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2017年3月18日 (土)

本当は幸福な晩年だった小野小町

Ca320085211  日本の美女といえば小野小町だ。本日は平安時代の歌人、小野小町の忌日。いまでも評判の美人を「○○小町」と言ったり、「今小町」「小町娘」と言ったりすることがある。

山口県下関市には小野小町の墓と伝えられるものもある。六歌仙の1人に選ばれた小野小町は恋多き女といわれ、その美しさに男たちは次々と彼女を恋した。文屋康秀、阿倍清行、僧正遍昭、仁明天皇などに求愛される。多くの謎を秘めた歌人で、終焉の地も全国各地にあって晩年のことは分からない。「小野小町の伝記は、結局不明の一語につきる」と言われている。

   在原業平が東下りをして陸奥の八十島で、小野小町がこの地で死んだと聞き宿を取った。夜中に声がして、和歌の上の句が聞こえる。「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」と聞こえ辺りを探したが、人の姿は見えない。ただ髑髏ひとつが転がっている。翌朝、その髑髏を見ると、目の穴からススキが生えていた。「あなめあなめ」とは「ああ目が痛い」という意味。哀れに思った業平は、「小野とはいはじ薄生けり」(小野小町の哀れな最期とはいうまい。ただ薄が生えているだけのことだ)」と下の句を付けた。その場所を小野と呼んだ。「古事談」に見える。

    また京都洛北市原の補陀洛寺にはこのような話が伝わる。流浪の果てに洛北の地にたどり着いた小野小町は、ふと井戸をのぞくと、骨と皮ばかりに痩せ衰えた自分の容姿が水面に映っている。小町は老いの悲しみに身もだえしながら井戸に身をなげて死んだ。Cimg9554 「吾死なば焼くな埋めるな野に晒せ痩せたる犬の腹肥やせ」(私が死んだら野にさらしてお腹をすかした野良犬の餌にしてくださいな)という辞世の歌がのこる。補陀洛寺の境内には「小町姿見の井戸」がある(左画像)

    丹後大宮の五十河地方も小野小町の終焉の地とされている。天橋立に向う途中、病の床についた小町。彼女はここで力つき、里人たちに看取られ亡くなる。「九重の花の都に住まわせではかなくや我は三重にかくるる」(花の都に住んだ私なのに、ついにこの三重の里でなくなるのだわ)という辞世の歌がのこる。

  このように小野小町には晩年は不幸だったとする俗説がある。だが、比較的信頼できる史料とされる「冷泉家記」などによれば、小野小町は京都府井手町にあった井提寺別当の妻となり、幸せな晩年を過ごし、69歳で没したと記されている。(3月18日)

参考文献:武居碩三「小野小町の生涯」 玉文社 昭和4年、黒岩涙香「小野小町論」

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コメント

小野小町は晩年の生活不明とされていたように記憶してましたが・・

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美人は、とても幸福になるか、逆に美貌ゆえにもてはやされて地に足つかず不幸な晩年になるか、どちらかだと以前に何かで読んだ気がします。

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