベット語では「チョモランマ」、ネパール語では「サガルマータ」という。

K2  8611m カシミール地方北部、カラコルム山脈にある。人のいない奥地にぁったため、名前がなく、調査用の記号がさのまま名前になった。ゴッドウィンオースティン山、チョゴリ山ともいう。

カンチェンジュンガ  8586m インドとネパールの国境にある。チベット語で「大いなる5つの雪の宝庫」という意味。

2017年5月28日 (日)

アイグン条約の硯

Lrg_20816533   ロシア皇帝ニコライ1世は、アヘン戦争でのイギリスの勝利に刺激され、1847年、ムラヴィヨフを初代東シベリア総督に任命し、積極的な東方進出政策をおこなわせた。ムラヴィヨフは極東への植民を推進し、清が太平天国やアロー戦争に苦しんでいるのに乗じて、1858年5月28日(露暦5月16日)アイグン条約を結び、アムール川をロシアと清との国境に決めた。アムール合意で使われたペンと筆と硯が残されている。調印者はロシア側がムラヴィヨフとロベロフスキー、清国側が奕山とジラミンガ。

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 黒河愛琿歴史陳列館

   交渉にあたりロシア側は武力示威による威嚇を行った。北京の清国政府はアイグン条約を1度は認めたが、しだいにこれを否認するにいたり、本条約の有効性は両国間で激しく争われた。1860年11月14日に両国の間に結ばれた北京条約は、アイグン条約を確認して黒竜江左岸をロシア領としただけでなく、共同管理の地とされたウスリー江右岸については、黒竜江との合意点からウスリ江をさかのぼりハンカ湖を越え、いったん西方に迂回してから豆満江にいたる線より東の地域をロシア領とした。

2017年5月27日 (土)

人は死んだらどうなるのか?

   「♪私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません」(千の風になって)という歌に癒された人もいるかもしれない。反対に日本人は家族の墓参りに行くから、仏教界からすると、この歌は好ましい歌ではないらしい。原作者は北米のナバホ族の埋葬の祈りから採られたという説もある。「人は塵から造られ、やがて死ぬと塵に帰る」という人もいる。すると霊魂はどこへ行くのだろうか。だれにもわからない問題だろうが、すくなからず混乱があるだろう。

We all have to meet our maker,sooner or later.私たちは皆、いずれは死と向かい会わなければならない

Shizufan021    静岡県伊豆市に「伊豆極楽苑」という「あの世」を体験できるテーマパークがある。閻魔大王をはじめとする10王が、死後49日間で、亡者が現世でどんな悪い事をしたのか細かく審議する。

Shizufan0163    賽の河原、三途の川では奪衣婆が亡者から衣類をはぎとり、懸衣翁が枝にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計るのである。

Shizufan0233    最後に冥界の王、閻魔大王が死者の生前の罪を裁く。判決が下り、六道の辻と呼ばれる道にそれぞれが進む。

福羽逸人

  福羽逸人(ふくばはやと)1856-1921。農学者、造園家。宮内庁で長く宮廷園芸技士として活躍。とくにイチゴ栽培で知られる。フランスから種を取り寄せ新宿御苑で栽培、1899年に「ふくばいちご」として発表した。また、カトレアに代表される洋ランを1894年に温室で栽培している。「福羽逸人回顧録」(財)国民公園協会新宿御苑

日本の位置と領域

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Photo_5  わが国はユーラシア大陸の東側に位置する弧状に連なる島国で、4つの大きな島と小さな島々から成り立っている。その島の数は、昭和62年、海上保安庁が「海上保安の現況」において、北海道・本州・四国・九州を含めて日本の構成島6852島と発表している。領域の長さは、オホーツク海を臨む最北端・択捉島カムイワッカ岬から最南端の太平洋を隔てて米領北マリアナ諸島と隣り合っている沖ノ鳥島まで南北約2800kmある。排他的経済水域を接していない最東端・南鳥島(マーカス島)から、東シナ海を挟んで中国大陸および台湾島と隣り合っている最西端・与那国島西崎まで東西約2500kmある。日本の地形の特色は、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プートの4枚のプレートが出会う場所にあることである。そして国土のおよそ7割が山地である。

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  与那国島西崎(いりざき)

 

日本海海戦

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  日露戦争。ロシアのバルチック艦隊がシンガポール沖を通過して北上してきた。問題は日本近海におけるバルチック艦隊の航路である。朝鮮海峡を通って日本海を抜けてウラジオストックへと向うのか、太平洋を迂回して津軽海峡を抜けてウラジオストックへと向うのか。東郷平八郎は、朝鮮海峡で待機する決断を下した。参謀たちの不安は消えない。1905年5月27日、哨戒任務に出ていた信濃丸から敵艦隊発見との電報が入った。東郷は「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス」と電文を作成した。首席参謀の秋山真之は、その文に「天気晴朗ナレドモ波高シ」と加筆した。天気が晴れていることは敵艦を狙いやすい。そして波が高ければバルチック艦隊の砲撃の命中率が低くなるということを伝えたと言われる。そして13時55分、戦艦「三笠」のマストにZ旗が掲げられた。「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」連合艦隊主力はなんと敵前で横腹を見せるかたちで、相手の進路をさえぎるT字戦法にでた。そして主力以外の艦は、南下して敵艦隊の後尾を突いた。まさに、日本海軍の圧勝であった。

2017年5月26日 (金)

古代エジプトの猫崇拝

Basuteto1     イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」の中で、「旧約聖書には猫という言葉が全く出てこない」と書いてある。ある人が調べたところ、旧約新約をあわせて猫が出てくるのは外典の「エレミアの手紙」の中の1ヵ所だけだという。しかも悪いたとえ話として猫が登場する。ユダヤ人は猫が嫌いのようだ。しかし隣国の紀元前5世紀頃の古代エジプトでは猫が大層かわいがられていた。ミイラにして棺桶に入れられたり丁重に葬られたことはよく知られている。猫が亡くなると飼い主は風習として眉毛をそって喪に服した。猫を殺すと死刑にされることもあったようだ。猫の守護神であるバステト女神がおり、猫たちにひどいことをする者に残虐な復讐するという。このように猫が崇拝される理由はやはり古代エジプトが農耕文明のうえに成立した国家であったことと関係がある。考古学の研究から、ペットとしての猫の祖先はアフリカンワイルドキャット(Felis sylvestris Lybica)と推測され、エジプトのナイル川沿いで穀物倉庫などを荒らすネズミなどを退治する目的で飼われたことから、人間に重宝され始めたと言われている。人々は農作物を食い荒らす水鳥を退治するため猫を飼う習慣があった。そして猫の存在に感謝し、神のように崇拝し、猫を守護神としたのではないだろうか。

Imageca19agzu     ちなみに島国日本に猫は本来いなかったが仏教伝来とともに中国から渡ってきた。大切な経典をネズミから守るため益獣として輸入されたと言われた。しかし近年、カラカミ遺跡(長崎県壱岐市)の弥生時代(前1世紀)の遺骨が発見され、猫がむかしから存在していた可能性が探られている。中国で猫を飼う風習がはじまったのは前漢のころからで、唐代には犬や鶏とならんで家々で飼われるようになった。(Basted)

参考文献;金沢庄三郎「猫と鼠」 創元社 1947
今村与志雄「猫談議 今と昔」 東方書店 1986
後藤秋正「猫と漢詩 札記」 北海道教育大学紀要人文科学・社会科学編57-2,2007

光あるところに影がある

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 1973年に歌手デビューした山口百恵の華やかな活躍の陰になって、同期女性歌手の多くがさっぱり売れず数年で消えている。菅原昭子、松下恵子、野中ゆり、速水栄子たち。明星1973年6月号には百恵と並んで、松下恵子が大きく紹介されている。

 光あるところに影がある。日本歴史で影の人物といえばジェームズ・ビドル(1783-1848)ではないだろうか。ペリー来航に先立つこと7年前、1846年5月26日、アメリカの東インド艦隊司令長官ビドルは浦賀に来航し、通商を要求したが失敗に終わった。ペリーはのちにビドルの失敗を研究し、砲艦外交によって日本を開国させた。

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   ジェームズ・ビドル

2017年5月25日 (木)

英国貴族の書斎の実態

    ロンドンには「ブックメイカー」という看板をみかける。これは製本屋ではない。賭博屋である。つまり競馬やドッグレース、サッカーなどの賭博を請け負う店である。なんでも賭けの対象になるようで、次の首相は誰か、ダイアナ妃は離婚するか、相撲の優勝は誰か、など何でもあるらしい。これは今に始まったことではなく、中世以来、イギリス人は賭博が好きだった。賭博に入れあげて、名家が落ちぶれたという話は五万とあるらしい。

    ところで、英国貴族の象徴といえば、豪華な革表紙、天金入りの本がズラリと天井まで並んだ書斎のある邸宅であろう。だが、貴族にあまり読書家はいない。単なる飾りに過ぎず、それが証拠にページは一度も開かれた形跡がなく、ひどいのになると、装丁だけで中は木箱というのが多いのだそうだ。

雑学の泉 40集

Trivia  和歌山県の白良浜海岸の白い砂はオーストラリアから輸入している。▽エジソンは電気式アイロン、電気扇風機を発明した。▽パチンコのルーツは長い間、アメリカのコリントゲームと言われてきたが、最近はヨーロッパのウォールマシンといわれる。本家である欧米でなぜパチンコが普及しなかったのか謎である。▽シーボルトはアジサイを愛でて、後年に著わした「日本植物誌」に14種のアジサイを紹介している。▽日本の国花はサクラ、国鳥はキジ(1947年に日本鳥学会において選定される)、国蝶はオオムラサキ

152861903 ▽緑色のピーマンが完熟すると赤色になる。▽中森明菜の「少女A」に対抗して、五月みどりは1983年に「熟女B」を発売した。▽元・国連事務総長ウ・タントの「ウ」は敬称で、正しい名前は「タント」。▽日本に初めてピアノを持ち込んだのはシーボルト医師。▽「人生は一歩一歩、死に向かっている」劇詩人コルネイユ。フランス語で「コルネイユ」は「烏」の意味。

 

Imageca1znu33十円硬貨の表裏は、便宜上、年号の記されている面を「裏」、日本国の文字と平等院鳳凰堂の図案と硬貨の金額が漢数字で刻まれている面を「表」としている。▽徳川慶喜は明治天皇より長生きしている。▽永井荷風は若いころ、落語家朝寝坊むらくに弟子入りし、夢之助と名乗って高座に出たことがある。▽銀行取締役の首席を「頭取」というが名称の由来は歌舞伎らしい。▽気象庁を管轄するのは国土交通省。

Photo_4 ▽上田敏の「海潮音」が出版されたのは明治38年のこと。西洋詩の翻訳として、一世を風靡した。この訳詩集の題名は法華経からきている。海鳴りの音の響きが人々の胸に浸み入るようにという気持ちが込められている。▽ハヤシライスはカレーライスに比べて、ちょっとマイナーだが、日本にはハヤシライスの方が先に入っている。語源は「ハッシュ」が訛ったとする説が一般的だが、早矢仕有的(はやし・ゆうてき)が考案したという説もある。(無用の雑学知識集、雑学ブログ)

雑学の泉 41集

Trivia   奈良公園の鹿に餌として与えるシカせんべい。その歴史は古く、江戸時代からあった。▽江戸川乱歩がエドガー・アラン・ポーのもじりであることはよく知られているか、花登筐がイギリスの劇作家バーナード・ショウに由来することはあまり知られていない。▽戦時中に発売された高峰秀子の「森の水車」、歌詞の中にあるファミレドシドレミファが敵性語だというので発売禁止となった。国民学校ではドレミファソラシドはハニホへトイロハと教えていた。▽は地球から少しずつ離れている。

Com0669aキノコ切手の図案は日本ではたった1種類しか発行されていない。1974年の「国際食用きのこ会議記念」のシイタケ図案のみ。▽ヒゲの伸び方は温度に左右されるので、冬より夏がよく伸びる。また夜よりも昼のほうがよく伸びる。▽かつらがヨーロッパで普及したのは、フランスのルイ13世が若ハゲだったので、ライオンのたて髪のようなかつらを使用したからである。▽ロックバンド「Superfly」は越智志帆、多保孝一ら数人のメンバーで2003年に結成されたが、現在は越智1人である。

1274940321_2 ▽将棋の「王将」と「玉将」の駒。対局のときは上位者が「王将」をもつ。▽作家のジェリー・シーゲルと漫画家のジョー・シャスターはダグラス・フェアバンクスの映画「ロビン・フッド」を見て「スーパーマン」を思いついた。▽飛行機を発明したライト兄弟は5人兄弟だった。▽お釈迦様は食中毒で亡くなった。▽ペリーが浦賀に来航。この時、2本の白旗が贈られた。手紙には「降伏するときはこの白旗を押したてよ。そうすればアメリカは砲撃をやめる」と書かれていた。日本は古来より源氏の白旗、平家の赤旗というサインは知っているが、国際社会の掟はペリーによって初めて知らされた。▽「ミネソタの卵売り」の暁テル子は、その前年に「リオのポポ売り」「チロルのミルク売り」をリリースしている。

B7c8c2d3a5e1a1bca5ebccb5cec1c1eac3c ▽中国語で「手机」とは携帯電話のこと。簡体字「机」は繁体字では「機」なので本当は「手機」。▽マフィアということばは、虚栄、自慢を意味するアラビア語mahyahからイタリア・シチリア島で方言化したとされる。19世紀初めナポレオン王室がこの島に逃げ込んだことが起源とされる。▽世界最古の鋳造貨幣は紀元前7世紀にメディア王国で作られたエレクトロン貨といわれている、自然金に刻印した貨幣である。▽40年間にわたる女性遍歴のあるカサノヴァはその著書「回想録」全12巻で一代の漁色家として知られる。だが意外にも若い頃は医学や法律を学び、化学や歴史、哲学などにも明るく、舞踏、剣術、馬術、トランプなども得意であった。常に真面目な思想家とみなされたいという野心をいだいていた彼は、歴史書と哲学書を何冊も著わしているが、いずれも読むに堪えないものであった。▽「山のあなた」で知られる詩人カール・ブッセはドイツではほとんど無名に近い。▽英語で、単にヨット(yacht)と言えば、「大型で豪華な遊行船」のことである。それは英国王室の非軍用船であったことに由来する。ちなみに小型の帆船は、sailboat。▽鹿児島の市立ラ・サール高等学校卒業のラサール石井。ラ・サール会は世界中に1080余の学校を経営する。1684年フランスでラ・サールが創設した。▽歴代内閣総理大臣でいちばん背が高いのは大隈重信で180cm。(無用の雑学知識、雑学ブログ)

広辞苑記念日

Img_1173242_65671856_1   国語辞典と百科事典を兼ね備えた辞書として「広辞苑」の初版がでたのは昭和30年5月25日。そして昭和44年に第2版、昭和58年に第3版、平成3年に第4版、平成10年に第5版、平成20年に第6版が刊行された。総収録項目数は新収項目1万語を加えて、約24万語。ライバルの『大辞林』(三省堂)を抜く。

    「広辞苑」は旧版の項目を削除しないことを原則としている。「広辞苑」はもともと「辞苑」(博文館、昭和10年)の版権を譲りうけたものであるから、「辞苑」の語釈を引き継いでいる。「広辞苑」は当初「新辞苑」という書名で出る予定だったが、直前に「広辞苑」という書名になった。「広辞林」(三省堂)とあまりに似ているというので三省堂が岩波書店を訴えた。しかし裁判所からは和解が勧告された。事実上、三省堂の敗北だった。

    岩波書店の「広辞苑」の原型である「辞苑」(博文館)には、「広辞林」によく似た記述が多い。たとえば「米なしデー」などという語は「広辞苑」には無いが、「辞苑」には次のようにある。

米食を廃して他の食料を代へ用ひ、米殻の消費節約をする一定の日。

「広辞林」の「米食を廃して他の食料を代へ用ひ、米殻の消費を節約せんとする一定の日」とあるのとほとんど同じ。つまり日本の国語辞典の原型は明治40年に刊行された「辞林」なのである。

    広辞苑6版にない言葉として、「ゲリラ豪雨」がある。6版は平成20年1月に改訂され発売されたが、その年の夏に荒天が多発し「ゲリラ豪雨」がマスコミに多用されたので間に合わなかった。その他、広辞苑にない言葉。アーバンゴルフ、味写、アバター、アルティメット、イナバウアー、ウェルテル効果、英熟語、エンガチョ、お母さん助けて詐欺、オブローク、オレオレ詐欺、霞的、ガラケー、カルビナ、カローリング、キハーダ、キャレル、球電、久恋、逆玉、行徳のまな板、ググる、くまモン、グラウンドホッグ・デー、グレムリン、腰パン、コモン・マン、細光峰、婚活、シルム、スカイツリー、捨欠伸、スティーブンス・ジョンソン症候群、スンプ法、送寒衣、草食系、卒婚、ダハワラ、チャコペン、注染、中二病、チンコ坊主、手足口病、ツイッター、ツンデレ、テルマーバ半島、統一球、飛び出し坊や、ナスカ地上絵、成田離婚、ネクラ、ねずみ鋳鉄、のっこみ、ノマドワーキング、箱ひげ図、ハットトリック、パラノーマル、パラパラ、ハリーポッター、バルシチナ、氷筍、腹上死、虫籠窓、ヘタウマ、へタレ、ペテュネグ人、ヘルヴェティア、ポイ、ほうれい線、ボラード(係船柱)、マッピング、マラニック、野猿、ユンノリ、ワニの涙、ライン、ラムスデン現象、ランバダ、リカステ、ルービックキューブ、ルリエール、レジェンド、ンナフカ祭り、など。人名では仙台四郎、福田琴月、富田砕花、クラーク・ゲーブル、スティーブ・マックイーン、チラデンテス、ヘンリー・フォンダ、ユール・ブリンナー、ジェームズ・ギャグニー、バート・ランカスター、マルチェロ・マストロヤンニ、ジャック・レモンなどが載っていない。

   広辞苑の解説にも誤りがある。「ホッチキス」の項目「ホッチキスの名は兵器発明家ベンジャミン・バークレー・ホッチキスに因む」とあるが、ホッチキスは発明者ではなく、1885年に没し、会社創設は死後の1895年のことである。そして19世紀の半ばころに今日のホッチキスと同様のものが存在していた。

2017年5月24日 (水)

五風十雨

横綱稀勢の里、ついに夏場所11日目で休場。▽3代目ボンド俳優ロジャー・ムーアさん、がんのため死去。▽常識クイズ。ハーバート卒のモーリー・ロバートソン、「億劫」書けず。名門大学出身者の日本人さえ書けない。「劫」は常用漢字外というのは言い訳。「口をきくのも億劫だ」と比較的よく使用される。18歳の棋士竹俣紅がスラスラ書いたので、漢字力は年齢とは無関係で日常よく親しむかどうかが大切である。▽巨人、打率1割台の小林や阪神戦で決勝打。

磁気学、電気学の父ウィリアム・ギルバート

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    ウィリアム・ギルバートは1544年5月24日、イングランドのコルチェスター町に裁判所判事の子として生れる。14歳でケンブリッジ大学に入り、1560年学士、1564年修士、1569年医学博士となって、ヨーロッパ各地を訪問する研究旅行に出た。1600年それまでの研究の成果を『磁石論』という本にまとめて出版した。エリザベス女王に磁石の実験を見せた。女王は興味をもち、財政的に応援したという。またエレクトリシティ(electricity)という言葉を名付けて、電気と磁石とを異質なものとして区別した。電気学の基礎を築いた最初の人である。(William Gilbert1544-1603)

2017年5月23日 (火)

サヴォナローラ焚殺される

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サヴォナローラの火刑(サン・マルコ美術館)

  ルネサンスの世俗文化が最高潮に達した15世紀末のフィレンツェで神権政治を行ってきたジロラモ・サヴォナローラ(1452-1498)が、1498年のこの日、シニョーリア広場で火刑に処された。背後には、彼の非難を苦々しく思っていたボルジア家の教皇アレクサンデル6世の圧力があるというのだ。サヴォナローラは、22歳のとき突然ドミニコ会修道士となり、30歳のときフィレンツェにやってきた。しかし、彼はそのとき以来、熱烈な説教とフィレンツェ人の堕落した享楽的な生活を批判しつづけていた。悔い改めなければ、フィレンツェは外敵の侵入によって滅ぶであろうと預言していた。人々は、シャルル8世によってこの預言が成就されようとしていると感じ、彼の神権政治を受け入れたのである。しかし、1498年5月23日、4年間の禁欲生活の強制に退屈してきたフィレンツェ市民はサヴォナローラを捕らえて裁判にかけた。その結果、彼は偽預言者として絞首刑ののち改めて火刑に処された。一時はあれほどのフィレンツェ人を感動させたのに、彼の最期を見とどけたのは2、3名にすぎなかったという。(Girolamo Savonarola)

2017年5月22日 (月)

「眼下の敵」の原作者

200pxdenysrayner1943  本日のBSプレミアムシネマは「眼下の敵」。第二次大戦下の大西洋。英国海軍の駆逐艦とドイツのUボートとの死力と策略を尽くしての凄絶な一騎打ちを描く。原作はD・A・レイナ―の小説で、1956年、イギリスで本書を発表し、翌年映画化と同時にアメリカ版も出版された。映画の成功とあいまって本書もベストセラーとなり、レイナ―は以後、いずれも海を舞台にした作品を何点も執筆するが、他に邦訳は「激闘インド洋」(1958)のみである。作者は1908年生れのイギリス人で、1943年に英国海軍最初の駆逐艦艦長となる。「眼下の敵」は作者自身の体験を踏まえて描かれている。D・A・Raynerと略記されるが、Denys Arthur Rayner デニーズ・アーサー・レイナ―(1908-1967)である。

徳川家康忌日

Photo   徳川家康(1542-1616)の人生はまさに「忍」の一文字であった。天文11年12月26日、三河の岡崎城で呱々の声をあげた。信長よりおくれること8年、秀吉からは5年。歳の順序に気がねしたわけではあるまいが、このとおりの序列で後を追い、天下をとった。元和2年4月17日(1616年5月22日)73歳で没した。死因は鯛のてんぷら説もあったが、近年は胃がん、梅毒説が有力である。ちなみにシェークスピアは同年4月23日に世を去っている。

    幼名は竹千代、父は松平広忠、母は刈谷城主水野忠政の娘於大。天文16年、三河岡崎城の広忠は、織田信長の猛攻をうけ、今川義元に援けを求めたが、このとき竹千代はわずか6歳で今川氏へ人質に送られることとなった。今川氏の本拠駿府への途中、義理の祖父である渥美郡田原城主戸田康光にだまされて信秀の手中に落ちた。康光がうけとった礼金は永楽銭五百貫とも一千貫ともいう。いずれにせよ家の仇、父の敵へ売りとばされたわけだ。だが、父広忠が信秀の脅迫にのらず毅然たる態度で臨んだのが逆に幸いして、信秀の心を打ち、人質とはいえその扱いは鄭重であった。幼い竹千代は、尾張の万松寺での人質生活のあいだに、14歳の荒くれ信長と知りあった。8歳のとき一度岡崎に戻ることがてきたが、半月ほどで再び今川氏の人質として駿府に移された。今川義元が桶狭間で仆れるまでのことであるから、前後を通じて足かけ13年の人質生活であった。しかし、その生涯をみると、ものごころついてから秀吉の死後に至るまでの50余年間、家康はいつも誰かに頭を押さえられて過ごしている。ひたすらの「忍」であった。誰にでもできることではない。家康には、信長のような鋭利で独創的な才能はない、また秀吉のような奔放・豪快、しかも機略縦横といった華やかさもない。だが、めだたぬ聡明さと組織力とで、打つ手の一石一石は実に着実であった。だからこそ波瀾ふくみの秀吉死後を無事に切り抜けとおし、ついに天下の覇権を掌中にしたのである。常用の印文には天下の匂いも布武の臭みもなく、「福徳」または「忠恕」という、道学先生を思わすような字句であったのも、いかにも家康らしいといえる。(参考:岡本良一「国民の歴史12 天下人」)

徳川家康関係図書

逸史12巻首1巻7冊 中井竹山、浅井吉兵衛等 明治9年

列祖成績20巻20冊 安積澹泊 徳川昭武 明治11-12年

仮名挿入皇朝名臣伝4 中沢寛一郎編 溝口嘉助 明治13年

東照宮実記仰晃雑誌1-9 細谷蕉露編 仰晃社 明治16年

日本百傑伝 第8編 松井広吉編 博文館 明治26年

東照宮御一代記 沼崎重孝 明治28年

徳川家康 本城正琢 公愛社 明治30年

徳川家康公 吐香散人 日吉堂 明治32年

2017年5月21日 (日)

踏み絵

   広辞苑によると「江戸時代、キリシタン宗門を厳禁するため、聖母マリア像・キリスト十字架像を木版または銅板・真鍮板に刻み、足で踏ませて、宗徒でないことを証明させたこと。1628年から1858年まで、多く春先に行われた」とある。踏み絵の開始年は1628年説と1629年説がある。また発案者は、オランダ人による説、ポルトガル人のクリストヴァン・フェレイラ説、長崎奉行の竹中重義など諸説あり、不明である。

小学校の日

1869年のこの日、京都市に日本初の小学校「上京第二十七番組小学校」(現・京都府立柳池中学校)が開校した。住民が自分達で資金を調達して開校したものだった。参考:河野武司「明治初期における先駆的小学校の一例 京都府番組小学校(一)」兵庫女子短期大学論集5.T、79-95、1992・3

野口英世の言葉

   1928年のこの日、野口英世は黄熱病に感染してガーナで急死した。享年51歳。現在の千円札の肖像にも描かれて、最も国民に親しまれている偉人の1人と言える。野口は1876年11月9日、野口英世は福島県猪苗代町の貧しい農家に生れる。

  志を得ざれば再び此地を踏まず

   これは、1896年、野口英世が大志を抱いて単身上京する折、家の床柱にナイフで刻みつけた19歳の時の言葉である。猪苗代湖畔にある茅葺の粗末な生家には、今でもそのまま残されている。野口の言葉としては他に「努力だ。それが天才だ。だれよりも三倍・四倍・五倍勉強する者、それが天才だ」が有名である。

Photo   貧しい農家に生れた英世は、母が夕食の野菜を採りに畑に出ている間に、囲炉裏にかけていた鍋の熱湯を浴びてやけどを負う。満足な治療もできず、左手の指は癒着してしまったが、苦難を乗り越えて伝染病研究所の助手となる。1900年に渡米し、1911年に梅毒の病原体であるスピロへータを発見し、1913年に麻痺性痴呆と脊髄癆の患者からトレポネーマを発見し、世界第一級の業績を上げた。1916年9月から11月まで日本に帰省し、故郷で大歓迎を受けた。19歳の時、柱に刻んだ志を果たしたのである。(5月21日)

2017年5月20日 (土)

アジア人文地理

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    宇宙からアジアを見ると、東京やソウルが夜景のため輝くばかりの光を放っている。世界最古の文明の発祥地であるアジアは、世界最大の人口をもちながら、日本をのぞく多くの国々は、19世紀と20世紀半ばまで西欧の支配を受けていた。第二次世界大戦後に、これらの国々はつぎつぎに独立し、新しいアジアに生まれかわった。アジアは広大な地域であるから、地形はきわめて複雑で、地域によりちがいが大きい。アジアには、北部に居住する北方系と南部に住む南方系とに分かれ、前者にはフィン族やマジャール族のほか、トルコ人・モンゴル人・ツングース人・朝鮮人および日本人などがあり、後者には中国人(漢族)・チベット人・アンナン人・タイ人・ビルマ人などがある。世界人口74億のうちアジアは42億人といわれる。アジア民族の活動舞台となる地形は、「世界の屋根」といわれるパミール高原(タジキスタン共和国の東部ゴルノ・バダフシャン自治州に属し、一部は中国、アフガニスタンにはいる)から放射状にのびる山系によって分けられている。すなわち北西にはアルタイ山脈、北東には天山山脈が走り、アルタイ山脈はさらにサヤン山脈と合し、バイカル湖から北東にはヤブロノイ山脈があって、これはさらにオホーツク海北岸に聳えるスタノヴォイ山脈にとつづいている。さらにパミール高原から東に向かっては、カラコルム、ヒマラヤ、アルチンターク、崑崙などの大山脈が延び、崑崙はさらに秦嶺となって中国につづき、華北と華南の境界を形成する。ヒマラヤの東の延長は数条のインドシナ山脈となり、その一つは南嶺として華南とインドシナ半島とを境している。日本と隣接する朝鮮、中国、台湾、ロシアなどはこれまで複雑な歴史を有している。

    現在アジアの国は全部で39ヵ国。約4400万k㎡で地球全面積の32%を占めている。面積の大きい国を10位まであげると、中国・インド・サウジアラビア・インドネシア・イラン・モンゴル・パキスタン・トルコ・ミャンマー・アフガニスタン。

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  アジア関係文献一覧

世界都路1 亜細亜洲 仮名垣魯文 1872
改正萬国地誌略図一覧1 亜細亜・亜非利加之部 伊東正貫編 京都・笹田辰之助 1877
亜細亜言語集 上 支那官話 広部精編輯 青山堂書房 1880
中亜細亜紀事 西徳二郎 陸軍文庫 1886
総訳亜細亜言語集 支那官話部 全4巻 広部精訳 青山清吉 1892
亜細亜大陸旅行日誌並清韓露三国評論 原田藤一郎 1894
亜細亜之存亡 岡本監輔編 哲学書院 1900
亜細亜ニ於ける露西亜 落合昌太郎合著 嵩山房 1903
亜細亜歴史地図 石沢発身編輯 弘文館 1903
古代埃及及西南亜細亜史 高桑駒吉 早稲田大学出版部 1903
亜細亜東部ノ覇権 戸水寛人 1904
亜細亜之将来 タウンセンド 金港堂書籍 1905
高等地理 巻之3 亜細亜洲 矢津昌永 丸善 1906
五大洲探検記1 亜細亜大陸横行 中村直吉 博文館 1908
小学地理教材2 亜細亜洲大洋洲 北垣恭次郎 宝文館 1909
大亜細亜主義論 小寺謙吉 東京寶文館 1916
亜細亜大観 黒竜会出版部 1918
回教民族の活動と亜細亜の将来 渡辺巳之次郎 大阪毎日新聞社 1923
白禍に悩む支那 亜細亜聯盟へ 長野朗 燕塵社 1924
アジアを跨ぐ 副島次郎 大阪毎日新聞社 1927
アジアの二大運動 回教徒とユダヤ人 山岡光太郎 渡辺事務所 1928
亜細亜の生きるの途 蜷川新 日本書院出版部 1929
黎明大亜細亜 満洲建国を顧みてこの大躍進を語る 満洲国通信 1938
亜細亜史概説 中世篇(歴史学叢書) 守屋美都雄編 蛍雪書院 1940
アジア人名辞典 アジア問題講座12 尾崎秀実ほか 創元社 1940
アジア周辺民族史 竹尾弌著 今日の問題社 1943
アジア研究1 アジア経済学会編 如水書房 1954
アジア 付オセアニア 社会科地理文庫 多田文男・小堀巌 三省堂 1955
アジア史 文庫クセジュ ルネ・グルッセ 前嶋信次訳 白水社 1955
アジア史概説 松田壽男 河出書房 1956
アジア 世界地理シリーズ ぺりかん写真文庫 平凡社 1957
アジア 歴史と私 島田正郎 啓文社 1962
アジア史小論 石橋秀雄 山本書店 1962
アジア高原の旅 アーノルド・トインビー 黒沢英二訳 毎日新聞社 1962
アジア古代史概説 光島督 成文堂 1965
アジア現代史 衛藤瀋吉編 毎日新聞社 1969
アジア史概説 宮崎市定 学生社 1973
アジア学の展開のために 創樹選書 竹内好編 創樹社 1975
アジア現代史 全4巻 別巻 歴史学研究会 青木書店 1979-1985
ヨーロッパとアジア 大東名著撰2 榎一雄 大東出版会 1983
アジア稲作文化への旅 NHKブックス 渡辺忠世 日本放送出版協会 1987
アジア・女・民衆 松井やより 草風館 1988

アレクサンドル・ウリヤノフ

Aleksandr_ulyanov   1887年のこの日、アレクサンドル・ウリヤノフ(1866-1887)が絞首刑にされた。ウラジミール・レーニンの4歳年上の兄である。 レーニン17歳のときアレクサンドルは皇帝暗殺未遂事件の犯人として絞首刑にされ、姉のアンナも追放処分になった。レーニンは、このことに強い衝撃をうけ、革命運動に加わったといわれる。兄はサンクトペテルブルク大学で動物学で金メダルを得るほどの秀才だった。(5月20日)

2017年5月19日 (金)

宮本武蔵忌日

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大津街道脇にあった武蔵の墓は平成元年から武蔵塚公園として整備された

    二天一流の創始者で、剣聖と仰がれる宮本武蔵の墓は熊本にある。寛永17年、細川忠利に招かれて来熊。晩年は熊本で過ごした。1年後に忠利に先立たれた後は岩戸観音の霊巌洞にこもる日々が続き、「五輪書」「独行道」などを著し、また画人として水墨画の名品を残した。正保2年5月19日に飽田郡五町手永弓削村(現熊本市龍田弓削1丁目)に葬られた。墓は武蔵塚公園内ある。墓碑には「兵法天下一 新免武蔵居士石塔 正保酉乙年五月十九日」と記されている。武蔵の墓はもう一つある。熊本市島崎町霊寿庵裏の自然石で、碑面に「貞岳玄信居士」とある。その横には、「心月清円信女」という女性の墓石が並んでいる。享年62歳。病名は神経痛と胃癌だった。

2017年5月18日 (木)

阿部定事件

Photo_2     昭和11年というのはニ・ニ六事件が起こった年である。しかし同じ年の5月18日に起きた阿部定事件のほうが国民の関心は遥かに高かった。阿部定が細面の美人と報ぜられ、日本中がその話題でもちきり。大阪駅にいた、横浜に飛んだ、いや広島だ、仙台だと怪情報が錯綜した。阿部定逮捕の様子はこうである。高輪署の安藤部長刑事は管内の旅館をしらみつぶしに調べた。「お定さんだね」女はこっくりうなづいた。もう逃れられないと覚悟して「夜になったら死ぬつもりでした」と語った。「例のものはどうした」と聞くと、定は帯の間から、ハトロン紙包みをとり出し、それを大事そうにみせただけですぐにしまい込んでしまった。

2017年5月17日 (水)

鎖国の歴史

Img_890339_14167499_0    1641年のこの日、江戸幕府は平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させた。これで鎖国体制の完成をみた。

    江戸幕府は海外との貿易を統制し、日本船の渡航を禁止した。とくにオランダ人以外の西洋人が日本にくることを禁じ、オランダ人を長崎の出島に住まわせて、かつてに貿易することを禁じた。スペイン、ポルトガル、イギリスとの交渉は絶たれた。これは新教国オランダが日本との貿易を独占するため、旧教国の植民地主義を、国土侵略の実例であると宣伝したことが、幕府の外交政策、禁教令に反映していると説かれる。しかし16世紀のおける世界史状況を考えると、すでにスペイン、ポルトガルは衰退期に入っているのに反し、イギリス・オランダはその植民地を奪取しつつあって、むしろ新教国の植民地政策のほうが、はるかに恐るべき存在であった。以上の理由から、幕府関係者がオランダが新教国であるから安心であるとしたのではあるまい。島原の乱後ポルトガル船の来航を禁止し、それを一般国民に納得させるため、禁教問題が利用された。すなわちポルトガル・スペイン両国は、国土侵略を企図し、キリスト教はそれを主導する邪宗教であるから、これらの国とはいっさい交渉を絶つべきであるとし、以後江戸時代を通じて、キリスト教を極端に危険視した。オランダ・イギリスには当初、平戸・長崎の2港に限って貿易が許可されていたが、イギリスは日本向けの中国商品を入手する市場をもたなかったので、ついに赤字経営がかさなり、1623年に平戸商館を閉鎖した。オランダはこのころ台湾に基地を設置することに成功し、ここで中国とともに、江戸時代を通じてわが国と交渉を続けた。朝鮮とは1607年以後、宗氏の対馬を介して貿易が行われた。江戸時代は鎖国といわれるが、通商交易に関して言えば、長崎をはじめ、薩摩、対馬、松前の4ヵ所を拠点に貿易が行われていた。(5月17日)

1600  オランダ船リーフデ号、豊後に漂着

1604  糸割符制度を創設

1609  オランダ人に通商許可

1612 キリスト教の禁教令を出す

1613 イギリス人に通商許可

1616 貿易港を長崎・平戸に制限

1623 イギリス、平戸の商館を閉鎖

1624 スペインの来航を禁止

1628 浜田弥兵衛、オランダ人マイツを台湾に捕縛、平戸に拘禁す

1633 奉書船以外の海外渡航を禁止

1635 すべての日本船の渡航を禁じ、帰国者は死刑、唐船も長崎に限る

1636 出島を築きポルトガル人を置く

1637 島原の乱

1639 ポルトガル人を追放

1641 オランダ人を出島に移す(鎖国の完成)

2017年5月16日 (火)

彎窠羅鍼(わんからしん)

  伊能忠敬が大日本沿海余地図を作成すめために自ら発明した方位磁石が付いている杖のこと。深川八幡宮にある忠敬銅像の右手に持っている杖のこと。

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参考:「伊能忠敬の科学的業績」保柳睦美編著 古今書院 1974

ローマの美術館

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  ローマのドリア・パンフィリ邸

  永遠の都ローマには、世界に誇る貴重な芸術・遺跡があふれています。そして長い歴史ゆえに、多くの美術館や博物館がある。ローマ国立博物館、国立近代美術館、カピトリーニ美術館、ローマ文明博物館、ボルゲーゼ美術館、バチカン博物館、ドーリア・パンフィーリ美術館、コロナ宮、ローマ現代アート美術館。

 ドリア・パンフィーリ美術館はローマのヴェネツィア広場寄りのコルソ通りにある。この絵のようにローマの松は下の部分がごっそりと刈り込まれていて上のほうがブロッコリーのような形に葉が整えられている。

パリの美術館

  パリには大小あわせて100以上の美術館・博物館がある。ルーヴル、オルセー、ポンピドーセンターといった有名美術館のほか、オランジュリー美術館、ギメ美術館、ピカソ美術館、パリ市立近代美術館、国立近代美術館、パリ工芸博物館、プティ・パレ美術館、マルモッタン美術館、カリナヴァレ美術館、市立近代美術館、ギュスターヴ・モロー美術館、ジャックマール・アンドレ美術館、バカラ・ギャラリー・ミュージアム、コニャック・ジェイ美術館、ルイ・ヴィトン財団美術館、カルティエ現代美術館、クリュニー中世美術館、ダリ美術館、ドラクロワ美術館、ギュスターヴ・モロー美術館、ロマン派美術館、ロダン美術館、ブールデル美術館、ザッキン美術館、マイヨール美術館、パリ市立ガリエラ・モード美術館、建築・文化博物館、国立自然歴史博物館。チェルヌスキ美術館(パリ市立アジア芸術美術館)。このほかモンマルトルにはゴッホの像で知られるザッキン美術館がある。

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  ジャックマール・アンドレ美術館

  そしてモンソー通り沿いに建つニッシム・ド・カモンド美術館。19世紀末のユダヤ人豪商モイズ・ド・カモンド伯爵(1860-1935)の邸宅を改装して一般公開している。ゴブラン織りのタピストリー、棚にはセーブルの食器セット、壁にはヴェネツィア派の絵画、図書室、と当時のパリの香気が漂う。(Paris,Nissim de Camondo)

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祖父アブラハム・ソロモン・カモンド(左)、ニッシム・ド・カモンド(右) 1868年

  セーヌ川沿いにあるケ・ブランリ美術館は原始美術のコレクター、ジャック・ケルシャン(1942-2001)が収集したアフリカ・アジア・オセアニア・南北アメリカの民俗芸術品を展示している

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 ケ・ブランリ美術館

膳所藩将軍暗殺事件の謎

Sc15137a川瀬太宰宅跡碑

   膳所藩は近江国大津周辺に位置した6万石を領する譜代藩であった。禁裏御所方火消しを任務とすることから、朝廷を守護する意識が強く、藩内には川瀬太宰(1819-1868)を中心とする尊攘派の勢力が強かった。

   慶応元年5月、第14代将軍徳川家茂が上洛することになった。老中水野忠精から、将軍の膳所泊城が藩主本多康穣に言い渡された。5月16日、予定どおり江戸を進発した家茂は、東海道を西行し、近江愛知川宿に到着したが、そのとき突然、以後の将軍の宿泊予定が変更され、膳所泊城の中止、大津宿への宿泊が発表された。ちなみにこの日程変更の5日前、膳所藩では尊攘派の一斉検挙が行われており、それらが重なって、将軍暗殺の噂が流布していた。このとき検挙された尊攘派は数十名にのぼったが、当時の記録は少なく真相はいまもって不明である。逮捕より5ヵ月後の慶応元年10月、逮捕者の内11名が死罪に処せられた。首謀者とみられる川瀬太宰(膳所藩家老戸田資能の子)は雲母越えで捕らわれ、慶応2年6月、京都六角獄舎において斬首された。妻の幸は、大津の尾花川の居宅で新撰組に襲われ、匕首で喉を刺して自害を図った。一命はとりとめたが、後に自ら食を断ち、夫の跡を追った。膳所藩の将軍暗殺計画は家老たち藩内保守派たちによる捏造事件であるのか真相は闇のままである。

2017年5月15日 (月)

田中絹代から始まった日本「投げキッス」史

   広辞苑によると、「指先を自分の唇に当て、その指を相手に向かって投げ送る身ぶり」とある。欧米のエンターテイメント業界では、レッドカーペットなどでカメラマンが「投げキッス」を求められるのは日常茶飯事であるが、日本ではあまり見られない。西内まりやが「Chu Chu」と歌いながら「投げキッス」をしたものの不評だった。この「投げキッス」の歴史も日本のエンタメ業界ではおよそ70年の歴史を有する。1950年アメリカ帰りの田中絹代が派手な衣装とサングラスでカメラマンに向かって「投げキッス」を送りつけたものの、マスコミから袋叩きにあい、彼女につけられたあだ名が「アメション女優」だった。

この映画、いつ観るの?今でしょ

6065455683_e4731c63d1_b「アフリカの女王」(1951)ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘプバーン

「荒鷲の翼」(1957) ジョン・ウエイン、モーリン・オハラ

「突撃隊」(1962) スティーヴ・マックィーン、ボビー・ダーリン

「黄金の眼」(1968) ジョン・フィリップ・ロー、マリーザ・メル、ミッシェル・ピッコリ

「さよならコロンバス」(1969) リチャード・ベンジャミン、アリ・マッグロー

「白いドレスの女」(1981) ウィリアム・ハート、キャスリーン・ターナー

「スーパー・マグナム」(1985)チャールズ・ブロンソン、デボラ・ラフィン

「メンフィス・ベル」(1990)マイケル・ケイトン・ジョーンズ監督 マシュー・モディーン、エリック・ストルツ

「アウトブレイク」(1995) ダスティン・ホフマン

「アリス・イン・ワンダーランド」(2010) ミア・ワシコウスカ、ジョニー・デップ

「第九軍団のワシ」(2011) ケヴィン・マクドナルド監督 チャニング・テイタム、ジェイミー・ベル

「恋するリベラーチェ」(2013) スティーヴン・ソダーバーグ監督 マイケル・ダグラス、マット・デイモン

「死霊館」(2013) ヴェラ・ファーミガ、パトリック・ウィルソン

「47RONIN」(2013) カール・リンシュ監督、キアヌ・リーヴス、柴咲コウ、真田広之、浅野忠信

「マレフィセント」(2014) ロバート・ストロンバーグ監督、アンジェリーナ・ジョリー、シャールト・コプリー

「ナースコール」(1993)薬師丸ひろ子、松下由樹、大鶴義丹、渡部篤郎

「ホワイトアウト」(2000) 織田裕二、松嶋菜々子

「サヨナラCOLOR」(2005)竹中直人、原田知世、段田安則、水田芙美子

「実録連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008) 若松孝二監督

「永遠の0」(2013) 岡田准一、三浦春馬、井上真央

「連結部分は電車が揺れる」(2013) 小松みゆき、内田春菊

「魔女の宅急便」(2014) 小芝風花、広田亮平、尾野真千子

「想いのこし」(2014) 岡田将生、広末涼子、木南晴夏、松井愛莉

「味園ユニバース」(2015) 渋谷すばる、二階堂ふみ

「脳内ポイズンベリー」(2015) 真木よう子、西島秀俊

「イニシェーション・ラブ」(2015) 松田翔太、前田敦子

「モンタージュ 三億円事件奇譚」(2016) 盗まれた三億円は長崎軍艦島に隠されていた。謎を解くため福士蒼汰と芳根京子の2人は東京、沖縄へ。野村周平とは湘南プリズム、恋仲と再共演。ほか杉咲花、門脇麦など女優陣もフレッシュ。

六甲おろし

 阪神タイガースが好調である。その応援に欠かせないのが「六甲おしろ」

六甲颪に 颯爽と

蒼天翔ける 日輪の

青春の覇気 美わしく

輝く我が名ぞ 阪神タイガース

オウ オウ オウオウ 阪神タイガース 

フレ フレフレフレ

   この「阪神タイガースの歌」、通称「六甲颪」は、もともと昭和11年「大阪タイガースの歌」(作詞・佐藤惣之助、作曲・古関裕而)として作られた曲である。

   佐藤惣之助(1890-1942)は、明治23年12月3日、父・佐藤慶次郎、母うめの二男として、神奈川県川崎市砂子1-26、旧宿場で生まれた。小学校を卒業すると、商店に奉公に出る間、佐藤紅緑に師事して俳句、小説を学んだのち、18歳頃より詩作を始める。千家元麿、福士幸次郎らとつぎつぎと同人雑誌を出し、室生犀星を知るに及んで、詩壇的地位が築かれた。大正5年の処女詩集「正義の兜」では民衆派詩人として出立するが、大正10年の詩集「深紅の人」以後、詩風は一変し、明るい都会的、感覚的なものになる。昭和になるとコロムビアの専属作詞家として今日よく知られる歌謡曲を多数残している。「赤城の子守唄」「湖畔の宿」「男の純情」「青い背広で」「人生の並木路」「人生劇場」「上海だより」「愛の小窓」「いろは仁義」「新妻鏡」。昭和17年5月15日、53歳で早逝した。

山の淋しい湖に

ひとり来たのも悲しい心

胸のいたみにたえかねて

昨日の夢と 焚きすてる

古い手紙のうすけむり

    昭和15年、高峰三枝子が歌い大ヒットした「湖畔の宿」。このモデルとなった湖とは群馬県の榛名湖だそうだ。佐藤惣之助は釣りが好きで、先妻を亡くしたあと一緒になった萩原朔太郎の妹、愛子の実家が前橋だったのでよく榛名湖に遊びに行っていた。佐藤が常宿の「湖畔亭」の仲居に宛てた手紙が発見され、「湖畔の宿」の舞台が明らかになったという。

2017年5月14日 (日)

アラン・ドロンって誰ですか?

  映画「ローマ発、しあわせ行き」を観た。老婆にクラウディア・カルディナ―レ。現在79歳。代表作は「刑事」「若者のすべて」「鞄を持った女」「8½」「山猫」など名監督作品に多数出演し、ハリウッド進出もしたが必ずしも大成功とは言い難い。ブリジット・バルドー82歳は70年代には映画界から引退したが、動物愛護活動ではつねに話題を集めた。現在も自宅に馬、犬、猫などたくさんの動物に囲まれて悠々自適の生活ぶりである。先日、二人の美女と共演歴のある美男スターのアラン・ドロン81歳もついに引退の意向を示した。フジテレビでドロン引退のニュースが報道されたが、傍らの若い女性アナウンサーが「ドロンって誰ですか?」と平然と言って感慨なし。 バレンチノやタイロン・パワー、鈴木伝明、林長二郎を知らなくてもいいけど、アラン・ドロンを知らないなんて・・・。天国にいる小森のおばちゃまはどう思うだろうか。 

   アラン・ドロンはひところ日本では美男子の代名詞であった。しかし何故かダーティーな翳りがある、そこが魅力の一つでもあった。ドロンのボディーガードだったステファン・マルコビッチが1968年10月1日、パリ郊外のゴミ捨て場で変死体となって発見された。彼の容疑は晴れたものの、暗いイメージは付きまとった。「恋ひとすじに」で共演したロミー・シュナイダー(1938-1982)とは5年の婚約へ経て、解消。ロミーは1982年5月、薬物過剰服用で亡くなった。海兵隊を経てカンヌでブラブラしていたドロンをミシェル・コルドゥ(イヴ・アレグレ監督夫人)に紹介した女優のエステラ・ブラン(1934-1982)は、1982年1月1日、パリ郊外のアパートで自殺死体が発見された。ドロンとの間に一児あるドイツ人歌手ニコ(1938-1988)は1988年7月18日、自転車事故で亡くなっている。ドロンと関わった女性がいずれも不幸な死に方をするのは、愛の女神が嫉妬するからであろうか。

スウェーデンには美人が多い

   北欧といえばポップな雑貨やセンスのいい家具、充実した福祉などで有名だが美人が多いということでも知られている。なかでもスウェーデンの首都ストックホルムには肌の白い金髪美人が多い。歌手のザラ・ラーソンやエルザ・ホスフ、モナ・ヨハネソンなどスーパーモデルもスウェーデン出身者が多い。映画界では古くはグレタ・ガルボ。イングリッド・バーグマン、アニタ・エクバーグ。70年代には「キャンディ」で人気を得たエヴァ・オーリンやクリスチーナ・リンドバーグ。「ドラゴンタトゥーの女」のノオミ・ラパスなど個性的な女優が現れている。ポップス歌手ではアナ・リーナ(Anna Lena)は日本では紹介されなかったが60年代後半から70年代にかけて国民的人気歌手だった。

種痘記念日

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Edward Jenner was a doctor who invented the vaccination for Smallpox.

エドワード・ジェンナーは天然痘の予防接種を発見した医者だ。

    5月14日はイギリスの外科医エドワード・ジェンナー(1749-1823)が種痘の接種に成功した日である。彼は乳絞りの女性から牛痘にかかると天然痘には罹らないことを聞いた。そこで、牛痘にかかった乳絞りの女性サラ・ネルムズの手の水疱からとった膿を、近所に住んでいた8歳の男児フィッブス(1788-1823)の腕に接種した。10日後に発症したがすぐに治癒し、その後天然痘を接種しても感染しなかった。ジェンナーは貧しい人たちに無料で種痘の接種を行なった。(Edward Jenner,James Phipps,Sarah Nelmes)

2017年5月13日 (土)

オーストラリアとオーストリア、なぜ似ているのか?

   1787年5月13日、イギリスの初代植民地総督アーサー・フィリップが流刑囚780人、海兵隊などからなる約1200人の艦船11隻を率いてオーストラリアに向けてポーツマス港を出航した。

   Australia と Austria、どうして似ているのか?

  オーストラリア(Australia)は、2世紀の地理学者プトレマイオスが、インド洋の南の果てに大陸があると想像し、「テラ・オーストラリウス」と称していたのに由来する。

   現在のオーストラリアを最初に発見したのは、スペイン人のトーレスであったが、彼の名前がオーストラリアとニューギニア島の間のトーレス海峡に残されているように、1606年、トーレスは大陸の東岸地方を発見した。1642年にオランダ人タスマンは、この大陸の西海岸を探検しつつ南下、タスマニア島に達し、この大陸西岸地方をニュー・ホラントと命名した。1770年になって、イギリス人クックは、東岸地方を新サウス・ウェールズと命名した。1801年、イギリス人フリンダーズは、この大陸を船で一周、「ニュー・ホラント」と「新サウス・ウェールズ」は同一の大陸であることを確認、この大陸を古くからの呼称によりテラ・アウストラリウスと呼ぶことを提案、オランダとイギリスはこれに同意した。1828年、イギリスの支配下に入り、英語化されて「オーストラリア」(南方の国)と称するようになった。

   一方のオーストリアは、8世紀にフランク王国のカール大帝がオーストマルク(東部辺境区)を設置したのに由来する。ラテン語表記「マルキア・アウストリアカ」の「アウストリアカ」がヨーロッパ諸国で広く用いられた。英語読みになったのが「オーストリア」である。現在の正式国名は「オステルライヒ」(Osterreich)「東の国」の意である。(5月13日)

2017年5月12日 (金)

看護の日

Photo_3     本日を「看護の日」とするのは、1820年フローレンス・ナイチンゲールの誕生日に由来する。1853年、トルコとロシアの間にクリミア戦争が始まった。イギリス、フランスらがトルコを支援した。この戦争には19世紀を代表する2人の人物が関わっている。ナイチンゲールとトルストイである。1853年、ナイチンゲールはロンドンのハーレー街の小さな婦人施療院で看護婦として働いていた。これが陸軍大臣シドニー・ハーバートの目にとまった。翌年10月、ナイチンゲールは38人の看護婦とともにクリミアに向かった。同年7月、ロシアの青年将校トルストイは激戦地セバストーポリに従軍している。信仰心の篤い2人が戦場でみた光景が何であっのかそれは知らない。ただ戦争が青年たちの人生観を大きくかえる出来事だったことは間違いない。ナイチンゲールとトルストイは同じ年の1910年に亡くなっている。ナイチンゲールが亡くなるとき、国葬にしてウェストミンスター寺院に葬ることが話されたが、ナイチンゲールは遺書で拒否し、ハンプシャーのイーストウェロウの小さな教会墓地に埋葬された。世間が偉人と認めながら、偉人であることを拒みつつけた2人はよく似ている。(5月12日)

2017年5月11日 (木)

雑学の泉 30集

Trivia  うんちく、知識を集めた雑学ブログ。 「人生には3つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー」チャールズ・チャップリン。▽イベリコ豚の原産国はスペイン。▽どんぐりの木、クヌギ・カシ・ナラ・カシワはブナ科。▽コーヒー豆の生産量世界一はブラジル。▽楽天マー君を支える妻、里田まいは元女性アイドルグループ「カントリー娘」。▽南米の国アルゼンチンは「銀」を意味するスペイン語「アルヘンチナ」で、アルゼンチンは英語読みしたもの。

Feverfevershopimg600x600137975706_2   ▽フランス語で「ボワ pois」は「えんどう豆」の意味だが、「水玉模様」の意味もある。▽「まめに働く」を漢字で書くと「忠実に働く」。▽シャチは、海外ではオルカと呼ばれている。▽ミュージシャン青山テルマの母親の名前は「青山テルコ」。

4934761809274_400  チャナマサラはトマトベースのガルバンゾー(ひよこ豆)を使ったインドのカレー料理。▽「西遊記」の作者は通説では呉承恩と認められてきたが、確証はなく、中国学界では彼は最後の改訂者とみなされている。(無用の雑学知識集,Argentina,garbanzo)

アメリカの葬儀屋さん

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   NHKプレミアムシネマ。本日は「マイ・ガール」11歳の少女ベーダ(アンナ・クラムスキー)のお父さんは葬儀屋さん。そこへ美容師シュリーが手伝う。遺体に化粧をする。日本の納棺師に似ている。ただし米国は火葬ではなく、土葬。映画「マイ・ガール」(1991)はアメリカの葬儀事情がわかる珍しい一作。当時少女少年だったアンナ・クラムスキーやマコーリー・カルキンもすっかり大人になり、アンナは2児の母。

ダリの窓

Img_0013 窓辺の人物 1925年

   本日はサルバドール・ダリ、1904年の誕生日。この絵はダリがマドリードの美術学校を退学処分された青年時代の作品。キリコのような不可解で不安をかきたてるような雰囲気。少女がうしろ向きで外の景色をながめているが、何を思っているのだろう。モデルはおそらく妹のアナ・マリアであろう。動物的本能で窓辺よりも女性のお尻に目がいってしまう。(5月11日)

2017年5月10日 (水)

一点素心

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交友須帯三分侠気。作人要存一点素心

   友と交わるには、すべからく三分の侠気を帯ぶべし。人と作(な)りは、一点の素心を存するを要す。

   与謝野鉄幹は「六分の侠気」といったが、ここではおさえて三分。ひとかどの人物になるのには、まず自分自身の飾り気のない純粋で潔白な心をしっかりともたなければならない。素心とは、素直な気持ち、純粋な心をいう。(「菜根譚」前集)

韓国人の姓の話

   韓国の新大統領はムン・ジェイン。漢字で「文在寅」と書く。韓国で一番多い姓は金(キム)でおよそ5人に1人いる。ほかに李(リ)、朴(パク)、崔(チェ)、鄭(チョン)、姜(カン)、趙(チョ)、尹(ユン)、張(チャン)、林(イム)、呉(オ)、権(クォン)、申(シン)、宋(ソン)、孫(ソン)、朱(チュ)、韓(ハン)、白(ぺク)、梁(ヤン)、劉(ユ)、許(ホ)、柳(リュ)、沈(シム)、高(コ)、呂(ヨ)、文(ムン)など現在約280種類の姓が存在する。韓国でいちばん有名な映画監督「許秦豪」。「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督。

安(アン) 安重根(アンジュングン)

金(キム) 金泳三(チョンヨンサム)

朴(パク) 朴正熙(パクチョンヒ) 朴槿恵(パククネ)

白(ナム)   白南準(ナムジュンパイク)

盧(ノ)   盧泰愚(ノテウ)

全(チョン) 全斗煥(チョンドファン)

李(イ)   李明博(イミョンパク) 李外秀(イウェス) 李光洙(イグアンス)

尹(ユン)  尹東柱(ユンドンジュ)

文(ムン)  文在寅(ムン・ジェイン)

250pxan_junggeun   ソウルは片仮名なのに、プサンはなぜ「釜山」なのか。チェ・ジウは片仮名なのに、朴正熙(パク・チョンヒ)やイ・ミョンパクはなぜ「李明博」なのか。なにごとも「ケンチャナヨ(大丈夫、気にしない)」の国柄なので、ルールはないのかもしれない。調べるとソウルは「首爾」と漢字表記があるそうだ。もちろんチェ・ジウは「崔智友」と書く。伊藤博文をハルビン駅構内で襲撃して殺害した暗殺者、安重根は日本では一般に「あんじゅうこん」と呼んでいる。朝鮮語読みだと「アン・ジュングン」である。

 あれこれと考えたが、およそ新聞では次のようにきまりになっているらしい。

地名は漢字で書くことを原則としている。

  釜山

ただし、当てはめる漢字がないときは、現地音を片仮名で書く。

  ソウル

人名は漢字で書くことを原則としている。

  李明博

ただし、当てはめる漢字がないときは、現地音を片仮名で書く

  キム・ヨンジャ

韓流スターも現地音を片仮名で書く

  ペ・ヨンジュン

(これはあくまで、推測です。)

シパーヒー決起、インド大反乱

210pxbattle_of_vienna_sipahis    1859年5月10日夕刻、北インドのメーラト駐屯地で、イギリス東インド会社傭兵であるシパーヒー(セポイ)が反乱を起こした。反乱は、この年より配付された新式のエシフィールド銃の使用を拒否し禁固刑となったメーラトの第3軽騎兵連隊の85名のシパーヒー釈放を要求して始まった。新式銃の弾薬筒には、ヒンドゥー教徒の神聖視する牛の脂とムスリムの不浄視する豚の脂とが塗られていた。これを装填時に噛み切るために口にすることは、回教徒とも宗教的禁忌だった。シパーヒーは、1757年6月23日のプラッシーの戦い以来用いられ、反乱直前には23万人にも膨れ上がっていた。そのうち13万人を擁したベンガルのシパーヒーには、アウド王国出身で南カーストの者が多くいたが、賃金や階級は低く、国外出兵を強制されるため不満を抱いていた。反乱軍はその日のうちにデリーに進撃し、翌日には、すでに年金受領者となり名目的存在でしかなかったムガール皇帝ハバードゥル・シャー2世を擁立し、皇帝復権宣言をさせる。この時点から反乱は、ムガル帝国対大英帝国の戦いの様相を呈する。北インドの各地でこれに呼応する反乱が続く。失権の原則により実子のないことで所領を没収されたマラーター王国のペーシュワー(宰相)の子孫ナーナー・サーヒブが6月4日にカーンプルで、また同じくイギリスに併合されていた藩王国ジャーンシーの王妃ラクシュミーバーイーが6日に立ち上がる。30日にはラクナウでも反乱が起こる。イギリスのインド支配そのものに対して不満を抱く、市民や農民にも反乱に参加する者が現れ、反乱は都市から、やがて農村へと広がる。地域的にも北インド全体へと拡大し、あらゆる階層の人々を含む民族的な大反乱となる。(sipahi)

2017年5月 9日 (火)

昭和40年の物価

  朝ドラ「ひよっこ」が懐かしい時代をていねいに描いている。向島電気に勤めているみね子の初任給が12000円。このうち寮費等差し引き手取6000円。それから5000円を家族に仕送りするので、残り1000円。ドラマで紹介されるものは東京の物価なので地方より少し高め。銭湯大人28円、ラムネ15円、ラーメン75円、映画館400円(おそらくロードショー)。郵便はがき15円。ほかにいろいろと調べると、週刊平凡が50円、ベストセラー「おれについてこい」大松博文250円。LPレコードが2000円、EPが290円から330円程度。この年発売された新健康ドリンク「オロナミンC」は100円だった。東京オリンピックが終わり、その熱気もようやく一段落した昭和40年、日本は一転して不況に見舞われた。いわゆる「40年不況」が到来した。

坂田山心中

128920121702616210692     昭和32年12月4日、伊豆の天城山で、大久保武道と愛新覚羅慧生がピストル自殺を図った。天城山心中として世間の耳目を集め、三ツ矢歌子で映画化された。題名は「天城心中 天国に結ぶ恋」。もともと「天国に結ぶ恋」は昭和7年の坂田山心中を映画化したときの題名だったが、観客動員には効果的だった。

    昭和7年5月9日、神奈川県大磯の海に近い坂田山というところで、若い男女の心中死体が発見された。遺書その他から2人はキリスト教の教会で知り合ったことから、この心中事件を「東京日日新聞」は「天国に結ぶ恋」と称して報道した。坂田山心中というよりは、そのほうがロマンチックだった。「今宵名残の三日月も 消えて淋しき相模灘」という歌も流行し、続いてそれを主題歌とした映画「天国に結ぶ恋」は竹内良一、川崎弘子の美男美女のコンビで大ヒットとなった。そして、この映画にあやかろうとする自殺志願者が、しきりに大磯の坂田山へきた。昭和7年5月中旬以降、約3年間に、坂田山で心中しようとした男女は合計600人にものぼったという。

    日本の支配層は不況と社会不安の打開を中国侵略に求めた。中国との戦争による軍需景気が昭和8年の初夏ごろから起こる。そして軍需景気が失業者をなくしていったが、その次には、戦争による死の恐怖が日本人に襲いかかっていく。

    ところで地図には坂田山という名の山はみえない。大磯駅周辺は坂になった場所の田、坂田と呼んでいたが、記者が坂田山がゴロがいいので使って有名になったらしい。

2017年5月 8日 (月)

五月は悪月?

    そのむかし中国では相当古くから5月を悪月とみなす習慣があった。史記によると、斉の田嬰には40余人の子供があり、そのなかの一人に田文がいた。田文は賤妾の子で、しかも5月5日に生まれた。当時の俗説では「5月5日に生まれた子どもは父母に仇をする」といわれた。田嬰もはじめはいい顔をされなかったが、実はなかなかの才人で、やがて父のあとをついで城主になる。善政をおさめて、食客数千人を招いて厚遇し、その勢力は諸侯に聞こえ、孟嘗君として戦国末の四君の1人に数えられるようになった。なぜ5月が悪月なのか不明である。さわやかな新緑の季節なのに五月病というようにノイローゼなどの症状が現れるのもこの季節。5月は注意が必要である。

ジャンヌ・ダルク祭

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  イザボー・ド・バヴィエール

  1429年5月8日、ジャンヌ・ダルク(1412-1431)はオルレアンの包囲を破ってイギリス軍を大敗させた。ジャンヌの父はジャック・ダルク、母はイザベル・ロメールといわれる。しかしフランスには「フランスはイザボーによって破滅し、ジャンヌによって救われた」という言葉がある。この意味はジャンヌ・ダルクはフランス王室(シャルル)の血を受け継ぐものであったという伝説にもとづくものである。イザボーとはシャルル5世の王妃イザボー・ド・バヴィエール(1370-1433)のこと。イザボーは夫のシャルル5世が発狂したあと、シャルル5世の弟ルイ・ド・ヴァロア(オルレアン公)と親密な関係となり、生まれた子がジャンヌ・ダルクと一説にいわれている。ところがヴァロワは1407年謀殺されているので、ジャンヌ・ダルクの生年は定説よりも5年もさかのぼることになるので、24歳で処刑されたことになる。もちろん生年とされる1412年説も明確な根拠があるわけではないのだが、これらの伝説が生まれる背景には、聖女の母親がたとえ裏切者、売国奴、淫乱とされるイザボーであっても、オルレアン党を正当な王統とする史観があるからであろうか。ジャンヌの王女伝説を信奉する人々を「バタルディザン」(バタールとは私生児の意)と呼ぶ。

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2017年5月 7日 (日)

マレーに消えた高丘親王

   日本史に現われた旅行家・冒険家といえば、先ず最初に見えるのは垂仁天皇の勅を奉じて常世の国に旅した田島間守であろうか。しかし記紀にあるが、とうてい史実とはいえまい。確かな記録に残るものでは、薬子の変で、皇太子を廃されて、仏籍に入った高丘(たかおか)親王(799-865)が中国以遠におもむいた日本人として、史上知られる最初の人物かもしれない。

    桓武天皇の孫、平城天皇の子(第3皇子)である。のち空海の弟子となったので真如(しんにょ)親王ともいう。60歳をすぎた861年、真言の宗義を深く学ぶため入唐するが、当時仏教は衰微していたため、インドに赴こうとした。その先は行方不明となったが、881年に中瓘の報告によれば、親王は旅行の途中、羅越国にいって死んだことがわかった。羅越国(シンガポール付近)の位置は、マライ半島の南端でスマトラ島のパレンバンの対岸あたりと学者は推定している。(参考:杉本直治郎「真如親王伝研究})

外国人名探求

Halilhodzicjugadordelnantesfrancs19  アギーレの後任にサッカー日本代表監督に就任したヴァヒド・ハリルホジッチ。名のほうは、「バヒド」「ヴァイッド」とか表記の揺れがある。ボスニア・ヘルツェゴビナの生まれで、日本人にはなじみのない名前であるが相当な名選手だそうである。ハリルホジッチというのは名前が長いのでハリルと略して呼ぶ人もいる。

エベレスト最高齢登頂に挑戦したネパール人の登山家ミン・バハトゥール・シエルチャンがエベレストのベースキャンプで死亡した。85歳だった。バハドゥール(Bahadur)という名前はよくあるらしい。ムガル帝国のバハードゥル2世、ブッダの化身といわれた少年ラム・バハドゥール・バムジョンなど。

Vahild Halilhodzic

薩摩に亡命した豊臣国松?!

    1615年のこの日、大坂夏の陣で大坂城が落城した。「谷山村郷土誌」(明治45年刊)によると、大坂夏の陣で戦死したはずの真田幸村が豊臣秀頼を護衛して堺の町に逃げ来たり、舟に乗って薩摩に亡命したとある。鹿児島の上福元町には秀頼の墓と伝えられる宝塔が福元一雄氏の自宅敷地内にある。鹿児島文化財審議会の木原三郎氏が調査・鑑定したところ、「秀頼の存命年代よりも古い時代の作であり、おそらく平姓谷山氏初代兵衛尉忠光の墓」だろうということである。秀頼・幸村生存説は怪しげな話であるが、秀頼には伊茶(渡辺五兵衛の娘)という側室との間にできた8歳になる国松がいた。この豊臣国松にも生存説がある。

    大坂落城の際、国松は真田大助らとともに、四国路を薩摩に逃れ、伊集院兼貞の庇護のもとにあったが、徳川の時代になって、豊後国日出藩の木下延俊(木下延次、木下延由)の所へあずけられた。国松が薩摩から渡ってきたとき、八蔵という百姓の子のような名前だったのを、縫殿助と改めさせて木下の籍に加えた。その後の国松の消息については詳しいことは伝えられていない。5月7日 (参考:白藤有三「豊臣国松生死の謎」歴史研究285)

2017年5月 6日 (土)

貨狄尊者

   栃木県の佐野市の龍江院に古い木像がある。長年、古代中国の伝説上の発明者である貨狄の像とされてきた。また観音堂で夜中にアズキをとぐような音がするという話ができ、「アズキとぎばばあ」とも呼ばれるようになった。大正時代の末ごろになってこの像が学者たちの注目を集めるようになった。この像は1600年大分県に漂着したオランダ船リーフデ号の船尾飾りであり、エラスムスの像であることが判明した。像のもつ巻物にも「エラスムス・ロッテルダム」と「1598年」という文字が認められた。現在この像は重要文化財に指定され、東京国立博物館に寄託されている。

中国関係図書文献目録

Photo_2 中国四千年の歴史は、漢字をはじめ、暦法、漢方薬、官僚制度など、実にさまざまな社会制度、文物、風習を生み出した。そのいくつかは、わが国と密接な関係となり、われわれ日本人の生活のなかにとけ込んでいる。それは単なる一般習俗のような形而下の風習だけではなく、思想や芸術などの形而上においても同じことがいえる。中国思想の根本である儒教や老荘思想が、日本人の道徳観や人生観にどれほど重大な影響を与えてきたかは、はかり知れないし、わが国の文化が中国から影響を受けていることがひじょうに多いのである。

参考
中国書籍総目録 全国総目録1949~1965年 全19巻・補巻1 竹中憲一編 龍渓書舎 1981
中国書籍総目録 全国総目録1981~1983年 不二出版 復刻版 全33巻補巻1  1983
国立国会図書館漢籍目録 国立国会図書館 1987
廣博物志 50巻 董期張編
全唐詩逸 3巻 市川世寧撰 京都 文化元年(1804)
唐土名勝図絵 6巻 岡田尚友 文化3年(1806)
袖珍清国及近傍諸州図 外務省 1870
支那地誌略 1 沖正修 敬業堂 1874
支那地誌 蒙古部 参謀本部 1889
支那地誌 満州部 参謀本部 1889
支那文学全書 博文館 1892
東洋西洋教育史 中野礼四郎 博文館 1900
支那書史学 中根粛治 1903(推定)
漢文学講義(少年叢書) 26冊 興文社 1903~1915
宋学概論 小柳司気太 哲学書院 1903
最新中国二十一省地図 嵯峨野彦太郎 1904
古文玖舊書考 4卷 島田翰 民友社 1905
清国行政法 6 臨時台湾旧慣調査会 1905-1914
虚無恬淡主義 遠藤隆吉 弘道館 1906
漢律類纂 張鵬一 奉天・格致学堂 1907
儒教聖典 大江文城編 開発社 1907
春秋倫理思想史 綱島榮一郎 博文館 1907
極東近世史 高桑駒吉 早稲田大学出版部 1909
儒教新議 内田正 浜松・内田正 1909
東洋教育史 中島半次郎 早稲田大学出版部 1910
支那食料植物 ブラスダーレ 川上滝弥訳 台湾総督府殖産局 1911
支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革 法律学経済学研究叢書7 浅井虎夫 1911
李詩講義 森槐南 文会堂 1913
支那論 内藤虎次郎 文会堂 1914
会稽郡古書雑集 魯迅 1915
辞源 陸爾奎・方毅等編 商務印書館 1915
京師図書館善本簡明書目 賈曾佑 1916
支那古田制の研究 法律学経済学研究叢書17  加藤繁 京都法学会 1916
支那論集 市村瓚次郎 冨山房 1916
東洋画論集成 今関天彭 読画書院 1916
儒家哲学本義 内田正 岩波書店 1917
虎風龍雲 東亜同文書院大旅行誌12  久保田正三編 上海・東亜同文書院 1919
支那伝説集 木下杢太郎 精華書院 1921
阿Q正伝 魯迅 『吶喊』に所収 北新書局 1923
支那の鉄道 鉄道省大臣官房外国鉄道調査課 1923
道教聖典 小柳司気太・飯島忠夫 世界聖典全集刊行会 1923
儒学史 宇野哲人 宝文館 1924
剪燈新話・剪燈余話・宣和遺事 国訳漢文大成13   塩谷温 国民文庫刊行会 1924
十批判書 郭沫若 1924
倭寇 長谷川正気 東京堂 1924
中華民国政党史 原田政治 実業之日本社 1925
満蒙における契丹の遺跡について 鳥居龍蔵 東京日日新聞社 1925
東洋芸術史 国史講習会1926 中央史壇新年特別号 第12巻第1号
東方言語史叢考 新村出 岩波書店 1927
和漢書道会 藤原鶴来 好鳶会 1927
支那古陶金石展観図録 昭和3年11月開催 於大阪美術倶楽部 大阪・山中商会 1928
東洋音楽論 春秋文庫 田辺尚雄 春秋社 1929
東洋画 金原省吾 春秋社 1929
晏子春秋校注 張純一 1930
支那書道史概説 有ヶ谷静堂 大同館 1930
儒学概論 北村沢吉 関書院 1930
鮮支遊記 藤山雷太 千倉書房 1930
宋元以来俗字譜 中華民国中央研究院歴史語言研究所 1930
東洋音楽史 田辺尚雄 雄山閣 1930
東洋哲学史概説 貝尾勝馬 文原堂 1930
最新亜細亜大観 黒龍会編 黒龍会 1931
史学名著解題 現代史学大系15  千代田謙ほか 共立社 1931
支那諸子百家考 児島献吉郎 目黒書店 1931
蒋介石 古荘国雄 上方屋 1931
東洋芸術史講座 全12巻 雄山閣 1931
語法復文複式漢文研究 石原亨 東興社 1932
最新漢文提要 田中健三編 日本文学社 1932
初学者の為の東洋哲学 山根鎮夫 文化書房 1932
宋元名画集 田中一松・秋山光夫・相見香爾編 聚楽社 1932
東洋所学者洋政治哲学(王道の研究) 安岡正篤 玄黄社 1932
日支紛争に関する国際聯盟調査委員会の報告 国際連盟協会 1932
アジア的生産様式」に就いて ソヴェート・マルクス主義東洋学者協会編 早川二郎訳 白揚社 1933
漢代婚喪礼俗考 楊樹達 商務印書館 1933
漢文学講座 全7巻 長澤規矩也編 共立社 1933~1934
古代銘刻彙考 郭沫若 文求堂 1933
古代銘刻彙考 続篇 郭沫若 文求堂 1934
支那古典叢函 支那古典叢函刊行会 1933
儒教道徳の特質と其の学説の変遷 北村沢吉 関書院 1933
日支紛争に関する国際聯盟総会報告書全文 新聞聯合会 1933
東洋近世史1 世界歴史大系8 浦康一 平凡社 1933
東洋近世史2 世界歴史大系9 松井等 平凡社 1933
満州年鑑 昭和8年版 中溝新一編 大連・満州文化協会 1933
容斎随筆五集総合引得 1894年晥南洪氏重刊本 聶崇岐 1933
還魂記・漢宮秋 国訳漢文大成・文学部10 国民文庫刊行会 1934
寒山詩 岩波文庫 太田悌蔵訳注 岩波書店 1934
史通評 呂史勉 商務印書館 1934
諸子学総論 先秦思想文化史研究序説 原富男 共立社 1934
宋学の由来及び其特殊性 岩波講座東洋思潮1 武内義雄 岩波書店 1934
長恨歌研究 遠藤実夫 建設社 1934
東洋学叢編2 静安学社編 刀江書院 1934
東洋精神の復活 伊福吉部隆 第一出版協会 1934
漢晋学術編年 上下 劉汝霖編著 商務印書館 1935
五経索引 本文・第1巻 森本角蔵編 目黒書店 1935
広西遊記 森岳陽 秋山印刷所 1935
周易引得 上海錦章書局影印十三経注疏本 1935
儒教道徳に於ける君臣思想 手塚良道 藤井書店 1935
儒教の起源 岩波講座東洋思潮11  津田左右吉 岩波書店 1935
東洋音楽史 東洋史講座13  田辺尚雄 雄山閣 1935
明の興亡と西力の東漸 世界文化史大系18  鈴木艮編 新光社 1935
和漢故事成語辞海 松村武雄 有宏社 1935
講孟余話 岩波文庫 吉田松陰著 広瀬豊校訂 岩波書店 1936
支那思想美術思想 緒論 岩波講座東洋思想17  田中豊蔵 岩波書店 1936
支那社会研究 橘樸 日本評論社 1936
儒学研究 斎藤要 教育図書普及会 1936
中華思想 岩波講座東洋思想17  那波利貞 岩波書店 1936
湯島聖堂復興記念儒道大会誌 福島甲子三 斯文会 1936
鴨緑江 満州弘報協会編 新京・満州国通信社 1937
崔東壁遺書引得 亜東書局 1937
辞海 2冊 舒新城等編 上海中華書局 1937
蒋介石 石丸藤太 春秋社 1937
中華新聞発達史 井東憲 日支問題研究会 1937
中国古代哲学史 陳元徳 上海・中華書局 1937
中国算学史 中国文化史叢書 李人言 台湾商務印書館 1937
中国調査資料 第1輯 支那秘密結社の新情勢 平野書房 1937
東洋精神概観 日文満文 久保田肇 東宛書房 1937
アジア的生産様式論 森谷克己 育生社 1938
シナ思想と日本 岩波新書 津田左右吉 岩波書店 1938
通溝 上・下 満洲国通化省輯安県高句麗遺蹟 池内宏・梅原末治 日満文化協会 1938
満洲地名考 谷光世 新京満洲事情案内所 1938
明の君臣の亡命と其の庇護 小畑利三郎 神乃日本社 1938
漢書疏證 吉川幸次郎 自家本 1939
現代華僑問題 丘漢平著 山崎清三訳 生活社 1939
江浙風物誌 沢村幸夫 東亜研究会 1939
左伝真偽考  支那学翻訳叢書6 カールグレン著 小野忍訳 文求堂書店 1939
禅宗史研究 印度哲学研究9 宇井伯寿 岩波書店 1939
宋金元明詩選 潘徳衡 柳原書店 1939
近世日本に於ける支那語文学史 石崎又造 弘文堂 1940
古銅器形態の考古学的研究 梅原末治 東方文化研究所 1940
現代支那女流作家集 現代支那文学全集 冰心他 東成社 1940
中国文化界人物総鑑 橋川時雄 中華法令編印館 1940
中国土地問題に関する文献解説 神戸商業大学商業研究東亜経済調査部 1940
東邦研究 嘉治隆一 オリオン社 1940
東洋学の成立とその発展 歴史学叢書 青木富太郎編 蛍雪書院 1940
農業志支那と遊牧民族 オウエン・ラティーモア著 後藤富男訳 生活社 1940
華僑史 成田節男 蛍雪書院 1941
康熙帝伝 ブーヴェ著 後藤末雄訳 生活社 1941
古代支那政治哲学研究 呂振羽著 明石春海訳 人文閣 1941
中国人の生活風景 柯政和 皇国青年教育協会 1941
先秦政治思想史 梁啓超著 重沢俊郎訳 創元社 1941
漢晋木簡精粋 広瀬保吉 清雅堂 1941
儒教講話 諸橋轍次 目黒書店 1941
印度支那の民族と文化 松本信広 岩波書店 1942
黄土地帯 アンダーソン著 松崎寿和訳 座右宝刊行会 1942
先覚者 岡倉天心 清見陸郎 アトリエ社 1942
支那宗教史 支那地理歴史大系11 白揚社 1942
先秦経済思想史論 穂積文雄 1942
漠北と南海 アジア史における沙漠と海洋 松田寿男 四海書房 1942
両漢租税の研究 吉田虎雄 大阪屋号書店 1942
漢三国六朝紀年鏡図譜 京都帝国大学文学部考古学資料叢刊1 梅原末治 1943
禅思想史研究 1 鈴木大拙 岩波書店 1943
中国教育十年 趙如珩 大紘書院 1943
中国の社会風景 柯政和 大阪屋号書店 1943
中国歴史理念の根源 根本誠 生活社 1943
東洋学の話 石浜純太郎 創元社 1943
雲岡石仏群 東方文化研究所雲岡石窟調査概報 水野清一 朝日新聞社 1944
支那地史の研究 上 東亜研究叢書 ベイレー・ウイリス著 坂本峻雄訳編 岩波書店 1944
法家思想の研究 木村英一 弘文堂 1944
明末清初日本乞師の研究 石原道博 冨山房 1945
科挙 宮崎市定 秋田屋 1946
先哲の学問 内藤虎次郎 弘文堂書房 1946
中国宗教制度 デ・ホロート著 清水金二郎、荻野目博道共訳 京都・大雅堂 1946 
中国国哲学史 宇野哲人 日月社 1946
中国と西洋文化 矢沢利彦 中村書店 1946
牧谿と梁楷 武者小路実篤 東京座右宝刊行会 1946
漢書律暦志の研究 東方文化研究所研究報告 能田忠亮・薮内清 全国書房 1947
中華思想の根帯と儒学の優位1 原富男 講談社 1947
中国戦後の動態 草野文男 京都・教育出版株式会社 1947
中国哲学概説 高田真治 日月社 1947
中国文化革命 鹿地亘 九州評論社 1947
中国文芸復興 胡適 矢島仁一監訳 始原社 1947
古代の精神 貝塚茂樹 秋田屋 1948
山海経通検 巴黎大学北平漢学研究所 1948
征服王朝 藤枝晃 秋田屋 1948
中国先史文化 殷朝成立の前史 古文化叢刊36 澄田正一 京都・大八洲出版社 1948
中国の十年 鹿地亘 時事通信社 1948
中国の小説 松枝茂夫 白日書院 1948
中国族産制度攷 清水盛光 岩波書店 1947
中国的実在観の研究 その学問的立場の反省 木村英一 弘文堂 1948
買辨制度の研究 根岸佶 日本図書株式会社 1948
虚無の探求 老荘思想を中心として 田所義行 福村書店 1949
中共概論 外務省調査局 外務省 1949
詩文精粋 吉田賢蔵、星川清孝 明治書院 1950
そんへえおおへえ 内山完造 岩波書店 1950
中国 上・下 マックネア 沖野亦男訳 大阪・三明社 1950
中国 民族と土地と歴史 オーエン・ラティモア 小川修訳 岩波書店 1950
中国古代政治思想 中江丑吉 岩波書店 1950
中国思想史 吉田賢抗 明治書院 1950
中国思想史 岩波全書 武内義雄 岩波書店 1950
滑稽談 市民文庫 幸田露伴 河出書房 1951
儒教の研究 第1 津田左右吉 岩波書店 1951
禅思想史研究 2 鈴木大拙 岩波書店 1951
中共総覧 時事通信社 1951
中国古代のこころ 市民文庫 貝塚茂樹 河出書房 1951
雲崗石窟 全16巻32冊 水野清一・長廣敏雄 1951-1956
中国浄土教家の研究 小笠原宣秀 平楽寺書店 1951
中国常平倉沿革考 松本洪 食糧庁 1951
照心詩話 漢詩と人間学 安岡正篤 福村書店 1952
儒教の研究 第2 津田左右吉 岩波書店 1952
増補現代中国辞典 中国研究所 1952
中国的考え方 魚返善雄 宝文館 1952
中国法制史 岩波全書 仁井田陞 岩波書店 1952
唐詩選通解 小林信明ほか 宝文集 1952
東洋鬼軍敗亡記 呂梁英雄伝続篇 西戎・馬烽 三好一訳 三一書房 1952
古代漢民族思想史 鈴木憲久 泉文堂 1952
殷代青銅器文化の研究 京都大学人文科学研究所 1953
学制から見た東洋教育史 佐藤清太 柳原書店 1953
中国古代の思想家たち 上 郭沫若著 野原四郎他訳 岩波書店 1953
中国哲学史 狩野直喜 岩波書店 1953
中国の社会とギルド 上・下 仁井田陞 岩波書店 1953
詩人李白 林庚 上海文芸聯合出版 1954
中国古代思想史 楊栄国 三聯書店 1954
中国古代の心 河出文庫 貝塚茂樹 河出書房 1954
中国の社会と宗教 東洋史学論集2 山崎宏編 不昧堂書店 1954
明代満蒙史料明実録抄 蒙古篇10 西蔵史料 京都大学文学部編 京都内外印刷株式会社 1954
近世日本儒教運動の系譜 相楽亨 弘文堂 1955
顧炎武伝略 趙儷生 上海新華書店 1955
西周年代考 六国紀年 陳夢家 学習生活 1955
中国古代的水利 紀庸編 上海四連 1955
北アジア史 世界各国史 江上波夫 山川出版社 1956
現代漢語語法縮編 江南書院訳註双書 兪敏著 牛島徳次訳註 江南書院 1956
五年計劃・童工 大芝孝訳註 江南書院 1956
柴栄 韓国磐 上海人民出版社 1956
儒教の研究 第3 津田左右吉 岩波書店 1956
中国の思想問題 胡風事件をめぐって 小竹文夫 大学出版協会 1956
錦の中の仙女 岩波少年文庫 伊藤貴麿訳編 岩波書店 1956
居庸関 1 村田治郎編 京都大学工学部 1957
秦漢的方士与儒生 顧頡剛 上海人民出版社 1957
世界史大系8 東アジアⅡ 鈴木俊編 誠文堂新光社 1958
斉民要術 上下 西山武一・熊代幸雄訳 東京大学出版会 1957
三略解義 中道義作 中国研究所 1957
泉州宗教石刻 呉文良著 北京・科学出版社 1957
中国語商業会話の基礎文例 奈良一雄・水野鈴彦 国元書房 1957
中国古代の思想家たち 下 郭沫若 岩波書店 1957
中国思想史1巻 古代思想 候外盧 人民出版社 1957
中国思想史2巻 両漢思想 候外盧 人民出版社 1957
中国思想史3巻 魏晋南北朝思想 候外盧 人民出版社 1957
中国新文学運動史 政治と文学の交点 胡適から魯迅 尾坂徳司 法政大学出版局 1957
中国の農業 吉岡金市 東洋経済新報社 1957
麦積山石窟 名取洋之助 岩波書店 1957
羽田博士史学論文集 上・下 羽田亨 京都大学東洋史研究会 1957
李贄年譜 容肇祖編 三聯書店 1957
李白研究 張立徳 香港学林書店 1957
李杜詩選 蘇仲翔選注 上海古典文学出版社 1957
華夷変態 全3冊 東洋文庫 1958
寒山 中国詩人選集5 入矢義高注 岩波書店 1958
古代寓話文学集 中国古典文学全集2 平凡社 1958
世界史大系 東アジアⅠ 三上次男編 誠文堂新光社 1958
殷周青銅器と玉 水野清一 日本経済新聞社 1959
現代中国事典  岩崎書店 1959
漢文学概論 長澤規矩也編 法政大学出版局 1959
観堂集林 王国維 中華書局 1959
中華人民共和国組織別人名表 内閣官房 1959
中国学芸大辞典 近藤杢 東京元々社 1959
中国古代地理名著選読 第1輯 候仁之主編 科学出版社 1959
中国古代の論理 大浜晧 東京大学出版会 1959
中国思想史4巻 隋唐北宋 候外盧 人民出版社 1959
中国書法の二大潮流 神田喜一郎 東方文化講座第13輯 1959
テーブル式漢文便覧 小林信明・市木武雄・長谷川節三 評論社 1959
明代満蒙史料 索引 東京大学文学部 1959
アジア地域総合研究文献目録 1~5 文部省大学学術局編 日本学術振興会 1960-63
永楽大典 明・解縉等輯 中華書局 1960
慧遠研究 研究篇 木村英一編 創文社 1960-63
漢代服飾参考資料 張末元編 人民美術出版社 1960
京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字 貝塚茂樹編 京都大学人文科学研究所 1960
近世日中貿易史的研究 山脇悌二郎 吉川弘文館 1960
中国商品事典 日中貿易実務研究会編 極東書店 1960
中国書道史 藤原楚水 三省堂 1960
中国の印刷術 その歴史的発展と影響 張秀民著 広山秀則訳 京都・関書院 1960
中国体育史 新体育学講座5 逍遥書院 1960
中国の彫刻 石仏・金銅仏 水野清一 日本経済新聞社 1960
李定国紀年 郭影秋編著 中華書局 1960
瀛涯勝覧 鄭和西征見聞録 馬歓 小川博訳注 吉川弘文館 1961
北アジア・中央アジア 図説世界文化史大系9 江上波夫・松田寿男編 角川書店 1961
古代史学序説 古代史講座1 学生社 1961
辞海 中華書局辞海編集所 中華書局 1961
世界教養全集18 黄河の水、史記の世界、敦煌物語、長安の春 平凡社 1961
中国近代化の社会構造 辛亥革命の史的位置 東洋史学論叢6 東京教育大学文学部東洋史学研究室 教育書籍 1961
中国近代工業史の研究 東洋史研究資料叢刊9 波多野善大 東洋史研究会 1961
殷周時代的中国社会 呂振羽 三聯 1962
塩鉄論 中国古典新書 桓寛著 山田勝美訳 明徳出版社 1962
古代国家の構造 上下 古代史講座4・5 学生社 1962
周代政治思想史研究 黄延富 井上書店 1962
先秦両漢経済史稿 李剣農 北京・中華書局 1962
中国現代文学選集7 柔石、丁玲、艾蕪、蕭紅 平凡社 1962
中国語小辞典 中日ー日中 鐘ヶ江信光編 大学書林 1962
中国古代地理簡史 候仁之主編 科学出版社 1962
中国古代地理考証論文集 童書業 中華書局 1962
中国古代の田制と税法 秦漢経済史研究 平中苓次 京都彙文堂 1962
中国とその影 チボール・メンデ 高橋正訳 弘文堂 1962
中国農業史研究 天野元之助 御茶の水書房 1962
鑑真 安藤更生 美術出版社 1963
元明詩概説 中国詩人選集二集2 吉川幸次郎 岩波書店 1963
孝子説話集の研究 中世篇 二十四孝を中心に 徳田進 井上書房 1963
史林雑標識 顧頡剛 中華書局 1963
中国の思想家 上下 宇野哲人博士米寿記念論集 東京大学中国哲学研究室編 勁草書房 1963
中国の仙人 村山嘉実 平楽寺書店 1963
明代満蒙史研究 田村実造 京都大学文学部 1963
槐安居楽事 宋元明清の絵画法書法帖碑拓 高島菊次郎 求龍堂 1964
秦漢瓦当 文物 1964
中国関係日本文雑誌論説記事目録1 外事警察報・北京週報・燕塵 近代中国研究センター 1964
中国古小説集 世界文学大系71 吉川幸次郎編 筑摩書房 1964
中国古代の科学 角川新書 藪内清 角川書店 1964
中国浄土教教理史 望月信亨 法蔵館 1964
中国哲学史研究 唯心主義と唯物主義の抗争史 学術選書 重沢俊郎 法律文化社 1964
中国における回教の伝来とその弘通 田坂興道 東洋文庫論叢43  1964
中国の思想 全12巻別巻 松枝茂夫・竹内好監修 経営思潮研究会 1964~1966
中国の哲学 阿部吉雄編 明徳出版社 1964
道教史の研究 大淵忍爾 岡山大学共済会書籍部 1964
東洋への視角と西洋への視角 飯塚浩二 岩波書店 1964
世界帝国の諸問題 古代史講座10  学生社 1964
両漢学術考 狩野直喜 筑摩書房 1964
倭寇  石原道博 吉川弘文館 1964
経典 その心と歴史 潮文社新書 野村耀昌 潮文社 1965
京都大学人文科学研究所漢籍目録 京大人文科学研究所 1965
芸文類聚 欧陽詢等撰 中華書局 1965
光明日報史学専刊索引 光明日報出版社 1965
菜根譚 洪自誠著 吉田豊・神子侃訳 徳間書店 1965
四民月令校注 石声漢 北京・中華書局 1965
太平天国 1~4 東洋文庫 A・F・リンドレー著 増井経夫、今村与志雄訳 平凡社 1964-65
中国からの手紙1 みすず叢書 アンナ・ルイズ・ストロング著 藤村俊郎訳 みすず書房 1965
中国画論の展開 晋唐宋元編 中村茂夫 中山文華堂 1965
中国人物叢書 1~24  人物往来社 1965~67
中国の思想と民俗 滝沢俊亮 校倉書房 1965
中国の印章 羅福頤、王人聡著 安藤更生訳 二玄社 1965
中国農業技術体系の展開 山本秀夫 アジア経済研究所 1965
東洋封建社会のモラル 思想の歴史6 石田一良編 平凡社 1965
オルドロス碑集 モンゴルの民間伝承 東洋文庫59 A・モスタールト著 磯野富士子訳 平凡社 1966
古典漢文の新研究 鈴木修次 三省堂 1966
中国からの手紙2 アンナ・ルイズ・ストロング著 藤村俊郎訳 みすず書房 1966
中国近代産業発展史 中国綿紡織史稿 厳中平著 依田憙家訳 校倉書房 1966
中国哲学史 新編1 馮友蘭著 森下修一訳 林書店 1966
中国の青年運動 続・中国の集団主義 胡耀邦著 小林文男編訳 明治図書 1966
中国の笑話 笑話叢珠笑苑千金 荘司格一・清水永吉・志村良治共訳 筑摩書房 1966
中国の俗信と法思想 増田福太郎 三和書房 1966
中国文明の伝統 香川宏・田川純三・清水幸浩 日本放送出版協会 1966
両漢租税の研究 中国学術研究双書2 吉田虎雄 大安 1966
満鉄2 現代史資料32 伊藤武雄・萩原極・藤井満洲男編 みすず書房 1966
漢魏詩の研究 鈴木修次 大修館書店 1967
古代中国の精神 筑摩叢書91  貝塚茂樹 筑摩書房 1967
古典漢文の基礎 山本哲夫 洛陽社 1967
崑崙の玉 井上靖 オール読物1967年7月号
満州族の社会組織 S.M,シロコゴロフ 大間知篤三・戸田茂喜訳 刀江書院 1967
満鉄 現代史資料33 伊藤武雄・萩原極・藤井満州男編 みすず書房 1967
宋元以来俗字譜 近世文学史研究の会 文化書房博文社 1968
中国思想史 小島祐馬 創文社 1968
律令を中心とした日中関係史の研究 曽我部静雄 吉川弘文館 1968
説苑 中国古典新書 劉向 高木友之助訳 明徳出版社 1969
古代の復活 名著シリーズ 貝塚茂樹 講談社 1971
中国千夜一夜 女読むべからず 上下 林房雄 河出書房 1967
中国哲学史2 新編 馮友蘭著 森下修一訳 林書店 1967
中国の思想 伝統と現代 NHKブックス 竹内実 日本放送協会 1967
中国文芸論戦 李何林編 大安 1967
中国文芸概説 境武男 秋田大学中央研究室 1967
中国昔話考 村山孚 鷺の森書房 1967
中国古典文学大系 60巻 平凡社 1968
中国経済の基礎構造 大塚恒雄 白桃書房 1967
中国文学史研究 増田渉 岩波書店 1967
京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字索引 貝塚茂樹編 京都大学人文科学研究所 1968
中国古代寓話集 東洋文庫 後藤基巳編訳 平凡社 1968
中国思想論集 西順蔵 筑摩書房 1969
中国の思想家たち 桃源ブックス 野末陳平 桃源社 1968
講座現代中国 全3巻 菅沼正久等編 大修館書店 1969
中国古尺集説 薮田嘉一郎 京都・綜倪藝舎 1969
中国処世訓 戸崎平爾 日本文芸社 1969
中国的思惟の伝統 対立と統一の論理 大浜皓 勁草書房 1969
中国文化の成熟 世界歴史シリーズ15 世界文化社 1969
中国での文学運動の展開資料 1950年代後半から60年代初めの河北省での詩歌運動を中心に 秋吉久紀夫著 中国文学評論社 1969
東洋学文献叢説 神田喜一郎 二玄社 1969
東洋学報総目録 第1巻~50巻 明治42年~昭和43年 東洋文庫 1969
芭蕉と杜甫 太田青丘 法政大学出版局 1969
黄土地帯 アンダーソン著 松崎寿和訳 学生社 1970
康熙帝伝 東洋文庫 ブーヴェ著 後藤末雄訳 平凡社 1970
小島祐馬政論雑筆 内田智雄編 みすず書房 1970
宋元明通俗小説選 中国古典文学大系25  枝松茂夫他訳 平凡社 1970
中国古代政治思想研究 「左伝」研究ノート 歴史学研究叢書 小倉芳彦 青木書店 1970
中国古代喪服の基礎的研究 谷田孝之 風間書房 1970
中国春夢譚 上田学而 日本文芸社 1970
中国の国家と法 東大社会科学研究叢書 針生誠吉 東京大学出版会 1970
中国の建築 竹島卓一 中央公論美術出版 1970
中国の笑話と小咄 武藤禎夫 東京堂出版 1970
民報索引 上・下 小野川秀美編 京都大学人文科学研究所 1970-1972
政治論集 中国文明選11  宮崎市定 朝日新聞社 1971
呉子 中国古典新書 呉起編 松井武男訳 明徳出版社 1971
儒教と道教 M・ウェーバー 木全徳雄訳 創文社 1971
続海濤集・帰去来 東洋文庫 郭沫若 平凡社 1971
大学・中庸・孟子 世界古典文学全集18  金谷治編 筑摩書房 1971 
中国関係図書目録 和文 1957-1970 近代中国研究会編 東洋文庫 1971
中国教育宝典 上・下 世界教育宝典 加藤常賢編 玉川大学出版部 1971
中国近代国民経済史 上・下 中国近代経済史研究会編訳 雄渾社 1971
中国承認への道 A・ドーク・バーネット 伊藤忠雄・佐藤紀久夫訳 時事通信社 1971
中国・東南アジア 世界の旅 新編1 座右宝刊行会・三友社編 小学館 1971
中国の工業企業管理 菅沼正久 アジア経済研究所 1971
中国の神話 筑摩教養選 貝塚茂樹 筑摩書房 1971
中国人の思想 野末陳平 陳文館 1971
中国文明選 朝日新聞社 1971
中国文明と官僚制 エチアヌ・バラーシュ 村松祐次訳 みすず書房 1971
范滂伝 書跡名品叢刊162  宋・黄山谷 二玄社 1971
明末清初政治評論集 中国古典文学大系57  後藤基巳、山井湧編訳 平凡社 1971
アジア新時代の国ぐに 揺れる経済・燃える社会 根岸富二郎編 毎日新聞社 1972
芥子園画伝国訳釋解 山本元 藝艸堂 1972
中国科学技術史論集 吉田光邦 日本放送出版協会 1972
中国古代における人間観の展開 板野長八 岩波書店 1972
戦火叢書55 昭和17・18年の支那派遣軍 朝雲新聞社 1972
中国の怪談 潮文社リヴ 中岡俊哉 潮文社 1972
中国の思想 現代教養文庫 村山吉広 社会思想社 1972
中国の故事名言 ツインブックス 駒田信二 ベストセラーズ 1972
中国の鉱物資源 海外資料34  金属鉱物探鉱促進事業団 1972
中国人の戦略 阿部幸夫 芸術生活社 1972
中国人の思考様式 小説の世界から 講談社現代新書 中野美代子 講談社 1972
東洋学文献類目 1970年度 京都大学人文科学研究所 1972
文心雕竜 中国古典新書 劉勰著 戸田浩暁訳注 明徳出版社 1972
明末清初の絵画 川原正二 時の美術社 1972
目で見る世界の旅19 中国 国際情報社 1972
王漁洋 漢詩大系23  青木正児他編 集英社 1973
画論 中国古典新書 古原宏伸 明徳出版社 1973
弘明集研究 上・中・下 牧田諦亮編 京都大学人文科学研究所 1973-75
国共合作 中公新書 波多野善夫 中央公論社 1973
支那学文薮 狩野直喜 みすず書房 1973
全釈漢文大系 全33巻 集英社 1973-1980
中華人民共和国出土文物展覧展品選集 北京・文物出版社 1973
中国象棋 入門と戦術 張秀爾 天元書房 1973
中国人の知恵 乱世に生きる 講談社現代新書 諸橋轍次 講談社 1973
中国に生きる 日中友好に半生を賭ける女の戦い 北崎可代 講談社 1973
中国の隠者 乱世と知識人 岩波新書 富士正晴 岩波書店 1973
中国のことわざ 福島寿英雄 東亜同学会 1973
中国の世界 オーエン・ラチモア 青木繁・江頭数馬編訳 毎日新聞社 1973
中国のふしぎな話 小学生の中国文学全集10  秋山洋子 学燈社 1973
東都事畧 和刻本正史別巻1 長沢規矩也解題 汲古書院 1973
明の赤絵 陶磁大系43 藤岡了一 平凡社 1973
草原の革命家たち モンゴル独立への道 中公新書 田中克彦 中央公論社 1973
漢唐壁画 外文出版社 1974
中国の科学と文明 全11巻 ジョゼフ・ニーダム著 藪内清ほか訳 思索社 1974~
中国文学史 吉川幸次郎述、黒川洋一編 岩波書店 1974
哲人列伝 日本・東洋篇 勝部真長 第一法規出版 1974
蔵蒙旅日記 寺本婉雅 芙蓉書房 1974
顔氏家訓彙注 周法高選注 京都・中文出版社 1975
北アジア史研究 匈奴篇 内田吟風 同朋舎 1975
三国志入門 立間祥介 日本文芸社 1975
私説聊斎志異 安岡章太郎 朝日新聞社 1975
人物中国志6 辺境編 漠北と南溟 藤本幸三著 毎日新聞社 1975 
中国農学書録 付 中国古農書考 王敏明著 天野元之助校訂 龍渓書舎 1975
正名と狂言 古代中国知識人の言語世界 大室幹雄 せりか書房 1975
中国美術紀行 宮川寅雄 講談社 1975
明末中国仏教の研究 特に智旭を中心に 張聖厳 山喜房仏書林 1975
アジア仏教史 中国篇2 中村元ほか編 佼成出版社 1976
印人伝集成 伏見冲敬編 汲古書院 1976
滑稽 古代中国の異人たち 大室幹男 評論社 1976
中国古代文様史 上下 渡辺素舟 雄山閣 1976
中国主要産業を規定する諸条件 日中経済協会 1976
中国の古代文学 1 神話から楚辞へ 白川静 中央公論社 1976
中国の古代文学 2 史記から陶淵明へ 白川静 中央公論社 1976
漠南書庫中国印譜解題 横田実 二玄社 1976
殷周古代史の再構成 貝塚茂樹著作集3 中央公論社 1977
殷周青銅器分類図録 2冊 陳夢家編 松丸道雄編 汲古書院 1977
古代漢字彙編 小林博編 木耳社 1977
儒教社会の女性たち(世界の女性史16) 岸辺成雄編 評論社 1977
征服王朝の時代 新書東洋史3 笠沙雅章 講談社 1977
中国朝鮮地名別称索引 東京国書刊行会 1977
中国の印刷術 東洋文庫315,316 カーター著 薮内清、石橋正子訳注 平凡社 1977
東洋哲学史 橋本芳契 明玄書房 1977
中国の祝事 都丸十九一、坂田友宏 明玄書房 1978
中国の俗諺 田中清一郎 白水社 1979
元代吏制研究 許凡 労働人事出版社 1984
中国人の日本人観100年史 小島晋治、伊東昭雄、光岡玄 自由国民社 1974
中国式のおかず 波多野須美編 主婦の友社 1975
中国哲学研究 楠本正継 国士舘大学附属図書館 1975
中国と第三世界 新井宝雄 大和出版販売 1975
中国の神話 白川静 中央公論社 1975
中国古代の伝承 貝塚茂樹著作集5 中央公論社 1976
中国詩文選 24冊 筑摩書房 1976
中国浄土教史研究 塚本善隆著作集4 大東出版社 1976
中国の建築と都市 アンドリュー・ボイド 田中淡訳 鹿島出版会 1976
中国の自然と社会 江口旻・玉井健三共著 文化書房博文社 1976
中国の鉱物資源 日本貿易振興会 1976
東洋学の創始者たち 吉川幸次郎編 講談社 1976
論集近代中国と日本 山根幸夫 山川出版社 1976
武内義雄全集 全10巻 角川書店 1977-79
中国古代の社会制度 貝塚茂樹著作集2 中央公論社 1977
中国古代の宗教と文化 殷王朝の祭礼 赤塚忠 角川書店 1977
中国古代の精神 貝塚茂樹著作集6 中央公論社 1977
中国古代の植物学の研究 水上静夫 角川書店 1977
中国古代文学論 詩経の文学性 鈴木修次 角川書店 1977
中国女性史 笠間選書 山川麗 笠間書院 1977
中国土地改革体験記 中公新書 秋山良照 中央公論社 1977
中国農業と大寨 渡辺信夫・川村嘉夫・森久男共編訳 龍渓書舎 1977
中国人の論理学 諸子百家から毛沢東まで 中公新書 加地伸行 中央公論社 1977
中国都城・渤海研究 駒井和愛 雄山閣出版 1977
中国の鉄鋼業 日中経済協会編 日中経済協会 1977
中国の孝道 講談社学術文庫 桑原隲蔵  講談社 1977
民本思想の物語 秋山叢書 田所義行 秋山書店 1977
五代会要 王溥纂 上海古籍 1978
詩的把握 陳正祥 香港商務印書館 1978
秦漢的方士与儒生 顧頡剛 上海古籍出版社 1978
清末上海租界社会 呉圳義 文史哲出版社 1978
中国古代絹織物史研究 下 佐藤武敏 風間書房 1978
中国古代の学術と政治 中国叢書 顧頡剛著 小倉芳彦ほか訳 大修館書店 1978
中国女性史 太平天国から現代まで 平凡社選書 小野和子 平凡社 1978
中国人の生活 文庫クセジュ ミシェル・ジャン 小川特明 白水社 1978
中国水墨画の精髄 芸術叢書 吉村貞二 美術公論社  1978
中国文学と日本文学 鈴木修次 東京書籍 1978
漢書律暦志の研究 能田忠亮・薮内清 臨川書店 1979
現代化中国の旅 社会学者訪中報告 福島直編 東京大学出版会 1979
康熙帝の手紙 中公新書 岡田英弘 中央公論社 1979
中国 世界の国ぐに20   佐藤弘一監修 ポプラ社 1979
中国近代化の幻視 日中関係の新たな視覚 長谷川慶太郎著 ダイヤモンド社 1979
中国古代籍帳研究 概観・録文 池田温 東京大学出版会 1979
中国古代農民反乱の研究 木村正雄 東京大学出版会 1979
中国式・目の体操 本多伝 立風書房 1979
中国宗教における受容・変容・行容 道教を軸として 窪徳忠 山川出版社 1979
中国上代説話の研究 若水俊 JCA出版 1979
中国トロッキスト回想録 中国革命と再発掘 アジア叢書 王凡西著 矢吹晋訳 柘植書房 1979
中国人の生活風景 東方選書 内山完造 東方書店 1979
中国人の発想 岡本隆三 徳間書店 1979
中国人の発想80の知恵 守屋洋 日本文芸社 1979
東洋学論集内容総覧 国書刊行会 1979
明末宗教思想の研究 管東溟の生涯とその思想 荒木見悟 創文社 1979
孟子研究 猪口篤志 笠間書院 1979
王漁洋詩論之研究 黄景進著 台北 古史哲出版社 1980
音容日に遠し 吉川幸次郎 筑摩書房 1980
科挙の話 試験制度と文人官僚 講談社現代新書 村上哲見 講談社 1980
現代化への意欲 西南中国を訪ねて 第四次訪中団 全国農協職員連盟 1980 
元刊雑劇三十種新校 2冊 徐沁君校 中華書局 1980
中国学入門 田所義行 秋山書店 1980
中国古代書籍史 竹帛に書す 銭存訓著 沢谷昭次、宇津木章ほか訳 法政大学出版局 1980
呉子・尉繚子の兵法 守屋洋 産業能率大学出版部 1980
中国古代の民俗 講談社学術文庫 白川静 講談社 1980
中国「人民公社」実態調査ノート 佐藤慎一郎 大湊 1980
中国とソ連 中西治 日本工業社 1980
中国の構図 現代と歴史 吉田光邦 駸々堂 1980
中国の自然と民俗 田中克己 研文出版 1980
現代中国 政治大系の比較分析 ジェームズ・R・タウンゼント 小島朋之訳 慶応通信 1980
中国浄土教史の研究 道端詩良秀 法蔵館 1980
中国人の街づくり 相模選書 郭中端・堀込憲二著 相模書房 1980
中国人物史100話 林 亮 立風書房 1980
中国の布教と迫害 イエズス会士書簡集 東洋文庫 矢沢利彦編訳 平凡社 1980
中国石窟シリーズ 全17巻 平凡社 1980~1990
中国歴史地名大辞典 劉鈞仁著 凌雲書房 1980
東洋学関係目録集第1 川越泰博 国書刊行会 1979
東洋学著作目録類総覧 川越泰博 沖積舎 1980
霧社事件 台湾高砂族の蜂起 中川浩一・和歌森民男編著 三省堂 1980
アジアを知るために 鶴見良行 筑摩書房 1981
永楽宮壁画 中国外文出版社編 美乃美 1981
王船山詩文集 修羅の夢 東洋文庫393 王船山 高田淳編訳 平凡社 1981
簡論李白与杜甫 燕白 四川人民出版社 1981
鬼神と人間の中国 新潮古代美術館10 樋口隆康、陳舜臣、繭山康彦 新潮社 1981
京都大学人文科学研究所漢籍目録 同朋舎 1981
古典の叡知 学術文庫 諸橋轍次 講談社 1981
三国志の英雄群像 松本一男 徳間書店 1981
宰相型人間の研究 守屋洋 PHP研究所 1981
周漢遺宝 帝室博物館編 国書刊行会 1981
中国古代宗教史研究 制度と思想 池田未利 東海大学出版会 1981
中華人民共和国主要法令集1 中国研究所 1981
中国古代文化の研究 加藤常賢 明徳出版社 1981
中国式性教育 厳仁英編 劉達坤訳 日中出版 1981
中国人の知恵ツボの本 張明澄 久保書店 1981
中国哲学史研究論集 荒木教授退休記念 葦書房 1981
中国鉄道の旅 1 北京ー烏魯木斉線 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 2 北京ー東南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 3 北京ー東北地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 4 北京ー中南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 5 北京ー西南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国の刻石 中西慶爾 木耳社 1981
先秦漢初の財政経済の経緯 原富男 春秋社 1981
先秦諸子百家争鳴時代考 原富男 三信図書 1981
台湾考古民族誌 考古民俗叢書18  国分直一 慶友社 1981
東洋学論叢 飯田利行博士古稀記念 国書刊行会 1981
焚書夜話 大類雅敏 栄光出版社 1981
夢渓筆談 東洋文庫 沈括 平凡社 1981
科学史からみた中国文明 NHKブックス 藪内清 日本放送協会 1982
顔氏家訓 中国古典新書 顔之推著 宇野精一 明徳出版社 1982
雁門集 薩都拉(さつとら)  中国古典文学叢書 上海古籍出版社 1982
胡蝶と荘周 続人生行路の賦 原富男 三信図書 1982
三国志の英雄たち 守屋洋ほか 新人物往来社 1982
大学・中庸・孟子 世界古典文学全集 金谷治編 筑摩書房 1982
中国近代化の史的展望 東亜文化叢書6 東亜文化研究所 霞山会 1982
中国古代説話の思想史的考察 小野沢精一 汲古書院 1982
中国古代的類書 胡道静 中華書局 1982
中国四季の花 中国カラー文庫8 美乃美 1982
中国の寺・日本の寺 東方選書10 鎌田茂雄 東方書店 1982
中国の建築 中国建築科学研究院 末房由美子訳 小学館 1982
中国歴史・文化地理図冊 陳正祥編著 梅村坦訳 原書房 1982
明の陶磁 デイジー・リオン・ゴールドシュミット著 駸々堂出版 1982
キジル石窟 中国石窟 全3巻 平凡社・中国文物出版社編 平凡社 1983-1985
諸葛孔明の世界 加地伸行編 新人物往来社 1983
中国人の機智 井波律子 中央公論社 1983
中国人の生活哲学 東方選書11 丁秀山 東方書店 1983
中国土壌 改良利用・性質・肥沃度・生成分類 中国科学院南京土壌研究所主編 川瀬金次郎・菅野一郎訳 博友社 1983
シンガポール華文小説選 上 東南アジアブックス 陳徳俊編 井村文化事業社 1983
中国古代の城 中国に古代城址を訪ねて 研文選書17  五井直弘 研文出版 1983
中国古代倫理学の発達 加藤常賢 二松学舎大学出版部 1983
中国傷寒論解説 劉渡舟、勝田正泰ほか訳 東洋学術出版社 1983
鉄砂拳(中国拳法・秘伝必殺) 竜清剛 日東書院 1983
科挙 中国の試験地獄 文庫 宮崎市定 中央公論社 1984
好太王碑の研究 王健群 雄渾社 1984
黄土地帯紀行 人類の起源を求めて 賀川光夫 六興出版 1984
古銅器形態の考古学的研究 梅原末治考古図録集13  同朋舎出版 1984
書概 書論集 劉熙戴 高畑常信訳 木耳社 1984
中国古代の商工業と専売制 影山剛 東京大学出版会 1984
中国社会への散歩 十億の隣人はいま 有斐閣選書 中野謙二 有斐閣 1984
中国の近代化と教育 世界新教育運動選書6 石川啓二他 明治図書出版 1984
中国人の宗教儀礼 仏教・道教・民間信仰 大淵忍爾 福武書店 1984
中国生活誌 黄土高原の衣食住 竹内実・羅漾明対談 大修館書店 1984
中国の国際環境と対外政策 中国問題研究所 1984
中国の宗教・思想と科学 牧尾良海博士頌寿記念論集 同刊行会編 国書刊行会 1984
中国古典詩聚花 3 詠史と詠物 市川桃子 尚学図書 1984
中国鉨印源流 補・近代人の篆刻 銭君匋・葉潞淵著 梅舒適訳編 木耳社 1984
中国女性解放の先駆者たち 中国女性史研究会編 日中出版 1984
讖緯思想の総合研究 安居香山編 国書刊行会 1984
中国農業地理 劉世錡著 農山漁村文化協会 1984
鄭義下碑 上・下 書道名蹟基本叢書 藤原楚水監修 三省堂 1984
芭蕉扇 中国歳時記風物記 澤田瑞穂 平河出版社 1984
明末清初 福本雅一 同朋舎 1984
遣唐使 唐代中日文化交流史略 姚嶂剣 陝西人民出版社 1984
中国古代度量衡図集 邱隆ほか編 山田慶児、浅原達郎訳 みすず書房 1985
中国古代のスポーツ 邵文良編著 ベースボール・マガジン社 1985
中国珍奇怪異物語 旺文社文庫 寺尾善雄 旺文社 1985
中国の石油産業 神原達ほか 幸書房 1985
中国の宗族と演劇 華南宗族社会における祭祀組織・儀礼および演劇の相関構造 田仲一成 東京大学出版会 1985
中国神話物語 袁珂著 大学書林 1985
唐伝奇入門 呉志達 赤井益久訳 日中出版 1985
明末農民反乱の研究 佐藤文俊 研文出版 1985
論集東アジアの食事文化 石毛直道編 平凡社 1985
崑崙の秘境探検記 中公新書821  周 正  中央公論社 1986
諸葛孔明の生涯 寺尾善雄 旺文社 1986
銭起詩索引 田部井文雄編 汲古書院 1986
中国五大石窟の旅 紀野一義 佼成出版社 1986
中国詩歌原論 比較詩学の主題に即して 松浦友久 大修館書店 1986
中国人の歴史意識 平凡社選書11 川勝義雄 平凡社 1986
中国聖賢のことば 講談社学術文庫 五十沢二郎 講談社 1986
中国説客列伝 徳間文庫 守屋洋 徳間書店 1986
中国の風水思想 J・J・M・デ・ホロート 第一書房 1986
中国美術史 小杉一雄 南雲堂 1986
纏足物語 岡本隆三 東方書店 1986
道教叢林太清宮志 五十嵐賢隆 国書刊行会 1986
道教研究のすすめ その現状と問題点を考える 秋月観暎編 平河出版社 1986
東洋学発掘 安岡正篤 明徳出版社 1986
満洲1945年 木島三千男編 地久館 1986
明末清初モンゴル法の研究 島田正郎 創文社 1986
羅振玉年譜 羅継祖輯述 羅昌霖校補 文史哲出版社 1986
両漢思想の研究 田中麻紗巳 研文出版 1986
歴代兵制浅説 王暁衛・劉昭祥 北京・解放軍出版社 1986
女たちのアジア 新書 松井やより 岩波書店 1987
近世日本漢文学史論考 水田紀久 汲古書院 1987
呉子 中国古典兵法書 呉起著 尾崎秀樹訳・解説 教育社 1987
黒旗軍 19世紀中国の農民反乱 陳白塵撰述 佐藤公彦訳 研文出版 1987
古代東アジアの装飾墓 町田章 同朋舎 1987
儒教史 世界宗教史叢書10 戸川芳郎・蜂屋邦夫・溝口雄三 山川出版社 1987
戦間期日本繊維産業海外進出史の研究 藤井光男 ミネルヴァ書房 1987
禅思想史研究 3 鈴木大拙 岩波書店 1987
中国通俗小説書目 大塚秀高編著 汲古書院 1987
中国の宗教と社会 M・フリードマン著 田村克己ほか訳 弘文堂 1987
道教思想史研究 福永光司 岩波書店 1987
道教と宗教文化 秋月観暎編 平河出版社 1987
道教聖典 小柳司気太訳  心交社 1987
道教と古代日本 福永光司 人文書院 1987
藤堂明保中国語学論集 汲古書院 187
中国式人相学入門 松本一男 PHP:研究所 1987
中国書蹟大観 全7巻 文物出版社 講談社 1987
中国人の酒落と諺 吉田隆 広報社 1987
中国・朝鮮地名異称辞典 国書刊行会 1987
中国鉄道の旅 エリアガイドブック114  南正時 昭文社 1987
中国都城の起源と発展 楊寛 学生社 1987
中国とたたかったチベット人 チベット叢書 ジャムヤン・ノルブ編著 日中出版 1987
中国の朝鮮族  延辺朝鮮族自治州概況 大村益夫訳 むくげの会 1987
麦積山石窟 中国石窟シリーズ 平凡社 1987
木簡手帖 呉恵霖 木耳社 1987
論集中国社会・制度・文化史の諸問題 中国書店 1987
アジアその多様なる世界 第2回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 朝日出版社 1988
ガラスの道 中公文庫 由水常雄 中央公論社  1988
漢書食貨・地理・溝洫志 東洋文庫488  班固著 永田英正・梅原郁訳注 平凡社 1988
近世日本と東アジア 荒野泰典 東京大学出版会 1988
古代中国 驚異の知恵と技術 佐藤鉄章 徳間書店 1988
「三国志」に学ぶ興亡の原理 守屋洋 パンリサーチインスティテュート 1988
周易 古代中国的世界図式 鳥恩溥著 吉林文史出版社 1988
周原与周文化 陳全方 上海人民出版社 1985
中国漢詩心の旅 全5巻 田川純三著 世界文化社 1988-1990
中国近代思想史 張錫勤編 黒龍江人民出版社 1988
中国古代養生思想の総合的研究 坂出祥伸編 平河出版社 1988
中国人のトポス 洞窟・風水・壺中天 平凡社選書 三浦国雄 平凡社 1988
中国生活事典 白馬出版 1988
中国朝鮮族の教育文化史 李埰畛 鎌田光澄訳 コリア評論社 1988
中国の隠遁思想 中公新書 陶淵明の心の軌跡 小尾郊一著 中央公論社 1988
中国の哲学・宗教・芸術 福永光司 人文書院 1988
中国の工業化と産業技術進歩 研究双書373 丸山伸郎 アジア経済研究所 1988
中国の年中行事 平凡社選書 中村喬 平凡社 1988
道教典籍目録・索引 大淵忍爾・石井昌子編 国書刊行会 1988
霧社緋桜の狂い咲き 虐殺事件生き残りの証言 ピホワリス著 加藤実編訳 教文館 1988
木簡小字典 佐野光一編 雄山閣 1988
巌窟蔵鏡 梁上椿著 田中琢・岡村秀典訳 同朋舎  1989
黄晢暎 武器の影 上・下 高崎宗司ほか訳 岩波書店 1989
故土 蘇叔陽 馬場与志子訳 中国書店 1989
古陶文彙編 高明編 東方書店 1989
商君書索引 鈴木一郎編 風間書房 1989
仙界とポルノグラフィー 中野美代子 青土社 1989
中国近代女子教育史 1865~1945  盧燕貞 文史哲出版社 1989
中国近代化の政治経済学 岡部達味 PHP研究所 1989
中国古代の祭礼と歌謡 東洋文庫500  マーセル・グラネ著 内田智雄訳 平凡社 1989
中国古代の諸民族 李家正文 木耳社 1989
中国人の本音 孔健 大陸書房 1989
中国人のはらわた 蓮根藤 はまの出版 1989
中国石窟雲崗石窟1 雲崗石窟文物保管所 平凡社 1989
中国図書の歴史 庄威著 吉村善太郎訳 京都・臨川書店 1989
中国とソ連 岩波新書 毛里和子 岩波書店 1989
中国の工芸 出光美術館蔵品図録 出光美術館編 平凡社 1989
中国の思想的危機 研文選書44  林毓生著 丸山松幸・陳正醍訳 研文出版 1989
中国の食文化 周達生 創元社 1989
中国犯科帳 波野徹編訳 平河出版社 1989
中国文化のルーツ 上下 郭伯南ほか著 東京美術 1989
中国歴代詩歌選集 福田稔編注 丘書房 1989
木簡の書 宇野雪村著 大庭脩解説 同朋舎 1989
やきもののシルクロード 加藤卓男 中日新聞本社 1989
やきもの文化史 景徳鎮から海のシルクロード 岩波新書 三杉隆敏 岩波書店 1989
読み切り三国志 井波律子 筑摩書房 1989
論集東北アジアの考古学 東北アジア考古学研究会 六興出版 1989
顔氏家訓2 東洋文庫 顔之推著 宇都宮清吉訳注 平凡社 1990
元典章 海王邨古籍叢刊 中国書店 1990
古典文字字典 師村妙石編 東方書店 1990
三国志の英傑 講談社現代新書1030  竹田晃 講談社 1990
中国 民主化運動の歴史 姫田光義著 青木書店 1990
中国古代農業博物誌考 胡道静著 渡部武訳 農山漁村文化協会 1990
中国次の10年 宮崎正弘 天山出版 1990
中国人の知恵 ワニ文庫 松本一男 ベストセラーズ 1990
中国政経用語辞典 愛知大学国際問題研究所編 大修館書店 1990
中国知識人の精神史 上下 フマニタス選書 李羨林 北樹出版 1990
中国と世界経済 上野秀夫 中央経済社 1990
続 中国の年中行事 平凡社選書 中村喬 平凡社 1990
新楽府・秦中吟の研究 近藤春雄 明治書院 1990
馬占山将軍 東洋のナポレオン 立花丈平 徳間書店 1990
夜鳴く鳥 古代中国の医学・呪術・伝説 山田慶児 岩波書店 1990
漢書列伝 中国古典新書続編15  高木友之助・片山兵衛訳注 明徳出版社 1991
映画で語る中国・台湾・香港 戸張東夫著 丸善ライブラリー 1991
元曲釈詞 全4冊 顧学頡・王学奇編著 中国社会科学出版社 1991
香妃考證研究 姜龍昭 1991
儒教思想と教育 鍾清漢 成文堂 1991
中国化学史話 上・下 ポピュラー・サイエンス 曹元宇 裳華房 1991
中国古代の占法 技術と呪術の周辺 坂出祥伸 研文出版 1991
中国女性 家・仕事・性 秋山洋子編訳 東方書店 1991
中国書道の基礎的研究 塚田康信著 東方書店 1991
中国新蚕農書考 「蚕務条陳」と「農学報」 池田憲司 自家本 1991
中国神話の文化人類学的研究 池田末利編 鉄井廣紀著 平河出版社 1991
中国の千年王国 三石善吉 東京大学出版会 1991
中国古代の生活史 林己奈夫 吉川弘文館 1992
中国哲学 講談社学術文庫 宇野哲人 講談社 1992
中国婚姻史 新・中国文化史叢書15  蘇冰 文津出版社 1994
中国古代文化精要 劉洪仁 巴蜀書社 2003
秦漢儒教の研究 齋木哲郎 汲古書院 2004
建安七子集 中国古典文学基本叢書 兪紹初輯校 中華書局 2005
皇朝編年綱目備要 陳均編 中華書局 2006

ローマ劫掠によってルネサンスは滅んだ

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   1527年5月6日、ドイツのカール5世がローマに侵入。殺戮、破壊、強奪などを行う「ローマ劫掠」といわれるものである。1万5000人のドイツ傭兵を中心とする神聖ローマ皇帝軍が、暴徒と化して城壁を乗り越えてローマに侵入した。教皇クレメンス7世はサンタンジェロ城に避難したものの、バチカンの礼拝堂は馬屋に使われ、ラファエロの作品の上に落書をした。10日間にわたるローマの略奪により、文化財は破壊し尽くされ、ルネサンスの一大中心地としてのローマの時代は終わりをつげた。

2017年5月 5日 (金)

五月のバラ

Photo_2  バラの季節となった。伊丹市荒牧バラ公園には世界のバラ約250種1万本が咲いている。「五月のハラ」という曲を聴き比べ。塚田三喜夫、尾崎紀世彦、布施明、松崎しげる、舟木一夫、鹿内孝、秋川雅史、岩出和也など。この曲のオリジナルは、「思い出のバラ」という題名でフランツ・フリーデル(津川晃)が1969年に創唱した。その後、ブレンダ・リーがカバーして広く知られるようになった。

エッフェル塔とモーパッサン

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  1889年5月5日、パリのエッフェル塔が公開された。フランス政府はフランス革命100周年にあたるこの年に開催するパリ万博の目玉にエッフェル塔の建設を決定した。ところが作家、詩人など約50人が、「パリに鉄塔を建てるとはパリの名誉を汚すものだ」と大変な剣幕で連名の陳情書が出された。陳情書には作家のアレクサンドル・デュマ・フィス、ギ・ド・モーパッサン、ジョリス・カルル・ユイスマンス、作曲家のシャルル・グノー、画家のエルネスト・メイソニエ、詩人のフランソワ・コペー、シュリー・プリュードムらが名を連ねていた。とくにモーパッサンのエッフェル塔嫌いは有名で、「工場の煙突のように滑稽でうすっぺらな生まれぞこないの横顔をみせる、巨大で不格好な骸骨」と罵った。1889年3月31日、エッフェル塔は完成した。

   ところが1889年5月6日、エッフェル塔が公開されると大評判となり、とくにレストランは美味しい料理と上等のワインで大賑わいであった。あるとき新聞記者がエッフェル塔に取材に行くと、なんと反対運動をしたモーパッサンがレストランにいた。それを見た記者は「あんなに反対したのに、やっぱり出来てみればあなたもこの塔が気に入ったのですね」と話しかけた。ところが流石はモーパッサン。落ち着きはらって「ここがパリでエッフェル塔が見えない唯一の場所だからね」と平然と答えたという。

Maupassant  

( keywod;Alexander Gustave Eiffel,Maupasant,Alexandre Dumas,Jons Karl Huismans,Charles Fracois Gounod,Jean Louis Ernest Meissonier,Francois Coppee,Sully Prudhomme )

シンコ・デ・マヨ

Cincodemayo

    メキシコ・スペインの祝日。対仏戦勝記念日。1862年のこの日、イグナシオ・サラゴザ将軍が率いるメキシコ軍がプエブラの会戦でフランス軍に勝利した。しかし翌年フランスはメキシコを占領しマクシミリアン1世がメキシコ皇帝に就いた。マクシミリアンは人望もなく、4年後の1867年、処刑された。シンコ・デ・マヨ Cinco de Mayoとはスペイン語で「5月5日」の意味。(5月5日)

2017年5月 4日 (木)

世界発明・発見の歴史年表

Ff2a5484    快適な生活を享受している現代人も、元々は先人が発明したものばかりで暮らしている。人類最初の道具は「棒切れ」と言われる。 ただし棒は腐って遺物としては残ることはない。アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、猿人が使っていたと思われるハンマーのような道具が人類史上最古と見られる。

紀元前5000頃 メソポタミア南部シュメールで主要な農耕技術が発達し、定住が進んで都市が生まれる
前3700頃 エジプト、メソポタミアにて銅器使用
前3200頃 シュメールにて文字が生まれる
前3000頃 エジプトにて運搬用に動物力の利用始まる
前2800頃 エジプト、中国にて青銅器の使用
前2500頃 エジプトにてパピルス使用、メソポタミアにてガラス製品つくられる
前1400頃 インド、小アジアにて鉄器の使用
前600頃 ペルシアにて風車が利用される
前300頃 ローマにてコンクリートとセメントの技術が生まれる
前250頃 クテスィビオス、アレキサンドリアにて水時計を作製
前102頃 ヘロン、気力球を発明

後105頃 蔡倫、製紙術を発明
132年 張衡、地震計を発明
673年 アラビア人とのコンスタンティノープル攻防戦にて、ビザンツ人が「ギリシア火」を発明  砂時計は8世紀頃、フランスのリウトプランドが発明した。

1202年、イタリアの数学者フィボナッチが「算術の書」で「0」を紹介。

1206年、アラブ人の博学者アル・ジャザリー、クランクシャフトとカムシャフト、吸い上げポンプを考案

14世紀
1302年、イタリアのジャオ、航海用コンパスを製作

16世紀
1500年カブラル、ブラジルを発見。1531年コペルニクス、地動説を発表。鉛筆は1565年、コンラート・ゲスナーが自家製鉛筆を使用していた。1572年ヘルモント、二酸化炭素を発見。1582年ローマ教皇グレゴリウス13世、暦法改正。1589年ガリレイ、落体の法則を発見。1590年ヤンセン、顕微鏡を発明。1599年オランダのシモン・ステファンが風力で走る帆走車を発明。

17世紀
1605年、ストラスブールでヨハン・カロルスは新聞を創刊した。1608年、オランダの眼鏡技師ハンス・リッペルスハイが望遠鏡を発明。1610年ガリレオは木星を回る4つの衛星を観察。1612年医師サントリーオ・サントリーオが体温計を考案した。1628年ハーべイ、血液循環の原理を発見。1643年トリチェリー、真空を発見。1650年ヴァレニウス、初めて黒潮について記す。1655年ホイへンスが土星の衛星タイタンを発見。1656年クリスチャン・ホイヘンスが振り子時計を発明。1669年ニュートン、微積分法の発明。1673年レーウェンフック、赤血球を発見。1678年ホイヘンス、光の波動説。1687年ニュートンが万有引力を発見。

18世紀
1705年ハレーがハレー彗星の周期を発見。ピアノはイタリア人のバルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコが1709年に発明。1735年リンネが動植物の分類法を発表。1743年カートライトが力織機を発明。1750年フランクリン、避雷針の発明。1757年キャンブベルが六分儀を発明。1776年、アメリカのディヴィッド・ブッシュネルが最初の潜水艦を考案し、タートル号を建造。アメリカ独立戦争でイギリス軍艦イーグル号を攻撃したが、成功しなかった。1779年クロンプトンが紡織機「ミュール機」を発明。

19世紀
1803年イギリスのトレヴィシックが蒸気車を発明。1808年イギリスのデービーがアーク灯を発明。1810年ドイツの靴職人バルタザール・クレムスがミシンを発明。1810年イギリスのピーター・デュランドが缶詰を発明。1812年、ドイツのフリードリッヒ・モースが「モースの硬度計」を考案。1814年イギリスのスティーヴンソンが蒸気機関車を製作。1817年、ドイツのカール・フォン・ドライスによって木製の人力二輪車ドライジーネ(自転車の原型)が製作された。1821年イギリスのヘンリー・ベルが蒸気船「アーロン・マンビー号」を作製。1821年ドイツのブッシュマンがAURA(オーラ)というハーモニカの原型を試作した。1829年フランスの縫製職人バルテミー・ティモニエがミシンを発明。1835年、電灯の実験が、ジェームズ・ボウマン・リンゼイにより成功。1839年アメリカのチャールズ・グッドイヤーがエボナイトを発明。1843年フランスのルシアン・バイディがアネロイド気圧計を発明。1846年ヨハン・ガレが海王星を発見。1855年ヘンリー・ベッセマー、鋼鉄の大量生産始まる(特許)。1858年ハイマン・リップマンが消しゴムつき鉛筆の特許を取得。1860年トーマス・アダムスがチューインガムを発明。1865年メンデルが遺伝の法則を発見。1867年ノーベル、ダイナマイトを発明。1868年アイヴス・マガフィーが真空掃除機を発明。1870年ジョン・ウェズリー・ハイアットがセルロイドを発明。1873年ショールズがタイプライターを発明。1878年デーヴィッド・ヒューズはマイクロフォンを発明した。1876年ジェン・ジェームズ・立夏ード・マクラウドはインスリンを発見。1877年エジソンが蓄音器を発明。1869年スイスのフリードリッヒ・ミーシャ―が膿のリンパ球から核酸を発見。1878年ジョゼフ・スワンはエジソンより1年早く、白熱電球を発明。1881年アメリカのアルモン・グランガーが消火器を発明した。1885年カール・ベンツ、ガソリンエンジンで走る三輪自動車を作製。1886年ジョン・ペンバートンはコカ・コーラを発明。電池はアレッサンドロ・ボルタがボルタの電堆を発明し、乾電池はカール・ガスナーが1887年に発明した。懐中電灯はコンラッド・ヒューバードが1899年に商品化した。1890年、北里柴三郎とエミール・ベーリングが破傷風とジフテリアの血清療法を発見。

20世紀
   1901年、ジレットは安全剃刀を発明。1902年、マリー・キュリー夫妻、ラジウム抽出。ウィリス・キャリアはエアコンの理論を樹立。1903年、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功。1904年、アメリカのルーベルが紙へのオフセット印刷機を発明。1909年レオ・ベークランドが合成樹脂ベークライトの工業化に成功。1911年、ビンガムはマチュピチュ発見。1915年、早川徳次はシャープペンシルを発明。1920年DNA、RNAを発見。1920年アメリカでラジオ放送開始される。1921年カナダの整形外科医フレデリック・バンティングと医学生チャールズ・ベストが研究室でインスリンの抽出に成功した。1923年、スペインのファン・デ・ラ・シエルバがオートジャイロを発明。1924年、レイモンド・ダートが南アフリカでアウストラロピテクスの化石を発見。1924年、米キンバリー・クラーク社からクリネックス・ティシュー発売される。1925年、イギリスのジョン・ロージー・ベアードがテレビ実験に成功。1926年、アメリカのロバート・ハッチンス・ゴダードが世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功。1926年、石井茂吉は写真植字機を発明。1928年、イギリスのフレミングがアオカビからペニシリンを発見。1932年、T型フォードの発売。1935年カローザース、ナイロンを発明。1938年、蛍光灯、アメリカで実用化。1942年アメリカのフェルミらがシカゴ大学で原子炉の核実験に成功。1943年ハンガリーでボールペンを開発。1946年、アメリカで世界初のコンピュータである電子計算機ENIAC(エニアック)が発明される。1948年、インスタントカメラ「ポラロイド・ランド・カメラ」を発売。1948年、米ベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンがトランジスターを発明。1949年バーナード・シルバーとノーマン・ジョセフ・ウッドランドがバーコードを発明。1949年アメリカのビクターが45回転レコード(ドーナツ盤)を開発。1952年、アメリカのダウケミカル社がサランラップを販売。1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見。1957年、樫尾製作所が電卓の元祖ともいわれる計算機を開発した(価格48万5000円)。1959年、リーキー夫妻がタンザニアのオルドヴァイ渓谷でジンジャントロプス・ボイセイ(アウストラロピテクス・ロブストゥス)を発見。1963年カセットテープ、オランダで開発。1964年、ピーター・ヒッグス、フランソワ・アングレールがヒッグス粒子を発見。1968年、大塚食品がレトルトカレー「ボンカレー」を発売。1968年、ダグラス・エンゲルバートがコンピュータのマウスを発明する。1971年、レイ・トムリンソンが電子メールを発明。1978年、日本語ワープロ東芝JW-10(価格630万円)を発売。1981年スペースシャルト・コロンビア号が時速2675kmを記録。1990年、初のWorld Wide Webのシステムが稼働。

21世紀
2001年、世界中で無料オンライン百科事典「ウィキペディア」が公開される。
2005年、動画投稿サイトはじまる。
2006年、ツィッターの一番最初の「つぶやき」。

参考資料
世界の発明発見歴史百科 テリー・プレヴァートン著 原書房 2015年

名刺のルーツ

Garamontdebernyetpeignotdsc4444    本日は「名刺の日」。May(メイ)と四(し)で「めいし」の語呂合わせ。日本のサラリーマンが必ず持っているもので、欧米ではあまり見られないものに名刺がある。だが世界で最初に名刺が使われたのはヨーロッパで、16世紀のドイツが起源といわれている。当時、人を訪ねていって不在だった場合、自分の名前を書いたカードを残していったのが名刺の始まり。その後18世紀、名刺はヨーロッパ社交界で盛んになる。この頃の名刺は銅版画を入れた美しいものが流行った。

Img_news    官僚制度が古くから発達した中国では名刺の起源は、少なくとも秦の末期に遡ることができる。漢代には「刺」「謁」と言い、謁見を求める者の姓名と身分を札に記して、取り次ぎを要請するのに使われた。三国、唐と「名謁」「名刺」と呼ばれ、宋代以降「名帖」「名紙」「拝帖」などの呼称がある。近年、古い名刺が墓から出土している。1984年に呉の武将、朱然(182-248)の名刺が発見された。「丹陽朱然再拝 問起居 字義封」と墨書してあり、木簡の長さは24.8㎝、幅3.4㎝。(参考:「漢晋時期における名謁・名刺」呂静香、程博麗、東洋文化研究所紀要160、「人間関係のはじまり」貝塚茂樹 1971、5月4日)

2017年5月 3日 (水)

GWのテレビ放送の映画

  プレミアムシネマ「のんちゃんのり弁」小顔の美人小西真奈美、近頃見ないなあ~「バックドラスト」シカゴの消防士。大阪UFJのアトラクション。「エネミー・オブ・アメリカ」「グラディエーター」「鳥」女優ティッピ・ヘドレンはヒッチコックから性的暴力および脅迫を受けたことを自伝で記している。「ヒッチコックのファミリー・プロット」時代劇チャンネル放送の小林正樹「切腹」よかった。イタリア映画「ローマ発、しあわせ行き」(2015)あのクラウディア・カルディナ―レが老婆役とは・・・。

人名探求「足助(あすけ)」

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   三河国足助荘の武士、足助重範が笠置山陥落後捕えられ、5月3日、京都で処刑された。かつて、三河湾からの塩や海産物を信州へ運ぶ塩の道として栄えた足助(あすけ)宿。2005年に愛知県豊田市に編入。香嵐渓の紅葉が有名。足助という苗字の人が全国におよそ1200人いるが、祖先は三河の足助荘から起こったらしい。三河国賀茂郡足助荘で、清和源氏浦野氏の一族で、鎮西八郎為朝の婿となった足助冠者重秀を始祖とし、「重」を通り字としており、次郎重範は、後醍醐天皇の召しに応じた剛勇の武士で、笠置山の敗戦で北条方に捕らえられ、長子重政とともに六条河原で斬首された。戦国期には足助城があった。大正には出版社・叢文閣を創業した足助素一(1878-1930)がいる。

2017年5月 2日 (火)

「鬱鬱」って何画?

   檸檬、薔薇、瑠璃、麒麟など、読めるけど書けない漢字二字の熟語が好き。靉靆(あいたい)、鸞鏡(らんきょう)、龍龕(りゅうがん)、蘭麝(らんじゃ)、燦燦(さんさん)。鬱鬱は58画。

画数の最も多い駅名「驫」

E0162117_13265926  東日本旅客鉄道五能線の駅に「驫木(とどろき)」(青森県西津軽郡深浦町)がある。無人駅で駅舎は木造で待合室のみ。日本海に面し、時化の時には波がかぶることもある。「驫」は日本の駅名に使用されている漢字の中で最も画数が多い(30画)。由来は、波の音・瀬の音が響き、3頭の馬も驚いたから。映画「男はつらいよ奮闘編」では、さくら(倍賞千恵子)や太田花子(榊原るみ)が登場するシーンで駅舎やホームがつかわれている。NHK「美の壷 駅舎」で紹介された。

鉛筆の日

Img_938382_13450244_2    1886年のこの日、真崎仁六(1848-1925)が東京四谷で鉛筆工場を創設、国産鉛筆の製造を始めた。その頃の鉛筆は「はさみ鉛筆」といわれるもので、芯を溝にはさんだようなものだった。

鉛筆の「H」「B」は何を意味するのか。「H」はハードの略で、硬い芯を表わす。Hから9Hまであって、数字が大きくなるほど硬い。

Bはブラックの略で、柔らかい芯を表わす。Bから8Bまであって数字が大きくなるほど濃い黒色となる。

 英語でペンスル(pencil)、フランス語でル・クレイヨン(le crayon)、ドイツ語でデア・ブライシュティフト(der Bleistift),イタリア語でラ・ファティータ(la matita)、スペイン語でエル・ラピス(el lapiz)、スウェーデン語でブリーェチュぺンナ(blyertspenna)、ロシア語でカランダ―シ。5月2日

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 (参考:畑中忠雄「科学・今日は何の日」2002)

2017年5月 1日 (月)

お風呂誕生のルーツは?

Roman_baths_bath 「世界ルーツ探検隊」初回のテーマはお風呂。ポンペイ遺跡の風呂跡を紹介して、ローマ時代のお風呂の起源を探る。お風呂の起源は歴史の闇の中に没しているが、自然に湧出する源泉を利用して傷病を癒すことは洋の東西を問わず、また人間と動物の区別なく行われてきた。温泉は紀元前3000年ないし4000年紀にはエジプトで利用されてきた。番組では紀元前400 年ころコス島のアスクレピオン遺跡(病院跡)からはヒポクラテスがお湯を使って体を温め血行をよくし、ある病気を治すために温泉治療を考案し世界最初のお風呂と結論づけている。余談ながら英語で風呂(Bath)はイギリス南西部の町バースに由来する。紀元前1世紀にローマ人によって建てられたローマン・バスは、アルプス以北で最も保存状態のよいローマ遺跡といわれている。18世紀にはバースは上流階級がリゾート地として発展した。女流作家ジェーン・オースティンもこの町に5年間滞在している。(The Roman Baths)

謎のナゾーニ

Nasone   ヨーロッパの都市はだいたい水に恵まれたところは少ない。 ローマの街角にはナゾーニと呼ばれる変なものがたくさんある。とくに暑いことで知られるローマにはトレヴィの泉やナヴォナ広場など大きな噴水があるが、近代的な都市水道が整備されたころから、1874年からナゾーニと呼ばれた小さな水飲み場が数多く設置された。ナーゾ(naso)はイタリア語で鼻。それが大きいものを表わすoneがさらに複数形になってナゾーニ(nasoni)。独特な飲み方があり、指先で水を跳ね上げるようにして飲んでいる。

 パリでは1867年の万国博覧会以後、鋳鉄製の公共給水泉が広場の一角に多数設置された。これらヴァラス給水泉という。イギリス人の金融家リチャード・ウォーレスが1872年に寄贈したことにちなむ。(fontaines Wallace)

Fontaine_wallace
  パリのヴァラス給水泉

「ほうれい線」なぜ広辞苑にないのか?

Photo 広辞苑は1955年刊行以来、わが国の代表的な国語辞典としての地位を確立している。司法の世界では広辞苑が日本での常識レベルという認識がなされているとか。つまり、広辞苑に載っているか、載っていないかは言葉の標準常識の目安となる。だが言葉はつねに使われなくなったり、新しい言葉がつくられる。基本は国語辞典なので難しい漢語はない。「貂璫(ちょうとう)」とは宦官の意味だが収録されていない。不要なモノを捨てる「断捨離(だんしゃり)」は2010年ころの新語であるが、定着しつつある言葉である。おそらく次の改訂には追加されるかもしれない。「巨乳」など下品な言葉などは載っていない。正しき日本語に基づき、悪しき日本語は載せないというような暗黙の基準があるようだ。しかし「ラブラブ」(男女の仲が非常によいこと)という珍語は載っている。「ほうれい線」とは人の鼻の両脇から唇の両端に伸びる2本の皺(しわ)のこと。美容などで女性の間では一般的に使われているが、なぜか「広辞苑」にはのっていない。漢字の表記には「豊麗線」「豊齢線」「法令線」「頬齢線」とさまざま。語源は中国の面相学における「法令紋」に由来し、すべて当て字。広辞苑編集部で議論の末に見送られたと考えられるが、理由は明らかではない。

57137sa   「カイロノミー」指揮者が指揮棒を使わずに、手の動きによって指揮すること。「ドン引き」誰かの言動によって場の雰囲気が悪くなったりすること。よく使われるが、広辞苑にはない。「激辛グルメ」など日常よく見かける言葉「激辛(けぎから)」とか、電子レンジで加熱することを「チンする」というが、調査では9割以上の人が使っているにもかかわらず、広辞苑を引いても出ていない。視力検査で片目を覆う際に用いる遮眼子(しゃがんし)もない。遮眼灯(強盗提灯の別称)はのっている。

「劣化」は広辞苑には「品質が低下すること」と説明している。しかし最近では「老けた」という意味で使用されることが多くみうけられる。足の裏、親指の付け根のふくらんだ部分を拇指球という。

Imgp0318   「広辞苑」にも収録されない言葉は他にも多数ある。たとえば、「エンガチョ」は不浄のものを防ぐために囃子たてる子供による口遊びのひとつである。地方や時代によってその呼び名は異なり、関東ではエンガチョ、関西ではビビンチョである。なぜか岩波書店の「広辞苑」にはのっていない。「マタハラ」マタニティー・ハラスメントの略で、働く女性が妊娠・出産をきっかけに職場で嫌がらせや解雇など不当な扱いを受けた李すること。広辞苑にはマタニティー・ブルーはあるが、マタニティー・ハラスメントは掲載なし。「ワンオペ」とは、アルバイトなどシフトに1人で入ること。ワン・オペレーションの略。「納本制度」とは国立国会図書館が国内出版物の収集を図るため、法律により図書館に本を収めることを義務づけたもの。「キャレル(carrel)」は図書館の書庫に設けた個人用閲覧席。「ワラス線」いまではウォーレス線(掲載あり)といわれる。表記の違いで検索できないことがある。

   広辞苑にない言葉を集める。

アーバンゴルフ
アエピカメルス
味写
アットゥシ織
アトウォーター
アミタール面接法
アルティメット
安全拾得器
イケテる
イナバウアー
ウェルテル効果
英熟語
エンガチョ
大喜利
岡崎フラグメント
オブローク(仲間意識)
おもてなし
オレオレ詐欺
カイロノミー
家事ハラ
霞的(かすみまと)
滑舌(かつぜつ)
ガラケー
カルビナ(登山などで命綱をつなぐ器具)
カローリング
キハーダ(キューバの楽器)
キマロキ編成
きもい
キャノティエ(カンカン帽の別称)
キャバクラ
キャレル(個人用閲覧席)
Study20carrel 球電
久恋
逆玉
行徳のまな板
グラウンドホッグ・デー
クールビズ
グレムリン
クロンペン(オランダの木靴)
激辛(げきから)
ゲリラ豪雨
コールマン石
腰パン
コモン・マン
コルセーロ(海賊) Corsaire
細光峰(さいこうほう)
サプライズ
サブリース
サヴァン症候群
ジカ熱
視聴熱
遮眼子(しゃがんし)
捨欠伸(すてあくび)
スンプ法
仙台四郎
送寒衣(そうかんい)
卒婚
タギング(スプレーペンキの落書き)
ダバワラ
断捨離
チャコペン
チンコ坊主
手足口病
ツイッター
ツイート
中二病
通水カップ
ツンデレ
できちゃった婚
デルマーバ半島
統一球
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ
どっこい屋
飛び出し坊や
どや顔
ドローン
ドン引き
ナスカ地上絵
成田離婚
ネクラ
ねずみ鋳鉄
納本制度
ノーパン喫茶
のっこみ
ノマドワーキング
箱ひげ図
パラノーマル
パラパラ
ハリーポッター
バルシチナ(賦役労働)
ピアディーナ(イタリアの地方料理)
非降水エコー
ビートルズ
氷筍(ひょうじゅん)
フィーエルヤッペン
プロジェクション・マッピング
プロブレマティカ(未詳化石)
ヘタウマ
ヘタレ
ぺチュネグ人
ヘルヴェティア
変顔
ポイ(金魚すくいの紙のアミ)
ほうれい線
Boshikyu母指球(ぼしきゅう)
ホーボー
ボラート(係船柱)
マクンバ
マタハラ
マラニック
みたいな
目安針
模合(もあい)
萌え
野猿
ユンノリ
ラムスデン現象
ララヒッパリ
ランバダ
リカステ(植物)
ルリエール(製本)
レジェンド
ワラス線
ワンオペ
ワンコイン
ンナフカ祭り(宮古島の祭り)

現代社会と情報化

4e781b2ca4aaefce0486765a023e3b37   現代は情報の時代である。日本人のおよそ8割以上の人がインターネットやスマホを毎日1回以上、利用している。まさに高度情報社会である。これほど多くの人がテレビなどのように受け身で情報を得るのではなく、自ら必要な情報を求める時代になるとは誰が予測したであろうか。わたしは「情報化社会」とか「情報社会」とか言われ出したのはいつ頃から調べたくなった。情報が新たな行動を起こすための原動力となりうるものとして意識されるようになったのは、1950年代以降のことである。

NPLサーチで「情報社会」をキーワードにして検索すると、初期の文献がヒットする。

1967年 川添登「情報社会と思想の自立」 展望107

1968年 増田米二「情報社会入門:コンピュータは人間社会を変える」

1969年 林雄二郎「情報化社会:ハードな社会からソフトな社会へ」

 林雄二郎の著書は有名で「情報化社会」をわが国で最初に紹介したといわれる。しかし、それ以前からビジネスの世界では「情報収集」が企業の存立にとても重要との認識が広まっていた。それは1960年代の高度成長期であり、有田恭助の「情報の集め方」(カッパ・ビジネス、1964年)は梶山季之の産業スパイ物のブームを背景にベストセラーとなった。書き出しは「人間の一生は、情報収集の連続である。私たちは、この世に生を受けたときから、死に至るまでのあいだ、つねに、外部の情報を集め、それを分析して行動を決める、という仕事を行なっている」。著書は産業スパイが反社会的行為であり、いかに正々堂々と情報を収集するか、その意義を説いている。いまのような情報検索システムが普及する以前は、図書館の目録カードがこの役割を果たしていた。わたしは1970年代に図書館の整理業務にたずさわり、目録の編成に心血をそそいだ。しかし、書名目録、分類目録は機能したが、主題から検索できる件名目録は充分な成果をあげることができなかった。件名目録は日本図書館協会より刊行された基本件名標目表にある統制語によって構成される。つまり今のネット検索のように何でも思いつくワードで検索できるのではなく、限定されたワードしかヒットしない。利用者も件名目録の特性を十分に理解する人はなく、件名目録が十分に活用した図書館はほとんどなかった。現在このBSHが現場でどれくらい活用されているかしる由もないが、おそらく自然消滅のような状態になっていのだろう。しかし図書館における検索機能が何らかの形で現代の情報検索機能に反映されているものと思っている。

眼鏡の歴史

    メガネの発明者が誰であるか正確にはわからない。原理はアラビアの学者アルハーゼン(956-1038)やイギリスのロジャー・ベーコン(1214-1294)によって研究されたが、メガネを使っていたという記録はない。1021年にイブン・アル・ハイサムが出版した「光学の書」が12世紀にラテン語に翻訳されて、13世紀イタリアでメガネが発明されたとみられている。発明者は①フィレンツェの貴族サルヴィヌス・アルマタス②ピサのフラ・アレッサンドロ・ダ・スピナ③フィレンツェのアルマルト・デグリ・アルマティなど諸説ある。そのほか13世紀末のイタリアでメガネを使用したとする断片的な記録が多数残っている。その年代は1284年とされている。

Hugh_specs     メガネが描かれている最も古い絵画は、イタリアにあるサン・ニコロ修道院のトマソ・ダ・モデナ(1325-1379)という画家による、ある枢機卿の肖像画(1352年)である。ラファエロが描いた教皇レオ10世の手もとにも、レンズがひとつの拡大鏡のような形のメガネが描かれている。下の画像「レオ10世と2人の枢機卿の肖像」(1518~1519年)。

     最初のメガネは老眼鏡で、次いで近眼鏡ができる。レンズがふたつのメガネは、ふたつの虫メガネの柄の先を鋲でひとつに留めたようなものであったから、手で押さえたままでいるか、バランスよく鼻の上にのせておくかであり、長時間着用するのは困難であった。メガネの素材は最初、水晶や緑柱石のような鉱物が使われていたが、そして後にガラスが使われるようになっていく。ガラス工業が盛んであったヴェネチアは、14世紀になるとメガネの産地として知られるようになった。(Salino D'Armate,Tomaso da Modena)

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  レオ10世と2人の枢機卿の肖像 部分

  日本で眼鏡がつくられるようになったのは、1620年ころのこと。浜田弥兵衛という船乗りが、オランダの領地だった東南アジアの島から眼鏡のつくり方を学び、その技術を長崎の生島藤七という職人に伝えたという。ちなみに、眼鏡がずり落ちないようにするための、鼻あての部分を、初めて作ったのは日本人だといわれている。

予約が多い本ランキング

   ある図書館のホームページによると、予約の多い4位までは次の通り。

恩田陸「蜜蜂と遠雷」、村田沙耶香「コンビニ人間」、塩田武士「罪の声」、森絵都「みかづき」。「罪の声」はグリコ・森永事件を題材にしている。

なぜスター子役は大成しない!?

Img_0008 大林宣彦監督の「さびしんぼう」(1985)に魚屋の売り子で柿崎澄子がワン・シーン出演している。「透明ドリちゃん」(1977)で人気子役だったが、当時13歳、「さびしんぼう」では21歳と美しく成長していた。最近どうしているだろう。芸能界にはむかしから子役は大成しない、というジンクスがある。

Matusimatomoko     最近、加藤清史郎、芦田愛菜、鈴木福、谷花音,本田望結、鈴木梨央ら子役が活躍している。日本映画やテレビでもこれまで数多くの子役たちが登場し、楽しませてくれた。片山明彦、大泉晃、松島トモ子、二木てるみ、浜田光夫、市川好郎、太田博之、風間杜夫、江木俊夫、池田秀一、上原ゆかり、中山千夏、蔵忠芳、四方晴美、宮脇康之、金子吉延、雷門ケン坊、斎藤こず恵、小林綾子、間下このみ、安達祐実、大橋のぞみ、志田未来、宮崎あおい、井上真央、神木隆之介。子役から大スターになったのは、高峰秀子、美空ひばり、浅丘ルリ子、外国ではエリザベス・テーラー、ジュディー・ガーランド、ナタリー・ウッド、ジョディー・フォスター、ドルー・バリモアくらいで意外と少ない。クリステン・スチューワートも「パニック・ルーム」当時は12歳で子役がスタートだった。

2420   韓国ドラマ「太陽を抱く月」でヒロインのハン・ガインの少女時代を演じたキム・ユジョンに注目が集まる。2012MBC演技大賞を受賞した。髪を長くしてすっかり美しく成長している。新作「恋愛細胞」(2015)。

Kimyoojung123

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数字アラカルト

2012091100000649yom0001view    世の中、さまざまな数字があふれている。オリンピックでいちばん多く金メダルを獲得したのはアメリカの競泳選手マイケル・フェルプスで18個である。日本のノーベル賞受賞者は2017年現在で合計24人。

54     Jリーグ加盟クラブ数。

75     渦巻き状の蚊取り線香をまっすぐに伸ばしたとしたら、75cmくらいになる。

283    フィンランドのカイヤメスの身長は283cm

1125  ハイビジョンの走査線の数

1149  2016年に劇場公開された映画の本数

1492  阪神金本1492試合フル出場は世界記録

16666円   日経平均株価終値(4月28日)

2万1764人 日本の1年間の自殺者(2016年)

2万2877巻 明の永楽帝が編纂させた中国最大級の事典『永楽大典』(1403年)

129万428人 日本の1年間の死亡者(2015年)

216万5278人 生活保護受給者(2015年7月) 

1億5千万円 陸前高田の奇跡の一本松。保存費用に大金がかかる。

138億  宇宙が生まれたのは、今から138億年前のビックバンと呼ばれる爆発が起きたときだといわれている。

5月1日の朝

Photo_2    Mayはユリウス暦およびグレゴリー暦による、1年の第5番目の月。豊饒の女神マイアMaiaに結びつけたことによるのだろう。マイアはアトラスの娘たち7姉妹の最年長で、ゼウスとの間にヘルメスを生んだ。キーツにマイアをうたった優れた詩がある。「ヘルメスの母!いまもなお若々しいマイアよ!かつてベイアの岸で崇め謳われたように、あなたに歌を捧げようか?」 5月1日の朝を「May morning」という。

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