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2017年3月29日 (水)

意外なネーミング

  冷蔵庫の脱臭消臭剤「キムコ」。開発当時の1953年、ミス・ユニバースの世界大会で3位に選ばれた伊東絹子が「八頭身美人」と話題を呼んでいた。キムコとキヌコ。音感が似ていて親しみやすいということで社名にしたといわれる。▽Jリーグの「コンサドーレ札幌」。「コンサドーレ」はとくに意味はなく、道産子(どさんこ)を逆さから読み、ラテン語の響きをもつ「オーレ」を組み合わせたもの。▽「公明党」の公明は公明正大から付けられたと思いきや、実は池田会長が三国志の蜀漢の丞相諸葛亮の大ファンで、字の「孔明」を捩って付けたと言われている。

2017年3月28日 (火)

郵便配達は二度ベルを鳴らす

  「郵便配達は二度ベルを鳴らす」奇妙な題名である。物語に郵便配達夫は登場しない。前科のある流れ者の男と、歳の離れた夫を持つ女が、不倫の果てに夫を殺害し、悲劇的な結末を迎えるさまを描く。むかしから映画にはデートリッヒやアイダ・ルピノ、シモーヌ・シニョレのような美女が男を破滅させるファム・ファタール(悪女)の作品が数多くある。原作は、アメリカのジェームズ・M・ケインが実話をヒントに小説としたもの。これまで4度も映画化され、ミッシェル・シモン(1939年)、クララ・カラマイ(1942年)、ラナ・ターナー(1946年)、ジェシカ・ラング(1981年)がヒロインを演じた。セクシー女優ラナ・ターナーを売り出した作品だが、その4年前にイタリアで作られたヴィスコンティの初期作品に惹かれる。ジョヴァンナ役は初めアンナ・マニャーニが演ずることになっていたが、妊娠していたため、急遽クララ・カラマイ(1915-1998)が演ずることになった。カラマイは「白夜」「華やかな魔女たち」など戦後脇役女優として知られるが、この映画の彼女はすばらしい。カラマイが醸し出すはかない女の哀愁がただよう。相手役のマッシロ・ジロッテイも男性的魅力にあふれ、男と女を結ぶ一本の絆がしがらみつくような感じで真摯な愛情が伝わってくる。名作とはこれだ。

「キ」 事項索引インデックス

B23945pm01_44113a   「キャミソール」細い肩紐がついた女性用の袖なし下着。▽ 「キンセンカ」南欧原産のキンセンカ科の秋まき一年草。カレンデュラCalendula。春にオレンジや黄色の花を咲かせる。日本渡来は幕末頃で、仏花や盛花として用いるが、ヨーロッパではハーブの1つに数えられる。▽「キヌア」南米アンデス地方原産の穀物。栄養価が高く、近年、健康食品として注目されてきている。▽「キャノン機関」占領軍統治下の日本においてキャノン少佐を中心とした反共特務機関。▽「キノ・プラウダ運動」ロシアの映画作家ジガ・ベルトフが1922年、新聞プラウダに自分の撮るニュース映画は、その付録として「映画(キノ)に撮った新聞」という意味で「キノ・プラウダ」と名付けたが、それが1960年代終わりになって、フランスでゴダールが「キノ・プラウダ運動」として、「東風」「プラウダ」「イタリアにおける闘争」など商業主義から離れたドキュメントと政治色の強い映画を製作した。▽「キャメロット」アーサー王の王国、ログレスの都。▽「緊箍児(きんこじ)」孫悟空の頭に嵌められた金の輪。厄除け。▽「キガリ」ルワンダの首都。▽「義兵戦争」日清戦争後から韓国併合前後までの朝鮮民衆による反日武装闘争。▽「キュチュク・カイナルジ条約」1774年、露土戦争の結果、ロシアとオスマン帝国の間で結ばれた講和条約。クチュクカイナルジ条約とも呼ばれる。▽「ギロカストラ」アルバニア南部の都市。2005年に世界遺産に登録。▽「ギヨー」海洋底との比高が1000m以上の孤立した円錐形の山は海山と呼ばれ、特に頂部が水深200m以深にあって平坦なものをギヨーと呼んでいる。ギヨーは平頂火山とも呼ばれ、ほとんどが火山である。名称はスイスの地質学者アーノルド・ヘンリー・ギヨーにちなむ。▽「キレナイカ」リビアの東部地方。▽「キマロキ編成」国鉄でかつて運転されていた除雪作業用の編成。▽「巨文島事件」1885年から1887年までの2年間、イギリスが巨文島を不法に占拠した事件。▽「近肖古王」百済の最盛期を築いたとされる第13代王(生年不詳-375年)論語・千字文を応神天皇に献上したとされる。クンチョゴワン。(きききき)


ギアナ
紀伊山地
紀伊水道
議員内閣制
キヴィタス
木内宗五郎
キエティスム(静寂主義)
キエフ
キェルケゴール
棄捐令
キオスク
祇園祭
議会
奇貨居くべし
幾何学
帰化人
キガリ
企業
菊池寛
キケロ
きけわだつみのこえ
記号
気候
象潟海岸(にかほ市)
木更津
キサントプロテイン反応
騎士
亀茲(クチャ)
気質
雉も鳴かずばうたれまい
希釈熱
奇術
技術革新
義浄
魏志倭人伝
キシリトール
キジル石窟
ギジルバシュ
岸和田(大阪府)
寄進地系荘園
寄生地主制度
旗人
キージンガー
魏晋南北朝時代
キス
キスカ島
季節風(モンスーン)
キセニア現象
キーセン(妓生)
貴族
木曽山脈
ギター
北アメリカ
北浦
北回帰線
喜多方(福島県)
北太平洋条約機構
北上川
北九州
北朝鮮
北本(埼玉県)
北山文化
キーツ,ジョン
杵築(大分県)
契丹
キッチュ
ぎっちょんちょん
キティ台風
キト(エクアドル)
キトラ古墳
ギニア
ギニョール
キヌア
きぬた骨(耳小骨)
絹の道(シルクロード、ザイデンシュトラーセン)
ギネスブック
紀ノ川
城崎
木下サーカス
キノ・プラウダ運動
吉備高原
羈縻政策
蟻鼻銭
吉備津の釜
黄表紙本
岐阜
キープ(インカ帝国)
キプチャク・ハン国
キブツ
キプロス
義兵戦争
奇兵隊
ギべリン党
喜望峰
基本的人権
キマロキ編成
君が代
義務教育
逆コース
格式(きゃくしき)
キャッサバ
キャノン機関
キャフタ条約
キャミソール
キャメロット
キャラメル
キャンベラ(オーストラリア)
杞憂
九か国条約
旧教
九州
旧制度(アンシャン・レジーム)
九成宮醒泉銘(欧陽詢)
旧石器
旧約聖書
キューバ
九品中正
キュチュク・カイナルジ条約
キューリー夫妻
キュレーター(博物館・美術館の学芸員)
キュロス2世
ギヨー
教育
狂歌
教科書
京劇
狂言
教皇
恐慌
鏡子ちゃん事件
共産党
仰韶文化
行政
京都
京都議定書
匈奴
恐怖政治
享保の改革
京の着倒れ、大阪の食い倒れ
きょうは帝劇、あすは三越
郷勇
恐竜
極東軍事裁判
巨人
清瀬(東京都)
巨石文化
巨文島事件
ギョベクリ・テぺ遺跡(トルコ)
浄御原律令
清元
魚鱗図冊
キラーファト運動
霧ヶ峰
ギリシア
キリシタン文化
霧島
キリスト教
桐一葉落ちて天下の秋を知る
キリマンジャロ
桐生
キリル文字
キルギス
キルクーク
ギルド
ギルバート諸島
キールン(基隆)
キレナイカ
ギロカストラ
ギロチン
義和団の乱

銀河
金閣
近畿
金喜老事件
金魚
キングストン(ジャマイカ)
キング牧師
銀行
緊箍児(きんこじ)
銀座
金鵄勲章
キンシャサ(コンゴ民主共和国)
禁じられた遊び(フランス映画)
近肖古王
近親相姦
近代
錦帯橋
近代文学
禁中並公家諸法度
欽定憲法
均田法
キンバリー(南アフリカ)
キンブリ人
金本位制
金門橋
金融
均輸法(漢代)
筋力
菌類
勤労者世帯

やせたソクラテス

   昭和39年3月28日、東京大学の卒業式で大河内一男総長が卒業式に贈ることばの中で「太った豚より痩せたソクラテスになれ」と訓辞した。当時、この言葉は流行語のように広まった。ところが、総長本人はこれを読み飛ばしてしまい、実際の卒業生はこの言葉を聞かなかったという。「痩せたソクラテス」にはパクリ疑惑がある。イギリスの経済学者ジョン・スチュワート・ミルの有名な言葉に「満足している豚よりも満足していない人間である方が良い。満足している愚か者より満足していないソクラテスである方が良い」というのがある。大河内の言葉をこの名言をかなり短くしたものだった。

   ロバート・フルガムの「人生に必要な知識はすべて幼稚園の砂場で学んだ」この言葉もどこか聞いたことがある。ワーテルローでナポレオンを破ったウェリントンの言葉に「ワーテルローの戦いは、イートンの校庭で勝たれた」がある。

The battle of Waterloo was won on the field of Eton.

2017年3月27日 (月)

なぜオフサイドという反則ルールがあるのか?

   サッカーやラグビーにはオフサイドという反則がある。サッカーの場合オフサイドラインというのがあって、ゴールキーパーを除き、一番後ろにいる守備選手からエンドラインと平行にひかれたラインをオフサイドラインといい、攻撃側の選手がラインより内側にいると反則となる。なぜオフサイドが反則なのか?はっきりしたことはわからない。待ち伏せ攻撃を卑怯と考える説。またオフサイドがないと得点は入りやすくなるが、試合が単調でつまらなくなるという説。歴史的にみると、もともと「戦争ごっこ」から生まれたスポーツで、実際の戦争では、最前線に並ぶ兵士より前に味方がいるのはありえない。だから想定上ありえないポジションにいる選手はプレーに参加ではないというルールが生まれたとする説もある。

競走馬の名前が9字以内の理由は?

  馬主にとって最大の楽しみは、自分の持ち馬に名前をつけることだそうです。シンボリクリスエス、ダップダンスシチー、ディープインパクト、メイショウサムソン、ダイワスカーレットと、いろいろな名前がある。だが、よく見てみると名前は、みんな9文字以内になっている。それは日本中央競馬会には、馬名は2字以上、9字以内という規定があるからだ。ではなぜ9字以内に決められたのか、はっきりした理由はわからない。おそらく競馬の先進国であるイギリスやフランスにあるパリ協約で競走馬の馬名はアルファベットで18文字以内と決められていることによると思われる。

「奥の細道」旅立ち

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   松尾芭蕉が、門人の河合曽良とともに江戸深川の芭蕉庵から奥州へと旅立ったのは、元禄2年3月27日、芭蕉46歳のことであった。これは旧暦であるので、太陽暦でいえば5月16日にあたる。旅に立つには快適のころである。素盞雄神社の境内に文政3年10月12日の芭蕉忌に「松尾芭蕉奥の細道矢立初め碑」が建てられた。亀田鵬斎が銘文を書いている。また碑面の下部の芭蕉像は建部巣兆の筆。

 

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 首途の句碑

2017年3月26日 (日)

左利き

   日本人の左利きの割合はわずか9%しかいない。ところで左利きのことを「ぎっちょ」というのはなぜか?「今さらこんなこと他人には聞けない辞典」という本にちゃんと載っている。「ぎっちょ」は正しくは「左ぎっちょ」という。この左ぎっちょは左器用のことで、この「器用」がなまって、「ぎっちょ」になったのである。だから、「左ぎっちょう」というところもある。

外題学問

   小説、ドラマ、映画などタイトルが大事だろう。いかに読者(視聴者)の関心や興味をひきつけるか。最近、「亀は意外と速く泳ぐ」「亀も空を飛ぶ」「人のセックスを笑うな」「ニワトリはハダシだ」「暗いところで待ち合わせ」「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」など長いタイトルで内容がわからないものがウケているようだ。昔なんだか分からないタイトルには名作が多かった。「熱いトタン屋根の猫」「欲望という名の電車」「月曜日には鼠を殺せ」「逃げるは恥だが役に立つ」などなど。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」には郵便配達夫は登場しない。運命はさけられない、という意味らしい。ひところ流行った「○○物語」とかヒロインの名前のもの、などありふれたタイトルは影をひそめている。小津安次郎の「東京物語」、今井正の「純愛物語」など名作にあやかり、「早春物語」「愛情物語」「仔鹿物語」「国東物語」「子猫物語」「南極物語」「タスマニア物語」「花物語」「パンダ物語」が続々公開された。女性ヒロインをタイトルにするのは、NHKの朝の連続テレビ小説が得意だが昭和58年の「おしん」では大ヒットだったが、以降、「チョッちゃん」「ノンちゃんの夢」「純ちゃんの応援歌」「和っこの金メダル」「ひらり」「かりん」「ぴあの」「あぐり」「あすか」「さくら」「こころ」「つばさ」と逓減している。思うに「○○物語」とか「つばさ」とか、作品のコンセプトがタイトルにでていない。書名も洒落たタイトルには名作がある。好きなタイトル。「ちょっとピンボケ」(写真家ロバート・キャパ)、「ツァラトゥストラはかく語りき」(ニーチェ)、「死にいたる病」(キルケゴール)、「五体不満足」(乙武洋匡)、「狭き門」(ジッド)、「サラダ記念日」(俵万智)。

   数年前に映画「魁!!クロマティ高校 THE☆MOVIE」という映画が封切り前になって、元巨人のウォーレン・クロマティから無断で名前を使用されたというパブリシティ権の侵害が東京地裁に仮処分申請があった。「実在の人物とは無関係」というテロップを入れることで合意した。その後、損害賠償に関する動きについては不明である。原作は既に7年間も少年マガジンに連載されたものであるので、日本側では今さらの感がなきにしもあらず、という一件だった。スポーツ漫画は伝統的に実名が登場するのが当たり前になっている。つかこうへいの「長嶋茂雄殺人事件」(昭和61年)などもとくに問題にはならなかった。過激なタイトルを求めるあまり、とこまでが許容されるのかいろいろ問題を含んでいるようだ。

異色作家永山一郎、青春の疾走

   昭和39年3月26日、詩人・作家・小学校教諭の永山一郎(1934-1964)は山形県新庄市でバイク事故で死亡した。冬樹社から「永山一郎全集」がある。短編「皮癬(ダニ)の唄」、詩集「地の中の異国」など。

2017年3月24日 (金)

マネキン記念日

1725476911479mannequinwithdressinth   かつては小売りの王者だった百貨店だが、近年は世界的不況で存在感を失い、客離れが進んでいる。大型ショッピングセンターには、ブティックなどの専門店が多い。休日の買い物客で賑わうが、やはりモードの主役はマネキン(mannequin)だ。そもそも衣裳を着せて飾る陳列用の人形をマネキンと呼ぶが、これはフランス語の「マヌカン」に由来する。フランス語の「マヌカン」にするか、英語の「マネキン」にするか、論争があった。資生堂取締役の白川虔三は「マヌカン(招かぬ)よりマネキン(招金)の方が縁起がいい」と主張したのが言葉の始まりといわれる。マネキンの黎明期には、人形ではなく本物の女性がマネキンガールとなって立っていた。大正11年3月に東京で開かれた平和博覧会で、盛装した婦人を陳列所にたたせたところ大評判となった。ついで大正14年10月に上野公園で開かれた電気博覧会では東京電気会社マツダランプが小西道子、西村明子を窓飾美人としてマネキンガールにしたところ、大当たりとなったものである。商品を身に着けるマネキンガールの最初は昭和3年3月24日、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会において高島屋呉服店のコーナーで登場したのが最初である。戦後昭和20年代まで販売促進員としてのマネキンガールは女性の憧れの職業の一つだった。

2017年3月23日 (木)

ルームメイトの二人

 映画「ルームメイト」(1992年)アリソンはアパートの同居人を探す。「独身、白人、女性」そしてどこか野暮ったいが真面目そうな娘へドラと共同生活を送ることにする。しかしへドラは狂気にみちた女性だった…。洗練されたブリジット・フォンダと小柄なジェニファー・ジェイソン・リーと対照的なタイプ。ピーター・フォンダとヴック・モローの娘。ブリジットは結婚後、女優業は休業中。一方のジェニファーは近作「ヘイトフル・エイト」でも怪演。

2017年3月21日 (火)

世界で一番幸福な国ノルウェー

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  国連がさまざまな指標から世界でいちばん幸せな国はノルウェーであると発表した。ちなみに日本は第51位。地震や台風などの自然災害も多いし、競争社会で生きていくことが難しい国家で、国民から笑顔は消えている。

   ノルウェーはスカンディナヴィア半島の北西半を占め、その面積は32.4万平方キロで日本よりわずかに広い。沿岸部は深く陸地に入り込んだフィヨルドによって複雑な海岸線をかたちづくっている。総人口はわずかに約470万人にしか過ぎず、人口密度はアイスランドについでヨーロッパ2番目に低い。農業は不振であるが、国土の24%を森林が占めており、その森林資源を利用した林業と製紙業が盛んである。また北海での漁業、海運業などが盛んであるが、北海油田が開発されて以来、原油、天然ガスが輸出の中心を占めるようになった。

   ノルウェーの自然は神秘的なまでに美しく、しかも冷厳な様相を呈している。北欧の詩人や哲学者の作品のもつ神秘的な雰囲気も、この特有な自然環境の中にこそ生まれ育ったものだと思われる。画家のムンク、彫刻家グスタフ・ヴィーゲラン、音楽家グリーグ、劇作家イブセンなどがいる。

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   ノルウェー第2の都市ベルゲンから北のトロンへイムへ、またベルゲンから南のスタバンゲルへと向かうフィヨルド見物の遊覧船は外国からの観光客を集めている。観光客相手の土産物にはトロールといわれる人形が売られている。トロールとはノルウェーの森に住む妖精である。日常生活でふっと物が無くなった際には、「トロールのいたずら」と言われている。ノルウェーの森は妖精たちがひっそりと静かに息づいている秘密の楽園のような場所だ。(Norway)

空海の死はなぜ「入定」というのか

Photo_6   真言宗の開祖、空海は835年(承和2年)のこの日、60歳で高野山で没した。通常僧侶の死は入滅、入寂などと表現されるが空海に限ってはそうは言わず、入定という。本来、入定とは生きて禅定の修行に入っている状態をさし、死とは違う意味合いである。それなのにこのように言われ続けられるのは次のような理由からである。空海死後86年経った時、延喜21年、朝廷より空海に弘法大師という諡号が贈られた。そのことを空海に報告するため、観賢は御廟の石室の扉を開けてみたら、そこには言い伝えどおり禅定をする空海の姿があった。しかも驚いたことに頭には30歳ぐらいの長い髪がはえ、まさしく現在も生きているかのごとくであった。感激した観賢僧正は髪を丁寧に剃りあげて浄衣に着せ替えて身支度を調えて退出したが生きている人と別れるのと同じ思いがして悲しみのあまり涙が止まらなかった。そのことがあって以後は今尚、生きて禅定され続けていられるとの思いで入滅ではなくて入定されていると言われ続けている。(3月21日)

2017年3月20日 (月)

イサクの犠牲

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  アブラハムはメソポタミア南部の大都市ウルで生まれたが、父に連れられて北方のハランに移住し、75歳のときそこからまた、神の命令に従い、パレスチナに移った。アブラハムにはサラという妻がありましたが、2人は長い間、子どもに恵まれなかった。ところがアブラハムが99歳になったとき、神が彼にのぞんでいわれた。「彼女によってあなたに1人の男の子を授けよう」アブラハムは、自分が100歳近く、サラは90歳にもなってどうして子が生れようか、心のなかで笑いました。けれども、実際に男の子が生れて、イサクと名づけました。イサクとは「笑い」という意味である。

 あるとき「あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」という驚くべき命令を神から与えられたが、黙ってこれに従い、息子を連れて3日間旅をして指定された場所に着いた。そして連れてきたふたりの従者は、乗ってきたロバとともに麓に残し、イサクに薪を背負わせ、彼自身は火と刃物を手に持ちふたりだけで、のちにエルサレムの神殿が築かれることになる山を登り、そこに祭壇を設け、イサクをしばり、薪の上に載せると、刃物を振って殺そうとした。しかしその瞬間に、天使が声をかけて彼をとめ、アブラハムが目をあげて見ると、背後のやぶに1頭の雄羊がいたので、彼はこれを捕らえ、イサクの代わりに生贄として神に供えて、それを生贄とした。イサクが結婚する年齢になった時、アブラハムは彼のために妻を見つけさせた。これがリベカである。イサクとその家族はカナンとネゲブとの間を往来した。イサクの羊飼いが、ある井戸のことで争いを起こしたので、「7つの井戸」と呼ばれるベエル・シバに移った。イサクが死んだ時、彼もまたマクペラの洞穴のなかのアブラハムのそばに葬むられた。

2017年3月19日 (日)

聖書の「カエサル」はカエサル(シーザー)ではない

Tiberius_denar_o    正常な分娩をすることができない場合、切開して中の胎児を取り出すことを「帝王切開」という。医学用語ではラテン語で「セクティオ・カエサリア」という。カエサル(シーザー)の出生が、こういう外科手術によったためといわれるが、皇帝ではないカエサルがなぜ帝王なのだろうか。聖書の中でローマの独裁執政官や皇帝は何人登場するだろうか。マタイ伝に「カエサルのものはカエサルに」とあるので、カエサル(シーザー)、アウグストゥス、ティベリウス、クラウディウスの4人と答える人がいる。正解は3人である。マタイ伝の「カエサル」とは「ローマ皇帝」という意味である。カエサルとは、西暦前46年にディクタートルとして任命された、ガイウス・ユリウス・カエサルの家名である。その後のローマ皇帝たちの幾人かは、自らカエサルを名乗った。イエスが税の支払いについての質問に答えて、「カエサルのものはカエサルに、しかし神のものは神に返しなさい」と言った時に政権の座にあったカエサルは、ティベリウスだった。ティベリウスは正式にはティべリウス・ユリウス・カエサルというが、イエスはティベリウスに限定するつもりで述べたのではなく、「カエサル」という語は、民事当局、すなわち国家を象徴していたと考えられる。デナリ銀貨(デナリウス)にはティベリウスの肖像が刻印されていた。(Tiberius,dienarius) Render therefore to Caesar the things that are Caesar's,and to God the things that are God's.

古代人と文様

6921538336347ee6b144fed4b3f9783e   日本の先史時代や古代には多数の素晴らしい土器や青銅器が作られていた。そして今日、われわれはこれらの作品を美術館や博物館で鑑賞できる。しかしながら、これらの作品は本来、美術品として作られたものではない。容器や煮沸用として日常生活で使用されるものであったり、または銅鐸のように、広い意味で宗教目的のために作られたものである。

   古代の器物をみると、たいがい文様がほどこされている。文様はあってもなくても、用具としてはつかえるので、なぜ器物に装飾をするのであろうか。中国の青銅器や日本の縄文土器のように、文様の上に文様を重ねて、いわば文様過多の状態をみせているものも多くみられる。人間はひとたび文様を知ると、文様のない空白に不安や恐怖を覚えるといわれる。これを空白の恐怖(horror vacui)という。空白を嫌う人間の心理は、器物に文様をつけるという激しい表現意欲へと発展していく。近年の考古学研究の成果によると、縄文文化は中国の長江文明(良渚文化)の影響を受けているといわれる(安田喜憲の説)。

   古代の文様をタイプによって分類すると、幾何学的なものと、様式化または便化されたものと、動植物や人体にモティーフを求めた自然主義的なものとが見いだされる。この三つのタイプのいずれが、文様の最初の起源であるかということは、にわかに断定できない。縄文中期の土器「顔面把手付深鉢」(山梨県須玉町津金御所前遺跡)にみえる、土器本体に描かれた文様は、今まさに子供が生まれ出る瞬間を表現した人体のような文様と人面文様が描かれている。

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モハメド・アリと自転車

  モハメド・アリが12歳のとき、父から誕生日のプレゼントに自転車をもらった。ところが、ある日、この宝物の自転車が盗まれた。警察でアリは「自転車を盗んだヤツをぶちのめしてやる」と泣きながら叫んだ。このときジョー・マーチン(1916-1996)という警察官がボクシングジムのトレーナーをしており、「やっつけたいヤツにチャレンジする前に、闘い方を身に付けた方がいいよ」と優しくさとした。つまり殴るのはリングの上で、スポーツとしてやることをすすめたのだ。アリは6か月トレーニングした後、アマチュアデビュー戦で3ラウンド判定勝ちした。もしアリが自転車を盗まれなかったら、ボクシングをやっていなかったかもしれない。Joe Martin

2017年3月16日 (木)

ボディ・スナッチャー

 BSプレミアムシネマ、本日は「ボディ・スナッチャー恐怖の街」(1956)。宇宙からの侵略者、エイリアン、インベーダー物の古典的名作だが日本では劇場未公開だった。ケヴィン・マッカーシー、ダナ・ウィンター。原題 the body snatchersとは「死体を盗む男」という意味か。

2017年3月15日 (水)

ヴェニスの夏の日

  映画「旅情」は、イギリスの巨匠ディヴィッド・リーンが1955年にベニス・ロケで作ったロマンティックな名作である。キャサリン・ヘプバーン演じるジェーンはアメリカで秘書として働くうち、結婚適齢期をとっくに過ごしてしまう年齢。そこで夏の休暇を貯金をはたいてはるばるベニスまで観光旅行にやってきた。はたせるかな中年のイタリア男、レナートが現れる。純情な女学生のように若返って、ジェーンはレナートを愛してしまう。レストランで買ってもらったクチナシの花。レナートは「バラやランでなく、なぜクチナシ?」とたずねる。ジェーンは「初めてのダンスパーティーでの思い出がクチナシだった。でも相手はまだ高校生で進展しなかった」と。やがて2人に別れのときがくるが、駅にやってきたレナートの手にはクチナシの花があった。旅行先でのつかの間の恋の話は無数にあるが、いまだにこの「旅情」をこえた作品はない。

   映画音楽はアレッサンドロス・チコニーニが担当している。とくに主題曲「ヴェニスの夏の日」は大ヒットして、ムード・ミュージックの定番ともなっているが、ヴォーカルでも主演者のロッサノ・プラッツイやジュリー・ヴェールが吹き込んでファンを喜ばしている。

履物の歴史

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 プスセンネス1世の黄金のサンダル

7986631691_8d8beb59e1_z   本日は「靴の記念日」。1870年のこの日、西村勝三(1837-1907)が東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場を開設した。では人類でもっとも古い履物は? 北部アメリカの先住民はシカなどの動物の生皮で足を包み紐で結んだモカシンという靴が履物の原型と考えられている。古いものでおよそ前3500年頃の履物が出土している(画像)。古代エジプトでは前3100年頃のナルメル王の化粧板には従者が王のサンダルを捧げもつ絵がみえる。ツタンカーメン王(前1333-前1323)やプスセンネス1世(前1047-1001)のサンダルが墓から出土している。プスセンネス王の黄金のサンダルは葬祭用と思われる。

   前2000年ころにはパピルスで編んだ履物が作られ、このサンダルは他地域にも波及し、ギリシア・ローマ時代にもサンダルが出土している。靴底には鋲のある丈夫なつくりになっている。中国・韓国・日本など稲作地帯では藁でつくった「わらじ」が一般的な履物である。 (3月15日)

260ef037f7be93dc798383207e2d7ef9 Koreahairsandals72
     古代ローマ時代               韓国(1500年頃)

2017年3月14日 (火)

戦争映画

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   本日のBSプレミアムシネマは「テレマークの要塞」。ナチスの原爆核施設をノルウェイのレジスタンス部隊がスキーでスロープしながら爆破し、阻止するという実話がもとになった戦争アクション。あまり要塞らしきものは登場せず、重曹を積んだフェリーを沈没させる。主演のカーク・ダグラスは100歳でご健在とはおどろき、おどろき。 ヨーロッパの戦争映画が「無防備都市」「戦火のかなた」に代表されるような戦争の冷酷さや悲惨さを描いたリアリズム作品が多いのに対して、アメリカの戦争ものはスペクタクルとアクションに力点が置かれた作品が多い。やはり本土が戦禍にみまわれた国々との温度差があることは否めない。とくにワイドスクリーンが登場する60年代から「ナバロンの要塞」のようなコマンドものが西部劇にかわって大作映画の主流になる。そのなかでジョン・フォード「ミスタア・ロバーツ」は異色の戦争コメディ。

1930  西部戦線異状なし
1942  Uボート撃滅
1943  サハラ戦車隊
1945  コレヒドール戦記
1949  頭上の敵機
1954  ケイン号の反乱
1955  ミスタア・ロバーツ
1955  地獄の戦線
1956  荒鷲の翼
1956  攻撃
1956  戦艦シュペー号の最後
1957  眼下の敵
1957  突撃
1957  撃墜王アフリカの星
1958  特攻決死隊
1958  深く静かに潜航せよ
1959  ペティコート作戦
1959  潜望鏡を上げろ
1960  ビスマルク号を撃沈せよ
1960  潜水艦浮上せず
1961  ナバロンの要塞
1962  大脱走
1962  史上最大の作戦
1962  突撃隊
1964  六三三爆撃隊
1964  モスキート爆撃隊
1964  大突撃
1965  バルジ大作戦
1965  危険な道
1965  テレマークの要塞
1966  トブルク戦線
1966  パリは燃えているか
1967  特攻大作戦
1968  荒鷲の要塞
1968  砂漠の戦場 エル・アラメン
1969  空軍大戦略
1969  大反撃
1969  ネレトバの戦い
1970  ロンメル軍団を叩け
1977  遠すぎた橋
1978  トラ・トラ・トラ!
1979  地獄の黙示録
1981  Uボート
1986  プラトーン
2002  炎の戦線 エル・アラメイン
2006  父親たちの星条旗
2006  硫黄島からの手紙
2014  スターリングラード史上最大の市街戦
2015  スターリングラード大進撃 ヒトラーの蒼き野望

    ところで「ナバロンの要塞」の出演者たち。写真左からジェームズ・ダーレン、スタンリー・ベーカー、デヴィド・ニーヴン、グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、アンソニー・クエイル。ジェームズ・ダーレンは1936年生まれ(現在80歳)で存命。あとの5人は他界している。ジェームズ・ダーレンは本職は歌手、テレビなどで歌とドラマで活躍しアメリカではとても有名スター。ドラマ「タイムトンネル」(1966-67)や「恋も涙もさようなら」「冷たい女王」などヒット曲を出している。最近も新曲「ベストはまだ来ていない」と元気だ。

   スタンリー・ベイカー(1928-1976)は史劇からアクションまでなんでもこなせるイギリスの名優だが、惜しいことに48歳で死去している。

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    ジェームズ・ダーレン   スタンリー・ベイカー

2017年3月13日 (月)

ドラマ映画の中のクラシック

   曲名は知らなくても、どこかで聴いたことのある音楽がある。フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」でのベトナム戦争のシーンに流れる勇壮な音楽。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」である。いまではこのクラシックを聴くと、「地獄の黙示録」を思い浮かべるようになっている。小学生のとき音楽の時間にロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」が流れると、子供たちは一斉に「ローンレンジャー」と叫んだ。テレビの影響力は大きい。そのころ米国のドラマが日本でよく放送されていた。映画「ローンレンジャー」(2013)でもウィリアムテル序曲が使われているらしい。

「みじかくも美しく燃え」(1967)モーツァルトピアノ協奏曲第21番第2楽章

「プラトーン」(1986)バーバー 弦楽のためのアダージョ

「さよならをもう一度」(1961)ブラームス交響曲第3番第3楽章

「愛情物語」(1955)主題曲「トゥー・ラブ・アゲイン」はショパンの「夜想曲第2番」をアレンジしたもの。

韓国ドラマ「夏の香」の主題曲はシューベルトのセレナーデ(歌曲集「白鳥の歌」)

ネアンデルタール人は本当に花を愛したのか!?(異説世界史)

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    ネアンデルタール人は55万年から69万年前にホモ・サピエンスの祖先から分岐した別種で、絶滅したので現生人類との系統的なつながりは無いと考えられている。アフリカで進化を遂げた新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)の一派が、約4万年前にアフリカからヨーロッパに渡った。彼らをクロマニョン人という。ネアンデルタール人はクロマニョン人によって滅ぼされたという説が有力である。しかし2011年、遺伝子研究の結果、私たちのDNAにネアンデルタール人の痕跡が確認され、ネアンデルタール人とクロマニョン人が通婚し、やがてその形質的特長を失っていったということも考えられるようになっている。ただしネアンデルタール人が現生人類と異なる系統にあるということは動かし難い事実である。アメリカの考古学者ラルフ・S・ソレッキが「ネアンデルタールは死者に花を手向けた」というシャニダール洞窟での報告が有名である。我が国の書物やネットでも園芸家、華道家、葬儀屋までもネアンデルタール人の生死観について語っている。ネアンデルタール人は、自分の夫・妻、子ども、両親などが死んだりすると、愛情の対象を失った悲しみから花を捧げる習慣が生まれたというのである。ほんとうに現代医学や心理学でいうところの「対象喪失」がネアンデルタール人にあったのだろうか。ネアンデルタール人の前頭葉は現生人類の70%しかない。創意工夫の能力に欠け、死者に花を手向けるということに対して、近年の研究では疑問視されている。花粉が風に乗ってきたのかもしれないし、花の好きな女性で生前自分で花を飾っていたのかもしれない。「ネアンデルタール人は死者を悼む心があり、優しい心情をもつた人類」「宗教心のめばえ」とする説はいささか勇み足だったようである。洞窟の壁画を描いたり、オオカミを飼い馴らしたり、さまざまな石器を作ったりするのはクロマニョン人である。「ネアンデルタール人と花」は既成事実として定着してしまった。ラルフ・S・ソレッキという学者は著名なのであろうか。英語版ウィキペディアでも記述は少ない。1917年生まれで存命していることになっている。「ネアンデルタールの謎」ではなくて「ソレッキの謎」である。そしてソレッキの説が発表されて以降、旧石器人が花を愛したという報告はほとんどない。花が壁画に現れるのは、文明が誕生したエジプトの新王国が最初である。( keyword;neanderthalensis,Cro-Magnon,Ralph Stefan  Solecki ,Shanidar )

2017年3月12日 (日)

壱岐のイカ干し

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   壱岐は古くから日本と朝鮮との交通の要路に当たり、重視された。集落の特色は、畑作を主とする「在」と呼ばれる散村集落と、海浜の「浦」と呼ばれる漁村集落とにはっきり分かれていたことである。在は「触」と呼ばれる小字に統合され耕作を主としたが、浦は壱岐八浦とよばれる漁村で、いまは港町として発達している。勝本港では特産のイカ干し風景で知られる。韓国ドラマ「冬のソナタ」でも終盤にチュンサンとユジンが最後の旅を湫岩海岸の民宿で過ごす。そしてユジンが寝ている内にチュンサンは去ってゆく。民宿の軒に干していたイカが印象的であった。イカは韓国語で「オジンオ」という。湫岩海岸は東海にある。つまり日本海。壱岐と韓国とは風俗・習慣が近いことがドラマから知ることができる。

2017年3月11日 (土)

日本で花粉症が知られるようになったのは映画「同棲時代」から?

Photo_2   風に乗って大気中に飛び散った花粉を吸い込むことが原因で起こる、アレルギー性の鼻炎や喘息など、毎年、決まった時期になると発症する身近な病気「花粉症」。1987年3月9日、日本気象協会がスギ花粉情報を発表した。日本で花粉症が一般に知られるようになったのはいつごろからだろうか。

   1819年にイギリスのジョン・ボストックが牧草の干草と接触することによって発症することと考え、枯草熱(こそうねつ)と報告している。Blackley その後、イギリスのチャールズ・ブラックレイ(画像,1820-1900)の「枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実証的研究」(1873年)により、花粉が原因で発症する「ポリノシス(花粉症)」と呼ばれるようになった。

2a312001_2    日本では高度経済成長期の東京オリンピック頃から患者が急増する。馬場実の「アレルギー疾患としてのPollinosis(花粉症)とくにHay Feverについて」(「小児科」1964年10月号)や堀口申作「スギ花粉症Japanese Cedar Pollinosisに関する臨床的観察」(「日本耳鼻咽喉科学会会報」1965年10月号)など先行研究がある。一般に「花粉症」という言葉がマスコミに取り上げられるようになったのは1980年代に入ってからのようで、沢田亜矢子の曲に「花粉症」(1982年発売)がある。ところが由美かおるのヌードで話題となった映画「同棲時代」(1973)の中に花粉症で悩む女性の話がある。今日子の高校時代の友人・淳子(岩崎和子)が東京に来る。春が嫌いで、毎年この季節になると花粉で悩まされ、マスクをしている。この病気が原因で一生結婚ができないという。この時代はまだよくわからなかったらしく「花粉病」と言っている。(John Bostock,Charles H. Blackley、3月9日)

2017年3月10日 (金)

水で水を洗う

  清朝の乾隆帝は、水にやかましかった。自分が巡行するときは行く先々の水を調査させることが習わしだった。それは銀瓶と精密な計器をもっていって水の重さをはかり、軽いものを上としたのである。その結果北京西郊の玉泉の井水を天下第一泉として、巡行のときはこの水をもって旅行した。しかし車や舟に揺られ日が経つにしたがい水質は落ち、係の役人は行った先の水でこの玉泉の水を洗うことにしていた。それは大きな甕に玉泉の水を移しその分量をはかっておき、その土地の水を加えてよくかきまわして静かにしておく。そのうちに重い水は下によどみ、上面は軽い水だけになり、これをもとの分量だけ汲み出す。まさに「水で水を洗う」というやり方で、今日からみれば滑稽な水質検査であろう。(清朝野史大観)

不安な時代を生き抜くには

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   あれから6年。いま世界中で巨大地震が発生するという予言で、人びとがつねに不安に怯えている。まして日本は大震災の余震と、原発への恐怖など心やすまる日々はこない。テレビや雑誌を見るとさらに不安は増幅される。ある日、古い雑誌を気まぐれに読んでみた。そには麻生太郎がさいとうたかおなどと漫画論議をしていた集会であった。ああ、平和で暢気な時代があったことを忘れていた。あの頃はなんとおバカなニュースばかりだったことか。それに比べ今はどうすることもできない深刻で一個人ではどうすることもできない暗い話題が多すぎる。精神的には古い雑誌を読むに限る。

1杯のコーヒーと電話

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    ボストン大学の音声生理学教授だったグラハム・ベルは1876年3月10日、いつものように助手のトマス・ワトソンと一緒に電磁石の実験をしていた。ベルは側においてあったコーヒーをこぼしてしまった。すると隣の部屋にいたワトソンがあわててモップをもってやってきた。ベルは「ワトソンくん、どうして、わたしがコーヒーをこぼしたのを知っているんだい?」とたずねるた。「えっ、わたしの部屋の電磁石から先生の声が聞こえてきたんです。あっ、コーヒーをこぼしちゃった、と」

「わたしたちは声を送る機械を発明したんじゃないか」「きっとそうですよ、先生」こうして偶然にも1杯のコーヒーがこぼれたおかげで、電話が発明された。

2017年3月 9日 (木)

学校知と日常知

   日常知とは何か。教育学などでしばしば使われる用語で、学校や教科書、カリキュラムで得られる知識を「学校知」とよぶのに対して、普段の経験を通して得られる知識を「日常知」という。戦前、学校で暗唱させられた教育勅語のように上から強制的に教え込まれた知識などは、典型的な悪しき学校知である。英語では学校知=教養、school knowledge、日常知=常識 commonsence knowledge。学歴偏重の官僚国家のなかにあって、日本には学校知のみに優れ、コモンセンスの無い官僚が多くみられる。

江戸いろはかるた

   世界の国々には多くの諺や格言、箴言などがある。我が国でよく知られるのは「いろはかるた」である。カルタはポルトガルから伝来したきたものであるが、それを真似して「天正かるた」が作られた。「江戸いろは」は「犬も歩けば棒にあたる」で始まり、「上方いろは」は「一寸先は闇」で始まる。江戸いろはが世態風俗から生じた人間の知恵というのに対し、上方いろはは商売繁盛を願いながら、人間世間の嫌な面も入れているのが特徴であろう。作られたのは江戸後期で、何年何月という記録は不明であるが、明治、大正となるにつれ、江戸いろはが全国的に知られるようになったものであろう。現在、遊びとしての「かるた」の頻度は減少したが、その句は日常の会話で、知らず知らずに使われている。

い 犬も歩けば棒にあたる

ろ 論より証拠

は 花より団子

に 憎まれ子世にはばかる

ほ 骨折り損のくたびれ儲け

へ 屁をひって尻すぼめ

と 年寄りの冷や水

ち 塵もつもれば山となる

り 律義者の子だくさん

ぬ 盗人の昼寝

る 瑠璃も玻璃も照らせば光る

を 老いては子に従い

わ 割れ鍋にとじ蓋

か かったいの瘡(かさ)うらみ

よ 葭の髄から天井を覗く

た 旅は道づれ世は情け

れ 良薬は口に苦し

そ 惣領の甚六

つ 月夜に釜をぬく

ね 念には念を入れ

な 泣きっ面に蜂

ら 楽あれば苦あり

む 無理が通れば道理ひっこむ

う 嘘からでたまこと

ゐ 芋の煮えたもご存知ない

の 喉もとすぎれば熱さわするる

お 鬼に鉄棒

く 臭いものに蓋

や 安物買いの銭うしない

ま 負けるのは勝

け 芸は身を助ける

ふ 文はやりたし書く手は持たず

こ 子は三界の首枷

え 得手に帆をあげ

て 亭主の好きな赤烏帽子

あ 頭かくして尻かくさず

さ 三べんまわって煙草にしょ

き 聞いて極楽見て地獄

ゆ 油断大敵

め 目の上の瘤

み 身からでた錆

し 知らぬが仏

ゑ 縁は異なもの

ひ 貧乏ひま無し

も 門前の小僧習わぬ経を読む

せ 背に腹はかえられぬ

す 粋は身を食う

京 京の夢大坂の夢

バーグマンはロンドンに住んでいた

   BSプレミアム「誰が為に鐘は鳴る」。先日もイングリッド・バーグマンが晩年に出演した「オリエント急行殺人事件」をみた。とと姉ちゃんのモデルとなった大橋鎭子の「すてきなあなたに」を図書館で借りて読む。短文「バーグマンの芝居」にロンドンで見たイングリッド・バーグマンの印象が書かれている。大橋はバーグマンよりは5歳年下だがほぼ同世代とみてよい。終戦後、映画館でみたバーグマンをロンドンで生で見たのだから感動は大きかっただろう。フトうかんだのは「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」だそうだから、やはり往年の美貌はなかったのだろうか。このときバーグマンは56歳。映画「オリエント急行殺人事件」に出演する数年前である。しかしバーグマンが晩年の20年間はロンドンに住んでいたことは知らなかった。バーグマンの「セントメリーの鐘」「サラトガ本線」がみたい。

2017年3月 8日 (水)

ニューシネマとは何だったのか

    アメリカの代表的な週刊誌「タイム」は、1969年12月号で「ニューシネマ、暴力、セックス、芸術、自由に目覚めてハリウッド映画の衝撃」という大見出しをつけて、「俺たちに明日はない」の特集記事を掲載した。このあとアメリカ映画は「卒業」「イージー・ライダー」「明日に向かって撃て」が次々とヒット作を連発した。だが「ニューシネマとは何か」と改めて問うとよくわからないところがある。ある人はベトナム反戦で生まれたといい、ある人はアメリカという国の体制にうまくなじめない若者を描いたという。しかし、このような定義では括れない映画もニューシネマといわれる。「俺たちに明日はない」はベトナム反戦の主張が含まれているわけではない。新しいスター、非ハリウッドというが、主演のウォーレン・ビューティは「草原の輝き」で知られた既成のハリウッドの美男スターだ。「アリスのレストラン」という映画が、ベトナム戦争、徴兵制度、ヒッピー、麻薬などニューシネマ的素材をてんこもりにした作品だろうか。しかし、「バニシング・ポイント」などただ猛スピードでアメリカを横断し、爆死するという内容に映画的な新しさを感じても、ニューシネマ運動という共通の芸術理念を見出すことは困難である。つまり、イタリア・ネオリスモやフランス・ヌーベルバーグのような映像作家の共通した芸術意識をニューシネマからは見出しにくいのである。「俺たちに明日はない」が制作されたころ、既成のハリウッド映画界は「哀愁の花びら」や「サンタモニカの週末」などが作られた。両作に出演しているシャロン・テートはその時代のハリウッド・シンボルともいえよう。トニー・カーティスやロック・ハドソンといった二枚目がシリアスからコメディ路線に転向しやがて人気に陰りがみえはじめた。そうしてニューシネマはパニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」などのグランド・ホテル形式の既成の豪華ハリウッド・スター映画のヒット作の攻勢によって自然的に消滅していった。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなどニュー・シネマ後期から出現した新しい若手監督によって、ハリウッドは再び活発になっていったことがニューシネマの功績といえる。

ベティちゃんのモデルは?

   セクシーなアニメーションシリーズ「ベティ・ブープ(ベティちゃん)」のモデルは誰れだろうか?歌手のヘレン・ケイ(1904-1966)から創造されたらしいが、一説に女優のクララ・ボウという説もある。後年マリリン・モンローが映画「お熱いのがお好き」でヘレン・ケイの持ち歌「 I wanna be loved by you」をカバーしている。ちなみにブプッピードゥとは「うんもう、つまらない」という意味らしい。

啄木と不来方城

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   3月19日から選抜高校野球が始まる。入場行進曲が人気、知名度ともに最高潮の星野源の「恋」が吹奏楽となって流れ、21世紀枠部員10人の岩手、不来方(こずかた)高校が初出場と話題性がとても高い。石川啄木は小説「葬列」に「市の中央に巍然として立つ不来方城に登つて瞰下せば(中略)屋根々々が、茂れる樹々の葉蔭に立ち並んで見える此盛岡は、實に誰が見ても美しい日本の都会の一つには洩れぬ」と書いている。

   不来方城は、盛岡藩の南部氏居城で、同家27代の藩主南部利直(としなお)が慶長3年に着工、およそ10数年の歳月をかけて築城したものである。

   「不来方」の名はむかし清原武則の甥、不来方貞頼がこの地に城を設けたと伝えられるので、そう名づけられたものであろうが、もともとの地名の由来は、この地を荒らした鬼が取り押さえられ、もう来ないと約束したという伝説に因むとされる。その他にも、徒渉地点の「越し川」、小さい丘の「小塚田」、冠の頂の形「巾子(こじ)形」、アイヌ語のコチ・カタ(川の跡や河畔)、など諸説もある。

   南部氏が現青森県三戸から「不来方」へ移って築城したのは16世紀末で、地名を「森岡」に、さらに「盛岡」へと改名した。石川啄木が在学していた盛岡中学は、城址から約300mの近さにあり、啄木はしばしば学校を抜け出し城址で時を過ごした。

「不来方」の古名は石川啄木の「一握の砂」の次の短歌で広く全国に知られるようになった。

 不来方のお城の草に寝ころびて

 空に吸われし

 十五の心

   初出は「スバル」明治43年11月号。「秋のなかばに歌へる」の題下に発表された百十首中の一首。初出歌は「不来方のお城のあとの草に寝て空に吸われし十五の心」となっている。草茂る荒城で、広々とした大空に託す少年の日の夢と、青空に浮かぶ白雲を眺めながら何時しか無心になりゆく少年の日の記憶が巧みに表現されている。「一握の砂」には、ほかに不来方城を詠う次の二首がある。

 教室の窓より遁げて

 ただ一人

 かの城址に寝に行きしかな

          *

 城址の

 石に腰掛け

 禁制の木の実をひとり味ひしこと

相撲の起源は?

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  「日本書紀」によると、垂仁天皇の御世、当麻蹴速と野見宿禰が角力をとり、宿禰が勝ち、大和国当麻の地を与えられた。また「播磨風土記」には、相撲の始祖とされる野見宿禰は播磨国の立野で没した、とある。墓を立てるために人々が野に立ち(立つ野)手送りで石を運んだ光景が、「たつの」の地名の由来である。たつの市には墳墓伝説が残り、後世になって野見宿禰神社が建てられた。

    ところで相撲という格闘競技は日本だけではなく、世界中にさまざまな呼び名で行われている。中国ではシュアイジャオ(角力)、朝鮮シルムSireum、モンゴルのブフBoku、インドのクシュティKushti、イランのコシュティKoshti、トルコのヤールギュレシYagli gures、スイスのシュビンゲン、ロシアのサンボSomboなど。第12王朝(BC1950年頃)の古代エジプトの壁画には相撲のような格闘技が描かれている。日本の相撲の起源は、古代中国、秦漢時代の角抵(かくてい)あるらしい。

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また紀元前4世紀から3世紀にかけての中国内モンゴル自治区オルドス地方出土の「革帯鉸具・相撲をとる騎士」(大英博物館所蔵)には相撲をとる風俗主題の意匠がみえる。

2017年3月 6日 (月)

スポーツ新聞の日

  1946年3月6日、日刊スポーツが創刊された。タブロイド判4ページ、1部50銭だった。スポーツ新聞といえばプロ野球。そして各紙は大体ご贔屓の球団が決まっている。

Daily   デイリースポーツはもちろん阪神タイガース。ところが王貞治・長嶋茂雄両選手をコンビにして「ON砲」と呼んだのはデイリースポーツが最初である。アメリカのヤンキースのMM砲(ロジャー・マリス、ミッキー・マントル)を倣ってデイリーの記者が命名したという。最近、スポーツ新聞を読む機会が無くなったが風俗記事も少なくなったらしい。1部140円なり。

2017年3月 5日 (日)

保守主義の正体

   若くて美しい銀行員さん(ファイナンシャルアドバイザー)と話をしていた。彼女いわく「フランス人は資金運用では保守的です」と。なるほど基本的に農業国なので保守的な考えの人が多いかもしれない。エドマンド・バークは「いかなる権力も慣習を離れては存在しない」という。つまり慣習=伝統こそが正義の根拠となるべきもの。これこそ「保守」のゆえんである。日本人はどうか。日本も天皇=伝統=錦の御旗(正義の象徴)である。今朝のサンデーモーニングで姜尚中が森友学園が園児に教育勅語を暗唱させていることに関して、「教育勅語というのは本来、日本の神道とは水と油でこれは儒教。もっとも中国的なことを、理解せずに、反中・反韓を叫ぶのは滑稽」とコメントしていた。理屈をこねるとそうであろうが、日本人の中には姜氏に同意しかねる人も多い。根底には天皇への敬愛、礼節を尊ぶこと、これこそが日本式の保守主義の根幹であるようにみえる。森友学園の問題から自民党、維新の党などの本質があぶりだされるようだ。

2017年3月 3日 (金)

井伊大老の死

 万延元年3月3日のその朝、彦根藩邸に、浪士襲撃を密告した手紙が投げ込まれたという。その文面は、水戸脱藩浪士の暗殺計画にふれ、警戒するよう忠告してあった。直弼は、水戸浪士が自分の命を狙うーっていることは承知していたが、自分の胸にしまったまま家臣にももらさず、登城の駕籠に乗り込んだ。供廻りの人員は規定どおりの数である。徒歩が26人、それに足軽、草履取り、駕籠かき含め、総勢60余名。そのうち最後まで大老の駕籠を護って奮戦したのは8名にすぎない。まったく無傷のものが8名もいて、このものたちは、浪士襲撃と見るや、「一大事でござる」と叫びつつ、藩邸へ駆けつけ注進したのはよいが、どこか隠れたり逃げたりして、事件後、どこからともなくあらわれ、同僚の死体の整理にあたっている。譜代大名のうちでもその威名を天下に知られたほどの彦根35万石の大藩・井伊家自体が、これほどにおとろえていたことをみるべきだろう。

   井伊直弼は駕籠に乗ったまま討たれ、その討たれ方に、銃撃を腰に受けて動けなかったとする説と、死を天命として受け入れたとする説がある。最初に駕籠目がけて斬り込んだのは、稲田重蔵であるが、直弼の首級をあげたのは有村次左衛門といわれている。その間わずか3分ほどの暗殺劇だった。吉村昭の「桜田門ノ変」によると、「有村次左衛門と広岡子之次郎が、濠の方から駕籠に走り寄り、刀を突き入れるのを見た。鉄之介には、駕籠でさえぎられて見えなかったが、有村が扉をひらいたらしく、うずくまって肩をしきりに動かしている。その動きに、やはり駕籠には井伊大老がいて、稲田(重蔵)の体あたりで致命傷を負い、外に出られなかったのだろう、と思った。(中略)有村が再び叫んだ。その顔には泣いているとも笑っているとも判じがたい異様な表情がうかんでいる。刀の先の首を見つめた鉄之介は、遂に井伊大老の首級をあげたのだ、とかすんだ意識の中で自分に言い聞かせた」と関鉄之介の日記をもとに描写している。

  有村、広岡はその後、重傷をうけて自害した。関は文久2年に斬首されている。(3月3日)

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