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2017年2月26日 (日)

始皇帝の母、趙姫

20070918143200_4315_   NHKBSプレミアム「中国王朝よみがえる伝説 悪女たちの真実」もいよいよ第三集。3月29日放送の趙姫。戦国の末、趙の都邯鄲に商用に出かけた韓の陽翟の豪商呂不韋は、偶然、秦の太子安国君の庶子の子楚が人質としてこの都に住んでいることを知った。その時、この商人は「この奇貨居くべし」(これはすばらしい掘り出し物だ。買っておこう)と口走った。すぐさま子楚に秦の太子になれる希望を抱かせ、ついで、その財力によって、ついにほんとうにこの一介の庶子を太子とすることに成功した。そして彼は、自分の子のみごもっていた朱姫を子楚にとつがせた。その生まれた子が後の始皇帝(前260-前210)である。かくして呂不韋の野望はみごとに達成された。

   始皇帝の母の実名は「史記」に記されていないが、後の小説類では趙姫、あるいは朱氏となっている。駒田信二は「朱姫」と呼んでいる。朱姫は歌と舞にかけては邯鄲の妓女たちの中でその右に出る者はないといわれている美女であった。しかし、後世の小説家たちは彼女を淫婦と呼んでいる。

   前249年、子楚は荘襄王となる。前247年、荘襄王死す。政(のちの始皇帝)秦王に即位する。まだ13歳だった。前238年、朱太后の乱行が暴露され、嫪毒の一族は皆殺しとなる。朱太后は萯陽宮(ぶようきゅう)という小さな離宮に移した。翌年、呂不韋は罷免され、2年後自殺する。朱太后はそれから7年後、前228年、50歳で死ぬ。萯陽宮に移されてから死ぬまでの10年間、かわるがわる男を引き入れて倦むことを知らなかったという。秦王政、のちの始皇帝は、父なる王は実の父ならず、実の父は死に追いやった。その母は淫乱に明けくれ、その同母の弟たちは殺さねばならなかった。秦王政は、孤独な生い立ちであった。(参考:駒田信二「世界の悪女たち」)

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コメント

なんだか亡くなってまでもたくさんの兵馬俑に守らせたわけがわかるような気がします。孤独な生い立ち、人など信じられない境遇だったのですね。

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