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2017年2月 7日 (火)

日本人の祖先はバイカル湖周辺に住んでいた民族が移動した!?

Img_64816_10401509_0   日本人の幼児には臀部、腰部など皮膚に青色の斑点がみられる。これを蒙古斑と命名したのは、明治お雇い外国人として東京大学に招かれた医学者エルヴィン・フォン・ベルツ(1849-1913)である。蒙古斑は日本人には95%以上の割合で見られるが、中国人(漢民族)、韓国人には少ない。アジアでもタイ人などは「トゥック・ムック」(インクのケツという意)といって蒙古斑がでる子が半数近くいるらしい。ベルツは日本人の形質をみるうち、日本人はいろいろな民族が混血している新人種であると考えた。日本人混血説である。「日本人の体質」(邦訳なし)を著し、①アイヌ型②満洲・朝鮮型③マレー・モンゴル型の3種であるとした。このような日本民族の形成と起原に関しては戦前の皇国史観のなかではタブーであったが、戦後すぐに、江上波夫の騎馬民族説などの新説が現れた。日本人の支配者層をなす天皇家の祖先は、アジア大陸北方の騎馬民族が朝鮮半島に進出し、そこから九州を経て、大和にはいり、日本を統一したというのである。ソ連のピョートル・グズミッチ・コズロフが発見した北蒙古ノイン・ウラから紀元前後の匈奴の王・貴族の古墳が多数発見された。もちろんこの時代の匈奴(丁零、夫餘)はモンゴル人ではない。通常モンゴル人は7世紀からといわれる。ノイン・ウラの民族はアーリア系であると考えられる。だが日本人のルーツといえる文化をもっている。かつて仁徳・応神陵など前方後円墳は日本独自といわれたが、現在では韓国の全羅道地域でも前方後円墳が確認されている。ノイン・ウラからも多数の前方後円墳が発掘されている。(参考;江上波夫「国家の成立と騎馬民族」季刊東アジアの古代文化6、1975年、梅原末治「北蒙古ノイン・ウラの遺物」) 

Xiongnu
 天皇家の祖先が紀元前後いたと思われる故地

( keyword;Mongolian spot,Erwin von Balz,Noin-Ula,Kozlv )

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

いつ読んでも実に興味深い内容で面白いです。

蒙古斑は中国人にも出現すると聞いています。
WIKIpediaでは漢族で73,54%となっていますが、、。

ご指摘ありがとうございます。むかし人類学者の足立文太郎がベルツ説に反論して、「蒙古斑は全人類に出る」といった。ただし、新生児に目視で顕著に見られるのがモンゴル人と日本人。もし中国人に顕著に見えるのなら、圧倒的多数なのだから、「中国斑」とか「中華斑」と呼ばれただろう。

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