新島襄の名前の由来
新島襄は天保14年1月14日、江戸の上州安中藩屋敷で、下級藩士の新島民治の長男として生まれた。新島襄という名前は、アメリカから帰国して後に改名した名前で、幼名は「七五三太(しめた)」という。通説では、女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜び「しめた」と言った話が伝わるが、誕生日がしめ飾りを外す日だったから「しめた」と名付けられたのである。元服の後、名を「敬幹(けいかん)」とする。アメリカ時代は「ジョセフ・ニイシマ」または「ジョセフ・ハーディー・ニイシマ」と名乗った。帰国後はジョセフに「約瑟」という漢字をあて、「新島約瑟」と名乗ったが、約瑟という漢字が難しいため、新島襄と改名した。ジョー(Joe)「襄」はジョセフ(約瑟)を縮めたものという。一時は「譲」の漢字を使用して「新島譲」としたが松山高吉の助言を受けて「襄」の漢字を使用するようになり、戸籍を群馬県から京都府へ移す時に「新島襄」とした。
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